■ プレシャス ブログ

60歳になって9か月を過ぎてしまいました。高齢を理由にこれからやること、やめなければならないこと
考えてはいるのですが答えがでません。熱烈にやりたいことが無いということが原因だと思います。
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74年型CR125Rアップチャンバーとサイレンサー。
今年の出荷はこれで終わりですが
ワンオフ製作用の預かり車両があるので
完成しないまま年を越すことになります。

愛媛の実家の状態が心配なのですが
予定の仕事が終わらないで帰ることもできないので年末までは業務に集中ですね。






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KX250は来年用KRTエディションに模様変えしましたが、どのレースを走るかは決めていません。
まあ、今年並みにできればいいかと思っています。

150のレースが自分に合っていると思っているのですが20歳以下の人がエントリーしてこられると
年の差40歳以上ということになるので
経験は豊富としても体力年齢的に圧倒的不利な状況で、どこまで耐えられるかという戦いになると思っています。
MXレース界が活性化するためには若い世代の台頭が必要なことであるのですが
捨てられる側の高齢者の立場になってみるといささか残念な気持ちになってきます。それでも人生は続いていくわけで
オンロードバイクもあるし、限られた時間の中でやれることあれこれ考えて悩んでいるところです。


市販モトクロッサーの部品には寿命があります。毎週のように練習走行やレースを走る場合は
新車から1年を超えると寿命を迎えた部品から壊れ始めます。どこも壊れないのはゆっくり走っているからですね。A級ライダーなら40時間超えると危険になります。
故障の箇所にもよりますがジャンプの手前など安全に停車することが難しい場所で起こると
非常に危険な状態になります。
そうならないために走行時間を記録し、定期交換部品を問題が起こる前に取り換える作業が
自身の安全を保障することに繋がると思います。

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ドライブアクスルのベアリングが壊れたタイミングでドライブアクスルが折れて後輪ロックして前転したマシンでしたが
年内に走行可能な状態にするため
直ぐにエンジン下ろして分解、
不具合の部分を修復し、使用不可能な部品は新品交換して組みあがりました。

クランキングやトランスミッションの動作を手動で行い、正常に動くことを確認してから車体に組付けて電装や補器類を繋いでエンジン始動となります。

YZは後方排気なのでピストンの前後が前方排気エンジンと逆になりますので複数回確認しながらの組み立てです。
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インテークやガソリンタンクの位置もユニークですが、それ以外は通常のマシンと変わらないので、理に適った車体レイアウトかと思います。

キャブレターのように重力の影響を受けない
フューエルインジェクションなので
キャブ車と同じ位置にインテークを設ける必要がないことを証明した形です。

ガソリンタンクもフューエルポンプで燃圧を掛けるのだから、もっと低い位置にすればシートレール下げられるのだが、低身長ライダー向けに改造できそうです。


エンジンオイルとクーラント入れて、燃料系と電装繋いだら、セル一発でエンジン始動できました。
当たり前なんですが、丸一日掛け整備作業で一点でもミスがあると再びエンジン下ろしてやり直しになるので少しは緊張する儀式なんです。
これで年末までに走行可能にする予定が2週間前倒しできました。
年末まで予定いっぱいなので予定外の仕事で大わらわでした。

1945年、第2次世界大戦で日本が降伏したときにソ連が日ソ不可侵条約を破棄し、北方領土と満州国に攻め込んできた史実がありますが、そこで戦死した犠牲者は何も語る術がありませんでした。
しかし生存した人から体験したことを親族や友人に伝えることができました。

大正生まれの若者だった私の叔父は、日本軍に徴用され満州に渡ったことや、終戦後ソ連軍に捕まって捕虜になったことなど全く知らずに、愉快でいい加減な叔父だと思って50年も生きてきました。
何にも知らないで、叔父のことを敬うこともなく、何不自由なく生きてきた自分を恥じたいと思います。

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戦争体験者の多くは体験した嫌な記憶を思い出したくないためか、親族にも語らないことがあるようです。
私の叔父から直接当時のことを聞いたことがありません。
シベリアに9年間抑留されて帰ってきたことは父親が晩年に教えてくれたことで
工藤家の実家の近所が叔父の生家で、
父親とは年上の兄貴分のような関係でした。
だから、帰国直後は家族や友人にシベリアで過酷な虐待を受けてきたことを詳しく話したと思います。

冬になるとマイナス20℃の極寒で大した防寒着も支給されず強制労働や粗末な食事。
映画「ラーゲリより愛をこめて」によると第一便の引き上げは終戦から9年目、諜報活動の疑いを掛けられた捕虜は12年後(1957年)私が生まれる6年前まで抑留が続いていた事実。
叔父は一便の船に乗れたので9年だっただろうと分かりました。

私の父親の兄弟は3男2女で父親は次男、叔父は次女のフジ子さんと結婚しました。
その間に生まれた私より4つ年上の娘さんを一人授かりました。
その後のことは娘さんから、私の父親の葬儀のときに聞きました。
シベリア抑留から帰った叔父が先ず言ったことは「愛子はどうしている」だったそうで
愛子さんは工藤家の長女、一際上品な印象の女性でした。
しかし、そのときは既に地元の有名企業住友化学に勤務する男性宅に嫁いでおりました。(残念!)
愛子さんと再会することを願いながら辛い強制労働に耐え続けたに違いありません。

運命は残酷です。残っていた次女のフジ子さんと叔父は結婚することになりました。
フジ子さんは働き者で、地元のスーパーで経理部まで任される幹部社員に、
叔父は、軍人でない徴用のためかわかりませんが軍人恩給は貰えてなかったかもしれません。
安い町営住宅で一家3人は暮らし、一人娘は学校教員になり、フジ子さんもお金を貯めて一戸建ての住まいを持ちました。
娘さんから聞いた話では、叔父夫婦が喧嘩する度に「ワシはお前ではなくて愛子がよかったんじゃ!」と
不貞腐れていたそうで、国同士の都合で個人の権利は奪われ、人生の歯車を大きく狂わされた
叔父の人生の物語、大正生まれの若者たちの犠牲の上に私たちの便利や平和があることを忘れないようにしたいと思います。

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これはね、何度も紹介してますから
説明を省きますが

ビンテージ調のサイレンサー

最近、半年以上前にご注文いただいた別製品のお客さんから「納期はいつか」という
問い合わせがくることが多いです。

無理もありません。
しかし、ろくに生産設備もないまま
手作りで製作に応じていますので
作業時間が掛かってしまうことは
ご理解いただきたいです。

一生懸命やってますから、半年以上お待ちいただいているお客さんなら、あと数か月我慢していただければ希望の商品が手元に届くでしょう。

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今、ロット生産してますからね。

グラスウール詰めて、蓋を付けるところです。

マウントステーやエンドパイプも拵えてありますから、あとは組み立てるだけ。








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マウントステーの取り付けは治具に合わせて溶接します。

なんとなく昭和の香りがする零細企業の様相ですね。

ここは30年間時が止まっているんです。
多分このまま設備投資しないで余生を送っていくことになると思います。















スポーツ走行中にエンジンが壊れてほしくないですね。
そのため定期的に分解、点検整備を行う必要があります。整備を怠っていると、
走っている限り金属部品はダメージが蓄積して確実に破壊します。

その破壊するタイミングがコース上の安全な場所で起こるとは限りません。
むしろ最悪の場所でエンジンが止まってしまうこともあり得るのでした。

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この車体は4速全開でダブルジャンプを飛ぶ場所で、なんと上り斜面の踏切りでエンジンが壊れて後輪ロックしたまま
フロントからジャンプの谷間に墜落して前転したそうです。

モトクロス走行中に最も経験したくないアクシデントです。
幸い後続車を巻き込んだり、ライダーの身体能力が高かったおかげか、怪我なく済んだようですが、運が悪ければ重大な事故になったかもしれない危機でした。




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さーて、外観からは異常が認められないですが、ドライブシャフトはロックしたまま動きません。

これからエンジン下ろして分解して原因を確かめたいと思います。









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腰上から順番に外していき
クラッチアウターを外したときに
回らなかったクランクが正常に回りました。
これで、メインシャフトとドライブシャフトの間で問題が起きていることがわかります。

クランクケースを開く段階でドライブシャフトの軸が傾いているのか、負荷がかかって
簡単に開くことができませんでした。

苦労して分解したクランクケースからでてきたドライブシャフトの3速と4速の間で捩じ切れていました。

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ドライブシャフトのL側ベアリングのリテーナーが壊れてボールが欠落しています。

推定ですが最初に壊れたのはこのベアリングで、シャフトが傾いて回転曲げのような負荷が掛かってシャフトの溝から切り欠きの効果で亀裂が発生して破壊に至った。









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R側ベアリングの突き当たり部分が割れています。
シャフトが折れた際に軸が右側に押されて
ケースの段付き部分を突き壊したと思われます。

このままではベアリングの位置が動く可能性があるので、ケース交換する必要がありますが

他の部分にダメージが無いようなので直して使いたいと思います。



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ベアリングで位置決めをした状態で段付き部を溶接で補修しました。

このベアリングを含めて3軸の左右ベアリングは新品に交換するので
クランクケースは再使用したいと思います。

2年乗った車体なので調度いいオーバーホールの時期だったでしょう。

早急に部品注文して年末までに完成させなくてはなりません。



今年2回目の実家帰省です。恒例の草刈りですね。

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玄関はこんな感じ

まるで廃屋の様相ですね。

ドロボーさんが簡単に入れます。

毎回家の中が荒らされてないかドキドキしながら入ります。







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庭も雑草が生い茂っています。
6月ころが雑草の生える勢いが最大になります。


今回日程が少ないので大急ぎで刈り取りに掛かります。








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一日掛かりで家の周りは刈り終わりました。

翌日に山の畑も刈り取ってから
何もしないで帰路につく予定です。











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コレクションの77年型RM125

エンジン始動確認してから
タンクとキャブのガソリンを抜いて
保管しているので、今でも実働だと思います。
埼玉で何もすることがなくなったら
山へ持って行って乗り回そうと思っています。
そのときまで、ここでおとなしくしていてくれ。




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これはCRF250のキャブ車最終型

ノーマルはツインマフラーなんですが
これはシングルマフラーになっていて
とてもパワフルです。

ガソリンを抜いて保管してから2年
エンジン始動確認です。
チョーク一発、あっさり始動して
アイドリングも安定しています。
最後のキャブ車モトクロッサーも1台
残しておこうと思います。



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さて畑も上の段だけ刈り終わったので
早く帰りたいから
残りは次回来たときにやろうと思います。


これで役目は果たしたことにします。









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最終日は朝一で姫路城見にいきました。

実家から2時間くらいで行けるんです。

木造現存天守を目指して、四国4城を見てきましたが
姫路城は初めて、これが江戸時代の初期に
建造されていたなんて、信じられないです。

その大きさと精巧な木造建築の見事さに圧倒されます。

世界文化遺産、国宝の名声は文句なく人類の宝ですね。

第二次大戦で陸軍の基地があったこの場所を米軍機が空襲して焼け野が原にしましたが天守郭部分だけ攻撃しなかった米軍の英断があったことで今があります。戊申戦争のときも無血開城であったことも永久保存される運命だったでしょう。

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6層にわたる大天守ですから
6階から見る高さはこんなものです。

クレーンも無い時代にこのような高層建築がどのようにして行われたか、
巨大で精巧な木組みの工法、
全て驚きの連続で、何度でも訪れたい場所の一つです。







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屋根の上に乗っている大きな鯱

実物を真近で見れるのはここだけかも

現在乗っているのは昭和時代に復刻したものを使っているそうです。

ここでも壮大なレストレーションが行われているのです。




近年社会情勢がオカシイと誰でも思うところでしょうが、私の偏見に満ちた感想をのべます。
フォーミュラ・ワンのホンダパワー・ユニットで30年ぶりにドライバーズチャンピオン(M・フェルスタッペン)
にも関わらずTV地上波放送無し。
91年のマクラーレンホンダ(A・セナ)以来ですからモータースポーツ業界最大のニュースのはずなんですが、昨今のホンダという企業イメージ、小型ジェット機の量産など話題は提供していますが、4輪部門はNワゴンの販売が好調なだけ、2輪最高峰motoGPでは辛うじて3勝したのみ、WSBKは完全に蚊帳の外、4番目のワークスチームにホンダファンは落胆しているでしょう。
メーカーの技術力は30年前に比較して飛躍的に向上しているはずですが、不景気であったり未曾有の災害、パンデミックなど不安要素が続き社会の関心事から外れていったということが要因でしょうか。

超ローカル的には全日本MXの会場がさらに二つくらい消滅するらしい。理由は全日本開催する資金が無いということなので、これも30年前の観客動員数から比較して明らかに低迷、風前の灯。
着々と縮小の方向へ向かっている中でカーボンニュートラルという名目でガソリンエンジンの開発を終了させるという文明社会にとっての大変革の時期がすぐそこに迫っています。

ガソリンエンジン車好きなのになー、あのサウンドとバイブレーションが堪らない、そう思っているバイク乗りが大半だと思います。電動モーター車でもイイもの作ってくれれば乗るよ、という前向きなユーザーも多いとは思いますが、確実にガソリンエンジン車を愛した人の大部分が2輪に乗ることから離れるというか(既に2輪離れの社会である)
実用的には同等の性能になったとしても、エンジンのチューニングや吸排気系の変更、タンクやフレームなどカスタムバイク、あらゆる分野の職人、ショップ、個人愛好家たち、皆楽しみを奪われることになるでしょう。
何故このようにガソリンエンジン車存続の危機になったのでしょうか。
20年前は石油資源の枯渇が唱えられ、いつも40年後に入手困難になる石油に代わるエネルギーが必要である。このように誰もが信じた時代でした。
今ではITの普及で石油資源が人類文明が生きている期間で枯渇することは無いどころか、石油や天然ガスの埋蔵量が増え続けているという調査結果もあり、石油枯渇を問題にする人を見かけなくなりました。
その代わりに出てきたのが地球温暖化問題です。米元副大統領アル・ゴアの「不都合な真実」公開あたりから急速に加速している感じの世論です。
世界各地に起こる異常気象、海面上昇、当事者からすると地球の終わりに等しい危機感だと思いますが、暴かれた石油枯渇問題の次に目をつけたのは二酸化炭素排出問題です。
誰が目を付けたかというと、二酸化炭素大量に排出しながら技術競争に打ち勝てない二つの大陸を統治する機関です。
日本の高度経済成長期には世界中からエコノミック・アニマルと呼ばれたそうですが、今後は少子高齢化、技術の海外流失などで経済大国からは転落していくことが分かっている我が国。
日本沈没はSFの作品ですが執筆されなかった第2部は国土を失い流浪の民となった日本人の未来について空想するものであったそうですが、国土は沈没しませんが、経済的、技術的な発展は大陸からの逃れられない策略にはまり、今後期待できないように感じられます。
還暦を目前に衰えていく体力を感じながら、最後に乗るバイクは何がいいだろうか妄想することが増えました。モトクロッサーならKTM250SXF・ファクトリーエディション。ロードスポーツならカワサキZX10RR
かCB1100ファイナルエディション・・・バリバリやんけ(もうやめとけと、別の自分が囁く)

まあ妄想はさておき直近の現実に向かい合うのです。
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無限ME250レプリカ・チャンバー
ここまで二日掛かりのパイプ製作で
あと一日掛けて溶接組み立てします。

一台分丸三日、10台作ると稼働日で30日費やす作業ですから
1か月以上掛かりきりなんです。

当然他の予定はこの後になるのですが
途中で地元ライダーが突発で修理に来られたり、四国ツーリングに行ってきたりで
中々終わらないですが
ようやく出口が見えてきました。


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預かりした車体を治具に組み立てしていますので取り付け確認はできています。

注文数に対してあと2台なので今週末くらいで完了です。

今最長で9月からお待ちのお客さんがおられますので、来週からそちらのチャンバー製作に取り掛かります。
年内発送は堅いと思いますので、もうしばらくお待ちいただきたいと思います。



大型2輪は日本の道路では必要ない。そういうことを言う人が多いですが、2通りの考え方に基づいていると考えられます。
一つは大型2輪で一般道を走ったことない人。(僕もその中の一人でした)高額な車両価格、使用目的に対して使い勝手の悪い大きさや重さ、不要な馬力。所有する理由が見当たりませんね。

もう一つは以前大型2輪所有して乗っていたが、手放して中型か小型車両に乗り換えた人。
これは実体験から明確な不要論が湧いてきて、経済的にも実走行においても扱いやすい方が満足感を得られると感じたでしょう。

僕は両方の考え方を理解した上で、体験してないことは無知と同じということですから、体験してから次のステップを踏むことにしたのです。
ZX10Rは高速道路で150km/h走行時、6速6500rpmですから13000rpmで300km/hに達するバイクですが、一般道で走る場合は別の性能を体感することになります。
250や400はいっぱい乗っていましたから、その排気量では無理なことが分かっているんですが、
田舎国道では高齢者なのか、ノロノロ運転の後ろに何台もクルマが連なって付き合わされることがあります。
直線が十分に長く対向車や道路脇の歩行者などがいないことを完全に確認できれば追い越しを掛けることが可能ですが、殆どの場合はその先にカーブがあって対向車を確認することはできません。
複数の車両を追い抜き中に対向車が現れたら元の車線に戻れないので、急ブレーキで回避ということに
なってしまいます。

ところがリッターSSの加速は短い区間で瞬時に追い越しが完了できるので、ノロノロ運転に付き合うことなく一瞬で抜き去るので、安全です。加速の悪いバイクでは、追い越し完了しないうちに対向車が現れて元の車線に戻ることになるでしょう。
そういうシーンが現れる度に、このバイクでよかったと実感するのです。
ハンドル切れ角の少ないセパハンなので市街地での乗り難さはトップクラスだと思いますが、それを相殺する喜びが味わえます。

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ここも行ったことなかった高知城
木造現存12天守のうち4つが四国には存在するのです。

初代築城主は長曾我部元親ですが
長曾我部は四国征伐で、僕の郷土妙口村の領主黒川氏を滅ぼした宿敵。
滅ばされた黒川氏の神社は実家の氏神石土神社に祀られていますが
ここは滅ぼした側の城ということで時代を超えて感慨深い気持ちです。

最初の高知城は河智城と名付けたほど、二つの河に囲まれた中州に立地したため
度重なる水害に嫌気がさして長曾我部はこの城を放棄して別の場所に城を築いたそうです。その後関ケ原での功績により山之内一豊が徳川家康から二十四万石の禄高を得て河智に移り
現在の石垣や天守は山之内の時代に建造されたものだそうです。

初めての高知市街で慣れない上に高知城の駐車場に入ると係員が「2輪はお預かりしてないんですよねー」と追い出そうとしました。駐車場ガラガラに空いているのに停めさせないという理由を聞いても無駄だろうと思って「どこに行けば停められますか」と尋ねたら「県庁に行って聞いてください」と言う。
行政の2輪に対する不条理な対応を経験しました。
付近をグルグルと走り回って、問題なさそうな公園内に押して入って置かせてもらいました。
そんなことしているうちに夕闇が迫ってきます。
天守に入るのは別の機会にして外観だけ鑑賞して帰路に付きたいと思います。

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多分愛媛県への最短ルート、いの町からR194を走って寒風山トンネル経由で西条市へ出る峠道です。
8月にキャラバンで逆ルートで走ったことがあり、2輪で走りたい、イイ道だと思っていました。

しかし日が暮れた四国山地の真ん中を走る国道はヘッドライトの明かり以外は漆黒の闇
カーブの向うは全く見えない恐怖感と
強風と気温4℃の寒さで快適とは言えない
ドライブになりました。

そんな闇夜の峠にひと際明るいラーメン店が見えたので、ここまで何も食べてなかったせいもあり、即効で立ち寄りました。
実は誰かのモトブログ見て知っていた店名「自由軒」ここだったのですね。願ってもない展開。
豚骨でも魚介でもない、鶏がらと野菜のスープなのかわかりませんが、他県では食べたことないアッサリ系、麺のゆで加減も申し分ない中細めん、厚切りのチャーシュー。
毎回通って全メニュー制覇したい美味しさでした。
これで、寒い峠道も最後まで走破できそうです。

いの町最後のGSで給油してから小松町の実家まで83.5km、高知県は近い。
本日の走行距離471.9km乗ったなー。

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実家に10R

こんな日が来ようとは、学生時代には予想できませんでした。

これからキャラバンに積み込んで埼玉へ出発です。







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折角なので香川県に寄り道して帰ります。

善通寺ICで降りて丸亀城を目指そうと思いましたが、琴弾公園の標識を見つけ

銭形砂絵見てきました。
標高200mくらいの琴弾八幡宮の山から見える寛永通宝の砂絵です。
気分のいい場所です。






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そして丸亀城

要塞のような高い石垣の上に見える天守は
木造現存天守の一つです。

外堀を渡って一の門から入場します。









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圧巻の高さと美しい石垣は日本一を誇るものです。

当時の石切職人と土木技術の高さに驚愕です。

トラックやクレーンがあったとしても難工事だと思いますが、全て人力によるものと考えると昔の人の耐力や技術は現代人をはるかに凌ぐのではないかと思って疑いません。



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別名鷹城

3階建ての天守は日本最小だとか。
石垣のスケールからすると意外ですが
この一の丸を囲む櫓と回廊が繋がっていたのですが明治のは廃城令で取り壊され天守部分だけ保存された形です。

丸亀市で最も高い場所なので讃岐平野の全貌が一の丸から見れます。
天守の西側に今治造船、東側に瀬戸大橋が見える眺望もここの魅力です。

この後は高松駅に移動して、思い出の高松港で散策しました。
初めて四国を出たのが小学3年、宇高連絡船で宇野へ渡り電車で大阪へ、EXPO'70行きました。
連絡船で初めて飲んだコーラ、いろんな初体験へ出発の場所、高松港。
新居浜のバイク仲間たちと小豆島ツーリング行って上陸10分でクラッシュして初めて救急車乗ったのもいい経験。高専卒業してから同級生と再び訪れた小豆島行フェリーも高松発です。
予讃線の終点と琴電の始発、駅の隣は高松城跡のある玉藻公園。
むちゃくちゃイイ場所に後ろ髪を引かれる思いで時間に限りがあるので、今度こそ埼玉へ出発しました。

10月の遠征3連週の2週目は四国。実家の草刈りの後、美馬で四国選手権MXでした。
最後に四国選走ったのは82年だったので、39年ぶりのエントリーになります。

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前日は雨降らず、散水が必要だというほど埃立っていましたが
日曜は降水確率100%と予報どおり

コースはマディコンディション!徳島まできて
これかー、58歳になってまで試練を与えてくれるよのう。

2ヒート共ジャンプを上がるのに失敗したマシンが僕の進路に倒れてきて
超難しい滑る上り斜面での再スタートでタイムロスしてしまい、ノービスクラス総合5位。

先週の軽井沢大会は台数少なめだったおかげでSEクラス総合6位でしたから

毎回課題の残るレース展開で次回に活かそうと前向きに捉えることにします。
今年のモトクロスは後2戦出走予定です。

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美馬からの帰りは国道走って3時間くらいで
小松町の実家に着きました。
一般道でも案外近いです。

農機具置いてあったガレージは今やバイク整備小屋になっています。

くたびれたので明日、汚れ物の片付けです。


あー、洗車機のガンを美馬に置いてきてしまった。
明後日帰りながらコースに取りにいかなくては。

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お爺さんは川へ洗濯に

家の前が用水路なので水は豊富にあります。

泥だらけのウエアを洗濯機に入れられるように下洗いしておきます。








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外装外して、庭で洗車

泥水は雨水桝へ流すので泥濘になりません。
実家でモトクロッサー洗車する日が来るとは
考えられなかったことです。

長距離移動と草刈り労働の報酬と捉えて
遠慮なしにやらせてもらいます。





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レース翌日は皮肉なことに快晴で、洗濯物がよく乾く。

ヘルメット内装も縁側に干しています。
サイコーだな、こりゃ。










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火曜日にキャラバンに荷物積み込み帰り支度です。

美馬モーターランドへ忘れ物取りに行って
今回の最終目的、室戸岬を目指します。

来月四国ツーリングを計画しているので
ルートの下見ですね。

美馬からR192で小松島方面に走り、
R55で海岸沿いを室戸まで向かうのですが
途中、南阿波サンラインの標識を見て
海沿いのワインディングを試走しました。

展望台から荒々しい海岸の景色を堪能できます。
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牟岐市あたりのR55を走っております。

この通り太平洋の荒波が打ち付ける海岸の
見通しのよいワインディングロードです。
舗装もバッチリで、これこそが求めていたツーリングルートです。







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ギリギリ夕刻に国定公園室戸岬到着しました。

去年足摺岬は行きましたが、断崖絶壁を想像していたのに全然違った景色です。

なんと海岸まで歩いて降りられるので
この一帯に遊歩道が完備されているのです。

駐車場のトイレなど温かい便座の温水ウォシュレットで、さすが国定公園であると感心しました。

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今夜は満月です。
間もなく日が暮れましたが
月明りで暗くないので遊歩道歩きました。
月明りを映し出す太平洋と無数の岩に打ち付ける波の音。
いままで何人の殿方が女性を騙して・・・もとい、愛を語り合ったかわからないシチュエーションです。

「今夜帰りたくないわ」
「じゃあ、ここで朝まで過ごそう」なんてね。


いや、キャンプしよう、ってことですよ。
室戸市在住の人は毎日この景色見れるんか、羨ましい。


93年(H5)奈良県全県区から衆議院議員初当選。
93年の私と言えば会社辞めて2年目、人生で一番お気楽なモードで過ごしていた時期。
モトクロスも完全に足を洗って人生の目標みたいなものもなく、ただ与えられた簡単な仕事をこなして生計をたてていました。
それに比べて高市さんは、このころからTVに露出し始めて女性国会議員として有名な存在になっていましたが、それでもこの人の活動については全く知らなくて30年近く経ってしまいましたが、
この写真を見て改めて、この人の活躍を期待するようになりました。

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27歳ころ大阪の実家前でのスナップということですから、議員になる前ですね。
門の構えから、なかなかの上流家庭でお育ちになられたと推察できますが、
バイト代が溜まるとツーリングにでかけた。
日本の海岸線の道路は殆ど走った。
といいますから、好きなものを何でも買い与えられたわけでなく、「自分で稼いで好きな事に使いなさい」という家庭の方針であったことは想像できます。

3回の大臣経験、衆議院運営委員長、自民党政務調査会長、歴任と日本会議に所属されていることから、日本を動かす権力を持った首脳の一人に違いないのです。

その高市さんがオートバイ好きとは露知らず、ライディングなどとは無縁の才女かと思いきや、裏六甲や阪奈道路のワインディングを攻めていたバイクフリークであったことで見る目が変わりました。
政策においても、マイナンバー制度の確立や高速道路二人乗りを可能とした法改正など、誰でも知っているような改革に取り組まれていることで、他の政治家も超エリートだと思いますがこの人は別格、今一番自民党総裁=次期総理大臣になってほしい人物(というか、その器の人)だと思います。
何を聞かれてもすらすらと答えられる思考能力、言論で戦う上でこの人に勝てる者がいるだろうか。

政治家の中にもバイク好きは多いみたいで(2輪に対して偏見の多い国ですから公表を控えていらっしゃる)政界バイカーズなる組織も存在するみたいで、たまに集合してツーリングなどされるのでしょうか。
高市さん本人は交通事故など起こして廻りに迷惑をかけてはいけないと39歳で公道を走るのを止めているとか(谷垣さんみたいになっては問題ですからね)
ご自分の走り屋的本能から、いつか失敗をしてしまうことを恐れたのかもしれません。

さて私より2歳年上の高市さんですが、画像の愛車はGPZ400ということで、同年代としては新しめなバイクに乗っておられた。
おそらく学生時代は勉学が忙しく、その時間がなかったり親がバイクを買い与えたりしなかった家庭環境から大人になって自分の収入で乗り始めたから、この年式のGPZなのだろうと思います。

私らが学生のころはCB350や400fourという4気筒モデルがありましたが、すでに旧車の部類で
400は2気筒が主流の時代、人気モデルはホークかGSと決まっていましたが、高専3年生のころですかね、カワサキから400の4気筒が発売されるというモーターサイクリスト誌のスクープ記事を見て
学生寮では色めきたっていました。
そのあとZ250やRG250などのクオーターモデルが流行りはじめ、RGγやRZの時代に突入していったのですが、学業忙しい高市さんだから最初のバイクはGPZになってしまったのでしょう。

同じ女性ライダーとして堀ひろこや三好礼子、井形まり、小沼加代子らのバイク業界に与えた影響は多きかったと思いますが、高市さんが2輪ライダーであってくれたことで、それ以上の影響力を発揮して、この日本の首脳がバイク好きの社会を作っていただけたらと切望するのであります。


直近の問題としては自動運転技術に対する法整備、原発や自然エネルギーなどのエネルギー政策、
隣国のミサイル配備に対する防衛策、自然災害の脅威から逃れる支援、それから、この方は経済学の権威でもありますので、日本の経済成長政策も外せない。
我欲優先の役立たず政治家には期待できない、日本のジャンヌダルクの奮闘に期待します。


車両生産において、図面が出図されて直ぐ量産開始ということにならないという意味で
材料の0.2%耐力=降伏点の説明をしました。
降伏点は部品の断面積に対して大きな荷重がかかったとき(高い応力)に永久変形起こして
寸法が変わってしまう状態の応力の数値(単位kgf/mm2)のことです。
設計者は設計した製品が降伏点をこえないように図面を描かなければなりませんが
新製品構想の段階で大体の目安がないと安全な設計ができません。

そこで設計のIT化に伴い、コンピュータ上のシュミレーションも開発されてきました。
FEM応力解析では走行中に車体に掛かる荷重を想定して、フレームなどの歪みを受ける構造物に発生する応力を3Dマッピングで表示するソフトウエアも実用化され多くの自動車メーカーで活用しているようです。
ただし、FEM応力解析は実測の数値ではありません。あくまでソフトウエアを使った予想ですから
それを鵜呑みにして量産車を作ると市場に出てから不具合が起こるという図式になります。

解析ソフトや3Dプリンターによるモデル製作は開発テストやテスト品試作でかかる費用を大幅に削減することに貢献できたでしょう。
私たちが量産車を製造したころは、試作した部品を破壊したり、耐久テストなどで強度的な安全性を検証した上で量産GOをかけていました。
現在はコンピューター・シュミレーションで要件満足できる数値が出れば量産にかかるという流れでしょうか、だから新型マシンが発売されて1年経たないうちにフレームに亀裂が入ったとしても、メーカーは対応しないし、対策をするどころか次期モデルも同様の設計なので変更するには巨額の改修費がかかるので隠蔽するということがあります。

私たちが強度テスト担当したころは、実走部隊は試作イベント毎に桶川で1000km実走耐久を125、250、500ccの3機種にオフシーズンにはATVも1000km耐久やって不具合を洗い出していましたし、
強度Grは車体の応力が高そうな場所に歪みゲージを貼って実走応測。測定時はプロのMXライダーを雇って桶川でジャンプしてもらったり、ギャップ走行などで計測された数値をベンチテストでシュミレーションして単体耐久をしていました。

試作イベント毎に仕様が変更されてくるのでフレームとリヤフォークはテスト治具を組み立てて荷重制御された振動試験機にかけて亀裂発生するまで昼夜運転しました。
繰り返し荷重に設定する応力の数値は実走応側で最大値を発生した場所に貼った歪みゲージで同じ応力になるように荷重調節して油圧アクチュエーターを作動させたので、実走の耐久テストより過酷だったと思います。
亀裂発生しない場合は10の7乗回で問題なければOKと報告していました。

耐久で亀裂が発生したり、応力が耐力をオーバーする数値であれば、「対策要求票」という書式で会議招集して開発者と製作所テストGrが対策案を検討して図面に反映するという流れで、問題のない車両作りを行ったと思っています。


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金属材料の強度を評価するとき
一発破壊と疲労破壊に分かれますが
市場における一発破壊は事故によるもので
通常の走行ではありえない過大な荷重と方向が破断面に現れるの破面解析すれば
殆ど解明できます。

問題は通常の走行で疲労破壊したとき
これは設計の不良で、運転者に落ち度がなく破壊したことを示すので、訴えられたら負ける案件です。

左のS・N線図は縦軸に応力、横軸に荷重繰り返し回数で表した模式図です。
応力が高いと少ない回数で降伏、または破断し応力が低いと永久に破壊しないことを表します。このような曲線を作成するのにテスト品を同じ材質、同一寸法で大量に製作しなければならず
試験時間も破壊するまで何万回も繰り返してようやく1点の座標しか得られない。
きれいな曲線に繋がるまで何10回も繰り返し試験することを考えると、一つの材料で1か月近くかかったのではないかと思われます。
50年以上前に出版された材料力学の教科書に載っているような曲線ですから、現実は考察の基礎にするくらいで、実走応測や単体テストが実際の強度を証明する方法だと思っています。

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鋼管フレームは自転車のような直線で繋がれたものはなく、エンジンやガソリンタンク、サスペンションの固定などにより曲がったパイプでレイアウトされたものが大多数です。

そこで曲がったパイプに引っ張り荷重がかかった場合の応力分布を略図に示しました。

引っ張り荷重により全体的には+の応力ですがパイプが真っすぐに変形しようとするので外R側は圧縮されようとしてマイナスの応力になる部分ができます。
すると、伸びでも圧縮でもない0応力の部分もあります。

均一なパイプを引っ張るなら途中で亀裂が入ることはないですが、パイプの接合部分や、途中に溶接ビードなど固いものが付いていると、その境目に高い応力が発生して亀裂の起点となることが考えられます。なので溶接ビードの端は0応力の場所が望ましいといえます。

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略図ですが、パイプを溶接で接合する場合
真横に溶接ビードを引くより斜めに引いた方が応力が分散するので、亀裂が発生しにくいです。

出来れば0応力付近にピードの先端がくるように溶接されているのがベストです。

それでも量産では作業効率UPのため半自動溶接を使用することが多いですが
半自動(MIG)溶接のビードは厚みがあり母材との段差が大きい傾向にあります。
そのため溶接2番(母材とビードの境目)に応力集中して耐久強度に影響することがあります。(量産フレームで亀裂が発生するのは殆どが溶接2番が起点)
そこで予算や製作時間に余裕がある試作品やレース用ワークスマシンのフレームは、熟練した溶接作業者がTIG溶接で施工するものがあります。そうすることで溶接2番が滑らかに仕上がるので応力集中が少なく結果的に耐久強度が上がるというものです。

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フゥー、梅雨明けして毎日暑いです。

工場は室温35℃になりますが
わざとエアコンなしで作業しております。
電気代ケチっているわけではなく
暑さに耐えられる体に仕上げるためです。
幸いなことに、涼しい部屋でテレワークだのリモート会議だの人間を弱体化させる仕事をする必要がありません。
夏でも疲れないでオートバイに乗りたいですからね。

フッフッフ


この事業の前はH社の4輪工場で材料品質を担当しておりましたが、その前は3年ほど市販モトクロッサーやATVの強度テストを担当しておりました。
今回は基礎的な解説になりますので、機械技術系の人はスルーしていただいて結構です。

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これは金属部品からテストピース(TP)を切り出し

引っ張り試験機で破断荷重を計測した結果を模した図です。

材料の機械的性質として代表的な引っ張り強さ(kgf・mm2)はTPに引っ張り荷重をかけていくと途中までは荷重と伸びが比例関係にあります。
この段階では荷重を止めるとTPが元の長さに戻る「弾性変形」の状態ですが
弾性域を超えて引っ張り続けると曲線が寝てきます。
この状態になると荷重を止めても元の長さに戻らない「塑性変形」が起きています。
さらに引っ張り荷重を増していくとTPの伸びが進んで材料にくびれが生じます。
最終的には荷重に対する抵抗が落ちてきて破断します。

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全ての部品からTPを切り出して検査するわけではありませんが
新機種の中でも新材料や新製法を採用した場合
従来の部品でも、生産設備の更新があったときなど、実績がない部品については
TP切り出しによる引っ張り試験を実施します。
他にも
実体強度として静破壊(一発荷重による破壊)
疲労破壊(振動試験)を調べる試験もあります。

ここで使用する試験機は
油圧の引っ張り圧縮試験機(アムスラー)
や機械式(ネジ式)の引っ張り圧縮試験機(テンシロン)などです。

試験機には荷重を測定するロードセルと
変位計(伸び量計測)が装着されており
X・Yレコーダーで計測データが曲線で記録されます。






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次に縦軸が応力を示す曲線を模した図です。

応力の概念ですが
2輪車で考えますとタイヤの設置面に車重が乗っかって、地面からの反力が外力となります。
この場合、車重と外力が同じ意味です。
そして外力を受けている車体の各部に
外力に対抗する力が「応力」といいます。

ここで外力を受けている部分によって違う応力が発生していることになります。
ホイールやサスペンション、フレームにそれぞれ固有の応力で車重(地面からの反力)を支えているということです。
走行すれば、さらに大きな応力が繰り返し発生してくることになります。

S・S線図に戻ります。引っ張り試験に類似した曲線を描きますが、応力は部品の断面積に応じて変動するので、荷重が低い場合でも断面積の小さな部品は高い応力が発生します。
しかも応力は歪みゲージを貼って電気的に計測されたポイントしかわかりません。
そのため、測定ポイントを選定する技術と経験が測定結果に影響することになります。

そしてこの計測の目的は当該部品の0.2%耐力を調査することにあります。
2輪の設計者は部品の性能や強度に対して目標要件を設定して、目標要件を満足できるように
材質や寸法、形状を決定して図面を描きます。
ここでは強度の話なので、部品の強度計算をする場合、材料固有の数値「縦弾性係数」に最小断面積をかけて耐力を推定します。
ところがこれは机上の理論、実際の負荷は単純でなく引っ張り、圧縮、曲げ、捩じりの複合でかかってくるので、実体の耐久強度は設計段階ではわからないということになります。

S・S線図では実体に歪みゲージを貼って実測した耐力(0.2%弾性域の延長線から下がった応力を
被検査部品の耐力と定める)が設計上ではなく実際の強度となります。
また弾性変形を超えた直後のポイントを降伏点と呼び、永久変形を起こしたことで、破断点に至ってないが強度限界ということで、想定される実走行で降伏点を超えない設計が必要になります。




YZ250FのリヤショックOHを頼まれたのですが最近のショックは安易に組み立てできませんでした。

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分解はほぼ特殊工具なしでできます。

リザーバータンクのガスを抜いて内圧を抜かないと分解が始まらないですが

リザーバーキャップのセンターに2mmの穴が空いているので
1.5mmの棒を差し込んで窒素ガスを抜きます。





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リザーバーキャップの表側

センター穴2mm
この中にゴム栓が入っており

注射針を差し込んで窒素充填するようです。

注射針のツールが必要ですね。

因みにWPはネジを緩めてネジ山のすき間から充填してネジを締める工具が必要になります。



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キャップの内側

センターに押し込まれたゴム栓に注射針
を貫通させて充填し
針の穴はゴムの弾力で塞がるということです。









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ゴム栓はOHの履歴がないため
穴が貫通してないように見えます。
新品組み立て時に特殊な方法で充填されたのでしょうか。

GAS圧掛かった状態でゴム栓を引っ張る
ツールがあるのか、まるで手品です。
種明かしはわかりませんでした。

今回は地元のサスペンション屋さんのTムラさんとこで組み立ててもらいました。
年に何回もやらない作業なので特殊ツール作るより頼んだほうが早いです。


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そして致命的なのがパーツリスト
リヤショックの部品はこれだけしか設定されていません。

上記のリザーバー関係の絵は一切ありません。

ピストン廻りやオイルシールも無しです。
ショックアブソーバー・サブASSYが最小単位なので部品交換が高額になるという意味です。

他メーカーのショックは全数の部品番号があるのに、このパーツリストは一般ユーザーや販売店はメンテナンス不可にするということです。
KYBと契約したショップのみ部品販売されるということですね。
その他は損傷させた場合はサブASSY購入して直すということになります。(不親切ですね)
元々大して売れてない機種だからメンテナンス・サービスまで行き届いたラインナップはできないということで理解いたしました。
H社やKTM社は従来通りメンテナンスできるので、メーカーのポリシーの違いが見えてきます。
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シリンダーから下が全損だったエンジン組みあがりましたが、
運よくピストン下降中に壊れたため
シリンダーヘッドは無傷でした。

しかし、ピストンが割れるくらい乗り込んだエンジンということは、バルブ廻りも消耗しているはず

交換は頼まれてなかったですが、タペット・クリアランス測定するとIN、EXバルブ4か所
規定値外でした。
このまま組んで渡すとシリンダー下が新品なのに間もなくエンジンが止まると思い、
バルブとヘッドをクリーニングしてから
在庫のシムで調整して、規定値に調整しました。バルブフェースが摩耗しているのが原因なので、今度のレースが終わったらバルブ4本交換する必要があります。
部品代135000円掛ったばかりですが、エンジン取りに来たオーナーさんに説明しておきました。
ピストン壊れるまで乗ってしまうのですから、理解されたらいいのだが・・・

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極秘任務遂行のため、当分の間一般のお客さんの依頼をお断りしてます。

予定完了するまで新しい製作物はありませんから、プロダクツ更新無しです。

NSR50のサーキット用チャンバー
ZX10Rスリップオン・サイレンサー(排気バルブ無し)
77年型RM125リヤフォークメンテナンス
(ピボットベアリング交換)
   秋までに実行したい

その前に10Rをキャラバンに積むラダーを
固定するフックを作る。(ラダーがずれたら車重200kgのバイクを落としてしまう)
今年こそ実家帰省のついでに四国ツーリングを模索しているところです。

徳島の太平洋側から室戸岬経由で四万十⇒足摺岬が第1ルート
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石槌スカイラインから四国カルスト⇒高知⇒寒風山トンネル戻りが第2ルート。
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月に1回ペースでモトクロスレースとの日程調整になるでしょう。


今年のジャパンVET参戦しました。
チョット先輩のJ1(Junichi)さんの動画を見つけましたので貼り付けさせていただきました。
私が走っている動画がレアだと思いましたので。                                スタート後7″あたりで中央に映っている水色のジャージが
私のようです。
1コーナーは押さえられて2番手で立ち上がって4位でジャンプ飛ぶ姿を確認できました。
すぐ後ろでガヤガヤと競り合いがあったようですが、巻き込まれないでよかったです。
インターミディーの選手に抜かれながらもエキスパートで2位走行という微妙な結果ですが、レース中は楽しかった記憶しかないです。
60過ぎでモトクロスはキツイと思いますが、老化防止には最高ではないでしょうか。


ホンダEGのヨシダさんが遠いところへ旅立たれる前に私に託した3輪バギーでしたが
晩年、「動くようになったら見せてくれ」という言葉に答えることが出来ずに悔やんでおります。
何が無くて動いていなかったかというと、EVのエネルギー源であるバッテリーが積まれていなかったこと、乗車するためのシートが存在してなかったという2点だけでした。

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動かないバギーはスクラップ同然ですから
早々にバッテリー4個購入して
シートもスクーター用を改造してフレームに取り付けたのですが
製作者であるヨシダさんの病状を全く知らないで「そのうち見に来られるだろう」と呑気にしていたら、叶わぬ報告となってしまいました。

動力となるモーターはEG製の汎用モーターで動力軸がそのままホイールと直結している、フロントがインホイールモーターで
後輪はリジッドアクスルにチェーンドライブで駆動されます。

この駆動系の特徴は前後タイヤの外径が
大きく異なるのに前後タイヤが同じ周速で回るということです。
エンジンが動力であった場合は、前後同じ外径のタイヤと前後の周速のずれによる負荷(周速が遅い方のタイヤがブレーキとなって負荷が掛かる)を相殺するセンターデフかフリーハブが必要になります。

ところがこのモータードライブは前後輪の回転差を相殺する機構は全く付いていません。
これは、前後のモーターが一つの回路で繋がっており、前後モーター軸の回転数を同期するのではなく
負荷が同期するようになっているということです。
車体を走行させるために仕事するモーターの負荷が同じということで、センターデフは必要ないのです。

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こちら側に後輪用のモーターが見えます。

モーターの軸にドライブスプロケットが直結されてチェーンを介してリヤアクスルのスプロケットへ伝達します。










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ブレーキはモーター軸に付けられたディスクを油圧キャリパーで挟む方式です。

アクセルワイヤーがメインフレーム下のコントロールユニットに繋がれ
ラジオの音量調節のように0から最大まで
右手のスロットルでパワーを調節できます。

ホンダエンジニアリングは生産設備を作る会社なので、このような電気回路は得意分野でしょう。シンプルなのに操作性に問題がない車両で驚きます。

左手元のボタン操作で逆回転もできるので
バックも同じ速度で可能です。





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長年止まっていた理由として
製作されて20年以上経過しているので
タイヤが劣化してエアー漏れしていました。

何用のタイヤか分からず、放置していたのですが、草刈り機やゴルフカート用が同じサイズであることが分かり左右共、新品交換しました。
バッテリー4個とタイヤ2本とシート代など
7万円近い出費で、ようやく復活した形です。

ちょっとお高い、一人乗り電動カートといったところです。


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フロントタイヤはATC125クラスだと思いますが機種不明のバルーンタイヤです。

大胆な片持ちフロントアームにインホイールモーターがボルト結合されています。

サス無しなのでバルーンタイヤがショックを吸収するので乗り心地は柔らかいです。

これも製作者の遺志を継いで保存しておく
予定です。

緊急事態宣言中GWの少し前に埼玉を出発して愛媛の実家へ向かいました。
去年11月以来ですが冬場は雑草の成長が止まって春になると芽吹いているころです。

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家の前は案の定、腰くらいの高さまで雑草が茂っていたので
クルマが入れるように草刈りしました。

1週間滞在しましたが半分くらい雨降りで
まるで梅雨のようです。
家の周りを2日掛かりで草刈りして、
家主が時々帰っていることをアピールしておきます。





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家から2キロほど山奥に工藤家の畑があります。
先祖は別の場所に山を持っていて
林業で栄えたらしいですが
麓の集落へ移住してきたころに
この山林を購入して畑としていたようです。

この辺は猪や猿の生息地なので
無人の畑では野菜や果物は全部、野生動物の餌になるだけです。

ここも2日係りで草刈りしました。
このままでもグラストラックのようにオフロードバイクで走れますが、今回は荷物が多くて
乗れるバイクを積んでこれませんでした。

家の周りと畑の草刈りが目的ですが、折角なので走ったことのない四国路へ一日だけ向かってみます。
愛媛に住んだのは20歳まで、学業が忙しくて卒業したら直ぐに埼玉へ来てしまったので
四国中ほとんど行ってないです。

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一昨年、四国カルストは行きましたが
youtubeでツーリング動画がたくさん配信されているせいか、絶景が有名になってしまって混雑していると思います。
もう一つ有名になった場所、UFOライン(瓶ヶ森林道)はカローラスポーツのTVCMが放送され反響を呼びました。
ここも現地に向かう道路がすれ違い困難にも関わらず人気スポットになってしまったので4輪で行くのは控えておいた方がよさそうです。

そんなわけで地元、西条市から加茂川沿いに走る、高知県への最短ルート「寒風山トンネル」を経由するR194を走ってみました。
大型トラックも問題なくすれ違う2車線の舗装路が高知県いの町まで延々100キロも続く快適なワインディングロードでした。R33に突き当たるまで信号や交差点は一つもありません。
およそ2時間、快適なコーナリングを楽しみながら走り続けられるルートは日本屈指のツーリングルートだと思います。
寒風山トンネルは学生時代旧道で通ったことがありましたが、新トンネルはもちろん初めて。
無料で通行できるトンネルとしては日本最長の5432mということです。

この道を選んだ理由は、仁淀川を久万高原行ったときに見て美しいと思いましたが、その河口まで行ってみようと思ったのが画像の浜です。
ここはウミガメの産卵地であったり、サーフィンのメッカでもあるようです。
仁淀川河口から東の方に移動すると桂浜になります。

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まるで修学旅行のようになってきました。
駐車場400円も払ったので、坂本竜馬像観てきました。
昭和3年からここに立っている銅像です。

前回ここに来たのは小学校の修学旅行で
実に49年ぶりなんです。







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竜馬が向いているのは大体この方角、
この太平洋の向うがカリフォルニアなのだそうです。

今日、海が青いなー
四国滞在中、奇跡的に今日だけ快晴だったのです。

しかし、このあと土砂降りの雨に遭遇するとは、このときは知りません。




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土佐市の海岸線はR56の快適なワインディングを走り、四万十川を目指しました。

R381は四万十川沿いを延々と走る、
これまた100キロも続く信号のないワインディングです。

その途中でおそらくJR予土線の鉄橋が見えたので、わざわざ道の駅へ駐車して徒歩で見に行きましたが
途中で土砂降りに見舞われ、先ほどの快晴が嘘のようです。
全身ずぶぬれでしたが、着替えをもってなかったので車のエアコンで乾かしながら走行を続けます。

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予土線の鉄橋と沈下橋が並んでいる珍しい景色。

沈下橋はどれが有名なのか分からず、途中で何個も見かけたので、四万十では普通の
光景なのかもしれません。

この線路見る限りでは予土線は電化されてないみたいですね。
このレトロ感がたまりません。




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さてドライブも終盤に近づいてきました。
日が伸びてきたので、6時ころ足摺岬へ到着しました。

R321サニーロードを走って土佐清水市へ、県道348から足摺スカイラインと道路名が変わりますが、どの道も信号のない2車線の快適なワインディングが延々と続くロードでした。

四国最南端、愛媛県育ちなのに初めて来ました。
今日のルートは渋滞のない綺麗な舗装で信号や交差点のないワインディングが続く、バイク乗りならこれほど快適なツーリングルートは日本中に無いではないでしょうか。絶対次回はロードバイク持って帰って走りに来たい場所だと思いました。

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足摺はジョン万次郎生誕の場所ということです。
言わずと知れた、日本人初のアメリカ留学生となった人物です。
英語だけでなく、捕鯨術、操船術など江戸時代の日本に持ち帰った知識が
我が国の近代化に貢献したことは言うまでもないですが、その当時の国家的に重要人物が足摺出身の漁師であったことが驚きです。





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足摺岬で日が暮れてしまったので
夜の国道を宇和島方面に向かい
そこからは高速道路で実家の小松町へ戻ってきました。

一晩寝て、弾丸で埼玉へ戻ります。










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帰省の目的は実家の草刈りと
動かしてないバイクを実家のガレージへ運ぶことです。
埼玉だと置き場が無くなってきましたので預かり車も1台づつが限度です。

今回はRM125のリヤフォークをメンテナンスのため外して持って帰ります。


パーツリストなどでは排気系というカテゴリーで分類されているチャンバーという部品ですが
完成車組み立ての観点から、エンジン部品だと思いますか、それとも車体部品だと思いますか?
エンジンの動力性能に関わるのでエンジン補器であるか、エンジン組み立ての後、取り付けはフレームに搭載してからという順番なので車体部品と考えるか。

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これは某廃盤のチャンバーから測った諸元(スペック)をストレート図で表した模型です。

エンジン設計では、このストレート図までを図面化して、車体設計部門へ引き継ぎます。

すなわち排気系のレイアウトを決めて配管を行うのは車体設計の役割になります。
従ってチャンバーやマフラーはエンジンでなく、車体部品ということになります。

私は開発者じゃないので、オリジナルチャンバーを作るときは図面値に極力近い寸法で
製作します。
ところが、図面は設計部門と製造部門で機密管理されて部外者が見ることはできません。どうやって図面値を知りえるかというと、純正部品を実測することで知ることができます。
2輪メーカーの純正チャンバーは1日に何百台も製造できるように金型を使ってプレス成型されたものです。ブレス成型された鉄板をモナカのように張り合わせて作ったパイプの外周を計測するのですが
縦と横の数値が違っていて、真円でないことが分かります。
鉄板を金型で絞った場合、半円まで絞ると高圧で雌型に食い込んでしまい鉄板の型抜けが困難になるので若干の勾配をつけた断面形状で金型設計する必要があります。
そのため、勾配が付いた半分のパイプを張り合わせたら真円になりません。
パイプの図面値は真円で設計されているはずですが製造上の問題で図面値でなくても量産することにしているわけです。
僅かな寸法差で性能にバラツキがでる部品なので、まずは図面値どおりに作り直すことがオリジナルチャンバーを製作する理由なのであります。

余談ですがエンジンのファインチューニングで吸排気ポートの研磨を行うことがあります。
シリンダーヘッドは鋳造で製造されますがポート内部には砂をレジンで固めた中子を入れて注型します。
この中子を成形するときに金型の合わせ面に段差やバリが出ることがあります。それが製品に転写されて残るわけですが、量産では手仕上げで均されることはないので図面値にない段差やバリを除去する作業はエンジンを図面通りにするということですね。
燃焼室内のカーボン除去も、カーボンは図面にないものだから除去する。
そうやって内燃機関の効率を設計どおりのものにする目的です。

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では車体部品、チャンバーのワンオフ製作ですが
ここからは板金屋の仕事になります。

寸法測定したストレート図の模型は
中心の棒がパイプの長さを表し、
円盤がパイプの内径を表します。

そして中心の棒を曲げた形は車体に合わせてレイアウト検討の指標となるものです。
この形状でパイプの基となる展開図を作成します。

エキパイ部分のカーブですが排気ガスは流体なので、カーブを流れることによって
ストレート管に比べて損失が出ます。
だからなるべく滑らかなカーブを描くように膨らまし成型とします。
後半はカーブがないので設計通りに作りやすい巻きパイプとします。

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パイプの成型ができたので全体のレイアウトが車体に適切かどうか実車に仮組みして
確認してから、溶接作業に掛かります。


私がお客さんに提示させていただいている
型制作の中身はこういうことです。








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溶接完了しました。

車体取り付け、アンダーカウル装着確認

諸元は老舗チャンバー屋の設計なので
私の責任ではありませんが
寸法的に見て、よく回りそうです。

車種は非公開ですが、オーナーさん以外から同じ物を頼まれても作らないことにします。



実家と畑の草刈りの時期がきたのですが、14、15日がHSR九州でモトクロスのGPが開催されるということでついでに観戦する計画を立てました。
HSRは現役時代、最後の全日本遠征した場所でした。メカニックでは2回行った限り、それらは埼玉県からの移動だったわけですが、実家のある愛媛県から九州は行ったことが無かったので初めてのルートになります。

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金曜日移動で小松町の実家に泊まり、
土曜の朝、松山道の小松ICから乗って伊予ICで降りる。

お気に入りの伊予灘沿いのワインディングを走るためです。

こんなに天気がよく、温かいのだからGP観戦でなくオートバイツーリングにしておけばよかったかな。
来年こそはオンロードバイク積んで来ようと思いました。

ここは3年前に通った、元1番海に近い駅、予讃線「下灘」の手前になります。
見通しがよく、舗装が綺麗なワインディングが40キロほど続きます。
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愛媛側の目的地は佐田岬の三崎港ですが
途中、伊方原発に立ち寄ってみます。
前回は雨だったので、快晴で原発を眺めることができました。

土曜の朝なので作業員の姿も見えず、静寂に包まれた原子炉と海と山の絶景がクロスオーバーしています。

こういう立地でないと原発建設は許されないのだろうな。
険しい地形のため道路や構造物の建設が困難で、何を造るにもカネが掛かる。
四国電力と国の力で住民の生活を支えるという名目の下、実現したに違いない。

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九四国道フェリー 三崎発ー佐賀関
航行時間70分、九州への最短ルートです。
陸路だとしまなみ海道で瀬戸内海渡って、山陽道を山口県経由になりますから大幅短縮です。

佐田岬灯台を海側から見れる珍しい景色です。
灯台までは陸路で行ったことがあります。
四国最西端の場所を海から陸から両方見ることができました。



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佐賀関から熊本はR57がメインルートです。
高速道路はないので130キロ、2時間30分で着きます。

埼玉からMX408行くくらいの距離間ですね。(近い!)
里帰り→HSRが今後定例になるかもしれません。

しかしこのロケーション、アメリカのナショナル・コースを彷彿させる広さ。
普段、オレたちがやっているモトクロスとは質が違う感じがする。うらやましい!


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フィニッシュジャンプの形は昔のまま。

ライダーたちは次のコーナーに向けて思い思いのフォームで飛んでいきます。
滞空時間の長いジャンプがたくさんあるコースです。

そして連続ジャンプは基本的に長いストレートに設けられているのでスピードを保ったまま上下の動きがあるのが特徴です。




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IA2ヒート1決勝のスタート。

レース内容の批評をするつもりは、さらさらありませんが、トップライダーはどのように走っているのか、ひたすら観察するだけです。

今度、ああしよう、こうしよう、と思いを馳せるのに観戦は役に立つのです。







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さて、夜のフェリーに乗って一般道だけで11時ころには実家に到着できました。

8月に綺麗にした庭ですが、また雑草が生えています。
夏場ほどの勢いではないので1日くらいで片付きました。

山の方も丸一日草刈りしましたが
柿の収穫の時期で、畑入り口の道に枝が低く垂れこめていて
キャラバンが入れそうになかったので
コース整備は次回にしておきます。



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はい、刈り払いと整地できました。

冬場はこの状態を保つことができるでしょう。

明日は柿の収穫をして帰り支度かな。
前半九州へ行ってしまったので
四国はどこへも行かないことにします。

来年こそは高知方面へツーリングしようと決意しました。




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帰る途中でお預かりしてきた車両も積み込んで帰り支度です。

明日は週末発送予定の仕事を片付けなければなりませんので
寄り道なしで埼玉へ戻ります。







来週はオフビで全日本MX最終戦ですね。


自動車の排ガス浄化装置、部品名はコンバーターといい排気管の途中に取り付けられます。
コンバーターはユタカ技研でアッセンブリーされますが、シールマットやステンメッシュで保護されて、ステンレス製の容器でカバーした部品です。
その中に排気ガスを浄化する触媒が入っていて、部品名をキャタリストとよびます。
当然キャタリストも設計された図面に基づいて製造されます。
しかし、機械部品の図面とは様子の異なる内容のキャタリストはハニカム構造のセラミックス担体に貴金属が目付された図面が標記されているものですから、機械加工部品とは全く違う製法や品質管理をしなくてはなりません。

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探し物していたら引き出しの奥から出て
きました。ドイツのエンゲルハルド社での打ち合わせの時のスナップ

会議通知を回したのは、この中におられる、栃木第一設計ブロック(エンジン設計)
のチーフエンジニア
現地法人の人達と、製作所の鈴鹿と狭山、
ホンダUKのパーチャス・セクション(購買部)
日本エンゲルハルド(現NEケムキャット)
HIT(ホンダ・インターナショナル・トレーディング)

左から5人目、一番小さいのが私。
91年、28歳のころでした。


ハニカムセラミックスは粘土を特殊な金型で押し出して、ワイヤーで切断したものを焼成して作られた陶器です。日本ではNGK(日本ガイシ工業)が担当し、貴金属の目付けは日本エンゲルと三井金属の2社手配となります。
貴金属は白金(プラチナ)が主成分で希土類元素が花薬として添加されます。
貴金属を泥水のようなスラリーという溶液に混ぜて、ハニセラムをどぶ付け乾燥させたものがキャタリストになりますが、その製造条件や浄化性能も機種毎に全て図面で取り決めされているので厳密な製造管理を経て、組み立て工場に、発注された数量と納期を守って搬入されなければなりません。
4輪の生産台数ですから一日に何千個のロットで製造されるわけですから、ミスのないように設計者が関係部門に会議通知を回して招集したというわけです。
ちなみにコンバーターは自動車部品の中で単体としては最も高価な部品だということです。

昼ごろ英国ヒースロー空港を発ち独ハノーバー着、チーフエンジニアや日本人駐在員と落合い、
ベンツでアウトバーンを走ってエンゲルハルド社へ向かいました。
会議終了して夕方の飛行機でベルギーのブリュッセルへ向かいました。翌日のCGW(コーニング・グラス・ワーク社)で会議のためです。
その夜はパブでムール貝たべたり、小便小僧を見に行ったり異国情緒を味わい、ホテルへチェックイン。
部屋から国際電話でドイツのシュツットガルトのニコンに駐在している高専の同級生と談笑しました。

翌朝、車で移動中NATO(北大西洋条約機構)の前を通過しながら、意外と田舎風景を見ながら
ここがモトクロスを国技とする国なのかーと思いながらコーニング社へ付きました。
ここではプレッシャス・メタル(貴金属)の話題だったのでジョンソン・マッセイ(貴金属を調達する会社)
のキャリア・ウーマンから説明を受け、HITの日本人駐在員は英会話堪能でキャリア・ウーマンとマンツー・マンで打ち合わせ、何を言っているのかわからない私は後で訳していただく始末。
日本生産向けの貴金属調達は田中マッセイ(田中貴金属)TVコマーシャルで有名でした。

無事会議終了し、それぞれの国へ飛行機で戻るのですが、ホンダUKのリック・スミス(写真左端)が
「空港までワイフに送ってもらったので帰りの足がない、クドーサンの車に乗せてもらえないか」
快諾した私は、イギリス人を車で家まで送る素敵な経験と思って、ヒースロー空港の広大な駐車場から
カンパニー・カーのバラードを運転してマニュアル・ミッションなのでヒールアンド・トーにダブルクラッチでギヤチェンジしていたら、スミスさんが足元を見ながら「ヒール・アンド・トーだね」と言うので、この人ドライビングに興味があることはわかりました。
後日、英国内の出張でスミスさんのクルマの助手席に乗せてもらったら、ウサギやキジが出てきそうな一車線の田舎道をドリフトしながらブラインドコーナーを爆走され、本場のヒール・アンド・トーを見せつけながらドヤ顔していたのを思いだしました。
F1コンストラクターの国です、一般のドライバーが十分速い、日本の交通事情とは大違いだと思いました。
3車線のラウンドアバウトをステップ擦りながら曲がっていくカワサキZZRを何台も見ましたし、クルマは交通手段だけでなく、走りそのものが好きな国民性なんだなと痛感しました。


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先日頼まれましたノグチ・チャンバーの複製

これ一個しかないので普段乗る用に新しいのが欲しかったとのこと

異形なパイプなので取り回し決めるのに一苦労でした。

なにせ、フレームやシリンダーフィン
にすき間1mmのところが3か所もあるんですから。




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私詳しくないですが
MX250というモトクロッサー

73年がYZ250Aだから
72年くらいですかね。

小学生時代、地元にオートバイ文化が乏しく、この車種の存在すらしらないで生きてきたので、今ここにあるのが不思議な感じがします。







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そして、これも詳しくないですが
F21M、カワサキのモトクロッサー

トレールモデル、バイソンが原型なのかな。
ご依頼はオリジナルがミドル・アップのチャンバーに対し、ダウンチャンバーにすること。

これは見本がないので、ご提示いただいだモノクロの写真一枚で真似て作ったので
スペックが合っているかどうか、わかりません。





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当然、オリジナルがダウンチャンバーでないので、マウントブラケットはフレームに増設しました。

これも写真の形状に似せてありますが、
そっくりではないですよ。

本物は誰も持ってないからわからんでしょう。






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そして、過去の教訓を活かし

ダウンチャンバーはキックペダルを踏んでみよ、ということで

キックは踏めます。







以上です。


日曜日の朝3;00出発の予定なのに、ZX10Rのリヤタイヤのエアが1kg/cm?に落ちていました。
土曜日中にタイヤ交換しないと間に合わないので、在庫があると思われる川越2輪館へ買いにいきました。

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左は新車装着のRS10
ほぼスリックなので、ドライ路面のグリップに定評がありますが、ウエット路面は期待できないそうです。

右は今回装着のS22
トレッドのサイド寄りにグルーブが施され
セミウエットなら問題なく走れそうです。
これで天候を気にせず出かけられそうです。

もう2年経ったからフロントも同じパターンにしておこうかな。

タイヤサイズ190/55ZR17
価格¥36850(税込み)は2輪館で最も高額なタイヤでした。
これなら期待できそうだ。

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そもそもスロー・パンクの原因は
デーラーの試乗車だった10Rのリヤタイヤにボルトが刺さって修理してあったためです。
2年くらい漏れてなかったですが
この猛暑続きでノリが溶けてきたかもしれません。
こんなんじゃ不安なので速攻で取り換えです。


財布に優しくないリッターバイクです。




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治具には2000の文字が書かれています。

2000年に作った治具なので
20年も使い続けたことになります。

RMXのチャンバーは20年作り続けても
終わりません。
今月も複数のオーダーが入っています。

このようなことが予想できたでしょうか。





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20年前に製造された当時のお客さんと
今のお客さんでは世代交代していると思います。

それは、20年前新車で購入したお客さんと

最近中古車を手に入れたお客さんという意味で違う世代だと思うのです。

中には20年間維持した上でのリプレイスかもしれません。

いろいろな人生の中に関わっていく商品なのですね。

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需要があるうちが花だと思いますので
最後のご注文があるまで
この治具を使って作り続けていきたいと思います。


同様にCRM250RR DT200WR、KDX125SRと
同世代のラインナップがありますので
なかなか暇になることありません。



今までいろんな怪我してきましたけど、今回ほど「死ぬんじゃないか」と思ったことはなかったです。
鉄板の切断面に強く手首の甲側を打ち付けてしまい、ザックリと鉄板のエッジが入ってしまいました。
一気に流れ出る鮮血、土砂降りの雨のように床を赤く染めていきました。
咄嗟に右手で傷口を抑えて止血を試みますが、指の隙間から血が漏れて零れてしまいます。
素早くティッシュペーパーを取って傷口を圧迫し続けます。10分ぐらい抑えていたら落ち着いてきたので
右手を緩めたら再び血が溢れでてきて、手を離さないと次の行動がとれないと思い、
家の中へ包帯を取りに行き、きつく巻き付けて、ようやく右手を離すことができました。


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押さえたティッシュが血を含んで凝固し
ギブスのように固まっているので、傷口の保護ができました。

怪我をした場所にティッシュや包帯がなければ出血を止める手段が無く意識を失って倒れたと思います。
その後、誰かに発見されるのが遅ければ
失血死したと思います。
それくらい危機的な状況でした。

神は僕を生還させて「まだやることが残っているぞ」と言われたような気がします。
バックオーダー完了してから死ねということかな。

その後、埼玉医大の救急病棟へ行き、切れた血管のレーザー治療と傷口の縫合を行い、1週間くらいで
傷口は塞がるという診断を受けましたので、ひとまず安心しました。

左手を動かす度に激痛なので、ペースは落ちますが仕事復帰いたします。

この年代になると心筋梗塞や脳溢血が発症し、職場で倒れることをよく聞きます。
僕は持病がないから関係ないと思っていましたが、思わぬところに危険が潜んでおり
バイクの運転同様、注意力や危険予知を怠ってはならないなと思いました。

6月初旬に整備した畑でしたが梅雨の時期を過ぎるとこのとおり雑草が茂ってしまいます。
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実家の前と、この畑363平米の雑草を刈り取ることが帰省の目的なので炎天下ですが
作業を進めます。

さーて何日かかるかな。









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猛暑で熱中症になりそうなので、半日づつ
二日掛かりで刈り払いできました。

今回は盆休みなので重機の回送ができませんのでコース整備はやりません。

なので午後からは、行っておきたい場所があるので移動しました。

家からクルマで1時間くらいですが行ったことないので、どんな場所か楽しみです。




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途中で見つけた海水浴場
大角海浜公園
ここは来島海峡の近く、向こうにしまなみ海道の吊り橋が見える美しいロケーションです。

透き通った海水は千葉や湘南の海では見られない気持ちよさです。
これが瀬戸内海の魅力の一つです。


最初の目的地は高輪半島の北端です。
愛媛県の最も北になります。



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山の上に電光掲示板が見えます。

ここは潮の流れる方向と流速が目まぐるしく変わる海の難所です。
掲示板には夜間でも分かるように
⇒は潮の流れる向き
数字は流速をノットで表示して海上の船舶に知らせる、日本でも珍しい施設です。

来島海峡を運行する船舶はこの表示に基づいた運行計画を立てなくてはなりません。

昔はこの海域を支配した伊予水軍が、狼煙や焚火で仲間の船に合図を送った場所だそうです。

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ここが半島の北端です。

村上海賊の番所だったので
船を碇泊する杭の跡が残っています。

黒船来航の後は外国船の襲来に備えて砲台も設置されていた場所です。

半島の先端を「鼻」と呼ぶのですね。






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次の目的地は国立公園「梶取ノ鼻」です。
大角から西の方角に突き出た細長い半島の先端に灯台があるということで見に行きました。

途中、2車線の素敵なワインディングを通って宮崎という地区に着いたのですが
そこから先が土砂災害で通行止めになっているのです。

仕方なく漁港近くの無料駐車場にクルマを停めて、徒歩で向かいます。
通行止めの看板から2.2キロ先が梶取ノ鼻ですが、道は何年も整備されてない感じで
落ち葉や泥が溜り、1.5キロ付近から大規模な崩落を複数発見しました。
ネットで調べたら2013年まではクルマで通行できた記述がありましたが
その後は何回も大雨による土砂崩れで崩壊が進んだ模様です。
今治市所有の公園があるのですが、ここを多額の予算を投じて復旧するメリットがなければ、このまま廃道になるのではないでしょうか。

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1時間ほど歩いて
確かに灯台がありましたが
完全に藪に埋もれていて人が入った形跡がありません。
見晴らしがよくないので、直ぐ引き返します。



日が暮れたら、あの崩落現場に滑落して死ぬかもしれません。
早よせな早よせな


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帰る途中、雑木林の隙間からいい感じのビーチが見えます。

崩落現場は通過できたので
日が落ちても大丈夫と判断して、
寄り道することにしました。

途中に看板があって
「七五三ケ浦」(しめがうら)と読むそうです。

狭いけど舗装された1車線の坂道を降りていきますと、キャンプ場の廃墟が現れました。



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ネットの書き込みを見ると
全国からキャンプツーリングのバイカーが
訪れて泊まっていた場所のようです。
通行止めの前は人気の観光スポットだったようです。

キャンプ場の看板によると
縄文時代初期5千年前から2千5百年前あたりの住居跡や土器が発掘された
「七五三ケ浦遺跡」があったようです。

江戸時代は村上水軍の碇泊場所でもあったこの砂浜ですが
この日は全く人に出会うことなく
パンツ一丁になって海で泳ぎました。


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ここを知ったからには僕のプライベート・ビーチです。
来年も来たいですね。


そして最後の目的は
瀬戸内海の夕日はどのように沈むか見ておこうと思いました。

太平洋側は朝日が海から登りますが
夕日は山に沈みます。
愛媛県も大体は山に太陽が隠れますが
ここでは広島方面の島に沈んでいくことが分かりました。

これで今回の目的は全て達成、翌日埼玉へ帰ります。

山と海とワインディング・ロードの国、愛媛県です。


実家のある小松町は神社仏閣が多い場所で、地区に一つ神社が鎮座されている感じです。
四国八十八ヶ所札所の3つは町内にあります。
他にも前札所、番外霊場など、コンビニより神社が多い場所は京都以上ではないかと思います。(調べてないけど)
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なかでも、60番札所横峰寺は
家の近くを流れる妙の谷川に沿った
遍路道を上がっていくトレッキングコースです。

霊峰石鎚山の北側中腹にあり、標高は700mと四国の札所では3番目の高い位置にあるそうです。

クルマで行けるのは湯波(ゆうなみ)という地区まで
湯波から1.2キロ舗装路を登り(子供のころは全部遊歩道だった)
この湯波休憩所でクルマを停めて、徒歩で登ります。
湯波までのワインディングを楽しむためにCJ360T持ってきました。
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休憩所から2.2キロということですが
急勾配のガレ場のような道
石段や丸太の階段が付けられているので
安全な登山道ですが足腰の鍛錬になります。

登りは1時間くらいで、金刀比羅宮の本宮と同じくらいの距離感です。

相変わらず猛暑なので、遍路道の脇を流れる妙の谷川源流で水浴びしました。

ほとんど人に出会わないのでパンツ脱いで淵へダイブです。気持ちヨカッター


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源流はちょうどよい冷たさ

小魚の群れが肌を突いてきてチクチクします。

西条市名物の青石がそこら中の巨岩なのですが、岩の上をカニがウロチョロしていて、しばしカニと戯れる。

こんな場所、埼玉には無いナー。






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60番札所横峰寺御本尊、大日如来坐像

弘法大師が彫った木彫りの像が祀られています。

ここで昼過ぎ、午前中は家の周りを片付け作業してから出発して時間的にちょっと余裕がありますので
夕方の違う場所へ移動する計画をたてます。
それは前日に下見しておいた伊予水軍に縁のある場所です。



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帰りながら、ふと思いたち
寺の門から500m登ると番外霊場「星ヶ森」
があるということで往復1キロ足を延ばしてみました。

弘法大師が建てた鉄の鳥居があって、向こうには霊峰石鎚山頂が見えます。

ここから山頂まで距離は13キロ、徒歩5.8時間でいけるそうです。往復で8時間、明るいうちに戻ってくるのは不可能なので、いつか改めてトライしましょう。





伊予水軍縁の場所へ赴く、へ続きます。








今年も難儀な時期がやってまいりました。
片道850キロも自走して炎天下の中、実家と畑の草刈りという苦行です。
しかし苦行ばかりでは人生楽しくありません。
今回は普段行けないところへ行って英気を養いましたよ。

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6月初旬に行って綺麗にしたはずなのに
梅雨の時期を経て、こんなに雑草が茂っていました。

家の前およそ60平米、どんだけ時間かかるだろう。

これをやっつけないと次へ進みません。







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これはめずらしい、畑の前の古民家ですが
6月に来たときは確かに瓦の屋根がありました。

近所の人に聞くと、僕が来る1週間前に崩落したとのこと。

推定築100年、僕が子供のころは人住んでたのに、あれから40余年で家というものはこういう姿になるのだなと感心しました。

1週間前の夜中、「ドスン」という音と共に一気に落ちたそうです。(見たかったなー)




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家の前刈り終わりました。(写真撮り忘れ)

翌日楽しみにしていた、金刀比羅宮参りに。
江戸時代から一生に一度は行っとくべき場所として、お伊勢参りと金刀比羅参りがありました。

実は四国人なのに、こんぴらさん行ったことないのはオカシイだろうと思ってこの機会に行ってみました。

弘法大師生誕の地は善通寺、土讃線で隣の駅「琴平」がこんぴらさん参道の最寄りになりますが、
なんと、うどん店発祥の地が琴平ということです。
しかも弘法大師が中国の唐からうどんの製法を持ち帰り伝授したというから、琴平こそがうどんの本場であろう。
うどん好きの僕としましては、この参道に連ねた由緒あるうどんを食するに違いありません。
金刀比羅宮の往復3時間くらいかかりますので行きと帰りで2回いただきました。(食レポ必要ないですね、香川県では美味しいのが当たり前ですから)


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金刀比羅神社は海運の安全祈願する神社です。当然の如く今治造船からの奉納プロペラ

自動車5千台を運ぶ運搬船に使用するサイズのプロペラで
高さ6m、重さ19.2トンと書かれています。

ディスカバリーchでイギリス・サウザンプトンから地中海航路で横浜に運行される巨大コンテナ船の番組がありましたが(スエズ運河通行料1億円、コンテナ積み込みクレーン作業1回一万円)
パナマ船籍のコンテナ船の船長は愛媛県出身の一等航海士で、船長室には金刀比羅宮の神棚が祀られていて、世界を又にかけたた仕事場にも、ここのお守りが不可欠であることを知りました。

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長い石段が続く参道の途中に
書院という建物があり

18世紀の日本画家「円山応挙」の作品が展示されているようです。

急いでいたので、今度来たときにゆっくり拝見します。

襖のことをスライディング・ペーパー・ドアと
英訳するのか、ふむふむ。
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金刀比羅宮本殿に着きました。

ここまでの参道、石段の数が785段
この後、奥社まで583段
合計1368段の石段と登り勾配の続く坂道です。

この日気温35度
全ての参拝者が汗だくのサウナ状態
僕としましては
前日の刈払いで腰痛気味になっていたので
背中の筋肉を緩める運動のつもりでしたが
次回来るとき真夏はやめときます。


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標高250Mだったかな、こんな高くて険しい
場所にこれだけ大きな建造物と繊細な木堀の彫刻が作られたことに圧倒されながら

やはり、こういうところに目がいってしまいます。
太い柱をカバーするブロンズの鋳物
創建当時のものでしょうか、
原材料は当然、新居浜の別子銅山から採掘されたものに違いない。
それにしても見事な鋳物細工です。

西日本の神社仏閣の屋根に葺かれた銅板は別子銅山で採掘精錬された延べ板を原料にしたものです。

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急勾配に石段を施された理由が分かりました。
誰でも分かることかもしれませんが
参道は山の急斜面を削って作ったものです。
木を抜いてしまったら軟弱な砂山です。
雨がふったら、たちまち浸食されたり
土砂崩れにもなる危険な地形です。

石段で固めることによって坂道の崩壊を防ぐ目的だと思います。
だから石段はしんどいと思わず
ありがたく踏みしめて登り下りするのがよいでしょう。

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ようやく奥社に着きました。

僕の足で参道入り口から2時間です。
下りる方は2倍くらいの速度で1時間。

うどん食べて、帰りの電車の時間を気にしてましたが、大体所要時間と疲労度がわかりましたので
次回くるときは予定が立て易くなりました。



さて、背中の固さもほぐれてきたので
明日から畑の草刈りです。


弘法大師縁の地へ赴く夏 パート2へ続く



CRF150Rの2020モデル化メンテナンスですが、エンジン組み立て完了しフレームに載せたところで中断です。

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12モデルからピストンと燃焼室が変更であることは分かりましたが

他にもキャブのオーダーがMJ#138から
#140に変更

ECU(コントロール・ユニット)が変わっているようです。
これはデジタル信号の進角か遅角特性の最適化を図ったものと考え、20化に必要な部品です。
現行車にも関わらず在庫なし
納期8月末なので、これから生産なのかな。(21モデルのロットかもしれません)

というわけで乗り出しは9月以降にします。


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革ツナギ、オーダーしておきました。
マン島TTレース参戦中の山中さんからの紹介で目黒区のセクレテール製です。

山中さんはモトクロスやミニロードの平日練習でお話しする機会があり、お勧めしてもらった経緯です。

学生時代、地元のオートバイ仲間と小豆島へ
かっ飛びツーリングに行ったときのこと

高松港からフェリーで渡り、上陸して10分も経たないうちに左コーナーで転倒。
布ツナギだったので左ひざの肉が削れて
骨が見えてました。

後続のGPZ400も転倒して縁石にぶつかって鎖骨骨折、
先頭走っていたCB750Fは異変に気付いてUターンに失敗しガードレールに突っ込んだ。

3人とも救急車、警察の現場検証があって
壊れたオートバイ3台共警察署で保管。
その日は750Fのお父さんに車で迎えに来てもらって乗せて帰ってもらい、
壊れたオートバイは後日トラックで引き取りに行ったという、苦い経験がありました。
あのとき、膝カップ付きの革ツナギだったら膝の肉削れないで済んだはずです。
壊れたホーク2はフロントフォークとハンドルくらい直して復活しましたが、就職の時期に友達にあげました。
その後89年にNSR250買うまでオンロードバイクは乗っていません。
NSRも3年くらいで乗らなくなって手放し、またオンロード離れの生活に戻りました。
そして2014年旧車のCJ360Tに乗り始めたのですが、おっさんはレトロなバイクでいいかなと思ったがそうはいかず
ついに2018年、ZX10Rご成約となりました。

若いころほど無茶な走りはしないですが、無転倒で過ごせる自信もないので装備くらいはチャンとしようと思った次第です。
サーキットではMFJ公認か脊椎パッドが必須のとこが多いです。目の前で転倒されたら避けられるかどうかは運次第です。怪我は自分持ちなんで、乗るなら当たり前のことかなと思います。
150でレースしなくなって、早いもので8年経ちました。
メンテナンスノートの記録が2012年が最後でしたから。
前の記事で2020モデルに乗ってみたら、明らかにチョット違うと書きました。
それで思い立ったエンジンオーバーホールです。「20モデルと同じにしたい」

パワーに影響する部品は総取り替えです。
クランクシャフト、4軸のベアリング、ピストン、シリンダー、シリンダーヘッド、カムシャフト、IN・EXバルブ
部品代は15万円ですが、新車の3割くらいの出費で同じ走りなら悪くないと思いました。

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4軸のベアリングは左右のケースから抜き取り、ケースをストーブで温めて
ベアリングの自重で落とす焼き嵌めです。
圧入面に僅かな傷で軸芯が狂うのを防ぐ方法です。
ケース内のゴミは完全に除去しないと仕上がりが違ってきます。


組立てより前処理の時間が圧倒的に長いですね。
自分でやるから工賃はゼロですが深夜残業代はでません。


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20モデルが10モデルと違っていた理由が分かりました。

ピストンと燃焼室形状が変更されていたのです。
品番でみると12モデル以降が現行のピストンとヘッドで共通です。

カムシャフトも変更ですが、これは旧型カムシャフトのリコール対策品を適用したものでしょう。
初期型は鋳造カムシャフトでしたが
市場で折れるトラブルが出て製法が改良され強度保証されたと思います。
カムプロフィールは共通なのでパワーに影響する変更ではなかったです。

左がNEWヘッド、右が10モデル。
10モデルの方が燃焼室が狭いのですが、NEWピストンの頭が高く、新型はそれを逃がす形状で
燃焼室が拡大されている様子です。

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左のNEWピストンはインテーク側のバルブリセスが広い面積であることが分かります。

そのためピストンの最頂部が高いのですが
インテーク側の斜面を利用して吸気のスワール(縦渦)を生み出す効果があると思われます。
混合気のスワールは燃焼効率に寄与する効果でパワーフィーリングを改善させているでしょう。

何より人間テスターとしての能力が腐っていなかったことで安心しました。



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燃焼室だけでなく、ピストン裏側のデザインも興味深いです。

左がNEW、右が10モデル

NEWタイプはスカートが少し拡大され
首振り対策されています。
同時にピンボスとスカートを繋ぐリブが内側に寄せられ剛性アップに寄与していると思います。
ピストンは燃焼圧力をピストンピンで受け止めるのでピンボス周りの強度が低いと頭頂部の真ん中から割れてしまうのです。
ピストンのクラックは最もエンジンブローの原因として多いトラブルなので
補強されていると安心して酷使できます。

緊急事態宣言も解除し、自粛警察の脅威も緩んできたと思いますので
実家土地管理のため愛媛県西条市へ帰ってきました。

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半年帰らないと家の前はこの通り
自分の背丈を超える雑草に覆われています。

初日はここの雑草刈払いです。











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二日掛かりで地面が見えるように整地できました。

ガレージ脇のブルーシートは
家の中の古い家具を廃棄するための仮置きです。

両親の50年以上にわたって溜め続けた
思い出の品(ゴミでしかない)を全部捨てるのです。

人間70歳も過ぎたら物に執着してはいけないと思います。特に資産価値のないものは
体が元気なうちに片づけておくのが、親族に
世話にならないために必要だと思います。

これだけの労力と交通費と休業補償は、全て自腹でやらなくてはなりません。
だから、誰も使わない土地ですが、金と労力を払った私に有効利用させていただく権利があると思っています。

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ここは我が家の裏門です。

収穫した果物を選別したりするのに使ったスペースなので、まあまあの広さがあります。

ここも作業台やら古い自転車、みかん箱などで半分くらいスペースが埋まっていたのですが、全部捨てましたので
バイク余裕で置けるようになりました。

何年も前から、こうしたかったのですが
時間がなくて、ようやく念願叶いました。

やっぱりね、バイクは雑多な倉庫にしまうのでなく片付いた場所に置きたいですよね。

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さて次は山にある畑です。
こっちの方が比較にならない雑草の量です。

全部刈り取りするぞ!









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刈払い二日、重機一日で、
こんな状態にできました。

ここは先祖から引き継いだ畑で、果樹園だったのですが、やる人がいないので廃園にしました。

イノシシや猿が毎日来ていて、人間が作物作るのを待っていて、食べ頃になると取られてしまうので、畑やっても無駄なんです。





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これはコース整備というスポーツです。
3日間、体を動かし続ける労働が体力維持に役立ちます。

ワッパ転がすだけがモータースポーツではありません。
2サイクルエンジンの刈払い機も、キャタピラー社のユンボもエンジンを使ったスポーツだと思います。
操作技術で作業時間や仕上がりが違ってきますからね。

しかし、このコースは低速トルクの薄い空冷2サイクルエンジンでは、難しいです。
登り勾配のタイトターンが幾つかあって
半クラッチ多用しないと駆動力がなくて倒しそうになるので
次回はCRF150持ってこようと思います。

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RMとCRM・2WD。

長期保管になるのでエンジン始動確認できたら、タンクやキャブレターの混合ガソリンを抜いておきます。

ここは親父のカローラが置いてあったのですが、処分してしまったので2輪の整備用にしています。

実家に工作機械があれば、ここで仕事して
畑のコースまでは2kmくらいなので
夕方、部活感覚でバイク乗って
そうすれば雑草生える前に庭やコースの整備できるし、海や山が近くて食べ物も上手いし最高なんですがねー。

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遺品の片付けしていたら懐かしいものがでてきました。

高専の2年生ころ写真部だった証拠として
モデルは私なんですが
中山川の河川敷で同級生に写真撮ってもらって、部室で現像した写真をパネルにして
国領祭(新居浜高専の学祭)で展示した作品が保管されておりました。

マシンは77年型YZ80
元祖インター・カラーのツインショックモデル。自動車部の先輩から当時3万円で譲ってもらったものでした。
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この写真は覚えていますが、どこへやったか分からなくなっていたのを発掘できました。

80年の全日本モトクロス、丸亀大会を観戦にいったときのものです。

土曜日125ccで#3福本敏夫さんが優勝して、そのマシンを展示してあったので
スナップ撮ってもらいました。

#5は杉尾車。
水冷エンジンの最初のころですね。


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さて、怒涛の草刈りや実家の片付けでしたが、いつまでもやっているわけにいきません。

後ろ髪を引かれる思いで帰路につきますが、どうしても寄っておきたいところがありました。

喫茶「ランバン」
高専時代にバイク乗り付けて友達と語らった場所。
まだ営業してました。

石井いさみ著、漫画「ナナハン・ライダー」が僕らの時代は流行りでサテンにバイク乗り付けて、お喋りするのがバイク乗りの通例でした。「カフェ・レーサー」の由来でもあります。
真剣にバイク乗らない
「丘・サーファー」みたいなもんやね。


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マスターの英二さん
実に37年ぶりの再会です。

お元気そうでよかった。

若いころ東京で洋食の修行して
極真会館・池袋本部道場で稽古した空手マンでもあります。
30代のころに新居浜へ帰ってきて
喫茶レストラン「ランバン」を開店させたのでした。
当時はコーヒー一杯250円でしたが
いまは400円になりました。


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サイフォンで立てる本格コーヒーの味は
当時のまま、
ここのコーヒーは美味しいですよ。

お店を大きくする必要はありません。
継続することが一番大事です。




これからは頻繁に帰ってくるので
また寄らせていただきたいと思います。


自分にとって大切なものがなんであるか
再認識できた旅でありました。



新型コロナショックは某国共産党の思惑どおり、米国の出方によって変わりますが作戦成功ということに
なるんじゃないですか。
戦争の目的は国際的な覇権を掌握することに尽きます。
正当な手段で覇権を取るには生産力、技術力を拡大して世界一の経済大国になる必要がありますから
莫大な労力と費用が掛かります。そして目標達成できるのがいつになるかわかりません。
そこで安価で短期間に目標達成するには他国の経済活動を停止させ、自国の経済力を維持するだけでいいのです。
倒すべきライバル国は米、露ですから、それ以外の国は巻き添えにすぎません。
圧倒的な工業力と、肝心なのは石油、鉄鉱石、希土類金属など豊富な地下資源です。
これらを保有してない国は気の毒なことにとばっちりを受けた状態です。

日本政府はこの有事にあたって無力だということが露呈しました。
首相がやったことは緊急事態宣言を発令すると口で言っただけです。
次にやることは災害給付金です。全国民に10万円ずつ給付するというやつです。
一回限りなのか、自粛が続く限り何回も給付金だすつもりなのか、決まってないと思いますが
政府は現金を持っていません。国民から徴収した税金の使い道は予算できまっているからです。
そこで赤字国債を発行して、投資家や一般銀行などから借りるお金から支出するでしょう。

本来は赤字国債は発行してはならないと法律で決まっていますが、災害など有事には特別措置ということで1年限りの特例公債法で発行してよいことになっています。
国債は債権ですから償還期限がくれば投資家や銀行に利子をつけて返金しなければならないのです。
困っている人に払ってあげたお金ですから返すあてがない借金です。
それを償還するために毎年借り換え債を発行し続けて利子分を返済するという自転車操業です。

元本保証されて利子が確実に返済される限り続けられると思いますが、この難局でデフォルト(債務不履行)の道に突き進んでいくような気がしています。


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膨らましたパイプで何を目指しているかというと
接合面の真円度です。

接合面を合わせて0.5mm以上のズレが生じていると溶接が無理なのです。
段差を埋めるために溶接棒で肉盛りすると
溶接品質が著しく悪くなります。

鉄板の固さは肉盛りされた方が上がりますが均一さが損なわれるので
パイプの外径を同寸にすること
断面を真円にすることを目標にした成形に努めるのです。


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組立て治具にセットしながら、パイプの溶接位置をマーキングします。

突合せが上手くいけばTIGで仮止めします。

なるべく仮止めを多く付けます。
仮止めが少ないと、本溶接のときに
鉄板が歪んで合わせ面がずれてくることがあるのです。

この辺は手抜きせずに慎重に進めます。




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本溶接できました。

接合面の歪みがなく平滑な溶接ビードになっていますね。

お客さんはハンドメイドらしい外観を求めていると思うので外観はこだわっていきます。
(品質は自信ありません、あくまで努力目標です。)







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ややこしいパイプのレイアウトです。
何回やっても満足なものができません。

能力限界なのでお許しください。











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全部接合できたら
水圧ポンプ繋いで全体的な形を整えたり
溶接不良を水漏れによって検出します。

目で見えないくらいのピンホールが空いていたりするので、絶対に省けない工程です。
発見すれば水を抜いて点付けして
再度水圧かけて確認します。

そのあとマウントステー溶接して
耐熱クリア塗装してチャンバーは完成します。



外出自粛なので日曜日も仕事しますよー















10年ほど前のことです。モトクロス用品店で買い物していたら
残高が増えていく預金通帳を見るのが楽しみでしかたないという運送会社の社長さんと
ばったり出くわしたときの会話、「忙しいかい?」と社長
「忙しいですよ、儲かってませんけど」と私
「忙しいんなら値上げすりゃあいいだろう!」と社長。
それを聞いていた用品屋の店長は笑いながら「それじゃーだめですよ」

顧客のニーズを分かって答えているのはどちらか明白ですよね。
お金持ちを満足させるには、それ相応の設備投資や技術力が必要です。
うちの設備なんか総額で200万円あるかどうか、工場だって軒下を改装した粗末な場所だし
なんとか乏しい資金と稚拙な技術で利益を生もうと考えてやっているので
高額な商品の企画はできません。

一般的な製造業の時間工賃として、日立工機が3500円と聞いたことがありますが
作業員の手取り工賃ではないですからね。
土地建物代、工作機械の減価償却を含めての金額ですから真水の金額はもっと低いはずです。
平均的なサラリーマンの賃金は源泉徴収を差し引いて手取りの給料が、1日あたり1万円くらいという説があります。
それを時間工賃に直すと定時で8時間勤務、平日は2時間残業として一日10時間労働ですから
時給千円というのが平均的な賃金ということです。
この時給を根拠に、サイレンサーの価格12300円と言う算出をしたものであります。
ですから10時間くらいの労働で完成できるものを目指した形となっているのであります。

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今回2個取りのサイレンサーの部品一式が
これだけあります。
すでに二日費やしています。

16時間くらいかかりました。

時給千円目標ですが、もっと早く作らないと難しいですね。






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溶接作業はこれで終わり。

この後は研磨と組立てが残っています。

明日午前中で完成させたいです。


なぜなら今月中に納品する予定のマフラーが後2台残っているのですから。





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研磨してグラスウールなど詰めて
組立て完了

さらに梱包、運送会社へ運んで
ようやく3時過ぎに発送完了しました。

発送は本州一律で1000円いただいております。不足分はこちらの負担になります。
(今回荷物が大きかったので2000円いただいております)











実家の状態が心配です。
外出自粛と長距離移動を控えているのですが、電気も水道も繋ぎっぱなしの家に泥棒が入って使い放題にされては堪りませんからね。
予定の業務をなるべく終わらせてキリがいいところで家に帰りたいと思います。
その間、仕事止まりますがご容赦ください。

人類だけでなく地球上の動物は感染症の脅威に曝され、抵抗力のない種類は絶滅し、細菌やウイルスの感染に勝ち残った種類だけが現在生き残っているわけです。
しかし単純な生物であるウイルスは変異しやすいという特徴から新種の者が次々出てくるといわれています。
ペストや天然痘、エイズなど最強最悪の感染症でも絶滅するほどではなく存続してきた人間ですから
今回のウイルスでも犠牲は払うでしょうが、大半は大丈夫でしょう。
ただ、感染力は強く、姿は見えないので完全に無防備なはずなのに、一か月の休業もできない会社ばっかりなので職場に通う人間の数はあまり変わっていません。
つまり、外出自粛の効果で感染速度が緩んでいるだけで感染が続くことは間違いないでしょう。

モータースポーツはもちろん全てのスポーツイベントは年内開催は不可能でしょうね。
そればかりか来年の予定を立てることなど現段階では考えられません。
こういうときにバイク乗りはどのような行動を取るか、住んでいる地域によってやり方は様々でしょう。
こんなときはナンバー付バイクは問題ないですね。道路の通行は規制されてないので何処へでも行けます。ただし観光地は抜きです。コンビニや売店も寄りません。ガソリン給油以外の買い物をしないで
ひたすら峠や海沿いのワインディングを走ってくるだけ、これで十分だと思います。
ただ仕事が忙しいので行ける時間は月に1回あるかどうか・・・

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鉄板膨らまし、
通常一個ずつですが

お客さんの注文で2個同時。

鉄板素材から丸二日










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切断すれば先が見えてくるので
少し安心します。

しかし気は抜けません。












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全部繋ぎ終わりました。

ここまでさらに二日













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CRM250AR用です。
90年代から作ってきましたから
20年以上続けてきた仕事ですが
1000台以上作っているはずです。

20年以上頼まれるとは当時は想像していませんでした。
そろそろ疲れてきたので辞めようと思うのですが、需要があるうちは仕方ないですね。

このあとサイレンサーも作らないと発送できません。

また来週!
昭和30年本田技研工業に旋盤工として入社。朝霞工業高校の同級生は神谷忠さん。(浅間火山レース出場したロードレーサー、後に朝霞第2研究ブロック主任研究員)荒川テストコースでCB92の耐久テストを手伝ってくれと同級生だった神谷さんからテストライダー頼まれたこともありました。
世界選手権ロードレースに参戦するマシンのエンジン製作の最中、旋盤加工中にオヤジさん(本田宗一郎氏)が背後から観察していたことも。
6気筒のシリンダーヘッドに24個のベリリウム・カッパーのシートリングを旋削加工し、液体窒素で冷却して挿入する作業もあったと聞きました。
そして組み上がったRC166を建設完了直後の鈴鹿サーキットへ持ち込み、GPライダーのマイク・ヘイルウッドにテストライドしてもらい、ヘイルウッドから直接インプレッションを聞いたそうです。
彼はどんなマシンでも不満を訴えることなく「これでいい」と言ったそうです。
超ショートストロークの6気筒250ccマシンが乗り易いわけないでしょう。しかし、どのように走ればポテンシャルを引き出せるか、直ぐにわかる能力を備えたライダーだったと話しておられました。

さて私が社員時代、車体品質課材料品質係は狭山工場のEG(エンジニアリング)棟の片隅にフロアがあり、スペックテストや検査のための試験機や計測器を集約した場所にありました。
試験機を他部門の人が使うときは私や係の者に許可を取る必要がありました。
そのころはEG棟に吉田さんの実験室があって生産設備の条件設定を規格化する仕事をしておられました。
ちょうどスポーツカーNSXのアルミモノコックボディ立ち上がりの時期でホンダとしてもアルミ材のスポット溶接に対する経験が無かったのです。
そこでボディに使用するアルミ板からテストピースを作成し、板厚別にスポット溶接機の条件を変えてスポット溶接で繋いだTPを引張り試験機にかけて破断荷重を測定するという、試験のため私の職場を度々訪れていました。測定された膨大な結果からHES(ホンダ・エンジニアリング・スタンダード)に制定され
アルミスポット溶接の作業者が溶接板厚に対する適切な電流設定を分かるようにしました。

私は社内クラブ「狭山レーシング」を辞めていましたが、むさしの会オートバイ部(通称狭山レーシング)の創設者が吉田さんだったと後で知りました。当時は所内パーツセンターの隣が更地のダートコースだったのでCB92でスクランブルの練習していたそうで、ル・マンで事故死された隅谷守男さんや3メーカーでワークスライダー勤めた阿部孝夫さんなども所属していたそうです。
吉田さんと知り合いになってからモトクロスで転倒してチャンバーの板金修理やフレームの溶接など道具を借りに、吉田さんの自宅工房にお邪魔するようになっていました。

雑誌クラブマンやモトメンテナンスの編集長だった田口さんは元EGの社員で吉田さんの部下という関係で、吉田さんから「ドカティ気違い」と呼ばれるほどデスモ・エンジンに陶酔されていて
吉田さん工房に入り浸ってエンジンメンテナンスされていたそうです。

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吉田さんは在籍中に数えきれないほど特許を出願されており
生産技術に関するアイディアが多かったと思いますが、
退職後も毎月、本田技研本社に行って特許使用料をもらってくる話をしていました。
本田の退職金や厚生年金だけでも相当手厚い金額だと思いますが、特許使用料も上乗せされて生涯安泰だったというわけです。
しかし、贅沢をしているところは見たことがなく、クルマはいつも中古車だし、服装は作業着。お金は全部ご家族にあげていたと思います。

画像の2WDのCRMは88年型の初期型がベースで
私と同期入社のマエダさんが開発したマシンでした。マエダさんは新入社員の研修でしりあったのですが、その時すでに北海道でモトクロスジュニア昇格されていて
朝霞研究所配属後はブルーヘルメットMSCで国際B級昇格されて、エンデューロレースでは自分で開発したCRMで活躍されました。そんな彼の仕事の形が、このCRM250Rに盛り込まれていたわけです。
おそらくこの車両をベースに選ばれたのは吉田さんではなくて朝霞研究所の某研究員が提供したためだと思います。その根拠は、この車体あずかってきたときにHGA2研のシールが貼ってありました。
だから吉田さん自発ではなく研究所から外部に委託した形が正しいと思います。

製作目的が個人的趣味というのは嘘で、生産技術の特許同様、実用化されたら発案者が特許使用料をいただく、または同様の技術を他メーカーが使用することを阻止できることを目的とした業務だと思います。
実際には実用化されなくて利益には至らなかったわけですが、2輪メーカーには販売に至らない新機構や新技術のテスト目的で年間に何十台も試作車作られているはずですが、その中の一台に過ぎないものと言えるでしょう。

私と吉田さんとの約束は部品どりされて走行不能になったこの2WDが軒下で埃被って置かれていたので
「持って帰って動くようにして、出来上がったら見せてくれ」ということでした。
自分の資金と労力で走行可能な状態に直して、吉田さんに電話しました。「福本さんのコースへ持って行って走らせるので見に来てください」こうやって約束を果たしましたので、動かなくなった2WDの最後を見届けて安心されたと思います。

川越の新居にはご家族が生活されていて吉田さんは若いころ建てた鶴ヶ島の自宅でオッカサンの介護を終えて、一人暮らしでしたが、体力の衰えのためか工房の設備を処分し始めておられたので気になっていましたが、裏方で本田技研を支えて表舞台には出しゃばって来ない静かな実力者の姿を一生忘れることはありません。


最後の10年くらいは福祉車両の試作やっていましたが、私は完成形をみることができませんでした。
その車両とは、チェアスキーの人はゴンドラに乗ることが不可能なので、ソリに乗せてスノーモービルで
ゲレンデを引張り上げたりするのかわかりませんが、
自走型のキャタピラ付き車椅子という物でした。
不整地ですからサスペンション付きのシートに障害者は腰かけ、介助者が後ろからハンドル操作して
エンジンの動力で雪道を上る機械でした。
実証実験は成功した話まで聞きましたが、製造して利益を得るところまでは辿り着けなかったと思います。
常に人が考えてないことに着目して問題を解決していく、製造者の手本のような人物でした。

新型コロナウイルスについて、欧米の主要都市は外出禁止を発令してウイルスの収束を謀ろうとしているのに、日本だけが自由に外出を許している現状に疑問があります。
評論家の見解の中に日本は諸外国より医療が充実しているので、感染しても重症化させないよう処置できる。その反面、感染が加速していくと隔離できる病棟に限りがあり医療崩壊するという意見もある。

諸外国がやっていても感染拡大を封じ込めていないのに、何も対策してない日本だけが助かる理屈はないはずです。

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「通常のインフルエンザとあまり変わらないのに騒ぎすぎだ。イベントなどの自粛はやる必要がない。」
こう述べる著名人もいます。

自分がウイルス感染しても同じことが言えるだろうか。
ウイルスは目に見えない、どこにあるかも分からない、これが恐怖心を持たない理由だと思うのですが
新型ウイルスは気管支など経口から浅い場所に取り付いていることが多いと言われていますが、やはり恐ろしいのは肺の細胞に感染することでしょう。


ウイルスと細菌の違いは細菌自体は細胞を持っていて自分で再生する遺伝子を持っていますが
ウイルスは細胞を持たないため自分で再生することはできません。だから動物や人の細胞に入って培養されることで生きられるわけです。
どこかでウイルスが発生しても数日で死滅してしまうが、ヒトがそれを触ってしまうと手から口へ入り込んで、ヒトが移動することによってウイルスを運んでしまうのです。

だから、感染してしまった人はウイルスを運ばないように入院して、そうでない人は自宅から移動しなければ確実に感染を阻止できるのに、ヒトは移動し続けています。

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一旦肺炎を発症してしまうと、どのようになるか知らない人が多いでしょう。
私の親族は高齢化で殆ど亡くなられましたが、およそ半数は肺炎をきっかけに命を落としましたから、そのたびに医師から詳しく説明を聞きました。

肺炎にかかると肺の細胞が死んでいくので
酸素を血液中に取り込めなくなり、非常に息苦しい症状になります。
やがて全身の臓器や筋肉に酸素が運ばれなくなり死に至るわけです。
最後の方は肺の中の二酸化炭素濃度が上がって昏睡状態になりますから、もがき苦しむわけでないのが幸いです。

東京封鎖して全ての経済活動をストップさせ、感染収束を目指すか、今までどおり仕事や行楽に勤しんで感染拡大を続けるか、どちらが早期決着を迎えられるか賢明な人ならわかりそうなものですが。
外出禁止期間はウイルスが生きられる2週間程度でいいのです。
感染した人の動きをとめれば、それ以上は増えないし、免疫力がつけば死滅の方向へ向かうはずです。
それなのに、経済が大事と一時の我慢もせずに、いつまでも動きつづけては隔離できる医療施設は一杯になり、重症患者の手当てをする医師も足らなくなって悲劇を迎えることは容易に想像できます。

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経済ストップしている間だけ
公共料金や税金、借金返済などの支払いを猶予してあげるように国が補償すれば
無理に仕事へ行こうとしたり
遊びに出かけようとする人の動きを止められるではないでしょうか。

それが新型ウイルス感染拡大を早期に終了させる最善の方法と考えています。


オフセット・サイレンサーについての説明は省略します。これを頼んだお客さんがみれば、完成したことが分かるようにしておきました。



冬場は寒すぎて無理、峠は路面凍結も恐ろしい。
夏は暑すぎてもっと無理、特に1リッターの熱量はすさまじく
フルカウルのため放熱は足元に集中していて、まるでファンヒーター抱えているように熱い。
そんなわけで、この時期を逃したら乗る時期ないなと思って、午前中ツーリングに出発しました。

圏央道完成してから、箱根まで行って午前中に帰って来れると聞いたので実行してみました。

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鶴ヶ島7時に出発して8時半にはターンパイク最初の駐車場に到着しました。

ここはアクトオンTVの番組で「片山右京の車談」というのがあって
片山さんが高級車の試乗をする内容のオープニングで毎回待ち合わせに使っていた場所に違いありません。

平日の朝なので、あまり上ってくるクルマはいないのですが、数台のチューニングカーが
快音響かせて通過していきました。















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画像の向きが横になったままでスミマセン

ターンパイクは思った通り快適に走れました。
一般車両の少ない時間帯を選んでのことですが、道幅も十分ありタイトな部分がなく
走りやすいワインディングと視界の開けたストレートの連続で気に入りました。

大観山のアネスト岩田スカイラウンジで芦ノ湖など見ながらまったり過ごします。

休日はごった返していると思うので平日が狙い目です。


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途中の駐車場でNSXが何回も往復していたのを途中の駐車場で見かけたので

スカイラウンジに停めたところで声掛けさせていただきました。

「元ホンダ社員で、このクルマを栃木工場で作った立ち上げメンバーでした。」と話しかけたら初老のドライバーさんが微笑まれて
しばし車談しました。

この車両を92年に新車で購入してワンオーナーで維持されているそうで
現在走行18万キロ
10万キロでエンジン回りオーバーホールされて好調だそうですが
購入後7年くらいからトラブルが出始めて、サスペンションやメインハーナスを取り替えたので、部品代で何百万もかかっているそう。
すばらしいことにNSXに限っては30年経過しているにも関わらず部品の供給を続けると
ホンダ上層部が明言され、2040年までは継続する方針だそうです。
そのためには図面も金型も部品メーカーに保管させて、注文がまとまれば再生産する契約をしてあるのでしょう。
やはり車両価格700万円お支払いいただいたお客様は株主も同然の対応をしていただけるということです。
2輪は4輪とは別の予算で動いているので絶版車の部品供給などということは商売にならないので廃番にしたままということです。

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私が担当した部品でコンプライアンス・ピボットというジュラルミンを冷間鍛造で作ったサスペンションアームのブラケットがあります。

通常のスポーツカーではダブルウィッシュボーンは乗り心地が固く、快適ではないのですが、コンプライアンス・ピボットのゴムブッシュが衝撃を吸収し、乗用車と変わらないクッション性を持ったハンドリングを実現したと唱っていたのですが
10年も乗っているとゴムがすり減ってガタガタになるそうで、ゴムだけ部品交換が効かず、ジュラ鍛の本体とアッセンブリーでないと購入できないのですが
この部品代が左右で60万円するので

供給されるのはすばらしいことですが、購入には勇気がいるものです。
このオーナーさんはゴムブッシュの部分を固定に改造してあるので、ステアリングのダイレクト感が増してよかったとおっしゃってました。ミッションも5速から6速に組み変え、デフはLSDに換えてあるので
相当走りを楽しまれているようでした。


この後芦ノ湖まで下りて、箱根神社参拝して、箱根新道⇒西湘バイパス⇒圏央道のルートで
午後0時に帰宅して午後から仕事開始できました。
サマータイムは朝5時に出発すれば9時には帰って来れる弾丸ツーリングです。

1911(明治44)年、奈良原三次が自身で製作した日本最初の国産機による飛行に成功。
その前年に代々木練兵所で徳川好敏がアンリ・ファルマン機(仏製)で日野熊蔵がハンス・グラーデ機(独製)による日本最初の飛行が成功しました。
それから100余年、2回の世界大戦中や戦後も発展を遂げ続けた航空史をダイジェストで見ることができる日本屈指のミュージアム、所沢航空発祥記念館。
GW中に行くのが恒例になってきました。
自動車用エンジンとは方向性が違うため、比較する意味はないですが、レシプロの基本原理は同じで
大きさや機構の複雑さでは圧倒的に航空機用がスゴイ。
他にもターボ・シャフトエンジンやジェット・エンジンも展示されていて、これらに関わることはあり得ないですが鑑賞用としては自動車エンジンより興味深いではないかと思いました。

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ホンダ・エアクラフトのジェット機も新色がそろいました。


先輩が出展している模型クラブの展示会は毎年この時期に開催されているので鑑賞しに来ました。


いつも超絶技巧に驚きますが
主催者メンバーは、元航空自衛隊や
高校の校長先生など博識の高そうな方々で、造形や塗装テクニックはもちろんですが
実機の詳細にいたる知識がなくては、このような精巧なモデル制作はできないでしょう。
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ミグ29戦闘機

世界最速の戦闘機ですね。
本物はまず見る機会ないです。


だけど模型なら見れる、ここへ来れば。









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F14戦闘機

今回のテーマは世界の戦闘機
年代別に主要国の機体が100機以上展示されています。









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展示室の最初にでてくるのが
ノース・アメリカンT・6G

1952(昭和27)年、アメリカ陸軍、空軍から契約して航空自衛隊の練習機として導入された機体。









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ライカミングT53 軸流式5段+遠心式1段
タービンシャフト・ターボプロップエンジン

軸出力1100shp

タービンシャフトはヘリコプター用
ターボプロップはプロペラ軸を回す用途だそうです。

川崎重工がライセンス生産したエンジン。





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アリソン・ターボシャフトCT63 M5A

1958(昭和33)年、三菱重工業がライセンス生産開始したタービンエンジン

軸出力317shp(シャフト・ホースパワー)
軽ヘリコプター用

燃焼室カバーの造形が美しくて、萌えます。
岸燃え美




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ライトR・1820 カーチス・ライト社製
星形9気筒 
排気量29874cc

ヨーロッパ戦線で対ドイツ戦略爆撃に活躍したボーイングB17フライング・フォートレスに装備されたエンジン。

1956年(昭和31)航空自衛隊中級練習機、ノース・アメリカンT28Bに
86型(1425馬力)を装備。





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三菱重工製 星形14気筒エンジン

墜落機から取り出されたのか損傷していますが
主軸の周りに遊星ギヤが露出していて
オーバーヘッド・バルブのプッシュロッドを
駆動する方式が想像できるカットです。








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同エンジンですが
ヘッドカバーが損傷しているおかげで
バルブスプリングやロッカーアームらしきものが露出していて
現代の4サイクルエンジンとあまり変わらない構造だったことが分かります。

しかし、冷却フィンの造形など
2輪車では見たことも無い細密な鋳造だと思います。





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今回の催しの一つ
フランス航空教育団100周年パネル展示であります。

第一次大戦中、同盟国だったフランスに要請し、日本の脆弱な航空技術に対し
操縦や機体製造の分野で技術指導をいただいた記録を写真と解説で展示されています。

国産エンジン黎明期
岐阜県各務原でのエンジン製作
ル・ローン空冷式回転星形9気筒を製造中。

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所沢では機体の製造も開始していました。

フランス航空教育団はフランスクレモンソー首相の任命でフォール陸軍中佐と62名を派遣。
1918(大正7)年11月マルセーユ港発
1919(大正8)年1月長崎へ入港
神戸から東京は陸路で到着。
黎明期の日本の航空に多大な影響を与え日本の航空や工業技術の基礎を植え付けることに貢献しました。


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富士山を上空から初めて観察したとされる機体
ブレゲー14B2

大正時代にジュラルミン製の骨格を採用していたなど、当時の日本の工業技術では当分できなかったことでしょう。








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当記念館の敷地も当時は滑走路もあったようですが写真のとおり、草ぼうぼうの状態ですね。

一機18000円はどれくらいの価値でしょう。
昭和5年にマン島TTレースに出場した
多田健蔵さんのベロセット350は2千円で東京に一戸建てが買える値段ということでしたが、家10件以上?
大正期ですからもっと価値があったでしょう。




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石川島播磨重工 J3・IHI・7B

日本が戦後初めて独自開発、量産した純国産ジェットエンジン。
離昇推力1400kg/12700rpm

防衛庁が指示して航空自衛隊、中級ジェット練習機
富士T・1に装備されました。

後方の長い円筒から燃焼ガスが噴射されて推力を生みだします。
マフラーとは違いますが円筒が長い方が
四方八方に拡散することなく後方に噴射する圧力が生まれるという考えに基づいていると思います。

空を飛ぶものですから陸を走るもの以上に重量やスペースに厳しい制限がある中、他社(他国)に負けてはならない使命を負って進化を果たしてきた航空の歴史や技術にリスペクトする休日でした。

HUM(honda of UK motor)に出張していたころ鈴鹿SSからの日本人駐在員から聞いた話ですが、英国のバイカーたちは正月にドーバー海峡を渡って(巨大なホーバークラフトのフェリーに乘って)
フランスへ行き、パリ・ダカールラリーのスタートを見に行くのが恒例だったそうです。
緯度が日本の北海道より高いので極寒の時期だと思うのですが、人気の車種はヤマハ・テネレやカワサキZZRが多く、凍結しているかもしれないモーターウェイを走って大型バイクがわんさか集まるという熱狂ぶりだそうです。
モータースポーツの国は一般バイカーも筋金入りなのですね。
私も初日の出暴走ではないですが太平洋側まで走って日の出見ようか一瞬思いましたが
この寒波であえなくやめとけモードに入っております。
寒いときは工場に籠ってもの作りがよかろうと思います。

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車体無しのワンオフ製作をお断り続けたKDX125SRチャンバーですが
せっかく需要があるのにラインナップしないのは心苦しいので、治具製作して作りはじめ
やっと3台めですが、隙間2mmの部分が3か所あって雁字搦め、毎回苦心しながら作っておりますので効率も悪いです。
安易に引き受けるもんじゃないですね。





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4台めのチャンバーは年末までかかりますが、サイレンサーとセットのご注文なので
来年の初荷がKDX125チャンバーとサイレンサーのセットになる予定です。











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ZX10Rのフェンダーレス化に着手しました。
私物なので売り物ではありません。

下がノーマルのリヤフェンダーとライセンスマウント。
欧州規格のためか、リヤタイヤの後ろまで伸びていてスッキリしてません。

そのためアルミ板金で小型化しました。

今時フェンダーレス・キットなんか幾らでも売っているだろうと思いますが
買って来て済ませていたのでは、何の楽しみもありません。
部品製作は自分で作って楽しむ遊びだからです。他人が作ったものを買って来てつけていては何も分からないままになってしまうでしょう。
買い物することを反対するわけではないです。少なくとも物が売れることによって経済に貢献するわけですから必要なことでもあるのですが、全部そうだとするとオートバイ乗りはカネ払って乗るだけみたいになってしまいます。


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フェンダーの後ろですから目立たないようにブラック塗装にしました。

リヤフレームにボルトオンするライセンスマウント
ウインカーハーネスを下からカバーするプレートと反射板取り付け用のステーの3点がフェンダーレス化に必要な構成部品です。






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ライセンスプレートがタイヤ後端より引っ込んだ位置になっています。

ライセンス・ランプとウインカーは純正品を移植してあります。

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秀逸なデザインのテールランプの下に野暮ったいパーツが見えない方がいいではありませんか。
法規制に合わせて最もシンプルなデザインを目指したつもりですが
社外品がどうなっているかは
一度も検索したことがありませんので
似ているものがあるとすれば偶然だと思います。






このZX10まだ高速道路で少し乗っただけで一般道での操縦性はよくわかってないこともあり、近所でUターンの練習でもしておこうと思い乗り回してみました。
35年以上モトクロッサーメインに乗ってきましたが、ハンドリングに対して全く不安が無いというか
熟成されたステアリング・ジオメトリーのため誰が乗っても違和感がないように作られているわけですが、一昨年に450のコーナリング立ち上がり時チャタリングが出てハンドルを抑えるのに力が入って疲れていたところ
ステムのオフセット2mm違いを試す機会があって、乗ってみたら完全にチャタが解消されていて腕に力を入れる必要がなくなったのでした。
翌年モデルからオフセット2mm変更とステアリングダンパーはオプションにモデルチェンジされていました。
僅か2mmで、と疑問に思うかもしれませんが操縦性はカタログ数値で表せない部分で、むしろ最高出力などのデータより実際に乗った時に感じる重要な走行性能だと思います。
これが長年の開発、車体設計の積み重ねで培ってきた数値ですから、ただ機械設計に詳しい技術者でも分からない2輪車のバランスに関わる設計はテストライダーと車体設計屋の連携がなかったら成し得ないクルマ作りでしょう。

話を戻します。ZX10の高速道路でのレーンチェンジは、初めてのリッターバイクということもあり比較するものがない、しかし100キロ以上で直進性が強いという感覚とイン側のハンドルを押してやるとあっさり傾いてレーンチェンジしていきますが、直ぐに直進に戻るという感覚です。
これは走っている限り重さは感じないが直進性の強い、またはタイヤがスリップしない限り転びにくい特性なんだろうなと思いました。
そして近所の道路です。真っすぐ走りながら軽くスラロームしてみます。
やはり予想は的中です。定常走行で勝手に起き上がってきます。
寝かせるのに意図的にバランスをくずして傾けてやらないと真直ぐ走っていこうとするんですね。
このことを理解して操縦することでかなり安心感がでてきます。
それはタイトカーブで狙ったラインより外側に膨らんでしまうのを補正してやればよいということです。
セパレートハンドルの上、タンク幅が広くリーンアウトでは内側の腕がタンクに当たるのでフル転舵はやりにくいのです。
そこで肘を外側に這って腕の短さを補うように上体をイン側に移動するライディングポジションをとることでフル転舵をキープできます。

さてステアリング・ジオメトリーはというとキャスター角25° トレール107mm
現行のCRFと比較するとキャスター角は2°29"立っている。トレールは9mm短い
この数値だけみるとCRFよりキャスターが立っていてトレールが短いので直進安定性よりハンドリングの軽さを重視していると考えられます。
では実走で直進が強いと感じたことに矛盾が出てきますね。

ここで誰も語らなかったキャスター/トレールの関係です。
フレーム単体を計測してもキャスター角は不明です。キャスター角の定義は、タイヤ接地面を基準とし、これに直行するフロントホイールセンター上の垂線とステアリング中心を通るラインが交差した挟角のことを表します。
トレールの定義は、同じくタイヤ接地面上でフロントホイールセンターを通る垂線とステアリング中心線の延長線がタイヤ接地面と交差する点との距離を表します。
このことからキャスター角というのは代用特性であり、物理的作用はトレールが影響していることが分かります。
2輪車の運動性能を勉強した人は周知のことと思いますが、走行中にフロントタイヤはステアリング延長線に引っ張られて回っていることになります。
ここでキャスター角で傾いたステアリングを切ったらタイヤの接地面は中心からトレッドのイン側に移動します。
するとタイヤの横から押される力が発生します。
これはワイドタイヤまたは深いバンク角の方が力が強くなります。(オフ車とリッターバイクの違い)
この力が元に戻ろうとしてステアリングが直進状態に向かいます。これがトレールの示す直進安定性の作用です。
ただトレールはキャスターだけで決まりません。ステムのオフセットでも変わりますし、オンロードはフロントフォークのセンターアクスルが主流ですがオフ車はリーディングアクスル(フォークの前にアクスルが設定)が主流なのでセンターアクスルよりトレールが短くなります。

ではなぜCRFのキャスター・トレールでハンドリングが重くならないか?一つは車重と重心位置が影響しているはずですが、ここでは置いといて一番の理由はサスストロークにあります。
カタログ上のキャスター・トレール値は空車接地においての寸法です。
乗員の体重や乗車位置の前後でキャスター角が変動することは当たり前ですが、ロングストロークで前向きに走っている限り、ギャップやブレーキで前下がり即ちキャスターが立つ方向に動いています。
またどういう場合にオートバイが不安定になるかというと、減速時または下りのギャップに於いてです。これは空車時よりキャスターが極端に立ってくる姿勢だからです。
そこでライダーは車体を安定させるために乗車位置を後ろにしたりアクセルを開けたりしてバランスを調節します。それこそが運転技術の違いが出る部分であるのですが
何もしないと不安定になってしまうジオメトリーを安定させる方向で空車時の寸法を決めているということです。
ですからカタログ上のキャスター・トレールの比較では矛盾が生じていた直進性の部分は動的な数値を考慮したら車体設計者の意図が垣間見れるのではないでしょうか。

因みに私はリッターバイクでは足が付かないのでアクセルターンは確実に転倒するのでトライしませんが、ZX10のステアリング切れ角でUターンできる道路幅は6メートル(普通の2車線)、アップハンドルなら4メートルでもいけると思いますが、これ以下の道幅では90°ターンまで、または降りて切り返すことにします。何より周囲の状況を視覚でとらえて確認できなかったらむやみに方向転換しないことが安全運転の秘訣かなと思います。



























WSBタイトル3連覇、ジョナサン・レイが乗ったマシンのベースモデルです。
SBホモロゲーション用のRR、電子制御サスペンションのSEもありますが、これでも十分な運動性能ではないでしょうか。
スタンダードのショーワ・バランスフリーフォーク。フロントにブレンボ製ブレーキ。
ホイールはRRのマルケジーニ・フォージドではないけれど、ヒラヒラの軽快なレーンチェンジはリッターバイクの重さは感じないハンドリング。

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最高出力200ps/13000rpm
装備重量210kg
私が跨ると片足つま先立ちのシート高ですが、緊張して乗るという欲求を満足させるのに十分なスペックだと思います。

「200馬力なんか必要ないでしょう。どこで使うの?」
求めているのはそれ以外の部分であって、
中間の動力性能も高次元に追及した結果の最高出力は、この際問題ではありません。



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中型排気量ではコストダウンされそうな部分も大型車はいいパーツを付けられるようで
ノーマルでチタンエキゾーストですね。
ボトムリンクの位置を上方に配置して、代わりにリヤサス下方に大容量のコンバーターASSYが見えますが、この部分だけSUS304ステンレス製です。

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ショーワ・バランスフリーフロントフォーク。
モトクロスでも採用されてない高性能フロントフォークが奢られています。

ショーワはホンダの子会社と思っていたのにCBR1000RRはオーリンズと提携しているあたりが面白いですね。
ブレンボキャリパー専用のアクスルホルダーになっています。
ラジエターも巨大なのですが排熱がすごくて
アルミフレーム全体が熱くなって、この時期でも全然寒くないです。(夏はどうなのかな)



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なんといっても、このスタイリングです。
他に類をみないWSBチャンピオンマシンと同様のKRTカラー

なんかTVで見るだけでは何もわからないので試乗して体感してみるのがいいかなと思った次第です。


ウチは圏央鶴ヶ島ICまで3分の立地なので
一般道殆ど走らないで目的地まで行ける便利さを利用しないのは勿体ないでしょう!












今4月中旬のご注文分を作っています。4か月お待ちいただいての製作ですから
今注文されると年末ころ出来るという状況ですね。
よく納期の問合せを受けますので、ラインナップ品なら大体それくらい
ワンオフ製作はもっと先になるでしょう。
要するに受注生産なので直ぐ欲しい注文は無理ということなのでご注意ください。

今回はラインナップ品KDX125SRサイレンサーの特注で
丸断面とエンド曲げパイプ付きになります。

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治具に取り付けて作っています。

サイレンサー断面はφ70です。

90年代からオフロード車のオーバル断面が流行りだしたのですが
依然は丸断面が当たり前でもっと小さいものでした。

ところがオフロードレースでも騒音規制されるようになり、消音器の容積をアップするデザインに変わってきて、
横幅の狭いオフロード車のスペースに収まるように幅を詰めた楕円断面に移り変わるのでした。

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本来、排気ガスの膨張はパイプに対してラジアル(放射状)方向になりますので
膨張室の丸断面が理に適っているはずで
同じ表面積の板材からパイプを作った場合
新円が最も容積が大きく
3角形が最小になることから
消音性能的に新円が一番有利であると言えます。
パイプの展開面積=金属材料の重量ですから軽量化にも寄与します。

付け加えると排気ガスが音速で消音器内部の壁に衝突を繰り返して減衰していくことを考えると
パンチングパイプから消音器内壁までの距離が遠い方が音の減衰が働き(即ち大きいマフラー)
同時に膨張速度を抑え、熱を吸収するグラスウールが介在することで消音が機能します。
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ではサイレンサーが大きいとどうなるか。

消音器内部の圧力は下がりますから
排気出口の勢い(流速)は衰えます。
よって排気速度が落ちるということです。

だから騒音規制のないフォーミュラ1やドラッグレースなどは高回転回すためにサイレンサー無しです。(モトGPは小さいのが付いている)
ところが一般車両やオフロード車は低中速の扱い易さが重要なのでサイレンサー無しではそもそもうるさくてあり得ないですが
充填効率が落ちてパワーダウンしてしまうのも適切な排気抵抗が運転性に関係してくることを表しています。
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サイレンサーエンドの曲げパイプは
ウインカーやライセンスプレート回りのオイル汚れを防止するためと
後続車にも優しいと思います。

エンドパイプのテーパーカバーは、衝突突起物を無くすように考案した私オリジナルのデザインですが
KDXのようにサイドカバー内側に引っ込んだ位置のサイレンサーには必要のない形状ですから、これでいいのだと思います。










2018年モデルCRFを見て重大なことに気付きました。
ホンダが81年にシングルショックになったときから、吸気系を避けるためにリヤショックが右側にオフセットされていました。
私ら強度グループはフレームの応力測定をおこなっていました。
量産前のテスト車に歪みゲージを貼り、国際A級ライダーを雇って桶川のコースで実走計測した経験から、フレームの右側センターパイプ、ピボットの上付近の応力が左より高いことがわかっていました。
即ち、リヤクッションの荷重がフレームの右側に偏ってかかっていることを表しています。
だからギャップで跳ねられてオートバイは左向きに傾いて転倒する確率が高いはずです。
転倒はしなくてもリヤショックからの入力でフレームが捻じれる動きになります。
そこで捻じれ剛性を確保するためにフレームの強度をあげないとギャップ走行で真直ぐ走れない乗り物になるのです。

そこでリヤショックがセンターに持って来れることがどれだけのメリットがあることか、
捻じれ剛性を落とせるので同じ剛性なら軽いフレームが作れるということです。
最低重量が決められていますから、車体の軽量化できた分を補器類に回せるというメリットがでてきます。
これはFIの導入でスロットルボディをリヤショックの横に持ってくる必要がなくなったことに起因しますが
ヤマハは後方排気モデルからセンターショックになっていたので、優位性は証明されていますね。
こういうことがシングルショックになって36年の年月を経て変革されたことで、モトクロッサーは面白いなと思うのです。


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2018モデルCRF250Rマフラー

作っただけです。
これからいろいろなことが分かるでしょう。


軽量化のため、チタンとアルミの複合です。

金型、プレス機、ベンダーなど一切ありません。
全部手巻きのハンドメイドになります。





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チタン製エンドパイプ

チタンはバネ鋼のような性質なので
曲げるのが難しいです。
成形できる形状には限界がありますが
紙の図面を描いて形状をデザインしています。
コンピューターは使いません。
(CAD持ってないからね)







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アルミの筒にエンドパイプをはめ込む
キツさを調整するのに神経をくばっています。
キツ過ぎると組立てが困難になるし
緩いと排気漏れになってしまうので
絶妙の公差で板を曲げていくのですが

機械的な製造は一切ないので手加減だけが頼りになります。

やった人じゃないと分からないですね。





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マウントできました。

左右対称だから作りやすいでしょうと言った人がおられましたが

ゼロから作るものにやりやすいと感じることはありません。

シングルエンジンなのに2本も作るのかという気分です。







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18モデルのマフラーは左右の張り出しが大きく、その部分だけは直したいと思っていました。

このレイアウトで満足だと思います。
サイレンサー内部にバッフルは入れていません。
ストレート構造のパンチングですが
騒音計測してみました。

2mMAX法で

モードセレクト標準で107.2dB/A

アグレッシブで109.3dB/A
測定器誤差を鑑みても余裕の消音性ですね。

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サイドカバーとの隙間

ノーマルはストッパーラバーに当たる位置まで広がっているので、15mmほど内側に追い込んだ取り付けレイアウトになっています。


ついでに重量比較ですが

ノーマル左右共 2.0kg

SPLマフラー左右共 1.6kg

なかなかの軽量化です。

とりあえず今週末のMCFAJ開幕戦から使って耐久性など確認したいと思います。
(テストライダー雇うカネがないんで自分で乗ります)


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モードセレクト、アグレッシブで走行しました。

中速までは普通の加速で過激な感じではないのでスムーズに乗れますが
高速域に入るとパンチが効いてくるので
ジャンプなどで狙った着地位置より飛びすぎてしまって戸惑う場面がありましたので
体を慣らしていく必要があります。

全体的なフィーリングはコントロールしやすい、回せばパワーも十分という感じでした。


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一番の目的、マフラー後部の張り出しを内側に追い込んだ形状

ノーマルマフラーはサイドカバーにフィットした位置なので、かなり横幅狭くできました。
タイヤが擦らない程度でスリムな方が
転倒も多いモトクロッサーに適していると考えています。
作り始めて20年は超えているCRM250サイレンサーに関することですが
当初はトレール車のエンデューロレースが盛んにおこなわれていたので、
競技用として売っていたんです。
それを公道走行に使用しても全く構わないわけですけど、
リヤフェンダー後部にウインカー、テールランプ、ライセンスプレートなどが取り付いていて
調度サイレンサーの出口の真後ろ(20cmくらいは離れていますが)にあるため
排気ガスで汚れてしまうという難点があります。
KDXなどはサイレンサーエンドがウインカーから離れているため、それほど問題ではないようですが
CRMはちょっと対策した方がいいかもしれません。

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レース用は後ろから衝突する場面が多いので突起物を無くし、サイレンサーエンドは丸めることが定石ですが

公道で後ろから衝突したり、後ろ向きにひっくり返るということは
通常ではありえないですね。

だからエンドパイプを曲げて排気を斜め下方向に逃がすということも
ウインカー廻りの汚れを気にするなら
必要なのかなと思いました。

これは以前に納品した先輩のCRM250R2型のサイレンサーですが、リクエストにお応えしました。
(昼ご飯と現金2千円で)

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斜め横向きにしてあります。

パイプエンド下向きにするメリットはもう一つあります。
屋内保管の車両は関係ないですが
水平方向のパイプエンドは雨水が侵入します。
特に放置車両は水が溜り続けてチャンバーが満水になり排気ポートからクランクケースに達します。
こうなるとクランクシャフト全損になります。

マシン大事にしている人からすると信じられないことですが、何台も見てきました。
必ず決まり文句があります。
「キックが下りない」
あたりまえですね。
シルクロードを発見、命名したドイツの地理学者、フェルディナント・フォン・リヒトフォーヘンの言葉
「世界にこれほど美しい場所はない」
幕末期に日本に滞在し各地の調査をしたリヒトフォーヘンが旅の途中に見た瀬戸内海の景色に
感動したときのことを日記に記したものです。

地元に住んでいる人は、そこにあるのが当たり前の日常の景色。
遠い場所に住んでいる私からすると、改めてこの景観のすばらしさを認識できます。

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伊予市双海の海岸までキャラバンで運搬したCJ360Tを走らせて
JR予讃線「下灘駅」まで海岸を走る道路
R378から行ってみました。

去年はR25で走りましたが、あいにくの雨で今年こそリベンジするため必勝体制で臨みました。








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この景色を現地で見たかったので
目的一つ達成です。


海岸を埋め立てて建設されたR378ができるまで「日本で一番海に近い駅」だったそうで、今は2番だそうです。

これを見るために片道900km、移動してこないと見れない貴重な場所になってしまいました。





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これは去年の写真

これはこれで悪くない。
わざわざ雨の日に行く人いないですからね。











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汽車が来ました。

宇和島行き一両編成
予讃線(讃岐ー伊予)は単線しかありません。

松山駅からこちらの区間は電化されてないから汽車といいます。








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今回メインの目的は紫電改を見に行くことでした。

宇和海の海底40mに沈んでいる太平洋戦争末期の新鋭戦闘機が偶然発見されて
引き上げられ
腐食損傷した部分を修理して復元された
世界で現存する一機が、ここ愛媛県の愛南町に展示されていることを知り
絶対見に行く決意をもって過ごしてきましたが
やっと念願叶うときがきました。





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現在松山空港の場所だと思いますが
呉の海軍工場を防衛するため編成された

海軍第三四三航空隊所属
戦闘第301飛行隊剣部隊の精鋭

昭和19年7月24日
豊後水道上でアメリカの戦闘機グラマンやヘルキャットの編隊と空戦を交え
未帰還だった6機のうち、いずれかの機体であることがわかっています。
ご遺体や遺品が発見されなかったことから
特定できず、パイロット6名の遺影とともに
祀られています。

4枚のプロペラが後方に曲がっているのは海面に突入する圧力によるもので
着水の瞬間まで操縦していたことを表しています。
たいていは斜めに着水してプロペラの向きはバラバラになるそうで主翼も大破するのが普通らしく
パイロットの操縦技術の高さが機体を保存することに貢献した結果になりました。
松山基地の航空隊搭乗員120名は
全員20代のベテランパイロットで
敵機撃墜して国土や人民を防護することが任務のため、特攻作戦に徴用されることはなかったので
帰還できた搭乗員の皆さまが戦後を生き抜くことができたことがなによりで
この紫電改とともに戦争の体験を伝えてくださったことに感謝いたします。

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尾翼のフラップ部分のジュラルミン製骨格が
見えるように復元を中途にしてあります。

零戦から継承する軽量高剛性の機体は
エンジン出力2000馬力で
グラマンとの空戦は楽勝であったと元搭乗員は振り返っています。

三四三航空隊は迎撃専門の部隊で
偵察機で敵機確認してから出撃するという
他の部隊
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と違った作戦も勝機をつかむ要因であったと分析されます。


酸化して穴だらけの機体
腐食してない部分は新たにアルミ板で補修したと思われます。

床に置いてある茶色いタンクがゴムで被覆された胴体と主翼内にあった燃料タンク

炭酸ガス消火装置など備えていて被弾しても帰還できるよう
乗員の人命を守る設計も取り入れられたようです。






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これはもう動かさないつもりで
観音寺市の讃岐白馬会メンバー
M鍋さんとこに預かってもらっていたのを
持ってきました。

初期型CRM250の2WD車です。
また埼玉へ持って帰るのですが
始動確認だけしておきます。







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家の前の畑は草ぼうぼうで人が入れる状態ではなかったですが
丸二日掛かりで草刈りして
このように入れるようになったので
2WDで乗り回してみました。


自宅敷地内でバックヤードMXできるようにするのが当面の目標です。







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2WDはハンドリングが重くて
みかんの木を避けながら走るのには
テクニックが必要です。
次回はミニバイク持ってこようと思います。

グルグル走って轍もできてきたので
やや満足できたので
来年に課題を残しつつ終了しました。

月曜昼過ぎに小松町出発して
夜中の1時半に鶴ヶ島帰宅できました。
片道12時間走行ですね。

ホンダ車の部品において、開発に長期間を要するものは2社手配していることが多いですね。
その訳は、一つは生産コストを競合するためです。
他メーカーより多くの発注を得るためには技術力と同様に重要な競争力です。
もう一つは生産工場が災害に遭った場合、別のメーカーで代用して量産を止めないためです。

そのため2社には同じ技術レベルを確保するように、最初から発注先をきめないで
開発段階から入り込んでもらう作業が必要になります。

そして国内生産車の大半は北米へ輸出して利益を得ていますから
貿易上の取り決めで米国企業にも一定の割合で発注することになっています。
発注先が違っても同じ図面で生産するわけですから、試作段階から2社の製品の検査や
耐久テストを行って見極めることは言うまでもありません。

そういうわけで、市販モトクロッサーにはショーワSSとカヤバ工業というサスペンションメーカーに2社手配していますが、私の保存用CRF250Rのキャブレター最終車には
フロントフォークがショーワ、リヤショックがカヤバという複合的なメーカーレイアウトを採用していました。

4輪サスペンション(ダブルウイッシュボーン)ではフロントに神戸製鋼、リヤに住友軽金属などという組み合わせもありましたから
前後サス別メーカーは珍しいことではありません。
あくまで完成車開発しているのはホンダであってサスペンションメーカー主導で開発しているわけでないので、分担した方が多くのデータが得られていいかもしれませんが
最終的に量産発注を獲得できなかったら辛いでしょうね。

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09のフロントフォークをメンテナンスするため車両を移動できるように
カヤバのエアサスを取り付けしました。

しかし、09のショーワはインナーチューブ径
φ47に対して
13Mカヤバのインナーチューブ径はφ48でした。

これによってアウターチューブ径も1mm大きいので三又ごとセット交換です。
ステムは同じなのでボルトオンです。




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フロントフェンダーの取り付け面が違うのでフェンダーも13に交換です。

最近のフェンダーは昔と違って
深いM字断面になっていますが、単なる意匠デザインではないようです。

昔のフェンダーはアーチ型断面といえますが、同じ断面積で剛性を上げるため
断面係数が高くなっているのです。

断面係数とは荷重に対する変形し難さを表す数値で
断面形状が3角形が最も変形し難く
平面が最も弱いと考えられます。

折り紙を例にとると、紙自体は自立することなく重力に負けて平らになってしまいますが、折鶴のように紙を折り重ねることで翼や首が自立するのと同じ理屈で
特にレーサーのステアリングに付く部品は軽い方がよい、しかし薄肉では剛性がなくては重い泥の付着で垂れ下がってしまう。
そこで肉厚を上げないで断面係数を上げた結果のデザインがM字断面だったということです。

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上が09カヤバショック
下が13カヤバショック

2者を比較すると
09は車高を下げる目的で
15mmストロークを詰めてあるのですが
取り付け長が軸芯で5mm長く
485mmに対して
13は480mmです。

ところがダンパーストロークは
ボディー端面からスプリングシート間で
09が115mm(ストローク詰めのため)
13が130mmということで
取り付け長が短く、ストロークは長いということが分かりました。
13はCRF450用のノーマルですが250に450用のショックを付けると車高が下がるということになります。

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クラッチは、今使っていないマグラの油圧に交換しました。
加工無しでボルトオンで付きました。

450にはリクルス付けているのですが
オートクラッチの場合、クラッチをレバーで切ったあと、ワイヤーのように戻らず
ピストンが引きっぱなしになってしまい
マスターが動かないという現象になるため
ワイヤーに戻していたのでした。

250に油圧クラッチは操作性最高に軽いです。
1本指でも握れそうです。


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こうやって13モデルの前後サスペンションに交換完了しました。

これは嫁のヒマン防止エクササイズ用です。
お互い熟年モトクロスなので怪我しないように、なるべく良好な状態にしたいです。
嫁は背骨と両腕と片足の骨にボルトが入っていますので、安全重視です。
「2ストは背骨が折れる」とか訳のわからんこと言ってますので、モトクロスは4ストしか乗らんようです。

2輪車はエンジンだけでなく回転部分の多い乗り物です。
特に前後の車輪は最も大きな回転部分なので、車輪のメンテナンスを怠っているとマシンの性能も落ちるはずです。
高速道路でバランスの狂ったホイールで走らせると乗れたもんじゃないですよね。
オフロードだから、地面が凸凹なんでわかりゃしねえよ。という考えは浅はかです。
エンジンのクランクシャフトとホイールは駆動系で連結されているので、振れていることが
直接、加速や伸びに影響しているはずです。

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ノーマルのリムで1年も乗っていれば
リムが変形して真円でなくなります。
当然バランスが狂ってきますので
高回転回すほど振動になって回りが悪くなりますので
走りをよくするためには、狂ってないリムに交換してバランスをとる必要があります。

そこで、このDID強リム。
HRCのワークスマシンにも採用されている
ノーマルより高強度のリムです。

新品時にバランスがとれていても、走行中に変形してしまっては性能を維持できません。

なるべく良好な状態を保つために定期的に点検し、振れ取りが出来なくなったらリム交換が望ましいです。

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ハブは柳河精機
スポークは月星製作所(ムーンスター)

本田の純正部品は信頼性の高い超一流の部品メーカーが担当しています。
本田が要求する品質(数量)に応えられる
メーカーの存在がオートバイの生産に不可欠なものです。

1年以上も使ったホイールは泥水がニップルのネジに浸透してネジ山の摩擦抵抗を上げると同時に
アルミニップルとスポークの材質はSWP(ピアノ線)なので電位差からネジ山が腐食してニップルのトルクが上がってしまうか
悪化すると緩まなくなるので、切断するしか分解の方法がなくなります。
これはネジが腐食し始めていたので浸透潤滑剤をつけながら慎重にニップルを回す必要がありました。
ネジが生きていれば再使用するので、全部洗浄して汚れを落としておきます。

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リヤホイールはインナーとアウターでスポーク長が異なります。
フロントより幅広のハブなのでスポークの交差する部分をクリアするためにインナーを内側にオフセットさせた分、距離が遠くなるので長い方がインナースポークとなります。

あとはスポークの曲げ角度とハブとリムのタコ穴の向きが合うように加工されているので
間違った組み付けは不可能な設計になっています。





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専用の触れ取り台は持っていませんが
アクスルシャフトをバイスに固定して
ダイヤルゲージをリムの外周に当てて
振れ取りをしています。

最初はニップルの締め付けトルクを
緩めで均一になるように組立て
縦振れを無くすように締め込んで調整します。
縦振れが取れたら横触れを調節して
最後に全部のスポークの張力を確認して組立て完了となります。




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前後ホイール組み上がりました。

DID強リムの赤は一番人気なので
いつも品薄(というか受注生産)らしいです。

ウーム、また速くなっちゃうなー










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先週末は近所のCB専門店ジェイズさんと居酒屋で会合しました。

ツクバサーキットでZ勢に勝つことが目標だそうで、2バルブのZに4バルブのCBが勝てないことに納得がいかず、日々改良をする状況を伺い面白かったです。

4バルブなんで馬力は出しやすいそうなんです。但し加速は悪くなるので
ストレートの短いツクバでは加速のいいZの方が有利だということです。
私にも解決方法はわからないですが、成功した暁にはツクバサーキットに応援に行きたいと思いました。

実はお話しの大半はM繁さんが普段から取り入れているモトクロストレーニングについての内容で
ロードレースのライダーの多くはオフロード走行の経験が少なく、環境変化に伴うマシンコントロールができていないことが弱点で、頻繁に挙動変化するオフロード走行に対応できれば、オンロードにおける限界が上がると話されていました。
チューンアップとライディングテクニックという壮大なテーマに取り組んでおられる、お侍さんがおられました。



私の前職は製造屋ではありませんでした。品質管理屋だったのですが
専門は新製法、新材料の鉄鋼と非鉄金属における部品品質です。
本田はエンジンやボディのような主要な部分を除いて、部品メーカーに製造を手配していますから
取引先メーカーの製造する部品品質を本田スペックに合わせることが仕事でした。
したがって会社に居ては何もわかりません。
メーカーの製造現場へ出張して製造工程を調べて重要管理項目を洗い出すことが品質管理の手法の一つでした。
そのため、単独ではなく設計や資材の担当者も交えてメーカーの会議室で打ち合わせして量産につなげていく作業を全ての重点管理部品に対して行っていたので、自分で製造はできないですが製造工程に関しては他の社員よりも熟知していたと思います。
それも25年前のことですから、技術は日々進歩しているので今は当時より高度な製造工程を展開されていることが予想されます。

そんな私は資金ない、技術ないという四面楚歌な状況から考え付いた方法でマフラー製作に取り組んできましたが、今回も人には説明できない内容を盛り込んだ新型のエキパイを公開します。

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マシンベンダーも金型もありません。
量産メーカーが持っている設備は皆無です。
お金を払ってメーカーに生産して貰えば考えることはないですが
仮に1千万円投資して1千万円売ったとしても収支はゼロですから
そんなことはしないで、一台分の材料費だけで形を作ろうとしているのが本プロジェクトの目的です。

手間げはパイプ径が太いほど、曲げRがちいさいほど難しくなります。
内側50Rで曲げていますが、90°以上は私の技術ではパイプが潰れてしまうので無理ですね。
チタンパイプφ35なら2mで一万円くらいしますから無駄にはできないので慎重に扱います。

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エキパイの仕様はライダーの意見を聞いて
ノーマルからどのように変えていくかを
自分の経験値で決めています。

細かいインプレッションはベンチテストではつかめないと思いますので実走確認しかないと思います。

今回は口元の成形方法を新製法にてトライしました。
形状を見て製法を想像してみてください。
あなたならどうするでしょうか?




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2017モデルKX250Fは16モデルから設計変更されているので
先日お預かりした車両を元に治具製作しました。
そのため、車体合わせは一度もしておりません。
これで問題なく取り付くと信じております。
(信じられるのは自分だけ)


オートバイのサイレンサー、キャブトンやメガホンなど用途別のデザイン違いはあるにせよ
主流は丸断面の消音機が当たり前でした。
ところが80年代終わりころから楕円か長円断面のサイレンサーが出始めたら、楕円断面の方が主流になり、2010年代は異形断面へと移り変わりました。

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弊社も90年代からオーバル断面で作るようになったら、お客さんのリクエストは100%
オーバル断面とテーパーのリヤエンドということになっていました。

しかし、2スト全盛時代を知る人は
オーバルが似合わない
または不必要なデザインととらえていると思います。

なにせ排気ガスの拡散するイメージは
インナーパイプに対して放射状なのですから、真円パイプ中に拡散させるのが理に適っていると考えられます。


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では何故、オーバルが主流かというと
特にオフロード車は車体幅が狭い方がライディングポジションに影響を与えないですから、サイレンサーの容量アップに伴い
上下方向に容積を増やすデザインを考案したものでした。

幾何学的観点から
断面形状の周長(板取り寸法)が同じで、多角形の場合、角数が多いほど断面積が多く
真円で最大となる。
また三角形が最小である。

このことから材料あたりの容積が大きいのは丸断面ということになります。


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これはDT200WR用ですが、
弊社オリジナルはオーバル断面ですが

お客さんの要望で丸断面にしました。
本来はこちらの方が理想的な形状だということをお伝えしたいです。


シンプル・イズ・ベスト

日本の近代史が最も変革を遂げた時期は幕末から明治維新のころだと思いますが
特に鉄鋼の製造という分野において横須賀製鉄所なくしては語れないでしょう。

徳川幕府末期の勘定奉行、遣米使節団目付役を務めた小栗上野介忠順が中心となって
フランス人造船技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーを代表とする技術者たちに依頼して
日本で初めての近代的造船所を横須賀に建設したのは慶応元年(1865年)ということです。

名称が「横須賀製鉄所」と呼びますが鉄鋼の精錬ができたのではなく、軍艦や外国船舶の修理を行う
ドライドックという設備が主な事業であったようです。
当時は鉄鋼材料も工作機械も輸入に頼っていましたので西洋並みの機械技術に追いつくことが命題であったと考えられます。
そのなかでも日本の製造業として最も歴史的価値があるのはオランダ、ロッテルダムから輸入したスチームハンマーだといえるでしょう。

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3トンスチームハンマー

江戸時代に初めて導入された鍛造マシン

ヴェルニー記念館に展示されている、この機械は130年間現役で働き続け
90年代末期に発注を受けた仕事は
空母インディペンデンスの部品であったということから難易度の高い特注部品の成形が可能だったということが驚きです。

その後解体されショットブラストで錆落としや全部品の点検、再生を経て、当時の風合いに近い塗装を施して
この記念館の建設中に据え付けられたそうです。
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0.5トンスチームハンマー

同年式1865年製を示す鋳出し文字が巨大アームの側面に刻まれています。

江戸時代の役人や鍛造職人たちが、この刻印を読んだに違いないことから
自分も同じ物を見ることができるロマンがここには存在します。



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横須賀製鉄所にて3トンスチームハンマー稼働中の写真は70年代のもの

大きなヤットコで1200°Cに加熱した鋼材を二人掛かりで抑えます。
後方の台に乗った作業員がレバーを操作してハンマーの上下運動をコントロールします。

動力は蒸気機関でハンマーの上部にあるシリンダーに蒸気圧を送り込むバルブを手動で操作してピストンを昇降させる構造です。

江戸時代にこれを動かして造船所で使う設備の部品を製造することから始めたマザーマシンなのです。
そのころの動力は牛、馬、水車と人力しかなかった日本にとって圧倒的かつ革新的な機械だったのです。

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製品の例ですが

フックの鍛造工程を表しています。
金型に素材を置いてハンマーで打った状態は上下の金型の隙間にフラッシュ(バリ)が
はみ出します。

これを上にある型でプレスして、バリ切り一発成形します。







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これはフックの素材が丸棒であることを表します。

φ50くらいの丸棒の先端を叩いて尖らせてあり
金型に合わせたカーブに曲げるところまで
ハンマーで成形します。
その後、金型に置いて一発成形します。

そして上のバリ切りの型に付け替えて次の工程へ移行するわけです。






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日本政府は、このように歴史的に意義の高い重要文化財を保存する活動に動き出しています。

やはり実物が保存されていることが、人々の意識に残すことができる唯一の方法であろうと思います。

古さと性能の高さ、
これを作った人の知恵と労力

そして日本の近代化の先駆けとなった革命の動きに
ただ感動を覚えるのです。



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ヴェルニー公園の対岸に横須賀製鉄所の敷地があり、当時から現役のドライドックが並んでいます。

海上自衛隊の潜水艦が碇泊されていますが
噂によると世界最高の潜航能力を持っているらしく(軍事機密)
中国や北朝鮮の潜水艦は、これに狙われることを恐れて攻撃できないと言われています。





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東京湾岸から三浦半島を横断して
相模湾岸へ足を延ばし

油壷マリンパークへ行きました。


イワトビペンギン

癒されます。
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カリフォルニアアシカ


何も演技なし










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スケルトン標本

見事な染色技術に息を呑みます。













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チョウザメの群れ


原始のサメだそうです。










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ミノカサゴ

この世のものとは思えない美しさ













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生き物は
どんな人工物よりアーティスティック







下はニホンウナギ
絶滅危惧種






もうすぐ年末ですが、最後にいい物見れました。











日本で買える最後の2ストオンロードモデル、ニンジャ150。
タイ・カワサキ生産なので正式には外車を輸入したそうですが、既に100台以上のオーナーがいらっしゃるらしいです。
エンジン外観から推定して、KDX125SRを基本に新規金型でダイキャストしたシリンダーとケースです。
フレームは高張力鋼管製のメインパイプがツインスパーのダブルクレードルで剛性が高そうです。
前後サスペンションも減衰調整なしのシンプルなもので、ノーブランドの油圧ディスクブレーキなど
車両価格を抑えるアイディア満載の廉価盤モデルですが
その走りはと言いますと、一般道では十分に危険な領域のスピードが出る動力性能です。
日本の道路事情では、この排気量が最も真価を発揮できるサイズではないでしょうか。
4スト250モデルは完全に凌駕する加速性能と軽快な操縦性です。

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今回お客さん持ち込みの車両でワンオフ製作するエキゾーストのため

エンジンキャラクターを確認するために
近所のテストコースで試乗してみました。

ノーマルエンジン特性を頭に叩き込んで
新設計するわけですが
見本はありませんので世界に一つのエキゾーストになると思います。(安いけどね)

調子よかったらラインナップに加えると思います。
外国製のアフターパーツは出回っているらしいですが、サーキット向けで
日本の道路を走らせるには問題があるようです。

エンジンキャラクターを決める数値として排気量とボア/ストローク比がありますが、実はこれだけでは不十分で同じ排気量、ボアスト比でもポートタイミングや圧縮比が違うとまるで違う性格のエンジンになるのです。
ボアとストロークの寸法が同じエンジンをスクエアと呼び、それよりストロークの長い、短いで
それぞれロングストローク、ショートストローク(オーバースクエア)と呼んでいますが
一般的にロングストロークはトルク型と思われがちです。
トルクはクランク中心からクランクピン中心までの距離(ストロークの半分)×ピストンヘッドに受ける燃焼圧力で決まります。
ここにはピストン重量とコンロッド重量とフライホイール重量による慣性力とシリンダーとピストンの間で起こる摩擦抵抗が加算されますので
コンロッド長(ピストン側圧に影響)やピストン重量、ピストンクリアランス、潤滑オイルの種類など
部品毎の仕様がすべて影響してくることになります。

しかし、販売店や一般ユーザーはエンジン部品を寸法差まで指定して購入することができません。
規格の範囲内で違う寸法の組み合わせが届けられるわけです。
だからエンジンの当たり外れが生じてしまうのです。

ところがメーカーの試作部門やワークスマシンでは精密測定された複数の部品の中から、最も有利な寸法の部品を選択して組み合わせることができるのです。
たとえばラジアルボールベアリングなどは、回転時の偏りを無くすために転がり抵抗が増大しない範ちゅうで隙間を詰めて作ります。
リテーナーを加締める前にインナーレース、アウターレースの摺動面とボールの寸法を精測して選別してから組み立てるので指定の隙間のベアリングが作れるわけです。

ピストンクリアランスも近年主流になっているメッキシリンダーでは焼き付かない程度のきつめにホーニングします。水冷でアルミシリンダーであれば温間時のクリアランスが安定しているので、
ピストンの首振りで側圧が増大したり、機密が漏れるのを防ぐための寸法管理ですね。

量産車ではそこまで手間が掛けられませんので、オーナーに納車される物には若干の違いがあるものだと言えます。
ただ別の個体で乗り比べしないから分からないだけですね。

某モトクロス全日本チャンピオンが量産のチャンバー10本取り寄せて全部乗ってみたら、全て違うフィーリングだったというから、一番気に入ったものだけ選んで使っていたという実話があります。

さて、このニンジャ150ですが
オーナーが訴えていた「水温が全然上がらない」という意味がわかりました。
コストダウンか熱帯地方向けかわかりませんがサーモスタット無しなので
冷却水がお湯になるまで時間がかかるのですね。
適性温度は60℃と言われていますから
その温度になるまで暖気運転が必要です。
冷えたエンジンでは適性クリアランスが出てないためにエンジン回転が重くパワーもありません。
そして、アイドリングでは水温が上がりません。(サーモスタットないので)
暖気運転からガンガンエンジン回しましょう。そうすると結構短時間で暖気できます。

水温計はラジエター下部に設置されているようです。だからメーターの針はあまりうごきません。
ラジエター上部やシリンダーヲータージャケットを直接触れて温度を測るとわかりやすいです。
オンロード仕様の味付けのためか低速トルクは期待できないものです。
ノロノロ運転は全くつまらないパワーですが
7000rpmあたりからパワーが出てきます。
10500rpmからレッドゾーンなので7000から10000rpmが美味しいパワーバンドでした。

10500rpmまで引っ張ってシフトアップするより8000rpmあたりでシフトアップした方が加速がよいでしょう。
引っ張ってしまうと、それ以上伸びないので、最大トルク付近の8000から8500rpmを狙ってシフトアップすることが、このエンジンを最大限速く加速させるコツでしょう。

注文は伊豆の峠を走るときにレッドゾーンまで回さないでいいように中速トルクを増やしてほしいということでしたが、研究開発できる予算や設備はありませんので、そういう細かい注文にはお答えできませんが
同系列エンジンと思われるKDXのノウハウでいくと、申し訳ありませんが、新作するエキゾーストでは
全域パワーアップになってしまうと思いますのでご了承ください。
3大トレール車中最も取り回しが難解なRMX250Sは2000年に治具製作してラインナップに加えていました。
16年間で100本以上売れたと思いますが、2000年の治具はそのままにチャンバー形状の見直しを再三行っていました。最後に実車確認してから10年くらい経過していて治具では詳細なクリアランスが
分からなくなってしまいました。
そこで旧式車ということもあり1年以上受注が無ければ廃番にする予定でした。
しかし、最近になって複数の注文がはいり、不明確なまま取り付け不良になっては困ると思ってお断りするつもりでしたが、幸運なことに車体合わせで作ってほしいという申し出がありました。

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先ずは従来とおり治具に合わせてチャンバー製作し、
車体に取り付けて確認するという手順にします。

微調整が効くように、溶接仮止めの状態で
車体に合わせてから本溶接します。


接合部が1mmずれてもテール部は1cmくらい違ってきますので、仮止めの状態が重要な工程になります。




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本溶接してマウントブラケットも取り付けてから実車に装着確認です。

フレームやウォーターホース、オイルポンプカバーなど隙間5mm?10mmくらいで完璧な取り回しになっていました。
これ以上内側には追い込めませんので
ベストな形状だと思います。







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フレーム下側のマウントが無くなっていましたので、アルミのカラーにゴム板を巻いて
オリジナルマウンティングブラケット作りました。

チャンバーマウントは2点止めでは振られてしまうので3点止めが理想です。









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現在めっき処理は受け付けていません。

錆止めに耐熱クリア塗布して発送するようにしています。

ついでにエンジンかけてブリッピングしてみました。
2スト250ccの甲高いサウンドです。
高回転もよく回るのでメインジェット上げられるかもしれません。
この車両、林道よりオフロードコースで乗る機会(エンデューロ)が多いそうなので調度いいパワーでしょう。






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これは80年の世界GPかな。
アキラ・ワタナベ
ハリー・エバーツ
マーク・バルケニアス

125ccモトクロッサーのワークスマシンが水冷化された年で、翌年市販車が一斉に水冷エンジンで発売になりました。

日本人として誇らしい表彰式ですが
渡辺さん以降世界GPで優勝できるライダーが一人も出てこないとは、当時予想できませんでした。




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今度の日曜日がクラブマンMX最終戦ですが私にとっては、この20年で最も重要なレースとなります。

それなのに天気予報は雨、
おとといの雪でコースは酷い状態なのに追い打ちをかけるような仕打ちです。

タイヤはソフトパターンの新品がいいでしょう。
しかし、MXタイヤの定価を見て驚きます。
この値段で買っている人はいないと思いますが、ネットの影響でタイヤ価格は値崩れしていて定価の半額くらいが相場のようです。
私は業務用なんで部品同様に注文しておけば翌日届けられるので簡単です。
ネットより運送代が掛からない分、安価だと思います。

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雨と決まっていれば迷う必要がないので

あとは当日走るだけです。

泣いても笑ってもあと2ヒートでランキング決定です。
最終戦までもつれ込んでしまったのは私の力不足ですが
50過ぎてからのMXをどのようにやっていくかが課題なので苦戦することも楽しみのうちと思えば気が楽になります。

今日は良くないニュースですが、原発の廃炉費用が当初の800億円から数千億円に膨らむということです。
最初の試算の根拠がなかったのか、それとも瓦礫の撤去に800億で本格的廃炉作業はこれから始まるので増額されるという見方もあります。
これには事故の賠償は入っていませんし、全国に54基もある原発の廃炉はこれからのことで
発電もしなくなった原子炉に40年かけて何10兆円もお金を払い続けるなど、最初からわかっていたはずなのに、なぜ原子力発電に着手してしまったのか。
それだけでなく核の廃棄物処理も全く決まってないまま、川内、伊方と再稼働してしまった。
有権者は全く無力です。
戦後CIAと中曽根康弘さんが組んで原発を推進したらしいですが、推進した本人が「原発計画は間違っていた」とコメントしておられるのですから、他の国民のうち誰が正解だったと言えるのでしょうか。

私の推察ですが、原子力開発に一歩リードして最初に核を持ってしまった米国が、被爆国日本に対して
憎悪しかない原子力に対して未来のある幸福のエネルギー政策であるかのように意識改革をさせたかった。
これは見事に成功して一時は資源の無い国日本にとって起死回生の政策として多くの国民が賛同したでしょう。
それから安倍総理も言っておられるとおり、原子炉の運転によって生成されるプルトニウムは核に必要な原料であり、日本にはロケットを飛ばす技術もあり、核保有国と同等の技術力を持っていることで抑止力になる。
(国内で核兵器をもたなくても原料や技術は輸出しています。使用済み核燃料を仏に送っている等)
そして原発を建設された僻地の住民に対して、産業に乏しいことをいいことに交付金という飴を見せて
悪魔の契約を結ばせる。
問題さえ起こらなければ原発周辺では夢のような甘い条件ですから、屈服させられる気持ちはわかりますが、有事の際の避難計画は「絵に描いた餅」、伊方の現地見ましたけど、絶対無理です。震災で炉心が壊れたときは、おそらく被害者を見捨てる気であることは明白です。


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営業色のないホームページですが
たまにはコマーシャルしましょう。


僕はあまり興味ないんですが
(実車持ってないですからね)

よく頼まれるのがKDX125サイレンサーです。
チャンバーとセットの場合もありますが
チャンバーはややこしいのでラインナップじゃないと申しておりますので
サイレンサーのみ受け付けております。

治具に合わせて取り付け位置を決めています。
原付2種ですから、2スト廃止後も保有台数が減らないのだと思います。
量産はしないですが毎月少量作っているので主力商品になってきました。

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バフがけして完成です。

自家製のバフですが
研磨だけの依頼は引き受けておりません。

研磨専門店の方が仕上がりがいいですからね。



出口の形状





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サイドビュー


価格は¥12300 と

送料¥1000(本州) で

合計¥13300(税込み)

たまに面識のないお客さんから
「もっと安くできんか」と言われるので
あなただけ割り引かなければならない理由がありません。
どちら様も平等でお願いします。
愛媛県人として20年間生活しましたが、行ったことない場所の方が多い自分ですが
今更のように故郷の景色を見ておこうと思い立ち、今年中に入っておこうと決心したことが実現しました。
それは、伊方原発3号機の再稼働が決定し、先日の熊本、大分大地震を受けて同じ中央構造線断層帯に近い伊方原発がM8.0クラスの地震に見舞われたとき、あの故郷に近い絶景を見ておけば良かったと後悔しなくて済むようにしておきたかったのです。
愛媛県知事が「福島第一原発事故のようにはなりません」と言って四国電力に原発の再稼働を許可した理由を述べておられましたが、全然理解できてない説明であったと言わざるをえません。
そもそも福島第一が炉心溶融に至った過程は解明できていないはずです。
冷却水を回すポンプの非常用電源が津波により浸水し、電源喪失したことは間違いないですが
それ以前に高濃度汚染水が循環する配管が無傷であった確認はできていません。
一部でも配管に破損があれば電源喪失していなくても冷却水は漏れた(即ち冷却不能)可能性があります。
それに東電管内は原子炉設備の事業者はGE(ゼネラルエレクトリック)の沸騰水型軽水炉。
四国電力は三菱重工、3号機にいたってはWHウエスティングハウスエレクトリック)の共同事業の加圧水型軽水炉ということで冷却水配管の構造も別だというのに、耐震対策をした、津波は8m以下の想定だから大丈夫、強固な岩盤の上に建設したので地震から受ける揺れは緩やか等々、自然の脅威を楽観視した説明しかされていません。これで安全が証明できたわけではありません。
しかも伊方町住民の避難ルートは地震や悪天候を受けてない平常時の道路事情や三崎港からの海上交通手段で想定されていまして、一本しかない国道は急斜面に造成されておりがけ崩れや崩落が無いとは言い難い。
津波を被った港湾にまともに船舶が使えるとは考えられない。
住民の大半は高齢者で自力での移動が困難。
こんな状況で原発が被災したことを考えると、この場所で原発を再稼働できる心理が理解できません。

そうは言っても今の私は埼玉県人、伊方町に行ったことも見たこともありません。
なるべく早いうちにと思っていましたら、先週ちょうど実家で法事がありましたので、この機会を逃したら
今度いつになるかわからないので強行スケジュールで行ってきました。

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高速道路を走ったのでは田舎を見たことになりませんので全部国道を走っていきます。

小松町の実家からR11を松山方面へ
桜三里のワインディングは学生時代と変わらぬ景色。
愛媛県庁前で止まって撮影です。
松山城の城山と路面電車と県庁が同時に写るスポットは日本でも稀でしょう。

実はこの時から雨が強くなってきて、合羽無しでは無理な感じになってきました。
ここまできたから引き返すつもりは毛頭なかったですが、過酷なツーリングの始まりです。

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最短ルートは松山市から伊予市に向かい海沿いのR378を大洲市まで走ります。
伊予灘を右手に見ながら中速のワインディングが続きますが雨は本降りとなりアスファルト路面は川のように水が流れ、フルフェイスのシールドも水滴で視界不良という悪条件ですが
自分の腕を信じてスリップやオーバーランで対向車と正面衝突だけはならないように慎重に走行してきました。
全然余裕ない感じで道中の記事はありません。

佐田岬半島付け根からR197問題のルートへ入っていきます。

まもなく伊方原子力発電所の看板が見えたので右折して半島の北側斜面へ降りていきますと原発建屋が見えました。
ここは一般者立ち入り禁止の斜面を降りて山側から撮影したのでパンフレットにはない角度です。
不気味な静けさと山側から人が侵入することは困難な場所です。
今は立派な道路が建設されていますが建設資材は海からの搬入だったでしょう。
これだけ大規模な施設ですから柑橘類の栽培や漁業しかできない過疎の集落でも雇用が生み出せたことが想像できます。

CIMG5814.JPG途中、半島の尾根には風車が連なって設置されているのが見えてきて
霧に見え隠れする巨大風車が幻想的でもあります。

原発誘致する代わりに自然エネルギーも積極的に推進する姿勢も見せているようですが
この日は風車全然回っていませんでした。
おそらく発電量ゼロでしょう。
見かけは大がかりですが効果の方はいかがなんでしょうか。




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公園に設置された支柱が確認できます。
根元の直径は3mくらいでしょうか。
そして高さ3mくらいの鋼鉄のパイプを25個溶接で積み上げてある支柱です。
なので推定高さ75m
羽一枚の長さも支柱の半分弱ですから25mくらいと推察できます。

地下の構造は見えませんが、これだけ大きな物が安全に立っているためには地上と同じくらいの重量物が埋設されていると思いますが地表部分の連結はM30くらいのボルトナットが200本くらいでフランジを締め付けてありました。
発電機のメーカーは原発と同じ三菱重工です。

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R197通称「佐田岬メロディー道路」の途中で半島の横幅が1kmくらいになる場所があって北側に瀬戸内海(伊予灘)
南側に宇和海が同時に見えます。

晴天なら青い空に青い海が見えるわけですが、この日は霧にけむる半島です。
両側が急勾配の斜面で建物は全く見当たりません。






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崖下の海面をみると、綺麗な海水で
岩礁や白い砂が確認できます。
潮の流れは急ですがよい漁場らしく
漁船が大勢で操業していました。












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さて、国立公園となっている佐田岬灯台の駐車場に辿りつきました。
ここからは徒歩で完璧に整備された遊歩道を1.8km徒歩で岬の先端へ向かいます。

遊歩道の途中で海岸に降りられるようになっていて、この絶景が現れます。
しばし見惚れてしまいました。

左の岬の向こう側に灯台が見えるはずです。




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やっと白亜の灯台が見えました。
神々しい眺めです。

大正7年(1918年)から投光開始されているそうです。

昔の人はこんな足場の悪いところでも立派な建造物を作る馬力があったのだと思うと感動しますね。
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こんな雨の日にわざわざ佐田岬を目指す2輪ライダーは私だけでしょう。
だから晴天の青い海が写り込んだ画像しか見たことないので、雨の灯台の景色が逆にめずらしいでしょう。

晴れていれば豊予海峡の対岸に臼杵市や大分市が見えるらしいですが(14km)この日は霧で真っ白です。

ここは岬の山頂部で椿山という展望台から見た景色です。




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今日の相棒はヤマハR25です。
小松町の実家を出発して
ここまで4時間走りっぱなしです。
合羽を着ているとはいえ水が浸みてきて全身びしょ濡れになり
スリッピーな路面で体重移動を繰り返しながら、メシも食わずに走ってきたので疲れてきましたが、また同じ距離を走って帰らねばなりません。







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再び雨のツーリングで全く余裕なく道中の記事はありませんが

一つだけ見ておきたい場所がありました。
「元日本で最も海に近い駅」として知られる予讃線「下灘駅」です。

1990年代に海岸を埋め立ててR378を整備するまで日本で一番海に近い駅だったそうです。
晴れなら青い海の絶景だったはずですが、
やはりネズミ色の海でした。
この景色も逆にめずらしいですね。


伊予市から伊予大洲駅まで海側を走る予讃線の支線で伊予市から4駅目にあります。

このあと松山市からR11を弾丸で走って家に着いたら、850km埼玉へのナイトランが待っていますので体が休まらない週末でした。
444サイレンサーの続きです。

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サイレンサー本体は組みあがりました。

まだまだ完成ではありません。













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マウントステーをこしらえます。

純正同様のラバーブッシュは支給品ですが
純正パーツリストに品番はありません。

マフラーCOMPに組み込まれた部品なので
ブッシュ単品の設定がないのです。

これはゴムメーカーに発注して製造していただいた部品だと思います。

ラバーブッシュはカラーに圧入しますが
圧入荷重のデータが無いために
カラーの内径を精密に加工しなければなりません。
内径が小さいと圧入できません。
内径が大きいと緩くて抜けてしまいます。
圧入荷重を適切にする加工寸法は私独自の理論がありますので、今回はそれを活用して行います。

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ブッシュの圧入は最後に行います。
圧入後溶接だとラバーが燃えて無くなってしまうためです。

そのためダミーのブッシュを作ってカラーの位置決めと仮溶接を行います。









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シートレール下のマウントステー

こちらは純正のラバーマウントステーを用いて位置決め(仮止め)します。

仮止めの熱でもゴムが焼けてきますので
本溶接は車体から取り外して行います。









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ラバーブッシュ圧入

完璧な圧入荷重でした。
けして外れることはないでしょう。












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マウントステー溶接完了。

これにて444サイレンサー全行程終了します。

ホーリーさんとこで塗装して商品化される予定となります。





誠に勝手ながら今週末からしばらく連絡とれないとこへ行くため、ご用の方は29日以降にお願いします。

日曜日のMXVは予想に反して雨も散水もないドライコンディションで本来走りやすいはずなんですが
自分の問題でダメなレースでした。
全然荒れてない路面なのに2回も転倒した250クラスと熱中症気味でペースダウンした450クラス
どちらも5位でしたが参加台数が少ないので30台出走なら10位とか20位くらいの結果でしょう。
このまま沈んで行きたくはないですが、老化だと受け入れておきます。

さて今週はこれです。

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444サイレンサー純正もどきです。

鉄板を巻いて作ります。

前後キャップは金型作って型押しする予定です。










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別件ですが、これは金曜までにやるんです。

長いエキパイを切り詰める作業ですが
エンジンも含めて完成形は無いみたいです。
できたものに対して常に新な要求が生まれてきて終わりがありません。
急な依頼は普通はお断りするんですが、
半年待っておられるお客さんもありますからね。
ちょっとこれはお断りしにくいといいますか
命令に近いものがありますので
なにがなんでも金曜までです。
(大したことしないんで大丈夫かな)


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サイレンサーエンドです。

丸棒から削った金型オス、メスを使って型押ししました。

板取寸法も成形を左右する要素なので
若干のトライが必要です。

与えられた見本の形状に沿った作り方を考えていますが、経験や知識はゼロに等しいので悪戦苦闘の連続です。(大袈裟な表現)




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サイレンサー・フロントキャップです。

プレス成形ではありませんが
サイジング用の型に押し込んで叩いて作りました。

パーツ毎に作っていますので
構成部品が揃ってから一気に組立てます。








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ちょっと残業してエキパイの切り詰めやっておきました。

CRF250は、やってないですからどんな仕様かわかりませんが、これで走りがよくなればお安いものです。










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ジョイントパイプ

砂詰めない手曲げです。

パイプエキスパンドは型押しで











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セパレーター

当然必要な構成部品です。

わかりやすく先に入れた図になっていますが
サイレンサー側に入れて溶接してから差し込まれる順番になります。








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パンチング

中身は防錆のしようがないので
0.8mmステンレスで巻いています。
もちろん鉄より固いです。




シンプルなサイレンサーですが
構成部品はまだまだあります。


80年代CR125の無限キットに使われていたピストンは444流用でした。
狭山レーシングで83の無限シリンダーを貰ったので、朝霞の無限本社までピストン買いに行った記憶があります。
444は市販車でもポーラスめっきシリンダーだったのですね。
それから世紀の失敗作フロント23インチもこの年(79年)だけの仕様。

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これはホーリーさんからの預かり物で
無限のファクトリーマシンらしく
前後サスペンションやチャンバーが量産とは違っています。
フロントも21インチに換わっています。

これが発売されたころ私は高専の2年生で
学生寮の勉強部屋にこれのカタログを貼っていましたが、高嶺の花で実車を見たのは
五明(松山オートテック)でしかありません。

まだどこの会社に入るかもわからない時代でしたから、これも何かの縁でしょう。



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今回はこの無限パイプの複製を頼まれましたが、プレス成型でなくハンドワークの手巻きと膨らましで似せて作ろうとしています。

量産型とは全然違う形なのでこのマシン所有しているレストアラー向けの補養パーツになるはずです。









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このパイプも激しく腐っています。
なんとか補修して使い続けようとした痕が見えますが、ここまで腐ったら諦めたほうがよいでしょう。

その代わりに寸法図って新品複製します。










CIMG5736.JPG

こんな感じで型を決めている最中です。

オリジナルもそうですが、ハンドル切ったときにフロントフェンダーが擦ってしまうので
なんとかギリギリ交わせたらいいのですが
難しいところです。



サイレンサーも横から突っ込まれて曲がっているので復刻する予定です。
これは位置決めの治具代わりです。




CIMG5737.JPG

なかなか似ているでしょう?

この型で行こうと思いますので明日から生産に掛かります。

完成までお待ちください。

廃番になった国産トレールモデルの代表格。
2スト生産終了になってからチャンバー作り始めて18年くらい経っています。
年間50台くらい生産とすると生産台数900台を超えていると思いますが
まだ初めて付けてくださるお客さんがおられるのですね。

CIMG5726.JPG
作ったらすぐ出荷してしまうので
CRMとRMXという2機種が揃っている図は珍しいので画像撮っておきました。

用途はナンバー付トレール車のエンデューロから林道ツーリング、公道専用と様々なシーンが想像されます。

レーサーモデルのマフラーではこのような長期間売れ続けるものは無いだろうと思いますので、ウチの主力機種ということになるでしょう。


                  
スチールチャンバーを初めて装着する人も少なくないようで
錆などについての質問を受けることがあります。
普通の商品なら買ってきたままで装着するわけですから、塗装もしてない鉄板は大気中で錆びてしまいます。雨や泥水を被ると即日赤錆になるでしょう。
レース用チャンバーなら未塗装というのが私のポリシーです。全開走行して焼いておけば錆の発生を防げるからです。
頻繁に整備もしますからチャンバー外して磨くことも手入れのうちと考えているのですが
一般の人はなかなか面倒でそんなことはしないと推察されますので
買っていただいたチャンバーがどこかで錆び錆びになっているのは忍びなく思うようになり
出荷時は耐熱クリア塗装してありますので大気中で錆びることはありませんが
排気熱やタイヤからのチッピングで段々剥がれてくるとは思いますが、そのときは剥離して再塗装すればよいでしょう。

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先日サスペンションのブリッツ・Sさんとこへ納品にいったとき
オーナーの中村ホールディングスさんが所有のハーレーダビッドソンFLH1800からインジェクターが外され、インジェクターの洗浄に出す話をしていたので
「私のもやってもらえませんか」と頼みましたら快諾してもらえたので、早速インジェクター外しました。

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4輪ではポピュラーなチューニング方法らしいですが
2輪も吸気系の構造は同様になっているので当然やるべきことだと前々から思っていましたが、なかなか機会がなく放置しておりました。

キャブレターでいうとメインジェットとニードルジェットのような役割のインジェクターですが
精密な部品なので僅かな消耗や汚れで性能が変わってしまうでしょう。

症状としてはインジェクター内のフィルターやノズルが詰まってパワーダウンします。
エアクリーナーに設置されたエアフローメーターで吸入空気量を計測しECUで瞬時に計算された燃料を適切な空燃比で噴射するという離れ技を行っているわけですが、電気的な信号を信頼するならインジェクターは動的な機械部品なので信頼性を保つことがエンジンの性能を発揮するために必要だと考えます。


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これがCRF450のインジェクターです。

フューエルポンプで一定の燃圧がかけられた状態で
インジェクター内のコイルに通電されると
ソレノイドが動いてプランジャーを開いて
燃料を噴射するというしくみです。

したがってプランジャーの開放時間が燃料の噴射量を決定するということなので
今回はその通路を洗浄して
設計通りの流量がえられるようにするという目的です。

施工業者さんから実施前後のデーターもメール送信されますので効果が可視化できます。データーは燃圧2.5ber時の噴射中画像と1分間の消費量で比較したものになるそうです。
燃料消費量が増えることで、元の状態よりスムーズな流れが得られたと考えられるわけですが
パワーアップと同時に燃費が悪くなるとお考えの方は誤りです。
例えば常用回転域でエンジンパワーが低いと余計にアクセル開けて回転数を増そうとしますから
これが燃費の悪化につながります。低速から十分にトルクが出せれば加速もよくなるので
結果的にアクセル開けなくてもよく走るということになるでしょう。

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インジェクター内部は壊さないと見れませんのでノズルの部分だけ観察しますと
このような穴が開いています。

ステンレスの板におそらくレーザー加工された精密な穴は
この機種ではφ5のノズル径に対して、推定φ0・2mmの穴が12個開いています。

この穴径と数が燃料の微細化と流量を決定していることから
吸入空気と吸気ポート内で混ざり合い燃焼室へ取り込まれる工程の要の部分であると言えます。

本田技研工業という会社の身分制度、江戸時代に例えるなら
現役の正社員や定年退職した人は武士、社長は将軍、所長クラスは大名とでもいいましょうか。
主任以下は下級武士、昇進したければ上司の気に入るように振る舞わなければなりません。
限られた特権階級の武士は豪商と癒着して私腹を肥やす。
そんな、ごますりや不正行為を見ながら、腐りきった会社組織から脱却したいと考え
武士を辞めると表明したらどうなるか、禄は取りあげられ屋敷も没収、無一文で世の中に放り出されることになります。
身分は都会なら町人、田舎なら百姓(農業従事者を指す言葉でなく、職人やその他の事業も含む)になります。
私は下級武士から足を洗って町人(手工業)に変わったので武士である本田技研工業の社員さんとは身分が違うので、対等にお話しすることはできないことをご了承ください。

最初の配属先の品質管理室に他の事業所から配属になった社員は初日の朝礼で挨拶するのですが
朝霞研究所から転勤してきた人の自己紹介でこんなのがありました、
「NR500のレースメカニックでR・ハスラム車を担当していました」
一見花形職業のように思えて、新人だった私は、すごい職場だなと思っていましたが、
朝礼の空気は冷ややかなもので「それがどうした、会社のカネで遊んでいたんだな」
「ここは量産車を製造する工場だからいままでのようにはいかないぞ」
そんな無言のプレッシャーを職場内に感じていました。
レースメカニックや開発業務というのは自分の意志でなく、たまたま配属先がそこだったというだけで
そこで才能を発揮するか落ちこぼれていくかは個人の技量の問題。
プロジェクトが解散すれば余剰の人員はよその部署へ移動になる。
与えられた仕事は全て経営側の企画に基ずく命令であるから、幸運にもレーシングマシンの担当になったとしても、いつまでも任されるわけではなく、いつかは辞令がきて移動になるのが会社員の宿命です。
私も新工場のプロジェクト(栃木、イングランド)で何年も移動になっていましたから、この先も上司の思惑で移動させられて適性にあってもいないことをやらされるかと思うと、会社に嫌気がさしてしまったのが退職の理由です。
定年まで勤め上げた人は相当我慢強いか、独立してやりたいことがなかったのでしょう。
いずれにしましても身分が違いますので、一定の距離は置いておかねばなりません。

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会社辞めてから始めた仕事なんで

会社員時代はこんなもの作れませんでした。

必要に迫られて考えてきた結果です。

曲ったパイプを自分の設計図に従って作っていきます。

これは2000年ころから作っているRMX250S(ストリート)
CRMと肩を並べる需要でしたが
近年は年間に数えるほどしか作らなくなりましたので廃番の時期が近いでしょう。

大体3年くらい注文のない機種は型や治具を廃却するようにしています。
治具置き場に限りがあるので、全く売上げない機種のために倉庫代をかけられないためです。

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パイプつなぎ終わりました。

15年も前に作った古い治具なので作り難いです。

現行車なら迷わず新型起こすところですが
RMXは絶版車なので
型の見直しをすることはないでしょう。







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2月ころ注文された商品ですが
完成のメールを送ったところ
支払いを待ってほしいという返事。

事情はわかりませんが、
通信販売ですから代金お振込みが無い場合は発送できないだけです。

大体1週間くらいが目途で対応なき場合はキャンセル扱いとさせていただき、以後請求はいたしません。

順番に作っているのですが次のお客さんに振り替えさせていただきます。
オートバイとは人が移動する乗りもの。当たり前ですが玄関から乗って好きな所へ行けるのがオートバイと思っているので、レーサーはオートバイとしての要件に欠如した乗り物です。(何処にも行けませんからね)
そのくせ私は一般道をオートバイで走るのが好きでありません。
特に信号機が多い道や自動車が連なって走っている状態が苦痛で仕方ありません。
それは自由がないからです。自分の好き勝手に走っていては、たちまち事故になってしまうでしょうし
見通しの悪い脇道や無法な自転車や動きの読めない歩行者などに注意しながら走るのでは、楽しみでも何でもないと考える人も多いのではないでしょうか。
だから、トランポなどで運搬する煩わしい思いをしてモトクロスに出かけるわけです。
一般道に比べれば相当な発散ができるからです。

そんな私でも場所と乗り物によっては楽しめる道路もあります。
愛媛の実家周辺などは、信号も交差点もない、歩行者も自転車も対向車も滅多に見ない
数えきれないカーブに勾配のきついアップダウンまである、ジャンプ以外の2輪テクニックを駆使して走るコースが多数存在します。
スピードなんか80キロも出れば十分なので大排気量車は持て余すだけです。
中型車でもちょっと重たい、原付一種ではパワーが足りない。
そんなロードには原付二種が最高だと思います。     

先日お客さんのKDX125SRのチャンバーを作って試乗したとき思ったのですが、一般道を走るに於いてこのエンジンは最高ではないか。
低速から充分なトルクを持って一気に高回転まで吹け上がるし、3速くらいで法定速度を軽くオーバーしてしまうので、全開しなくても余裕でスピードに乗れる扱い易さ。
そこで、こんな妄想をしてしまいました。
このエンジンを125クラスのロードレーサーのシャーシに載せて、田舎のワインディングを攻めたら、さぞかし楽しかろう。
トレールバイクでダートを走るのもつまらんだろうと思います。普段モトクロッサーで走っているので
性能の低いサス性能と走りずらい路面を想像すると、とてもやる気がしないのです。
絶景の景色を観るためにはダートバイクでも行けない場所が殆どですから、そんな場所は徒歩が一番です。

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最後の生産から15年以上経過していると思われるKDX125SRですが

原付二種なんで持ってても邪魔にならんのが人気の秘密でしょうか。
ステイタスにはならないですが
乗る喜びが他のカテゴリーのオートバイより広がる感じがするのですね。

お陰さまで、サイレンサーをラインナップに加えてからインターネットで探し当てて注文して下さるお客さんがおられるので、時々作らせていただいております。



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2ストトレール車は同じデザインで統一していますが

量産型ではありませんので
毎回ハンドワークで1個づつ作りますので
時間がかかっております。

このサイレンサーは2月にご注文で今頃完成しているのですから
長期間お待ちいただいているお客さんには申し訳なく思っています。





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2スト全盛期はマフラーのメーカーもたくさんあって、注文すれば直ぐ手に入る時代もあったようですが
絶版車のマフラーを新規に作っても
販売台数は期待できませんから
1個だけ注文に対応できる
超零細の我が社に辿り着いてしまうということなんです。

宗一郎さんじゃないですが、私の体が動く内は最後のお客さんまで対応していくでしょう。

人類にとって貢献度の高い発明を3つ挙げるなら自動車、コンピュータ、原子力発電と考えます。
その影響度を示す事例として3つの発明品は大量に人間を殺害していることが挙げられます。
自動車は交通事故、毎日どこかで死亡事故が起きています。
コンピュータはインターネットを通じて多くの犯罪手段に利用されます。
ISの兵士の勧誘もこれがあることで実現され戦闘やテロ攻撃で大勢の人が死んでいます。
そして原子力発電はその前に広島、長崎原爆投下、大国の度重なる原爆実験による被爆。これと同じベースの技術を発電事業に転用し
チェルノブイリ、JOC臨界事故、福島第一原発、次はどこか・・・
高効率、便利性と引き換えに現在も起こり続けている現実です。

中学生のころオートバイに興味を持ち、得られる情報は雑誌のみという環境の中
タコメーターとかセリアーニなどという初めて見る単語が出てきて意味も分からず記事を読みあさりました。
やがて文章の前後関係や用語辞典を読んだりして単語の意味は自分なりに解釈するようになりました。
バイク好きの同級生がカワサキZ750のTWINとFOURが発売されたときに
「TWINは2スト、FOURは4ストに違いない」と言っていたので心の中で笑いました。
こういうことは中学や高校では教えないので自動車やオートバイに乗らない人は大人になっても知らない人もいるようです。

それと同じように原発に関する知識も大学で勉強した人や発電事業に関わる人でなければ知らないことばかりではないでしょうか。
私もそんな原発無知の一人なんで2輪雑誌読みあさる中学生レベルに調べてみました。

伊方原発.jpg

佐田岬半島の根元、瀬戸内海側から見た伊方原発

先日熊本大地震が起きた中央構造線の真上に設置された原子炉です。

ここが同様な地震に見舞われたとき、どのような被害を想定するでしょう。

再稼働が決定した今、避難ルートだけは真面目に検討した方がいいと思います。


オートバイを知るとき、どんなメーカーがあるか調べましたね。
国内は4メーカーが常識ですが、日本の原発メーカーは3社です。
東芝WH(ウエスティングハウスエレクトリック) 加圧水型軽水炉(PWR)
日立GE(ゼネラルエレクトリック) 沸騰水型軽水炉(BWR)
三菱重工 沸騰水型軽水炉

炉の形態としては高速増殖炉(FBR)、これは2050年ころを商業ベースに開発中ですから実用化は未定の段階です。

福島第一原発事故以来、全国で43基もの原子炉が停止中で5年も経過しているのに、原発関連の社員は保守点検だけの役割で原発による売り上げは一円も無いにも関わらず給料を貰っているはずです。
もちろん一般家庭や企業からの電気料金から給与捻出されているわけで、関係ないと思う人もこれを維持するための資金を払っているのです。
知らなくても大勢に影響ないと考えるか、自分たちが払っている電気料金の使い道に対して注目するかは自由ですが、少なくとも国策でやっているエネルギー政策が我々の生活や未来を支えていることに興味を注いだ方が有意義ではないでしょうか。

福島は日立GEの沸騰水型軽水炉
伊方は東芝WHの加圧水型軽水炉 軽水は普通の水です。それに対して重水は中性子を減衰させる効果があるため量子線治療などに使われる特殊な水です。

加圧水型と沸騰水型の違うところは原子炉内を満たしている冷却水が沸騰して配管を循環している沸騰水型に比べ、加圧して1次冷却水の沸点を上昇させ高温になった冷却水で2次冷却水を蒸気にしてタービンを回す圧力としている点です。

前者は放射能化した水がタービンや腹水ポンプなどシステム全体を回るため、保守点検時の被爆に対する配慮をしなければならない。
後者は1次冷却水のみ放射能化するので蒸気タービン以降のシステムは低線量であること。

大地震の場合は強固な原子炉や格納容器が破壊することは考えにくいが、この冷却水やポンプを固定している部分が外れたり亀裂が入って、冷却水が噴出し建屋内が高濃度放射能で汚染された上、原子炉が空焚きになってメルトダウンすることが懸念さます。
新規制基準に適合したとしても予測不可能な大地震の揺れに一点の亀裂、破損が起こらない配管ができているとは到底信じられません。

現状では大震災に見舞われたときはアウトの可能性が高いので放射能が漏れた地域は双葉町、大熊町と同様な結果になると思います。
あの美しい故郷の景観も永遠に見納めとなることでしょう。
唯一つ出来ることは生きている間に原発を大震災に見舞われないように祈るだけです。

原子炉といえば核燃料が必要ですね。
どうやって核燃料は製造されているか。
やはり国内のメーカーは3つでした。
三菱原子燃料
グローバルニュークリアフューエルジャパン
原子燃料工業

原料となるウラン鉱石は外国から買い付けています。
おそらく三井金属のような商社がオーストラリアや南米の鉱山と契約して採掘してもらっているでしょう。
なぜ日本にウラン鉱山が無いかというと、日本の国土は地殻変動でできた比較的新しい土地だからです。
それに比べて太古から大陸だった土地は古い地層が浸食されて地中深かった層が地表近くに露出しているためと考えられます。レアアース、レアメタルの類も同様ですが
地球がドロドロと熱く柔らかかったころ宇宙から飛んできた隕石に含まれた元素で、比重の大きいものが地中深くに沈んで固まったものが鉱石です。
鉱石ウラン自体は放射能も低レベルで人体に被害を及ぼすこともないので、民間の工業地帯でウランの精製(化学的処理や遠心分離などにより不純物を取り除く)しても周囲の環境に問題ないとされています。
そうやって濃縮されたウラン235(同位体)は粉末にされて圧粉成形したペレットに加工されて鋼鉄の筒に詰め込まれたのが燃料棒になります。
鋼鉄の筒の内部には高温になると分解して中性子を吸収して加熱制御できるジルコニウムで被覆されています。
核爆弾と原子炉の違いは核分裂反応を制御しているか否かということにあるのです。

ですから日本は核兵器を持たない変わりにいつでも核転用できる材料を保有すると宣言しているのです。
すなわち核を作れる技術を持っていることで抑止力を発揮しようとしているわけです。
プルトニウム239(同位体)はウランの核分裂反応で人工的に作られる元素で核分裂時の発熱がウランより大きいので原子炉の燃料として効率が良いといえます。
同時に核爆発のエネルギーが大きいということになります。

さあ我が国の抜け出すことが不可能なエネルギー政策のスパイラルに、いやでも巻き込まれていくことにお気付きになっていただければ幸いです。

核の惨禍を完全に消し去る方法は全国民が江戸時代の生活に戻ればよいだけですが、それができないから回避不能だと考えられるのです。


私は愛媛県出身でありながら日本で最も細長い半島、佐田岬へ行ったことがありません。
中央構造線に沿って40kmもある半島は瀬戸内海と宇和海を分けた形で両側が海という絶景だと聞いております。
是非今年中にオートバイに乗って走ってみたいと思う場所です。

佐田岬.jpg


半島の根元にあたる伊方市にある伊方原発は愛媛県唯一の原子力発電所ですが
2011福島第一原発事故の翌月から停止したままです。

それが原発規制安全基準に適合し、3号炉への燃料棒157本の注入が完了しました。
そのうち16本が再使用燃料MOXということです。(プルトニウム&ウラン)

再稼働される原発としては川内、高浜に継ぐ三番目になります。

私は愛媛県人として育てられ、電力会社社員の父親の家庭で21歳まで生活してきました。
福島原発事故の後、電力社員だった父親に福島第一原発の事故について問いかけたことがあります。
安定した収入、手厚い退職金や厚生年金、企業年金をもらい不自由なく老後を過ごす立場の父親に対しては辛辣な質問だったと思います。
そして父親の答えは、
何の一言もありませんでした。数分間の無言の状態、一人の人間としてどのようなことでもよかった、率直な意見を聞いてみたかったのです。
しばらく私は落胆して、この人は何も考えていなかったのか、または都合のわるいことは話したくなかったのか、真相はわかりませんがその翌年に体調を崩し85歳で亡くなりました。

もちろん発電所勤務でなく配電の仕事が担当でしたから直接責任はないですが、この国のエネルギー政策に対してそれを享受する国民としての考え方に活き詰まっていたから、生粋の電力マンに聞いてみたかっただけです。

放射能の人体に対する影響は世間で思われているほど深刻でないという意見があります。
年間100ミリシーベルトの基準などより自然界の被爆の方が高レベルという見方もあります。
航空機で移動したり、医療用X線撮影、中国などの原爆実験による核物質飛散のように原発以外の被爆が圧倒的に多いのに関わらず発がん率の増加は認められないなど
事故がなければ原発は全く無害のように思えます。

そして地球温暖化対策は急務、頻繁に起こる自然災害の脅威は原発事故の被害を凌ぐかもしれません。
しかし世界3番目の経済大国である日本は京都議定書による温室効果ガス削減率1995年比96%を目標としているため、最も効果的な原発推進を止めるわけにはいきません。
原子炉冷却電源喪失という重大事故を起こし、事故から5年経った現在も20万人以上の避難者、帰宅困難者がいて、廃炉の道筋も明確にされていない現状でもインドやアジアの諸外国に原発を輸出しようとする矛盾。

原発はもともとは大量殺戮兵器の開発を応用したものは周知の事実。
実質アメリカの言いなりに核の平和利用という刷り込みで始められた発電事業。

技術も設備建設もGE社お任せの素人創業で、使用済み核燃料の処分方法は当時の政府が「将来の人に考えてもらおう」ということで先送りのスタートだったそうで、当時の日本としてはそれを受け入れる以外に知恵が無いという状態だったでしょう。
安定供給が難しいとされている自然エネルギー、風力や太陽光はいいとして世界一の火山帯である日本で地熱発電をやらない疑問。どうやら国土庁や林野庁が国有地の開発を規制して進まないのだとか。
その代わりに稼働実績のある原発再稼働を進めるなどという愚かな判断しかできないのなら、せめて核の廃棄物をどのように処理するのか決めてからにしていただきたい。
放射能の人体への影響は少ないと論じている方々の敷地に格納庫を建設して保管していただければ問題解決なのではないですか。
そのかわり土地の資産価値が下がるなどと言うでしょうからそれに対する補償を国からしてあげればどうでしょうかね。
今のままではどこの自治体も「電気は欲しいけど廃棄物はいらないよ。」ということで永遠に解決しない問題で、そのうち当事者は寿命がきていなくなりますから再び「将来の人に考えていただきましょう」ということを繰り返すことでしょう。

もう一つおおきなパラドックス、核廃絶を訴えて大量の核を保有する国日本。
原発は国内43基、米軍の核持ち込みは禁止しているけど、43箇所の地元に核を大量保管したままなのです。
米軍だって爆発させようとして持っているわけじゃないです。護身(=平和)のためという理由です。
核持っているという現実を言葉を変えて肯定していることになりませんか。





こういうことを書いていると、「オマエは何をいいたいのだ」と言われそうなので
全く無能力で影響力もないことを踏まえた上で
気持ちは核のゴミが増えるだけで持って行き場のないことは止めるべきだと思っていますが(偽善)
人間は目先の問題の方が重要で後世にツケが回ろうが知らぬことです。
但し自分たちが生きている間に災害が起こらないように
活断層上の原子炉は稼働しない、殆ど海岸に設置された原子炉の非常用電源は津波を被らない
高台に設置するなど、既知の安全対策は徹底して再稼働する。
これしか、今考えられる方策はないですね。


こんなこともあります。
巷では燃料電池車というものが動きはじめて、水素燃料で発電して電気モーターを動かすというクルマがありますね。
水素だけではないですがガス会社が家庭用発電機も販売していて、自家発電すれば電力会社関係なく
環境性能もよいということで理想的なんですが、初期投資が問題なんで家を新築される場合の付帯設備として導入されるといいでしょう。(オレの収入では無理だけど)
当然ですが電気料金払った方が安上がりなんで、上流階級の話ですがね。

遅れに遅れ、KX250Fのスペアマフラーができました。
当初の予定は全日本MX関東大会まででしたが、動向を見極めながら2作目着手しました。
それは新型マフラーなので性能や耐久性の評価ができないまま、同じ物を作ることに懸念が残るためです。
2戦ほど現地で確認した上で、車検の騒音計測も若干の余裕があるということなので
性能向上のためのモディファイを施したスペアマフラーとなります。

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車体は返却したので治具に合わせてエキパイ作っています。

ノーマルのようなサブチャンバーを無くしました。
加速性能重視の変更です。
騒音に対しては不利ですが、測定値のマージンを使わせていただきます。
エキパイ管長は少し長くしています。






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サイレンサーは前回より50mmカットしています。
排気抵抗を減らす目的です。
ストレートのエキパイとショートサイレンサーの組み合わせはレスポンス型に変わっているはずです。

次戦は神戸SXということなので
助走の短いジャンプコースで細かくタイムを短縮していただきたいです。

アフターバーン対策のステンメッシュは早い段階で燃え尽きたそうなので
今回は線径の太いものに変更しましたので
車検対応には秘密のアレを入れてみると効果あるでしょう。(教えられません)

先週、軽井沢でクラブマンMXが開催されて、そのとき追突されて凹んでしまったマフラーを預かってきました。
カワサキのマフラーはエンドカバーだけ部品で取り替えられないそうで、サイレンサーボディ・COMPしか購入できないらしいです。
なんとかエンドカバーの部分だけ直したいと思うのは当然ですが、袋構造になっていて板金修理は困難です。

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中のパイプも溶接されて2重になっているため解体するのも厄介です。

こういう場合の直し方の1例を示しましょう。











CIMG5338.JPG

まずは凹んだ部分を切り取ります。

中身が露わになっていますね。

エンドキャップもサブチャンバーの役目をしているようです。










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新に鉄板を成形して溶接します。


なるべく元の板と段差が無いように付けるのがコツです。











CIMG5340.JPG

溶接痕を消すように研磨します。

パテ盛りではない証拠を表しています。












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マスキングしてエンドカバーだけ塗装すれば出来上がりです。

ほとんど修理痕は分からなくできましたね。

作業時間1時間くらいです。

板金修理って出来て当たり前のように思われていて、少しでも粗が見えるとマイナス評価されてしまう割りに合わない仕事だと思うのですが、どうでしょう?

ツインマフラーをフルエキゾーストで作るには相当な材料費、工数が掛かりますので
社外マフラーと互換性を待たせることで、スペアマフラーとして使えるという方法です。

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サイレンサー部分だけといっても
ツインマフラーですから、これだけの部品点数になります。

社外のジョイントパイプは左右同じサイズでφ40のパイプを差し込める寸法にしてあります。

パンチングパイプにはスパークアレスター付きがお約束になっています。(アフターファイヤー対策)




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社外のジョイントパイプ専用のスリップオン・サイレンサー完成です。

1.5mmアルミと0.8mmステンレスを使用していますが片側1.2kgと社外マフラーより400g軽量に仕上がっています。

もちろんMFJ対応、112dB/Aクリアします。





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実は全日本関東大会までと思っておりましたが時間の都合で今頃になってしまいました。これで菅生大会には間に合うでしょう。

凹んだエキパイほどカッコ悪いものはない。

先週末、軽井沢MPへ練習にいきましたが石の多いコースなので
跳ね石をエキパイにヒットさせてしまいました。

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尖った石が食い込んだ跡があります。

この手の凹みは直りにくいですが
このまま放置していては次々に石が当たって原型を留めなくなってしまう恐れがあるので早速直したいです。









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何年か前に作っておいた450用エキパイ治具がありましたので

作業時間は数分で終了です。











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窒素で加圧しながらアセチレンバーナーで炙ります。

食い込んだ跡は消えませんが凹みは大体直ったと思います。










CIMG5330.JPG


同じ過ちを繰り返すのはアホのやることです。対策を講じなければなりません。

石が当たって困る場所にはプロテクターを付けることにします。

φ45 2mm厚のアルミ6063パイプを
エキパイのカーブに併せて曲げます。

これを半分に切開してエキパイガードを作ります。



CIMG5331.JPG


これで跳ね石対策エキパイガードの完成です。

高額なチタンパイプですから安々と捨てるわけにはいきませんからね。

凹み修理も無駄な時間なので、やらんでいいに越したことはないです。

以上。

無限ME125ですが、チャンバーとサイレンサーを繋ぐジョイントパイプはKA3同様だと思いますが
レストレーション中に紛失してしまったとのこと。
CIMG5294.JPG

85モデルですから純正廃番でしょう。

これではエンジンOH済みでも試運転できません。

部品探すより作った方が早いので
新造させていただきます。








CIMG5295.JPG

パイプカーブは目検討です。
ベンダーも必要ありません。
手でグイっと曲げます。

差し込みもパイプエキスパンダーなど使いませんが
φ25.4芯金作ってプレス圧入して拡管します。

これくらいなら全部ハンドワークでいけます。




CIMG5296.JPG


ジャストサイズにできました。

スプリングフックも取り付けて任務完了です。





このマシン、有名ですが細部を見るのはこれが初めてです。




CIMG5298.JPG
市販車に似ているだけで無限が各部に手を加えているようです。

例えば右ラジエターが大きいです。

多分KA5(CR500)のラジエター流用だと思います。
冷却効率はラジエターコアの表面積で決まるのです。







CIMG5297.JPG

リヤフォークエンドもこのとおり

量産はチェンテンショナーのボルトが後ろに突き出したタイプですが
これは突起のないエンドピースです。
転倒してボルトが腿に刺さる事故が起こるので安全のため対策されたものです。

アクスルのサイドカラーやナットがチタン合金の削り出しによるものです。

ワークスマシンは虚飾ではない実用的な機能美に溢れていて目を楽しませてくれます。

さてエンジン組み立て担当、COSMICのI岡さんとこへ急いで届けてきます。

先日作ったエキパイがワンレースで凹んでしまいました。
いくら手間がかかっていようが、高額であろうが、潰すときは一発です。
程度によりますが、凹んだまま使っていては、本来の性能が出ないんじゃないか
またぶつけたらもっと酷いことになるんじゃないか心配しますね。

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転倒はしてないですが
他車と接触したんでしょう。

これくらいの凹みは簡単に直ると思います。











CIMG5292.JPG
やり方は示しますが、社外のエキパイ修理を頼むことはご遠慮ください。


エキパイの前後を治具で密閉します。

片側には窒素ガスを封入するバルブを付けてあります。

酸素でも出来ると思いますが、火炎で赤熱するときに酸化して材料が脆くなることを防ぐ目的です。




CIMG5293.JPG

スリ傷は残りますが、凹みは完全に修復できました。

炙りすぎると外側が酸化してしまうので
必要以上に加熱しないことがコツです。

難しい技術は特にありません。
高校の機械科以上の経験があれば誰でもできると思いますので、どうぞやってみてください。

映像ニュースしか見ていないですが、東日本と違い内陸の断層がずれた地震は土地の損傷が激しいですね。熊本方面に身内はいないですが、被害に遭われた人のことを思うと心が痛みます。
私たちは平穏に月曜日から通常業務ができるのですから恵まれています。
全日本にエントリーされて自宅を出発した後に揺れたのですから、人や家が大丈夫であっても道路が通れるか分からないし、レース終わっても散乱した物の片付けが待っているいるわけで、集中してレース出来なかったのではないでしょうか。

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今回はIA1、IA2共、ホンダのマシンが優勢な印象でした。

天気はよくて路面コンディションは良かったと思いますが、一日中強風が吹き荒れて
ライダーも観戦も相当我慢が必要でした。
ゴーグル付けてないと目が開いていられません。

2ヒート共スタートトゥフィニッシュは成田亮選手。またお金が儲かりましたね。




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第2の地元埼玉出身ライダー島崎優選手。
沼田誠司、鈴木正明を従え、快調な走り、

大転倒したヒート2は勿体なかったですが
しっかりポイントゲットできたので次回に期待出来る結果だったでしょう。

君はまだ若い。








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先日マフラー納品した平山力選手。
土曜の予選は見事な走りで驚きました。
前半はカワサキ勢でトップの4位走行も見せてくれましたが6位通過は立派です。

まだ体力的に上位のライダーに後半離されてしまうようですが、マシンはよく走っているので、体力面やライン取りなど改善していけばもっと伸びる要素があります。

同じく若い、18歳なんでこれからです。




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竹藪が大きくシナっているのがお分かりでしょうか。
とにかく風さえなければよかったのですが
パドックも出店もテント早仕舞いしておりました。

強風でパイプいすがコース内に入る場面も見受けられ、幸いマシンが通過してなかったのでよかったのですが、観戦組も競技に支障ないように気をつけなければなりません。

何より国際Bの選手、一名お亡くなりになられたそうで、こんな場所で終了するのは無念だったと思うのですが、気を付けて走るしかないということしか考えられない危険なスポーツです。
死亡事故無くすにはブラインドジャンプを作らないようにするしかないです。
意図的にショーアップするために起きたとするなら人災といわれても仕方ないです。

僕はモトクロス好きだけど100%の走りはしません。勝てなくても生活や命の方が大事ですからね。












今度はエキパイ製作です。
要件はノーマルのエキパイ、サイレンサー相互に取り替えられることなので
ノーマルとスペシャル両方で取り付け確認します。

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ノーマルに準じたパイプサイズですが
ノーマルのステンレスに対して
チタンパイプを使用します。

サブチャンバーがパイプセンターからオフセットされている理由はこれです。

パイプに排出と戻りの穴が二つ開けられていますが、穴側のチャンバーが広くなっている構造です。






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エキパイ完成です。

手曲げパイプと巻きチャンバーの組み合わせ構造になっています。

フランジはアルミ2017削り出しです。










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フルエキゾースト試作1号

2号機の予定は・・・
あります。

マスター車あるうちに治具製作しなければなりません。









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無事金曜日にオフビレのパドックへ納品できました。
青森出身、高木嵩雅レーシングの若手
国際A級平山力(リキ)選手です。

ぶつけ本番で明日の公式練習から走ってもらえるそうですが、
その前に車検通過できるか、軽く心配です。

全日本モトクロスは人生をかけた戦いだと思います。
いつでもできるわけじゃなく、体力的に最高の時期でないと通用しないので、
僕のマフラーを選んでくれた以上はマシンが快調に走ってくれることが最大の望みなのであります。

サイレンサー出来たのでテールパイプの形状を決めます。
スイングアーム外側ギリギリに追い込みたいのですが、旧車はアクスルシャフトとナットが飛び出していて、サスが沈むときに干渉しそうなので、あまり寄せられません。

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フレーム下とリヤリンクとの隙間も紙一重です。
これ以上は追い込めません。












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何が何でも今日中に終わらせます。

明日からの予定はさらにハードスケジュールなのです。












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フランジとチャンバー、サイレンサー
6点セットになります。

クロスチャンバーのメリットは
性能絡みではありません。

左右振り分けよりエキパイのカーブが長くなります。
そのためチャンバーの胴体部分が前に移動します。
TZR250のリヤリンクに胴体部分が干渉するため、内側に寄せるのに限界があり
フルバンク時に路面を擦ってしまうことになります。
そこで、胴体部分がリンクより前に位置することによってバンク角が稼げるというメリットです。
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カウル装着希望でしたので
装着しました。

実はボルトオンでは装着不可能でした。
エキパイが重なっている部分の厚みがあってカウルに当たってしまうのです。
当たるところをカットする方法もありますが

マウントステーを加工してカウル位置を下げることで問題なく装着できました。

見本で渡されたチャンバーも仮組みしましたがカウル装着は不可能でしたので、取り回し改善できたといえるでしょう。


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左側はサイドスタンドの収納とチェーンに干渉しないように留意しないといけません。

左右共カウルのクリアランスは取れました。

これにて絶版チャンバー製作完了ですが
同じ物はご注文いただいても作れませんので今回限定になります。









このお仕事はオファーいただいたのが去年の8月でした。
ちょうど骨折してリハビリ中だったので、直ぐできるわけはなかったですが
実に8か月掛かって完成したことになります。

新規受注をお断りしながらバックオーダー中心に作業しておりますので
ご注文のお客様は、もうしばらくお待ちください。

先日、元無限ファクトリーライダーの伊田さんから、本物の無限チャンバーの研磨を頼まれました。

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サイクルサウンズ誌に載ったこのときのマシンです。
85年全日本選手権、国際A級125ccクラス
開幕から4ヒート連続優勝。
鮮明に覚えています。
その後無限からプレゼントされたME125は伊田さんの下に、そして東希和レーシングの先輩、岸さんの店(ラフ&ロード)で展示されて20余年の月日が流れ、持ち主のところへ帰ってきました。

その歴史に残るマシンから外されたチャンバーなので丁重に扱わせていただきます。

私のモトクロス人生において当時の国際A級ライダー(全日本ランキング上位5名昇格時代の)は神様と同じ、しかもチャンピオンからの依頼ですから「俺は研磨屋じゃないよ」なんて言える立場ではありません。
「へへー、承りまして仕りまする」という具合に研磨屋に持ち運ぶ役を仰せつかりました。

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まずさび落としに高品質なウエットブラストしてもらおうとしましたら
大きすぎて機械にはいらないと言われ、やむを得ずサンドブラスト頼みました。











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仕上がってきた状態です。

完全に錆が落ちていますが、光沢はありませんので、手仕上げすることにします。












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おっとー、腐食により穴が開いています。

これは溶接で塞いでから研磨します。












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全体をサンドペーパーで擦って艶出ししました。

今回はバフはかけません。
レーサーなのでこれくらいの仕上げが本物らしいと思います。

放っておくと錆びてしまうので、耐熱クリアーを吹かせていただきます。







サンドブラストなら知り合いでいくつか出来るところあるんですが、わざわざ八潮まで持っていってやってもらったのは、もう一つの目的がありました。

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これを見せてもらう用事でした。
去年の旧車天国に展示されたのは知っておりましたが実車は見ておりませんでしたので。

80年にジョニー・OがUSGP125ccクラスにスポット参戦して優勝したマシンのレプリカです。

本物は関東某所で見たことありますが、これは本物より綺麗です。
もっとも本物はジョニー・Oが乗って痛んでいるわけですから、当たり前ですが。

じつはこの車両のレストア前の姿も見ていましたから、変貌ぶりは精巧なフィギュアと言いましょうか、もちろん動くわけですから限りなく本物に近いでしょう。

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一般公開されているわけでなく、ここへ来ないと見ることはできないですが
「走る予定は?」と聞きましたら、
「土を付けたくない」ということです。

乗りもしないものにお金を掛けられる、最高の贅沢じゃないですか。
しかも、限られた人しか見れない監禁状態ですから、うらやましい限りです。

オートバイの楽しみは乗るだけじゃないことも理解できます。
コレクションホールのように歴史に残る車両がいつでも動く状態で保管されていることに目的があるのだと思います。

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古いだけの車両はたくさんあると思いますが、ほとんどがスクラップ状態で、いつかゴミになっていく運命です。

何十台も所有している人もおられますが、家族や親戚はその価値も分からないので、持ち主が死んでしまったら
同様にゴミになっていくでしょう。

そこで、このようにキチンと仕上げた車両であれば、誰かの下に渡って生き続けることができる。
歴史を継承する役割であると、私は思っています。




オートバイ歴が長い人ほど、廃番、絶販になってしまった部品で困った経験があると思います。
メーカーや品名によって違いがありますが、製造から20年も経過したら在庫が無くなり次第、再生産されないのが普通ではないでしょうか。
理由は完全にメーカーの都合だと思います。常に新製品を開発して生産している企業にとって、圧倒的に販売数が減少した製品については、いつ売れるかわからない部品を管理しストックし続けるコストが損失になってしまうわけです。

アフターパーツの分野では違う理由で廃番になることがあります。
それは製造メーカーの事情で製造を中止したり、廃業したりすることによります。
アフターパーツの多くは少人数の経営で、体調不良や資金繰りなど事業継続し難い事由が発生することはあります。
私自身も度々業務中断しておりますから、安定とは程遠い危うい立場にあると認識しています。

そんな背景のなか、メーカーが廃業したという理由で購入不可能になった中古チャンバーの復刻を依頼されました。
通常なら、他人が作った製品の真似をして物作りをするということは製造者としてはやってはならないことなのでお断りするようにしています。
それをお引き受けするには一定の条件が必要だろうと思っています。その条件とは

復刻すべき製品の製造者が廃業していること
生産中止されてから少なくとも10年以上経過していること
復刻した製品は注文者以外には販売しない
複数作って自分のラインナップとしては扱わない

以上が法律ではありませんが、自分が決めている最低条件なので
旧品の復刻を検討されている人はご注意ください。

それにしましても、提示された見本のチャンバーそのままに写し取るようなことは
製造者としてできませんので、外観は変えて作らせていただきます。

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当該部品と同機種のチャンバーの型を持っていますよ、とお伝えしましたが
それでは駄目で、こちらの見本と同等のスペックで作ることが依頼内容です。

ようやくパイプの型(展開図)ができましたが
フランジが無いことには、車体に仮止めすることもできません。

エンジン側のフランジも提供されていないので、フランジ製作しなければなりませんが
このサイズのフランジに使っていたOリングが廃番になっていたことが分かり
急遽、別機種のOリングを見繕って注文しました。

当然Oリング寸法が違うのでフランジ設計も新規に行う必要があります。
あと1週間くらいはこれに掛かりきりでしょう。

突然思い立ったヘルメット改装作業です。
マスキングテープ剥がしたところが汚過ぎて、水研ぎした後に縁ゴム外して塗り直しました。

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板金でこしらえた丸バイザーはファイブスナップにして、当時のイメージを再現しました。

何をモチーフにしているかは、往年のMXファンには説明の必要はないですね。










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貼ってあるロゴはステッカーサイズ確認のためカラーコピーを使っていますが

20年来の盟友マッドフィッシュにステッカー制作頼みましたので、明日完成する予定です。

全日本前なので夜寝ないで印刷機動かしているので、打ち合わせは夜2時に三郷まで行ってきました。

ホント無駄なことに掛ける執念は半端じゃないです。



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衣装はこれだけ揃いました。

ヴィンテージMXはマシンだけ古いんじゃなく、装備も当時の雰囲気で統一しないと
ただのカッコ悪い遊びになってしまうと思うので

人がどう思おうと、自分がいいと思うスタイルで決めていきたいっちゅうもんです。

いかん、いらんことばっかりしよって
RMエンジンかけておらんかった。
仕事あるから、あれは明日にしとこう。

この話はテレビのチャンネルを手で回し、黒い電話のダイヤルを回してかけたことのある世代の人でないと分からないでしょう。
今やCAD設計したデータで3D積層で制作したモデルを石膏で型取りしてZAS型鋳型することが少量生産のプレス成型品の手法。
しかし、そのためには何千万円も設備投資しなくてはなりませんから、私のように1個だけ直ぐに欲しいといった要求には応えられません。
そこでハンドワークによる製法を身に着けることによってある程度は実現できるはずです。

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本当はAGVのジェットヘルにファイブスナップの丸バイザーを付けて
顔面はSCOTTのフェイスガードに憧れたのですが
今では売っていないので、最近のヘルメットをヴィンテージ風にデザインチェンジして我慢することにします。

先ずはSHOEI・VFXの使い古しの塗装を剥がします。

サンドペーパー70円×3枚
作業時間3時間


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マスキングして塗装します。

缶スプレー
プライマー780円
黄色780円




結構失敗します。
垂れた塗料は乾いてから水研ぎして滑らかにします。




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最近のバイザーはデザインが凝りすぎてカッコ悪いです。

目指すは丸バイザーですが、やはり売ってないのでアルミ板金でこしらえます。










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裏側はこんな感じ

ハンマー痕がハンドメイドらしいです。

2度と作らんから、これくらいで十分です。

材料端材
作業時間2時間。

デザインも成形方法も頭の中、
コンピューターも加工機も必要なし。




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何がしたいかというと、
こういうことです。

ファイブスナップは帽体に加工が必要なのでやめておいて

両面テープとガムテープで固定しようと思います。

ガムテープで目張りしたバイザーにそそられるのがワシらの年代。




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こうやって売ってない丸バイザーも頭の中で
構想を描いて、手を動かせば形になります。

商売にはなりませんが、自分で使うものは自分で作るということが基本です。

竹ひご曲げて作った骨組みに障子紙張って凧上げやったり
ベニヤ板切って作ったブーメラン投げて遊んだり、
子供のころから遊び道具を作った世代なんで、同じ感覚ですね。

排気系作りだしたらサイレンサーを避けて通るわけにいかないですよ。

なのでオリジナルサイレンサー作りました。

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φ60 前後削りだしキャップに
ステンレスパンチング入り

軽さと強度にこだわり、内径は
テールパイプφ25.4の内径に合わせて段差を極力なくして排気抵抗を抑えました。

ビンテージモデルなので光ものは似合いません
のでバフ掛けはしません。
素材のままがレーサーなのです。





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取り付けはノーマルに準じて、テンションスプリング止めです。

早く音が聞きたい衝動を抑えて
さらに作業を進めます。











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この車両はアルミハンドルが付いておりましたが

運転手からするとハンドル形状はこだわります。

ゴミ箱から何用だかわからないクロモリハンドルを見つけましたので
こいつを曲げて好みの形状にします。

ハンドル高さが調度よいので、当時のRM純正風にしてみたいと思います。





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このようにテーブルに平らに置いて、パイプエンド高さで絞り具合を調節します。

これはパイプエンド高さ50mm

ハンドル長さは両側15mmカットして
770mmが私のベストサイズです。









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見事に一文字ハンドル完成

アキラ・ワタナベタイプです。

色はシルバーで塗装します。

段々自分好みのオンナ
マシンになってきました。

「タンクはオートバイの顔だ」などと言っている奴が凹んだままのタンクを使っていたのでは信念に反する。
というわけで、チェッカーズのシマダさんからPV50チャンバー代金の代わりに頂いた3型RM125のアルミタンクを直すことにします。

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マジックで囲んだ部分が凹みです。















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目立つ凹みは3か所確認できます。

これらを、塗装する前に修理します。













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今回はこんな道具を作ってやってみます。

アルミ板にM8のネジ付きカラーを溶接し
鉄の棒をネジ込み引っ張るつもりです。












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凹み箇所にアルミ板を溶接して
バーナーで炙りながら引っ張ります。

かなり板厚が薄いらしく、
あっさり板が割れてしまいました。

こりゃあ余計な修復作業になったぞい。
やめときゃよかったな。
と後悔先に立たず。







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溶接しては削って均すを何度か繰り返し
メチャメチャな肌になってしまいました。

自分のだからいいけど、こんなに下手な修理では人のやつはできませんね。











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これ以上やっても綺麗になる気がしませんので
これくらいで止めておきます。

仕上がりは塗装屋さんに委ねたいと思います。

塗装はフラワーオートさんに頼みます。


四国にいたころは桶川という河原にモトクロスコースがあるものと思っていました。
埼玉へ来てから、あれは荒川で、場所は川島町だとわかりました。
しかもコース名はセーフティーパーク埼玉という、どこにも桶川に絡んでいないというのに
正式に桶川と呼ばれた理由がいまだに不明のコースで開催された全日本MX。

これはTV放映されたもののようですが、私の記憶にはありません。
あの頃はホンダ栃木工場に長期滞在で会社で借り上げた宇都宮駅前のホテル住まいでしたから
TVも観ていないし、MXしにくい環境に置かれていましたから、このレースは今回初めて観ました。

日本のモトクロスが最高に盛り上がった時代であることを観客の多さから想像できます。
MFJレギュレーションも変革の時期で、125と250両方乗るのが当たり前だったのに
国際A級は前期と後期にわかれて、250と125を乗り換える規則だったと思います。
だからこのレースは全員250ccで予選も3組あります。
国際A級が半分以上予選落ちになるのですから必死になりますよね。

ホンダはオートマチックRC250Mで宮内隆行と大塚忠和が走っている貴重な映像です。
無限の安井崇、ヤマハの田淵武、SUZUKIの松田強、馬場義人。川崎はチャンピオン岡部篤史。
誰が勝ってもおかしくない強豪ぞろい、面白かったねー。





しかし、OPのレポーターは他の人に頼めんかったかいね。
アイボンかヒカルンバみたいなのでええんよ。
日本で最初に開催する公式戦ということです。例年なら極寒の中、凍えながら走ったのですが
今年は暑かったです。ついでに超マディーのレースでした。

昨日の夜中から明け方にかけて雨の音を聞きながら布団で寝ていましたから、半分行くのを止めようかと怠惰な考えと走りもしないで諦めているのは情けない敗者ではないか、と悪魔の囁きが・・
結局マディーが分かり切っているのにオフビへ行ってしまいました。

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一台止まると次々に止まる。

そして上がれなくなったマシンが逆走し、人がコース内に入って助太刀する。

午前中のレースは大体こんな感じです。
上級SEもスタック続出ですから、失敗しても恥ずかしいことじゃないです。

挑戦する気持ちが大事だと思います。
たぶん普段の生活でこんな辛いことしてないじゃないかと思えます。
苦難を乗り越えたときに違う自分になっているでしょう。


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スタックしているマシンを出してあげるコースオーナーの福本さん。
「オイ!チャンピオンに何やらせんだよ」

私も午前中のレースは路面が難しくてコースアウトしてしまい完走者中最下位の9位になってしまいました。
やはり156cmで450操るのは無理かなと心が折れるレースでした。






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メインイベントGP&SEのスタート前
今年MFJ3階級特進のペイントマンユージの息子と91年MXデナシオン代表選手の田淵武選手。
KTMに乗り換えた星野優位など、役者は揃っています。
が、しかし路面がねェ。







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午後のレースも大失敗を犯してしまい
スタート直後にギヤ抜けして最後尾からの追い上げで3位表彰をいただきました。

大勢のライダーが転倒している脇を無転倒で走り続けただけですが
ちょっとスピードが速くても転倒したタイムロスは挽回できませんから、転ばないという作戦の結果なのです。

朝、雨音を聞いて止めていたらこのような経験が積めなかったわけですから良しとしましょう。


しかし午前中450のキック踏みすぎて腰痛がぶり返してきました。明日のの仕事が辛いだろうなー。
日本最強のVMXワークスショップのホーリーさんから情報をいただき動画をUPさせていただきます。

桶川や後楽園スーパークロスも走ったことのあるAMAモトクロスのレジェンド、マーティー・スミスさんと
アメリカホンダの有名チューナー、デーブ・アーノルドさんがスーパークロス会場の展示品CR250Rに装着された
弊社製チャンバーと一緒に写っています。



一昨年、ホーリーさんに50台分納品しまして世界中に渡っていったうちの1本だと思います。
ビンテージチャンバーの企画はホーリーさんの提案なので、このような機会に恵まれましたことを感謝いたします。
先週日曜に埼玉県某所でテスト品のインプレッションをしてもらってきました。
テストライダーはO氏のご子息、だいぶ上達してきたので、性能比較の経験もいいかもしれない。

ただし2輪の乗車経験は65や85のモトクロッサーしかないので、他社との比較や感じ取ったことを
言語で表現するには、技術用語も必要でしょう。
たとえば性能曲線を理解しているか、馬力とトルクの物理的概念とかを定性的に判別できる能力があるかと
言われれば年齢的に不可能な部分があるので、私とO氏でインプレッションを解釈しながらの確認です。

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左端は普段使っているBUDレーシング。
高速の伸びが気に入っているようですが
低速トルクがなくて、コーナー立ち上がりで
半クラッチが必要らしい。

右から2本目は低速からトルクが出ていて
半クラッチの必要がなく、中間加速もBADと同等だが伸びはBADの方が良い。

3本目は2本目より高回転を狙ったが、中間までは同等だが、高回転はあまり伸びてない、または早く吹けきってしまう表現かもしれない。

そこで右端はBADの諸元を測って、オリジナル品と比較して同等の伸びを目指す目的で試作したので、今度乗ってもらう予定です。
日本のモトクロスシーンでは高回転型よりも低中速のトルクやパワーの立ち上がりがスムーズな方が、万人に扱いやすいと考えていますが、高回転キープできる体力やスキルのある人向けに高回転型もありかな、と思っていますが最終的に一つのスペックに絞らないとラインナップになりませんので、もう少しかかるでしょう。

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自社ノウハウを入れて作っておりますが

スペックが似ていれば形状も似てきました。

純正チャンバーも含めて5種類もスペックを計測して実走確認するので、ちょっとした知的財産になりますね。



この歳になると年に3回くらい葬式に行くようになってしまいましたが
今日の葬式は一生忘れられない特別なものになるでしょう。

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故人の思い出の品、アルバムなど貴重なものが展示されていて懐かしく思いました。

無限の430改はたぶん、プロストックの貴島さんが大阪から運んで来られたのだと思います。
喪服姿の私の反対側にいらっしゃるのは
故人の元上司でHRC監督やホンダコレクションホール館長など歴任された小林さん。

帰りの車中で世界チャンピオンの渡辺さんも参列されていた話をしますと、
「彼とはベルギーにある、ロジャー・デコスタの自宅で会ったよ」とおっしゃいました。
「俺がブラッド・ラッキーのメカニックでWGP参戦したころ、ラッキーの奥さんとデコスタの奥さんがカリフォルニアに住んでいて仲良しだったから
ロジャーの家にラッキーと一緒に招かれたら
渡辺明さんとメカニックも来ていたんだ」とのこと
それを聞いた私はサテハと思いました、ロジャー・デコスタをホンダに誘ったのは小林さんに違いないと。

そこら中に私が30年間見てきたモトクロス界の著名人が集まっておられるので、秋の園遊会かアカデミショーのような賑わいでしたね。
久しぶりに会う知人や先輩方と話すこともできて、同窓会のような気分になりましたが
セレモニーが始まって、出棺のころになると鬼の目にも涙、ほとんど全員が泣いておられました。

どんなに縁もゆかりも無いひとでも最期の時は悲しみしかありません。
いろいろありましたが、全て水に流して新しい一歩を踏み出したいと思います。

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たぶん、このとき人生最高の瞬間だったと思います。
レースチームなんかやっていなかったら
こんなことになってなかったでしょう。
大勢の人が彼に頼りすぎた結果だと思います。

花ばなしさを維持し続けなければならない重圧と戦って来たんだと思います。
こんなことでしか楽になる手段はなかったのでしょうか。
済んでしまったことを悔やんでも仕方ありませんが、残された人たちは故人が伝えたかったことが何であるか、考えてみる機会を与えられたと思って前向きに精進するしかありません。

30年埼玉県に住んでいますが、峠ツーリングは行った記憶がありません。
愛媛育ちなんで、山や海が好きですが関東は地元感覚でないので興味がなかったのです。

ところがモトクロスつながりで、若い頃全然違うチームだった人同士が集まるようになって
昔話に花を咲かせるようになって、「それでは今度ツーリングへ行きましょう」ということになって実現しました。

定峰峠は奥武蔵グリーンラインという舗装された複数の峠道の一つで、うちから鳩山経由で東秩父村を基点に秩父市方面に山を越えるルートですが、今回は往復100キロくらいのショートコースにしました。
76年製のCJ360は峠の登り坂では明らかなパワー不足でエンジンを酷使している感じと廉価版5速ミッションのレシオがワイドで強力な加速は望めないので、これくらいの距離で充分です。

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堂平山天文台で休憩しました。

ツーリングメンバーは
埼玉の名門クラブの3人
チェッカーズの嶋Dさん
狭山RTのオレ(真ん中の小さいの)
スーパーベルRのS田さん。
全員80年代モトクロス国際B級です。
今は大人しいもんです。

堂平山はもちろん知りませんでしたが
関東平野全域が見える眺望です。
最初は東京大学の天体観測用だったものを
都幾川村が買い取って観光名所に整備しましたので一般公開されています。

埼玉県に疎い埼玉県人の私ですが、お二人の先輩のおかげで、いいもの見れました。

社外マフラーの修理はいたしません。その理由は
それは他社の企画による商品だからです。
10万円を越す高額な商品にも関わらず、交換部品の販売や修理サービスの対応をしないということは
その会社の企画の一部ですから、社外品の顧客が希望するサービスを、関わりのない
弊社で受け持つということが必要のないことなのです。
ジャペックスのようにガエルネブーツの損傷においては顧客の注文に応じて修理サービスを行って、同社の製品を長く愛用していただくようにしている例もあります。
競技用車両ですから、耐久的に消耗するだけでなく一発の衝撃によって使用不能になることもあるわけですからメーカーの方で対応してもらうべきです。

しかしながら、今回の修理はお断りできない人物からの依頼ですから半強制的に実施することにしました。

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イゴール・アクラポビッチさんのCRF250マフラーです。

左マフラーが大きく凹んでいますが
ジョイントパイプが潰れ、マフラー内側がタイヤに擦ってしまうくらい変形していました。

その場合はサブフレームも歪んでいるはずなのでマフラーだけ直しても曲がって取り付いてしまうことをお伝えしたら、新品のサブフレームに仮組みして持ってきていただきました。



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これは潰れたジョイントパイプの修理後の画像です。
エキパイのように密閉して膨らますことはできませんので
切断してハンマーで叩いて丸めてから再溶接する方法を取りました。

これでパイプの向きは正常に修正されました。






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サイレンサースリーブを板金修理するため分解しました。

内部の寸法が私のオリジナルマフラーと偶然同じであることから、メーカーさんも同じようなことを考えているのだなと思いました。









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スリーブ叩き直して、見た目問題なくできました。

これで当分は使い続けられるでしょう。










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新品のサブフレームに取り付けて左右の整列も確認しました。

以前スコーピオンというブランド名だった同社は商標の問題でオーナー名に社名変更して業績を伸ばし、現在では従業員数450名という、マフラーメーカーとしては大企業になりました。

では日本で最大のマフラーメーカーとしては
私の知る限りでは三恵技研ですね。
三恵といってもリプレイスマフラーは作ってないので馴染みがないように思いますが
ホンダの2輪4輪全車種のマフラーを製造し標準装着されていますので、ホンダ車の全てのユーザーが三恵製マフラーを使用した経験があるということです。
アフターのマフラーは純正マフラーをベースに材質や寸法の変更を行っているので純正マフラーはマスター品という位置付けになるといえます。
業務連絡を兼ねて、本日完了のワークを2点ご説明させていただきます。
今回は車両お持込みのワンオフ製作なので同じ商品の注文があっても製作はできません。

CIMG4654.JPG先ずは製作物

チャンバーとサイレンサーです。
車種はKDX125SRですが
お客さんによるリヤ回り部品変更に伴い
ノーマルチャンバーとサイレンサーの取り付けに問題が生じたことが
新造に至った理由と思われます。

チャンバーは元々ラインナップしておりませんでしたが、テールパイプ形状変更でサイレンサーも専用になっています。(ノーマルチャンバーには取り付きません)



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リヤショックのサブタンク付きに換装されていますので
サブタンクとテールパイプが干渉していましたが
変更後はこのとおりジョイントラバーも楽々取り付け可能になりました。









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テールパイプはキックペダルを逃げる形になっています。
以前同車種のチャンバーを製作したときはキックシャフトのセレーションをひとつずらしてペダルを後ろに起こした位置にしてからキックペダルの内側にテールパイプを通しましたが
この車体はペダルがリヤブレーキスイッチのリターンスプリングに触ってしまい
リヤブレーキスイッチの戻り不良が起きそうなので、キックアームの位置変更はせずに取り回した結果です。


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この車両の画像を送っていただいたときは程度の良い中古車かと思っていましたが
実車を見て、エンジンからフレーム足回り、ハンドル回り、外観で見える部分は全て再塗装や新品組み換えなどにより、キズや汚れ、腐食など皆無なレストア状態であることがわかりました。
KDX125は鉄のリヤフォークのはずですが
これはアルミです。
先ほどのショックと同時にリヤ回り換装といった感じですが、ボルトオンであったか要加工であったかは聞いておりません。
トレール車には珍しいホイールのバランスウエイトも装着されており、オンロードでの快適性にも配慮されているようです。

数々のチョイ古トレールマシンを見てきましたが、仕上がり状態がトップクラスです。
これでダートは走らない方がいいですね。
実はトレールマシンをタウンユースにするのは非常にカッコいいんです。
ダートは高性能なMXerの方が断然楽しめると思います。
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全国にチャンバー作れる職人さんは大勢おられると思うのですが
私のような者に頼むために、静岡県から軽トラックで運んできてくださるのですから
下手な溶接で申し訳ありませんが、最大限力を尽くしました。

サイレンサーの位置はチョット失敗して付け直したことを白状いたします。
(実物見てもわからないと思いますが)
非常に難解な3次元に傾いた形状のジョイントパイプのリプレイスを試みました。

用意したチタンパイプのサイズは、4種類 φ50.8 φ45 φ38.1 φ31.8
長さは少量ですが材料代5万円分が必要です。
φ45の曲げRが小さく、手曲げは不可能と判断し、輪切りにして繋ぐ方法にしました。

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集合マフラーの逆です。
分散マフラーです。

この二又部分に排気ガスが音速で衝突するため、突き合わせ部は尖っていた方が
抵抗が少ないでしょう。

同時に左右にハッキリと排気を分けるためにも尖っていることが必要だと思います。

集合マフラーでは1番3番、2番4番のエキパイを振り分けるために集合部分に板を入れたりしますが、点火時期別に流れる排気ガスを干渉させることが目的で
排気ガスは圧力の波ですが、高圧で流れたあと減圧したところに次ぎの排気が来ると排気ガスの流れが加速される効果を狙ったものです。
これはシングルのエキパイをツインマフラーに振り分けるものですから、このような形状になっています。
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左がノーマル、右がチタンパイプ。
パイプの仕様は同等なので
性能の変化はあまり感じられないと思いますが。
ノーマルより板厚が薄い部分と、チタンの放熱性の影響で排気ガスの温度は冷える方向になるはずです。
結果的に排気温度が下がると低速になるため低回転のレスポンスは良くなるかもしれません。

パイプの組み立ては目見当のフリーハンドでやった割りにはパイプのカーブや向きが高精度にできているではありませんか。
サイレンサーを付けるときに全く力を要せず穴位置がぴたりと合っていました。
CIMG4646.JPG


φ50.8のパイプはリヤショックのスプリングに擦ってしまうのを防ぐために
絞りを入れて幅を狭くしてあります。

エキパイの差し込みはガスケットなしで
スペシャルバンドで締める構造です。

重量ですが
ノーマル900gに対し
チタンパイプ390g

およそ半分の軽量化です。



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このように左右のパイプの傾きが違っていて上向き角度も左右別なので、パイプの組み立てが難解であることが想像できるでしょうか。
純正品は一日に何百台も作らなければなりませんから、型物のパーツを組み合わせていますが、これは素管から切り出したハンドメイドなので3日掛りでした。
無限さんみたいに上手にできませんが、
これは自家製なので若干の材料代と自分の時間を費やすことによってできます。

これで450フルエキの製作は完了しましたが、終わりではありません。
次の段階は実走です。
これもプロライダー頼むとギャラが必要になりますので、耐久テスト含めて自分でやります。
(鎖骨の金具が痛うて、もうしばらくできんと思います。)


CIMG4649.JPG

普通のMXerはマフラー1本あればよかったのですが、CRFは3点セットが必要になり
当然加工時間も3倍かかってしまいます。

では、これを頼まれると価格はいくらになるか?
悩むところですね、手間が3倍だからマフラー3台分だと高額になってしまいます。
しかし、マフラーのジョイントパイプの部分がシングルマフラーより簡素だと言えなくもない。
そこでYパイプがシングルマフラーのジョイント2台分と考えると、
マフラー2台分が妥当な価格でしょう。
弊社の場合、¥47000×2=¥94000也

純正の3点セットの価格は¥92000 税込みで¥99360とギリギリ10万円を切っています。
他社のシングルマフラーと比較すると大幅なコストアップになりますね。
それから、これは450用なので、250はベース車両ありませんから、今のところ作る予定無しです。








ノーマルジョイントに取り付けるツインマフラーを作りました。
オリジナルコンセプトに基づき、社外メーカー品に似た物がないように留意します。
ノーマルより軽量でパワーが出るようにすることはもちろんですが
整備性、特に分解時にリベットの取り外しが必要の無い、ネジ止め方式にしました。
スチールやステンリベットの取り外しは憂鬱になる作業です。
マニュアルなどにはドリルで削り取るなどと書かれていますが、穴が偏芯したりスリーブが固着していたりで、無傷のまま外すことはほぼ不可能のためです。

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右マフラーは排圧を落とすため
ジョイントの部分でパイプ径を絞った寸法は
ノーマルに準じています。












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左マフラーはノーマルを外したところに同様にジョイントしてあります。

アルミボディーにステンレスエンドを使用し
サイレンサー単体重量は
ノーマル1.4kg
オリジナル1.2kg(左右共)
なので両側で400g軽量にできました。







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異形なヘキサゴンセクション
サイドカバーに丁度収まる形状です。

インナーパイプ、エンドパイプ共、ノーマルより拡大されており、出力向上を目指します。
排気音量は全部完成した後計測します。




次はジョイントパイプの製作になります。

非売品の無限製チタンパイプを見せていただきましたが、ノーマルのような型物は一切使用せず、全てハンドメイドの逸品でした。
うちは、それとは違った方法でハンドメイドすることにします。

新品めっきも研磨が命、クロームめっきが仕上がってきました。

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車体取り付け寸法上、先端付近のボディーとのクリアランスが無いため

メガホンのキャブトン形状にしました。
完全オリジナルです。



CIMG4631.JPG









研磨する前に車体に取り付けて排気音を聞いてみましたが
相当の爆音でカミナリ族仕様だったので
消音のためバッフルを取り付けることにしました。

バッフルはマフラーエンドに差し込むパイプの内径と長さを変更して音量を調節します。

本体は隔壁2箇所入っていますが、グラスウール等の消音材は不要なのでメンテナンスフリーです。



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トライアンフのキャブトンタイプがあったのですが、あれは茄子のように中央が膨らんだ形状でしたから、金型を使ってプレス成形する必要があり、ワンオフは無理でしたが
これはロールベンダーでメガホンを巻いて
フタだけプレス成形しましたので
一台分だけ安価に作る手法を選んだということです。



昨日、富士総合火力演習の予行を観に、東富士演習場へ行ってきました。
日曜日の本番ははがきとネット申し込みの倍率が29倍という狭き門であるチケットが
木曜の予行ではありますがいただきました。
正規に申し込んでも入手不可能な栄誉ですから、仕事の予定を中止しても価値があるでしょう。
朝出発が遅れて5時に出発したのですが、現場到着7時半にも関わらずスタンド席は満員で
地べたのシート席に何とか座れましたが10時の開演まで雨の中濡れながら座って待つという
経験したことのない苦行。
しかし、目の前で戦車が走って大砲をぶっ放すのを見たら、一生に一度は見たほうがよいと感じました。
詳細は陸上自衛隊のHPなどで見れると思いますが、動画編集できたら後日アップいたします。


さて去年から計画していたCRF450マフラー、用事が多くて着手できずに1年が経過してしまいました。
着手しないと永久に始まらないと感じましたので着手します。

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CRFのオーナーでなければ、ツインマフラーがどのような構造なのか、不明だと思います。
このように右マフラー脱着式で、左マフラーはジョイントパイプに溶接された非対称構造です。

オリジナルマフラー作るに当たって段階を踏む必要があります。
それは、ノーマルジョイントを利用してマフラーの位置決めをするため
左マフラーも脱着式に改造します。



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まず左マフラーを分解します。
パンチングは特殊な形状をしています。
ステンメッシュが巻かれていますが
スポット溶接で固定されており抜けない構造なので切り裂いて取る必要がありました。

ウール交換だけなら切り裂く必要はないでしょう。

これからフロントキャップ部分を切断して差し込みジョイントを加工したいと思います。



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このようなパンチングですが
パワー本位の設計ではないでしょう。

騒音の自主規制のためだと思います。
折角高精度に作られたマフラーですが
多くのレーサーたちは、あっさり社外マフラーに取り換えてしまいます。

これはメーカーが考えた十分な出力と静粛性を備えた設計ですから貴重なものです。
無傷で保存しておきたいと思います。

しかし、FIのセッティングが良好なためか
カーボンの付着が全くありません。
街乗りマフラーを時々バラシますが、酷いカーボンの付着ですよ。いかにでたらめな空燃比で乗られているか予想がつきます。

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差し込みカラーの装着ができました。
スペースが無いのでマフラー内部に挿入する構造です。

パンチングがマフラー外形に対してオフセットされているので、パンチングの微妙な傾きを再現するのがコツです。








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左マフラー装着完了です。

ジョイントパイプ径φ38.1

ノーマルジョイントで左右マフラー製作が第2段階

ジョイントパイプのチタン材で製作が第3段階

こういう予定で進行しますので、不定期更新いたします。


帰省渋滞が始まっているようですが、まだ出発しないのでギリギリまで働きましょう。

キャブトンという英語が存在するのかと思っていました。
Come And Buy To Osaka Nakagawa(大阪中川まで買いに来い)の頭文字だそうです。
戦前、メグロと大型2輪車の製造を二分したメーカーでキャブトン号という車名があったそうですが
現在ではキャブトンマフラーという名称だけが引き継がれています。
ご存知W1やトライアンフのような水平で直管の中央付近が膨らんだ形状のマフラーです。

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まずはキャブトンの特徴的な丸みを帯びた
フタをこしらえるため、金型作りです。

プレス成形も素人なので、鉄板を上手く絞れるかどうか手探りの作業です。

φ90とφ110の丸棒は材料代5千円くらいですが
下手な旋盤加工で製作費を浮かせたいと思います。





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これが素材の鉄板を円錐に巻いたものです。

これを金型に押し込んで丸く膨らんだカップに成形しようと企んだのですが

それは素人の浅はかさ、
見事に期待を裏切る仕上がりでした。







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このように失敗作を繰り返しながら、
段々とやり方をつかんできました。

時間に限りもあるので、金型の修正は最小限度に、素材形状も少し変えながら
成形トライを進めてきました。

金型があれば、即OKなんて甘い考えでしたね。





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まあこんなもんですかね。

大体思った形になりました。

これをキャブトンマフラーのフタに使います。










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通常のキャブトンは筒抜けですから
いい爆音が出るんですが

オーナーが世田谷の住宅地に乗り入れるということで、少し爆音を控えるための
隔壁を2枚仕込みます。

排気ガスの速度を鈍らせる効果があります。
見本で仮組みされたトライアンフマフラーも中身に隔壁が入っておりましたので
大体の見当で作りました。



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こういうわけですよ。

テーパーになっているのは、JZRスリーホイラーのエキパイがボディーに近いサイドマフラーのため前側は太くできなかったのです。

テーパーはGL500のマフラーと同様にしてあります。

この後全周溶接して研磨しますが
めっき屋さんも休みなので
完成はお盆明けに持ち越しです。



リバース・トライクと呼ぶらしいです。英国で1990年から350台ほど生産されたカスタム・カーで
ベースとなる車体は1940年台のモーガンを使用し、エンジンにCX500を搭載し、CX650ターボ、モトグッチ1100とモデルチェンジをおこなったらしいので、これは初期のモデルですね。

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日本名GL500のエンジン搭載しています。
フロントはダブルウィッシュボーンでスポーツカーらしいスタイルですが
シャフトドライブの2輪エンジンなので
後輪はリヤフレームをそのまま移植した構造です。
重量配分が極端にフロントヘビーなことは予想できますが、旋回性能は4輪より圧倒的に優れていると思います。(リヤスライドしやすい)
車重も350キロくらいなので、加速が2輪並によいそうです。



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私が在職中に社長だった方がオーナーだそうで、元HRC監督が車検取得してこられて
公道走行可能な状態です。

英国で認定され当時の保安基準を満たしていれば日本でも車検取れるということです。

鉄のパイプフレームに鉄板のボディーで前後のフェアリングはグラスファイバー製という、いたってシンプルな車体です。
フロアシフトに改造されていますが、リンケージを介してワンダウン・フォーアップのシフトは2輪のまま、リバースギヤはありません。バックは降りて押せばよいのです。

左右に振り分けられたエキパイの先はGL500のノーマルマフラーで、音が少々つまらない。そこで適当な社外マフラー改造してつけるくらいなら新造してしまおうということでマフラー作りを依頼されましたが
かつての代表取締役のクルマですから、これは業務命令と心得て、全ての予定を変更して即取り掛かることにします。



タンク板金、溶接が終わっても、まだまだ先があります。

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アッパーロアー接合する前に、430の特徴であるラバーマウントの穴を加工します。

穴の縁からガス漏れしないようにφ22のカラーを差し込んで、両サイド溶接して密閉させます。


その後アッパーロアー接合面を全周溶接して容器になります。




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全周溶接できたら、キャップとコックを取り付け水没させます。
ピンホールなどあれば、直ちに気泡がでてきて発見できますが
これは一発OKでした。(プロなら当たり前)










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容器が完成しても、大事な加工が残っています。
後部マウントブラケットです。
3mm厚の板をプレス成形する金型を、これ1台だけのために作る気力が沸きません。

φ115の丸棒から削り出したリングから、一カケラだけ切り取ってつかいます。
ゴムバンドを引っ掛けるフックの一部になるだけですが
取り付けが上手くいかずに丸二日失敗を重ねてしまいました。



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こんな感じでゴムバンドのフックになるのですが、フレームに仮付けして取り付け位置を確認したにも関わらず

これではシートベースの前部が当たって取り付かないのです。
炙って下向きに修正したりしたがダメで
結局、切り飛ばしてやり直しすることにします。







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裏側はこんな状態ですが、これは取り外すと大工事になるので、外さないで利用します。












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ようやくシート取り付けに成功しましたが
シート無しで作っていたら完全に不良品でした。
キックも踏んでみたいですがエンジンはありませんのでノーチェックにします。

一応フロントフォーク取り付けた三つ又も左右に切って隙間を確認してあります。







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これで3年お待ちいただいたタンクができました。
これが出来ないうちは次の仕事はしないつもりでおりましたが
右肩の骨は出来ていないので、当分の間、療養モードになります。


あいかわらず、毎日のように注文が入るのですが、3月以降のオーダーが全部止まっているんですから、納期のお約束はできません。
突発の修理もご遠慮ねがいます。

ウエットカーボンなので高温に耐えられないことはご了承済みと思いますが
お客さんと協議の上、損傷した時点でカーボンパイプを交換するという前提でのサイレンサーです。
ワークスレーサーのようなドライカーボンを使用すれば耐久性は格段に向上すると思いますが
以前、別の機種でドライカーボンの見積もりを取ってみたところ、サイレンサーの材料代だけで
本体価格の10倍以上が必要と分かりましたので断念した経緯がありました。

ですから、これはあくまでカーボンファイバールックの樹脂パイプと捉えていただきたいと存じます。

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KX65なので子供さんのモトクロスに使用されているものでしょう。
半年くらいでメンテナンスのため送られてきました。

案の定、熱で溶けて、サイドカバーの縁が食い込んで穴があいています。

リベット穴も緩んで、アルミキャップに動揺がみられます。
このまま使用続けると確実に破損してしまうので丁度良い時期だと思います。




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弊社商品なので格安の千円で交換しますが、2台で36箇所のリベット穴位置を合わせて空け直して組み立てるのに半日費やします。

排気ガスが樹脂パイプに直接当たらないように内壁にガスケット材を仕込んでおきました。
しかし、リベット穴の磨耗は対策不能なので
定期的にメンテナンスするしかありません。





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ハイ、フレッシュなカーボンパイプに直りました。
リベットも新規カシメなので、パイプの動揺はもちろんありません。

これも、他人と違った方式を貫くための涙ぐましい努力です。








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ついでにチャンバーの凹み修理も依頼されましたが、全体の歪みに加え
凹みの大きさよりも、鉄板の伸び具合が修理の可否を左右します。

このようにエキパイ外径の小さい場合は圧力で直すとき荷重を受ける面積が少ないため殆ど戻りません。

窒素封入してバーナーで炙る手法もありますが、専用治具を作る気力が無くて
切開して叩き出すことにしました。



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鉄板の歪みが大きくて、元通りというわけにはいきませんでした。

大変見苦しい修理痕でありますが、再使用に不都合はないと思いますのでお許しいたいとう存じます。

タンク本体の板金が完了したら、次は機械加工部品が2つあります。
給油口のネジと燃料コックの台座です。

先ずは私の下手なフライス加工によって作られた台座です。
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これといって特筆することはないですが

ガソリン漏れを止めるのはOリングの役目です。
そのOリングが密着する面の加工は
端面から1.8mmの深さで、フィルター穴と同心で削るだけです。

M6ボルトは奥が袋になっていてボルト穴からはガソリン漏れはない構造です。




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ねじピッチ4.5ですが、当方のオンボロ旋盤にギヤが足りずに加工できませんでした。
そこで、近所のモトクロス仲間の本間さんに頼みました。
汎用の旋盤で見事に加工していただきました。
予備で2個作りましたが、一個は使う予定がないので、430タンク作ろうとしている人がいましたらお譲りします。

ネジ外径はφ44.5です。

ところで本間製作所の社長は、あの有名な野口種春さんのレーシングチーム、「スポーツライダース」の出身で、ヨーロッパメーカーと初めて契約した日本人モトクロスライダー鈴木都良夫さんの先輩にあたる人です。

若い人は野口種春さんから説明が必要ですね。 60年代、デビューレースが富士登山レースで練習無しの8位、浅間火山レースでは市販のヤマハYDSで125クラス優勝しています。
レース引退後に設立した「スポーツライダース」から輩出したヤマハワークスライダーはモトクロスの鈴木忠男、東福寺保雄。ロードレースは平忠彦。
東福寺さんと平さんはアマチュア時代から野口モータースで一緒に働いたそうで、当時の月給は5万円(70年代)だったと両人からききました。
野口モータースは早くから北米に進出してロードレーサーTZのチューニングを行っていて、野口さんに教わった弟子の一人がDGパフォーマンスを立ち上げ、DGでチューニングを習ったミッチ・ペイトンがプロサーキットを立ち上げたという図式です。
野口さんがいなかったら北米のチューニング業界も今とは違った形だったでしょう。


今日は一日サンダーマンです。
溶接したばかりのアルミを削るのは意匠を施すためです。

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先ずは盛り上がったビードをサンダーで削ります。
削り過ぎると修正が効かないので慎重に行います。
溶接はあっという間にできますが
完全にけずるには10倍くらい時間がかかります。

タンクの表面は溶接で歪みます。
ビードの端が引っ張られて凹んでくるので
これを修正するために
アッパーとロアーの組み立て前に行います。


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そしてダブルアクションかけます。

デフォームが分かりやすくなります。
僅かな凹みを見つけて裏側から叩いて修正します。

組み立ててから気付いても修正は不能ですからこの段階が仕上がりを決定します。







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ロアーハーフはサンダーが入らない形状なので、サンドペーパー手仕上げです。

セメント型で叩き出したのでハンマー痕が多くて滑らかになりません。

アルミ板金はイタリア職人が有名ですが
昔のGPレーサー用のカウリングもアルミ板叩き出しで作ったものでした。
最近はこういうことしなくてもハイテクのモデル造型機とプレス加工で高品質なものが作れますから板金職人目指す人もいなくなったのではないかと思います。

私は資金がないのでハンドメイドしかありません。

溶接は下手です。とてもじゃないけど溶接専門で商売できるほどの技術ではありません。
ガス溶接も、とりあえず火がつけられる程度です。
厚板なら被覆アークがやりやすいですが、1mm以下は無理です。
TIG溶接は左手に障害があって手が震えてしまうのです。
利き腕は右手なので、ガスのトーチは右手で持つのですが、TIGの電極は左手で持ちます。
左腕の上腕骨骨折してから骨にステンレスワイヤーの束が入ったままです。
そのせいか電極のスイッチを入れたときにステンレスワイヤーがコイルのようになって腕を震わせてしまうのです。
左手で慣れてしまったTIGを右手に持ち替えても、ビードコントロールが不器用でだめです。
左手が震えないように必死で我慢しながら行っているのです。

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タンクの内側を先に溶接します。
タンクはガソリンの容器ですから
ガス洩れがあってはなりません。
外側は研磨するので、溶接ビードは無くなってしまいます。
内側の繋ぎめを肉盛りすることで、完全な容器になります。

アッパーとロアーの接合部は最後に溶接しますからビードは削りません。





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次に外側を溶接します。
タンクの外側は意匠になりますから
繋ぎ目が無くなるまで削ってからサンディングで研磨します。

口金やコックの穴あけは切粉が入らないように先に空けておきます。

口金のネジが特殊ピッチのため、旋盤の換えギヤがありませんでしたのでNC加工にします。


何故、得意でもない仕事をやっているか。
目的は置いといて、方法論だけ言いますと
上手な人に頼めばいいではないか。
上手な人とは専門職ですね。専門職は高いはずなんですよ。
ある機械メーカーの金属加工の作業工賃は1時間あたり3500円で算出すると聞きました。
10時間で35000円。(設備代、材料代は別で)この時間工賃でタンク作ったら200時間で70万円ってことになります。
メーカーの試作なら普通だと思いますけど、一般のお客さんが一つの部品にそういう大金は払えないはずです。だから人件費削減して買えるくらいの値段にしています。



3年くらい前に製作を頼まれたアルミタンクを今頃になって作り始めました。
取り付けを合わせるフレームはお預かりしていますので、ご注文は継続していると勝手に解釈して
アルミ板を木ハンマーにて叩き始めました。

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ここまで成形するのに二日掛かりでした。

タンクの製作するのに必要なプレス機や金型などの設備は一切ありません。

板金鋏と万力、木ハンマーだけです。

セメントで造型しましたが、叩き台にはなりませんでした。アルミ板の形状を当てがって確認するために使います。

鉄板の作業台の上で叩いたら、大変な騒音で、警察に通報されたり、仕返しの嫌がらせをされても詰らんことになりますので
床のコンクリートの上にウエスを敷いて叩くのが一番静かでした。
ようするに、一般家庭の軒下で出来るくらいの道具ですから、どのような物ができるか保証できません。

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叩き出したアルミ板を仮止めして、形状の確認をしました。

すると、このままでは問題があることに気がつき、明日やり直しすることにします。

私は根気が無い方だと思いますので
同じ作業を繰り返していると段々仕事が雑になってくるので、気晴らしなどしながらゆっくりやるようにします。

去年はチャンバー6台分、奈良まで納品に行ったあげく、キックが当たって全部持ち帰ってやり直したんですから、
これはやり直してもタンク一個なんで大したことありません。

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不具合箇所を修正してアルミ板を仮止めしました。

この後、本溶接して研磨すればタンク本体は完了ですが、今度は溶接の鬼です。

口金とコック、後部ブラケットもこれから作りますので4日くらいの作業と思います。








第26回日本ものづくりワールドを見るため東京ビッグサイトへ行ってきました。
本田技研早期退職グループのシオハウスさんからお誘いがあり
「怪我で仕事できなくてヒマでしょう。機械要素技術展でも見にいきなさーい」と促され
仕事を投げ打って最終日の今日に間に合いました。

今回は出展社数2230社ということなので8時間かけて見て回っても1社当たり12秒しかかけられません。
広い会場なので全社素通りして歩くだけで終わってしまう出展数です。当然全部見るのは不可能なので
分かりにくい分野を飛ばして興味あるとこだけ厳選してみて回りました。
製造技術の一部だけですが、見たことを箇条書きに説明します。

3D金属積層造形   以前3Dプリンターは実物の材質までは実現できないと書いたことがありましたが、2001年ころにレーザー照射熱で金属の粉体を溶融する技術に成功したらしく、
樹脂を積層して立体模型を作る3Dプリンターと同様に金属粉末を焼成して造形する装置が既に実用化されていました。
偶然にも高専の卒業研究は粉末冶金をやったので、鋳造鍛造と違った金属結合については理解していました。しかし、レーザー溶接とプリンターの技術を導入することでこれだけ自在な成形が可能になるとは夢にも思わなかったことです。

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実用化されている部品の一つ
航空機用の主翼に使うフラップのヒンジだそうです。
材質はチタン製
チタン2種でも64チタンでも出来るそうです。
航空や宇宙開発の方が強度と軽量が必要な分野なので、早く導入されたようです。

アルミだとADC1とADC3 ダイキャストと同様です。
ステンレスや炭素を含まないスチール
ブロンズ(青銅)
耐熱材のインコネルや超硬のコバルトクロム
18ゴールドやシルバーも実用化されているようです。
スチールにカーボンの含有が不可の理由は上手く溶け合わなくて欠陥になるそうです。
したがって炭素鋼の3D積層は今のところ不可なので鉄鋼の熱処理品はできないですが
チタンやコバルトクロムで代用すれば、中強度の部品であれば実用可能ということになります。
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ジェットのノズルみたいですが複雑な集合パイプです。
材質はチタンで肉厚は1mmくらいです。
均一ですごく軽いです。

造形品はCADデータで設計されたものを基にしており、モデリングや金型製作のような工程は一切ありません。






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チェーンのように連結された造形も3Dならではの作りではないでしょうか。

粉末の中に浮いた固形物を表現すれば接触していないリング状のものを組み合わせることが出来る例です。

もちろん連結には組み立ても溶接もありません。3D積層だけでできています。








レーザー溶接とマイクロプラズマ溶接

これは画像はありません。溶接痕が見えないくらい小さいので、例えば平板を巻いた円筒の繋ぎ目が見えないくらい滑らかだからです。
最小で0.1mm厚の金属の板を突き合わせ溶接できるというのです。
TIG溶接との違いは、溶接電流10A以下になると溶接できないのに対して1Aの電流でも安定したアークが得られることにあります。しかも熱影響深さが0.1mmという極薄で溶融できるので、焼けや熱歪みが発生しにくいことも上げられます。
微小部分の溶接のため接合部を拡大鏡で見ながらの作業でした。
うちでは0.8mm以下の薄板は難しいので溶接しないですが、レーザーかマイクロプラズマ溶接機があれば出来るかなと思い、値段を聞きましたら
レーザーで1千万円、マイクロプラズマの安いタイプで350万円ということでした。
高度な溶接技術にはお金がかかるということがわかりました。


マシニング切削

今回の機械要素のブースは3Dプリンター関連のものが大半を占めていて、機械切削の分野は影を潜めてしまった感じがしますが、とんでもありません。
超絶切削加工は健在です。
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チタンの塊から削りだされた王冠

5軸の加工機を駆使して作られたオブジェですがコストを度外視すればここまで出来る技術力を宣伝したものです。

機械加工ですからワーク(加工物)をチャッキングしなければ切削できません。
ツールの移動する軌跡も不思議ですが
最後の加工ではどのような方法でワークを固定したかが謎のワークでした。

球体のマシニング切削するときのチャッキング方法は教えてもらいましたよ。

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これはプラモデルですが、キットの組み立てではありません。
おそらくゴムタイヤも切削ですが
車体もガラスもマシニング切削による
モデルだそうです。
艶出しは研磨です。









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ステンレス加工で電顕の筒の部分だそうです。
マイナス10気圧の真空で気密を保つため筒内部にアクセスするツールは全て丈夫なフランジ付きです。










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電顕の中で差し込まれたパイプはTIG溶接されています。
穴から手を入れて溶接するそうです。
熟練だねー











現在骨折治療中につきバックオーダーの製作延期または新規受注の制限など行っておりますが
毎日のように業務依頼の問い合わせがあります。
段々できるようになると思いますので、しばらくの間ご容赦いただきとうございます。

さて、骨折していても出来ることは進めておかねばなりません。
タンクのモデル造形中です。

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クレイモデルからグラスファイバーで型取りしたものです。

これの内側が製品表面を表しています。











CIMG4294.JPG

樹脂型にセメントを流し込んでいます。

白く見えるのは鉄板の蓋をポリエステルパテで押さえてセメントが漏れないようにしてあります。

型底は水平ではありませんので
セメントが乾きかけたところで成形して
型底形状に倣うようにしています。






CIMG4297.JPG

樹脂型を離型したところです。

セメントは砂を混ぜることで分子の結合力が増し、割れ難くなります。
アルミ板叩くには充分な固さです。
火炎で炙っても大丈夫です。

実はアルミ板金をフリーハンドで行うことに限界を感じていました。
なかなか思った形状にはならないです。
あと、なるべく溶接の少ない板取りをしたいんですが型紙を作成するのも
叩き台があれば、やりやすいのです。
というか、モデルがなかったら無理です。

そんなわけで過去に板金で苦労したことを思い出しながら成形トライに臨んでいるので、完成する保証はないわけですけど、一つ一つですよ。
もちろん、自分でやらなくてもお金払えば出来るメーカーさんも知っていますが頼んでしまったら永遠に技術は身につきませんので、このようなことをやっております。
世の中には大学のデザイン学科のようなものもあって、高額な授業料払って練習する人も大勢いますが、ここには先生もなけれな授業料も必要ありません。全て自分の思いのままです。


ほしいものがあれば、効率のいい仕事をして得た収入で買えばいいではないか。このように考える人もいるでしょう。

私の考えはこうです。
例えば陶芸家という仕事があります。
陶芸家は作品を買いたいと思うでしょうか?
自分で土をこねて、絵付けして、焼いて、作品を作ることに意義を感じていると思うのです。
結果的に作品の出来栄えに応じて値段がついて生活の糧となるけど
その裏には数え切れない失敗作もあることでしょう。
私も最初はオートバイメーカーで働くことを目的としていましたが
配属された職場は物を作らない職種だったことが退職の動機でした。
会社は組織ですから自分の希望どおりには物事が運べません。
ですから今は資金力や経験不足で苦労は多いですが
自分で考えたとおりの仕事を遂行しています。


謡曲「鉢の木」に出てくる台詞。中高年層しか知らないらしいです。
鎌倉時代に群馬の貧乏武士、佐野源左衛門常世が旅の僧に大事な鉢植えを焚き火にしてもてなした後、幕府から鎌倉へ召集され出迎えた将軍北条時頼が旅の僧だったというストーリー。
一大事のときは何をおいても鎌倉へ参じるという意味の言葉ですが
オレもちょっとやってみたかった。
朝出発したアクティーが入間市あたりでファンベルトが切れてレッカーで鶴ヶ島まで逆戻りというアクシデントから始まりましたが、サンバーに乗り換えて10時過ぎに再出発しました。
すると昼頃には江ノ島に着いているという早さです。
圏央道が茅ヶ崎まで開通していたおかげで、昔は半日掛りの移動だったのが今では1時間半です。
便利になったなー、と驚きながら江ノ島の駐車場に突っ込んで、藤沢駅から江ノ電に乗って移動です。

最初の目的はもちろん大仏です。今日は全部初めて見るものばかりですが、鎌倉の大仏を見ないで死ぬわけにいかぬ、ということで。

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私が冶金学の分野に接していなかったらこれほど興味を抱かなかったと思います。

それは、この仏像が青銅(ブロンズ)の鋳造を製法としてること。
1200年代ですから千年ほど前の鋳造技術がどれほど高度なものだったか。

特に大仏の胎内拝観が鋳造法案の推定を可能にしているので、長年謎に思っていた部分が解き明かされた気分になりました。

坐像高さ11.79m 土台修復時にジャッキアップして実測した重量が121トンということです。他に例をみない巨大鋳造品です。

釣鐘の鋳造は粘土の鋳型に青銅を鋳込む
重力鋳造ですが、大仏はそれとは違った技法を用いていると思います。
それは巨大さゆえ、一体の鋳型が作れないということ。
青銅の溶解の量にも限りがあるので、継ぎ足し継ぎ足し鋳造されていること。
推定30回くらいに分けて鋳造されたとするなら、一回に溶解された青銅は約4トン。
これだけの溶解をできる炉の構造はどうだったか。

銅の融点1083°ですが錫を添加することで800°程度まで下げられるということですが巨大な石釜に薪をガンガン炊いて溶解したと思います。
青銅だけで4トンにもなる溶湯を持ち上げるクレーンがあるわけじゃないので、湯口より高いところに溶解炉を置くために、鋳造毎に盛り土をしていたであろう。
高徳院敷地内の地質調査で地層に関係ない大量の土が発見されたことで証明されています。

では鋳型の構造はどうであったか。
鋳造を継ぎ足しするということは、完全に湯境いという欠陥になります。
冷え固まった金属に溶湯を鋳込んでも溶け合ったりしないわけです。
結合が弱ければ鋳型を壊した瞬間に像が崩れることでしょう。
鎌倉時代の鋳物師は、そういうことも分かっていて分割された型の繋ぎにカギ型のアンダーカット形状をこしらえて、機械的結合にしたようです。その様子は胎内拝観で観察することができます。

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内部はこのように型が分割されて構成された跡が見てとれます。

着物のひだが内側にも造形されていることから、鋳物の厚みはそれほどではないと推測できます。
私の想像では3cm前後、屋根瓦くらいのものだと思います。
そして、内側と外側の鋳型の材質は木材だったのではないでしょうか。
これくらいの厚みの800°くらいの青銅を鋳込んだとしても木材表面が焦げているうちに凝固するだろうと思います。
また鋳型が動かないように粘土などでバックアップしていれば冷却効率も上がるはずです。

木材の鋳型の理由は、あくまで自論ですが鋳鉄ほど融点が高くないので砂型でなくても燃えないということ、彫刻の仕上がりがそのまま鋳肌になっていること。
そして、原型があったとしても砂型鋳造のような型抜きが不可能なこと。
とんでもない勘違いしているかもしれないので、知っている人がいらっしゃれば、お教えください。

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第2目的地 鶴岡八幡宮

江ノ電に乗って鎌倉駅降りたら直ぐに参道が始まります。

征夷大将軍 源頼朝が1208年に神宮寺創建の神社です。

三大幕府最初の場所ですから日本人として
ここへ来ないで死ぬわけにはなりませぬ。

なんか最近神社仏閣めぐりが趣味になりつつあります。
単純に楽しいです。


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美しいねー
そして昔、日本の中心だった場所。
災害や戦争にあっても豪華絢爛な雄姿を
残してくれたことに感謝します。

歴史を知ることと美術的な観点を持つという両方の意味で国宝、史跡めぐりは人生に深みを与えてくれる気がします。







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お、CB350先輩! 72年くらいのですか?

古都鎌倉に完全に溶け込んでいます。
海が近いので錆には厳しいですが
実働のようなので貴重な存在に見えました。

(71年型 CL350K が正しかった
特徴はスクランブラータイプのハンドルと
左2本出しアップマフラーです。)









CIMG4259.JPGそして初江ノ島。

平日にも関わらず人多いです。
これでは土日ここに来るのは大変なことでしょう。
駐車場空いてないし、道路は渋滞、電車は満員ですから。

天気予報のレポートとかによく使われるロケーションですが、江戸時代の浮世絵にも描かれている超有名スポットなんで
愛媛の山育ちのオレからすると羨望の眼差しです。



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知らなかった江ノ島の事実。

神社やお店もたくさんあって驚きですが
民家も結構建っているのが意外でした。

しかし周囲はむき出しの自然。
この絶景の場所に住みたいという気持ちもよく分かります。

田舎のすばらしいところは人間が開発していないところにあるんです。
でも、ここは田舎じゃない不思議な場所です。


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馬鹿は高いとこが好き、オレも例外じゃない。

展望灯台に上がってみました。
江ノ島が島で無くなる瞬間。

干潮のときに砂浜が現れて陸続きになります。
浮世絵でも砂浜を歩いて渡る庶民の様子が描かれています。

浜は海水浴で有名な片瀬海岸



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ヨットハーバーは東京オリンピックでヨット競技に使用された場所。

対岸はサーフィンのメッカ、稲村ヶ崎
逗子、鎌倉と一望できます。
先端は毎年行っている城ヶ崎なのかな。



ここは訳ありそうなアベックばっかりです。(殆ど手つないでる)
複雑な人間模様あるんですね。


日が暮れてからR134をサンバーで流しながら、横浜横須賀道路へ合流し、R16経由して帰りましたが、平日のためか道路空いていて3時間くらいで帰宅できました。  フゥー







右鎖骨骨折、手術後3週間ですがチタンプレートとネジ4本で結合された状態です。
生体的には全く繋がっておりませんので、右腕を大きく動かしたり重い物を持ったりできません。
まして鉄板を曲げたり、ハンマーで叩いたりする動作は全く無理です。
骨の再生状況に応じて、段階的に動かしていくと思いますが、現状で何ができるかを把握するため
無理の無い程度に手を動かしてみました。

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R25の改造計画です。
セパレートハンドル装着の影響で
メーターとフロントマスターがハンドル左転蛇で当たってしまうので
メーター取り付け位置を前に移設するため
カウルステーの製作に着手しました。

しかしレーサーのカウルステーのように単純ではありません。

フロントカウルのマウントはバックミラーのステーを兼ねており
デュアルヘッドライトの固定とメーターの固定も付いていますから複雑な形状です。

先ずは各ボルト穴位置と取り付け角度を決めるための治具製作を行いました。


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フレームマウント ボルト2本
バックミラーステー ネジ4箇所
メーターマウント ネジ3箇所
ヘッドライトマウント ネジ4箇所

合計13箇所のネジ位置を合わせた
3次元座標を決めて作りました。

車体取り付け状態で目視確認が不可能な位置なので非常に難儀な作業でした。






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メーターのラバーマウントの状態です。

ノーマルカウルに納まって、ハンドル操作に影響しないメーターポジションは、ここしかありませんでした。

全て1mm単位しか隙間に余裕がありません。

セパハン装着の影響は最終的にこういう部分まで及んでしまいますので、安易にボルトオンすることは考えない方がいいでしょう。



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カウルステーを車体装着して確認です。

ブレーキマスターとメーターの干渉もギリギリクリアできました。

装着すると相手部品との位置関係が目視確認できないことが、お分かりいただけると思います。

これは幾何学的なセンスがないと不可能な製作物だといえるでしょう。

売り物ではありませんので、右肩骨折状態で出来るトレーニングの一環でした。

現在は上腕が肩より上に上がりませんので、右手で顔洗えないくらいです。
右手でクルマのハンドルは回せませんので、フライスのハンドル操作も無理ですね。
力の必要がない物を中心にゆっくりやっていきます。


CB750は初期型のK0砂型クランクケースの車両が最も価値があるという説があります。
途中からダイキャスト品で生産されているのに砂型がいいという根拠はどこにあるのか?

砂型鋳造はダイキャストに比べて、精度や材料強度が劣るので工業製品としての価値は落ちるというのが通説のはずです。
しかも生産性もダイキャストの方が上、即ち量産向きということです。対して砂型は少量生産向けといえます。
その最大の理由は金型製作のコストにあります。ダイキャスト用の金型は高額なので少量生産に向きません。砂型は原型に砂を込めて型抜きした空洞に溶湯を鋳込むので比較的コストが安い。
推察できるのは、品質の劣る砂型クランクケースの希少性だけを取って憧れているに過ぎないということで、ミッションや同弁系に不具合を持った初期型のCB750は飾り物としての骨董品としては後期モデルより貴重ということだと思っています。

現代の工業製品は加工データと生産設備を持っている企業であれば、どこでも同じものが作れてしまうことが、製品の希少性を失っていると考えるのです。
その反対で人間の能力と手作業による技術で作られたものは希少性はもちろんですが、現代の生産技術をもってしても再現不可能なことであります。

そんな人間の手作業によって作り出された芸術作品に会うために上野の東京国立博物館へ行って参りました。

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国宝として指定されている日本刀を常設展示しています。

国宝 三日月宗近 平安時代 10から12世紀ころ建造

現代の鍛造やレーザー加工などを駆使して外観上は似せて作ることは可能だと思いますが、刀剣としての機能までは真似できないと思います。
それは、鋼の鍛錬をすることによって得られる結晶構造や熱処理後の組織までは自動で再現できる加工機が存在しないからです。
そのことによって独特の刃紋や肌模様はこの作品だけが持つ芸術性なのです。

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重要文化財 長船光忠 鎌倉時代 13世紀の作品

備前長船派の源流といえるでしょう。

特筆すべきは800年以上も経過した鉄製の作品が、新品同様のコンディションで維持され続けていることです。

おそらく現代の自動車やオートバイは100年後に維持できている割合は1%に満たないでしょう。
800年後となれば一部部品を除いて完全に消失しているでしょう。


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重要美術品  津田助広  江戸時代
延宝五年(1677)建造

同館展示品で最も新しい刀剣であります。

平安時代の刀と大きな違いはないように思われます。
これは伝統的な技法が長きに渡って伝承されてきたことを意味します。

現代の刀匠の一人が話しておられた言葉があります。
「自分の人生はあと20年くらいで終わってしまうが、作品は何百年後も残って自分が生きていたことを伝え続けるだろう」

そのことから、芸術作品は現世において生活の糧となると同時に後世に対して訴えかけるメッセージを残すものであるに違いないのです。

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5月の節句には床の間に鎧兜を飾るのが日本の慣わしですが
これは本物の甲冑。

国宝  白糸威鎧  鎌倉時代 14世紀拵え

源頼朝の甲冑として江戸時代、徳川幕府まで伝えられたもの。

刀剣と甲冑は切り離すことのできない、時代の象徴のようなものです。



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甲冑の修復に役立つように絵図面が残されていました。

幕府の奥絵師として召抱えられた
狩野伊川院の筆による 19世紀の作品

写真の無い時代ですから絵書きの腕前が現代のデータに匹敵する役割を持っていたことと、絵画の美しさは当然ですが
均質な紙の製造が当時から行われていたことに驚きを隠せません。
現代の人が手作業でこれだけのことができるかというと、伝承されてない技術は失われているだろうと思います。

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場所は変わって国立西洋博物館
アウグストゥス・ロダンの弟子
アントワーヌ・ブールデル作のブロンズ像
「弓を引くヘラクレス」
ブロンズは石膏型に青銅を鋳込んで作られますので、各地にレプリカが展示されているようです。
これは川崎造船(現川崎重工)の社長であった松方幸次郎が1918年にフランスで一括購入した個人コレクションだったものです。
終戦後、戦勝国フランスから没収されていたものを吉田茂首相の申し入れで両国で協議され、日本に博物館を建設して展示する条件付きで返還寄贈された松方コレクションが基になっているそうです。
この作品、女性客が真剣に写真撮影している姿を見かけて可笑しかったですが、一見の価値ありです。

骨折列伝

1、17歳 空手の組み手練習中に右手親指を開放骨折。鉛筆が持てず落第するかと思った。

2、18歳 松山オートテックでモトクロス練習中。フィニッシュジャンプ後のメインストレートでハイサイド 
        転倒し左肩鎖骨骨折。同級生と一緒だったので運転してもらって帰れた。

3、26歳 利根川練習場でジャンプに失敗、前転して左肩鎖骨骨折。河川敷にいた知らない人に
        積み込み頼んで、片手運転で帰宅した。

4、28歳 藤沢スポーツランド練習中、1コーナーのギャップにフロントが突っ込んで前転し、右肩鎖骨
        骨折。コースにいた人たちに救護されて片手運転で帰った。マニュアルシフト車を4号線で
         13時間掛けて帰った。

5、38歳 桶川最後のレース、散水された1コーナーで追突されて転倒。後続車が胴体を轢いていった
        ので左上腕骨骨折。粉砕していたので肉だけで腕がぶら下がってしまってショックだった。
         初めて全身麻酔で手術した。

6、52歳 オフビのベテランレースで連続ギャップで転倒。右肩鎖骨骨折。骨が割れていて隙間があっ
        たので切開して金具固定手術。

靭帯損傷や捻挫、亜脱臼などもありましたが、骨折だけ振り返ってみました。
結構無駄な時間過ごしてきたと思います。
もうやるまいと思っていましたが、懲りてなかったみたいです。

連休前に研磨屋に頼んでおいたCRM250のチャンバーが出来上がったと連絡があったので
軽トラ片手運転で引き取りいってきました。まだ右手でハンドルは回せません。

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2型はラインナップでないので
車両持込みしてもらって作りました。

表面処理はお客さんの希望を聞いて施しています。

クロムプレーティング(クロームめっき)は
業者に持ち込みと処理料、引き取りまでやって1万5千円で承ります。
当社品に限りノーマージンでのサービスです。




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連休挟んでしまったので、預かりが長くなってしまいましたが
これで完了です。

怪我してなければ試乗してみようと思っていましたが止めておきます。

2型をラインナップに加えない理由は
管理する治具類を保管するスペースや殆ど注文の無い旧型品を廃止する方針でいるためです。
古い物に対してサポートすることによって寿命は延ばせられますが、それに囚われて
新しいことに取り組む時間が無くなってしまうことを懸念しているのです。

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ようやく今週末納品できます。

次は片手で何をしようかいねー


頭の中では、いろいろ考えてあるんですよ。

早よ骨つかんかなー

えー、骨折の治療方針が出ましたのでお知らせしておきます。
患部は右鎖骨の肩側ですが、骨が割れてかい離しており骨の癒着が困難と判断し、金具固定が適切ということです。
従いまして入院して手術しますので、暫く連絡が取れなくなります。
初めて骨折してから6度目になりますが最後に手術してから14年経過していますので30代以降は殆ど重傷をおっていないと言えるでしょう。
半年治療で休んだとしても、14年で平均すると1ヶ月あたり1日休業と同じですから、それほどでもないように思えます。
はっきり言えることはモトクロスは人生を狂わせるスポーツだということで他人にはお勧めできません。
運よく怪我がないとしても得られる満足は僅かなものです。他にも安全で有意義なことはいくらでもありますから、残された時間を大切にしたいと思います。

怪我の前日に先輩が出品しているプラモデルの展示会に所沢航空公園まで行ってきました。
そこで見たものは驚愕の「超絶技巧」でした。

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模型メーカーがオリジナルになっています。

なんとキットパーツの組み立てじゃないそうです。

プラ板を曲げたり、絞ったりして成形してこしらえたプラモデルです。

「ど、どうやって作るの?」

思わず見入ってしまう精巧さです。




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これも同じ制作者のオリジナル作品です。

実在する機体の写真資料をもとに再現されているそうで

実機の詳細を知り尽くした上での造形や塗装ですから
その豊富な知識と技巧の上手さに感動できる作品です。






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これは、お誘いいただいた先輩の作品で
第二次大戦末期に日本軍が計画していた幻の爆撃機「富嶽」であります。

アメリカ本土へ無給油で飛んで爆撃を企てたそうで144分の1スケール。
右端に少し見えるのは同スケールのB29主翼なので、巨大さは想像を絶します。

エンジンは星形9気筒の4連装で36気筒を6機搭載で4枚のプロペラは逆転して反動を打ち消す2重ペラになっているのが特徴。



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作品に触れてはいけませんので
貴重な富嶽の裏側を見せていただきました。

ハッチの中に見える枡が爆弾を格納するスペースを再現したといいます。

恐ろしい兵器です。

帰りの燃料は積めないので、爆弾おとしてから連合国のドイツまで飛ぶ計画だったようです。

当然護衛機は付いてこれないので、敵機に撃墜されるのは明白でした。

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これも、終戦時まで開発された日本初のジェットエンジン戦闘機。

実験機は出来ていたそうですが実戦には間に合わなかったそうです。

主翼と尾翼が逆になっているのが、面白いです。








会場には100機以上の作品が展示されていて紹介できません。
プラモデル作って得られる収入は僅かだそうです。専門誌に完成品の見本を提供したり、テキストを投稿したりする人たちの集まりだそうです。
プロのモデラーさんたちの本気度が伺えた時間でした。
また来年見に行きたいと思います。



大型連休中もどこへも行かず、こういう時しかできないことをやっておきたいと思います。
R25改造計画、第4段スリップオンサイレンサー製作です。

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ヤマハR25の消音機部分を新作して、軽量化とルックス改善する目的です。

ノーマルエキパイとサブチャンバー部分に触媒が装着されており
騒音と排ガス浄化対策ができていますので
サイレンサー部分の役割は排圧の調整と排気音がメインとなります。







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サブチャンバー出口のパイプが非常に小径のため、ジョイント部分の見た目が貧弱にみえます。
そこで、外径アップされた(φ32⇒φ42.7)
ジョイントパイプとしました。

差し込み部分の隙間を管理した寸法としてありますので
ガスケットなしで吹き返しはありません。






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サイドビューです。

ショートサイレンサーですが、容量を大きめに取ってありますので、消音性能も良好です。

近接騒音4500rpmで80dB/A

2mMAXで91dB/A

ノーマルと殆ど変わりませんね。




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リヤビューです。

出口も大きく排気抵抗はノーマルより少ないでしょう。
消音性能は外観デザインは関係ありません。
中身の仕様が肝心だということです。

サイレンサー単体の重量は1.4kg
ノーマルが2.8kgですから
ちょうど半分の重量でできました。

素材は1.0アルミと0.8ステンレスを使用しています。




今日は快晴だったので、このあと所沢航空公園へ行ってきました。
モデラーの先輩がプラモデルの展示会をやっているのを鑑賞する目的です。
昨日の夜のうちにマフラー作っておいてよかったー。


全日本MX会場でマフラーお預かりしてきました。

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YZ250F後方排気用です。

パイプエンドが凹んでいます。
中身にダメージはありませんが
このまま使用するのは格好悪いですね。

取り外して交換すればいいのですが
この際ですからデザイン変更してみましょう。






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先ずは全バラ検証。

なるほどー、よく分かりました。

新型なんでしっかりとした作り込みですね。
金型代が相当かかってそうなので
しばらくモデルチェンジしないでしょう。

以前のYZマフラーに比べると内径が大きくなっていてパワーが出そうです。





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パイプエンドをテーパーコーン状に作りました。

パイプの内径はノーマルと同寸ですが
長さが伸びていますので、音量に対するマージンが上がっていると思います。

材質はオールステンレスで強度も充分でしょう。





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サイレンサーの断面が異形なオーバルなので嵌めあい寸法を守るために
サイレンサー現品を預かって現物合わせする必要がありますので
パイプエンド単品のご注文はお引き受けできません。

費用はパイプエンド製作1万円
サイレンサー分解、再組み立て4千円
ステンレスリベット50円×8本
グラスウールヤマハ純正部品
送料(本州)1000円
代引き料400円

以上が費用明細となります。

川越のベルレーシング所属だった先輩から御依頼のCRM250R用チャンバーです。
3型以降のチャンバーはラインナップしていますが、2型は取り回しが違っていて互換性ありませんので
車両持込みの場合に限り、現合で製作しております。

ベルレーシングと言えば、83年の国際B級固定ゼッケン7番山口さんが所属したクラブです。
その年の桶川のレースで足首を骨折してリタイヤされましたが、それ以来右足の装具をつけて、ブレーキペダルは踏めないので左ハンドブレーキに改造したCR250に乗っておられました。
私がノービスのころは、利根川の練習場で右足装具の山口さんにブッチギられたことを覚えています。

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チャンバーのスペックはCRM250RRやARと同じものを使いますが
パイプのレイアウトやマウントステーの位置など、共通でない部分が多いので
車体なしには作れません。










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距離は結構走っていますが、手入れの状態から大事に使っていることが分かります。

主目的は近郊の峠道へ走りに行くということです。
オフロードは全く行かないらしいので車体がきれいです。
実は先輩もベルレーシングの国際B級でジュニア時代は鈴鹿のGPで1ポイント取ったことがあるそうです。
モトクロスで酷使した膝の怪我で手術したそうなので、オフロードは封印したということです。


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隙間関係がギリギリの取り回しで出来ています。
この後、研磨してクロームめっきにする予定なので完成したら画像アップいたします。

サイレンサーは社外品が付いていますが
予算に限りがありますので、それをメンテナンスして使います。

飛び込みの修理は受け付けておりません。それは長期間お待ちいただいている仕事に専念するためです。それと同時に、エンジン修理などはここでなくても直せる業者さんは多数あると思います。
そういうわけで、修理依頼は他の手段をお勧めすることにしています。

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今回は知り合いの頼みなので、バイク屋へ行ってくれ、というのも角が立ちますから
先ずは状態を確認するために、お預かりしました。

KDX220SRですが、症状はピストンが割れてしまったのは分かっていて

どうやらクランク室に穴が空いているので
塞いでほしいということです。


仕事終了後にクランクケースをばらして洗浄します。


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Rケースですが貫通して大きな穴が空いています。

予想した最悪の場所の欠損です。

溶接肉盛りしたあとケース合わせ面を正確に擦り合わせなくては使えません。








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Lケースも欠損まで行ってませんが、荷重でずれていることが確認できます。

全体的にオーバーホールの時期だと思いますが、あまり金を掛けたくはないと思います。

また、こういう物を直して使い続けることより
新しいマシンに投資していただいた方が
オーナーさんのためだと、個人的には思っていますが、そのへんの判断は私が決めることではないです。




翌日、オーナーさんに破損状態を確認してもらって修理することで合意しました。

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大きな欠損のあったR側ケースの穴は
ピックアップした破片を溶接しました。














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亀裂のあったL側ケースは溶接にて肉盛り

デブコンで埋めるという案がありましたが強度保証できない理由で却下しました。

可能な限り母材に近い修復を試みるのが正統なやり方と思うのです。

肉盛りは最小限度にケース合わせ面より
少し高めにするのがコツです。

後の面出しの手間を掛けないためです。



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クランク室側はエアグラインダーで
均します。

ケース合わせ面はオイルストーンで
面研します。

面出し完了の目安は、凸凹がある状態では
オイルストーンが滑り安定しませんが
急に摩擦抵抗が出る瞬間があります。
そのときが平面度が上がった状態です。





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面研完了したらRLケースを合わせて
ボルト締めします。
修正部分が浸るように熱湯を注ぎ
気密漏れがないか確認します。

何故熱湯か?
ダイキャストの溶接はピンホールが出来易いので、冷間で塞がっているピンホールも熱膨張すると漏れる可能性があるので
熱湯で膨張させてみると完全にわかります。

漏れると再研磨になりますが、これは全く水漏れなしで合格でした。

後は交換部品が入荷したら組み立てるだけです。

オーナーさんから、「組み立てまでやって幾らだ?」と聞かれたので
知り合いだから「5千円くらいでどうですか?」といいましたら(部品代別途)
「それは駄目だ、もっと取ってくれ」とおっしゃるので、1万円くらいにします。
低品質の修理に飛び込みとはいえ、高額を請求するつもりはありませんので快諾ですね。



最先端の高度な加工技術は高価な工作機械とコンピューターによるデザインの賜物だと思いますが
人間に掛かる工作の難易度は現代のものより昔の方がはるかに高いものだったことは容易に想像できます。
それは現代のように豊富な原材料と高性能な加工機の一切が無い状態から物作りをおこなったことを考えればわかります。
お前は現代人なんだから、先端の作り方をしろ。と言われるなら、こう答えます。
先端の作り方は会社員時代に学んだ、これからは古いやり方を尊敬して学んでいきたい。
日本人だって世界の工業技術から取り残された鎖国時代に、たたら製鉄で鉄を精錬して鉄砲や大砲を作った。
明治時代終わりごろには戦艦も作れるくらい生産能力が向上した。
当時の原材料事情や加工設備がどうであったか、などと想像してみると何でも簡単に手に入る現代の物作りなんてものは、昔の職人から比べれば全然楽な世界なんだろうと思います。
自分なんかが職人の境地に辿り着くことは到底不可能なことだろうと思いますが、少しくらい真似事をしてみたいと思うのは贅沢なことなんでしょうか。

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今日はこの金型を使って工作します。

内容は1mm厚の鉄板を巻いて
円錐台のテーパーコーンを素材に
テーパーエンドを内側にカールします。










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1個目の型を使ってテーパーエンドを折り曲げます。














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左から素材

右へ順番に工程後の加工形状を表しています。

テーパーエンドを内側に折り曲げるのに3つの工程で加工していきます。

金型を製作する旋盤が必要ですが
使用する道具は、鉄ハンマー
木ハンマーと万力だけです。

これで100年くらい前の板金方法でしょうね。

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このようなテーパーエンドが加工できました。

9速ATミッション作れるメーカーさんから見たら三流か工業高校の工作実習レベルかと
笑われそうですが

提示された予算は極僅かです。
何千万円も投資した工作機械や金型を使うわけにはいかないので、安価に作る方法を考えたらこうなっただけです。

こんなことはノウハウでもありませんので
真似して作る人は、ご自由にどうぞ。

会社辞めてから24年も経ってしまいました。
最初の3年くらいは何をやったらよいか、仕事も定まらず今のような体制になって20年が過ぎようとしています。
それは会社に在籍していたら今頃どうなっているだろうなどと未練がましいことを想像したりすることもありますが、これは不可逆反応なので失われた時間は取り戻せないのが人生というものです。
先日のホンダ経営陣の交代は、大問題になったエアバッグの責任を取った形かと思っていたら、違う理由だということです。
ホンダだけでなく多くのエンジンサプライヤーはフランスの発明家ピエール・ルペルティエの特許を購入してATミッションの製造を行っています。
初期のATは3速から始まり現在は6ATが高級セダンのパワートレインの主流らしい(買えないので情報だけ)ですが、これにホンダは意思を入れてしまって7ATを開発して製造を行いました。しかし、ハードとソフトが噛み合わず不具合を出して大きな損害が出てしまった責任を取る形が今回の退任に繋がったということです。
最新のATミッションを見ることが出来る唯一の場所は東京モーターショーで、部品館に駆動系専門メーカーのZFフリードリヒスハーフェンやアイシンAWなどのカットモデルが展示されています。
現物を目の当たりにしても複雑すぎて、私の低性能コンピュータでは理解不可能でした。
ATの部品構成はエンジン本体より部品点数や加工工数が圧倒的に多いと思いますので、最新の高性能、省エネルギー化の立役者は燃料噴射技術と並んでATミッションであると言えるでしょう。

1018ZF.jpg

そしてこれがZFが開発した9ATのカットモデルだそうです。
先述のピエール氏の特許に抵触しない独自の特許を取得してあるので、世界の自動車メーカーに売り込みされていくことでしょう。

画像からみてわかることは、従来の5ATから比較してもコンパクトにまとまっています。
4つの遊星歯車機構と6つのシフト要素で構成されているようですが、その動きは画像みても理解できませんね。

目的は加速性能向上と省燃費性能です。
9速もあるわけですから超クロスミッションで変速直後のエンジン回転低下を抑え
ローギヤからトップギヤの変速比が6ATの6・04から9.84へ向上しており超ハイギヤードの運転が可能ということです。

しかもコンパクトで軽量ときてますから、このZF製9ATの今後の動向にも注目していきたいと思います。(しつこいようですが買えませんがね)


折角なんで、これから買って乗る人もいないと思いますんで音も収録しておきました。





500?Vdueワンオフチャンバー作りましたが、稀なレイアウトと整備性の悪さで2週間の大作になってしまいました。
1回やっておくと2回目はもっと早くつくれるのですが、2度と頼まれることはないでしょう。
作る人は最初に鑑賞できる楽しみがありますが、乗る人の楽しみは計り知れないことでしょう。
Alesaggio 72mm  (ボア)
Corsa    61,25mm  (ストローク)
Cilindrata  499cm3   (排気量)
Rapporto Compressione 12,3:1  (圧縮比)

取説がイタリア語標記なので語学力ゼロの私には解読不可能です。
エンジン性格を推測するのに必要なエンジン諸元ですが、
オーバースクエアなディメンションに高圧縮な499ccは動けば相当なパワーを発揮するはず。
昔、KA3(CR125)が87年にケースリードバルブ方式に変更されましたが、86モデルがスクエアだったボアストローク比がロングストロークになったことがありました。
レース用のエンジンは高回転高出力型なのでショートストロークが定番だと思っていましたので
トルク重視のロングストローク化に変更する意義がわかりませんでした。
後にあくまで自論ですが、ケースリードバルブにすることによって吸気管長が短くなります。
そのことによって吸気抵抗が減る反面、燃料と空気の混合が不十分のまま吸入される。
従って低中速回転の燃焼効率が落ちてトルク不足になることを改善する目的のロングストローク化ではないかと考えました。
インテークが長いカブのエンジンなどは低速も扱い易いトルクがあるのは混合気の状態が良好なことも要因と考えられます。
そこで500Vdueはロータリーディスクバルブです。ケースリードよりも吸気管長が短いのです。
これは、低速域は重視しない高回転高出力を狙ったレース用エンジンのような性格を計画したのだろうと推察できます。


* ロータリーディスクは間違いで、どちらかのブログで読んだ記事を鵜呑みにしていました。
エンジン分解写真を見ると2軸のクランクシャフトなのでサイドギヤの形状とかタンデムツインの様子に似ているから誤解したのでしょう。
インジェクターが掃気ポートに噴射ということなのでタンデムのようにケースサイドに吸気穴は無く、ケースリードバルブが正解ということです。

いずれにしましても、このマシンには乗ったこともないですし、エンジンを始動さえしていないので、
その性格を知る手段がないなかでフルエキゾーストのハンドメイドを託される重圧というものがいかほどのものか、これを読む人には想像していただきたいと思います。

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チャンバーの元データはいただいてありましたので、スペックに関してはデータに沿って製作を行いました。
従ってパイプのレイアウトを決定して取り付けるまでが私の役割ということです。










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上から見た方がパイプワークわかりやすいですかね。













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カーボンパイプはトガシさんとこの内径77mmがノーマルに近いサイズだったので
お取り寄せしました。

前後キャップはアルミ削りだしにステンレスパンチングを差し込んであります。

サイレンサーバンドはビレットにしました。

ステンバンド製作する金型やプレス機が必要ですが、所有してないので外注するとサイレンサー本体より高価なバンドが出来てくると思い、ハンドクラフトしました。


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ノーマルのカーボンブラケット使用がオーナーさんの指定なので、サイレンサー位置もここに決まってしまいます。

出口は大きめなので、排気音に応じてディフューザーを後加工でつけようと思っています。







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燃料タンク乗せてフューエルホースの接続とフューエルポンプ、ゲージのハーネスを結線して、エンジン始動試みました。

試乗できるようになってないですが、排気音くらい聞いておこうと思いました。
この車種のレビューはネットにたくさん載っているのを読みましたが、エンジン始動に難がありそうです。
この個体も同様です。バッテリー電圧が充分なことを確認してからスイッチオン、
セルモーターは勢いよく回りますが一発もつきません。
始動する気配がしないので燃料系や点火系の動作を確認しなければなりませんが
問題箇所にアクセスするのに外装をばらさなければなりません。時間だけが過ぎていきますので一旦作業終了します。
溜まった修理品をかたずけに掛かりますので、夜にでもトラブルチェックしたいと思います。

オーナー様から始動の儀式を教わりました。
メインスイッチを入れてタコメーターの針が振り切って戻る動作をします。この間フューエルポンプも作動していて針が戻る前にセルスターター回せばOK。
昨日は針が戻ってから延々とセル回しても掛かりませんでした。
おそらく上記以外の方法ではECUが始動モードになってないのかもしれません。
スパークプラグもカブってしまって火花が出なくなっていましたので
新品のNGK BPR8ESに交換したら、あっさりと始動できました。
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1100rpmでアイドリングします。
3分ほど暖気運転してから
徐徐に回転上げてみます。
中速までレスポンスが鈍い感じですが
6000rpm過ぎると一気に10000rpmのレッドゾーンまで吹け上がります。
回して乗るタイプのエンジン特性ですね。

音量計測もしてみました。
最高出力発生回転の半分ですから
近接騒音で4500rpm95dB/A
5000rpm96dB/A
2mMAX法でも111dB/A(10000rpm)
車検は近接騒音で計測しますので
97年型のこの車両は合格するでしょう。
これにて一件落着


ようやくパイプの接合が終わりました。
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ビモータのVツイン
両方共後方排気なので取り回しが難解でした。

時間掛かりすぎて、早く完成しないと倒産確実です。

しかし、ここで焦ってはいけません。
急いては事を仕損じると言うではないですか。





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リヤフレームはありませんので、架空のマウント位置を探ります。

フロントバンクはこれでマウント完了。
リヤバンクはリヤカウルの内側にステーがありますので、カーボンモノコックのリヤカウルを被せてマウントステーの取り付けを行います。

サイレンサーは右2本出しになりますのでパイプエンドは右側に向けたデザインにしました。







残りの製作業務、一気にたたみ込もうと思っていましたが
身内に不幸があり、3日ほど中断させていただきます。
この年になると、毎年お葬式です。
昭和一桁生まれの人たちですが皆さんご立派で尊敬しています。
たぶん親族で私が一番出来が悪いと思いますから
こういう時くらいはお手伝いしておかないといけません。
30年後は自分の番なので参考にさせていただく意味もあります。
連絡のつかない所にいますので、急なご用件は対応いたしかねますので
ご了承ください。
久しぶりに天気予報に雨マークが無かったのでSUGO練習を敢行いたしました。
ドライコンディションのSUGO練習は05年以来なので実に10年ぶりですが、今のコースレイアウトになってからは勿論初めてです。
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気温低いですけど、風も弱くていい天気です。
関東にはこういう環境のMXコースはありません。交通費掛けても得るものは大きいと思います。

ここでレースに出る予定はないですが、普段と違った土質やギャップを経験することが目的です。30分4回みっちり乗らせていただきましたので、大分課題が見えてきました。

今回のSUGOへ来た、もう一つの目的は2015年KX85に向けて新しいチャンバーの走行テストです。

89年に若干18歳でHRC契約となり、91年の全日本MX鈴鹿大会では本田宗一郎最高顧問の御前試合でオートマチックRC250Mを勝利に導いた大塚忠和氏のご子息に依頼して新作チャンバーのインプレッションをしていただこうという企画です。
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去年1本目を作ったときは低速トルクの不足を指摘されて、チャンバー諸元を見直して今回2回目のトライとなります。
狙いは高速域を損ねることなく低速トルクも改善することです。

寸法上は、いい数値に出来ていると思いますが、ライダーの乗り方に合わなければ成功とはいえません。

今回はノーマルとの比較ではありません。
テストライダーもSUGO走行が初めてということで、午前中はBUDレーシングというヨーロッパ製のキットパーツで完熟してもらい
午後から弊社チャンバーでインプレッションしてもらうという段取りです。


ノーマルと違う部分はサイレンサーが弊社オリジナルとBUDのショートサイレンサーを交互に換えてみました。キャブレターもMJとJNがバクダンキット装着なので、全然違ったフィーリングになっていると思います。

先に新チャンバーと弊社サイレンサーで乗ってもらい、タカト君にインプレを聞きましたら低速と高速は同じように走るが中速に谷があるそうで、キャブレターのセッティングを提案しましたが、順番に確認したかったので、サイレンサーをBUDのショートサイレンサーに換えてみました。
今度は中速も改善されたようなので、フィーリングは良好になったようです。
乗り手やコース状況によっては変わってくることもあるので、今日はこの組み合わせで乗り込みしていただいて、後日ワークスライダーの忠和さんに詳細を確認していただくことを約束して終了しました。

スペックの決まった物を作るのは板金屋さんの仕事。
スペックを決めるのはテスト屋さんの仕事。
決まったスペックで製品を設計するのは図面屋さんの仕事。
メーカーではそれぞれ別の担当者で分担して製品を作りあげますが
弊社にはそんな専門スタッフはおりませんので私一人で決めているので時間がかかるんですよ。
勿論テスト代は自腹で、給料もゼロです。
間違いなく営利目的ではありません。
本田宗一郎さんの名言に「何かを恐れてやらないことより、何もやらなかったことを恐れろ」
というのがありますが、正にこれを体現しているのであります。





























ツインチャンバーと言えばフロントフォークの方が有名ですが、これは2ストチャンバーの話。
オーナーさんの完全オーバーホールを経て最後のパーツ作りを託されているので、
ここで停滞させてしまっては申し訳ないということで、最優先業務として集中しております。

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Vツインの後方排気ですが
他の例を見ないレイアウトが可能なのは
EFIの吸気系であることです。

2本のパイプが様々な部品の干渉を避けて曲がりくねった形状になっています。

これは製作途中ですが、この後、複雑なレイアウトを検討しながら形状を決めていかなければなりません。

このマシンは普通のオートバイのように金属パイプのリヤフレームが存在しません。


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500V due、このマシンの開発に資金を使い果たして会社が倒産したと聞きました。
その後、別メーカーの傘下に入って存続したようです。

金属パイプのリヤフレームの代わりにドライカーボンのモノコックフレームが取り付きます。
このパーツ単品でR25の車体価格と同等らしいです。

チャンバーを付けるときはこれを外す必要があるのですが、取り付けレイアウト確認には、これを付けなければできません。
難解な作業になります。

右2本出しのサイレンサーも含めて、あと1週間くらい掛かりますので、完成するまで他の仕事は一切中断して集中することにします。

R25改造計画第2弾、ハンドル製作です。
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これはノーマルハンドルです。

なんと鋳鉄です。左右で1.4kgもあります。
まるでハンマーのような重さ。

交換理由はトップブリッジの上側、フロントフォーク突き出し部分にクランプされたハンドル位置が高く、セパハンなのに高さはコンチネンタルくらいに感じられます。

なのでトップブリッジ下に取り付けたレーシーなポジションに変更したかったのです。



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これが手動のフライスで削り出したセパレートハンドルです。

重要保安部品なので、頼まれても作りません。
安全性を保証するのに莫大な費用が掛かるからです。
自分で使うだけですから問題があっても自己責任なので文句をいう必要がありません。

材質はクランプ部分がA2017、パイプが7N01を使用しました。溶接は出来ない複合材料ですが、硬さ重視の選択です。

重量は片側で350gで、ノーマルの半分です。


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取り付けてみて問題発覚です。

ハンドルを切ると、ブレーキマスターがスピードメーターに思いっきり衝突します。

ノーマルハンドル位置が高い理由がよく判りました。

このメーター位置では運転できません。
しかし、ハンドル形状で交わすのも困難な位置です。

メーターの移設で対応することにしました。



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結局、ハンドル操作に問題なく固定できる位置はトップブリッジ上しかありませんでした。

軽いメーターなのでハンドリングには影響ないでしょう。

返って視認性が良くなった感じです。








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前から見ても違和感ないですね。
ハンドル周りはこれで一旦終了です。

カウル装着してから試走してライディングポジション確認してきます。

この次はバックミラーの小型化と
スリップオンサイレンサーの製作を計画中です。




セメント型にアルミ板を当てて叩きました。

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1枚の平板から叩き出しましたが
大体1日掛かりです。

銅鍋作る方が簡単かもしれません。

プロの職人さんが見たら笑うかもしれませんが、
商品と呼ぶには程遠い出来栄えです。




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原型となる樹脂型と比較しながら形状を整えていきます。

このあと実際にフレームに乗せて
上型のモデル製作に取り掛かる予定ですが

作業場のスペースと、まとまった時間が必要なので、止まっている仕事を進めてから
進行状況を更新します。

ヤマハR25の改造計画第1弾、フェンダーレス・キットを作ってみました。
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材質SUS304、板厚t2

複数製作に対応するため
レーザーカット加工を外注で作ってもらいました。
私の仕事は原図の設計と部品の溶接組み立てを担当しました。

3台分ですが希望者が集まれば販売可能ですが、外注費だけで1台当たり1万円を超えていますので、数量がまとまらないと、安価に作れないでしょう。



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組み立て完了しましたが
忘れ物に気がつきました。

ライセンスライトの取り付け穴です。

ハンドワークで穴開けしてライセンスライトの取り付けを行います。









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ランプのステーはスペースの問題で
ノーマルがつかえません。

そのためライトを分解して
アルミで作ったステーに取り換えて取り付けします。

スペースが狭いので取り付けは苦心しました。





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これでフェンダーレス・KIT本体の完成です。

ようやく車体に取り付けできます。











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車体取り付け状態です。

ノーマルを知っている人は、このスッキリ感がお分かりいただけるでしょう。

ライセンスのベースプレートはオプションです。







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基本雨の日や泥の走行はしないので
リヤカウルだけで充分です。

走り出すのは4月以降なので、それまで次の改造パーツ作りを進めていく予定です。









予約いただいてから10ヶ月くらい経ってしまったので、強引に始めることにしないと何時までもできないのでRZ改DT200チャンバーの製作です。
大変お待たせしました。
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ラインナップ品にステンレスチャンバーはありません。
なるべく廉価な商品を提供することが目的の事業なので
材料代や加工コストで金額が増えてしまうステンレスチャンバーの設定は外してあるのです。

さらにスチール型があるから同様に出来るものではなく、バネのような材料特性があるため曲げても戻る性質なので
成形には腕力を必要とします。
スチール品と同じ形状が出来たとしても3倍くらい時間を費やしてしまいます。

巻いたパイプはバフを掛けてあります。
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パイプの接合ができたので、取り付けレイアウトの確認です。

製作費は同等のスチール品に対して2倍いただくようにしています。

スチールの錆が問題ならば、塗装か鍍金をすればいいだけです。
レース用なら性能はスチールで充分ですから、ステンレス品のメリットは磨いたときの艶だけということになります。

このマシンはオーナーさんがRZ125にDT200をエンジンスワップしたものですが
チャンバースペックはDT200ではなくRZ用を踏襲しています。
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チャンバーを注文されるお客さんはサイレンサーの用意はされていない場合が殆どです。
新規に製作するわけですから、ほぼ全員がサイレンサーも同時に作るように依頼されます。

特にこだわりもありませんので、最もシンプルな構造のサイレンサーをあつらえるようにしています。
そのため、このタイプのサイレンサーが当社では一番作った製品かもしれません。



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取り付けできたので試乗してみます。
このエンジンには初めてのチャンバーなので、エンジン特性を確認しておく必要があります。
公道なんでダイナモデータより実走フィーリングが分かりやすいのです。
キャブレターがPWK38に換わっているので操作性がどうなっているか問題です。
アイドリングは安定しています。
3分ほど暖気運転してからローギヤで発進します。
3000rpmでクラッチミートですが、スムーズに走りだします。ギヤレシオの関係もありますが、レーサーのような難しさはありません。
2速、3速とシフトアップしながらゆっくりと加速してみますが、8000rpmまでスムーズに吹け上がっていきます。幅広いパワーバンドを感じますので乗りやすく、ピーキーさも感じないので安心して運転できます。
ちょっと見通しのよい直線で引っ張ってみますと、10000rpmまでは一気に加速していき徐徐に伸びが衰えていく感じでオーバーレブもギクシャクすることはないでしょう。
シフトアップポイントは6000から8000rpmの間が快適に走行できる範囲ですから、一般道で10000rpm以上は必要ないでしょう。

最新モデルは非常にいいんですが、いじれる範囲が少なくて、こういう旧式モデルのほうが好き勝手にいじれる楽しみがあると思います。オジさんは今日も単車いじりでニッコリです。

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昨日のブログ記事を見て、お客さんから速攻でメールが届きまして、
「サイレンサーをもっとカチ上げに、テールパイプを短くせい!」
と指示がありましたので
今日直しました。

自分なりに総合的に判断して問題無きように考えてはいるのですが
お客さんの注文ですから、言うとおりにするのが仕事です。




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バックステップなので
テールパイプ短くしてサイレンサーをカチあげにすると、ステップに乗せた足の踵がサイレンサーに触れてしまうのを懸念してのことです。
ホンダのロードレーサー(NSR)はカチ上げが多かったですがヤマハのロードレーサー(YZR)は低いサイレンサーの位置だったのが2スト時代の特徴でした。このヤマハは上向きがお好みでしたスミマセン。

カスタムの道は難しいのう。

試行錯誤、最近の人はやり方がわからないときにネット検索して予備知識を得てからやると思います。
本格的に取り組みたい人は、それ系の学校に通って訓練するでしょう。
それ以外では師匠を見つけて弟子入りなどしてパワハラなど受けることもあるでしょう。
私の場合は上記のどれでもありません。
やり方は間違っているかもしれませんが、自分で考えてやったことだから結果をみて得られることは他人から教わったこととは全然違った内容になるのです。
よく、「やり方教えてください。」または「いくらで雇ってもらえますか」と聞かれることがあります。
そんなときは、「オレは誰からも教わってないよ」「いくら貰えますかと言うなら、何ができますか?と聞きたい」
何かができないときに自分でわからなかったら、その人はいつも他人に教わらなければできない。
自分の力でできたことだけは、自分のだけの財産なのだろうと思います。
「聞くは一時の恥」という言葉があります。普通はそれでいいんだと思えますが
昔の刀匠は、刀の焼き入れのときに水の温度を測ろうとした弟子の腕を斬り落としたといいます。
教えたことで、いつか自分がやられることを防ぐための策だと推察しますが、物作りを習得することに対する真剣さが伺えます。

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なにやら金属加工とは縁のないことをやっているようですが

石膏型に流し込んだセメントが固まっていますので型から取り出すときがきました。

この時点でも多くの失敗がみてとれて
たくさんのノウハウが得られました。

今度やるときは、もう少し工夫するでしょう。





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離型剤を塗ってあり、抜け勾配も付けてありますので簡単に取り外せました。

セメント型ですが、これの使い方は、品物となるアルミ板の型紙を作って、切り出した
アルミ板を大雑把に曲げておきます。
細かな絞りを再現するために
型に合わせてハンマー成型していきます。

まだ頭の中だけの構想段階ですから
実際に成型したアルミ板の状態は次回にレポートします。←(もったいつけているわけでなく仕事もしないとマズイことになるからです)

私は国産、外車問わずオートバイに詳しくないです。これまで販売された車種の大半に触れたこともなければ見たこともないです。
オンロードバイクはGS、ホーク、GTにKHの時代に育ちましたから80年代以降から本当にわかりません。
その詳しくないオートバイ遍歴の中でもエンジン形式には2ストロークと4ストローク、ロータリーがあって、その燃料供給方式がキャブレターであったことくらいは知っていました。
ところが、4輪車は30年前、2輪車は10年前から電子制御のFI(フューエルインジェクション)が燃料供給の主流となっていて、今では一部競技車両を除いて原付から大型バイクまで全ての車種がFI仕様になっています。
パワー出すだけならキャブレターでも充分な性能ですし、操縦性も何の問題もないように感じられました。
しかし、最新のFIモデルに乗ってしまうと、キャブレターが過去の物であったことに気がつきます。
これは近年の電子制御技術の賜物で小型で詳細な制御のできるコンピューターを車載できるようになったことが貢献しているわけです。
しかも燃料の噴射量の調整だけでなく点火時期の調整まで複雑な条件毎に制御してしまうのですからキャブレターの出番は無いということになります。

そんな万能な感じのFIですが、2ストロークエンジンに採用された例が少なく、一部のGPレーサーに搭載されたことがありますが主流にならなかった背景には制御技術の開発途上が原因であっただろうと推察できます。
そんなことで2ストロークのFI車作って、市販はされてないだろうと思い込んでいた私の浅はかさに、強烈なパンチをもらう出来事が起こりました。

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製造年は97年ころということで、日本には数台輸入されただけで、もちろん走行した同機種を目撃したこともないのですから、すっかり知りませんでした。

L型ツインの500cc2ストロークエンジンですが、最大のユニークさは燃料供給に電子制御式FIを搭載していることです。
タンク下の大きなECUとデータロガーが装備されたこのエンジンは
掃気ポートに燃料噴射しますので
潤滑系はオイルポンプで強制潤滑です。
クランクシャフトは2軸ですからエンジン幅がシングルと変わりません。

2ストロークのメリットは同じ排気量の4ストロークより馬力が出ます。(燃焼回数が4ストの2倍ですから)
そして何より、カムシャフトやバルブといった動弁系の部品を製造する必要がありません。
ですからエンジンメーカーとしては4スト作るより商業的にコストメリットが大きいということになります。
しかも、2ストの宿敵排気ガスも、混合燃料でないですから4ストと同じということになります。

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次にユニークな点は、本来リヤサスが通る部分にフロントバンクのチャンバーが居座っております。
そのためかリンク式のモノショックが横置きにオフセットされています。

このような排気管とリヤサスのレイアウトも他では見たことがありません。

フランスのELF
ニュージーランドのブリッテン
そしてイタリヤのビモータ

私の知る限りの3大コンストラクターです。

おそらく、これが動いたら国内唯一になると思いますが、私に託された使命は、紛失されたノーマルマフラーの代わりに車検対応のマフラーを製作することです。特に難しい要件は聞いてないですが、2度と作らない物を作る醍醐味を味わえる幸せなことではないでしょうか。(商業的には全く成り立ちませんけど)

今月に入ってから稽古ごとに専念しております。
仕事は大量に溜まっているにも関わらず、当分の間売り上げゼロになる予定です。
また霞を食べて生活しなければなりません。

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美術の成績はいつもトップでしたが、それは絵画の話です。
彫刻や粘土は殆ど経験がありません。

柔らかい素材を練って、造形することは私にとっては未知の世界です。
要するに全く素人なので、こういうことで品物が作れるとは思っていません。

だから稽古ごとだと言っているのです。
しかし、半端な気持ちで造形できるわけがありませんので、仕事を止めて専念しているという次第です。



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上はオリジナルのアルミタンクから型取りしたポリエステル樹脂です。

下は樹脂型から型取りした石膏型です。

オリジナル⇒オス型⇒メス型

こういう工程です。

このあとセメントでオス型を作ります。

何ができるやらお楽しみ。
期待はしないでください。
どうせ初めて作ったもんなんか品物になりゃしません。

後日、少し形になってきたらアップいたします。
我が家にやってきて、はや2年。走行6200kmになった1976年式CJ360Tであります。
今月になってから点火の不調に悩まされ、
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IGコイル交換により調子が戻っている今のうちに車検を取っておこうと思います。


よりによって予約日に雪が降るんかい!

午後一番の3ラウンド予約ですが、路面の状況が気になるので午前中に移動してきました。

ビショ濡れにして電気系統がトラブっては時間が無駄になるので、ブルーシートで養生しながらの運搬です。



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最初の難関は雪でラダーが滑ります。

タイヤが確実に乗っかるまで勢いをつけるとラダーもろとも落下転倒することになります。

隣のレッドバロンは二人掛りで降ろしていました。 クソー!







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第3ラウンドはホールショット取れましたが
待機所に屋根はありません。

みぞれで濡れながら1時間待機は簡便してほしい。
誰もいない検査場に入れさしてもらって時間を待ちます。









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2年間、タンクの錆取りやキャブのオーバーホール、ポイントの調整くらいしかしておらず、走行も100キロ未満なので
そのまま車検通るだろうと思っていましたが
甘い考えだったようです。

1回目にライト検査で落ちました。
H10年からヘッドライト常時点灯が義務ずけられており、手元のON、OFFスイッチが不合格だと言われました。

そのあと光軸も不合格で再車検となりました。

手元のスイッチは取り外して常時点灯に直しました。
ライトテストはレンズに付着した水滴が原因で光量が足らなかったのだろうと思って、レンズを拭いて臨みましたが、今度はライトが下向きで検出できないと言われて不合格。

仕方なく雨の中、テスター屋へ押していって光軸調整してもらいにいきました。
すると、ライトステーが曲がっていてランプが右向いていると指摘されて、確認すると確かに曲がっている。俺は何もやっておらんぞ、と文句いっても仕方ないので、一日で限度の3回目再検査へ行きました。

曲がったライトステーのまま、あて舵でライトを正面に向けてテスターに入ったら合格できました。
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気がついたら4ラウンド目に入っていました。

これで車検終了です。
すっかり雪は解けて、積み込みも安全にできました。

あと2年間公道走行OKになりました。
今年こそ奥多摩ツーリング決行しますぞ。

あ、受付事務所でA級ライダー村野秀弥選手に遭遇しました。(ミーハーやな俺)
全然気が乗らない社外サイレンサーの修理ですが、3ヶ月も放置してしまって、今こそやる時がきました。
転倒のためか傷モンになったカーボンパイプをアルミに交換するだけの依頼だったのですが
損傷がフロントキャップに及んでいることが判り、一気に工数が上がってしまうため、優先順位から後回しになっていたのでした。

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カーボンパイプと同寸でアルミ板を巻いておきます。












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損傷していたフロントキャップも鉄板巻いて
溶接で修復しておきます。

リベット穴はアルミ筒を差し込んでから同時加工で
穴開けします。








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アルミパイプの溶接にはこれをつかいます。

パイプの内側にシールドガスの通路となるトンネルを取り付けて

表から突き合わせ溶接します。

裏ビードを酸化させないで健全な溶け込みを得られます。





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使い方はこんな感じです。

シールドガスは垂れ流しですが、流量を手元のバルブで調節して溶接作業します。

薄板の場合は裏側が酸化して溶接欠陥になりやすいので、溶接強度と作業性が向上します。







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アルミパイプにリプレイス完了しました。

頼まれたのは筒の交換だけですが
それ以外のことに労力が掛かる事例でした。
最大の難関はカーボンパイプの取り外しで、
前後キャップがパンチングと一体のため
パイプが抜ける力でパンチングが壊れていくという代物でした。

たぶん、安価にメンテナンスしようとするお客が、まともに分解できずに壊してしまうのが狙いかもしれません。
そうすれば、また新しいのが売れるかも(信頼を損ねるだけですが)しれないことを期待しての作りだと推察します。
とにかく人がいらなくなった中古品に手をだしていると、余計な金や労力が掛かるということです。

実家伊予西条市小松町にて四十九日法要と納骨をして参りました。
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往路はいつも明石海峡大橋です。
天気が良くて美しい景色が好きですね。

支柱の高さと吊橋の長さが世界一だそうです。
世界に誇れる日本の建築技術です。

四国に最も早く上陸できるルートということもあるのですが、山陽道より高松道を走る方が瀬戸内海を臨む絶景が楽しめるので
断然こちらがお勧めです。

復路は本州に早く上陸できる、しまなみ海道か瀬戸中央道になります。

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淡路島で発見した森実運輸のトラック。

郷土愛を感じますね。
4トンのパネル全面ラッピングですよ。

それにしても大きな印刷ですね。
全塗装の時代は過去のものになってしまいましたね。






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納骨の前日に到着してお墓掃除をしておきました。

お墓を見るといろいろなことが思い起こされます。

母親が亡くなった昭和46年(享年39)から
5年後に父親が建立しましたが
当時46才でしたから、大変お金に苦労したのでしょう。5年間貯めてから、しかも二人の息子が進学の時期です。
こんなに立派なお墓を建てたのも、霊票を見て分かるように、後に入る人に負担が掛からないように余白が空けてあることで、納得できます。

気が付いたら私も年を取ってしまって、何一つお返しもできないまま旅立たれてしまいましたが
お二人の間に生まれてこられて良かったと思います。そうでなければ今の自分がいないのですから。せめて遺言に書かれたことに背かないように生きていくことが使命だと思っています。

法要と同時に、「かんにち」という、この地方特有の風習も行いました。
死者の正月に当たるもので、墓の前で餅を炙って親戚の者がちぎって食べるだけなのですが、
その由来は、ここは戦国時代、高知の長曽我部氏が侵攻してきて、地元の城主黒川氏と戦闘を行った場所です。
大勢の両軍の武士が斬り合って亡くなった場所ですから、その武士たちの供養の方法が現代まで引き継がれてきたということです。

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家の用事を急いで済ませて帰り道、どうしても立ち寄ってみたかった場所を発見しました。

R11加茂川を渡るときに土手に立っているのが見える看板です。
学生時代から看板は見たことありましたが
書かれている意味が分からなかったのです。
所沢で零式艦上戦闘機を見てから、いろいろ調べていたら、最初の神風特攻隊の隊員のことが分かって
その指揮官が地元西条出身の若者であったことを知り、いつかは慰霊碑を訪れたいと思ったことが叶いました。
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これが楢本神社に建立された敷島隊五名の遺品を埋葬した忠魂碑です。
傍らの砲弾は実際に搭載した爆弾と同型のものらしいです。

第一航空艦隊司令長官大西滝次郎中将(終戦時自決)の命令により
昭和19年10月20日編成
同10月25日出撃
敵護衛空母セント・ローに命中し、弾薬庫爆破により沈没せしめた日を記念日として毎年、この記念館前で慰霊祭が行われているそうです。

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境内にかかる隊員の紹介文

隊長の関行男中佐は最初の作戦命令に即答しなかったといいます。
「私なら250キロ爆弾を何度でも命中させられますが、それでは駄目でしょうか」
上官はいいました。
「駄目だ、最初の攻撃に成功しなければ後に続く者が躊躇してしまう。この作戦を成功させられるのは君しかいないのだ」
しかし、成功するということは確実に死ぬということを意味します。
一晩考えた関中佐は決心したといいます。
そしてこんな言葉を残されました。

「私のような優秀なパイロットを死なせなければならない、この国は負けることは確実だろう。しかし死んで作戦の無意味さを軍部に分からせることが戦争の終結を早めることになるならば、国民や子孫の平和の実現のため犠牲になることを決意した。」
恐るべき勇気と責任感をもった男だと思います。それに従った他の隊員たちも同様です。
勝てる見込みの無い戦いを仕掛けたのが元で、後に引けなくなったうえ、二度目の過ちの始まりだったわけですが
戦没者を軍神として崇め奉ることに、賛否両論だと思います。
だから私の主観を言わせていただくと、最近のリアルな戦争映画が公開されていく目的として、より事実を風化させないで後世に伝承していくことが平和解決の道だと思っています。
戦争体験者は日に日に失われていきます。
上記の大黒繫男隊員は父親の通った新居浜工業高校の先輩であり、大正10年生まれの関中佐と同年代の叔父はシベリアに9年間抑留されて帰還しましたが、まだ存命であります。
残された者は史実を無きものにすることなく伝承することが、敷島隊のほか数千人の無駄死にした大正生まれの若者たちが意味のあることにできる唯一の方法だと考えております。
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東大医学部初代教授
真鍋嘉一郎氏の生家が楢本神社境内にあったのですね。

知らなかった。
西条市って重要人物が多いですね。

国鉄総裁で新幹線の父と呼ばれた十河信二さんは西条市長を勤めたりしましたし。



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手前は東郷平八郎率いる戦艦三笠がバルチック艦隊を撃破した主砲砲弾です。
三笠は大正15年に廃艦されて、現在は横須賀港に展示されているようです。

後ろの大きいのは戦艦大和主砲砲弾

全長1.95メートル
重量1470キロ
装薬量330キロ
初速780メートル毎秒
最大射程42000メートル

史上最大最強の砲弾だそうです。
明治時代から戦艦作れる造船技術が日本にあったなんて信じられません。
製鉄所が既にあって、溶接はガスでしょうかアークでしょうか。物作り日本の力が皮肉にも、人殺し兵器のために発達してきたことも忘れてはなりませんね。




来週の水曜日に父親の四十九日法要のため、片道850キロ走って帰らねばなりません。
自走で帰る理由は、車両の運搬と納品を兼ねているからであります。

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こんなパイプを作っていますが、1本あたり3日掛かりますので土日休まずにやってもあと2本ちょっとしかできませんが
車両の返却がマスト要件なので月曜夜が積み込み期限で進行しています。

全長長いので通常のチャンバーより溶接が50%多いです。







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ビンテージチャンバーなのでガス溶接で繋いでみました。

車体は返却するので、治具で合わせたものと同等性を確認しているところです。

口元からテールパイプまで長いので僅かに傾いても位置が違ってしまうので、位置決めに相当な時間を割いています。

このような大きな商品は複数梱包すると荷物サイズの関係で、宅配便では送ってもらえません。
梱包も厳重に行わないと、運送中にダメージを受けることになるので、長距離ですが自走で運んだ方が安心ということです。

91年はホンダオブUKを立ち上げるためにイギリスに長期滞在しておりました。
土日は会社が休みなのでレース観戦に出かけるのですが、JULY 7th 開催の世界GPモトクロス500ccクラスは、ある意味で忘れられない日となりました。
それはレース当日の夕方5時の飛行機でベルギー出張の予定だったからです。
移動は出張者全員にカンパニーカーを貸与されていて自分で運転するのですが
会場のホークストーン・パークまで滞在先のファーリンドン村から2時間の距離です。
滞在はホテルを出て駐在員の社宅に居候していて、そこからヒースロー空港までは1時間の距離です。
F1レーサーのアイルトン・セナがスピード違反でつかまってニュースになったM40(モーターウェイ)を走ります。
この移動時間から、飛行機に間に合うためにはファーリンドンの社宅を3時出発がリミットでした。
従って早朝、ホークストーン・パークへ向かって午前中、500ccの公式練習と前座の250ccクラスのレースを観戦しました。
250のレースは当時AMAチャンピオンだったJM・バイルも出走していましたが、地元のカッコ悪いオッサンが速くて勝てないくらいレベルの高いものでした。
イギリスのコースはここに限らず、自然の地形を利用したものが多く、ハイスピードでテクニカルなものです。
日本に見られる狭い土地を平らにしてジャンプを造成したようなコースではスピードのレベルが違うことが分かります。
しかも長距離移動しなくても多くのサーキットが存在するし、ドーバー海峡を渡ればすぐフランスという立地の良さですから優秀なレーサーが育つのも当たり前かもしれません。
結局500ccのレースはスタートだけ観て、急いで帰りましたので決勝レースは観てなかったのでした。


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ホークストーンの売店で買ったTシャツ

KX500に乗るUFOのジャージは英国人ライダー、ポール・マリーンがモデルです。

この年はジョルジュ・ジョベがCR500の市販車で500ccタイトルを取りました。
ジョベやJ・マルテンス、B・ライルズなど本物のGPライダーの走りを目の前で観れたことに感動です。





ヒースロー空港に着いたのは搭乗時間30分前でしたが、同じ会議に出席するパーチャスセクション(購買部)のリック・スミスと偶然合流できたのでチェックインもやってもらってスムーズに飛行機に乗れました。
ベルギー・ブリュッセル空港には栃木からチーフエンジニアと現地法人の日本人が合流してホテルへ向かいました。
翌翌日はドイツ・ハノーバーで別のメーカーで会議。ドイツとイギリスは時差が1時間ありますので帰りの便は夕方5時にハノーバー発、5時ヒースロー着という不思議な体験でした。飛行は1時間でしたが地球の自転に逆行しているからなのですね。
ハノーバーの売店でスミスさんに「友人のコバヤシにドイツのエロチカルマガジンをお土産に買ってやりたい」と告げて本屋で物色していると、スミスさんが「そんなのイギリスにも売っている」と言うので
「いやいやドイツでしか売ってないのを探しているんだ」という意味の英語で伝えました。
法律でイギリスでは、男女の絡みは掲載禁止になっていますがドイツではOKなので、それを探していたのです。
ヒースロー空港に着いたらロングタームの駐車場に停めた社用車のバラードに乗り込もうとしたら、スミスさんが「ワイフに乗せてきてもらったから乗せて帰って欲しい」と英語で言うので乗せてあげました。
威勢よく走りだして、ヒール・アンド・トーでアクセルを吹かしながらクラッチミートさせていると
スミスさんが興味深く私のアクセルワークを見て「ヒール・アンド・トー!」と発声してました。

後日、国内のメーカーに出張するとき、今度はスミスさんのドライビングで乗せてもらって驚きました。
まるでラリードライバーのようなドライビングテクニックでタイヤをスライドさせながらブラインドのワインディング道路をカッ飛ばしていくのでビビリました。
モータースポーツの国ですから一般ドライバーが既に速くて上手いのです。
日本のように信号と一時停止で交通を遮断している国とはスピードに対する経験が違うようです。








A級ライダー製造所、モトクロス版虎の穴、マウンテンライダーズ主催のトランズジャパンモトクロスはトランズAMAというスーパークロスシリーズ戦に準えた名称です。
コース作りもライダースパーク生駒に主催者自ら行うという、今のモトクロス界とは比較にならない情熱を感じられる大会でした。
私は関東選デビューの年で、このレースは観てなかったので、有難く共有させていただきました。
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私をモトクロスの世界に引きずり込むきっかけを作った人

78年125cc世界チャンピオン渡辺明
この年全日本250ccにフル参戦しており
彼の現役時代の走っている映像は貴重です。

このときすでに30歳だそうなので24歳のヤングチャンピオンだったのですね。






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28xは125ccに乗る怪物、東福寺保雄

動画中に収録されたチビッコライダー芹沢太麻樹にライディングのコーチをしていた時期。

初めて行った笹目橋のコースで芹沢兄弟の練習を見たとき、お父さんが竹刀を持ってコーチしているのを発見して関東モトクロスのレベルの高い理由を知りました。




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初めて練習で教えてもらったA級ライダーは唐沢さんです。

当時、南大塚に住んでおられて
川島町の山田うどんで待ち合わせて桶川へ練習に行きました。
あのとき教えていただいたアクセルワークを今でも忘れずに走っております。







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アメリカ帰りの光安鉄美
黄色いウエアの光安さんも貴重ですね。

狭山品管の田中主任(当時)がアメリカ出張でスーパークロスを観戦したとき、光安が走っていて、「アメリカンが飛んでいるキャメルジャンプを光安は飛んでなかった」とか朝礼で報告されていたのを思いだしました。

光安さんはスーパークロス好きじゃなかったみたいです。




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トップライダーの殆どが転倒しています。

4xは後に川島町でモトクロスショップを営むあの人の走っている貴重な映像です。
千里スポーツクラブ所属

このあと杉尾選手に轢かれそうになります。







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これは2回転倒しても6位入賞した6x
伊田井佐夫さん

後ろは27 馬場善人、A級1年生でしたがアメリカン仕込みのジャンプは日本人最高でした。

チームメイトの武田久男と狭山へ来てCRの耐久ライダーやっておられましたが
お二人共すでに故人であります。



それでは本編の動画をお楽しみください。


ヒートレースで東福寺選手も前転を喫します。
追いついてきたB級チャンピオン中深迫をコカシながら抜いていくシーンが4:12あたりで見られます。
非常に闘争心のある走りですが、翌年渡米してジム・ホーリーに習った土佐重量の岡崎選手が「練習で競り合ったとき、伊田さんならコノヤローってなるんですけど東福寺さんは怖い」と言っていたのを思い出しました。
やはり、ヤルかヤラれるかの攻防がなければレースとは言えないと思います。
いつでもこんなバトルが観られるならお客さんももっと増えるんじゃないでしょうか。

このように日本のモトクロスも連続ジャンプが飛べなければレースにならないような状況に対応するため、リヤサスのリンク戦争が勃発したのがこの時期です。
これまでのサスはギャップの追従性を重視し、ショックを吸収するリンクレシオ(レバー比)を開発してきましたが、CRにおいては85年から方向性をガラリと一変したプロリンクが開発されたのです。
それはコブを利用してより反発して飛び上がるようにリンクが設計されていました。
その考え方は87年まで継続されますが、88年にデルタリンクに変更されて新しいサスペンションの時代に移行していったのであります。



























弊社は2輪販売店ではありませんし、エンジンチューニング屋でもありません。
エンジン整備について学校で習ったこともなければ、会社でエンジン組み立てする部署にも所属しておりませんでした。
そのため、整備方法が説明されたサービスマニュアルとは全く違った方法を用いることがあります。
マニュアルには一部の最小限度の説明が記載されていますが、細かな注意や手加減によって機械部品の組みあがり状態に差が出てくることの説明がありません。
あくまで自分の洞察力、機械の状態を目で見て判断し、手作業の感覚を頼りに作業します。

専用工具もマニュアルのように全ての工程でそろえていたら、1万円の工賃に対して10万円くらい工具代かけることになりますので、販売店のように頻繁にOH作業が無ければ利益を出すのは無理です。
そのため、良く使う専用工具は純正品を購入したり、自作工具を作って持っていますが、それ以外はハンドワークで分解します。

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たとえば、負荷の大きい高回転部分にはラジアルボールベアリングが使われていますが
圧入でケースを傷めないために、ストーブの上で温めて抜きます。
殆どがベアリングの自重で落ちますが
ガバナーのベアリングとウォーターポンプのシャフトのベアリングが落ちなかったりします。

(クランクシールが取り付いていません。再度暖めてベアリング入れ直します。
クランクシールのストッパーがケース外側にありますので先に内側からシール圧入しないとベアリング付けられない構造です。)

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これはLケースのメインシャフトを受けるベアリングですが、奥が突き当たりになっています。
引っ張って抜くしかありませんが、ニードルベアリングなのでインナーカラーがありません。
専用工具で上手く抜けるのか知りませんけど、ハンドワークで抜きたいとおもいます。

抜いたベアリングは再使用しない前提なので交換部品が確認できた時に限り外します。



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これは禁じ手です。
溶接に自信が無い人はケースにスパークなどさせて修正できなくなりますので、やめたほうがいいでしょう。

ボルトの頭をベアリングのサイズに加工して溶接します。
あとは自作のクランクシャフトインストーラーで抜くだけです。
ボルトは汎用ボルトを100個単位で購入していますので、材料代は100円未満でしょう。
専用のベアリングプーラー購入する理由が無いですね。


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抜くときはあっさりです。なんの苦労もありません。

しつこいようですが、新品の交換ベアリングを確認した場合に限ります。

圧入は再度ケースを暖め、自重で落とし込みますので、プレス機は必要ないですね。

一応組んでしまうと見えなくなる場所なので作業内容示しておきました。



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クランク組み立ては(株)井上ボーリングさんに依頼しました。
弊社は内燃機加工も外注ですが、設備、経験ともに頼んだ方が圧倒的に安価に済みます。
部品の運搬は実費で掛かりますので1往復あたり1000円いただきます。
外注費はマージン無し(ようするに利益はありません)なので
クランク組み立てだけ頼む人は、お断りしておきます。
ご自分で運搬するか、宅配便をご利用ください。

クランクウエブが錆びておりましたので研磨してあります。
新しいのは気持ちいいですね!

3ヶ月前に作っただけで放置していましたCRF150Rのサイレンサー、外観と排気音のビデオ撮影しました。ショート管なので爆音を期待しましたが、意外と2mMAXで110,6dBでした。
エンジンレスポンス軽い感じでタイトコーナーから高速ストレートまでワイドレンジな仕上がりです。



多忙なため当分商品化できませんが一歩ずつ前進していきます。
預かり期限付きのYZ250のサイレンサーを作りました。
チャンバーも作る予定ですが、鉄板の在庫が無くなって取り寄せ中なので
アルミサイレンサーから先に取り掛かることにしました。
ラインナップ品ではありませんので、注文されても車体合わせなしでは作れません。
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構成部品をひとつずつ、加工していきます。

ステンレスパンチング以外はアルミ製です。











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車体に取り付けながら、サイレンサーの位置、マウントステーの寸法などを決めていきます。

図面指示はありませんので、目測で最適な位置を検討して決めています。
ようするにフリーハンドですから
2度と同じ物は出来ません。






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バフ研磨して、グラスウール詰めて組み立て完了です。
エンドキャップは通常リベット止めですが
お客さんの要望でM5ビス止めにしてあります。











明日からチャンバー製作に掛かりますので3日ほどお待ちいただきます。
実は06年アルミフレームにモデルチェンジされてからYZ250チャンバーは作っておりませんので
今回が新作になります。

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パイプは繋ぎ終えましたが
鉄フレームに比べてアルミフレームは厚みが違いますのでスペース的に狭いです。

元々コンパクトな取り回しを求めて、エンジン、フレームにギリギリの隙間で作ろうとするものですが
本当にギリギリで数ミリで交わしている部分があります。
パイプ本体は割りとスンナリ取り外しできましたが、テールパイプを溶接した途端、フレームを通過できなくなりました。
知恵の輪のようにひねりながら押し込む感じで、やっと取り付いた状態です。

マウントステーはこれから付けますがその前に、特別な追加工をする予定があります。

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これが追加工のパーツです。

エキパイより板厚分大きいパイプを作って
半分に切って使います。










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ツインウォール加工です。

250チャンバーは左右の張り出しがあり、転倒するとチャンバーが凹むだけでなく
最も外径の小さいエキパイ部分が曲がってしまいます。
この部分のパイプ強度を上げてダメージを抑えようという目的です。

これは試験研究の一環なので、お客さんの了解を得て追加料金無しでやらせていただきました。
加工時間と工数がどれくらい必要なのか確認する目的なので、通常品には行っていません。

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マウントステーも取り付け完了しました。

これで全工程終了です。

鉄フレーム時代、90年代と2001年ころにA級250で2人のライダーに装着していただきポイント獲得できたチャンバーと同スペックで作ってあります。
一桁入賞はワークスライダーなので、プライベートで15位以内入れば上々の結果だと思います。



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クネクネと複雑なカーブを描いてフレームに押し込んであります。

90年代からマスの集中化ということでタンク位置が下げられ、チャンバー位置がエンジンを囲むようにレイアウトされた、通称ローボーイが4メーカーで主流になりましたが、左右の張り出しと地面との近さから、コンパクトにレイアウトすることが命題となってしまったので、大変苦心したデザインであります。


ドローイングナンバーと読みます。図面番号のことですが、そのまま部品番号となって、製品を作ったり部品発注する基の番号となります。
今回はパーツの在庫が無くなってバックオーダーになった部品の製造ですが、ひょんなことから溶接工程だけ請け負う3次メーカーとして働かせていただきました。
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6角パイプにフランジを溶接するだけの単純な作業ですが、久々に量産気分です。
元請けの会社、N田製作所さんの経歴と驚異的加工技術に魅了されることになりました。

これは6角パイプとフランジの手配と穴加工がN田さんの領域です。
一本あたり8箇所の穴加工があり、108点なので864箇所,板厚4,5mmにφ8,5の穴を空けるのも大変なことですが、特筆すべきはパイプ内側にバリが一切出てないことです。パイプ内面ですから面取りは不可能です。
どのようにしてバリの出ない穴空けをおこなうのか?その手法をN田さんに聞きました。
原理は分かりましたが実際やるとなると、私の技術では到底無理だと思いました。これが加工職人の技術力です。
2次メーカーですから一般ユーザーに部品がどこで製造されたかはわからないでしょう。
しかしN田さんの加工品は2輪ユーザーならほぼ100%お世話になったことがあるはずです。
たとえば、キックアームのボス、鍛造素材に穴加工して内面にセレーションを割り出し加工とか。
横型単気筒エンジンのインテーク、鋳造のエルボーの両端に角度の付いた面だしとオフセットされたフランジのボルト穴加工。
ドラムブレーキのアームやカムの加工、セレーションは割り出しして位置決めのポンチ打ちとか、
誰でも見た事のある部品たちですが、どこの会社で加工したか知らなかったのです。
こんな物もあります。
4気筒のセンターにタイミングギヤがあるタイプのクランクシャフトとか、当然ギヤより大きい外径の丸棒から削り出しです。
コンロッドなどは単純な方、アルミメッキシリンダーの内径研磨とポートの面取り。
これらに共通することは加工難易度が高く普通の加工屋さんが嫌がる(加工不良になる可能性が高い)品物ばかりということです。
N田さんは御歳70過ぎですから経験50年以上のベテランでしょう。
親会社はこういう難易度の高い加工を押し付けてこられますが、後継者はいないので将来困ることになると思います。
加工できる会社は多く存在するでしょうが、問題はコストを決められていますので、難しく手間の掛かることに高額報酬を求める会社では親会社の要求に応えられないのです。
こんな物も見せてくださいました。
ブレーキホースの加締める前の金具です。ブレーキ液漏れなど絶対あってはならない重要保安部品ですが、その内部の加工も超A級難度だと思います。
これの加工には特殊な刃物を自作して単能機で対応したそうですが、刃物代は殆どかからないそうで
クズ鉄屋へ行って捨ててある超鋼チップをもらってきてロウ付けバイトをこしらえるので、特殊刃物で汎用品は無いそうです。
ブレーキホースのメーカーに日輪ゴムという会社がありますが、ホンダは最初、日輪ゴムにバカにされたそうです。「直接取引はしない、製品がほしい場合はマツダかNISSANを通して買ってくれ」と言われたそうです。
N田さんは見事にホース金具を作って見せました。技術力の高さを専門メーカーに認めさせた瞬間だったと思います。
身近に貴重な加工技術者がおられて、何10年も2輪車の製造分野を支えて、今でも現役であることがわかったことに感動いたしました。

ビンテージチャンバーはTIG溶接で昔の風合いを表現することは難しいと判断しました。
そこで思いついたことは、ガス溶接で作ることです。
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15年前はチャンバー作りはガス溶接で行っていました。

愛用の吹管は田中式00号。
20年前から使っています。
いや、途中で壊れたので一回更新して2機目になります。
ゴムホースもひび割れて全部取り換えました。長い年月使ってきたのです。

TIG溶接の方がビードのコントロールが容易でガス溶接を使う必要がなくなっていたのですが、外観を昔風に再現するためには製法も昔と同様にやらなくては違った感じに出来上がってしまうのです。
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そして15年ぶりにガス溶接で接合したチャンバーを作りました。

スズキのテスト屋さんが、一生懸命に板金溶接してこしらえたであろうチャンバー部分の再現です。

ところどころアレンジしていますが、大体こんな感じでいいのではないでしょうか。
駄目と言われたら、限界なので自殺するしかありません。




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焼け幅が広いのがガス溶接の特徴ですが
熱原はアセチレンと酸素を混合したガスを燃やした火炎です。
アセチレンと酸素の混合比は目盛りがあるわけではなく、火炎の色や大きさを見てガス量を調節します。
鉄に火炎の先端を近着けると焼けてきて鉄板が液体になる瞬間を待ってからトーチを移動させていきます。
初心者は鉄が溶ける状態や早さが分からないので均一なビードが引けないみたいです。溶接棒は一切使いません。
肉盛りの必要な場所だけ溶接棒を溶かします。
そしてもう一つの特徴は溶接ビードをハンマーと当て金を用いて叩き均してあることです。TIGではこの工程はやりませんので接合部に角が出ますが、ガス溶接では丸みを帯びた形状になります。ビードが生のように柔らかいのでこのような成形が可能となります。

72年は私、小学5年生でモトクロスなんて単語も知らなかったと思います。
もちろん吉村太一さんもジョエル・ロベールも名前を聞いたのは何年も後です。
最近でこそ、J・ロベールはネイションズのベルギーチーム監督として、TVに写っただけで分かるようになりましたが、彼がチャンピオンだったころのマシーンとなれば記憶にないのはもちろん、画像だってインターネット見るようになってからのことです。
そんな72年型ワークスマシンの復刻をやろうというのですから驚きの企画です。そのうちのマフラーの部分だけ我社で作ることを頼まれているのですが、安易にお引き受けした結果、分からないことだらけで参りました。
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物を作るのに図面が無いんですから、お手上げです。
寸法も自分で決めてくれということですから無い知恵を絞って寸法決めていますので時間がかかってしまうのは仕方ありません。

数枚の画像から形状を推定して型を決めていますが、どうしても分からないアングルがあって確認したくてもできない、もどかしさ。

大体のシルエットは出来ていると思い込んで作るしかありません。
これで展開してみます。

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開いてしまえば単純な展開図ですが
この妥協点に至るまで時間が掛かってしまいました。
日程的に限界がありますので、これで製作に取り掛かりたいと思います。









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パイプ繋いで車体とのレイアウトを確認してみます。
これ以上寄せられないクリアランスで出来ています。
ダウンチャンバーをフレームギリギリに収めるために、このようなデザインになっていることを改めて気付かされます。
大体5mmクリアランスを目指して取り回ししています。
車体合わせでないと製作不可脳なシビアさです。



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マウントステーも溶接して固定しました。
あと5台作りますので、今月は日程に余裕がありません。
お急ぎの加工依頼、修理等には当分の間対応できませんので、ご了承ください。


東日本最大のビンテージMXイベントの模様を、私中心でありますが収録してあります。
初参加で雨、などという酷い仕打ちに耐えながら奮闘するコンマイおっさんの姿を観てやってください。


RM125は30年ぶり、2ストレーサー運転するのは8年ぶり、路面はマディという多重の不安要素の中、無謀にもチャレンジしましたが、全身ズブ濡れで涼しかったので、想像より快適に過ごせました。
来年、また行くか?と聞かれたら、来年違う事やってそうなのでお答えできません。
思えば、私が菅生へ走りに行くときはいつも大雨だったような気がします。
何故か?
あそこは著名な人だけでも4人死んでいます。
矢島金次郎さん、乗本周作さん、秀孝さんの息子、沙耶の兄貴、
志半ば無念の死だったと思いますが、あそこには献花の一つもありません。
コース側では危険のないように配慮したコース作りはしてこられたと思いますが、安全性にも限界があるでしょう。結局、乗り手の意識と運が決定することです。
私の場合は霊的な物が守ってきたということで、レース日に雨を降らせてスピードを遅くし、こけても柔らかい路面で怪我もしないようにしてくれているのだと思っています。
だから、あそこではいつも雨です。

くぬぎ山荘の前の道をロードコースが見えるところまで上がっていくと、高井幾次郎メモリアルがあります。
幾さんが転倒死亡したコーナーが見下ろせる位置に石碑が奉ってあるのです。
故人の功績を称えるとともに、いつまでも忘れないでいてあげることが大事なことだと感じます。

わざわざ民族の大移動のように混雑する時期に里帰りはしません。だから田舎の墓参りも行けません。
仕事の遅れも理由の一つですが、今年ばかりは自分の無能さを痛感することになりました。
どうやら高齢の親が危ない状態で、本来は子供が病院に連れていったり、付き添ったりするべきなのですが、埼玉に住んでいては不可能です。親の介護などという事態になれば仕事と両方は不可能でしょう。
仕事を取って親を見捨てるか、親の介護のため仕事を辞めるか、究極の選択を迫られているような気がしてなりません。
親としては、息子が定年退職したら実家に戻ってもらって面倒をみてもらおうと願っていたことでしょう。
ところが息子は定年退職するべき会社にも行っていない。仕事を辞めて親の介護に専念できる経済的な余裕もありません。
どうしたらよいものか、しばらく悩んでみることにします。

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今月のチャンバー作り
今までと違うことは、チャンバースペックがありません。
現品も見本もありません。
寸法が全くわからないことです。
テリー・グッドさんの画像だけを参考に複製するという前代未聞のやり方です。
だから型作りに難航しています。
兄弟車種と思われるTM250のパイプを作って仮止めしながら、画像と違う部分の形状を変更していくという作業ですが
型代1万円で1週間以上掛かっています。
製作代金は型が完成している前提の料金なので、ここ1週間は日当千円以下(材料、消耗品もここから払うので)で働いています。もっと早く作らないと倒産することになります。
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あと一日くらいで型作り完了するでしょう。
そのあとは二日に一台ペースで注文台数、一気に作っていきたいと思います。

それまではバックオーダーも、急な加工、修理依頼も一切受け付けできませんのでご了承ください。




いつまでもこの仕事できそうにありません。来年のいまごろどうしているか、全く予断の許さない状況であります。

伊予小松は私の地元、予讃本線の最寄駅です。田舎町なのでMX色は全くありません。
あのような町で地元企業に就職していたら絶対に無かったことです。
そんな幻のクラブ名でエントリーして見ました菅生のビンテージMXでした。
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一応イベントなので自前の古着を出してきて着てみました。

練習走行前なので汚れていませんが、この後全身泥まみれになります。

田んぼで泥かけあう「泥祭り」の風習にちかいものです。
雨対策はゴーグルレンズの撥水処理とエアクリーナーの水侵入対策だけしておきましたが、やはり台風接近の菅生ですから、甘い考えは吹き飛びました。

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一回乗ってくるとこんな感じですが
電装やキャブの問題もなく、RM125は優秀なモトクロッサーです。
運転手の腕が悪いのに快調に走ってくれます。
しかし、現行モトクロッサーのようにパワーがありませんので、パワーバンドをキープできなかったら深い泥につかまって進んでいきません。
年式の30年差というものは、これほど違うものかという体験も貴重なものでした。



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パドックを見て回るのも楽しいビンテージMX

TTさんとこのマシンは古さと美しさが目をみはります。
ハスラー90の初期型とやらですが
当時の90ccクラスに使ったキットパーツ装着しているそうです。
エンジンかけてもらったら排気音は現行のリッターバイク以上です。
音量規制なし!これもビンテージのよいところ。



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これもTTさんのハスラー250初期型だそうです。古いんだけど、さりげなく取り付いたスペシャルパーツたちによって非常にまとまりがいいです。
正統派の改造は近年のカスタムバイクの姿とは比較にならない崇高な感じがします。

このあと泥のコースへ惜しげもなく走り出していくのですが、運転手さんのテクニックも熟練したもので安定して周回を重ねられる姿をみて驚きました。



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ホーリーさんとこの展示車、無限ME360
今日納車だったのでしょうか。
これ乗るひと幸せですね。

ほんと一点でも部品が欠いても仕上がらない特殊車両を何台も作られて、頭の下がる思いです。
ここに世界標準を感じるのであります。






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第1レーススタート!
リンク付きや空冷の混走ですね。
まだまだ台数がそろわないので
完全クラス分けをするとレース成立しなくなりますので、
レース形式ですから結果にこだわるのは当たり前ですが、マシンの仕様やライダーの体力年齢が違うので、自分の物差しを持って走られるのがよろしいのではないかと思います。




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今日、このひと一番速かったですね。
89CR125で、黒字に3桁ゼッケンがAMAナショナルのような雰囲気でした。

水冷エンジン、前後ディスク車がこれからはビンテージMXで増殖してくるでしょう。








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セニアスポーツクラス、2ヒート走りました。
両方ともスタートはホールショットさせていただきましたが、2コーナーで直ぐに抜かれて
ヒート1はKYBジャンプ前のコーナーで転倒して最後尾からの追い上げ。

ヒート2も2コーナーで抜かれて、目標に無転倒を掲げていたのに、コース外に転落して自力で戻れずオフィシャルの方に助けていただいてゴールできましたが
パドックへ帰ったときは他のライダーは片付けが済んでいました。
積み込み完了したらパドックには誰もいませんでした。ゆっくり国道4号線を走り、家についたのは夜中の12時でした。


モトクロスは運動です。体を使ったスポーツだと捕らえています。現行車であろうと旧車であろうと、道具を使ってするスポーツはこれに限ったものではなくて、トライアスロンやマラソン、野球に体操に格闘技 etc、どれもあり得ない状況で闘うスポーツです。上位に昇るためには地獄の練習をしてくるのはどの競技も同じことです。嫌だと思えばやめておけばいいだけです。

30年ぶりに空冷ツインショックでマディーレース走った感想は、マディーを制するテクニックも体力もノービス時代と変わらんということです。30年やっても一緒、しかし、やってなかったらもっと駄目。
こういうことが分かった一日でした。


最終レース、セニアスポーツ ヒート2です。
路面コンディション悪化のため、ヒート1出走者半分くらい棄権で台数少ないです。

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78年型のフロントフォーク
アウターチューブのクリア塗装が剥がれ、腐食と汚れで見栄えが悪かったので、磨きました。

上が未処理、下が磨き後です。
サンドペーパーで一皮剥いて、ナイロンたわしで数分磨けばこのとおり。





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今日は工場の温度計が40°Cを指していました。
実はこの季節を待っていたのです。
CJ360(76年型)のタンク内を高圧洗浄します。
CBヨンフォア専門店のシオハウスさんからタンクコーティングの手法を教わっていたのですが、今回は自己流の方法にトライしてみます。

タンクの錆が悪さしてキャブレター不調になっていたのを解消したいためです。

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洗浄した水を捨てただけでこのような錆が出てきました。
推定これの3倍以上は入っていたようです。

こんなものがガソリンに混ざっているのですから、まともにエンジン動いているのが不思議なくらいです。







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そしてサンポール投入、
一本全部入れます。
粘性があるので全体にいきわたるように水1リットルいれて希釈します。
サンポールは9.5%塩酸なので、結構強力に鉄を溶かします。
あまり長時間入れておくと鉄板を侵してしまうので、時々ひっくり返しながら1時間くらいかけて錆を溶かしました。

抜いた廃液はお見せできないほど汚い汚水になっていました。



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内部洗浄した後は酸が残らないように流水でタンク内を満たし、何度か捨てて、乾燥させます。
この高気温が乾燥を促進してくれます。
1日で乾燥は無理なので夜間はエアコンの室外機の前で加熱させておきます。

乾燥後はコーティング剤を入れます。
ワコーズ、タンクライナーを使ってみます。
250ccで20リットルタンクに処理できるそうです。

完全乾燥は1週間後なので、お盆あたりガソリン入れて試運転してみます。



























              

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あー、シートのセットボルトがギリギリ締まっています。

元々この位置だったか、シートベースが歪んで寸法が狂ってしまったか、わかりませんが
せっかくのフランジボルトなので座面全面が密着するようにしたいものです。

昔、走りながらシート落としたことがあって・・・
ボルトは締まっていたのですが、シートレールが折れてリヤフレームごと地面に落ちていました。

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これはー安直にセットプレートの穴を空けなおして、シートを前に1cmずらしました。

4点止めが2点止めになってしまいましたが
まあ大丈夫だと思います。

走行毎点検ということで、いつかシートスポンジ外す機会があれば、裏側のナットを移動することにします。




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シフトペダルのボルトを締めこんでも、セレーション部にガタがあってペダルストロークが大きく、フィーリングが悪かったのですが
そのまま放っておくとセレーションをナメることになってシフトシャフト交換になってしまうので、
ペダルの割り締めの隙間を大きくしたら
締めあがりました。

これで大丈夫。




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チャンバーに軽い凹みがあります。
実用上、問題ない程度ですが
凹んだチャンバーほどみっともないものはないです。

直しておきましょう。

通常は水圧をかけながらハンマーリングで直すところですが、加圧中に水漏れする部分がありましたので、あまり圧力は上げられませんでした。
やはり30年以上経過したチャンバーは接合部が弱ってきているようです。
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圧力不十分なので完璧には出来ませんでしたが、この程度で我慢しましょう。

いつかチャンバー製作してオリジナル品は保存しておくことにします。

軽く錆び落としして耐熱ペイントしておきました。

外観で分かるところですから、我慢できなかったんですよねー。

人生のパートナーがひとつ増えました。
私のモトクロス入門車は79年型RM125でした。渡辺明さんが78年に世界チャンピオン獲得した
マシンのレプリカとして79年に発売されたモデルです。
学生なので新車は買えなかったですが、地元MXチームの先輩から中古で譲ってもらったものです。
しかし、初心者だったのでオートバイの良し悪しも分からず、不満もなかったですが
未熟運転のため、ろくな戦績も残せずホンダ車に乗り換えて32年の歳月が流れました。
この間にいろいろなことを経験して、目をつぶれば苦労したこと、嬉しかったこと悔しかったこと、走馬灯のように思いだしました。
そして今回は入門車よりは1年古いモデルですが、78年型RM125に再会することができました。
提供してくださったのは、継続的に取引していただいているVMXワークスショップのホーリーエクイップさんです。
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きっかけはホーリーさんからの電話でした。
「オートバイ一台置くスペースありますか?」
一体どういうことか話を聞いていくうちに、どうやらこの古いモトクロッサーを有効に残していく場所がどこにあるかということを模索しての打診であったと思いました。
いろいろとやるべき事が多くてこれ以上仕事は増やせないなと思って、少し乗り気ではない返事をしていたのですが
徐じょに高齢化していく自分の身のことを考え、これからのモトクロスとの関わりも踏まえて旧車モトクロッサーに乗る事も必要であると考えました。


現代の製造業は電子制御の工作機械や無人のオートメーションによる大量生産方式が主流で、人の手によらない機械の性能によって物作りが行われる時代です。
その結果、どうなっていくかと言うと、人間の手先や経験による技術は失われていき、やがて高性能な機械が人間に取って変わる時代になるということ(既にそうなっている)。
そして、充分起こりうる自然災害によって電力が失われたときに製造業が無能力化してしまうことになります。(3年前に経験しました)
20年ほど前から会社を辞めて取り組んできたことは、機械設備に頼らないアナログ的なハンドワークの手法にこだわることです。
現在の市販モトクロッサーの技術開発の方向性は電子制御やサスペンションシステムの性能によって人間の運動能力を補うことであると考えられます。
その結果、同じライダーがラップタイムを短縮することが可能になりますが、ライダーの運転技術は向上したことにならないですね。
制御系を殆ど持たない70年代モトクロッサーを経験することがオフロードの運転技術を習得して体力維持、健康増進に役立つということを目的にビンテージMXやっていきたいと思います。

先日所用で成田へ行ってきましたので予てから希望していた「サーキットの狼」ミュージアムへ足を延ばしました。
1969年「あらし3匹」を連載していた池沢さとし先生の漫画、小学生だった私も読んでいました。
そして空前のスーパーカーブームを起こした「サーキットの狼」、カメラ持った少年たちが国道沿いに、いつ通るかわからないスーパーカーをもとめて待ち続ける現象は正に私たちの世代。
しかも、劇中に登場するスーパーカーたちは実在のモデルがあるという事実。

池沢さとし先生は夢中になった漫画は4つだけだとコメントされていました。
巨人の星、あしたのジョー、ハレンチ学園、男一匹ガキ大将、
私はこれに加えて、空手バカ一代、デビルマン、ワイルド7、ですね。最後は「熱風の虎」、これは月刊オートバイ誌とリンクしたオートバイ群が登場する漫画だったので夢中になって読んでいましたが
私の漫画経歴は中学で終わっているので、2輪愛好家ご用達の「バリバリ伝説」は既に読んでいなかったので、80年代以降の漫画を全く知りません。永遠の昭和世代なのであります。
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30年以上忘れていました。
漫画離れしていたので続編「モデナの剣」も読んでいなかったのですが

クルマメーカーに勤務して国産スーパーカーの製造にも関わったし、現実の世界を大いに経験して、漫画はもういいかな、と思っておりましたが
少年期に読む漫画が、いかにその後の人間形成に影響するかということを身をもって経験したのでありました。
プロスポーツ選手の多くは漫画の主人公に憧れて、サッカーや格闘技を目指した事実。

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やっと会えました!
夢のようです。本物のロータスヨーロッパ
主人公風吹裕矢の愛車











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ライバル早瀬左近のポルシェカレラRS

本当にあったんですね。











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潮来のオックス駆るランボルギーニLP400

60°V12気筒、ガルウイング
リヤタイヤ325サイズ標準装備!









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飛鳥ミノル駆るランボルギーニミウラ
カウンタックの前モデルのため60°V12気筒。
流線形の低いボディーラインは後にも先にも最高傑作だと思います。









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漫画以外の名車も多数展示されています。
手作りのため売れば売るほど赤字だったというトヨタ2000GTオープンカー











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企業の博物館ならいざ知らず、個人所有のモーターミュージアムとしては日本最高でしょう。
こんな希少車も(実働です)あり

1969第一回日本グランプリ出走の
NISSAN R382
黒沢元治、北野元選手ドライビングで
富士30度バンク時代を走ったレースカー。





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手は触れませんが、接近して観れるので大満足です。

R382のタコ足は全部プレス成型品なのですね。クラフトマン精神溢れる造形が美しいです。

やっぱり来てよかった。
いつまでも眺めていたい衝動を抑えつつ会場を後にしました。

金土日、毎週開館、入場料700円ですから、今度一日かけてゆっくり観に来るぞ!

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帰りはさらに寄り道して犬吠崎の灯台をみてきました。
雄大な太平洋をバックに撮影。

1874(明治7年)建造の国産レンガを使った灯台としては日本初(そりゃそうでしょう)だそうです。
ヒストリックな物に惹かれる私です。

ツーリングコースの一つにお勧めです。

本当に日本っていいところが多いです。

2014モデルを機会に新作したチャンバーですが、ノーマルより太いエキパイにしてありました。
OSKレーシングで走行確認をしてもらいましたが、高回転は普通ですが低速トルクが少ないという結果でした。
最高出力を上げるために排気ポートを拡大したり、それに合わせてエキパイ径を太くしたりすることがありますがデメリットもあるため、その現象を理解していないとスピードが遅くなってしまうでしょう。
ロードレーサーでは低速トルクはアクセルレスポンスが急過ぎてコーナリング時の挙動を乱すため無くしてしまう傾向があります。そのかわり重要なのはオーバーレブ特性でピークパワーの急激な落ち込みが少ないものがタイムを出しやすいらしいです。
オフロードではタイムで評価しても同一条件の路面を保てないため比較できるのは限られた条件下ということになります。それより、トラクションの悪い路面でコントロール性のいいパワー特性であることが、最高出力と同じくらい重要な要素になってきます。
今回はエキパイを太く設定したデメリットが出た格好なのでノーマル寸法に作りなおしたいと思います。
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全部作るのは時間も掛かるため、影響のあると思われる部分だけ作って取り換えたいと思います。

エキパイの太さの違いが目視でわかります。








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溶接部分を切断して同長でノーマルサイズのエキパイと取り換えました。

外径誤差0.5mm以内に仕上がりました。

その他の部分は全く変更していませんので再度実走確認してもらいます。

エキパイが太い方がいいと考えている人は参考にしてください。

絶滅危惧種と、2輪車の排ガス規制に伴い新車の製造販売が中止された機種全般を指して、呼ぶことがあります。廃販になって15年以上経つのですが、それより少し前に創業した弊社ではその年代のマフラーのラインナップが拡充されつつある時期でした。
いまでもトレールモデル3機種は、HYSでチャンバーとサイレンサーをラインナップ継続していますが、年間を通じると注文が絶えたことがないので廃止にできません。
治具類も古くなって維持や保管も難しくなってきますので、およそ3年を目途に注文がなかった機種から治具廃却することにしておりますので、その後は電話やメールで注文されても対応不可能になります。
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治具とは、このように車体あわせ無しで取り付け位置を固定できるものを指します。
需要のないもの、ワンオフ製作したものまで治具製作することはありません。
過去の注文状況に応じて再度作る可能性があるものだけを任意で製作しておりますので、需要のない機種の治具が溜まっていくんです。
ですから3年くらいを目途に廃却しているというわけです。
2ストトレール3機種に比べると需要の少なかったKDXは全く対応しておりませんでした。
偶然、知人がKDX125SRを持っていて
チャンバーとサイレンサーの製作を依頼されたので、ついでに作っておいたのがサイレンサー治具でした。
チャンバーはと言うと、当時のK車のチャンバーが嫌い(レイアウト的に)でやりたくない仕事だったからです。嫌いな理由は、当時のK車の車体デザインに関わることですが、普通はエンジン設計が先で、そのエンジンをマウントする車体をモックアップしていく作業になりますが、K車は車体デザインが先に決まると聞いたことがあります。そのため大物の変更しにくい部分はそのままで、排気系などの後で変更可能な部品の取り回しに皺寄せが集中することになります。
そのためK車にありがちなクネクネとパイプが曲がってエンジンやフレームの干渉を避ける形状が不恰好だと思っているのです。
クネクネとカーブが多いパイプは設計どおりの性能も発揮しにくいということになります。
過去を振り返るとK車の活躍した人気車種は排気系のスッキリまとまったものであることに気がつきます。
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そういうわけで、作りにくいチャンバー部分を見なかったことにしてサイレンサーだけラインナップとしたわけです。

サイレンサー本体はスッキリしていますがリヤフレームのマウント部分は後付けのデザインの象徴で位置の揃っていないステーが二ヶ所溶接されています。

アルミサイレンサーは全て自家製バフ仕上げですが、アルマイトやめっき処理でコストアップすることを避けたいです。
利点は外観が良くなることと、金属表面が滑らかになることで水の粒子が留まりにくくなります。そのため腐食の進行を遅らせることができます。
分離混合ガスの宿命で排気したオイルが排気管内に溜まっていきます。そのためオイルで湿ったグラスウールを容易に交換できる構造になっています。組み立て後、加締めはアルミリベット4箇所でOK。
絶滅するまで治具は残しておきますが、自分が先に滅ぶ可能性もありますのでご了承ください。


物作りに必要なのは数値です。作るために必要な寸法が分かっていないのに材料を切り出すこともままなりません。
今回も製作を始める前に現物の寸法を測るところから着手しますが、通常のチャンバーとは勝手が違っていました。
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大きくなったチャンバーの胴体を路面にヒットさせないための形状だと思いますが
三角断面のチャンバーの図面など見たことがありません。

チャンバーの図面はストレート図で表します。
口元からの距離と内径で描かれますが、現物は曲げないと車体に取り付かないわけで
ストレートチャンバーと曲がったチャンバーで同等な排気効率であるかという検証もできていません。
常識的にパイプにカーブがあると流体に損失がでることになります。

では同じ断面積の丸パイプと多角形パイプで排気効率が同等かということも未検証です。
おそらく明確に答えてくれる日本人は少ないんじゃないかと思います。
レイアウト的には同じ断面積の円と三角だとどちらがロードクリアランスを稼げるか、という問題ですが
真円が三角にトランスフォーメーション(変態)することを想像してください。
三つの角が出来ますから縦横の幅は円の直径より広がるはずです。
そのかわり、角を繋ぐ線の部分が円の直径より幅が狭くなりますから、その線の部分をマシンがコーナリング時に路面と最も近くなる場所に持ってくると、ロードクリアランスを稼げるということになります。
motoGPではバンク角が61度になることもあるらしく、それでも路面にヒットする部分がないという、よく出来たレイアウトです。
このマシンは実際のバンク角こそわかりませんが、コーナリングのGでリヤサスが沈み込んだあたりでチャンバーの胴体が擦るみたいです。
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これが見本のチャンバーですが、両側とも路面に擦ってしまっています。
チャンバーが擦ってしまっては、これ以上コーナリングスピードがあげられません。
しかし、このチャンバーが他と比べると、シャシダイの数値も実走のタイムも最高だということですが、既に絶販で製造元に尋ねてもどの仕様だか不明だということなので、再生することになった次第です。

なんとか擦らないように内側に追い込んで
内側はサスのボルトにガッツリ当たるようにレイアウトしたので、もっとコーナー寝かせられると思います。

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左右出しのツインマフラーは位置決めに時間がかかります。
リヤフォークとのクリアランスを気にしながら
左右の高さや角度をそろえないと不細工な格好になってしまいます。
しかし、左右同時に見ることが不可能なので、片方のサイレンサー位置を決めてから
反対側の位置を合わせる、みたいな手順になります。





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極力フレームからはみ出さないレイアウトを心掛けましたが、実際のバンク角はサーキット走行で確認していただくしかありません。

当たるとすれば、一番張り出した部分だけだと思いますので、後で凹ませる方法を取らせていただきます。





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アンダーカウル装着が要件ではなかったのですが、大きくカットされていましたので
問題なく装着できました。

これにて製作作業終了!

2014年KX85のモデルチェンジが成されましたが、チャンバー、サイレンサーに変更はありませんでした。これは大物の金型変更には多額の費用が必要なため、エンジンに仕様変更があっても可能な限り流用したいという営利面の都合があるためと思います。
我社はKX85用チャンバーは90年代からラインナップしてきましたが、製造に関する考え方も変わってきているため、新たに作ることにしました。
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まだ途中ですが公開します。

エキパイ径が拡大され、チャンバー本体はノーマルより6mmだけ短くなっていますが大体同じ仕様に留めてあります。
最も大きな変更点はテールパイプを短くしてあります。
KXやRMは古いタイプのチャンバーレイアウトでアップタイプなので、テールパイプが長くなっています・
細長いテールパイプは排気の抵抗になるわけですが、短くすることで排気抵抗が減るでしょう。
そのためにはチャンバーレイアウトの変更が必要です。
CRやYZはローボーイタイプの取り回しになっているのでテールパイプが短いです。それと同じ効果を狙ってみました。
これから実走して確認していく予定です。
サイレンサーもこの機会に新作します。

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サイレンサー従来品から変更した箇所はこれです。

パイプエンドの水平部分が最低30mm必要という車両規則に準じて新作しました。
従来は、CRやYZ同様のアップサイレンサーのパイプエンドと共通だったため、
エンドパイプの垂れ角が少し下向きだったのを水平に是正した格好です。

エンドカバーの溶接痕も研磨して美装に努めましたので、新感覚になりました。



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今回は大塚選手の要望により、従来品より30mm短いサイレンサーボディにしてあります。
最近の流行は2ストの短いサイレンサーだということで、どのような効果を期待するかといいますと
排気の抵抗が減ります。吹け上がり、伸び共に向上すると思いますが、気をつける点は体重の軽いライダーでないとトルク不足の傾向が出ると思われます。
エンジンは負荷を与えることで物理上の仕事をしたことになります。
空ぶかしではどんなにエンジンが回ってもピストンやクランクが運動するだけの仕事しかしていないはずです。
質量のあるものを一定時間にどれだけ移動させたか、ということが仕事なので、燃焼室の圧力がパワーの元ですから、適当な排気の抵抗が圧力の抜け過ぎを防止する効果があります。なので燃焼圧力と排気抵抗のバランスを考慮する必要があるのです。
音量的には2mMAX法だと楽に通過するそうなので、思い切って変更してみました。
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頼まれてないけどエンドカバー
ラッピングしておきました。

2ストマフラーの熱であれば溶けないはずです。アルミ地より傷が付きにくいと思います。

リプレイスマフラー作りをハンドワークに拘る理由を理解していただくために、
敢えて恥ずかしい部分をお見せしたいと思います。
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サイレンサーのフロントエンドキャップですが0.8mm厚ステンレスで板金します。
精密板金の経験者の方はどのようになるか分かると思います。
接合面の隙間、ズレなどが0.1mmくらいの精度で合っていないと溶接不可能ですね。
パイプに嵌める部品なので溶接棒で肉盛りは不可です。
溶棒無しで共付けが必須ですが、薄板ステンレスは溶接で引っ張られて歪んでしまうので予め仮止めをしておかないと接合不可能になりますのでバイスで圧力を掛けながら溶接します。
オートバイの取説風に言うと「ステンレス板を板金して溶接する。」くらいしか説明が無いでしょうが、これを付けるに至るまで多くの手法が潜んでいることは経験者でないと分からないでしょう。
最低レベルの溶接ですね。溶接専門店ではやっていけないでしょう。
板厚が1.5mm以上あればどうってことないですが0.8以下になると途端に難易度が上がります。
要するに苦労しているということです。
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板を巻いて突き合わせで溶接してありますが、最も神経を使うところです。
接合部に僅かなズレや隙間があっては付けられません。
溶接前の下拵えで出来栄えが9割決まってくるのです。
では、このような形状の部品を金型でプレス成形しない理由は完全にコストの問題です。
プレス成形は丸い形状は比較的簡単ですが角ばった形状は難しいのです。
金型の表面を金属が滑って塑性変形していくのですが、角になった部分で滑りが妨げられるので、金型は5段階くらいの据え込みを経て徐徐に最終形状にもっていきます。

おそらく1000トンくらいの圧力が出せるプレス機と数百万円程度の金型製作費が必要なので、1個や2個の成形ではコスト的に不可能なため、ハンドワークしかありえません。
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大きいマフラーメーカーなら少なくとも1000台以上の販売を見込んでいるため、ためらわずプレス成形するでしょう。
そうすれば仮に金型300万円掛かったとすれば1台あたり3000円で型代償却できますから成り立つ計算です。

我社は一人のお客さんの要望に答えつつ赤字を出しては事業の継続ができなくなるため、人件費を削っても高額な投資をしない方針でやってきました。



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サイレンサースキン、前後キャップが出来上がりました。
マウントステーと中身を拵えれば、エンジンかけられます。
明日半日くらいで完成予定です。

どんな音になっているでしょうか。







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組みあがりました、スリップオンサイレンサー。
サイレンサーボディーを大きくしたので1300の車格とマッチしていますね。

325ccが4つのエンジンですから大容量が必要です。
昔の集合管は抜けが良ければOKだったわけですが、今はその考えは古くて
排気管内は燃焼室と直結していますから
適当な圧力を持たせることによって燃焼室の充填効率を上げることができます。
高回転時は吸入した混合気の一部を排気してしまうので燃焼室内に留める作用が必要です。
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そこで排気の抵抗を利用するのですが、抵抗をつけただけでは負荷になってしまうので
排気管内で膨張させて排気を脈動として燃焼室に伝えれば排気損失のすくないマフラーになると考えています。

また排気音についても大気中で急激に膨張する気体が爆音の正体なので、マフラー内で圧力と温度を下げてから排気することで静粛な排気音になります。
やかましいのがパワーが出ているわけではないのです。

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エンジンかけてみました。
アイドリングで暖機運転しますが、排気音が殆ど聞こえません。
4連装のFCRキャブのスロットルバルブがカタカタと鳴っているだけで、非常に静粛です。
アクセルをあおってみますがエンジン回転に比例して大きくなる感じはしません。
明らかに消音されていましたので音量計測も行いませんでした。
おそらく5000rpmで94dB以下でしょう。
一応ディフューザー付けておきましたが1dBくらいの効果なので
外しても街乗りに不都合はない程度でしょう。
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バードビューはこんな感じでツインショックの外側出しですが、なかなかスリムにまとまっているではないですか。

グラスウールは儲からないのを承知で一番高い物を入れてあります。
社外の安モンでは性能が出ないので
入れても無駄になります。
4ストモトクロッサーで8年間、マフラーを実戦投入してきて得られた結果なのでこの部分はケチるわけにいかないのです。

現行の大型2輪の規制では触媒装着が必須になりますが、これも社外の触媒が出回っていますが浄化性能も耐久性もメーカー純正品に比べ劣りますので使えません。

ホンダの栃木研究所第1設計ブロックといえばエンジン設計ですが、触媒はエンジン設計で開発しています。
そこの主任研究員から直接、触媒の仕様についてレクチャーを受けて、実際にメーカーまで出掛けて製造工程まで確認してきましたから、私は製作所では一番の触媒スペシャリストでした。
その経験から言えることは現行車で純正並みのエミッション性能をそなえたワンオフマフラーを作るとマフラーの販売価格を10倍くらい貰わないと実現しませんから、もしどうしてもノーマル同等のエミッションを求めるのでしたらノーマルマフラーを破壊して触媒部分だけを取り出して使うしかないということを申し上げておきます。
全日本MX関東大会のホンダブースにてついにベールを脱いだ、ホンダ初の2ストレーサーの復刻番です。
72年当時の原車は既に廃却され何も残って無かったそうで、これは再生車ではなく新造によるものだそうです。総製作費8千万円にも昇るプロジェクトの背景に何があったのでしょうか。
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335C復元を知ったときに、いよいよホンダもこの時期がきたのかと思いました。
20年前なら、このような提言をする社員はいなかったでしょう。
それは新機種の開発をして量産、販売することが命題の企業にとって過去の製品を再生するなどということが業務であるはずがないからです。

5年ほど前でしょうかTVで自動車メーカーマツダの取り組みを観ました。
現行のオートメーション化された自動車作りの中で昔では必要不可欠だった金属加工技術の技能者が失われつつあるということで、ベテランの技能者を指導員として、若手社員一人を現場から離職させて技能習得に専念させるという取り組みです。
マツダが危惧していることは、現在の加工技術者は設計データーを加工機に送信して動かすということが主流で直接ワーク(加工物)に触れることもなく製品が出来てくることによって技能者がいなくなってしまうことです。
そこで生産には全く必要ないですが、物作りの原点に戻って技術を伝承するということが、今回の335C復元プロジェクトにも共通する目的ではないかと思います。
これは会社の経営にとっては無駄なことのように思えますが、自分の勤めている会社の歴史を特に開発に関わる人間が知らないで業務に携わっていることが、これからの新機種開発においても創作センスという点に於いて弱体であると、上層部の人が感じてきたのだろうと推測します。
だから一見利益にならないプロジェクトにも多額の予算がつぎ込めたと思います。
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完成した335Cは中古品一切なし、新車の72年型ワークスマシンです。

このようなことは私の知る限りでは世界的にはじめての試みでないかと思います。

その甲斐あってか昼休みのOFVメインストレートでのデモ走行の人集りは
初の4ストモトクロッサーYZ400展示のときを凌いでいました。

人は自分で買えるものより、絶対手に入らないものに強い憧れと尊敬の念を持つのかもしれません。

問題は技術の伝承や体験が目的ということですから、これを継続していかないと一過性のものに終わってしまうことになることです。次回の復元プロジェクトは果たして行われるでしょうか、今後に期待したいと思います。
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経験者の高齢化はいやでも進みます。
製作スタッフもレースで戦ったライダーも同様です。
実際に初優勝した伝説のライダー吉村太一さんがコスチュームも当時に似せて復元された335Cに乗車しました。
インタビューに対して
「めちゃめちゃ調子ええ!これなら今日のレースも勝てるわ。」とユーモア交じりでコメントされてはりました。

72年は今年51歳になる私でも小学5年生、勿論モトクロスなんか知りません。
これが分かる観客の多さにレース会場の高齢化が進んでいることが伺えます。
そういえばレース走っているライダーが若いのは当たり前なんですが、中高生が自転車やバスに乗って観戦にきてる様子が全く感じられません。若者の人気スポーツではないのだということを意味しています。メーカーさんはどのようにお考えでしょうか。

少し思い出したことがあって、私なりの会社観を述べたいと思います。
ホンダという会社は良いところと悪いところ両方がありました。
良いところとは、社員一人一人に仕事を任せること。逆に言うと教えないし出来ないやらない人は放っておかれる。その結果、人事面で評価を受けるということ。(昇給や他の職場へ飛ばされる)
悪いところは、他部門との連携が悪い、繋がりが少ないこと。専門性が高く研究部門では大学の工学部より高度な専門知識を持ちながら、現場経験がないので活用の仕方を知らないなど。
全ての部門で当てはまるわけではないですが、会社組織が大き過ぎて管理職の人でも他部門のことは詳しくないということです。
2輪と4輪なんか設備や経験を共有しようとしないし、まるで別会社のように分かれています。
それぞれ機密事項もありますし、プライドもあるので事業所間で情報交換などありえません。
そんな大会社ですが2輪R&Dでは技術の習得、体験などという名目で給料貰いながら教育を受けられるという余裕があるのです。
そういう職場に配属された社員は幸運といえるでしょう。
普通、経験や学習というものは自分の金と時間を使わなければ得られませんからね。
私の所属した部署の上司はこう言いました「仕事は自分でやっていてはダメだ、いかに人にやらせるかということを考えろ」
これを聞いたら、今の自分なら「仕事を自分で抱えていないで、関係部門と連携して円滑に運べ」というふうに解釈できるのですが、若かったそのころは、自分で出来ないことを人にやらせるなどということは能力のない奴のすることだと思い込んでいました。
ホンダは大きい組織なので分業が基本です。だから自分の担当のことだけできれば充分なのですが、下請けの部品メーカーはそうではありませんでした。
上に立つ者は担当する職場の全てを分かった人が就いていました。即ち製造部長や品質課長は、どの部下より経験と技術を持った人と決まっていました。
ところがホンダの体質として末端の業務は所属長が出来る必要がありません。管理職は出世コースの人が就きますので数年で別の部署へ移動していくのが慣例なのです。
そんな会社の体質が分かってきたころに「自分で出来る必要がない」と言った上司の元では働くわけにはいかない、希望の職種に移動が通らないのであれば会社を辞めるしかない。
辞めないのであれば、生活のため上司の言うことを聞いて定年まで我慢しろということです。
私の信念は自分の技術で仕事ができないのであれば職を辞して自分でやる、ということだったのです。
実行しない信念はウソと同じですから会社を辞めたという経緯です。
2輪R&Dのような給料もらいながら技術の体験、習得ができる職場でしたら、もっと長く会社勤めしていたと思いますが、上司の軽い一言が部下の人生を左右することもあるということを言いたいです。



人生2度目、42年ぶりにヨットに乗せてもらいにいきました。
前回は叔父さんの船で瀬戸内海の小島にキャンプしに連れて行ってもらっただけですが
今回は本物のヨットレースにクルーとして乗船(専門用語もロープワークも全く知らないまま、ただの錘になって)してヨットセーリングなるものを体験させていただきました。
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義父がオーナーのヨット。
IOTA(イオタ)といいます。
船の規格もわからないですが
搭乗定員8名のサイズで

今回オーナー含めて6名のクルーでレースします。
小さい船の場合は人数(重量)が多いほど不利ですが、セールの上げ下げ、ロープワークにポールの架け替えなど傾く船上での作業が多くスピードが要求されるので、船の仕様とチームワーク、風や潮の流れを読む経験値と相手船との駆け引きを考える戦術が勝敗を決める、知能と体力両方を使ったマリンスポーツだと感じました。
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IOTAは沼津港に保管されていますので
装備点検後大型クレーンで海面に下ろされます。
レース会場のヤマハマリーナ沼津まではエンジンで走行して移動します。
約30分の距離です。








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さあレース会場へ出発です。港湾から外洋へ出航です。
先ほどヤマハマリーナでブリーフィングを受けた内容をクルーたちと打ち合わせします。

ブリーフィングでは当日決められる
スタート時間、レース距離(往復回数)
ゴール位置
旋回方法(マークを半時計回りに)
本日の大まかな風向き風速などをチェックします。




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今回1往復半のレースを2回行います。10:30スタートで推定終了時間は14:30とのことです。
スタート地点とゴールラインは本部艇とブイをアンカーにて固定した直線で引いたラインを通過しますが
スタート直前までなかなか決めません。
適切な風待ちと、位置が決まることでレース艇が試走する機会を失くす目的があるみたいです。

スタート地点にヨットが集まってきました。
有利なポジションを獲得するための駆け引きが始まっています。
普通は風上の船が走行に有利だそうです。
そこで衝突回避するときは風下の船に優先権があります。
遅い船はいいポジションについても速い船のブランケット(風よけ)に入ってしまい速力が落ちるため
風下にいても単独走行した方が結果はいいそうです。
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わー!横風を受けてヨットが傾いたまま走行しますが、船底に重いバラストが積んであるので転覆はしません。
セールは中央のメインセールと前側のジョブセールの二つを駆使して風を受けます。
本当に風力だけで走行できます。
素人的には追い風をセールに受けて進むのかと思っていましたが
マストの横に付いているポールでセールの方向を変えてセールの背面を流れる風の揚力を利用して引っ張られているらしいです。
風を受ける方向はポールの向きとオーナーが舵取りを行っているので自在に変えられますが、目標物に到達する距離が伸びたり
失敗すると通過できなかったりするので
この風を読む計算に緻密さが要求されると思います。
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デッドヒート中のヨットたち。
駿河湾らしく富士山を背景にレースする姿は優雅なものです。

今回はエントリー台数17ですが
船の規格がバラバラで
2輪でいうとセローからCRF450くらいの差があるそうで、速い船にゴールタイムを加算するハンデレースで総合9位という結果でした。
IOTAは遅い方だということで、まあまあ順当な身分相応の結果だそうです。
トップクラスはロンドン5輪の日本代表もいたらしいです。(チンプンカンプン)
画像の黒っぽいセールはカーボンファイバー製で軽くて強いそうですが、1幕100万円くらいするそうです。一般的にはサテン生地使うそうです。
レース終了後はヤマハマリーナのクラブハウスでテクニカルアドバイス(居眠りして聞いてなっかった)
と表彰式、バーベキューパーティーなど開いていただいて、エントリーフィーはクルー1人あたり2千円という安さ。
お金儲けではなくてマリンスポーツの衰退を防ぐ目的のイベントでスタッフも手弁当でやっていただいているみたいです。メーカー色や販売店がらみが一切なく、大人っぽい社交的なスポーツだと感じました。
年に5回くらいやっているそうなので、機会があったら参加してロープワーク挑戦したいと思いました。

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スタート地点に戻る様子、ほぼ追い風を受けるのですが
ジョブセールの色と形が違っていますね。
スピンというセールに付け替えますがこれが時間に影響するテクニックなので
大忙しで作業するクルーの真剣さに惹かれました。







大事なこと思い出しました。
ヨットなんてお金もちの道楽じゃないかと思う人がいるかもしれません。
学生時代からずっとヨットレースしている人は必ずしもそうでないことを言いたい。
なぜなら、40年以上クルマやオートバイに乗っていない、免許さえ持たないでヨットに没頭しているとすればこれに掛ける情熱の強さを伺い知るでしょう。
自分はクルマ、オートバイに相当無駄使いしてきたものだなと気がつかされる経験でした。
逆に言えばこの道しかないと思って集中しているときは、別のことは考えられなくなるのかもしれません。

チャンバーのリプレイス品を作る仕事をしておきながらアレなんですが、モトクロッサーの純正チャンバーを超えるものは無いと思っているのです。
それはエンジンを設計製造できるメーカーが決めたスペックをエンジン作れないマフラー屋が超えることは出来ないからです。仮に性能のいいチャンバーができたとしても、それはメーカーが決めたスペックを基にモディファイを繰り返した結果であり、ゼロからスタートしたわけではないからです。
しかも、一回の製造ロットで1000台単位を1ヶ月足らずで作ってしまう生産能力ですから、品質と生産数で社外品メーカーでは比較にならないでしょう。
では何故、私がリプレイス品を作り始めたかというと、今回のチャンバー加工に答えがあります。
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ホンダの2スト最終型、05モデルCR125の純正チャンバーです。

ホンダ製の特徴であるシーム溶接(ガソリン缶の製法と同じ、気密性に優れる)
の部分を削り取ってあります。
後で溶接するのですが
目的はチャンバーのボディ剛性を上げてパワーアップすることです。
中級のライダーですとメリットを感じないレベルですが、トップクラスになると加速域やピークパワーの部分で僅かでも有利になることを望みます。

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塗装も全部剥がします。
鉄板は直接空気に触れた方が良い。
ワークスパイプに塗装が施されないのと同じ理由です。
塗装やメッキは鉄板を保護して放熱が悪いのです。
排気ガスの温度はガスの流速や圧力と密接な関係にあります。
高温のガスは流速が早く、低温だと遅くなる性質があります。
即ちパイプが熱いときは高速型、冷めたときは低速型に変化するということです。
そのためには排気熱に対する応答性がよい薄板の鉄板で未塗装であることが最適なのです。
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さらにバフ研磨で表面を滑らかにします。
これは泥の付着を防ぐ目的と(軽量化と放熱性)
鉄板の表面粗さを少なくして水の粒子を留めなくすることで腐食(酸化)を防ぎます。








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そして削ったシーム溶接部分を再溶接して完成です。

私が最も使いたいチャンバーの仕様はこういうことなんです。

しかし、そのためには新品の純正チャンバーが必要です。パイプの内部にオイルが付着したものは同じ性能が出せないのです。

そこで新品の部品代があれば材料から手作りして同じ性能が出せればいいのではないかと考えてリプレイス品を作り始めたわけです。
理想はメーカー純正品であることを重ねて申しあげておきます。

最近天気がよいので、家の前から直ぐに乗っていける単車があるといいですね。
レーサーじゃあ準備して遠い場所に持っていかなきゃならないんで普段は無理です。
実は中古で購入した(奈良まで買いに行った)この単車は1年ちょっとで満タン2回しか走っていません。
何故なら走りだして10分くらいでエンジン不調になってしまうので遠出する気がしないからです。
気晴らしに家の近くの試乗コースと呼んでいるエリアを目的もなく乗り回すだけですが、昨日もいい天気だったのでチョイ乗り始めたら直ぐに悪い症状が始まり段々酷くなってきて、エンジン止まりそうになるのを騙し騙し帰ってきて玄関前でエンストして押して帰るのだけは免れました。
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ポイントの調整は先週やったばかり、点火時期はばっちり合わせたので点火の問題ではないだろうということで、これはキャブだな。
不調の原因が分からないまま仕事に集中することができません。
たまらずキャブ分解に掛かりました。
そしたら大変なことになっていました。






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その前にエンジンの止まり方がガス欠のような症状だったので、タンクの残ガスを確認した上で、フロート室のドレンプラグを外してみたのです。
そしたらコックONなのに(RESだったかな)
ガソリンの出方が少ないのでおかしいと思ったのです。
どこかでガソリンが詰まっているなと。

フロート室開けたら判明しました。
タンク内の錆びがフロートまで降りてきていました。
フロート室洗浄して出た錆びの量はこれだけのものです。
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ガソリンホースにフィルターが取り付けてあったのですが、これを完全に素通りした状態です。
コックの方にはストレーナーはありませんのでタンク内の錆びは全部降りてくるということです。
エンジン始動直後は問題なく、走りだしてから不調になる理由が、落ち着いていた錆びの粉が振動で動きだすことによるものでした。
これを直すにはタンク内錆び落とししてからコーティング剤を入れるということになりますから手間が掛かります。
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そういうわけで、ドラスタへ直行して新しいフィルターを買ってきて取り付けました。
ストレートタイプは、ストレーナーから素通りした錆びが確認しにくいため
L型にしてみました。
これなら目視でガソリンの汚れが確認しやすいし、溜まったものを捨てることもできます。
キャブレター取り付けて試運転しましたが、エンジン不調は直りました(当たり前です)。
「新車ならこんなことにならんよ」と言われそうですが、新車にはこういう「直す楽しみ」がないではないですか。
そんなわけで旧車ライフの一幕でした。






アメリカ人として最初の全日本MXチャンピオン。84年に日本に呼び寄せたのはモトレオン(ロッキースポーツの前身)でした。
84年は私ノービスでしたので狭山レーシングの全日本遠征で先輩ライダーのメカニックとして回っていました。井本さんが国際B級1年目で第2戦、広島の三次でのレースのときでした。
全日本デビュー戦だったスティーブのマシンは第1ヒートのスタート前、クラッチ交換でRケースカバーがなかなか入らず遅れていたのでした。(ウォーターポンプギヤが噛み合っていないとカバーが入りません。そのときはキックシャフトを動かしてクランクを少し動かすと入ります。)
スタート30秒前にギリギリ間に合ってスタートしました。
ホールショットはこの年からプライベート参戦の福本敏夫。
長い登りでぶっちぎったと思って「どーじゃー!」と振り返ったら、スティーブのマシンが大暴れしながら追いかけて来ていたそうです。
そして福本選手を抜いて初参戦で1位になりました。
続く第2ヒートは小田桐昭蔵選手が最終ラップまでトップ独走かと思ったのですが、油断した隙にインからスルリと交わされスティーブの逆転優勝。烈火のごとく怒った小田桐選手の表情が忘れられません。
その年はスティーブが全勝でチャンピオンだったと記憶しています。
翌年は中部ミスターバイクからの参戦でしたが日本人ライダーに2回だけ敗れています。
雨の桶川で小田桐選手が雪辱を果たしました。青森出身のライダーはマディーのライン取りが他の選手と違っていて独特の走り方は圧巻でしたが、フロリダ出身のスティーブには桶川の泥は苦手だったかもしれません。
二人目のマーチンを破った日本人ライダーは杉尾良文選手。やはりプライベート参戦でしたが、独自にアルミフレームのCR250を作って、菅生の1戦だけの使用でしたが見事に目標達成でした。
いずれも市販車ベースのマシンによる優勝で、メーカーのワークスチームなんしよんの状態でしたね。
スティーブ・マーチンの市販車による2年連続チャンピオン獲得がモトクロスはマシン性能よりライディングテクニックが重要ということを証明した時代でした。


サイクルサウンズ誌(山海堂)の別冊ビデオですね。
2:53あたりから金髪伊田さんのホールショットシーンが見れます。
モトクロスというスポーツは日本ではアカデミックに習う機会がないですね。
皆独自に思い思いの練習法でやるしかないですが、このビデオのように基本的な練習方法を参考にしていれば上達が早かったかもしれません。
収録場所は成田エアポートMXランドですが、当時は私も毎月のように行ってました。
本コースとは別に練習コースが作ってあって、4連ジャンプやウォッシュボード(今フープス)など充実した内容でした。
最近のMX場は本コースしかなくコースをグルグル周回するだけが練習になってしまうのでライディングテクニックの習得に時間が掛かってしまうのでしょう。
成田エアポートMXランドは関東エリアでは最高のMX環境にあったと思います。
スティーブ・マーチンの影響度は大きく当時のライダーはアメリカンライディングを一生懸命練習したものですが、今はそういう場所が無くなってしまったのが残念で仕方ありません。














90年代以降のエンジンはメッキシリンダーばかりなので、ボーリング屋さんにお世話になる機会もめっきり減ってしまいました。
ボーリング屋さんはボーリングのみならず精密な穴加工、平面加工も得意なのでコンロッド作ったりクランク改造したりで頼んだのが10年くらい前になりますが、久しぶりに井上ボーリングへ行ってきました。
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DT125の傷がついたシリンダーのボーリングを頼みました。
サイズは0.5オーバーサイズで
ピストンサイズφ56.495
ボア φ56.5
ピストンクリアランス0.05を指定してきました。
空冷シリンダーなので水冷メッキよりクリアランス大き目に加工するのがセオリーです。

ホーニングは高精度なプラトー仕上げで依頼しました。
ホーニング仕上げ後はポートの面取りが必要です。
ボーリング屋さんでも頼めますが、自分で出来ることは他人任せにしないことがモットーなので、エアグラインダーで砥石切削します。
手仕上げですがC0.5くらいを目標に削っています。


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加工後にミツトヨの面粗度計による検査データーを添付していただきました。

面粗度計とは金属表面をプローブ(接触子)で直線的になぞり、表面の粗さを計測します。
1ミクロン程度の精度が保証された計測ですが電気的に検出してアンプで増幅するので可視的に判定が可能です。

プラトー(高原)の名のごとく山の高さが平坦なホーニングであることが分かります。
通常のホーニングだと突出した山が削れるまで慣らし運転が必要ですが、これは慣らし運転時間が早く終了できる処理です。
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エンジン積み込み完了です。
エンジン試運転も問題なくできました。
今回はYZチャンバーでピストン溶けたことによる修理だったので、ノーマルスペックのチャンバーで乗って帰っていただきます。
本来は軽トラで引き取りお願いするところです。
YZチャンバーをトライするときはメインジェット2ランクくらい濃い目にしてからセッティングしていただきたいと思います。(製作業務が停まってしまうのでオーナーさん自己責任でお願いします。)

試運転中、テールランプが切れているのに気がついたので、我社から徒歩3分のモトグラッドさんへ行って6V用の電球を売ってもらいましたので、この仕事はこれにて終了!

前職は運送事業で宅配業者に頼めないような特別な荷物を時間指定で運ぶようなことをやっておりました。バブル景気も終了して得意先からの依頼も激減、ベテランの運転手さんたちも昼間から待機状態。もう何年も持たないだろうと思い始めて考えたことは、せっかく会社も辞めて自由の身、これからの人生自分次第。どうせやるなら自分のやったことが世の中に残る仕事をしたい。しかし、経験も技術も資金もない。当座の道具は板金鋏とハンマー、ガス溶接機と万力、ハンドドリル。正にこれだけのスタートでした。
自分が作ったチャンバーが世の中で通用するものか、判断するには最も過酷なテストではっきりさせてしまおう。だめなら潔く、どこかの会社で丁稚からやり直すつもりで行ったことは、全日本モトクロスの国際A級ライダーに使ってもらって結果を出してみるということでした。
モトクロッサーYZ125とKX125の2名のライダーに供給してどちらも決勝で3位入賞まで果たせました。当時はメーカー純正品を超える社外チャンバーは無かったと思います。素人同然の駆け出しチャンバー屋が作ったものが、いきなり通用した理由は科学的根拠に基づいたものではありませんでした。これで負けたら死ぬ覚悟で挑んでおりましたので、鉄板を叩くハンマーに執念がこもっていたと思います。火炎の先端に全神経を集中して薄板を溶かしながら付けていきました。
その後250クラスでも上位はメーカーのワークスチームが占める中で15位以内ポイント獲得圏内にYZ250とKX250に乗った3名のライダーが入る結果も得られました。
この道で行けるとこまでやってみようと決めた理由でもありました。
そして幾らかの知名度を得て安定した受注も得られるようになってきたわけですが、偶然、狭山レーシングの先輩が私と同じような悩みを持って会社を退職して日光でモトクロスコースを管理していることを知りました。
その先輩の影響なんですが、当初は子供が乗るレーサーには興味が無かったので、やっていなかった85クラスのチャンバーも作り始めKX65用も作るようになっていました。
キッズスーパークロスの世界でも最初に装着したCR85とKX65のライダーは連戦連勝でシリーズチャンピオンまで獲得しました。子供のお父さんが言うには、「彼は何でも好きなものを言えば買ってもらえる立場にいるから、気に入らないものは使わないよ。」ということでした。
口数も少ないし、プロライダーのように詳しいインプレッションも聞けません。ただ走っている様子をみて快調であればOKといういい加減なものですが、結果がちゃんと出ていることは侮れないことです。
科学的根拠がないにも関わらず「交通安全」とか「商売繁盛」などと書かれたお守りにお金を払って買いますよね。
私の作ったチャンバーは工業的に優秀な作品とは思えないですが、一つの製品に何十時間も執念をかけて魂がこもっているから、それを付けて走るライダーに伝わっているんじゃないかとオカルト的に感じています。そうでなければ大した下積みも資金力もないパイプ職人の品物が上位で活躍できた説明がつきません。
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確か04年くらいから作っているKX65チャンバーですが毎年少量ですが注文があります。
実に10年のロングセラーは主力の2ストトレールモデルに次ぐ生産数です。
モデルチェンジがないことが、ロングセラー続けられる要因ですが、最初にこれと同じスペックのチャンバーを付けて勝った少年はいまではワークスライダーまで登りつめました。
これからも同じように歴史が続いていくことが今の希望であります。




また工藤めが、非科学的なことを言うとるわい。と思われそうなので補足しておきます。
世の中のこと科学で証明できなければデタラメと考える方が不自然だと思うのです。
なぜなら宇宙のこと海洋のことなど例にとっても殆ど解明されていませんね。分からないことの方が多いのに分かっていることが全てのように考えることが不都合です。
針供養という慣わしをご存知かと思いますが、自分たちのために役に立ってきた物に対して感謝の気持ちを忘れないということ、物を粗末に扱うと酷い目に合うといった戒めの意味もあります。
物にも精神があるということを昔の人は感じていたはずです。
人間もただの元素の集まりにすぎないはずですが、元素の集まりに感情や意識があるのは何故でしょうか。その理由やメカニズムこそ科学で証明できないのですから、物という元素の集まりに精神があったとしても全く不都合でないですね。
人間のように感覚器官がないので痛みを感じたり言語を発したりしないだけです。
おそらく私たちが知らない別の手法で能力を発揮しているはずです。
例えば、電気であったり磁力や放射能だったり、言葉を発したり運動をしないだけで人間と違う能力を持っていることを考えると、物にも魂があると考えた方が理に適っていると思いませんか。
しかも人間の寿命は100年足らず、どんな生き物でも細胞が崩壊して自然界に分解されていきます。
ところが元素は永遠に不滅です。酸化と還元反応を繰り返して化合物となって姿は変わっていくとしてもいつまでも残り続けます。
人間という物質の存在が地球の成り立ちから比較すると一瞬の微小な存在でしかないことを思いしらされます。すると、悩みが悩みでなくなり、大きな問題も大したことのないように感じられるのです。

335Cについて少しだけ知ったのは、最近の話で雑誌読んだだけの知識でした。
現役時代は、勿論知らなかったし興味もありませんでしたが
2ストエンジンの製造を宗一郎さんから禁止されていて、朝霞のメンバーで極秘に行われていたこと
実戦初レースはエキスパートジュニアの松浦(ウイリー)さんだったこと
最初のエンジンはスズキRAがそのまま流用できたなど、現在のモータースポーツ体制から比較すると
黎明期であったことが想像されます。

ホンダ広報部によるPRビデオだと思いますが、元社員でありながら初めてみました。
1972年吉村太一さんによる335Cデビューから第3戦初優勝までの記録

私個人的には四国選手権デビューした松山オートテックの映像が第2戦に収録されていることが大変うれしいです。コースレイアウトは全く同じですからあのころを思い出しますね。

今の若いライダーが見ても何がいいんだか分からんでしょうね。あの時代に生きていたこと、ピーキーなエンジン特性でストロークの少ないサスペンションでコース整備もしてない路面をハイスピードで走っていくセニアクラス(年寄りじゃないよ)の走りは圧巻です。

これを見て吉村太一さんのファンにならない人はいないんじゃないかな。
ここに2種類のベアリングがあります。DT125から外したものですが、クランクサイドの左右でサイズもメーカーも違います。何でなんでしょう。
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ベアリングはJISで規格化されていますのでメーカーが違っても名番が合えば使用可能です。
左はL側ケース用で名番6205、Koyo製
右はR側ケース用で名盤6304 C3、NTN
左右でベアリングメーカーが違う理由は同じ車種でも2社手配していることです。
2社でコストや品質を競合させる目的と、1社の供給が間に合わないときに、もう1社で賄えるというバイヤー側のメリットがあるわけです。
因みに、このエンジン装着だったKoyo製が取り寄せたヤマハ純正部品はNTN製になっていました。
国内有名メーカーは
NTN(以前NTN東洋ベアリングと呼んでいた)
NSK 日本精工
Koyo (以前光洋精工、今JTEKT)
NACHI 不二越
などです。ラジアルボールベアリングの外輪側面に刻印を見たことがあると思います。
ベアリングといえば非常に硬い部品という印象ですが、オートバイ部品のなかで最も硬い材質であります。軸受け用材料はSUJ2を使いますが金型用のSKDに等しい硬さで比較的安価な材料でもあります。SUJ2は成分系から高炭素クロム鋼であることがわかりますが、内輪外輪はパイプを切断し、熱間鍛造で、球は丸棒切断したものを平ダイスで転がして真球を作ります。
形状が整ったら熱処理します。焼き入れ焼き戻しですが、焼き入れ(クエンチ)は鉄の変態(トランスフォーメーション)を利用して硬化させる処理です。鋼中の炭素量に応じて800度以上に加熱するとマルテンサイト変態が起こります。この温度を保持したまま油中で急冷(オイルクエンチ)します。水でなくオイルで焼き入れする理由はオイルの方が比熱が高い液体であるからです。
焼き入れ後のマルテンサイト組織は非常に硬く、ロックウェル硬度Cスケールで65以上ありますが衝撃で割れてしまう性質があるので粘り強さを出すために焼き戻し(テンパー)します。およそ600度で2時間保持すると微細なソルバイト組織に変態して硬度は60まで下がりますが靭性が高くなり実用強度が増します。
内輪外輪、球とも同じ熱処理を施したあと砥石研磨で寸法精度を高めます。ベアリングに不良品が殆どみつからないのは、寸法全検で規格に適合したものしか製品化されないためです。通常1万個が製造ロットと言われますので少量生産が不可能なことも特徴です。(ワンオフのベアリングは有り得ない)
6304とか名番のあとにC3というボールとレースの隙間(クリアランス)を示す表示があります。数字が小さい方が隙間が小さい意味ですが、隙間が小さいとガタも小さいのですがボールとレースの接触面が増えてしまい、転がり抵抗も増える結果となります。
従って接触面が少なくなる隙間の大きなベアリングがエンジンの回転にとっては有利となりますが大きすぎると往復運動のレシプロエンジンにとっては振動になってしまうので、C3かC4を採用するエンジンが殆どです。
ボールとレースの摺動部は金属接触では直ぐに磨耗して寿命が短くなるためオイル潤滑が必須です。
ベアリングに潤滑目的でグリスを封入する場合がありますが、サイドシール付きなら効果あると思いますがオープンベアリングの場合は無駄だと思います。グリスは荷重を受けてはみ出しますし、グリスが障壁となってオイルの潤滑を妨げてしまうため、頻繁にグリスの交換ができない場所にはメリットが無いだろうと考えています。
2サイクルの場合は混合油からの潤滑しか供給されないため、新品ベアリング組んだときは、混合オイルをボールとレースの隙間に給油して馴染ませてから組み立てするようにしています。

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2サイクルのクランクシャフトはベアリング内輪に圧入になります。
自作のクランクシャフトインストーラーを使っています。
サービスマニュアルには純正の特殊工具を使うようになっていますが、
用途と目的が分かっていれば特殊工具を買ってくる必要はありません。
ケースとクランクウエブの隙間がゼロにならないようにシックネスゲージで0.5mmくらいに調節します。
片側軸を引っ張りで圧入することでクランクに傾きが生じることを防止します。

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クランクシャフトインストーラーの構造はこのとおりです。
フライホイールのナットを利用して引っ張っています。シングルエンジンならこれ一つで65ccから450ccまで使えます。
実はエンジン組み立てを習ったことがないのでプロの整備士の人が、どのようにやっているかは知りません。
サービスマニュアルも持っておりませんのでいちいち考えながらやっているわけですが
構造は勿論、部品の材質や製造方法にまで思いを馳せながら組み立てるようにしているのは製造屋の本性というものかも知れません。

空冷DT125ですが、同じ79年製YZ125スペックでチャンバー作った件の続き
試乗してみたら、一般道走行にはそぐわない高回転型のエンジン特性になってしまい中止を促したもののオーナーは自走で乗って帰ることに
エンジン寿命は短くなることは予想しましたがピストン溶けるまでは思いませんでした。
割と近距離だったため故障したDTを取りに行ったために、直るまで再び預かることになりました。
これを教訓に旧車の預かりはしない、やむを得ない場合でも自走で乗って帰る車両の改造はやらない、ということを肝に命じました。
不測の事態に責任が負えないからです。
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さーてエンジン下ろす段取りができました。

DT125は15、6歳ころの通学車両人気NO・1だったので高専の駐輪場にいっぱい停めてあったのです。
自分は持ってなかったですが時々借りて乗ったことがある程度です。
もちろんエンジンなんか触ったことありません。
まさか35年も経ってこのエンジンを直すことになろうとは夢にも思いませんでした。


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溶け落ちたピストンは少量の粉になっていましたが、そのまま放置するとクランクベアリング周りに問題が生じる可能性があります。分解洗浄して、ベアリングを手で回して抵抗が無いかどうか確認します。
アルミの粉は柔らかいですからリテーナーに噛みこんでロックすることはありませんが、異物として残っていると発熱の原因になりますのでしつこく洗浄して、手で回転を繰り返します。
部品にダメージは無いので支給されたベアリングとクランクシール以外は再使用です。


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今回のトラブルとは関係ないですが、シリンダーに傷がありますので0.5オーバーサイズのピストンに交換するためボーリングにだします。
80年代狭山レーシングのころからお世話になっている井上ボーリングさんへ持ち込みです。
当時は新品シリンダーを最初から0.5オーバーサイズにボアアップしていました。
認められた排気量アップでした。
会社終わってから井上ボーリングの工場入り口に依頼書とシリンダー、ピストンを置いておけば3日後くらいに出来上がっていたという迅速さでした。
最近はどうでしょう。

3月は2戦ありましたMCFAJモトクロスですが、前回はエントリーしておきながら前日に体調不良に襲われ棄権しましたので、今回が今年初レースとなります。
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場所は今回のレースを最後にコース終了となりますMX408
完全ドライコンディションで埃対策に散水しながらの運営でした。
結果からですが私のE450、E250(実質ヒート1、ヒート2)は4位、3位ということで
フルサイズは表彰台に乗ったことがなかったので良かったですが、内容は抜かれてばかりの順位キープだったので悪いです。
2スト時代の癖で低いギヤでエンジン回転を引っ張ってしまうので車速が伸びないことと
体力不足に体格のハンデもあって、自分的にはこんなもんだろうと思っています。

フルサイズ参戦当初から掲げていた目標は達成できました。5年落ちのキャブレター車で新型の前を走る、ということだったですが
2回ともホールショットでオープニングラップだけトップ走れました。スピードがないので抜いてくるライダーを無理におさえようとせず、安全にレースさせてもらいました。
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GP、SEクラスのスタートグリッド。
久しぶりに見た田淵武選手は今回KXで出走でした。ベテラン大塚忠和選手と今年IA2参戦の伊田選手という3大元ワークスライダーと今年からIA1参戦の若手現役A級大西竜之介が2ストRM250が対決するという豪華な内容です。
結果は二つのヒートを大塚と大西で分けましたが、ヒート2の序盤は伊田さんが250Fでトップ独走して、来月の全日本に向けて仕上がりも上々というわけで、観戦も楽しかったのであります。

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私のスタートシーンはフォトハンターさんに撮っていただけたようなので、仕上がりが楽しみです。

ホールショット男の伊田さんはこの時点で足がステップに乗っています。
マシン真っ直ぐにしてトラクションを得る極意でありましょう。
ジャパンVET(5月5日オフビ)もお誘いいただいたので久しぶりに行ってみようと思います。




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預かり車のKR250ですが発売から30年も経過している割には非常に綺麗に保存されていて、オーナーの愛着の度合いがわかります。
しかし、さすがに外観からは分からない老朽化も進んでいるようで
固着したフロートバルブや詰まっていたジェット類も掃除してエンジン再始動しましたが、不調は解消できていません。
そんな状況ですが駐車中に奇妙なものを発見しました。
4本のビニールホースは2個のキャブからエアブリードとオーバーフローパイプが1本ずつです。
その1本の先端に白い花咲がみられます。
ガソリンタンクかキャブに結露した水分がガソリンと反応して出てきていると思ったのですが、どうやら違っていて花咲が発生するメカニズムは次のとおりと考えました。
ガソリンが時々漏れてきています。負圧コックですからガソリンが降りてくるということは、ダイアフラムが硬化してシール性が落ちていることと、フロートバルブが完全に効いていないのでオーバーフローしてきている証拠になります。
そこでオーバーフローパイプの先端から漏れたガソリンから気化熱が発生します。
するとホース先端が冷却され、空気中の水蒸気が結露(液体に変わる)してガソリンと混ざり乳化したものが花咲の正体である。
雨降りのような湿気が多いときに走行するとスロットルバルブにアイシングが起こりますが、それと同じ原理ですね。
通常はホースが冷える前に常温に戻りますから、オーバーフローが一定時間継続していて、外気温が低く湿度が高いといった条件が揃ったときだけ発生するようです。
屋外ならホース先端に埃が付着している場合もあります。
オートバイは金属部品の集合体ですが、絶えず自然環境に曝されていて、状態が変化していくことを長い時間を経過することで知らされることがあります。
もちろんオートバイメーカーは30年以上も車両のコンディションを維持することは想定しておらず
常に毎年の新車を多く販売することが仕事でありますから、維持する人の経験と労力がなければ残っていかないのだろうなと思います。
今回の修理方法を公開したのは、見知らぬお客さんからの依頼に応える目的ではありません。
貧乏くさく修理などせず、新しいエキパイを購入していただくことが2輪業界、アフターパーツメーカーにとってプラスになると考えているのです。実際、メーカー純正品、社外マフラーの販売元による修理は一切行っていませんし、整備士の正当な修理方法としては部品交換しかないわけであります。
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それでは、何故このエキパイの凹みを修理したかというと、依頼者には幾度となくお世話になっていること
これが無限というメーカーの品物で数に限りがあるという2点が理由であります。

凹んだエキパイ単品を送られて来ましても修理過程でパイプが歪みますから歪みの修正が必要ですが、車体合わせ無しでは確認もできません。
安い修理代で直れば喜ばしいことですが業界としてはデメリットになりますので、修理方法は公開しましたから、直したい人はご自分で努力してみてください。
おそらく大半の人は部品買った方が楽だということに気づくでしょう。
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パイプの前後を治具で蓋をして窒素ガス封入します。
圧力は10kg/cm2くらいが妥当でしょう。
酸素でなく窒素の理由は材料の酸化を少しでも防ぐ目的です。
パイプを加圧した状態で凹んだ部分を板金ハンマーで軽く叩きながら均していきます。
殆ど目立たない程度に修復できていますね。
パイプの曲げRが若干外に開きますので
内側に曲げ戻せば取り付けに問題は無くなります。

2輪レースでもロードとMXは異質なものだと思っています。人間とマシンの比率が、MXは人間の割合が大きいということです。マフラー取り換えたくらいでレース結果が大きく好転するとは思えないのですね。速さより音や外観といった嗜好の部分で選んでいる人が殆どでしょうね。
それからモータースポーツはプロの人は仕事ですから別ですが職業以外の人は部活動のようなものだと思っています。
私は中学時代は剣道部でしたから剣道やってない生徒と竹刀持って試合しても負けることはなかったわけです。2輪レースなら乗ることはもちろん、マシン整備や故障修理は2輪レースやってない人より出来るのが当たり前なわけです。
剣道だって竹刀や防具の手入れは自分でやって競技を続けるのですから、2輪レースで自分のマシンの修理を他人に頼んでいたのでは経験や技術が身につかないだけです。
私自身も最初は何にもできませんでした。30年以上やってきたから多少分かるようになってきただけです。体力は始めたころより大分落ちてますが・・・

あんなに始動性の悪かったエンジンが、キック一発になってしまいました。
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新品ヘッドに交換しただけですが
これでスタート前の憂鬱が解消されたでしょう。

やはりエンジンというものは、こうでないと!

今年は5年落ちキャブ車で新型FI車と戦うことを目的としています。

昔は無限キット付けたら「これでホールショットだね」などと冷やかされたものですが
私は無限キットでホールショットは決めたことないですが、狭山生産のノーマルCRでは数え切れないほどホールショット決めています。
私、スピードが無いのでスタート決めないと予選通過やポイント獲得が難しかったのです。

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同じチャンバーがこれだけ揃うのもめずらしいので記念撮影です。

普通のお客は1台しか頼まないので、1台作ったらすぐ発送なんで在庫が複数置いてあることは滅多にないことです。

人間は一瞬の快感を味わうために何百時間も働ける動物だと思います。
これらは作っている最中に喜びは全くありません。全部終わった瞬間の快楽は例えようがありません。



長期滞留車もいよいよ終盤を迎えました。明後日から溜め込んだバックオーダー品の製作に取り掛かります。
去年試作した無限ME用メタルガスケットが見事に冷却水漏れの連絡があり不良決定したばかりで
KR250のエンジン始動もうまくできず、何の成果も挙げられない日々が過ぎていくこのごろです。
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KRはエンジン始動こそ普通にできるのですがアイドリングから全く吹け上がらない症状に見舞われ、キャブのOHのあと腐食したガソリンタンクから錆びが出るので別のタンクからホースを繋いでエンジンかけてみたり
サイドスタンドスイッチが入っていると回転が上がらない仕様とかでスタンド解除してみたりしても症状は同じでした。

ロータリーディスクバルブのエンジンは整備経験ありませんので不具合の原因がさっぱりわかりません。
電気式のタコメーターや水温系が動かなかったりするのでECUの問題かと思ったりするのですが調べる方法がありません。
困り果てて北海道のオーナーに電話したら、「やめましょう」と通告されましたので、心残りではありますがエンジン復活作業は終了することになりました。
ここへ持ってくる前は快調だったそうなので、10ヶ月間置いておくだけで不調になる原因は何であったかこの先もずっと気にかかる問題になりそうです。
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精神的に病んできそうな私にも救いの手が差し伸べられることがあります。
CRF250の新品ヘッドもらいました。
貰ったといっても、ある取引をして体でお支払いする約束をしたので無料ではないです。
先週MXの練習に行きましたら、最後の方でエンジン不調になり、帰ってからエンジン開けてみたところ一箇所バルブクリアランスがゼロになっていました。
修復するのにバルブ交換とシートカットが必要で来週のレースには間に合いそうも無いと思ったところで本日部品が揃いました。
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新品タイヤも貰いました。
まるで私がレースに出ることを応援してくださっているようです。
実はこれも体でお支払い案件です。
これだけ揃えばエンジン組み上げて、遅延エントリーして23日のレースに出てみようと思いたいですが
エンジン試運転してから考えてみます。

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KR250のキャブレターオーバーフロー解析を行いました。
燃料コックPRI(プライマリー)の位置でガソリンがオーバーフローパイプから漏れてくる&エンジン始動不良の原因を追究します。

フラットバルブノキャブレターはロータリーディスクに向けて前下がりになっていてホリゾンタルとダウンドラフトの中間くらいのベンチュリー傾斜角です。
フロントとリヤは共通のようですが、ガソリンの吸入パイプ位置だけが違っています。
ガソリンホース取り回しの関係です。

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フロートチャンバー開けてびっくり!
ガソリンが腐ってヘドロのようになっています。
これではエンジンが掛からないの納得です。
腐食生成物が悪さして、フロートバルブの動きを妨げていることが分かりました。
フロートの浮力でバルブが閉じきっていないのでガソリンがオーバーフローの原因でした。
キャブ内の汚れは超音波洗浄かウエットブラストで落としたいところですが、費用と時間がもったいないので洗浄液とブラシで汚れ除去したあとエアブローで処置しました。
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フロートバルブのチェックはガソリンホースを繋いで、指でフロートを持ち上げてガソリンの落下具合で確認します。
汚れ除去後は確実にバルブが閉じていますのでオーバーフローは治りました。

もう一つ重大な問題があって、スロージェットが両方のキャブで塞がっていました。
腐食生成物が固まってしまって針金で突いても貫通しません。
これではエンジンも掛からないわけです。



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スロージェットの穴が拡大しないサイズのドリルで穴を貫通させますが、動力を使うと中でドリルが折れてしまうと使い物にならないので、手で回しながら穴を空けていきます。
貫通すればOKです。









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有害な汚れは除去したので再組み立てしますが、製作業務に支障がでるので、エンジン始動はこの次にしたいと思います。

取りあえず、オーバーフロー対策まで。









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そしてもう一つのトラブルはDT125です。
YZスペックのチャンバーが出来たのでオーナーが自走で乗って帰ったのですが1時間もしないうちに電話が掛かってきて引取りにいってきました。
距離にして20kmほどでR16号を千葉まで帰る予定が川越の上江橋を渡ったあたりで焼きついたとの連絡です。
あそこは一般道ですが80km/h以上のスピードで流れていますので、エンジンの限界が来たのでしょう。
持ち帰ってヘッド開けてみたらピストンに穴が開いていました。
焼き付きではなくて溶けたのですね。
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見事に穴が開いています。
排気側に傷がありますが、これは以前オイル切れで抱きつかせたときのものでしょう。
修理もしないで走り続けたということで、軽度な傷です。

燃焼室に破片が当たった痕が無く、溶けたアルミは全てクランク室へ落ちたと思われます。
クランクベアリングに悪影響を出さないためにはケース分解して切子の完全除去が必要と思われます。

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シリンダーの傷も軽度なものです。
これも前回抱きつきによるものだと思います。
排気ポートの上側は殆ど削れていないことが運転できた要因と思います。
排気ポート下部の方が傷が深いので
ボーリングして0.25オーバーサイズピストンに組み替えると蘇りますが、レーサースペックのチャンバーが過剰な空気を吸い込んでいた可能性があるので、全開域の燃調を濃い目に変更するか、ノーマルスペックのチャンバーに戻すかしないと自走で千葉まで乗って帰ろうとすると同じ羽目に会うでしょう。
今週末はトラブル続きで長時間製作業務が停まってしまいました。旧車の預かりは今後は考えさせていただきます。
430チャンバーは残り1本になりますので、次の予定を考えなくてはなりません。長期滞留車の最後になりますが、KR250です。
これまで長期預かり車の特注マフラー製作に集中していたわけは、作業スペースを空けて、3年ほど前から頼まれていた750SSのトリプルチャンバーを作り直す予定があったからです。ああいう大きい車体を取り回すためには場所に余裕がないとできません。
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84年型カワサキのレーサーレプリカKR250です。
78年から81年まで世界GP250ccクラスを4連覇した当時最速レーサーの技術をフィードバックしたタンデムツイン、ロータリーディスクバルブというユニークな構造です。
しかし、GPレーサーのようなスッキリとしたレイアウトとは程遠いスタイリングで補機類が詰め込まれた隙間をエキパイがクネクネと曲がっておさまっているデザインです。
黒塗装されたチャンバーのレイアウトは実車を前にしても分かりにくい複雑さで全く自由度がありません。
そのため良案が浮かばず10ヶ月も放置してしまいました。
オーナーが北海道在住で雪に閉ざされた冬は引き取りも無理だろうと思って春ころにできればいいかと思っていましたら、今月取りに来ると電話がありましたので「それは無理です」と答えたら5月に伸ばしてもらえましたので、1ヶ月くらいかけてツインチャンバー製作してみたいと思います。
先ずは試乗してエンジン特性を探ってみようしましたがエンジンがかかりません。
長期預かりなのでバッテリーのマイナス端子は外しておいたのですが、電圧が5Vくらいまで落ちていてこれが制御系を動かす電力が不足しているのだろうと思って新品バッテリーに取り換えて、再キックしますが、全くかかりません。2本のスパークプラグを外して点火を確認したら火花は正常です。
あとはガソリンが来てないと思って、燃料コックをいじったら大変なことになりました。
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このコックは負圧コックらしく、RES(リザーブ)、0N、PRI(プライマリー)という表示になっています。
通常のOFFはありません。エンジンが回っているときだけ負圧コックが作動しガソリンが降りてくるしくみです。
したがって運転時はON、ガソリン残量が少ないときはRESの位置にしますが、長期間停止したあとはPRI、すなわちダイレクトにフロートチャンバーへガソリンを降ろしてからONまたはRESに戻して始動する手順です。
先ほど始動できなかっった理由はRESの位置だったからですね。
それはわかったのですが、PRIにした直後キャブレターのベントホースからガソリンがダダ漏れになって、あっという間に床がガソリンまみれいなりました。大変危険です。工場内なのでストーブ付けていたら火ダルマになって人生終了していたでしょう。
これはキャブがオーバーフローしていますね。フロートバルブがイカレテいると思いますので直すまで試乗は不可能です。エンジン掛かりはしますが全く吹けないので、時間があるときに修理することにします。

初めてMFJの四国選手権に出たのが81年だったでしょうか。18歳のときでしたね。

それから12年ほど経って92年の全日本選手権九州大会が現役最後のレースでした。エントリーリストを見ると29歳になっていた私は一番年寄りから2番めの年齢でしたので、そろそろ止める時期が来たと感じたのでした。特に大怪我負ったわけでもないし、小さい体の割りには良くやったじゃないかと自分に言い聞かせて、第2の人生を歩むことに決めたのです。

ところが、それから5年後、それまで乗ったこともなかったミニモトクロッサーCR80がフルモデルチェンジになったのをきっかけに80cc(後に85cc)クラスのレースに出るようになっていました。乗りたい虫が騒いだのと、体のサイズに合ったマシンに乗れば楽しめるのではないかと思いました。

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そのあと2台くらい新型CRに乗り換えたころ初めての大怪我を負いました。

01年でしたが桶川のレースでスタート直後の1コーナーで多重クラッシュに合い、横倒しになった私の左胴体の上をマシンが轢いていきました。

散水の影響でブレーキが効かなくて追突されたのが原因でした。

左上腕骨が砕けてバラバラになっていたので自力で立ち上がったときは腕が肉だけでゴムチューブのようにぶらさがったのを見て右手でつかまえてパドックへ戻りました。

手術はしましたが、腕の機能が回復するまで半年くらいかかってしまい、収入も閉ざされ絶望的な日々を送りましたが、2年後の03年に復活してMCFAJのジュニア85で優勝したときの写真が上の画像です。私のファンの人がカメラ持って撮ってくれていたんですね。40歳の忘れられない思い出です。

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そして03年の成績でエキスパート昇格して初めて表彰台に上がったときのレース。

結果は3位でしたが

優勝は元ワークスライダーの小田桐昭蔵選手。

2位は元国際B固定ゼッケンでエンゼルス関東所属の我孫子賢二選手です。

お二人とも雲の上の人なのでえらく感激したのを今でも忘れません。

このころ使っていた自社製のチャンバーが多方面で活躍してスーパーキッズシリーズチャンピオンや全日本レディース優勝など輝かしい実績を積めたことで仕事も上り調子だったでしょう。(お金は残っていませんが・・・)

もの忘れの悪い癖で鉄板の在庫を切らしてしまい、取り寄せ中です。

鉄板が無くてはチャンバー作りもできません。材料入荷するまでやっておくことがあります。

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CRF150R用のサイレンサーをモデルチェンジします。

2007から作っていた物はチタンパイプを使用していましたからMFJ公認レースは適合でありませんでした。

今年のモデルはMFJ適合を目指してステンレス/アルミを使用し、マンネリ化したデザインを一新して視覚的に闘争心をかきたてるように作ってみました。

実は250用のツインマフラーはシングルマフラーより若干サイズが小さいため専用サイレンサーを作る必要がありました。

そこで150用を作って同じサイズで250のツインマフラーを作るための前段階というわけです。左側は右と対称型でいけるはずです。

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断面は平行四辺形です。横幅を増やさず容積をアップさせています。

中身の作り込みは後日やります。

実車取り付け状態もその後で、

一応今のバックオーダーの分から新型マフラーに切り換えていく予定です。

 

 

 

 

 

CIMG3288.JPGそろそろ材料屋から電話が来ると思うのですが、もう少し進めておきます。

エキパイのジョイントを加工し、マウントブラケットを溶接して、取り付けレイアウト確認します。

全長はノーマル同等ですが、横投影図は大きく見えますね。

 

 

 

 

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リヤビューです。横幅は割とスリムなんです。

中身の構想は出来ていますが加工は、ずっと先になります。

材料屋から鉄板入荷の連絡があったからです。

これから材料取りに行ってチャンバー作りに復帰します。

長期滞留車はあと2台で終わるのですが、430チャンバー10台分なので最後の車両に取り掛かるのが3月後半くらいになるでしょう。

毎日、ご注文や修理依頼が入って参りますが、お引き受けできる状況にありませんので、全て納期未定と返事させていただいております。

長期滞留車集中業務、去年12月から第5弾になります。

今回はワンオフではなく10台ロットの生産になりますので、終了まで当分の間新規ご注文はお引き受けできません。

何故10台かと想像するに、35年前に生産されたCR250(機種コード430)がビンテージMXとしては世界中で最も保有台数が多いらしく、当然純正パーツは絶販で

チャンバーなどという薄板の板金部品は相当腐食して実用に耐えない状態のものが多いと推測します。そこで絶販のチャンバーが新品購入できるとなると、喜ぶビンテージマニアも少なからずおられるのではないかということで複製に挑みました。

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販売は全面的にホーリーさんになりますので、個人的に頼まれてもお作りすることはできません。

それはこの商品を企画し、原車提供していただいておりますので、その轍を踏まない方の依頼は430に限らず不可能であることを申しあげておきます。

パイプのレイアウトが一部出来上がってきました。

あと一日くらいで全体が見えてくると思います。

 

 

えー、上の状態は昨日昼ころで、次の画像は今日の午前中、歯医者へ行ってから昼前の状態です。

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パイプは一通り繋がりましたね。

サイドカバー付けて、構成部品の隙間等チェックして、マウントブラケットやスプリングフックを付ければ完成です。

 

ワンオフではないので複数作ったときの同一性を検証しなければなりませんが、このあと数個作ってみて比較してチェック項目を決めていきます。

 

 

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パイプの成形も基本的にハンドワークなので、均一なパイプを作るのは職人の手加減にかかっているところが、一般的な工業製品と違うところです。

従って外国に出回って模倣されようとしても、同じ努力をしなければ出来ないはずなので、作ることのしんどさに耐えられる人間でなければ無理でしょう。

 

 

 

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サイドカバー付けてみて焦りました。

隙間ギリギリなんです。

図ったわけではないですが運がいいだけですね。

ノーマルも同じような隙間だったのでパイプ作りの精度が間違っていなかったといえるでしょう。

5個くらい作って形状が安定していることを確認してから、取り付け治具を作成して車体なしで受注生産できる体制にする予定です。

長期滞留車の集中業務が続いております。去年11月から第4弾になります。

空冷エンジンのDT125は以前ノーマルベースのチャンバーを作りましたが、今回は79年型YZ125と同スペックで製作依頼を受けました。

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YZスペックでDTに取り付くように専用型作るのですが

当時のYZ125チャンバーは左出しに対してDTは右出しなので対照になっています。

最初は取り付くかどうかわからないので

同等のカーブで作ってみましたが、車体が小さいことと、フレーム中通しのレイアウトが取り回しを困難にしました。

 

 

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タンク下のクリアランスはこのとおり1センチくらいです。

この位置を下げるためにはエキパイのカーブを大幅変更するしかありません。

今回は走行性能のチェックが主目的だと思いますのでこのままいきます。

 

 

 

 

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フレーム中通しのテールパイプに苦しめられました。

サイレンサーはノーマルパイプがつく位置になっています。

カンチレバーのショックユニットが真ん中にありますので、ショックを避けるカーブが複雑になりました。

 

 

 

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全く実績のない組み合わせなので試乗してみます。

インプレッションは元国際田舎B級の私が勤めさせていただきます。

トレール車にレーサーのチャンバーつけただけではレーサーのエンジンにはならないだろうと思っていました。

それはノーマルの最高出力が8000rpmで発生に対してYZは11000rpmで発生すること、カタログ上の馬力は10馬力も差があることから、ポート形状やクランクが別物なのだろうと考えられたからです。

まず、3ヶ月も放置した割りにチョーク引いてキック一発で始動しました。軽く暖気してから走りだしますが、分離給油の混合比が濃いのか白煙を吐き出しながら走ります。一般道では5000rpmくらいで巡航できますので、全くパワー感がありません。6000rpm付近まではノーマルベースの方が力強く、走りやすかったです。

ところが7000rpmを超えた付近から豹変します。8000からレッドゾーンのタコメーターを11000まで一気に振り切りました。この加速でフロントも浮いてきます。相当スピードも出ますし、市街地では危ないでしょう。しかし交通の流れに乗った状態ではパワーバンドに入らず、つまらない特性なので走る場所を選ぶ必要があるでしょう。

ノーマルポートでこの変貌ぶりだとキャブレターもいじっていけばレーサー並みに走ると思いますが、乗りやすさとは別ですから、オーナーの判断に委ねることにします。

CIMG3255.JPGCB400SSマフラーの鍍金が仕上がってきました。

上手く研磨できています。

 

 

 

 

 

 

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エキパイ類もこのとおり

 

 

よーし、つけるぞー!

 

その前にノーマルマフラー装着して試乗しなければなりません。

元国際田舎B級の私が、試乗インプレッションいたします。

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CB400に動力性能を期待するなんてことはナンセンスです。明らかに旧車デザインのこれはCB360Tの雰囲気を現代風にアレンジしたはずなのです。

国内ロードスポーツのお客離れ、特に我々の世代は若い頃CBに乗っていたりするのはちょっと不良で勉強なんか嫌いな少年たちだった。

岩清水ヒロシみたいなガリ勉が乗っているわけがないのだ。

そして大学で勉強したエリートがデザイナーになって単車作ったって、我々世代の気持ちをつかむデザインや音がするものを作れるわけがないのだ。よって新型ロードスポーツに見向きもしないというわけだ。 CIMG3261.JPG(単なる懐古主義なだけなんですがね。スポーツ用のやつはなるべく新しいのにのるべきだと思います。)

根本的にCB360TはツインですがCB400はシングルなので乗り味が違うのは当たり前です。

シングルのデュアルエキゾーストですからエキパイは細くてよいわけですが、見た目ツインマフラーのようにしてあります。

ノーマルは3000rpm以下の低速トルクは弱いですが5、6000rpmのパワー感が良好で一般道で非常に乗りやすい特性でしょう。8000rpm以上回しても加速感は一定でパンチが効いていません。ゆっくりと流す程度に乗るのが一番心地よいでしょう。

そしてツインマフラーに交換して最初に気付くことは「音」です。ノーマルの原付みたいな大人しさに比べて明らかに存在を感じる太い音です。しかも爆音ではないので周りに存在をアピールできる調度よい感じです。走りだして低速から開けていきますが、太いマフラーにありがちな低速の落ち込みは感じません。むしろ抵抗が取れた軽い吹け上がりに変わっています。5000rpmからの加速はノーマルより若干速いかなと感じますが、大きな差はありません。同様に乗りやすいフラットなエンジン特性です。前述しましたがブン回して楽しむ必要のないクルマなので、軽くなったエンジンレスポンスと太い音で快適なドライブができると思います。

なんたってリヤビューから車種が特定できそうもないスタイルを楽しめることが最大の売りです。

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排気が抜けるようになるとキャブレターのオーダーも違ってきますが、これは走行中に違和感は特にありませんでした。

通常は抜けすぎると全開時や戻したときにアフターバーンが出ます。吸入空気が多くなってガソリンの割合が薄くなるためです。

これは走行中のアフターバーンは起こりませんが回転を上げてからアクセル全閉で少し出るくらいです。エアースクリューを若干閉めるか、スロージェットをワンランク上げる程度で改善するでしょう。

 

 

最近のもの忘れの激しさに自分が恐ろしくなります。50歳にしてこの状態では60代で完全にボケてしまうのではないかと思えます。

例えばこんなことがありました。ストーブに火をつけるライターをエアコンに向けてカチカチとスイッチ入れようとしたり、お昼にラーメン食べようと思って包丁でナルトを切って包丁とまな板を洗って、包丁を包丁立てにしまおうとしたらナルトが立っていたり。

または灯油を買いにいこうと思ってポリタンクをスクーターに積んで走りだしたのに、家のそばのGSを通り過ぎて次の交差点まで突っ走って気がついたり。

今、何をやろうとしているか、または1分前の行動が記憶に無かったり、かなり重症のもの忘れです。

そしてついに仕事上のもの忘れで大失敗を犯してしまいました。

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このサイレンサー、材料支給で組み立てを頼まれたのですが

完成したつもりで梱包して荷物発送した後で、中に入れ忘れたものに気がついてやり直しするために依頼主に電話して返送してもらったばかりです。

中身のパンチングが後ろに抜けてこないためのストッパーを付け忘れたので、このまま納品したら、お客さんとこで問題が発覚するのではないかと思いました。

 

 

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早速、溶接を剥離して分解する前に、パンチングを引き抜いておこうとしたのですが、意に反して抜けてきません。

差し込んであるだけなので、バーナーで炙ってアルミを膨らませておけば緩むだろうと思ったのですがビクともしません。

パイプを中に突っ込んで力任せにど突いていたら、アルミの方が負けてしまいました。

結局、改修しなくてもパンチングは抜けてこないということが分かりましたが、これは偶然の産物であり、自分の設計では抜け止めが必要なことに変わりはありません。

この凹んだアルミも修復して無駄にしたりはしません。余計な仕事が増えただけです。

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しっかり溶接されたものを再使用できるように分解することは至難の業です。

切断したパイプの部分は寸法が足らなくなりますので廃却して新規に製作です。

やり直しするということは同じもの2回作るより労力が必要です。

往復の運送代も無駄になっていますし、もの忘れの恐ろしさを今更痛感するのであります。

 

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同じ失敗を繰り返さないために、新たに巻いたパンチングにストッパーリングの取り付けを確認しました。

1個品物が増えていますが、追加で頼まれましたので工賃をいただかないで運送代の足しにしていただこうと思います。

あと少しで組み立て完了のところで夜10時を回ってしまいましたので、近所迷惑にならないように、続きは明日の朝ということにします。

 

 

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翌朝組み立て完了しました。

全損になる可能性もありましたが材料の予備はないので、悪戦苦闘して改修しました。

アルミは柔らかいので溶接を剥がすときに歪んでしまうので、新品で作るより困難です。

私のもの忘れが原因で約束の納期も守れず、余計な運送の手配などしていただき、依頼者の方には大変申し訳なく思っています。

エンジンの組み立てなど、作業が決まっている場合は同じことを2回以上確認して締め忘れや未取り付けを防止できますが、初めてやる作業や方法が確立されていないことはミスが出る可能性が高いことを忘れないで今後の仕事に取り組んでいきたいと存じます。

研磨に出す前にまだまだやることが残っていました。

いつも即興で計画性のない仕事の進め方です。知能が低いのでお許しください。

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一旦繋がったパイプをぶった切ってジョイントにしました。

フレーム下のマウントステーを取り付けたらフランジが抜けなくなってしまったためです。

放熱性と軽量化のためアルミフランジを採用していますが、鍍金の電流条件がアルミと鉄では違うため、アルミフランジは外して鍍金する前提ではいたのですが、アンダーマウントのことをすっかり忘れていたのでした。

よって設計変更です。

しかもテンションスプリングのフックを溶接したら、またフランジが通らない始末。悩んだあげく、鍍金後にフランジを入れてから前側フックを溶接することにしました。取り付け位置は車体内側で、ステンレス棒を使うので鍍金上の溶接焼けは少なく、外観は損ねないだろうとの判断です。

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アンダーマウントは、このように左右のエキパイを固定するようになっています。

マフラーの振られを考えると、ここを止めないわけにはいかなかったのです。

 

 

 

 

 

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ノーマルは右1本出しのため、左側にサイレンサーマウントはありません。

ステップブラケット下に自家製ラバーマウントを取り付けしました。

 

 

 

 

 

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ウーム、魅惑のリヤビュー。

今度こそ加工終了です。

後は研磨屋へ2往復してフックの溶接とグラスウール詰め込んだら排気音が聞けるという段取りです。

年末に途中だったCB400SSマフラーの続きです。

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2本出しなのでエンドキャップも2個です。

グラスウール入れるタイプなので消耗したらメンテナンスできるように脱着できるようにします。

抜け止めはM6ボルトを使います。

 

 

 

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マフラー装着して左右取り付けバランスを確認します。

オートバイは左右対称ではありません。

L側はサイドスタンドとチェーンがあり

R側はブレーキパネルなのでリヤフォークの形状も非対称です。

2本のマフラーをバランスよく配置するために、一歩引いた位置から眺めないと至近距離ではわからないのです。

 

 

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理想的な位置が決まりました。

残りはフレーム下のマウントブラケットを取り付ければ加工完了です。

そのあと研磨屋へ持ち込み、クローム鍍金仕上げになります。

研磨屋には2週間ほど預かりになると思いますので、それまでの間次の車両に取り掛かろうと思います。

年明けから毎日、ご注文の電話が掛かっていますが今のところ滞留車の特注部品に集中しておりますので、全て納期未定と返事させていただいております。

突発の修理も予定に影響が出るものは対応できません。

一台一台進めていますので遠くない将来に終わると思いますので、ご予約いただいたお客様は気長にお待ちください。

2輪車(単車)とは道路を走ることのできる乗り物のことです。レーサーに乗るということは、同じ場所から少しも動いてないわけで、乗り物としての役割は果たしてないことになります。動かさないで置いておくだけの単車も同様です。

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調子が悪いまま乗り続けることも、意のままに操れないわけで、乗っても不快なだけですね。

順法運転を心掛けるなら、高性能である必要はありませんが、ノーマル本来の性能から逸脱しているなら直ちに修理すべきでしょう。

実はこの単車、うちに来てからある問題を抱えていて、原因がわからず、すっとごまかして乗っていました。

思い当たる節があったので、キャブレターを外して問題の箇所を特定しました。このツインキャブはスロットルバルブを中間で連結して動作するようになっているため、バルブを開閉するシャフトがキャブレターを横に貫通しています。

キャブレターに対し内側の穴はフェルトシールで隙間を埋めていて、外側は真鍮のカップが圧入され密閉されています。

ところがL側キャブにはカップが圧入されていましたがR側キャブには、これが付いていません。おそらく走行中に脱落したのでしょう。

これが無くなったときの症状とは、エンジンは普通に始動しますが、スロットル全閉でアイドリングが6000rpmまで上がってしまいます。これの原因が2次エアーの吸い込みだとは前から疑っていましたが場所を特定するのに時間が必要だったのです。

当然キャブが薄い症状がでていて、寒さのせいで旧車のせいもあり、セッティングが狂っているかもしれないと思ったりしましたが、今回の修理で原因が特定できましたのでひと安心です。

パーツリストにも載っていない部分なので、アルミでプラグを加工して圧入しました。フェルトシールも粘着性の持続するビスタックを浸み込ませて組み付けました。

アイドリングは1700rpmで安定しました。

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やっぱり玄関から乗っていける単車でないといけませんね。

30日ですけど近所の丸亀製麺にうどん食べに、わざわざCJ360でいきました。

これが調子悪い単車では行く気がしませんからね大事なことです。

さあ、すっきりしたところで続きに取り掛かろうか。

 

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年末の追い込みです。

左右エキパイの曲げが終わったところです。

これからマフラー部分の形状をデザインします。

完成後はクロームめっき仕上げになります。

 

 

 

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今回は二重管にします。

めっきの焼け色を抑える目的ですが

実はエキパイのサイズが排気ポートより大きいのです。

排気の乱流を防止する目的で排気ポートに近いサイズのパイプを挿入しておきます。

 

 

 

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マフラーの前側の部分ですが

二重にします。板厚の分、縮小したパイプを挿入しています。

目的は、溶接ビードを研磨によって消してしまうため、排気圧で溶接面が剥離することを防ぐことです。内側のパイプが圧力を受け止めます。

後で4本マフラーの製作が控えているのですが、同じ方式で作ろうと考えているので製造トライを兼ねているわけです。

 

 

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パイプを仮り止めしてマフラーのレイアウトを検討しています。

年末の大掃除のため一旦中断して、正月明けに続きをやります。

 

 

 

 

 

 

(メリー クリスマス 伊太利屋) Motocicletta(モトチクレッタ=モーターサイクル)

Corridore(コリドーレ=2輪レーサー)

ミケーレ・リナルディ  アレッサンドロ・プツァール  アンドレア・バルトリーニ  アレッシオ・キオッディ  アントニオ・カイローリ ・・・MXに偏ってるので

ロードも、 ジャコモ・アゴスチーニ  マルコ・ルッキネリ  フランコ・ウンチーニ  バレンティーノ・ロッシ ・・・・ みんな共通項もっています。

無宗教の私はNataleも仕事であります。Eveだけローストチキンとケーキが特別食で飲酒しないのでシャンメリーで乾杯です。

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またもや空冷エンジンがやってきました。

工場には順番待ちの車両が5台も預かっているのですが、これは半年も前から頼まれているのに時間が取れずにいましたので

全部スッキリ片付くのを待っていたらいつになるかわかりませんので、今やることにしたCB400の2本出しマフラーですが

適切な寸法の材料を鋼材屋に問い合わせると在庫が無くて、お取り寄せになってしまいました。

年内に入荷できるか心配になってきました。

材料が無いからと遊んでいるわけにはいきません。

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別の車両のチャンバー作りに着手しておこうと思います。

参考に採寸したチャンバーを元に取り回しを検討します。

円形の鉄板はパイプの内径を表し

中心の軸はパイプの長さを表します。

見本のチャンバーは車体に取り付きませんので、新たに形状を決めなくてはなりません。

 

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作りたいチャンバーの形状はこんな感じで、車体は80年代初期のものなので、レトロな巻きチャンバー製法で作ろうと思っています。

250の巻きチャンバーは実に15年ぶりになりますが、昔を思い出しながら進めていきます。

これは来年の2作目になる予定です。

 

 

では今年最後になると思いますので雑談を書かせていただきます。

幸か不幸か仕事も遊びもオートバイに関することばっかりやってきましたが、近年になって葛藤と戦うようになってきました。老化現象による体力低下で物事を悲観的に思うようになり、2011年の震災、原発事故が引き金となって、これからのオートバイに対する取り組みを変えていかなければならないんじゃないかと思い始めました。

およそ10年ほど前から化石燃料の枯渇やCO2排出による異常気象が顕在化されるようになり、このままでは人類の文明の存続に関わる問題が頻発することになると思わざるをえません。消費者はクルマや電化製品を快適な生活、利益の追求や快楽娯楽のために消費し続けるということになっていますが、いつまでも同じようにやっていかれると本気で思っておられる人はどのくらいいるでしょう。

現状でも自動車メーカーはPHVやEVの方向でシフトチェンジしていますし住宅関連も太陽光や自家発電を進めています。20年前とは明らかに違う動きです。深刻なエネルギー事情や異常気象が起こることを想定して緩やかに変化していく兆しです。おそらく私が生きていられる30年か40年くらいの間にガソリンを燃やして動くエンジンの全部は消滅しないと思っていますが、次の世代の途中で無くなってしまうのではないかと思います。

クルマだけではありません。もっと大量に化石燃料を使う航空機、大型船舶、火力発電があります。おそらく貴重な燃料を温存するために優先順位をつけて延命は図ろうとしますが、数万年の人類の歴史から比較すると一瞬の間で使い果たしていくと思います。日本近海にメタンハイドレートが現在の火力発電で100年分まかなえると発表されましたが、100年後は無いという意味でもあります。

自分の世代だけもてばよい。未来永劫安心できるエネルギー政策はあるのか。殆どの人は同じ考えですから今の生活レベルを落せません。「オートバイはガソリンを消費する乗り物だし、排気ガスも出すから乗るのはやめよう。」と考える人がいたとします。しかし、そんなことは偽善で自己満足の考えに過ぎないでしょう。なぜなら

例えば、動物を殺してはいけないと言いながら肉を食うというふうに、何のおかげで自分の生活が成り立っているかを忘れているということです。オートバイ遊びが出来る背景には部品や完成車を作る無数のメーカーが存在し、それら製品を製造したり、輸送するにも燃料が大量に消費されます。一部の愛好家が遊びを止めたとしても何の効果も出ないでしょう。

まして全員で消費を止めれば資源の消費は減速できると思いますが、自動車産業は日本の重要な産業ですから国家の存続に関わる問題になるでしょう。自動車でもオートバイでも購入して乗り続けることによって、多くの人が収入を得て別の商品の購買にも波及して国家が維持できるという図式なので、一部が節約に走ったとしても何のメリットもないわけであります。

ニュース番組などを見ていますと、原発推進の考え方は既に古く破滅的なことで、代替エネルギーが未来を左右していくようです。その筆頭は水素、資源はほぼ無尽蔵、有害な物質も生成されません。安全性さえ確保されれば割と早い時期に普及していくかもしれません。太陽光の分野も電池に蓄えることが既に古く、直接動力に変換できるようになるでしょう。もちろん、最も消費率の高い冷暖房も地熱や太陽光に変わっていくでしょう。そして、どうしてもガソリンが必要なエンジンのみバイオ燃料に対応するように開発されていくという未来像が見えてきました。

私の故郷愛媛には、みかんジュースの絞りカスを原料にしたバイオエタノールの精製に成功し、社用車すべてを自家製燃料で走らせている企業があります。ブラジルでは、とうもろこしから出来るバイオエタノールで走るクルマが国内の半数を占めているといいます。できる企業が既にあるのに政府はお金の使い方が分からず、高い燃料を言い値で買い続ける対策に原発を推進しようとします。

中国は国土も広く、人口が多いのに月へ行ってウランを取って来ようと計画したりします。おかしい人と、真剣に将来を見据えている人との格差が経済以上にありすぎるのではないかと思ってしまいます。

そういうわけで未来のオートバイは燃料やエンジンが今とは違ったものになって残っていくと思いますが、やはり私には関係ないことです。それが乗れるようになるころは生きていませんから、だから今までのオートバイを大切にしていこうと腹を決めているのであります。

 

安易に引き受けてしまって、またもや後悔の念に苛まれていますが、引き受けるに至った理由の一つに必要条件がなかったことが挙げられます。コストも制限されていませんし、サーキット走行目的なので音量や排ガスの規制もありません。作り手としては全く自由な要件なので、引き受けやすかったのです。取り掛かるまで日数も長かったので、やり始めてから考えればよかろうと思っておりました。

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L型ツインのリヤバンクは後方排気でエキパイ長が極端に短いのです。

ノーマルはマフラーというより箱型チャンバーです。後方排気の容積をチャンバー内の隔壁で距離をかせいで確保していると思われます。

触媒はフロントバンクのエキパイの途中とリヤバンク用はチャンバー内に装着されているのですが、排気効率を上げるためかハニカムをぶち壊して筒抜けにしてありました。

どうやらこの車体のスポーツマフラーが販売されていないか、べらぼうに高額なものしか無いようです。

隔壁によるマフラーの構造はノウハウがないためオーソドックスにパイプの延長で対策しようと考えましたが、ノーマルのマフラーしか取り付けようのないリヤフレームとカウルの形状のため、このような取り回しを余儀なくされました。

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これがノーマルのマフラーです。テールカウル下のスペースをいっぱいに使ったデザインです。

マウントはM8ボルト(中央)とM6(前側)2本の3箇所でぶらさがっている形です。

いわゆるマウントブラッケットなるものが無いので、新作マフラーの取り付けに苦労しているところです。

このマフラー単品で重量8.6kg

ライセンスプレートとテールランプをマフラー下に直接取り付ける大胆な構造で合わせて9.6kgになります。

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サイレンサーは左右独立したものを連結し、

ジョイントのパイプ2種類と燈火類を取り付ける金具を作りました。

マフラー全体の重量は5.6kgでノーマルより3kgの軽量化になりました。

 

 

 

 

CIMG3184.JPGレイアウトの都合上、サイレンサーの長さに制限があります。

リヤタイヤエンドから出ないように取り付け位置を決めましたが450マフラー2台分の容積を確保するため、このような大きさになりました。

外側から取り付けボルトにアクセスできない構造なので、取り付け金具の製作に丸二日も費やしてしまいました。

上がってしまったリチウムイオンバッテリーも新品に交換しましたので、明日エンジン始動してみます。

 

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翌日、メインスイッチを入れてセルボタンを押しても、全くセルモーターが回りません。

インジケーターや燈火類は全て正常に動作します。

お客さんにその旨を伝えたら、「持ってくる前からおかしかった」といいます。

「バッテリーあがりかと思っていたがセルモーターが焼きついているかもしれない」とも言われましたので、ここで排気音の確認はできないなと諦めかけていました。

ダメ元でセル始動数回、トライしてみました。

すると1回だけクランクが回転したので、もしかするとOKかもしれないと思い再度トライすると、2回転3回転」と段々回り始めました。5回目くらいにアフターバーンが起きたので確信して、もう1回トライしたら始動できました。

リチウムイオンバッテリーは活性化するのに少し時間が必要らしいです。しばらく電気を流しておくと能力が上がってくる性質です。それとコールドスタートでオイルが固かったことも影響していたと思います。

暖気1分くらいでアクセルあおってみますと、なんとレスポンスのよいエンジンか!ちょい開けで1万瞬時に回ります。音はトルク感ありそうな低音で、思ったほど爆音でないことからサイレンサーの容積が適切であったことが伺えます。ツインエンジンだけどマルチのような吹け上がりです。

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延長したリヤバンクのエキパイのはみ出し具合です。カウルの横方向は収まっているのでライディングには影響ないでしょう。

こんなオートバイに比べたら、私の所有車なんてカブみたいなもんです。

スーパーバイクを乗りこなすライダーを尊敬します。私は、このシート片足しか付きません。腕も真っ直ぐ伸ばしてやっとグリップに届きます。

危険なので試乗はやめておきます。

 

 

 

私らが子供のころはズボンの膝や上着の肘が擦り切れたら、継ぎ当てをして着ていました。着る物や食べる物が貴重で粗末にすると親から怒られたりしました。ですから使える物はなかなか捨てません。可能なかぎり直して使います。

競争原理主義であるはずのモトクロスをやるようになっても貧乏性のままで、チャンバーなどは転倒で簡単につぶれてしまうので、下手な板金修理で直して使い続けました。そんな苦労した経験から、安価に上手く直せればいいなと思って始めたのがチャンバー作りなので、スペシャルパーツとかチューニングとかの目的ではなく、高価な部品をあっさり交換するのでなく直して使うことで出費を抑えようという目的でした。

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エクボくらいの凹みですが、これを直してほしいという依頼です。

「金は持っている」といいますが、これが直ったとしても価値があるとは思えませんので、どれほどの難易度か確かめるためにやってみます。

 

 

 

 

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250のエキパイは以前、やりましたので治具がありましたが450のパイプには使えません。

450専用の治具を製作しました。

パイプの端面を密閉して窒素を加圧するための道具です。

 

 

 

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エキパイに加工が必要です。

治具が引っかかるストッパーを溶接してあります。

これがないと圧力で治具が動いてガス漏れしてしまうためです。

 

 

 

 

 

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窒素を10気圧かけてバーナーで赤熱します。

炙りすぎると酸化してチタンが脆くなってしまうので手早くやらねばなりません。

溶接ビードの真上なので、一般部より固かったですね。

 

 

 

 

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凹みはこの程度修復できました。

焼け跡が残りますので色は美しくないですが、凹んでいるよりはいいでしょう。

 

 

 

 

 

 

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こっちの方が重症です。

カーボンパイプは衝撃が加わると割れてしまいます。接着剤では再び剥がれてくるでしょう。

これは諦めてアルミで巻いて作るように頼まれましたが、忙しいので後回しにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先月お台場で開催された「旧車天国」に行ってきた弊社取材班が貴重なDVDを購入してきましたので紹介します。

去年暮れに日本のモーターサイクルレース発祥地(1910年)である上野公園不忍池へいってきましたが、そのレース主催団体「東京モーターサイクル倶楽部」に関するビデオ(八重洲出版制作)です。1909年(明治42)東京神田で創業の輸入オートバイ店山田輪盛館の創業者、山田光重氏が主催者でした。

同社は日本高速機関という会社を設立して国産初の高級自動自転車ホスクを1954年(昭和29)にデビューさせたのでした。

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ホスクNKBA、4スト200cc 7ps/6000rpm

17万5000円、当時東京都民の平均年収10万円だったそうです。

ヤマハ初の4ストエンジン車が1970年発売のXS1ですから、最初から4ストロークエンジンに着手した同社の技術力の高さが伺えます。

 

 

 

 

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1956年(昭和31)製造の500DBS

輸入車に引けをとらないスタイリングのオートバイ製造を成し遂げたことで、唯の輸入オートバイ店から2輪メーカーへ完全に転身したといえます。

ホイールにはアルミリムを奢っています。

 

 

 

 

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この500DBSは1957年(昭和32)第2回浅間火山レースでセニア500ccクラス3位入賞しました。

ゼッケン55がホスクに乗った井上武蔵選手。

 

 

 

 

 

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日本初のモーターサイクル競技団体、東京モーターサイクル倶楽部のメンバー

前列右から2人目の髭を生やした紳士が創設者山田光重氏、。

隣のチョッキ着用の人が1930年(昭和5年)にマン島TTレースに参戦してベロセットに乗って350ccクラス15位の結果を残した多田健蔵氏。

1930年当時英国車ベロセットは1500円で販売されたそうで、モーターサイクルの輸入税93円60銭は東京のサラリーマン月収に等しかったそうです。輸入車は普通の住宅並みの値段だったようです。

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東京MC倶楽部主催のダートレースが月島や王子あたりで盛んに行われたそうで

これは多田健蔵選手の映像の一コマ。

この時代のアマチュアレースが土台となり1950年(昭和25)に船橋で現在のオートレースが開催されるようになったそうです。

 

 

 

 

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人柄の良さそうな多田さん。

ベロセットのロゴをあしらえたトレーナーがカッコいいです。

 

 

 

 

 

 

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オートレースはダートコースで行われていました。

見事な逆ハンです。当時のダート走行テクニックは今以上ではなかったかと映像が教えてくれます。

 

 

 

 

 

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お客さんを連れて箱根、熱海方面へ遠乗会も主催されたようで富裕層の道楽的要素が強かったみたいです。

ここは箱根の登坂路で休憩中です。

時々エンジンを休めないとオーバーヒートしてしまうのです。

路面は当然ダートしかありません。酷いデコボコ道にリヤサスはリジッドですから相当に体力が必要だったでしょう。

ガソリンスタンドは充分にあったでしょうか、尺貫法時代に「ガソリン一升」とか言って頼んだでしょうか。

大正時代の映像と思いますが非常に鮮明に撮れているばかりか、車載カメラで動画を撮っている場面があることに驚きます。ヤマリンの山田さんは輸入オートバイ店かカメラ店を営むか悩んだくらいのカメラマニアだったことがこれらの撮影技術に役立ったみたいです。

フィルムは東映の倉庫に埋もれて行方不明になっていたものを偶然発見して損傷の激しかったものを現在のデジタル再生技術で蘇らせたこともDVDの中に載っていました。

本当に奇跡の映像だと思いますし、これに出会ったことも運命であったことを感じます。

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1959年(昭和34)製造のホスクDBTスーパースポーツ。

HOSK最後のモデルとなりました。初生産から14年、創業から59年を経て山田輪盛館の歴史は幕を閉じるのであります。

会社は沼津の昌和製作所に移譲されヤマハ発動機の傘下に入って技術は継承されたということです。

 

 

さて、本題に入ります。古い記録映画を唯娯楽のために観ていたわけではありません。

自分の親たちも含めて大人は子供に対して大事なことを伝えていないと思うのです。よその家のことは分かりませんが少なくとも私の経験ではそうです。おそらく子供が何を知りたいか、将来のために何が必要かということを大人と言えども、その日その日が精一杯で分からなかったかもしれません。

私自身が半世紀も生きてきて、ようやく知りたいと思うことが少しだけ見えてきた感じがします。いままでは会社や世間の風潮などに流されてきただけで、物事の真理など殆ど分からずに生きてきたと思います。私が生まれたときには、明治生まれの祖父母は既に他界していたのですから昔の話は聞けません。先祖の経験談も聞けないのですから他人の話など知る由もありません。

日本のモーターサイクル史も同様です。雑誌の記事を読む以外に手段がありません。しかし、現在やっていること、これからの方向性を見極めるためには過去のことを知らなければ判断の材料がないではありませんか。

日本という国家でさえ過去に何度も過ちを犯していますね。大きなところでは2度の大戦と原発政策。大きな過ちですから取り返しのつかないことになってしまいましたが、これらは過去に経験の無かったことですから失敗の予測がつかなかった事例です。おそらく、これからは同じ失敗は犯さないでしょう。経験したのでどうなるか知っていますからね。

また、斬新な発想や感性は利益が見込めなければ切り捨てられるのが今の大企業の体質だといえます。だから自分はトラディショナルな過去のモデルを探しながら、もうすぐ老後を迎える自分のスタイルを構築していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

量産部品は必ずロット生産されています。ロットの種類や大きさは製造過程における品質特性によって様々です。量産でロット管理しなければならない理由は、材料ロットや熱処理ロットのように納入や処理条件が同一のグループで区別してトレーサビリティー(履歴追跡)を持たせることによって、あとで不具合が発覚したときに選別することにあります。

不具合の追跡調査が出来ないと対象の製品が分からないので改修コストが莫大になることを防ぐ目的があります。

弊社では生産数が少なく一品ずつハンドワークで加工するために部品の不具合は、加工時点で分かってしまいますのでロット生産することはありません。 CIMG2915.JPG

普通は注文数は1個なので構成パーツは1台分ずつ作りますが、今回は4個一気に作ります。

 

これだけ作るのに3日も費やしています。

1日1本製作するのが難しいアルミサイレンサーです。

 

 

 

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構成パーツを溶接組み立てしたところです。

部品が揃っていれば連続溶接できるのですが、同じ姿勢を長時間続けることによって血行不良になります。

エコノミークラス症候群という症状ですが、私の場合は肩こりや腰痛になってしまいます。

もう年寄りですね。

 

 

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溶接完了したらバフ研磨です。夏場と違って体が温まるくらいなので助かります。

研磨は自社製品しかやりません。

お客さんに頼まれても専門の業者さんを紹介するだけです。

 

ここまで出来れば、グラスウールを詰め込んで組み立てるだけです。

明日の段取りを考えながら発送の準備します。

 

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おまけはCBヨンフォア専門店シオハウスさんからお借りしたVMXマガジンから

ジム・ワイナートとトニー・ディスティファーノの接戦です。

トニーの顎にジムの左グリップが入っていますね。

トニーの右ブーツはジムのフロントフォークに引っかかっています。

ものすごい勝負への執念です。安全運転至上主義の私は見習いたいです。

 

ここはまるで昭和の部屋か、預かり車両の殆どが昭和時代に生産されたものです。依頼はワンオフ製作のマフラー等ですが、溜まり過ぎていて終わり日程が見えません。これから注文されましても年内着手は不可能です。来年、納期未定でよろしければ承ります。

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作業中は外に出しながら仕事しています。

保管場所に限りがありますので当分の間、新規受付は中止することにします。

奥のマシンだけ最近のモデルですね。

 

 

 

 

  

CIMG2905.JPGKR250は確か4月ころ北海道の沖さんからお預かりしたものですが、いよいよ着手しようと思案中です。

冬場は雪で乗れないと思いますので、春までには完成させたいチャンバーですが、タンデムツインは初めてなのでパラレルよりは時間がかかるでしょう。

これは84年型で後期モデルよりエンジン特性がピーキーだと言われています。

世界GP250クラス4連覇のカワサキワークスKR250のメカニズムを踏襲しています。

 

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ホーリーさんからの預かりものです。何を作るかは教えられません。

先日、スーパーモタードの谷田部選手がマフラー修理に来られたので、この車両知ってるか?と尋ねたら

「秀明さんのマシンでしょ」といいました。

さすが秀明道場の門下生です。桶川で9番の秀明さんを見たそうです。長いことMXやってるねえ。

私は松山オートテックで見ました。

当時の秀明さんは無限所属だったのでRSCのステッカーなのは、もしかして的場さんかな?うう、わからん。 

CIMG2904.JPG秀明さんといえばコミネオートセンター契約で広告載っていましたね。

しかし、形状合わせのための治具にしては綺麗過ぎるマシンです。

ホーリーさんがこれを託した意図は想像するしかないですが我社に訪れるお客さんに対してVMXのレストア技術のPRを兼ねているのではないかと思いますので遠慮なく紹介させていただきます。

古いマシンをいっぱい持っている人はいますが、古いだけで動かないものは鉄屑でしかありません。正しく表面処理、消耗部品は新品交換されていますから新車同様に蘇っています。

全バラして機外供、修復して組み立てるのですから新車の組み立てより何10倍も大変だったと思います。そういうわけで新車+アルファの芸術品だと言えるでしょう。 CIMG2913.JPG

一番早く出したい車両はこれです。

これを長く置いておきたくないのです。

先日サーキット走行で転倒してカウルが割れてしまったのでフルカウル交換したら20万円とか

スリッパークラッチに交換も20万円

プラスチックパーツがやたらカーボンファイバーに取り換わっていると思ったら

 

  

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カーボンホイールは前後セットで50万円。

正にスーパーバイクですが、依頼されたスリップオンサイレンサーが交換した部品の中で一番安いものになるでしょう。

Vツインですからリヤバンクのエキパイが極端に短く、容積を補うためセンターアップのマフラー内にチャンバーを持たせた構造がノーマルマフラーですが、私はちょっと違ったことを考えています。

何を置いてもこれを先に出さないと取り扱いで疲れてしまいます。

では製作記は、また今度。

年に一回のイベントになりました四国路です。田舎の親、親戚は80代前後。目的は墓参りと挨拶と病院見舞いです。

それから20歳までしか住んでいない地元ですが、まだまだ見てない所が多いので見に行きました。

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ここ15年くらいは自走で愛媛に帰ることはありませんでした。もっぱら高速バスか新幹線だったのですが、その間に高速道路も新しくできたようなので走っておこうと思いました。

通ったことのない区間は新東名、新名神です。

それから多くの人は岡山まで走って瀬戸大橋ルートで海を渡るようですが、今回は明石海峡から鳴門大橋ルートにしてみました。理由はちょっとだけ距離が短いのです。

往路は埼玉の自宅から実家まで走行距離815km

 

CIMG2849.JPGH14年式SF1の給油量は満タンスタートで平均38.76L、往復で3回で済みました。

平均燃費は14.5km/Lなかなか優秀です。

行きは東名阪のF1渋滞と大阪あたりで渋滞していましたが、走行時間は休憩込みで10時間程度でした。

深夜運転は止めて、新高速のおかげで疲れは殆ど感じることなく走り切れました。

意外にもSAでは大型バイクが多く見受けられましたが、皆年配の余裕がありそうなミドルやシニアたちでした。

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明石海峡大橋を津田の松原から臨みます。

しまなみ海道に劣らない美しい景観でした。

 

 

 

 

 

 

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帰って参りました。伊予小松町の実家です。

二階が私の勉強部屋でした。

あの窓から毎日、石鎚山頂を眺めていました。

 

 

 

 

 

 

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初日は今治の親戚を尋ねてから近くの漁港で食事しました。

お勧めは鯛飯です。

ここでは釣り船をチャーターして、素人さんでも鯛釣りに出かけられるサービスが楽しめます。

後ろに見えるのは、しまなみ海道の来島海峡大橋です。

高速道路から降りて漁港へ訪れれば海の幸がいただけます。

 

 

 

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今治城の社務所の塀に上がった猫。

この城は再建されたものですが、内部は6階建てで武具や美術品などが多数展示されていて全部見るのに一日では足りません。

海水を引き込んだ堀に囲まれていて、入り口にある鉄御門(くろがねごもん)は、当時の工法そのままに去年再建されたそうですが、費用は地元企業の今治造船が10億円出して実現したそうです。

 

 

 

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実家近くの氏神さま、石土神社へお参りにいきました。帰省した日はちょうど秋祭りでした。

この神社は垂仁天皇の時代、紀元634年に社殿建立し、長曽我部元親の命によって弟元春来襲し社殿焼失したり幾度の受難の後、明治4年の再建により現在に至る。

 

 

 

 

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二日目、新居浜の親戚を尋ねた後、母校新居浜高専へ卒業後初めて行きました。

正門前の校舎は旧愛媛大学工学部だったそうです。

私が生まれた年に国立高専が創設され私は第16期生として入学しました。

現在は学科名も一新されて授業内容も全然違ってきていると思いますが、実験室や学生寮が当時のまま残っていたので懐かしく思いました。

 

 

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新居浜市街から山の方へ向かいます。

目的は住友別子銅山です。

国領川沿いに上流に向かうワインディングは学生時分、オートバイの練習をした場所で、住友鉱山など全く興味がなかったのですが、最近になって住友の郷土に対する影響力の大きさを思うようになって現場を見ておきたい気持ちになりました。

途中にある鹿森ダムから上の四国山地は全て住友の所有だと聞きました。

 

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別子銅山は17世紀から19世紀にかけて東アジアの貨幣経済を支え、明治維新の19世紀半ばに最初の近代化を達成した日本でも代表的な鉱山です。

その後、精錬所の亜硫酸ガスによる環境問題で精錬所の移転や鉱山への植林を行ってきたが、20世紀半ばに閉山に至りました。

鉱山から市街まではドイツのクラウス社製の機関車まで走らせ、最盛期は1万人も生活する鉱山都市が形成されていたそうです。

今ではマイントピアという産業遺産を展示する施設として運営されています。

今回は東洋のマチュピチュと呼ばれる東平(とうなる)へ行ってきました。

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新居浜の街まで降りてきました。海沿いなので中心部からすぐに港が見えますが、工場と船舶がダブっているのがここの特徴です。

このあたりから住友の関連企業の工場が広がっていきます。

 

 

 

 

 

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西条港の方へ移動してくると、大きなクレーンが遠くからでも見えます。

近づいてみると、その大きさに圧倒されます。

今治造船のクレーンですが吊り上げ能力800トンで高さは50m以上あるでしょう。

屋根の下では大型船が建造中です。

 

 

 

 

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クレーンの足元を見ると、大きなモーターが車輪毎についた台車になっています。

この巨大クレーンはやはり住友重機製造でした。

 

 

 

 

 

 

 

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最終日は四国八十八箇所札所の六十番

横峰寺へいきました。我が小松町に鎮座する同寺は札所の中でも最も険しい場所にあることで有名で、近年は足腰の弱った高齢者向けに自動車で近くまで行ける別ルートもありますが、本来は小松町側から徒歩で上るものです。

 

車で最寄の湯浪(ゆうなみ)部落まで行き、そこから徒歩で3キロくらいですが、その道中が想像を絶する遍路道で楽しませてくれます。

 

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最初はなかなか快適な遊歩道ですが、段々こうなります。

 

 

 

 

 

 

 

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そして、こうなります。これも遍路道です。

美しい渓谷に沿って道が出来ていますので不安定なロックセクションが多いです。

 

 

 

 

 

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このように川を渡る丸太の橋もありますが、雨降りで増水したときは、通行不能だと思います。

歩くだけで大変な道を手作業で作られた昔の人たちの努力に驚かされます。

最初にこの地へ踏み入れた弘法大師は如何なる人物であったか・・・

実は小学生のころ一度だけここを通っていますが、50歳になった今では相当にキツイ運動でした。

 

 

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道中このような滝が現れたりして、景色は他の参拝では味わえないものがあると思います。

菅直人元総理もこのルートを上がって行ったそうです。

 

 

 

 

 

 

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ようやく到着しました。

六十番札所横峰寺

大日如来蔵王権現様、私のこれまでしてきた悪行の数々をお許しください。

これからは一生懸命、真人間になるよう努力いたします。

 

 

 

 

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また何年か経ったら参拝に訪れたいと思います。

それまで、あの遍路道を上がれる体力を維持していきたいと思います。

これで厄が落ちたことを期待して山を降りていきました。

 

 

 

 

 

 

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今治城の猫ちゃんよ、お前の名は聞いておらんが、今度会いにくるまで元気でいてくれよ。

 

 

 

猫、無言・・・・

 

 

 

先週末、つまらん仕事に手こずり予定が狂ってしまったので時間を取り戻すために日曜も業務でした。おかげで先週完了予定だったサイレンサーを今朝発送できました。

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YZ85サイレンサーですが、ミニモト用商品としては一番多く作ったと思います。

2ストトレール用チャンバーに並ぶ主力商品となっています。

本当は新機種のマフラーを作りたいですが、大きいメーカーが競って新商品を出しますので、零細な個人商店は出る幕がありません。

そこで、どこもやっていない旧式マシンのマフラー作りが回ってくるという寸法です。

暇にならなくてありがたいことです。

 

CIMG2738.JPG先週預かったサイレンサーの修理をサクサクとやっていきます。

削れた部分を切り取り、新しいアルミ板を板金で丸みをつけた後、仮止めします。

気をつけることは、元の板と段差ができると溶接後に修正が効かないので、繋ぎめを同じ高さで止めるということです。

溶接で歪みますので、仮止めは多い方が狂わないでしょう。

 

 

 

CIMG2739.JPG全部溶接してからビードを研磨仕上げした状態です。

繋ぎ目がなるべくわからなく仕上げるところが腕の見せどころですが

あまり上手じゃないですね。

実は新しい物を作るより、部分的に修理して元どおりにする方が困難だったりします。

このエンドカバーは純正部品で¥4000で購入できるので、迷わず新品に交換した方が手間がかからないです。

しかし、私は部品交換屋ではないことを示したいために敢えて板金溶接することを選びました。

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削れてしまったサイレンサーボディは5cmカットしてリベット穴を空ければ再使用できます。

インナーパイプも5cmカットして差込部分を溶接します。

2013モデルのサイレンサーは5cmカットしても音量規制をクリアできることを確認してあります。純正品は消耗も考慮して騒音に対して余裕をもった仕様になっているのです。

全長が長いので、転倒でエンドカバーが衝突しないためにも短い方が有利です。

 

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板金修理したエンドカバーに色気を持たせるためにバフ仕上げとしました。

5cmショート化とポリッシュによる輝きでノーマルサイレンサーとは違った外観になるでしょう。

傷ついたから、あっさりと社外マフラーに取り換えるよりも、個性的になるとは思いませんか。

 

 

 

 

 

関東選の翌日、オフビレに伊田選手のお店で使うスノースクート用フレームの改修のため、打ち合わせを兼ねてMX練習に行きました。

偶然隣に止めてあったバイクキャリア積載のCRF250のマフラーが酷く削れているのが気になりました。暫くして持ち主が戻ってきたら、昔のミニモトライバルでした。彼の乗っていたCR125のチャンバーやアフリカツインのマフラーも作ったことがあったので思い出しました。

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問題なく乗り回していましたが、「これはどうした?」と尋ねたら

関越道でキャリアから落として引きずった、と言います。

タイダウンが引っかかっていたので、後続車に衝突されることは無かったのが不幸中の幸いです。

ハンドルもメチャメチャになったので取り換えましたが、マフラーは中身にダメージがないので走行に支障ありません。カッコ悪いだけです。

部品交換で治せばよかろうと思いますが部品代はマフラーボディ単品で¥42700もします。リベットも20箇所で¥1600します。交換工賃¥5000でやったとしても5万円オーバーですから悩むところです。

修理代5万円出すなら、社外のマフラーに取り換えてしまうところです。このマフラーは純正で¥88000もするのに驚きです。お金持ちでないと、なかなか取り換えないでしょうね。

しかし、彼は東京ドームの近くで飲食店を経営していて今度2店舗めを出す予定の実業家ですから新品交換などわけないことだと思います。しかもお気に入りの国際A級ライダーに現金スポンサーもしているそうです。

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その彼が私に「どうすればいいですか?」と聞くので

ダメなとこだけ作って取り換えればいいんだ、という具合にいつものように安易に答えてしまった責任をとるために、練習後マフラー外してお持ち帰りすることになりました。

修理代大幅削減は確実ですが、これにかかっていると仕事の予定に影響がでますので、納期はゆっくりでいいという確認をとって、再来週くらいに治したいと思います。

彼と彼の奥さんはスノースクートにはまりつつあるのですが、マイスクートを持っておらず、今度伊田選手のお店へ行く約束をしていましたので、スクート2台買っちゃいそうなので、伊田選手もうすぐ儲かりますね。

仕事というものは一人だけでは成り立ちません。需要と供給、そして自分の持ってないものを補ってくれる人脈が大事という一例でした。

今週は借り物のPCで更新しております。

我社から最も近いサス屋さんのBLITZ・SCHNELLでフォークスプリングの試作を依頼しました。

同社は(株)ショーワと取引されているので、非買品のパーツを頼める心強いショップです。

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5月に動作確認のため試走した2WDのフロントフォークに入れ換えるためのスプリングです。

この2WDはフロントの駆動系だけで10kgの重量増となっており、ノーマルのフロントフォークでは性能不足は明らかでした。

操舵系の等速ジョイントのベアリングホルダーがボトムブリッジに衝突するため高速でギャップを通過するときに危険な状態になるため、なんとか改善したいと考えてフォークスプリングの強化を計画したものでした。

 

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このマシンは月間ガルル1992年1月号に試乗インプレッションが掲載されていましたので覚えている読者も多いのでは。

開発者の吉田さんと打田編集長が仲がよく実現した取材だったと聞きましたが

雑誌では取材協力者の不利になることは書けないので、記事の中ではフロントサスやハンドリングの問題点は濁して書かれています。

只、これからの改善すべき課題とだけ書いてありましたが、譲り受けた私が改善の続きを行うことになろうとは、当時からすれば夢にも思わないことだったでしょう。

2WDが実用化されない理由が試乗することで分かった気がします。先ずハード路面のオフロード走行には適しません。スタックする路面やグリップの悪い登坂においては1WDを凌ぐはずですが、普通のギャップ走行で、乗り手のテクニックが必要になってくる上、製造コストが増えるということで、メリットが少なかったことによると思います。それでも保存する上で少しでも走行性能を向上させたいというのが技術者魂ではないでしょうか。

 

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下がノーマル(若干ハードスプリングかもしれないが履歴が不明)

上2本がBSさんからショーワ関係の試作屋さんに頼んでもらったハードスプリング。

当初は88年式のCR125のオプションで出ているハードスプリングに取り換えようと安易に考えましたらスプリングの外径がφ37でCRMのインナーパイプに入りませんでした。

CRMのスプリング径はφ35なのです。88CR125のハードスプリングはホンダの最後の在庫でした。ほしい人があれば安価でお譲りします。

 

従ってCRMに装着可能なφ35、L=530mmで最大限度のバネ定数ということで依頼しましたら、15%増しのバネ乗数で仕上がってきました。

スプリングのデータを参考までに記します。

ノーマル K0.487 線径φ4.82 外径φ35  ピッチ12 巻き数42  L530

ハードSPG K0.560 線径φ4.8 外径φ35  ピッチ14 巻き数36  L530

88CR125ハード K不明 線径φ4.7 外径φ37 ピッチ12 巻き数41 L514

CR125のバネ定数はパーツリストまたはSマニュアルに記載されています。

材料の熱処理状態が不明で縦弾性係数の数値から計算で求めることができませんので、バネ定数は、ばね試験機で圧縮して、荷重と変位のグラフから読み取る方法で計測します。

15%のバネ定数アップで10kgのバネ下重量に対応できるかどうかは次回(たぶん来年春)の動作確認のときにテストする予定でいます。

ここに無限ヘッド(CR125R)があります。ヘッドガスケットが廃番になっていて、代替のガスケットを作る必要がでてきました。

CIMG2699.JPGホーリーさんとこでシリンダーに傷がついた無限をスリーブキットで再生したのですが銅板ガスケットが圧縮漏れでよくないと聞いて

お節介に「水冷ヘッドにはバネ鋼のガスケットが良いでしょう」と提案してしまった責任を取るためにメタルガスケットを作る役を請け負うことになりました。

昔、ボアアップで純正のメタルガスケットのボアを拡大したことはありましたが、材料から新造した経験はありません。

これは自己啓発として就業後に少しずつ進めますので作業日誌は後日アップいたします。

87年型CR125の純正ガスケットも見本としてお借りしていますが、材質はアスベストです。アスベストは耐熱性が高く、弾力もあるので高温での気密性に富んでいると思われます。

ヘッドガスケットに必要な性能は高温でもバネのような弾性をもっていることです。

シリンダーヘッドはM8のスタッドボルトで締め付けられますが、この締め付け荷重はどれくらいのものかといいますと

エンジン関係に使用されるボルトは100kg級の強力ボルトです。材質はSCM400(旧435)で、めっき可能な最高強度のボルトになります。めっき後のベーキング(水素脆性除去処理)が必須です。

足回りに使われるボルトは120kg級ですが、高負荷で亀裂を防止するため、めっき処理は不可で通常は耐食性にすぐれたダクロコートを施します。

100kg級の意味はmm2あたりの引張り強度が100kgということで、強度区分で10Tと表記されます。80kg級は8T、以下7T、6Tという具合に材質と熱処理の違いで強度を設定しています。

ではヘッドのスタッドボルトはM8ですから有効断面積(ねじの呼び径ではなく、ねじ底の断面積)は36.6mm2で引張り強度3400kgですがこれは垂直に引っ張ったときの破断荷重なので、ねじの締め付けでは耐力2894kgで考えます。

耐力というのはボルトを締め付けたときの軸力と伸び(またはトルク)線図で直線で表す領域(弾性域)から0.2%軸力が下がった点(降伏点)を耐力と定めています。

実際の締め付けでは降伏点を越えるとボルトが永久伸びを起こしてしまいますので、降伏点直前がボルトの限界になります。ボルトの規定トルクは、降伏点に達しない上限と緩みが発生しない下限値が指定されています。何故規定トルクに幅があるかというと、締め付け座面やネジの状態でμ(摩擦係数)が違うために軸力がばらつくためです。締め付け作業はトルクレンチを用いたとしても締め方によって軸力が変わります。レンチを締めるスピードや回数で、同じ目盛りでも軸力が変動します。

ネジ山や座面が滑っている状態を動摩擦、止まった状態から再度締めるときは静摩擦と呼び、静摩擦の方がボルトを回転させるのに大きなトルクが必要になります。締めすぎたボルトを緩めるときに大きなトルクが必要なのは、このためです。

話を元に戻します。スタッドボルト1本あたり2800kgの締め付け力とすると6本で16.8トンの荷重がヘッド面に掛かっていることになります。この荷重に耐えられる硬さのガスケットが必要と考え、バネ材を仕入れましたが、純正部品の材料は一般の鋼材屋で扱ってないことから、それに近い性質のステンレスを選定しました。

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これからガスケットの加工に入りますが、これくらいの形状ですと図面を書いてレーザー加工を頼んだ方が安上がりで加工精度もよいと思いますが、ここでは手持ちの加工機でどこまで出来るか試してみたいと思います。

使用する道具は板金ハサミ、ボール盤、旋盤くらいです。

最初はスタッド穴基準とするため穴位置を割り出してマスター板を作って下穴を空けていきます。

 

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ステンレス板にスタッド穴を空けておきます。

スタッド穴基準でセンターと外周を旋盤加工するための加工治具はこのとおりです。

ステンレス板の外形は板金ハサミで荒く切っておきます。これら6枚を重ねてフランジにボルト締めして加工を行います。

フランジで挟むことによって薄板の剛性があがってバリの少ない切削面に仕上がります。

 

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旋盤で外径φ101、内径φ55に加工しました。

思ったとおりバネ材は硬いです。

超硬チップで切削しますが刃物の消耗が早いです。

下穴はハイス(高速度鋼)のドリルを使うので、重ねて穴空け加工は困難です。

 

 

 

 

CIMG2704.JPG右がノーマルのヘッドガスケットでスタッド穴が5個です。

ウォーターラインを同等にするための見本です。

排気側の長穴を空けるのにフライス加工だと材料が硬いのでエンドミルが割れて全部ダメになることを恐れ、地道にドリルで下穴を開けました。

穴が繋がったところで、切り残した部分はヤスリで手仕上げすることにします。

アルミホイールやメッキシリンダーなどバリが出る製品は量産でも手仕上げでバリ取りするものですから、手仕上げは立派な加工工程なのです。敢えてハイテクを使わないでハンドワークで処理することが我社の物作りの原則です。

 

CIMG2706.JPG加工終了です。6枚セット取れました。

加工治具は使い捨てになります。

量産のメタルガスケットはウェーブ加工されており、穴の周囲を囲むように凸の部分が当たって密着するようになっているのでバネ材が必要なのでした。

しかし、これは平面で密着させる構造なので、シリンダーヘッドの平坦度とヘッドナットの締め付け力が成功のKEYであると考えられます。 

 

 

9月一杯まで非常に立て込んでいる状況ですが、電話1本でマフラー1本作ることになりました。

9月1日にJNCCが月山で開催されるのでエントリーしたというので遅くとも29日迄に完成させなくてはなりません。

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道なき道を走るエンデューロなので上手いライダーでも転倒のリスクは付きまといます。

レーサーのマフラーは軽量化も考えてチタンパイプを使ったりしますが、今回はステンレスです。

アルミの筒は同じですが、ミドルパイプの強度がステンレスパイプの方が上なので転倒による影響をなるべく抑える目的であります。

重量はチタン製と比較して500gくらい増えますが走行性能には影響ないでしょう。

 

依頼者は元ワークスライダーの大塚忠和選手ですが、私とはノービスから国際B級まで走った年代がカブっていますので、同年代のトップライダーからの呪縛にかかっていると思われます。別の年代のトップライダーですと観客としてしか見ていないので、特に意識はしていません。

それから、大塚選手はオートマチックのRC250Mを走らせて鈴鹿サーキットで宗一郎さんの前で優勝した人ですから他のライダーとは違う意味合いを持っています。優勝直後に管制塔に呼ばれて宗一郎さんと弁当食べたライダーは彼1人だけです。私ごときが彼の頼みを断れるわけありません。

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製作は間に合ったのですが、グラスウールがまだ入庫しません。ギリギリの日程なのでセッティングする時間もないでしょう。

現在違うマフラーが付いてますが、音量検査が難しいので新品頼まれたのでした。

ウエポンで聞いたのですが彼のマシンは月山終わったら売却するらしいので、突貫で作ったマフラーも一回きりで終了かもしれません。んー残念

 

大塚選手に電話したら、月山は都合で出られないそうで、次の糸魚川から出場ということでした。私、ビビリまくりで損してますね。マシンは今売っても、シーズンオフでも金額は変わらないということで、今シーズン一杯使っていただけそうです。

ある人類学者が、スポーツの起源を説明していました。古代ローマ時代以前はスポーツは存在しなかったですが、労働をしなくてよい貴族階級の人が「疲れてみたい」という欲求を満たすために運動を始めたのが起源といいます。労働者は一日中働いて疲れているので、運動する余裕はなかったわけですが近代は労働者も余裕ができて余暇をどのように過ごすか考えて、スポーツでもやってみようということになったのでしょう。

ではモータースポーツのように、危険なことを何故好むようになったか、車が2台出来たときからどちらが優秀な車であるか自然に競争が始まったと聞きます。私の憶測ですが、人間は大昔から戦うことによって領土を拡大したり、家族を略奪から守ってきた歴史があって、身を守るために戦う本能がDNAに刷り込まれているだろうと思うのです。好戦的な人は戦い(=危険)を快感と捉えるようで、自ら進んでレースなどに参加することになります。その中には人間の3大欲である征服欲(食、性、征服)を満たす目的もあるでしょう。

そんな人間の戦闘行動は現代でも世界のどこかで行われていますが、私たちの身近にも戦闘の歴史が存在した場所があることに畏怖の念を抱きます。

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短い夏休みを取って海へいきました。TVでテリー伊藤さんが16年落ちのクルーザーを購入して釣りや海岸でBBQなどしているのを観たのですが、その海岸は毎年行っている長浜海岸だったので、びっくりしました。

埼玉の自宅を朝6時ころ出発し、R16を横浜方面へ走り、横浜横須賀道路、三浦縦貫と進んで長浜へ8時ころ着きます。

水が綺麗で波も穏やかなのでシュノーケル付けて海洋生物を見ながら泳ぎます。夏はこれが楽しみで、オートバイはさっぱり乗っていません。

そして近くの油壷ですが、その由来を最近知ってどうしても見に行きたい衝動に駆られて行ってきました。湾の奥は波が殆ど立たないのでヨットハーバーになっています。

500年ほど前の殺戮の歴史はこの湾の北側突端に新井城を構える豪族、三浦道寸義同(どうすんよしあつ)と小田原の豪族、北条早雲との戦いの現場でした。難攻不落の新井城を攻めあぐねた北条軍は兵糧攻めに転じ、3年間も続いたそうです。これには三浦軍もたまらず、もはやこれまでと飛び出してきたのが道寸の息子、三浦荒次郎義意(あらじろうよしおき) 身の丈七尺五寸、2メートル27センチの大男で八十五人力。3メートル半もあるこん棒を振り回し、一度に5人から8人も吹き飛ばす威力です。頭を殴ると首が胴体にめり込んだそうです。しかし、最後は自分で首を掻き切って自害しました。残りの三浦側の兵士もお互いを切りあって湾の中に身を投げたそうです。その兵士たちの血油で海面が染まったことで油壷と呼ばれたそうです。

今は皆の遊び場になっている海岸もかつては人間の宿命である戦闘の場所であったことを知ってから見にいくと感慨深いものがあります。

2年半前、あの異常事態で私たちは何を学んだか?幸いこの地域は地震による直接被害はありませんでしたが、原発停止による電力不足の状態を経験しました。大規模停電を恐れるあまり、計画停電で急場をしのいだわけですが、それでも我々の生活がいかに電力に依存したものであるか知らしめられるに充分なものでした。

計画停電ですから時間は知らされているとはいうものの、いきなりガシャン!と全部の電気製品が止まるのです。照明は勿論、暖房、冷蔵庫、給湯器、電話・・・仕事も全く出来ません収入が絶たれます。外へ出ると田舎へ来たように静かです。全ての工場、商業施設が閉鎖して、コンビニ、ガソリンスタンド、銀行も閉鎖です。ガソリンや水はポンプが動かなければ出てきません。現金やカードの決済も不能です。お金が役にたたない世界であります。パソコンやTV、ラジオも聞こえませんから情報もえられません。

短期間ではありますが電源が失われた世界を目の当たりにして、まるで現代人は水槽で飼われている金魚のように電気に依存して生きていることが分りました。

時間が経つと人は忘れてしまいますが、事故の影響は継続していることを報道を通して知らされますが、この事故収拾に関る費用は私たちが納めた電気料金以外に無いことを思いますと、「原発は関係ないんだ」とか「収拾に当たるのは東電や政府だ」とか言ってられない状況です。特に東電関内の人全てあそこからの電力で仕事をして生活してきたわけですから、事態の成り行きは注目していかなければならないと思います。

さて、汚染水漏れですが、原子炉建屋も吹き飛び、圧力容器も溶け落ちて露天にむき出しの核燃料が地中に潜りこんでいることは予想がつきますが、地下水や雨水が容赦なく核燃料を洗う状態が続いているわけです。なんとか海への流出を防ごうという努力が続いています。何故海への流出がまずいのかは誰でもわかりますよね。海産物への影響は勿論ですが、海流に乗っておそらくアメリカ西海岸に放射線物質が流れ着くのが予想されるからです。既に諸外国は注目しているわけですから、被災地域だけの問題ではなくなってきます。

東電は発電や送電のプロでありますが、異常事態に対応するプロではないので、対策が後手になりがちで、長期間続くはずの対応策も急場しのぎの状態です。汚染水の貯蔵タンクを映像で見ましたが円筒上のタンクはR曲げした鉄板の合わせ面をボルトで締め上げて気密を得る構造です。底板と天井も平板をボルトで繋ぎ合わせた大きな円盤です。

そこで疑問がありますが、鉄板のあわせ面が密着できるほど高精度な加工で、しかもあの大きさです。タンク1個で1000tの水を貯蔵できると報道されていましたが、漏れたタンクの水位が3m低下していたので300tが流出したという試算なので、タンクの寸法は内径5.6mで高さ10mということになります。水が漏れる構造のタンクを、あのような大きさで、地下水が流れ込む限り増設し続ける必要があるなど、いずれ行き詰まる対策だと思えてなりません。

しかも1000t以上のタンクは東電敷地内の土の上に置かれています。そこで地下水を汲み上げて核燃料による汚染水の増加を防ぐ対応もとられていますが、水脈が変わるとおそらく地面も沈んでくるでしょう。唯でさえ、基礎無しの地面に1000tタンク何百基ですから、底板が歪んで水漏れしているに違いありません。300トンも漏れて外観で見つからないのですから底板の合わせ面と考えるのが妥当です。

漏れる箇所は水を抜かなければ分るまいといって、汚染水を抜き始めていますが、分ったところで他のタンクも同じ構造だとどうなるのでしょう。常識的に考えると構造を再検討してやり直しということですが、財源は電気料金からということですから、とても「関係ないから」といって無視できない状況にあります。

どうなるのでしょう?これからの日本の電力事情は・・・

先月行われたMCFAJ第6戦 OFVの動画を見つけました。

trurmonkyさんありがとうございます。E450のスタートシーンは#90さんを撮っていると思われますが私の動きが分りやすかったので載せてみました。

'>80年代から同じ方法でやってきたスタート術です。背中が赤いジャージが私。

ポイントは0:23あたりを参照ください。バーが倒れる前にリヤタイヤから土埃が上がっていますね。

ここのスタートグリッドは後側にH鋼のタイヤ止めが設置されているので、後方から早めに出ることが出来なくなっています。そこで、バーが動き出してから倒れる直前を狙ってクラッチミートをします。バーが倒れてから反応しても出遅れてしまうのです。

私の場合はバーが地面に落ちる前にフロントを上げてクリアさせていきます。意図的にウイリー状態を作っているので体が遅れることはありません。後はトラクションに集中するためマシンの垂直を保ちながら体重移動してリヤ荷重に移行していきます。

旧型マシンでも真っ直ぐだけなら結構速いですね。問題はコーナーが遅いので1コーナーの処理が悪く2コーナーまでの直線で2台抜かれてしまいました。

9月のレースは走る予定なので、それまで課題を持って練習したいと思います。

チャンバーの凹みがどの様に直っていくか、実態がわからないためか質問を受けることがあります。そこで調度よい修理依頼が来ましたので掲載してみます。

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機種はRMX250Sで半年ほど前に販売したものです。

転倒したらしく大きく凹んでいます。

 

 

 

 

 

 

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真横から見ると酷い状態がわかりますね。

修理方法は棒を溶接して引っ張るとか、裏側に穴を開けて棒で突くとか、おっしゃる人がいますが、仕上がりを想像すると恐ろしいですね。

空気圧をかけてガスバーナーで炙る人もいますが、鉄板が酸化してしまって外観も強度も落ちてしまいます。

この程度の凹みなら水圧方式が簡単でしょう。

 

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口元とテールパイプに治具を取り付け水押しの準備は整いました。

この角度が変形の入り具合がわかりやすいですね。

それでは圧力をかけていきます。

 

 

 

 

 

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圧力は物と状態によって調節しますが、この場合は35気圧かけています。

圧力だけでこの程度戻りますが、これから板金ハンマーを使って形状を整えていきます。

 

 

 

 

 

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およそ10分ほどハンマーで叩いて均していきます。

方法は高い所を叩くと水圧がバックアップになって低い部分を押し上げてきて同じ高さになります。

路面の固い所に当たったのでしょう。傷が沢山見えますが、これはこのままにします。

サンダーで研磨すれば傷は目立たなくなりますが、板厚が薄くなってしまうのでこのままのほうが強度が保てます。

これくらいの修理なら2回、3回と繰り返しても再使用できます。

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跳ね石で小さい凹みができていますが、実は大きい凹みより直りにくいことがあります。

それは固いものが食い込んで鉄板が伸びてしまっていることと、水圧を受ける面積が小さいのでバックアップされる荷重が低くなることが要因です。

 

 

 

 

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しかし、大体痕がわからない程度に直りました。

棒を溶接して引っ張っていたらこのように仕上がらないはずです。

但しこの方法で直せるのは、断面が真円のパイプに限ります。楕円パイプなどは、圧力で真円になろうとしますので形状が変わってしまいます。そういうパイプは面倒ですが切開板金するしかないでしょう。

 

 

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最後に治具に取り付けて歪みの確認をします。歪みが大きいと車体に取り付かなくなることもありますので矯正が必要です。

これはラインナップ品なので、これが可能ですが、社外品は形状が違っていて治具に取り付かないので、歪みの確認ができません。

その場合は車体合わせで確認する方法を採ります。

 

 

ようやくできました。サイドカバーとリヤフェンダーが一体になった独特のデザインのため、サイレンサーの位置決めをちょっと考えておりました。

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形状はこのとおり、モトクロッサーと同様にヘキサゴンタイプです。

公道仕様のためディフューザーを追加してあります。

クローズドコースを走るときはディフューザー外してフルパワーにするとより楽しめるでしょう。

実はノーマルサイレンサーの出口には蓋が溶接されていて排気の抵抗になっていたため、改造はせずに、新作にしました。

 

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重量はノーマル2.8kgに対して2kgに仕上がりましたが容量はアップしていますので、騒音低めでパワーも向上しているでしょう。

セル付きなのですが、バッテリー上がりで回りません。

しかし、チョーク引いてキック一発で始動しました。ノーマルだと、始動性が悪く長くセルを回し続けないと始動しずらいと、オーナーが言っておられましたので、始動性も改善されたようすです。

音量は・・・明らかに静かなので計測するまでもありませんので、やめます。

07モデルで生産終了したCR85ですから、弊社ラインナップ品は最後に作ってから一年以上経ちますのでCRチャンバーの製作も終了したかと思っていました。

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注文数は2台分で、1台は日本でもう1台はイタリヤだそうです。

3月に頼まれたのがようやくできたのですが引き渡し方法が知らされておらず、このまま在庫にしてあります。

フィレンツェ在住の日本人ライダーに使っていただく予定ですが、お父さんの仕事の都合かと思いますが、羨ましいような環境でMXができているようです。現地のキッズレースの動画もメール添付していただいたので観てみましょう。

 

'>少なくとも関東にはこんなコース存在しませんね。日本の国土の90%は山なんですから、もっとマウンテンコースがあってもよいと思うのですが、難しい問題です。アップダウンもいいですがコース幅も申し分ありません。何といってもスタートフルグリッドというのがよいです。やっぱりMXはこうでないと。

サイクルサウンズは創刊号から持ってました。このNO、2も持っていましたが、とっくに捨ててしまったので非常に懐かしく読み返しました。時代は82ジャパンスーパークロス直後、ロードレースはNS500でスペンサーと片山敬済が注目され、トライアルは服部聖輝が世界に山本昌也が全日本チャンピオン。

ライディングスポーツ誌に並ぶモータースポーツ専門誌、このころの雑誌は読み応えがありました。というか憧れの世界でした。

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81年型のレースシーンですかね。

赤ゼッケンに黄色文字は250を表します。

ライダーけっこう分りますね。

トップは杉尾さん

8番小田桐昭蔵さん

9番野宮修一さん

5番藤秀信さん

11番唐沢栄三郎さん。

 

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どおですか、懐かしい顔ぶれ。

全員知ってますとも、4人の方とは話したことあります。

天田淳くん ロンキンダーさん 小橋勝年さん 秋山裕之さん

 

 

 

 

 

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綴じ込みポスターは光安鉄美選手、私的には一番憧れた日本人ライダーです。

背後は福本敏夫さん。250でチャンピオンだった証拠の写真ですね。最近のライダーはオフビレで福本さんに会っても挨拶もしないのが多いです。オートバイ乗ることより礼儀から教えてあげる必要がありますね。

MXでどうやったらご飯が食べられるか、一番考えていた人だと思います。だからこそ今があります。    

東京のオートバイ屋さんから極秘プロジェクトの打ち合わせに来ていただき、参考資料としてお借りしましたCSでした。入社1年目のころにタイムスリップです。

自分自身はMXでいい思いをした覚えがありませんが、この雑誌読み返すとあの頃が一番いい時代だったと思います。

 

1年ほど放置しておりましたCRM250の2WDの続きです。

この車両は2輪駆動車の走行性能を確認するための実験車両なので、MXやEDを目的としているのではありません。前輪を駆動する方法やその運動性能について、机上の理論や想像で語る人は時々見かけますが、実際に走行可能な車両を作った例は非常に珍しいので、廃却されるのが惜しいと思って動く状態で保存しようと思ったのです。

実は某2輪メーカーで、これと同様の機構で試作車両を作り実走テストまで行いましたが、安全性とコスト高、舗装路面における不具合などの理由で市販車としては不適切と結論つけたものです。

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おかげで世界に1台の稀有なマシンになりましたが、動態保存するためには時々走行確認する必要があります。

前回フロントタイヤが老朽化のため18インチのフロントタイヤを交換しましたが、サイズが太すぎてハンドリングが重かったので、今回は幅の狭いトレールタイヤに交換しました。

DL、D603 3.00-18

 

 

 

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前回フロントに履かせたK695はリヤにコンバートしました。

100/100-18

2WDの場合前後のタイヤ周長が同じでないとタイヤの周速に差が生じて、タイヤや駆動系に負荷が掛かってしまいます。

直進時は問題なくとも、コーナリング時にトレッドの横に接地面が移動するため、周速が前後で違ってきます。それが舗装路でのハンドリングの重さに繋がったり、フロントに駆動力があるために、アクセルを開けたときにオーバーステア気味になるなど、通常の後輪駆動車と比べるとクセがある乗り味となります。

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この方式の真価はフロントが回らなくなるような泥、砂地や急勾配で発揮するものです。

普通路面では後輪駆動車に対してメリットはありませんが、癖のあるハンドリングを味わってみたいと思います。新しい乗り方を追求してみるのも良いかもしれません。

 

 

 

 

 

CIMG2561.JPG一年以上ぶりに乗りました。コースはジャパンVETの前日で綺麗に整地された路面でしたが、フロントのストロークと減衰不足でコーナー新入のギャップで底突きます。ジャンプを飛んだ場合はもっと恐ろしいショックを受けるため、ジャンプ区間はスローダウンするしかありません。

コーナリング特性はやはり独特で乗り慣れるのに20分2ヒートが必要でした。

散水後のスリッピーな路面は当然前後タイヤが滑るのとフロントヘビーなので慎重になりますが、フロントタイヤに駆動力がありますので前輪が引っ張っている感覚が味わえます。

三つ又の幅はハンドルを切ってもチェーンが当たらないギリギリの寸法ですがフロント18インチのためかギャップで激しく振られることがあります。スピードを出したギャップ走行は要注意です。

結局通常のMXマシンよりギャップの浅いところを狙うとか、フロントから突っ込まないように工夫して走りますので体力が必要で、よいトレーニングになりました。今度MXマシンに乗るときが楽しみになりました。

CIMG2563.JPG周りのパドックに現行車は見当たりません。非常に楽しい雰囲気です。

83年型CR250は私が関東選デビューしたマシンと同型です。

新入社員で田舎者でしたから、プレイライダー誌(森岡さんが作った雑誌)の広告をみて、最初はモトレオン(後のロッキースポーツ)へMXer買いに行ったのですが在庫がなくて、帰り道にあったモトバムに寄ったら「取り寄せてあげる」といわれて初めて新車を買うことができました。勿論ローンでしたけど 

 

 

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こんなマシンもあって感激です。81年型無限ファクトリーマシンですがラジエターはアメリカのビルダーさんによる新品だそうです。

スイングアームはコークボトル、インテークとエキパイにはサブチャンバーが取り付いていたり、市販車と違う部分が多くてワクワクします。

81年型CR125は学生時代最後に乗ったマシンと同型で懐かしいです。

 

 

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綺麗なKX250、75年型。私は中学1年生でした。このころは未だMXに出会ってなかったですが、月刊MC誌のカタログで知っていました。実車に2013年に出会えた奇跡です。

しかもオーナーの田山さんがビンテージクラスで快調に走らせているのを見て、飾りじゃないことを知りました。

 

 

 

 

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他にもたくさん懐かしいマシンがありましたが、カスタムマシンではこれが目をひきました、上山さんのXT500.ビッグシングルなのに走りもよくて、エンジン、サスなどかなりチューンアップされた話を伺いました。

これをみて、鈴木忠男さんがXT500改で全日本参戦していたのを思いだしました。

体力トレーニングも出来たし、珍しいマシンも見れたし、結構満足できた一日でした。

 

 

欧米人はリトルトライアンフと呼ぶそうです。なるほどバーチカルツインのシリンダーが見る角度によってはトライアンフボンネビルに似ています。

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スーパースポーツは必要ありません。一般道では性能を引き出して走ることが危険だからです。

2輪車は交通の手段ですから家から乗っていけることが望ましいです。トランポで運搬しなければならないレーサーも不経済な乗り物です。

そんな当たり前のことを思って乗ってみることにしました、1976年型CJ360Tです。私が中学2年生ころに製造された車です。今でもこんなコンディションで残っていることが奇跡だと思いました。

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76年当時ホンダのロードスポーツはカフェレーサースタイルのシリーズをラインナップしていました、CB50JX、CJ250、360T、CB400F、CB750F2です。

しかし、ヒットしたのは400Fだけで、その他は不人気車種としてのレッテルを貼られましたが、そのことがこの車の希少性を高める要因となったわけです。

何年か前に近所のガソリンスタンドに74年型CB250Tが給油しているところを見かけて衝撃を受けました。

何故ならCB250Tは私が15歳のときに新聞配達のアルバイトで初めて買ったオートバイだったからです。中古で8万円でした。ン、15歳?と思われるかもしれませんが、免許を取るより先に買ってしまったわけです。当然親には内緒でしたが、交通違反で捕まって直ぐにバレてしまったので泣く泣く手離しました。それだからこのバチカルツインには思い入れが他人より深いのです。しかも250Tの兄貴分の360Tですから、これに出会ったときは絶対に手に入れて再び手離すことのないように大事に乗ってやろうと思いました。

輸入部品商のホーリーエクイップさんの商品カタログで見つけたときはこの機会を逃したら一生ないかもしれないと思って即連絡を入れて、他の物好きが買ってしまわないうちに仕事をサボって奈良県まで引き取りに行ってきた次第です。 CIMG2520.JPG

リトル虎慰安婦(失礼!)

いい響きです。

あまりカスタムしないでノーマルのフォルムを維持していきます。

お金の掛かった旧車のカスタムバイクをよく見かけますが、この車においてはカスタムはしません。

フロントのドラムブレーキは輸出仕様ですがディスクよりドラムのほうがこのタイプの車には似合っていると思います。

新しい部品に換わっているとダサく感じてしまいます。ビンテージだから当時品にこだわるということです。マフラー屋だからマフラーだけ作っていい音させたいとは思っていますけどね。

 

オートバイを扱う仕事をしている以上、現在の主流だとか大衆にどのような車種が支持されているかをリサーチする上で格好の場所が、ここ東京MCショーだといえます。

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トライアルライダー野本佳章選手のバックフリップ。

FMXのそれとの違いは助走は5mほど、ランプの高さは1mくらいしかないことでしょう。

オートバイを使った体操競技といえるでしょう。

これが出来る人は世界に3人しかいないそうです。

見に来てよかった。

 

 

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ご存知成田匠選手のエアターン。

技に正確さと余裕が感じられます。

オートバイはけして無謀な遊びでないことをオートバイに不快感を示す隣人に知らしめてもらいたいものです。

MCFAJのMXで富士SWを走っていたりグリーンピア津南のエンデューロを走っていたり、トライアル以外で彼の走りをみたことがありましたが、トライアルを見にいかない私はトライアルテクニックをナマで見るのは初めてです。

ここまでできなくていいですが、こういう技を見て刺激をもらえれば、普段のもっと簡単なシーンでの練習はやっておこうかなと励みになります。

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今回私的に印象の良かったブース、NGKです。プラグメーカーですけどね、会社の宣伝費で普段見れないMOTOGPマシンを展示してくださいました。

会場のお客さんたちも自分で買える車両のブースに群がっていてここはガラガラに空いているのでジックリと観察できるのですね。

全体的にボリュームが大きく全て詳細に見て回るには時間がありません。

そして大量生産設備で作られた商品の数々は高品質ですが同じ顔のように見えてしまって、一番好きなものを限定することが不可能な感じがします。

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どれか1台だけ選べと言われたらこれですかね。ハイパーストラーダ

ユーロ危機で高級車のお客さん離れを打開するためにドカティが開発したデュアルパーパス車。

正にどのタイプにするか選べない人にうってつけの機種です。プライスカード見てないですが確実に買えませんので、思うだけは自由なのがMCショーの楽しさです。

 

 

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これも捨てがたいです。MVアグスタF4

究極のセンターアップマフラー。

これも買えませんが、いつか自分の作るモタード車にこんな感じのアップマフラーを付けるイメージを想像したりして夢が広がります。

段々楽しみになってきます。(いつの話になるのやら)

 

 

 

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今回はVMXワークスショップのホーリーさんから招待券をいただき来場しましたので、ここに立ち寄ることが最大の目的です。

堀口氏渾身のMOTO XFOXファクトリーマシンレプリカ。79年型CR250ベース

新車販売に必死な2輪メーカーブースに混ざって、マニアックなビンテージMX文化の継承のために全精力を注ぎ込むサムライ企業の同社だと思います。

 

 

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私にとっては、最高のエピソードを語ってくれた堀口さん「昨日オランダから出張で訪れたVMXマニアのお客さんが、このマフラーを自分のマシンに付けたいから送ってほしいと言うてはりました」

ズブの素人から会社辞めてまで続けてきた甲斐があって、こういうことやってなかったら絶対出会うことの無い貴重な時間を共有できました。

これからも家内製手工業ですが精進してまいりたいと思います。

 

今週はドリーム50のアルミタンク製作です。お預かりして5ヶ月くらい経過していますので、お客さんも待ちくたびれているかもしれません。

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依頼内容はRC116のような形のタンクにしたい、ということです。

実車はホンダコレクションホールにあるのですが、2月末まで館内改装のため休館です。

仕方なく画像を見ながら作ってみることにします。

しかし、驚くほど細長いタンクです。

 

 

 

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作り始めてみますと、RC116とドリーム50はフレームのレイアウトが全然違うことに気がつきました。

おそらく、ドリーム50はサーキット走行だけでなくツーリングに使っても支障ないようにシート幅が広くなっています。そのためシートレールも幅広ですから、こちらのフレームに合わせたタンク形状にしないと取りつけが困難なことがわかりました。

画像は底板の上にタンク上部と横板を仮止めして形状確認を行っています。

 

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板金で成形したアルミ板を溶接で繋ぎます。

外側の溶接ビードは研磨して消しますので内側の溶接をしっかりとつけておきます。

明日外側の溶接作業にかかります。

かなり進行しているように見えますが、完成まであと3日くらいかかるでしょう。

 

 

 

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普通のタンクはメインパイプの上まで被さっていますが、このタンクはシートレールの上まで伸びていますので、トンネルの形状が複雑になります。

2枚の隔壁はガソリンの移動を抑える目的とタンクの剛性を上げる目的があります。

RC116はワークスマシンですが、ドリーム50は市販レーサーCR110に似せて製造されたマシンですからフレームの構成が違うわけです。

 

 

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ガソリン溜まりにコックを取り付けますが

本体への溶接は研磨後にします。

突起物が無い状態の方が取り扱いしやすいためです。

RS125から移植するタンクキャップも同様です。

 

 

 

 

 

CIMG2171.JPG溶接はひととおり終わり、接合部の研磨と表面の均しを大雑把に行いました。

タンク容量は7.0Lです。ノーマルの容量は知りませんが、DE耐とか走るようでしたら気になるところですね。

ノーマルはCDIユニットがシートレールの上にはみ出しているため取り付け位置を変更してタンク底板をフラットにしてあります。

前下がりだったノーマルタンクはガソリンが前方に残ってしまい最後まで使いきらないらしいですが、このタンクは水平になっていますのでガソリンを使いきれるでしょう。(給油量を制限される耐久レースでは有効です)

CIMG2172.JPGニーグリップ部分はシートレールより狭くなっています。RC116はもっと狭いですが、フレームとのマッチングでこれくらいが狭さ限度でしょう。

本来は赤色塗装ですが、お客さんの要望でアルミ地肌で終了です。

お客さん独自のプロジェクトがある限り私の業務も続いていくでしょう。 

 

 

 

 

CIMG2179.JPG仕上げにサンドペーパーで磨きました。ハンマー痕や溶接ビードなどで表面の細かな歪みを平滑に均していきます。

60番から磨きはじめて180番で止めておきました。鏡面に仕上げるよりこれくらいの粗さの方が塗装の密着はいいでしょう。さらに磨きこんでポリッシュすることも可能ですが、あとはオーナーに委ねます。

ホンダはHSV010でGT500に挑戦しているというのに、このプロジェクトは何とささやかなものか。

全部手仕上げですからね、ハイテク一切無し!

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カーレースの方はホンダのお家芸だと思うのですが、GT500では苦戦を強いられているようです。

技術力だけでは負けないと思うのですがそれだけじゃないんですね。

F1よりこっちの方が道路で乗れるクルマに近いので好きですね。絶対乗れないわけですけど、少年時代のスーパーカーブームを彷彿させます。

 

 

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もてぎ貸切で極秘テストですかー

金持ちのレーシングチームは違いますね。というより、サーキットも自社所有でした。

研究所もテストコースも部品メーカーもなんでも揃っているのに何故、勝てないのか!

今年こそはレーシングスピリッツ見せてもらいましょう。 

しかし、この顔 強そうやな。

 

 

 

 

先日、オイルの営業マンに私の2ストスクーター用に分離給油オイルを頼んだときのはなし。

入社1年目の営業君「2CTならいつも持っています」といいますので、「最近は2スト用オイルはあまり売れないだろ?」と聞くと、営業君「農機具屋とかで時々頼まれます」とのこと。

「あーそれはロビンエンジンに使うやつだな」というと、営業君「ロビンってなんですか?」ロビンエンジンは芝刈り機とか汎用機に使っているエンジンで親会社は富士重工だと説明しました。その流れで富士重工は飛行機のエンジンも作っていて、BMWなんかも水平対向のエンジンが有名で自動車より先に航空機メーカーだった話をしました。

そんなロビンも知らない新人営業君に「じゃあ、ゼロ戦は知っているか?」ときくと「ああーゼロ戦は知ってます!」と答えるではありませんか。「ゼロ戦のエンジンメーカーは富士重工と同じ群馬県の中島飛行機で生産されたんだよ」という具合に、まるでジジイのように昔話を若者にしてしまう自分でした。

ジジイの話は続く、「終戦後7年間は日本で航空機の生産が禁止されたので、中島飛行機は解散して技術者たちは富士重工など自動車メーカーに移動して自動車の開発に従事したらしい」

または「ゼロ戦の設計者は三菱重工の堀越二郎氏で日本初の旅客機YS11も堀越氏の設計だった」

なんでロビンも知らない若者がゼロ戦という航空機の名前は知っているのか疑問に思って営業君に聞くと「中学校だと思うんですけど日本の近代史の授業で習いました。」そうかなのか、自分もゼロ戦なんか見たこともなかったのに飛行機名くらいは知っている、これは学校教育の賜物なのだと感じました。

ホンダのCBRとかCRFとか言ったって日本国民の何割が知っているでしょう。一部のオートバイ好きくらいしかいないと想像しますが、ゼロ戦といえばおそらく日本国民なら全員知っている飛行機名ではないでしょうか。

去年の暮れに所沢航空発祥記念館でゼロ戦の実機を観てから、これが栄発動機で実際に飛べる世界で最後の一機であるということを知ってから、ものすごく貴重なもので、これを飛行可能な機体に復元していただいたプレーンズ・オブ・フェイム(POF)に畏敬の念を抱くようになりました。

そして、ここに「エイ出版社」制作のDVD「零戦と栄発動機」があります。栄21型発動機の詳細な検証と、ラバウル島で捕獲され30年放置の後POFで1978年に復元された、日本軍部隊名61・120零戦52型の空撮を完全収録したものです。

これでいつでも栄発動機と零戦の姿を観ることができます。このDVDは我が家の家宝として保存したいと思います。

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栄21型は完全オーバーホールされ米国連邦航空局の承認を受けるべく修復されたときのひとコマ。分解された部品は超音波洗浄とサンドブラストで新品同様に蘇ります。

当時の日本の冶金技術は低かったとされていますが、空冷の冷却フィンの造形が美しいと思います。

1130HPのエンジンが空冷で大丈夫なのですから、単車のエンジンなんか殆ど100HP以下なんですから空冷で充分と思うのですが、80年代以降の単車は水冷ばかりで魅力が無いですね。

これは単気筒でおよそ2000ccのエンジンなんです。

 

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これはクランクケース、星型複列14気筒エンジンというレイアウトは実機をみないと全く理解できませんでしたが、このDVDを見てようやく分りました。

星型7気筒が二つクランクシャフトで連結されて動力を取り出す。

マスターコンロッドに6本のコンロッドが連結されて複雑な軌道で回転する7気筒が位相をずらして配置されていることが分ります。

他にもスーパーチャージャーや油圧機構に吸排気弁機構など分解写真で解説されていて、現代のエンジンの基礎となっていることがよく分る内容です。

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操縦はPOFのチーフパイロット、ケビン・エルドリッチ、30年以上の対戦機操縦経験を持つ。

カメラプレーンはB25爆撃機で撮影はPOFの現CEO、スティーブ・ヒントンが勤めました。

世界最高の貴重な空撮には経験豊富な2人のパイロットが勤めています。

これを聞いただけでも、この撮影の意気込みが伺えるでしょう。

 

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ライバル機P47サンダーボルトとのランデブー飛行。

この近さですよ。水平追尾から真横になって両機が急降下していきます。

もうこれ以上見せられません。

この貴重な映像が、たったの2000円で購入できます。えい出版社です、お急ぎください。

 

 

 

零戦21型戦闘機の生産は67号機からの型式変更以降、三菱航空機で741機、

中島飛行機で2821機、合計3562機でした。

そのうち飛行可能な機体は、唯一機しか残されていません。

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エキパイの鍍金が仕上がりましたので、マフラー製作の続きです。

 

今日はマフラーのジョイント部分とマウントステー作りに取り掛かります。

見本は量産品ですから、全て金型を用いてプレス成型により作られたものです。

量産は少なくとも千個ロットの生産だったでしょう。マウントブラケットなどは下請けのプレス工場などに外注して大量生産して安価に作られたものです。

しかし、当方には金型などありません。見本の形状を真似て成形するしかありません。充分な予算をいただいてあれば安心して立派なものを作れるのですが大概の部品は製作に費やした時間分の全てを請求するわけにはまいりません。それは、必要な生産設備が無い上に初めて成形する部品であるために、長時間を要するためです。

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これはジョイント部分ですが、非常に凝った形状であります。

ボルトを差し込む部分が袋状になっており、左右で4個のフクロを作って溶接で取り付けしてありますが、この部分だけで半日費やしています。

これができれば、エキパイにマフラーを差し込んで、位置決めに掛かれます。

 

 

 

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メガホンの溶接ビードは全て消してあります。

溶接のまま研磨屋に出しますと、ピンホールやハンマー痕などが残ってしまって、鍍金の仕上がりに影響してしまうため、研磨の下地はこちらで整えておかなければなりません。

研磨は全てお任せでは、上手く仕上がってこないことが分りました。

 

 

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ちょっとユニークな形状のマウントブラケットです。

上は見本ですが、なるべくノーマルのデザインを崩さないように真似ています。

締め付け面の凹ましが必要なので、イレギュラーな方法で鉄板を成形してみました。

鉄板はなかなか、言うことを聞いてくれません。

 

 

 

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なんとかマウントブラケットの成形ができたので、左右マフラーの取り付け位置を確認しながら溶接しました。

あとはエンジン下側に付けるマウントステーが残っていますが、今日はここまで。

明日、最後のステー取り付けを行って研磨屋に持っていく段取りが整うはずです。

 

 

 

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日付が変わって、エンジン下部に取りつけるマウントステーを作って溶接しました。

2枚合わせのステーですが、これも純正になるべく似せて作ってあります。

純正に似せる理由は、それ単品で見るとオリジナルだと思わせるようにしなければならないからです。

復刻されない希少なパーツを新品で再現するということは、旧車の維持には不可欠なことで、商業的に利益を得る目的の「偽物ブランド」とは全く次元の違う話だと思います。

 

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オリジナルと再現品を並べてみます。

B級マフラーと思いますが、大体同じ形状に出来ているでしょう。

鍍金が仕上がってきて、ピカピカになれば、素人さんならどちらが本物か見分けがつかないと思います。

これで私の作業は終わり、研磨屋に持っていってカネを払ってくるだけです。

ここまでエキパイと合わせて10日ほど掛かりましたが、一段落ということで会社なんかだと祝杯を上げたりするでしょうが、私にはあのような発酵した水など飲んだら気持ち悪くなってしまうので祝杯は上げません。そのかわり、気持ちよくなる音楽でも聴くとしましょう。

スパイロ・ジャイラのモーニングダンス。ものすごく爽やかな気分になります。寒気が来ていますので気分だけでもトロピカルでいきましょう!サンキュー、Mrベッケンスタイン(SAX)

'>1979年リリースの楽曲ですから、34年も経つのですね。カセットテープが擦り切れるほど聴いていましたが、何年経ってもエエモンはエエ! 

 

 

 

9月のもてぎでお預かりしたCB92のマフラーに着手です。オーナーの沖さんは小樽在住ですが、1月に群馬のスキー場へ来られる情報をお聞きしていたのに間に合いませんでした。次回は4月のイベントで埼玉へ来られるそうなので、猶予ができました。今から取りかかれば充分間に合うでしょう。

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完全オリジナルのCB92です。保管には細心の注意を配ります。

何年か前から北野元選手が浅間火山レースで優勝したマシンを入手してレストア中であることを聞いていましたので、2輪史に関る大事な仕事であると思います。

北野さんは関東では有名で、4輪のレースドライバーに転向して、板橋の川越街道沿いにあったロードレースの宋利光さんの店「アパッチ」の隣でタイヤショップを営んでおられました。

 

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託されたマフラー一式ですが、図面もありませんので、この現物を見本に同型のものを作らねばなりません。

具体的にマジマジと眺めてみると型物が随所に使われていて、ハンドワークで再現するのが難しいように思われます。

しかし、私には19年も何の道具も持たないで、「無いものは造ればよい」という信念でやってきた経験があります。

 

 

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緩いカーブを描いたエキパイは3次元に曲がっているのが分ります。

メーカーさんは機械ベンダーで曲げRと角度を設定して曲げていますが、私には曲げ機械はありません。手曲げで再現するには職人技を発揮する必要があるでしょう。

 

 

 

 

 

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マフラーのマウントステー部分の構成パーツが意外と多いことに気づきました。

おそらくこの部分の作り込みが半分くらいのウエートを占めると思います。

2枚の板の接合部はスポット溶接が用いられていますが、スポット溶接機もありません。この部分はプラグ溶接かTIG溶接で取り付けさせていただきますのでお許しください。

では製作の進行状況は随時アップすることにいたします。

 

2輪史について、何のことだか分らない人も多いかもしれません。最近のことだけ見ていると全体像は見えてきませんが、MX、ロードレース、ストリート、クラシック、改造バイク、一通りのカテゴリーを掻い摘んで見てきました。2輪車という乗り物は、およそ100年前の原点から始まり、研究開発が進んで新材料、新製法、新機構が世の中にリリースされ、お金を払えば誰でも堪能できる便利な時代になったと思っています。

しかし、この先100年同じように開発が進んでいくとは思えません。それは資源や環境の問題であったり人間の欲求の矛先であったり、残る部分と衰退していく部分が当然でてくるでしょう。今の繁栄は期間限定の楽しみと捉えてよいかもしれません。そのことを考えると、一見時代遅れに見えるようなことに魅力や価値観を見出していく懐古主義を営んでいくために手作り製法も、残された人生を豊かに(お金じゃないですよ)過ごしていくために有意義なことだと思って働いています。

 

CIMG2115.JPG最初に一番大物のメガホンマフラーから始めます。

通常はテーパーに削った鉄棒に鉄板を巻きつけながら作りますが、これは端材も含めて1m以上の長さがありますので巻いて作るのは難しいと考え、水押しで膨らますことにしました。

2枚の鉄板を展開図に従って切断し、溶接で張り合わせます。

今回は厚さ1mmの鉄板を使用しますが、成型後に溶接ビードは研磨して消してしまうため、通常より溶け込みを深く溶接しておきます。

CIMG2118.JPG膨らんだテーパーを所定の位置で切断して立ててみます。

製品の長さが77mmありますので、CB92のシートより少し高いです。

マフラーの長さは排気の脈動を利用して燃焼室の充填効率を高める効果がありますので、ノーマル寸法を守る必要があります。

旧車の場合はオリジナルに忠実な外観も必要なので、自分の意思は入れず同じように成型することに没頭するだけです。 

 

 

CIMG2119.JPGメガホンのエンド部分にはテーパーリングを溶接します。後で研磨して溶接ビードは消します。

テーパー状の絞りは排気の抜け過ぎを抑え、反射を起こすための形状です。

50年前からこのようなチューニングの技法が確立されていたのですね。

メガホンの加工はここで一旦停止です。先にエキパイの製作に掛からねばなりません。

その理由は、クローム鍍金仕上げ によってパイプジョイント部の外径が大きくなってマフラーが差し込めなくなるためです。

ラインナップ品のチャンバーなどはテールパイプのジョイント部をマスキングして、鍍金が付かないようにして対応していますが、CB92のエキパイは端まで鍍金されていますので、鍍金後の外径寸法にあわせてマフラージョイントを加工する段取りになります。

 

CIMG2122.JPG先ずは見本のエキパイから曲げゲージを作ります。左右対称ですが、3次元曲げなので両方のゲージが必要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

CIMG2121.JPG曲げゲージを内Rに当てながらパイプを曲げていきます。

炙り加減と力を入れるタイミングは100%勘だけが頼りの手曲げです。

複合Rの距離が近いため、このカーブを成型するには高級な機械ベンダーが必要でしょう。

パーツメーカーさんならCNC加工機により高精度な仕上がりを実現します、というところですが、ここでは無縁の世界です。

 

 

CIMG2125.JPGエキパイの切断、フランジの加工を行って取り付け確認します。

先日作っておいたメガホンマフラーを仮止めして左右のバランスを見ます。

マフラーの位置が問題なければ、エキパイの加工は完了です。

このあとエキパイだけ鍍金処理に廻りますので、それまでマフラーの加工は中断します。

次の仕事が控えておりますので、続編は2週間後ということで。

 

 

 

オートバイに関る仕事をしながら、オートバイ競争の近代史くらいは知っておいたほうが良さそうだ。

そして、その始まりはいつどこか?別冊オールドタイマー誌の記事によると1901年(明34)開催の上野公園不忍池畔だそうだ。主催の大日本双輪倶楽部は自転車競走の団体で、現在のJCFだと思う。この大会は自転車競走の余興として自動自転車の模擬走行に過ぎなかったとされているが、不忍池の外周にトラックが設けられオートバイ競争が行われた公式記録であることを覚えておこう。なんとこの大会はツール・ド・フランス第1回大会より5年も前のことだそうだ。

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現在の不忍池は公園として整備されオートバイ走行はできないが、ここにダートのトラックがあってオートバイが疾走していたことを想像すると興奮してくる。

しかも当時の観客動員数10万人ということで去年のMX日本GP二千人と比較すると、どれだけ民衆の心を掴んでいた大会だったか。

完全な自動自転車単独のレースは1912年(明45)の第1回自動自転車競走会が最初で阪神鳴尾競馬場、大阪明報社主催とのこと。

そして全国規模の選手権大会の始まりは、1925年(大14)第1回MC選手権獲得競走大会で場所は静岡安倍川原トラックで、主催はなんとオートバイ社。月刊オートバイ誌は大正時代から発刊されていたことに驚かされる。日本最古のレース主催団体と称するMCFAJも二輪雑誌モーターサイクリストが創設したものだが、1959年創立なのでMC選手権の方が34年も古いということが判明した。

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現在の不忍池見取り図。縄文時代この辺りは海だったそうで、海岸が後退して自然の池となった。

中央の弁天島を境に三つの区画に分かれる。この外周で行われたレースはダートトラックではあるが、オーバルではないので、そこそこのカーブテクニックは必要だっただろう。

マシンは既に米国で生産されていたハーレーが主流だったと思う。

 

 

第1回MC選手権の有力選手には多田健蔵さんの名前がでてくるが昭和3年にマン島TTレースで350ccクラス15位に入った同氏だと判ったので、当時のオートバイレースに掛ける情熱の大きさは想像を絶するものがある。

 

CIMG1810.JPGもてぎのグッドオールデイズで見たAJS。

多田さんもこれに乗ったはず!

こんなマシンでTTレースに参戦していた模様。

 

 

 

 

 

 

ようやく丘蒸気が走り始めた日本でオートバイ競走かい!

名古屋TTレースや富士登山レースなどが最も古いと思っていた自分の浅はかさが恥ずかしい。

現役の選手はMFJって何ぞやと聞かれたときに説明ができるようにしてもらいたいと思う。「えーとお金払って走らせてもらってる団体」なんて答えないように。

概略はこうだ、先に鈴鹿サーキット造ってしまった本田宗一郎さんがFIMから日本の窓口を作ってくれないと国際大会の連絡先もわからんと指摘されて創設した団体だった。

今ではサーキットに水洗トイレはあたりまえ、レストランやホテルも完備した上で10万人お客さん収容できるスタンド席付き施設を持つ大企業が出資した団体に成長したということか。そのおかげか、観客激減して興行が立ち行かなくなっても大丈夫。

私の実家は瀬戸内なので来島ドックや今治造船など、造船所が近くにあったにも関らず、製造現場を見ることもなく過ごしていました。物作りを生業とするようになってからは、あのように大きなものをどのようにして作っているのだろうと、大変興味が沸いてきます。

戦時中の大型船は物資の輸送を絶つために米軍に攻撃されて沈没させられていました。氷川丸は機雷に2回も当たって爆破されながら生還した只一隻の大型船です。

タイタニック号の沈没の要因の一つは船体の鉄板を繋ぐ、錬鉄リベットの強度不足と言われていますが、そのときの教訓を生かして、厚さ25ミリの鋼板は溶接継ぎ手によるもので非常に頑丈な作りであったことが生死を分けたようです。

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1930年就航当時の1等乗船券の値段ですが、千円で家一軒が建った時代に5百円だったそうです。日本郵船の初任給は70円。

横浜シアトル航路の船旅が如何に豪華であったかがわかります。

欧州の腕利きの料理人を年棒1万5千円で雇って乗船させていたので、料理の美味さが評判で、チャールズ・チャプリンは好んで氷川丸を選んで乗ったという逸話もあります。

一等特別室や三等室、特別食堂室など、船内の様子も見学できるのですが、なんといっても乗り物を扱う身としましては機関室が、興味をそそられるところです。

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デンマークのB&W社ディーゼルエンジンを搭載。

これはエンジン上部のロッカーアームの部分です。長い棒は下の階にあるカムシャフトの動きを伝えるプッシュロッドになります。すなわちOHVということです。

このエンジンの特徴は燃焼室がピストンの上下にあって、下降と上昇のそれぞれの燃焼を発生させて運転しています。

したがってカムの下側にもプッシュロッドを介してバルブ開閉が行われています。

 

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これが中央のカムシャフトの動きを受けるプッシュロッドの先端です。カムの接触部分は別の油圧ポンプから送られるオイルで潤滑されたローラーで受けています。

4気筒を2連装したエンジンで一つのプロペラを回します。

左右に8気筒あって舵の両側にプロペラは二つありました。

 

 

 

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今では展示用にカットモデルになったエンジンなので、クランクケース内のクランクシャフトも覗くことができます。

このような大きなエンジンを組み立てる技術者の腕前に感銘を受けます。

こんな大きなエンジンですが、始動は只1人の機関士が行うそうです。

機関室にはエンジンとは別におおきな発電機や油圧ポンプ、ボイラーやコンプレッサーが整然と配置されており、エンジン始動はコンプレッサーで起こした圧縮空気を燃焼室に送り込み動かすそうです。

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これは操舵室の舵輪です。

航海士は機関室に指令を出しながらエンジンの運転状態を決定していたようです。

即ちアクセルとブレーキは航海士の音声を聞いた機関士が切り替えを行っていたということになります。

こんな貴重な船内の見学をたったの200円で体験できる、氷川丸を気に入ってしまいました。いつまでも保存していただきたいと思います。

 

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ようやくセンター出しマフラーの音量計測です。

先日、マフラー完成後にエンジン始動しようとして失敗しました。

冷間時の初期始動性が良くないエンジンだと思いました。

考えられる要因はバッテリーの過放電、長くエンジン始動しないで放置しておくと漏電して電圧が下がってしまう現象。

もう一つはこのマシン特有ですが、ガソリンタンクの絶縁が悪く、フレームとタンクが金属接触しているため放電して引火することを恐れました。そのため、タンクを外して作業しようとしましたが、燃料ホースのカプラーが外しにくく、壊しても困ると思ってガソリンを抜いてしまいました。エンジン始動時にはガソリン給油して行いましたが、必要な燃圧に達していなかったかもしれません。

真相はわかりませんが、走行する必要はないので別の新品バッテリーを購入して電圧確認してから再トライしましたが、同様に始動せずバッテリーが弱ってきたので中止して、自家用車のエンジンをかけてブースターケーブル繋いでようやく始動できました。

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この車両はアンチグラビティー製のリン酸鉄リチウムイオンバッテリーが装着されています。

同じ性能のユアサと比べると体積で3分の1、重量が4分の1くらい違いますので、ユアサは取り付きませんがブースターで始動するために使用しました。

ブースターで充電しながらセルを回せるので、今度は簡単に始動できました。

そして、排気音は

車検は近接騒音で、最高出力回転数の50%に保持して計測するので

4500rpmで80dBという静かさ、10000rpmでも90dBくらいなので数値は余裕で合格です。

念のためマフラー出口にディフューザーを付けていますが、外しても2dBほど上がるだけなので、好みに応じて外しても問題ないでしょう。

CIMG2078.JPG

公道仕様のためテールランプとライセンスプレートのステーが必要です。

最もシンプルな取り付けをデザインしました。

アルミのリヤフレームにボルトオンでステンレス棒のステーを作ってみました。

 

 

 

 

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2?のアルミ板をベースにテールランプとライセンスプレートが取り付くはずですが私の仕事はここまで。あとはオートバイ屋さんにお引き渡しとなります。

 

正月休みの最終日だけ、どうしても行きたい衝動に駆られて見てきました。

CIMG2050.JPG 海運の安全を祈願して命名された船の名前は、大宮の氷川神社を由来としたもの。

操舵室には氷川神社の神棚が祭られています。

三菱重工業横浜造船所建造

この船は1960年から横浜山下公園の埠頭に係留されている重要文化財です。

横浜シアトル航路を238回往復し、終戦後は南方の兵士を帰国させる引き揚げ船として大活躍しました。

普通なら経験できない外国航路の船内に入り、まるでタイムマシーンに乗って過去にタイムスリップした気分です。

日本郵船氷川丸は1930年(昭和5年)就航で戦前に建造された大型船舶の現存する只一隻であるということです。

 

CIMG2073.JPG  

非常に内容の濃かった船内見学のレポートは、後ほど。

夕方の赤レンガ倉庫とみなとみらいを大桟橋から眺めています。

歴史と大都会が融合した、日本最高の観光スポット。大人になってから一番感動できた一日だったかもしれません。

 

 

 

 

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B&W社ディーゼルエンジン、4気筒を4機搭載しており、2機ずつで一つのプロペラを回す構造で、舵の両側に二つのプロペラがあったはずですが、係留と同時に取り外され

舵の下部も切断されて航行不能になっています。

その機関室も見学コースに入っており、じっくり観察してきました。

 

大晦日にジョイントは完了していましたが、過労のためか正月早々に寝込んでしまい、3日から再開です。

CIMG2016.JPG左右のエキパイはマフラーの前で集合されています。

しかし、マフラーが固定されているわけではありませんので、リヤフレームに取り付けのためのステーを新設します。

リヤバンクのエキパイはフロントバンクのエキパイと等長とするため2回Uターンして長さを稼いでいます。

 

 

 

 

CIMG2018.JPGセンター出しマフラーの全容はこのとおりです。 

アルミとチタンの複合で、総重量2.2kgまるでレーサー並みです。 

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カウルをセットしてマフラーとの整列を確認してみます。

タイヤセンターとマフラーの芯を合わせるようにステーの位置決めをします。

FRP製カウルの位置は必ずしも車体中心と合っているわけではありません。取り付け穴位置を加工して中心になるように変更します。

 

 

 

 

CIMG2021.JPGここまで来れば、あと一息なのですが、マフラーのラバーマウントのための部品を発注しなければなりません。

来週まで部品屋が動きませんので、完成は来週に持ち越しですが、残りの加工は明日一日で終了です。

 

 

 

 

 

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マフラーのマウントが完了したのでリヤクッションフルボトムさせて、タイヤクリアランスを確認します。ショックのストロークを変更して対応しました。

ノーマルはオフオード車なのでロングストロークですが、オンロードならこれくらいのストロークで充分な気がします。

 

 

 

 

 

 

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マフラー取り付け業務完了しましたので、音量測定のためエンジン始動を試みましたが、残念ながらバッテリー電圧不足で始動できず、バッテリーチャージャーも持ち合わせておりませんので、後日電圧を復活させてトライしたいと思います。

これは公道走行可能なレベルに仕上げる目的なので、ライセンスプレートとテールランプのマウントステーも作らなければなりません。

あと少しですがリヤフレームに留められるスペースが殆どないので悩んでおります。

なかなかはかどりませんので、小出しにします。

CIMG2000.JPG

センター出しのマフラーは、こんな形状にします。

タイヤクリアランスの関係で横置きにします。

これが出来るとリヤフレームの変更内容が決まります。

年内に2つのエキパイの取り回しを行いますので新年早々にジョイント完了するはずです。

正月も遊ばないで仕事、仕事。

 

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リヤショックのスプリングコンプレッサーも自作です。

レーサーのショックはスプリングアジャスターを緩めれば簡単にスプリングが外せるので特殊工具は必要ありませんが、これはアジャスターを全部緩めてもはずれません。

特殊工具は工具店で購入できますが、私は買ってきません。自作にこだわります。

その理由はコスト削減のためです。「ワンオフのわりに価格が安いですね」と言われることがありますが、こういうことをして出費を抑えているんです。

これの場合は、充分元を取ったシャコ万とスクラップの鋼材で総額、数百円でしょう。高い特殊工具を買ってくる気はありません。他にもエンジンメンテナンスならケースプーラーやクランクシャフトインストーラーなど全部自作です。コストが安いだけでなく、用途に合わせて作っているので使い勝手がいいのです。

11月25日所沢の航空発祥記念館の前に2台のコンテナに載せられて展示用の航空機が運ばれてきました。アメリカのPOF(航空博物館)所有の現存する飛行可能な唯一機の零式戦闘機の来日です。

コンテナの1台はエンジンと主翼、機体前半分。もう1台は機体後ろ半分を積載しており、展示場の前で降ろされ、組み立てられました。組み上がった機体でエンジン始動確認後、格納庫である展示場に納められた実物を同館にて3月末まで一般公開されています。

同機の正式名称は海軍零式艦上戦闘機五二型と呼びます。1944年6月にサイパン島で米国海兵隊に無傷の状態で捕獲されて民間に払い下げられたそうです。 CIMG1996.JPG

通称ゼロ戦ともいいますが、実戦終了から70年近く経っても、おそらく日本人で知らない者はいないと思われるほど有名な飛行機ですが、その実物を目の当たりにできる貴重なチャンスを逃すわけにはいきません。

私の注目するべき目的は二つ、当時最速と言われたエンジンと超々ジュラルミン製の機体です。

 

 

 

 

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群馬県太田にあった中島飛行機製の栄二一型エンジン。

14気筒星型エンジンは1100HPで最高速度564.9km/h、航続距離1920kmというスペックです。

装甲板や防弾ガラスを持たない攻撃専用の機体が設計の思想を表しています。防護能力の無い機体はグラマンに狙われて被弾したなら助からないことを意味します。助かるためには戦闘に勝つしかありませんでした。総重量1800kgという軽さと高出力エンジンのおかげでラバウル島からガダルカナル島の片道1040kmも楽々飛行して戦闘できたという驚異の航続距離を誇っていました。

中島飛行機の技術者は敗戦後7年間航空機の開発を禁止されたこともあり、富士重工に移動して自動車の開発者として貢献したといわれます。チューニングで有名なPOPヨシムラ氏も中島飛行機の整備士であったことは有名ですね。

リンドバーグが大西洋横断飛行に成功したのは1927年ですが、ライト兄弟の初飛行は1903年ということですから航空機の歴史は正に100年、自動車の方が少し長いですがオートバイよりは歴史が長いのです。しかも日本の航空機技術が第二次大戦まで世界最高水準であったことも興味深い史実だと思います。

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機体の全容が目の当たりにできますので板金の手法が想像できます。この様な機体を戦時中に一万機以上も製造した能力に感心します。機体の設計者は三菱重工の堀越二郎氏ということで、日本初の旅客機YS11も同氏の設計です。

空気抵抗の少ない流線型の機体が戦闘能力の高さに貢献したわけですが、低燃費で高速で飛行できる現代の航空技術の基礎になっていることも伺えます。

視認性を重視した立ち上がった風防の中で搭乗員一名の兵隊さんが、どのような気持ちで空中戦を戦っていたかということを思うと同情と尊敬で胸が締め付けられるような気持ちになりますが、ゼロ戦の搭乗員は何千人もの航空士官学校のなかでも25名ほどしか選ばれない精鋭だったということで、撃墜戦死された人意外は終戦後も生き延びられたということが幸いです。 CIMG1984.JPG

館内は他にも展示物が多く、一日で観るには時間が足りません。

これはヘリコプターのエンジン部分です。

カーチス・ライト製10気筒星型エンジンです。エキパイが集合になっているのが面白いですね。サイレンサーは勿論ありません、すごい爆音がするでしょうね。

旧式のエンジンはレシプロが多いですがタービンシャフトエンジンもあって基本的に空冷ですが排気温度を冷却するためにエタノールと水をタービン内に噴射するなど、ガソリンエンジンには無い技術も解説されていて興味深いです。長いこと生きておりますと色々なことがあって面白いですね。

 

観覧中の親子の会話が気になりました。5歳くらいの男子と40前後の父親でした。

父「この飛行機でアメリカと戦ったんだ」  男子「どっちが勝ったの?」

父「日本は負けたんだよ」  男子「・・・・・」

男子の思ったことは想像に任せるしかありません。ヒーローは戦いに勝つものです。負けた方が悪者だと思うでしょう。この子は日本が負けた、イコール日本が悪かったのだろうかと思ったでしょう。

勿論悪かったのは軍部であって国民が悪かったわけではありません。または、こう思ったでしょう。

「負けたのにどうして日本は平和なんだろう」

その答えは、何十万人の民間人と兵隊が犠牲になって間違いに気が付いたおかげで、日本は戦争に参加しなくて良い国に変わったからです。

もし、あの戦争で勝っていたなら、軍隊は今でも存続していたでしょう。

私らの年代の親たちがギリギリ戦争体験者です。少し下の世代になると身内に体験者がいなくなります。実際に起こったことを伝えられる人が段々いなくなることを危惧します。

そんな戦争体験者が綴った書物が出版されていますが、私の心に残っているのは、特攻に出撃して生還した兵士の話です。非常に偶然が重なって、撃墜されて海に落ちた際、爆弾が爆発せずに助かり米軍に助けられ捕虜になったそうです。引き上げられた艦上で米兵は親切に濡れた軍服を乾かしてくれたり食事を与えてくれたりしたそうです。

その時に尋問役の米兵が日本語で「私たちは人を人として扱わない人種と戦っているのです。私たちは人を人として扱います」と言ったそうです。真珠湾に奇襲攻撃を掛けて勝てると思った軍部の間違いは、最初から結果の分っている戦いを仕掛けたということでした。多大な犠牲を払って安全になった国で生きていける幸運はいかなる歴史の下に築かれたものかを伝えていくことが必要だと感じます。

実際に出撃した人たちは大正生まれの若者です。終戦時に19歳から33歳の人が大正生まれですから、戦争体験者の生存数が段々少なくなっているのです。私の父親は15歳で終戦を迎えましたが住友重機の軍需工場に学徒動員で、銃弾や飛行機の車輪を収納するモーターなどを旋盤加工する仕事をしていたそうですが、自宅にラジオが無かったために終戦を知らず朝、工場に出勤したら上官から「戦争は終わったから帰っていいよ」と言われたそうです。

そんなことも聞かされたのは最近のことで、貴重な体験も聞こえなくなることが惜しまれるわけです。

そういうわけで零式戦闘機は歴史の証拠として、飛べなくなっても保存して後世に伝えていってほしいものです。

 

 

ようやく取り掛かる時期がきました、SXV550。アプリリアのVツインです。本当はモタード車ですが、依頼されたカスタム屋さんでロードタイプにモディファイされています。 CIMG1998.JPG

実は、電話でマフラー製作の話をいただいたときは、車両の状態が分らず、お引き受けに至りませんでした。

詳細が不明な状態で、出来ますとは返事ができないからです。

そこで、電話とメールのやり取りで段々と状況が見えてきました。

リヤサスのリンクを変更して車高が下げられていること、ノーマルのマフラーが取り付かなくなっていること、リヤバンクのエキパイが短く延長しなければならないことなど。

ちょっと厄介なことになりそうだったことと仕事も2ヶ月ほど溜まっていて、係っているとますます遅れてしまうことになると思い、受託の返事を保留していました。

そうすると、無理な部分を理解していただいたようで、やり易いようにリヤ廻りのジオメトリーを変更しても構わないということで了承いただき、車両持込みしていただくことになりました。年内に完了することは不可能なので、材料の手配はしておいて来年に持ち越しということになります。

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モタード車のノーマルマフラーはフェンダーを兼ねた箱型のサイレンサーに2本のエキパイが差し込まれた形状です。

リヤショックのスプリングを外してサスをフルボトムさせて、スペースの確認です。リンクで車高下げた場合は、車高が下がった位置からフルストロークするのでタイヤとフェンダーのスペースが無くなってきます。

この隙間にセンター出しのマフラーを取り付けるなどということは不可能なことがわかります。リヤフレームを改造してマフラーのスペースを確保することから掛かります。

来年の初物になると思いますが、続きはまた来年ということで。

ようやく2台目のNSR250のチャンバー作りです。製作実績がありませんので、毎回悩むところですが、今回はお客さんの要望で右二本出しのサイレンサーが特徴です。

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89モデルと思われますが外装部品は既に廃盤になっています。フルカウルは全塗装したのかと思っていましたが、じつはグラスファイバーで復刻したものでした。

ノーマルはインジェクション成型なので、裏地の肌が違うことで気がつきましたが、生産されない旧車のために、カウリングを少量生産するメーカーがあるようです。

引き締まったスタイリングが好感をもてますね。

 

 

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アンダーカウル装着のためにチャンバーの取り回しが複雑になります。

90度V型のリヤバンクは右出しに、フロントバンクはUターンして左出しという変則カーブを描きます。

通常左向きにひねったコンバージェントコーンを右向きに変更して右出しのテールパイプに繋げています。元々センタースタンドが無く、リヤサスのリンク位置も問題なく、後ろ側の取り回しは自然な形にできました。

 

 

まだまだ年内はワンオフの製作が続きます。当分の間、工房に篭って仕事していますので春ころまで掛かります。電話も出られないと思いますがご了承ください。

息抜きは必要なので、今日の音楽ネタはコテコテのジャズにロックを融合させて聴きやすい音楽を作ったフュージョン界の功労者、デイブ・グルーシンの立ち上げた演奏集団GRP AllStarsからマウントダンスです。自分はデイブ・グルーシンの演奏を観るのはこれが始めてで感動しました。ギターの神様リー・リトナーも参加されています。この楽曲聴いていると80年代が蘇ってきます。

 

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愛媛の実家に戻っています。自分の部屋の窓から見える四国連峰、この景色が見れるのも、あと20回はないだろうと思うと貴重なものになってきました。

谷間にある集落なので朝になっても、なかなか太陽が見えてきません。なので非常に時間が緩やかな感じがします。

今年はみかんと柿が出来すぎで収穫の時期なのですが82歳になった父親の手伝いをしておこうと思い帰ってきました。

 

 

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本家の畑を買い取って山の方にも畑があります。柿、柑橘類、栗など果物は収穫したら形のよいものは農協へ出荷して、残りは家族や近所に分けて食べます。

家で食べる野菜は全て自家製なので買ってくることはありません。

果物は出荷できても、値段を聞くと、とても生活していけそうにありません。肥料や消毒で経費が掛かりますし、雑草が生えないように手入れも必要なので山での農作業は重労働で、農家の人はえらいと思います。

高圧の電線が仕掛けてありますが、イノシシが畑の土を掘り起こして作物を食べてしまうので防護のためです。最近は、おサルが山から下りてきて果物を食べるそうです。田舎暮らしは野生との共存です。畑だけではありません。近所の川で漁師さんが獲ってきたカニも分けてもらって食べました。子供のころは網で獲って、おやつにしていたやつです。

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近くの郷土博物館にカブトガニが飼育されています。生きたやつを見れるのはここだけでしょう。

私らが生け簀に近づくと砂の上を這って近づいてきました。人にはなついている感じです。エサがもらえると思ったかもしれません。

甲羅の前方に二つとおでこのあたりに一つ、目があって、しっかり前を見ながら動いているのです。

 

 

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愛媛は二十歳まで住んでいましたが、あまり観光地には行ってないです。東京の人が東京タワーへ行かないのと同じです。

今は田舎が観光地なので珍しいと感じます。歴史的にも有名な道後温泉本館です。

この構えで温泉も営業しているのですから貴重ですね。絶対保存してもらいたい建造物の一つです。不思議なタイムスリップが味わえますよ。

 

 

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松山市街は路面電車も走っているのが、ここの風情です。

伊予鉄路面電車の始発は道後温泉駅です。駅前の格納庫に坊ちゃん列車の一号機が展示されているかと思ったら

なんと明治時代の制服を着た機関士や車掌が乗り込んできて、エンジン始動しました。

勿論、石炭燃料の蒸気機関です。

 

 

 

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そして、格納庫からバックで営業軌道上に移動させて、駅のホームに出発です。

展示用だと思った、坊ちゃん列車は実際に営業運転してお客さんを乗せて走っています。

こんなレトロな乗り物を保存して動かしている愛媛県人の資質に誇らしく思えた瞬間でしたね。町がどんなに近代化されようとも先人たちの知恵や技術といったものを忘れないようにしていくことが、そろばん勘定だけを追及しては衰退していく現代人には必要なのではないかと思います。

グッドオールデイズの日にお預かりしたマシン1台。1959年型CB92です。

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発売と同年の浅間火山レースのライトウエイトクラスで18歳の少年、北野元選手がワークスレーサーたちを抑えて優勝したことにより人気を博したモデル。

64年まで15000台ほど生産されたそうで、今でも世界中にこの希少なマシンを保存しようとする人たちが大勢おられます。

オーナーの沖さんもそんなエンスージアストの1人です。

 

 

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お預かりした目的は、この車両に装着されたレース用マフラーのレストアのためです。

なかなか北海道から持ってこられるのは大変で、もてぎのイベント会場で待ち合わせて実現しましたので、納期も来年年明けくらいで良いそうです。

実は、北野選手が浅間で乗ったマシンを沖さんがレストア中で損傷の激しいマフラーの部分を私に託していただきました。

車体はこれと同型式なので治具代わりというわけですが、綺麗な車体で取り扱いは厳重注意ということになります。

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マン島TTレースを走った谷口尚巳さんのサインがサイドカバーに書かれています。

やはり自分の青春時代のオートバイは忘れられない思い出があるのでしょう。

世の中がどのように変化しようとも、その時代を生きた証としてオートバイがなくてはならない存在なのだと感じます。

 

 

 

 

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通称ドクロタンクとよばれるニーグリップが絞られたデザインのタンクはアルミ製。

大径ドラムブレーキのホイールハブはマグネシウム製。

実用車のようなボトムリンク式サスペンションやニーグリップのラバーなど当時の雰囲気満点のスタイルですが、ホンダとして最初のスポーツモデルなのであります。

 

 

 

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割りと単純な形状と思われがちなメガホンマフラーですが、実は非常に難しいのです。

なにしろ全長70mmものテーパーですから手で巻くのは殆ど不可能でしょう。

エキパイも排気ポートが外向きなのにエンジン下部で車体と平行になる3次元曲げが必要となりますので、高度な手曲げテクニックがないと難しいでしょう。

ちょっと先の作業になりますが今から思案中というところです。

後日マフラー製作レポートすることにします。

 

CR誕生50周年ということで世界初のCRミーティングがツインリンクもてぎで開催されました。

CRとはカブレーシングの略称で、クラブマンレース出場に合わせて製造された市販ロードモデルの車名に使われました。今年はツインリンクもてぎ開業15周年ですが、インディー撤退ということで早くもオーバルコースは使用休止になってしまいましたが、スズカサーキットと並び、国際レーシングコースとしての設備の豪華さには圧倒されます。企業の収益で一般参加できる施設にこれだけ還元したメーカーは他には無いと思います。

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CR110レーサー。

50ccクラスの市販レーサーです。

私も本物はもてぎでしか見たことがありません。

 

 

 

 

 

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珍しいマシンも多数展示されていました。

クライドラー50ccレーサー。オートバイ雑誌でしか見たことがなかったので驚きの光景です。

 

 

 

 

 

 

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生憎の雨がサーキットに打ちつけるコンディションでしたが、この日のためか日ごろからマシン作りに精を出されて、惜しげもなく雨のロードに走りだしていきました。

車両展示とレース形式の走行会で多くの自慢のレーサーを披露されていて、只ならぬ情熱を感じます。

 

 

 

 

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AJSですかね。

このマシンに代表されるようにエントラントも私らより年配の50代、60代の人たちが多かったように見えました。

若者抜きで遊ぶと言うか、若い者には無い老練さがここにはありました。

こんなマシンも実動なのが驚異です。

 

 

 

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このイベントの目玉はRC146とRC149のデモンストレーション走行でしたが、豪雨のため残念ながら中止となってしまいました。

そのかわりパドック内でエンジン始動して19000rpmのサウンドを聞かせていただきました。

146は125cc4気筒、149は125cc5気筒で最高出力35PSを20500rpmで発揮するそうです。

展示車はL・タベリが乗った優勝マシンです。

 

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デモ走行担当する予定だった宮城さんと菱木さん。

今回は空ぶかし担当でした。

11000rpm以下ではエンジンストールしてしまうためアクセルワークはシビアだということです。

最高回転はエンジンを守るために控えて19000rpmまで回していただきましたが

F1に似た甲高いサウンドでしびれました。貴重な体験だと思います。

 

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小樽から参加の沖さんの愛車SS50です。このマシンを故隅谷守男さんが売って欲しいと頼んだそうですが、売ってあげなかったというほど貴重な物です。

雨の中奥さんがサーキット体験走行されたはずですが無事だったでしょうか。

この日のために峠で練習されてきたそうです。

このクルマ、新車購入のまま、何も変更されてないそうで、40年以上この外観を維持し続けているという奇跡の逸品です。

グッドオールデイズの参加車両は私の年齢(49歳)をもってしても見たことがない物が多く、仕事柄、古いマシンのマフラー製作も頼まれることがありますので、実物を目に焼き付けておく絶好の機会なのであります。

 

 

 

 

 

 

バックオーダーは1ヶ月分残っていますので、社外品マフラーの修理は優先的にはできません。2ヶ月以上お待ちいただいているお客さんの注文がありますので順番に進めております。

不運にもマフラー壊してしまった場合は、新しいものに交換されることをお勧めします。

また実車は殆どありませんので取り付け確認などが必要なほど変形している場合も保証できないことをご了承いただきたいと思います。

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カーボン樹脂製のエンドキャップが割れてしまって交換が必要ですが

補修パーツもありませんので、鉄板で作って代用します。

 

 

 

 

 

 

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ビレットパーツのマウントステーですがリベットが外から外せない構造でしたので、ボディーを切って内側のフランジを削除して外しました。

マウントステーの面積が小さいので加重を受けるとボディーに食い込んでしまう難点があるようです。

 

 

 

 

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チタン材は非常に高額になりますので、アルミ板でボディーを作って代用します。

修理というより半分製作という形になります。

メーカーから補修パーツが販売されることが理想だと思います。

 

 

 

 

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マウントステーの取り付け位置は全く不明なので実車をお借りしてマーキングしてから取り付けることにしました。

今回は隣の川越市在住の国際A級ライダー松本耕太選手のガレージにお邪魔してきました。

彼はお父さんの会社で働いているのでお給料でチャド・リードと同仕様の前後サスペンションを購入してCRF450Rに奢っています。モトクロスは気が向いたときだけ乗るというお気楽モードが信条のようです。レース出てもお金になりませんからね。

無駄なことはやってみる。そうすればわからないことが見えてくるという例です。

ちょうど10年前、レースで上腕骨折って仕事ができなかったころに企てた改造マシン計画。YZ426とCRF450の初期型以外に4ストモトクロッサーが存在しなかった時代、ミニモト用の4ストエンジンを検討していたところ、排気量2倍の法則に従い、2ストの85ccの2倍は170ccということで、125エンジンの改造で170を作ろうと計画しました。

ベース車として選んだのはTTR125でボア、ストローク 54.0×54.0。このボアを最大限に拡大したら幾つになるかということ、ピストンリングは量産純正品を流用するために機種の選定を行った結果。

最大公約数は62.5mmになりました。その結果、62.5×54.0というオーバースクエアになりました。排気量は165.6ccで圧縮比13.0:1という高圧縮エンジンです。

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足周りと車体のディメンションはCR85です。フレームを改造してエンジンスワッピングしています。タンクシュラウドはCR125用でオイルクーラーとCDIユニットが左右に振り分けて装着してあります。

エンジンのボアアップと車体作りを平行で進めて行きましたが、新規に装着したFCR28φのキャブレターが思わぬ苦労を招きました。

FCR28のTTR125に装着した例が国内にはなく、標準のジェッティングオーダーも皆無の状態でしたのでMJ、SJとニードルを複数取り寄せ手探りでキャブセッティングを決めていく作業が待っていました。このキャブレターは販売状態で走行すると、アイドリングは不能で加速中にエンジンストールしたり、走行不能なくらいセッティングが外れた状態だったのです。

大体、取り付けから問題でインテークとエアクリーナーに繋がるアダプターを製作し、強制開閉のアクセルワイヤーも付属してないので、YZ426用のワイヤーを切り詰めてタイコをハンダ付けして取り付けました。なんとか平地で走行可能な状態になりましたが、今度はギャップ通過後に息つきが起きてしまうので調べたら、MJ、SJ付近をカバーするバッフルプレートが付いていないことが原因でガソリンが踊ってしまうことがわかり、バッフルも製作しました。初めて使うということは誰からのアドバイスも得られませんから全て自分のノウハウで解決するということです。

ボアアップしたことによる問題は次々に起こりました。その前にエンジン特性はどうであったかというと、非常に低中速トルクが上がっていて、まるで別物のエンジンですが、高速はノーマルより回りません。重くなったピストンのせいというより、上がり過ぎた圧縮比のために回転上昇を抑えられている感じです。

最初の問題は2時間走行程度で来ました。オイルクーラーが熱くなっていない。即ち、オイルポンプが機能していないと思いました。そして間もなくシリンダーから異音が出てきたので、走行を止めて持ち帰りエンジンの分解点検を行ったら、なんとピストンピンが抜けて片側だけボスに刺さった状態でした。ピストンピンがクリップを打ち抜いて飛び出してきたのです。折れたクリップの破片がオイルポンプのローターに食い込んでオイルポンプを不能にしていたのです。

ピストンは4個、スリーブは2個作ってありましたので、壊れた部品は直ぐに交換して再トライしましたが再び同様な症状が出ていたので、ピストンピンが抜けてくる原因をコンロッドの剛性不足と判断し、強化コンロッドの製作に着手しました。クロモリ鋼を熱処理して硬度を上げ、断面積を増したコンロッドをつくり、クランクシャフトに組み込みました。

思惑どおり少し寿命は延びましたが、欲がでてきて高回転を改善しようとセッティング中、エンジン全開で回していたときに大破させてしまいました。ピストンがピンボスのところで割れてヘッドはバルブに衝突し、ピストンの無くなったコンロッドがスリーブを直撃して終わりました。

こうしてφ62.5のピストンが実用に耐えないということを証明する形となりました。メーカー純正品の実用強度が充分にできている裏には量産される前に数々の耐久テストと改良の繰り返しによって実現していることを改めて思い知りました。

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FCR28装着のエンジン部分。ワンオフのエキパイやブレーキペダルはエンジンスワップした車体には必須アイテムです。CR125のシュラウド装着のため、専用のアルミタンクも製作です。

ボアアップエンジンは3個のピストンとクランクシャフト1本、スリーブ2個を壊した時点で中止しました。部品代30万円くらいが授業料となりました。

エンジンはノーマルのシリンダーとピストンに戻して、しばらく乗りましたが純正のレーサーより遅い車両は直ぐに飽きてしまい、それぞれのCRとTTRの車体に戻されて売却されましたので、TTR160の実車はこの世に存在しません。

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拡大可能なボアの限界はシリンダースタッドの内側の円ではありません。タイミングチェーンの穴のほうがスリーブに近いため、ヘッドガスケットのチェーンホール側の幅が3mm程度残るくらいです。

鋳鉄スリーブの板厚も2mm程度になりますのでスリーブの剛性も限界です。

写真のピストンのスカート部に肉抜き加工が見えますが、実はピストン後ろ側にバランサーシャフトが存在して、下死点で干渉することがピストン完成後にわかり、削ったものです。ノーマルだと、勿論当たらないわけで、ギリギリの寸法で設計されているわけです。

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点検により、亀裂発見されたピストン。

ピストンピンボスの横に(矢印付近)亀裂が確認できます。

このまま使い続けるとピストンが上下に分断されてしまうことになります。

世の中にはもっと大きなピストンはいくらでも存在するわけですから、ピストンピンボス周りの肉厚不足か材質不良か熱処理の問題か、いずれにしてもメーカー並みの開発費を投入しなければ分らない案件であると思います。

2スト全盛期は老舗のチャンバー屋さんが沢山ありましたので、選り取りだったと思います。2スト全廃の今では入手困難になってしまったようで、今頃になって初めて作ることになりましたNSR250用チャンバーです。

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左右非対称のチャンバーなので2種類の型を作らなければなりません。

先ずは90度V型ツインの前バンクの方から型を決めてレイアウト検討します。

ノーマルのアンダーカウル装着のため、エキパイのカーブもノーマル同様にしないと収まらなくなります。

その結果、オフロード車のチャンバーよりタイトな曲げカーブが必要になります。

 

 

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前バンク取り付け状態ですが、このようにクネクネ曲がっています。

このあと、後バンクからのエキパイのレイアウトを検討するのですが、ラジエターとシリンダーの隙間を通って右側に出てくることになります。

エキパイのクロスは過去最高の難易度となるでしょうが、長年の経験で決めていきたいと思います。

 

 

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後バンクのエキパイは前にラジエター、下に前バンクのエキパイが干渉するので狭い隙間を数ミリの隙間を空けて通っていきます。

これでクロス部分の取り回しが完了しましたが、テールパイプとサイレンサー2本の製作が残っていますので完成は来週に持ち越しということで、今週はここまで。

 

 

 

 

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パイプ本体が出来たとしても完了には程遠いです。

サイレンサー2本作ってテールパイプの曲げカーブを決めて、サイレンサーの取り付けバランスを見なければなりません。

最初は溶接されていないパイプを手で持って取り付けバランスを確認しますが、離れて見ることができないので、目見当だけが頼りです。

接合部にマーキングして溶接して再度取り付けて確認という作業を繰り返します。しかもアンダーカウルも脱着しながらということで

作業時間は刻一刻と過ぎていきますので、お時間の約束をしても守れたためしがありません。

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ひとまず取り付け完了しました。カウル装着すると全部隠れてしまいますので、この状態で撮影です。

今回も初めて作るチャンバーでしたが、製作するのに必要な図面やモデルも無しで白紙の状態から取りかかるのです。

しかも1週間くらいで仕上げないと商売になりません。他の仕事全部止めていますからね。

今回低い姿勢での作業が多く、無理な体位で腰痛が始まってしまったことが余計な悩みです。体の老化現象が確実に忍び寄っています。あと幾年続けられるか体力だけが頼りの仕事です。

先日、地域の盆踊り大会があって、今年役員をさせられていますので設営やら模擬店の手伝いにいってきました。このへんはホンダOBが多く居住されている場所で、定年になったOBの話を少し聞きました。

早期退社で退職金と厚生年金をもらって、金銭的には余裕がありそうですが、退職後の生活のことや在職中の職務の辛さなどを考えさせられ、どうしても、自分の立場と比較してしまうのは僻みというものでしょうか。

 

私は言い訳をしなければなりません。これで許されることとは思っていませんが、競技者、製造者、顧客などの立場を考慮した結果このような処置をとることにしました。

マフラーの製作依頼を受けて順番に作業を進めていますが、手作業のため2ヶ月程度お待ちいただいている状況ですが、突発で頼まれる依頼に対応しなければなりません。

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レース中のアクシデントでマフラーとサブフレームが曲がってしまい、タイヤがマフラーに擦りながら走行した結果このようになりました。

折れ曲がったジョイントパイプ、切れたバンド、エンドキャップ割れ、が損傷箇所です。

パーツを取り寄せて交換したらどうか?と言いましても高価で買えないと言います。

しかし、スペアの新品マフラーは来るということなので、これに金を掛ける気は無いということです。

それならば、金が掛からないように修理方法を考えなくてはなりません。金は掛けませんが、時間は丸一日掛かっていますので、その分お待ちいただいているお客さんの仕事が遅れるということです。時々、突発の仕事が入りますので作成した工程表の通りに予定が運ばないことが言い訳の内容です。

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ここが折れ曲がったジョイントパイプ部分ですが画像は炙り戻した後です。若干のシワが残っていますが、マフラーの向きは正常に修復できました。

曲がったサブフレームも正常な位置に戻して取り付け状態を回復しておきます。

 

 

 

 

 

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割れたエンドキャップはプラスチック製です。

このパーツは単品で購入できないそうで、マフラーASSYで8万円掛かるということで迷わず製作です。

コストを抑えるため鉄板で板金製作です。

仕上げはつや消しブラック耐熱塗装です。

 

 

 

 

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擦り切れたカーボンバンドは単品購入できるらしいですが1万2千円掛かります。

ここもアルミステーとステンレスバンドを作って代用です。気に入らなかったら部品発注してください。

オリジナルを見たことが無い人は改造したことが分らないでしょう。

07年を最後に生産中止になってしまったCR85ですが、ここに保存されようとしている1台があります。

05モデルを私も所有していましたので、チャンバーとサイレンサー、アルミサブフレームなど作っていました。MFJ公認レースではサブフレームの純正以外の使用を禁じていますので、趣味的使い方が目的です。中古で入手したサブフレームが歪んでいたらしくシートが取り付かなくなっていたのを修正に持ってこられた車両です。

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サブフレームの歴史は83年モデルCRシリーズ125、250が最初です。それまではシートレールがメインフレームに溶接されていましたから、クリーナーBOXの脱着性が悪かったり、シートレールが大きく曲がったときは直し辛かったでしょう。

アルミサブフレームを初めて作って一般向けに販売したのはトライアラーRTL用で、川越街道沿いのホンダショップ和光で扱っていました。

製造はドリーム・トキで、CR用も作っていて神戸のワールド零パワー(杉尾良文さんの店)でも扱っていました。

それ以外ではアルミサブフレームは成りを潜めていた感じでしたが、MFJレギュレーションで使用禁止では現役レーサーはレースで使えませんから仕方ないでしょう。

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なんと、この車両は我社のチャンバーとサイレンサーもチョイスしていただいてます。

サスペンションもブリッツ・シュネルでモディファイされているようで、大人のミニモトという感じに仕上がっています。

2ストCRは段々部品が無くなっていき、現在レースで乗っている人もいずれは、別の車両に乗り換えていくことになりますので、いつか誰も持っていない時期が来るでしょう。

そのときに本当に貴重な1台となっていることでしょう。

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苦労して作ったサブフレームもカバーをつけてしまうと、殆ど見えなくなってしまうのが残念なとこです。

 

これは30年前に高専の同級生に撮ってもらった写真です。場所は松山オートテックの駐車場

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82年このころは昼間は学校、夜はクラブでバーテンのアルバイトやっていて、親に内緒でCR125の中古車を買って練習していました。このころでモトクロスは3年目でしたからモトクロス始めて33年も経ちます。

このあとコースで前転して初めて骨折を経験するのですが同級生と軽トラックで来ていたので帰りは助かりましたが、骨折を親に報告するのに焦りました。「階段から落ちた」とか嘘をついて騙しました。

親にバレないようにしないと止めさせられると思っていたので必死でした。

勉強もしないでオートバイの練習をするなどという行為を認めるような家庭ではなかったのです。

体力だけは無尽蔵かと思うくらいありましたので学校が終わって、毎日7kmくらいランニングしてからアルバイトに行っていました。今では当時の2割くらいしか体力も柔軟性も残ってない感じなのでモトクロスするのも相当疲れます。従って仕事に差し支えないようにあまり乗りに行かなくなってしまいました。

会社員辞めたころから転落人生で、自営業は定年はありませんが、退職金も厚生年金もゼロですからいつまで働けるかが、老後の生活に係ってきます。あと10年で高齢者と呼ばれる年代に突入しますので気力を強く持っていかなくてはならないと思っています。

そういうわけで、また古い音楽ですが、このジャンルの曲が最強であると思っているのでFIGHT MAN

'>野呂一生と渡辺香津美が一緒にやるなんていうのは2度とないことなので、これは残しておかなくてはなりません。

しかし野呂さんのギターはカッコイイ、どうしましょう。

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NSR250R 89モデルです。これはチャンバー製作のためお客さんに持ち込んでいただいたものですが、私が会社員時代に新車で購入して乗っていました。

2年ほど通勤やツーリングで使用しましたが出張が多くなり、オートバイとも不縁になりがちで段々乗らなくなり手放してしまいました。

あれから25年も経つのに、このように綺麗に保存されている人がいることに感心します。

 

買いなおそうと思っても、この年式は高額になっていることと、純正部品も絶販が多くなってきていますので止めておきます。チャンバー製作記は後日(1ヶ月ほど)掲載することにして

今回の題材はこれです。

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純正のサイレンサーですが、この何気ない部品に非常に高度な鍛造技術が使われています。

このボルト締めのフランジ部分と筒が一体成型であること、この製法が想像できるでしょうか。私は別の部品製造の打ち合わせで某鍛造メーカーへ出張したときに、この部品を見つけました。ホンダが発注するサイレンサーのメーカーは別にあるのですが、その会社から手配された2次メーカーだということです。

一般的には認知される企業ではありませんが鍛造専門として自動車工業界を支えている重要なスポットにあると思います。当時の打ち合わせの目的は、設計からは図面が出され、購買部でメーカーを選定して発注する、製作所では部品を受け入れて組み立てる。という自動車製造の流れの中で部品メーカーと受け入れ側の取り決めを行っていないと、担当が別々の人間が行っているので勝手に作られると量産が成り立たなくなるためです。

搬入の何週間前に発注するとか、ロットの大きさ(一回に製造する数)などは購買で取り決めします。私の担当は受け入れる部品に不良が混入しないための取り決めです。不良の検出は検査によって行いますが、製造工程で不具合を出さないことが重要で、そのための重点管理項目はどのようになっているか、現場ではどのように行っているか、実際に確認する必要があります。

そんな製造現場で見てきたものの中にこのサイレンサーのような一体成型があったわけですが、特殊な金型と大型のプレス機を使って、ビレット(仕込み重量と形状を管理された材料)を金型に押し込み、筒の部分は金型の隙間を滑りながら伸びてくるという、想像を絶する塑性変形を伴います。

通常は冷間で行うようですが、このような変形抵抗の大きいワーク(製作物)は必要におうじて加熱炉で温めて柔らかくしてから鍛造します。ここで、非常に高荷重で金型と材料が滑って変形していきますので金型と材料には特殊な潤滑材も塗布されています。

普通の鍛造はワークの型抜けを考えて「抜け勾配」がついているものですが、これは抜け勾配ゼロなのです。押し出し成型に近い製法であることが伺えます。

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これがエンドキャップ部分ですがフランジを内側カーリングで荷締めて固定されています。

これで非分解部品となるわけですが、ここまでの工程でサイレンサー外筒部分にフランジのタッピング以外に加工はありません。

全て金型と専用機で成型しますので人間の手作業はワークの運搬だけということになります。

品質は工程で作られるもの、人為的なミスや熟練の度合いで製品がバラつくことを防ぐということが量産の考え方でした。

なにしろ切削加工なしでサイレンサーが出来てしまいますので、無駄がありません。こういうことを業界用語で「歩留まりがよい」といいます。厳密にコストが算出され、安価に提供せよという親会社からの要求に応えた形ではないかと思います。

今の私の仕事は全く逆のことをやっています。量産はできないので、一個だけ作る人為的技術が製品の可否を左右します。おそらく量産を経験していないと、こういう発想も起こらなかったでしょう。

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シングルで最大排気量はDR800だと記憶していますが、これは2番目に大きいやつです。車体も大柄でいかにも外人向けな作りです。キックスターターもありません、セル始動なのが唯一の救いです。フルエキゾースト製作の依頼をお引き受けしたのですが、オーナーの境遇を聞かされて大変恐縮して作業に取り掛かっています。

それは、ご自宅が福島の強制避難区域にあるということ。避難先の社員寮に他のオートバイと一緒に移住しておられて、200km以上も自走して我社に車両もってきていただきました。

それを聞いたときに心を打たれました。原発事故がなければ自宅でそのまま好きなオートバイを大事にしながら過ごせていられたはずなのに、こんなことになってしまって・・・。幸い職場は再開されて経済活動はできていらっしゃるようですが、オートバイのことをあきらめないで乗り続けておられることに喜びを感じます。おそらく、大変多くのオートバイフリークが原発の影響を受けて、好きなことを諦めてしまったんじゃないかと察していたところです。

せっかく日本の原発がゼロになったというのに大飯原発は再稼動されるということです。高度成長期以降の日本の経済成長は原発を含めた電力がなければ不可能だったでしょう。もちろんこの経済を維持しなければ、社会保障や高齢者医療の財源が捻出できないということも充分理解できます。

しかし、原発再開に導く政策を決めているのは都市部の便利で快適な生活を営んでいる富裕層であろうということ、こういう人たちは、もう少し田舎に引っ越されて質素な生活を経験した方がいいと思いますよ。浪費している一部の人たちの幸福という名のもとに生活レベルを支えるために大きな犠牲を払ってしまった。なにより、処理困難な核廃棄物を作りつづけ、使用済み燃料プールももうすぐ満杯になってしまうというのに、最終処分の方針も全くきまっていないまま、この経済活動を続けるという動きは確実に将来、大きな災難が降りかかってくることを意味しています。何の反省も改善もみられない、事故の収束も止まったまま、国家のリーダーたちの采配に落胆するばかりです。

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現実は待ったなしです。先送りはできません。

結構仕事溜まっていますので、長くお待ちいただいているお客さんの希望に応えるために働き続けます。

XR650のデュアルエキゾーストは複雑な曲げカーブが必要なのでSUS304のパイプをこれだけの数曲げて、取り回しします。

SUS304は耐熱合金なので800℃くらい加熱しても強度があまり変わりません。手首の靭帯が切れてしまいそうな力を込めて曲げなくてはなりません。

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R曲げ9箇所になります。

溶接つなぎ終わりました。

クロスしたエキパイの製作は通常の1本ものと比べると加工時間が3倍になります。

ところが費用も3倍にはできないというところがこのエキパイの難しいところです。

材料代は現金で仕入れておりますので削減できませんが、人件費を削減して対応しております。

 

 

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ヒートガードも頼まれましたのでアルミ板金で製作しました。

最初はカーボンファイバーで、と言われたのですが我社では樹脂は扱っていませんので外注することになりますが、おそらくマフラー代よりも高額なヒートガードが出来上がってくると思いますので予算オーバーになります。

そういうわけで、これでしたら半日あれば充分なので迷わず実行です。

 

 

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フルエキゾースト完成です。

エンジン始動してみましたが、さすがビッグシングル!セルモーターでも始動にはコツがいる感じです。ホットスターターは付いていないCVタイプのキャブです。

たぶんキックスターターだとこのマシン嫌いになるでしょう。

チョークとアクセルチョイ開けの併用で目覚めました。バッテリーの電圧が命ですね。暖気運転中、エンジンストップして始動不能になって焦りましたが、10Aヒューズが切れていました。結構な発電能力を持っているようです。

ブローバイガス還元装置は取り外し大気開放にしましたのでエンジン回転が軽くなった気がします。ブリザーチューブから排出される圧力がエンジン内部に掛かっていることを考えると馬鹿にできないポンピングロスなのだと思いました。ノーマルの還元装置はブローバイガスをキャッチタンクを介してインテークに戻すしくみになっています。すなわち、エンジンの吸入負圧でケース内の圧力を抜くと同時に未燃焼ガスを再吸入して燃やすという働きをします。この装置を取り外したメリットはブローバイガスに含まれたオイルミストなどをインテークに吸引せずインテーク通路をクリーンに保つということです。万が一装置が故障してもケース内の圧力が上昇してしまうこともありません。

 

 

 

 

マン島の公道レースについて否定的な意見の人もおられるようですが、正しい論理で批判されているということを理解しながら、現代のモータースポーツと交通社会の係わりについて思うことがあります。

批判の要点は競争社会をベースに市場原理主義の縮図としてライダーや観客の命を軽視した観光産業と言われています。これはマン島TTレースの百年間に224名の死亡者を出しても懲りもせず、毎年危険な公道レースを続け、犠牲になった人は自己責任の名の下に葬り勝者を賛美しているどうしようもない人間の集まりと批評されているわけです。

そのように採られてもしょうがない一面はあると思いますが、これは合法で運営されている以上、日本の道路で交通違反をして事故を起こしている人たちからは批判を受ける筋合いは無いでしょう。私個人的には2輪の運転技術に公道やレース場の境界は無いと思っています。同じ技術をベースに道路に合わせて運転しているだけです。運転技術が高いということはレースの成績が良いことと、公道で安全に運転できるということに相関があるはずです。

日本では毎年1万人位、自動車事故で死亡しているらしいですが、自動車業界こそ競争社会、市場原理主義の象徴と言え、一部の顧客からの危険運転により交通事故が起きている現状をわすれてはなりません。少なくともモータースポーツに参加している人は運転技術の向上を目指して練習しているわけで、練習もしてないで道路で危険な運転をされては危なくて仕方ありません。

クローズドコースにおける技術より公道レースにおける技術の方が実際の交通の流れに入ったときに有効だと思います。実際の生活道路で限界の走行ができるのですから、法廷スピードで走ったときの安全性はレースに参加してないドライバーとは比較にならないでしょう。唯、レーサーだって人間ですから僅かなミスや疲労が重なって、レース中に事故が起きてしまったので、これを批判するよりレース経験も無いのにスピードを出す一般ドライバーに対して指導したほうが効果的というものです。

道路を走行中によく見かけますが、安全な車間距離をとって走行しているのに、周りのクルマよりスピードを出して割り込んでくる輩がいます。衝突しないのは周囲の運転者が避けてくれているだけということを理解する必要があるでしょう。上手い人は他人に不安を与える運転はしないはずです。

本題から離れてしまいましたが、公道バージョンのCRF250Xにレーサー用のサイレンサーを取り付けてみました。

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これはお客さんの依頼でエンデューロレースに出るために作ったサイレンサーで、250Xのノーマルより軽いこととパワーも上がっているはずです。

250Xのサイレンサーは米国EPA(環境保護庁)の認定を取っていますが、排気ガスの浄化より、枯れ草に火炎が飛ばないためのスパークアレスターを装備していますのでレーサー用より重いのは仕方ありません。

国内のエンデューロのスパークアレスターは義務付けられていませんので問題ないでしょう。

トレールバイク以外ではMXレーサー用のチャンバーとしては最も長く作り続けている車種YZ85です。80cc時代も含めると17年になります。

現在使用している組み立て治具に年式が書いてあるのですが、02年とありますので10年間同じ型で毎年製作してきたということです。本体のエンジンも01年あたりで、クランクケースやクランクシャフトが一新されましたが、そのまま開発は止まっているようです。 CIMG1179.JPG

YZ85は80時代に比べれば低速トルクもありますが、それでも排気デバイスを持った他メーカーの車種に比べると高回転高出力なエンジン特性です。

このチャンバーのコンセプトは低速から中高速へ繋がるパワーの上昇をフラット化して乗りやすくしてあります。ノーマルでも高回転をキープできる技量のライダーなら速く走れますが、低速コーナーが続いたり、スリッピーな路面では神経質にならざるを得ないでしょう。そういう部分で乗り手を助けてくれるはずです。

サイレンサーにおいては排気抵抗を軽減して軽いエンジンレスポンスを目指しつつ騒音もノーマル以下を実現しました。

これは車両が今でも新車販売されていることもありますが、若年層を中心に扱いやすさが評価されていることで製造が継続できていると考えられます。大体年間10台ほどの注文がありますが、仮にまとめて作るとすると20日くらいで出来ます。1ヶ月に満たない仕事量ですが、10年間継続してきているということで、この企画が間違っていなかったものと確信しています。

4ストのYZ150Fの噂もありましたが、欧米で需要が見込めないと判断されたとも言われていますが、メーカーとしてもミニバイクに250クラスと同等のコストをかけて販売するという暴挙にでる必要もないという冷静な判断の結果です。

しかし、この先10年、20年と同じエンジンを作り続けるとは思えません。時期モデルがどのように変化していくかが興味を持たれるところですが、おそらく20年後私が生きている保証がありませんので、やるなら早くやっていただけませんかヤマハさん。

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元英国皇太子妃ダイアナさん2回目の来日のときでした。90年11月(29才)

当日の朝まで訪問されるVIPの名前は極秘扱いでしたが、自動車の製造現場に王室の方が来られることは非常に異例だと思います。

これも、英国人が自動車の文化に親しみがあり、モータースポーツにも理解が深いことを表している証拠です。皇太子妃をお迎えするために、ホンダエンジン搭載した英国コンストラクター、マクラーレンのレースカーと出来上がったばかりの新型車NSXを、工場の中庭に展示していました。

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これほど貴賓に満ちた女性を見たことがありません。

これから油まみれの機械と部品がひしめいた製造ラインへ視察に入られたのですが、自動車の華やかな部分だけではなく組み立ての過程に興味をもたれたところに、好奇心旺盛なダイアナさんらしさを垣間見ることができます。

これは貿易とか商売の目的ではなく、彼女個人の遊び心と日英友好の標であったと思います。

こんな自動車好きの国民性ですから国内のいたるところにサーッキットがあり、オフロードコースやダートトラックならどこの町にもあるくらいモータースポーツも浸透しています。戦時中の首相チャーチルさんの住居、ブレナム宮殿の敷地内でWRCラリーを開催したとか、アイルランドのマン島では島中の公道を封鎖してTTレースを開催しても何の問題もない国ですから、モトクロスのネイションズを開催するのに、国有か個人所有かわかりませんがお城の敷地を解放して、世界中の元トップライダーを集めてベテランズ版ネイションズも開催しています。

ジェフ・スタントンを追うジェームズ・ダブの迫力あるシーンが7:00あたりで見られます。モトクロス通の人なら他にもお気に入りライダーが見つかるでしょう。

ここのすごいところは、80年90年代のビンテージマシンが当時のようなワークス体制で参戦しているところで、デビッド・ソープやジェフ・スタントンなど英米のチャンピオンライダーの走りもすごいですが、マシンのコンディションも万全体制で車両みるだけでも楽しめそうです。確かこのコースは80年代にWGPで使った場所ですね。エリック・ゲボスが500ccで走っていたころビデオ鑑賞した覚えがあります。

'>動画の最後の部分にあるダニーMAGOOチャンドラーのメモリアルを見て改めて感動しました。

82年ドイツで250cc、83年スイスで500ccに乗って、全てのヒートで1位という、ネイションズ史上パーフェクトモトフィニッシュを決めた唯一人のライダーということで表彰されています。

チャンドラーさんは去年亡くなられましたが、私には忘れない記憶があります。狭山工場に配属されて最初に栃木のテストコースへ出張したときに宇都宮駅前に会社のバスが向かえに来るのですが、バス停で待っていたチャンドラーとジョニー・オーと一緒にバスに乗っていったことです。こんな世界で一流のライダーの隣に座っていくなどという、他愛無いできごとですが運命を感じます。

英国出張中に滞在先のホテルでよく見てました。日本と違ってモータースポーツ関係のTV番組が充実しているヨーロッパ。専門誌でいくら扱っていただいてもメジャーにはなりません。お茶の間でTV観戦できることが必須でしょう。地味な陸上競技の選手でさえ、日本中で有名になれるのはTVのおかげといえるでしょう。残念ながら日本ではスポンサーにつく企業もないので番組制作できないわけですが、世界1のオートバイ生産国でありながら、モータースポーツ作りとなると後進国という奇妙な国です、我が国は。

ホンダオブUKの所在地、スウィンドンから近いフォックスヒルの世界GPです。カストロールの本社もスウィンドン市内にあります。

先ずは1997の125クラスから、私の好きなアレッシオ・キオッディが走っています。この年にtm125でチャンピオン取りました。

 

'>キオッディが好きな理由は小柄なのに125ccで3回世界チャンピオンを取っている速さをもっていることです。菅生の世界GPで本物のキオッディを見ましたが、YZ250Fのシートが非常に薄かったことに感動しました。小さくてもやれば出来る!という証明でした。

 

お次は1998のネイションズです。会場は同じくフォックスヒルですが、雨の影響でマディーバトルとなりました。

ヒート2は全員スタックして登れない坂をステファン・エバーツが唯1人登ってみせた伝説のシーンが1:45あたりで見られます。オーバーオールは当然ベルギーチームでした。

 

'>日本のモトクロスも殆ど雨のマディーコンディションですから、このGPライダーの走りを目に焼き付けて練習に励むといいでしょう。

40代、50代を過ぎたオッサンが集まると昔話を始める習性があることに気付きました。私もその一員であることに間違いないです。

新しい世界には不安な要素(エネルギー問題、自然災害、増税、高齢化、・・・)が山積ですが、過去の思い出は自分を苦しめることもなく、愉快な気持ちにさせてくれることが昔話をする要因でないかと思います。

1979年、私は15歳でした。私が生まれる前年に創立された新居浜高専に第16期生として入学しました。金属工学科、空手道部所属、入学の動機は幾つかあって、専門課程を学べる、全寮制あること、免許取得OK、空手道部あり、でした。2年生に進級したころ、通学生用の駐輪場にボロい自転車が同じ場所に毎日置いてあるのを見て、てっきり卒業生がいらない自転車を置いていったのだろうと思い、勝手に取り込んで乗り回していました。

1週間くらいたったでしょうか、その自転車を寮の前で乗っていたら、上級生に呼び止められ「それは俺の自転車だ!」といって取り返していきました。そのとき初めて自分の過ちに気づきましたが、既におそかったようです。まもなく、同級生から「指導寮生の家田さんが呼んでいる」と告げられて家田さんの部屋へ行きました。

指導寮生とは、下級生の朝の点呼や生活態度の監視を任される代わりに広い個室を与えられた上級生のことです。家田さんは、学生会長であり、空手の極真会館新居浜支部道場の師範代ということも知っていましたので、自転車泥棒の制裁として半殺しにされるのを覚悟して部屋のドアをノックしました。

「入れー」という声がして部屋に入ると、ベンチプレスでバーベルを上げたまま、こちらに目線を向けることなくトレーニングする家田さんがいました。そのままの姿勢で「何で自転車を盗んだ?」迫力のある声に圧倒されながら「す、捨ててあると思いました・・・」明らかに怯えた声で答えるのが精一杯でした。

そして、静かにバーベルを置いて立ち上がり私の正面に来て、正拳が唸りを上げて顔面で寸止めされました。「今度やったら顔潰すぞ」という一言だけで退室を命じられました。学生会長という立場上、体罰という行為を控えたということでしょうが、私は真剣に反省するのに充分なインパクトでした。

高専の空手道部は松涛館流という型を重んずる流派でしたが、組手は寸止めルールなので、実戦空手を習いたいと思い極真会館新居浜支部へ練習にいきました。そして指導員をされていた家田さんから、事件のことは無かったことのように親切に空手のアドバイスをいただきました。本当に強い人は技術だけでなく人間性も磨かれているものだと実感した瞬間でした。

この新居浜支部道場を開設した芦原会館の総裁、芦原先生に直接お会いしたことはありませんが、金属工学科の同級生で山田ユーゾーという男は直接指導を受けたそうで、新居浜支部道場の物件探しに同行していました。芦原先生はヘビースモーカーでクルマの中でも常にタバコを吸っていたそうで、ユーゾー氏が「そんなにタバコを吸って、大丈夫ですか?」と尋ねたら芦原先生は「試合は3秒で終わるからスタミナは必要ないんだ」という先生ならではの答えが帰ってきたそうです。そしてユーゾー氏は高専は3年で中退して大阪でキックボクサーの道へ進みました。

当時青少年に影響を与えた漫画空手バカ一代の第2部、世界制覇編の作者、影丸穣也さんが先日亡くなられたということをニュースで知りました。私たちに生きる勇気と力を与えてくれた、原作のモデルになった芦原先生、漫画の作者影丸先生にご冥福をお祈りいたします。                    押忍

 

'>

極真会館の道場は練習のやりがいはあったのですが、月謝が払えず辞めてしまいました。そのころ、新聞配達のアルバイトはやっていましたが、単車の購入資金に消えてしまっていたのでした。

もうひとつ1979といえば、大事なものがありました。

'> 

この人たち当時20歳そこそこで、このような作品をレコード制作して売り出していたんですね。すごい成熟した人たちでした。いまではありえないメンバーの競演なので語り継いでいきたいです。

 

 

世間は大型連休中ですが、予定の業務が終了していない弊社はエンドレスで進行中です。

1ヶ月近くお預かりしているマシンのチャンバー製作に着手しているところですが、予想に反して手強いです。

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TZR250の後期モデル、89年から3年しか生産されなかった前方吸気、後方排気という珍しいレイアウトのエンジン。

91年からV型となるため並列2気筒としては最後のモデルとなります。

しかし、このレイアウトはメリットとデメリットがあって総合的にはどうなのか、いろいろ乗り込んだ人しか分らないと思いますが、私個人的には面白いですね。

何で他の機種ではこういうレイアウトが採用されなかったのか興味深いところがあります。

クランクケース吸入ですから、キャブレターが後ろでも前でも吸気量は同じですが、通常レイアウトではキャブレター周りが熱くなってしまいますが、前方なら冷やされますから、フレッシュなエアーが吸入され充填効率が上げられるでしょう。排気管も後ろ向きの排気ポートからストレートに排気され抵抗も少ないでしょう。

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チャンバーの寸法は依頼者からエクセルで作図したものをメール送信していただき、それに従って製作するだけです。ところが、真っ直ぐなパイプを作るわけではありませんので微妙なカーブを作ることで難航しています。

左右のエキパイを成型して口元フランジを固定してみると、これではパイプの位置が高すぎます。シートの下が近くて配線などが焼けてしまうことになりそうなので、やり直しです。ここまで2日かかっていますが、惜しげもなく廃却です。

 

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即効で少し下向きに変えたカーブのエキパイ2本を作成して続行です。

このようなことを繰り返していますので予定どおり業務が進まないということになります。

納期は約束しても無駄ということです。

初めて作るものはどうしても時間がかかりますが完成したときの喜びも既成品とは違うものがあるのです。

 

 

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うーむ、官能的です。

リヤストレートとは名ばかりで、クネクネ曲がってないと、サブフレームやサイドカバーと干渉してしまうので、必然的なカーブを描いています。

これからテールパイプとサイレンサー2本作らなければ完成しません。

あと20時間くらいでしょうか、もうひと頑張りします。

 

 

 

CIMG0802.JPGサイレンサー2本、リヤカウルに空いた穴から突き出しています。

4ストのセンター出しは、このモデルから発展したと言えます。センターはリヤタイヤが上がってきますので、チャンバーは両側に張り出した形状にしないと当たります。

サイドカバー付けると全部隠れて見えなくなりますのでストリップ状態だとこのようになります。

これでオーナーの設計されたチャンバースペックで製作が完了しました。

GW+3日の工程費やしましたので、この後も過密スケジュールで進行していきます。

 

 

ワンオフ製作のチャンバーを希望されるお客さんは次のことに、ご注意ください。

製作したいチャンバーの寸法図、または見本が無い場合はお引き受けできません。チャンバーの諸元はエンジンの仕様と密接な関係がありますので、車種毎に専用設計になっています。寸法図が提示されない場合は新規に設計しなければなりませんが、経験の無い車種のチャンバーをゼロから製作するとなると相当な試作とテストを繰り返さなければ、満足な物は作れないでしょう。そういう決まっていない試作などの期間や費用はお約束できるものではないということが理由です。

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今回のDT125は全く経験ありませんでしたが、製作できる可能性があったことと、こういう依頼に対応できないと、弊社の存在意義も無いと考えましたので、お引き受けすることにしました。

ワンオフなど安易に引き受けるものではないことを思い知らされる例でした。

DT125といえば水冷エンジンのチャンバーしか経験が無かったのですが、このマシンは空冷エンジンでした。初期型は78年ですがこれは後期型の80年モデルのようです。

依頼内容はRZ125チャンバーのスペックで作りたいということだったのですが、ボア、ストロークが56×50で同じなので使えると思ったのですが駄目でした。ノーマルチャンバーの寸法とRZ用が違い過ぎて、おそらくパワーダウンするだろうと予測したからです。

では空冷エンジンのレーサー用ということで77CR125が56×50で同じボア、ストロークなので使えるのではないかと試作に取りかかったのでした。

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これが77CR125スペックですが、試乗してみて落胆しました。

全体的にトルク不足で高速も伸びない、ノーマルより全然走らない失敗作でした。

カタログ値だけの性能比較ですがDTは13PS/7500rpmに対して77CRは22PS/10000rpmということで、同じボア、ストロークでも性能が格段に違うということ。ポート形状やピストン形状など他の要素が大きく違っているためにチャンバー形状も違ってくるということを物語っています。

当時のDTと同じ鋳造型で製造されている80年式YZ125も同じボア、ストロークですが、26.5PS/11000rpmという高回転高出力型の特性を持ちます。一般市販車のDTの性能が違うのは公道での乗りやすさや安全性を重視した結果と考えられますので、やはりノーマルチャンバーをベースに作らなければならないということです。

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ノーマルチャンバーは膨張部が2重構造になっていますので、外形寸法からは内部の寸法が測れません。

ストレート部とコンバージェント(収束)コーンは125クラスの過去データーから妥当な寸法を導き出し、推測して決めました。

ようやくワンオフ製作に掛かることができます。

 

 

 

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テールパイプがモノクロスサスのショックとクリーナーボックスの狭い隙間をクネクネと曲がって通してあります。こういう部分は実車がないと製作不可能です。

サイレンサーも頼まれましたのでレトロな雰囲気のオールアルミで仕上げました。

試乗してみましたら、ノーマル同様の特性で5000rpmから8000rpmまでパワーバンドが広がる乗りやすいものにできました。

8000rpmからレッドゾーンなので、レーサーのように高回転で回す必要がないエンジンです。

32年前のオートバイなので部品も廃番になっています。壊さないように走り続けていただきたいと思います。

80年代フュージョンミュージックの金字塔を打ちたてた、ギタリスト渡辺香津美の演奏動画を探していましたら偶然見つけました。

この演奏は2010年撮影らしいですが、この楽曲を収録したLP盤レコードを学生のころ持っていて、よく聴いていました。

そして、再結成されたTO CHI KAバンドのKeyボードを弾いている男に見覚えがあるなと思ったら、自分の兄でした。隣の入間市に住んでいるのは知っていましたが、一緒に遊ばないので10年くらい合っておりません。

では、先ずは演奏と動画をお楽しみください。

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レストア界の最高権威、小林さんから溶接肉盛りを頼まれたケースカバー。

左ケースと思いますが、車種が分らない私が質問しましたら、ホンダSAだとおっしゃいました。1955年製の同車種ですが、最近まで実動で、イタリアで開催された2000kmのラリーを完走して年代別クラスで入賞したマシンだそうです。

ヨーロッパの旧車レースは日本とは比較にならない人気とレベルの高さが予想されます。

自分を育ててもらった会社のマシンですから、恥ずかしながら調べてみましたら、これがホンダの2輪車の歴史上重要な役割を担ったマシンであることがわかりました。 ドリームSA.jpg

ホンダコレクションホールの展示車画像から拝借しました。

たしかにこの車両の左ケースが同じ形状を呈しています。

これがホンダ初の4ストエンジン、OHC単気筒250ccです。

本田宗一郎さん直々の設計で、夢の4ストロークエンジンが完成したので、ドリームという車名を与えた最初のマシンです。

製造された1955年にレースに出場しています。日本にサーキットが無かった時代で

7月に第3回富士登山レースで250ccクラス優勝。11月の第1回浅間火山レースで250ccクラス2位入賞という快挙。因みにこのレースの優勝はライラックに乗る伝説のレーサー伊藤史郎でした。

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修理内容は、オイルドレンに亀裂が発生したため溶接肉盛りをすることです。

古いダイキャストですから表面を少し削って地金を出す必要があります。

酸化皮膜が溶接不良を引き起こすためです。アルミの溶接は交流TIGを使いますが、交流は極性が+ー交互に流れる高周波です。+イオンを衝突させ酸化皮膜を除去しながらー電子でアルミを溶かします。この酸化皮膜が強固な場合、除去できずに上手く溶けてくれないため、予め削っておくことが必要です。 

 

 

 

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内側もこの通り一皮剥いて、浸み込んだオイルの脱脂も行います。

 

 

 

 

 

 

 

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ネジ穴の内側から溶かすように溶接棒で埋めてしまいます。

ここに新たなネジ穴とボルト座面を加工するのですが、私の仕事はここまで

続きは小林さんのレストア工房の加工機で行います。

サンドブラストで全体を美しく仕上げて、消耗部品も新品交換して組み上げますので、新車同様のコンディションになるでしょう。

小林さんは、ホンダのワークスレーサー、ダブルプロリンクや2気筒RCなどの開発を勤め、オートマチックRC時代のHRC監督でしたが、その後、会社命令でコレクションホールの立ち上げを任され、茂木の展示車両は同氏の作品であります。

英国バーミンガムのモーターサイクルミュージアムも見た事がありますが、展示台数は多いですが、旧車のコンディションは悪かったと思います。それに比べて、茂木のコレクションホールは全車動態保存で外観も新車同様、F1やMotoGPの歴代チャンピオンマシンも保有していることで、間違いなく世界一の2輪4輪博物館であると同時にホンダの偉業を実物で感じ取れる、後世に伝えたい異空間であることを申し上げておきます。

国内のモトクロッサーの排気量では250クラスがスタンダードだと思っていますが、中でも業界のリーダー的存在のホンダが製造しているCRFに力を注いでマフラーを作っています。 

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2012モデル用ですが

弊社オリジナルの特徴に触れてみたいと思います。

少量生産なのでアルミとチタン板、チタンパイプをハンドワークで加工しています。

 

 

 

 

 

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フロントキャップの部分です。通常、板物のキャップで作られるパーツですが、アルミ塊から削り出しています。板物の場合、クラッシュして大きな荷重が掛かったときに歪み易いのでアルミ塊の方が荷重に耐えられます。

チタンパイプが圧入してありますが、アルミが熱膨張してパイプが動いてしまうのを防ぐために、キャップ内側にフランジを溶接してボルト止めしてありますので絶対に動きません。

 

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エンドキャップ部分はチタン製です。リヤパイプの内径と長さの適正化により、騒音低減とパワーアップの両立を実現しました。騒音は2mMAX法で楽々クリアします。

菱形断面のアルミパイプは曲率の小さいR曲げと平面の面積を縮小することで、剛性を上げています。ノーマルのアルミサイレンサーより強度が高いと思います。

結合はM5のネジ止めにしてあります。ステレスリベット加締められるエアリベッターがなくてもヘキサゴンレンチだけで脱着できるのでグラスウール交換も容易にできます。

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フロントキャップの結合はM6のボルト止めで、こちらもヘキサゴンレンチで脱着可能です。

分解可能にすることで、ダメージを受けたパーツ別に修理したり交換することを前提としていますので、このマフラーのオーナーには、クラッシュしてダメージを受けても使い続けていただきたい思いを込めています。

 

 

 

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エキパイとミドルパイプの結合部分はガスケット不要です。

ノーマルのガスケット仕様ですとサブフレームの動きにあわせてサイレンサーも振られますので、ガスケットの内側でエキパイ端末が動いて、潰れてしまっているのを見た事がある人も多いと思います。

0.1mm隙間で嵌め合いしてありますので勘合部分の剛性が上がってパイプ端末が潰れないで済みます。

 

 

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手曲げエキパイはノーマルと同寸ですが重量は200g軽量、サイレンサーは、なんと1kg軽量になります。

またチタンは錆びないのは勿論ですが、泥汚れもつきにくく、マフラーの素材として理想的です。

製作費はエキパイが2万円、サイレンサーが48000円という量産品並みで提供させていただきますが、ハンドメイドなので納期は業務の状況で変動しますのでメール等でお問い合わせください。

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CRM250のチャンバーはARとRR(3型)で若干の仕様変更があります。チャンバー諸元は同じですが、口元フランジの穴位置と下側マウントステーの穴位置が違いますので、ARとRRは互換性ありません。

我社にとって、この10年間で最も売れたチャンバー、サイレンサーがCRM250です。数えてはいませんが200台くらいです。殆どのお客さんは、チャンバーとサイレンサーのセットで注文されますが、勿論どちらか一方でもノーマルに取り付くようになっています。

およそ半数はクローム鍍金を指定されますが、これは外注費として15000円別途かかりますので、総額39000円という少し高価なものになります。私的にはチャンバーは未塗装で焼け色を楽しむものだと思っていますので、邪道と思っていますが、乗りっぱなしでも錆びがでないクローム鍍金の手間要らずで外観がかわらないことは魅力かもしれません。

CRMの実車が近くにありませんので、装着画像は撮れませんが、鍍金工場から引き取って梱包する僅かの時間で完成品画像を取ってみました。

理想は、ラインナップ品は在庫をストックしておいて注文されると直ぐ発送、という形を取るべきですが、何を頼まれるか分らない上に1品あたり15時間程度製作にかかるため、オーダーが溜まってしまいます。通常1ヶ月以上、お待ちいただいているのに在庫品のために時間を割いている余裕がないということです。お待ちいただいているお客様には、申し訳ありません。

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耳の痛い話ですが、80年代のモトクロス全盛期に存在したレース場のうち9割以上が無くなっている現実をご存知でしょうか。

関東では新潟の川西モトクロスコース以外、全てのコースが閉鎖されてしまいました。現在はその後つくられたコースで運営されていますが、コースが閉鎖される理由は幾つかあると思います。その一つに騒音問題というものがあって、コースの近隣住民から苦情を受けて対策を迫られるということがあるようです。

2輪メーカーは、国内においてはMFJ公認車両を製造することが、目的でありますから

MFJ公認レースが開催されて、それに適合した車両が販売されれば目的は達成なのです。近隣から苦情を受けるような場所でレースすることについては対応できないということが現状でしょう。実際、全日本開催コースで苦情がでた話を聞かないですし、市街地であったとしても川口や伊勢崎のオートレース場ではモトクロスの比較にならない爆音でレース開催できていますし、その場所で暮らす人たちの認識の違いもあるでしょう。そんな折、関西方面のコースでも騒音問題で一部車種が走行を断られるという対応をされているようなのです。あちらのコースで走られているお客さんから依頼がありまして、2011モデルYZ250Fのマフラーを消音加工してみました。お客さんの話では2012CRF250レベルだと問題ないそうで、カワサキかヤマハが問題の対照となっているということです。

送られてきたマフラーはYZ250FのUS仕様のサイレンサーとエキパイで、国内のノーマルより当然、うるさいとおもわれます。比較検討のため、ノーマルは手をつけずにUSの方を加工することになりました。

よく暫定的にマフラーの出口にバッフルを装着することがありますが、チューンアップされたエンジン性能を損ねることと、バッフル長が短く、出口付近にあるため風切り音が出てしまい、耳障りな音に変わったりして満足な効果は得られないでしょう。

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目的は暫定的な処置ではなく、CRF250並みの消音性能を目指すということで、取り外せる仕様にはなっておりません。

リヤパイプの内径を縮小しつつ、長さも延長しています。排気の吸い込みが有利になるように吸い込み口をテーパー状にしてあります。パンチングの太さはパワーに影響しますので細くしません。

マフラーの容積がCRFより小さいので同等にはならないですが、ノーマルに比べると違いが歴然となるでしょう。

 

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グラスウールが消音する上で重要なアイテムになります。

US仕様に組み込まれていたのは旧型のノーマルグラス&ステンウールでしたので、ホンダ純正に取り換えました。ヤマハさんに申し訳ないですが、こちらの方が消音性能が上なので、純正部品代7600円投資する必要がありました。

CRFサイズは画像の通り量が多いのでYZ用には2割ほどグラスウールを間引かないと入りません。

 

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エキパイもノーマルにサブチャンバーを仕込みました。騒音は1dBほど軽減されますが耳で聞いた程度ではあまりわかりません。

車検で数値ギリギリだったとすると1dB余裕ができるといった具合です。

パワーアップは殆ど変わらないでしょう。むしろ大人しい特性に変わります。直管に横穴が開いてサブチャンバーに入ることになるので排気の勢いが下がり、パワーがマイルドで騒音も少し減るということになります。

マフラーは排気することだけでなく、燃焼室と吸気系が連動していて、排気された分だけ空気が吸入されて適正な燃料がミックスされることで充填効率が上がってパワーアップに繋がるということです。マフラーに蓋をして騒音を下げるという手法は吸入の妨げになってパワーダウンすることになります。

パワーダウンは承知で、そのコースで走り続けるか、問題ない場所まで移動して走るか、いずれにしても最盛期のモトクロスから比較して、やりにくい時代になってきたと思います。

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ダイノジェット計測でお世話になっているmotoGLADさんとこのテイスト仕様のロードレーサーです。

チャンバーのワンオフ製作をやる予定ですが、今月中の納期なのに今頃取りかかっていて大丈夫なのでしょうか。

社外品のチャンバーが付いていましたが、満足できず新作してほしいという依頼で、内容を確認しますと、中速の加速が緩く、高回転も頭打ちが早い。サーキット走行では少々物足らないと感じるようです。

チャンバースペックを測ってみましたら、どうやらストリート向けで強烈なパワー特性を控えたおとなしい乗り味になっている様子です。

幸い弊社では17年かけて溜め込んだチャンバースペックが多数、秘蔵ノートに書き込んでありますので、これは2ストパラレルツインの250ccなので125シングルエンジンのレーサースペックを引用して製作していきたいと考えています。

それから形状デザインですが、付いていたチャンバーはエキパイがクロスしたタイプでしたが、右バンクで路面とヒットしてしまうのでレイアウトを見直す必要があります。当然左右非対称となりますので、違う型を2種類作ることになります。筑波サーキットは右の高速コーナーが多いので右バンクの条件が厳しくなってしまうのです。

ではこれから1週間はこれに専念することになりますので、他の仕事は一切できません。戦闘機向けのチャンバー製作は最も意欲的な作業であります。

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チャンバー形状を見直す工程ですが、膨張部分が後ろに位置すると、リヤサスのリンクと干渉するため外側に張り出してしまいます。フレームから僅かにはみ出した部分がフルバンクしたとき、路面と擦ってしまうので

膨張部分を完全にフレームの下に収めるレイアウトを取らなければなりません。

そのためエキパイ部分をなるべく前方に取りまわすために、このようなクロス形状にしてみました。膨張部分とダイバーコーンは左右別形状になりますので、このあと展開図を作成していきます。

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右側のチャンバーは、このとおり繋がりました。膨張室を完全にエンジン下部へ追い込んであります。

次に左側のチャンバー形状を決めます。

 

 

 

 

 

 

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左側はこんな形状です。チャンバーのスペックは左右同じなのですが微妙に形状を変えないと、フレーム下にピッタリと収まりません。もうガチガチのクリアランスで5mm動かすとフレームやステップブラケットと干渉しますが、これでフルバンクでも路面と接触することはないでしょう。

あとはマウントステーとテールパイプを溶接してサイレンサーを取りつけます。

 

 

 

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取りつけ確認して完成です。

サイレンサーは125ccシングルの標準的なサイズです。サイレンサーマウントはありませんのでテールパイプ溶接部に補強パッチを当てて亀裂防止してあります。

motoGLADさんはロードレース経験豊富なので、キャブセッティング、パワーチェックなどお任せしたいと思います。

チャンバーは未塗装です。運転中の排気熱で焼けてしまえば、錆びの進行が遅くなりますので問題ないですが、長時間保管する場合は防錆スプレーか耐熱塗装がよいでしょう。

これは、ラインナップではありませんが、お客さんの要望で作ってみました。

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アルミの筒とチタンカップの組み合わせですが菱形断面にしました。オーバルより曲率の小さいR曲げにより剛性があがります。

その反面、チタン板の曲げが固くで難義です。プレス機なしで手加工ですから力技で成型しています。

250サイレンサーと同じ形状ですが、450の排気量にあわせて全長で50mm長くしてあります。完成してから2mMAX法で音量計測します。

 

 

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2012年型CRF450です。オーナーはフラワーオートの嶋野さん。

80年代、ATV協会創世記のころの3輪バギーチャンピオンで、あの"ダミアン号"の運転手でした。60歳過ぎても新型の450でMXでトレーニングする理由は、同年代の仲間が薬飲んでないと健康でいられないのに、MXで体を動かし汗をかくことで体力を維持するためだといいます。

友人が「嶋野くんは本当に薬を飲んでないのか?」と驚いて聞かれたので「MXが薬の代わりだ、バイ〇グラは時々飲むけどな」と笑いとばしたそうです。

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サイドカバー付けた状態ですが、サイレンサーエンドの位置がノーマルと同じです。

エンジンかけて吹かしてみましたが、アクセルのレスポンスもよく乗りやすそうです。騒音も思った以上に静粛で、2mMAX法で計測してみましたら110.6dBでしたので250と同等の消音性能を発揮しています。

今年、MCFAJも登録されたそうなのでレースの方も頑張って続けていただきたいと思います。

再生中だったCRM250の2WDですが、欠品していたフロントフォークのスプリングが組み込めましたので、走行可能な状態になりました。

世の中の多くの理論は聞いた話や本で読んだりした知識に基づいています。実際に体験したことと見たり、聞いただけの知識では、理解の度合いに大きな隔たりがあるものです。やってみなければ、答えがわからないから無駄なことに、お金をいただくわけでもなく大きな労力を費やしてきたのです。そして4輪メーカーがあれだけ多くの4WD車を普及させてきたのに、2輪の2WDが普及しない理由を身をもって体験したのでした。

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この車両がトレール車のスタイルをしているため、試乗にはMXコースが適しているだろうと思いオフビレで走ってみました。

平な路面は、当たり前ですが普通に走ります。前後輪が互いに駆動力を持って転がっていくので両輪が別々の方向へ向かおうとします。そのことが独特の直進性とハンドルの重さを発揮するようです。この時点では普通の1WDの方が乗りやすいでしょう。

このクルマの構造上、MXコースを走るには問題がある点が大きく二つあるように思われます。

一つはこの三つ又の幅、ハンドルを切ってもフロントのチェーンが当たらないギリギリの幅ですが、ノーマルのそれとは大きくことなります。同時に幅広のフロントタイヤ、フロントアクスル。これらがハンドルを切ったときの慣性モーメントを増大させ悪影響を発生します。特に高速でギャップを通過するときに路面からのキックバックを激しく受けてハンドルを揺さぶります。抑えるのに相当な力を要しますので、危険でしょう。

二つ目はフロントの重量、駆動系とフロントホイールなど、おそらく10kg近く増量に加え、フロントフォークが89年式のノーマルなので、明らかにサスペンション性能不足です。中型のオンロードバイクでジャンプを飛ぶくらいのイメージです。あっさり底突きしてしまいますので、深いフープスや連続ジャンプの走破は無理でした。そもそもMXではフロントを上げてギャップを通過するテクニックが必要ですが、このクルマでは苦手です。こういう結果でオフロードをハイスピードで走ることには適さないという結論に至りました。この2WDの真価を発揮するには、グリップの悪い登坂路面か、タイヤが潜ってしまう泥か積雪の路面のような場所が適しているでしょう。また機会があれば、雪が積もった日にこのクルマを持ち出して試乗してみたいと思います。1WDでは走行不能なコンディションであれば2WDのすばらしさを堪能できると思います。

以上が2WDが市販されない理由だと思いますが、この問題点をクリアさせる技術開発をおこなったとしても販売台数的に利益が見込めないと2輪メーカーが判断したと想像します。いずれにしても、貴重な実験車両を保存して、いつでも走れる状態にしておきたいと思います。

 

およそ45年くらい前に製造された車両でしょうか。これは、CSというロードスポーツタイプですが、これと同形式のエンジンを搭載したCLというスクランブラータイプが私の実家にありました。

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CL90はオヤジがスクランブルやるために買ったものではなく、会社に通勤するための実用車だったのです。母親は私が8才のときに亡くなっていましたが、記憶に残っていることがあります。

当時、父親は自動車は所有していなかったので、夫婦で買い物に出掛けるときは、オートバイで2人乗りのスタイルでした。まだヘルメット着用は義務でなかったですが、父親はシールド付きハーフキャップ被って、ジャンバーにスラックス、革靴という真面目な服装で乗っていて、母親は頭にスカーフを巻いて、ロングコートの下はスカートでタンデムシートに跨り、ヒールの踵をステップに引っ掛けて乗っかっていました。要するにお洒落着のままオートバイに乗って出かけていたのですね。そんな母親を見て「お母さんは風呂敷被っとった」と父親は言っていました。 40年以上前の話です。

その後、通勤車は自動車に代わったのでCL90は置きっ放しになっていました。私が中学2年になったころ単車に乗りたくて、乗りたくて我慢できずに、親が寝静まったころ、こっそりCL90を持ち出して乗り回すようになりました。クラッチもギヤチェンジも知りません。乗り方教える先生もいません。中学生がたった一人で真夜中の山道で、ライトを頼りに練習していました。真冬で寒かったので、ジャンバーの下に新聞紙を入れて真っ暗な道路を疾走しては、親に気づかれないように返しておく日々が続きました。悪いことは続かないもので、運転に慣れたころに国道を走って遠出したところで警察に捕まって、バレてしまいました。13才のころですから少年法で刑罰はありませんでしたが、夜の監視が厳しくなってしまいました。モトクロス場では13才どころか10才以下でも堂々と単車に乗れるのに、私らが子供のころの環境では非行の元としか見られていませんでした。早く就職して自由に単車に乗ってやると、強く思ったものでした。

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このオートバイを見てそんな昔のことを懐かしく思うのですが、今こうやって現役で走っていることが羨ましく感じます。あの思い出のCL90は、私の非行が元で、処分されてしまいましたから。

頼まれたのはメガホンのマフラーですが、レーシング仕様なので消音器は入っていません。浅間火山レースを彷彿される直管です。長さとテーパーの角度はノーマルのマフラーの中身を参考に最適寸法を推測して製作しました。成績を全く気にしない楽しみのためのレース仕様です。

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欠品していたフォークスプリングも何とか中古品が見つかり組み上がりました。

赤色に塗装されていた、リヤフォークやフロントフォークアウターチューブ、そしてチャンバーの剥離を行って、見た目スッキリさせました。

チャンバーは10年ほど前に自分で作ったやつなので、嫁に出した娘が帰ってきたようなものです。無数の傷がついてしまいましたが、凹みも直しましたので、まだ使えそうです。

今度こそ2輪駆動体験走行できます。

実は、この車両の他に2台2WDのマシンがあります。XR250とTW200ですが、XR250はホンダEGの吉田さんの後輩、加藤さんにあげたそうです。

TW200はまだ残っていますが、モータージャーナリストの万沢康夫さんが試乗して雑誌でインプレッションしていました。

このCRM250は元ホンダテストライダーのウイリー松浦さんが試乗して雑誌でインプレッションしました。他に乗ったのは本田社員限定のHGエンデューロでEGの元木君と佐野君が乗ったので、私で4人目の試乗者ということになりますが、リヤサスとフロントフォークを整備してしまいましたので、今度は真面目に攻めてみたいと思います。 CIMG0539.JPG

 

転倒で変形していたラジエターとアルミのサイドカバーも修理してリフレッシュした外観になりました。

クローズドコース専用にしましたので、ヘッドライトとスピードメーター、インジケーターランプも取り外し、ステアリング周りを軽量化しましたので、これでレーサー感覚です。

後は前後サスの性能がいかがなものか・・・

今週はMX日本GPでSUGOへ行きますので、来週乗ってみたいと思います。

アルミタンクを切り開いて中を見るなどということを、生涯で何回経験するでしょう。私はこの事業を始めた関係でたまに、こんなことを依頼されます。これが、お医者さんですとヒトの体の中を何百回と開けて見ているわけですから比較にならないくらいスゴイです。エンジンとフレームの換装などは、お客さんでやってこられる場合が多いですが、タンクの載せ換えが厄介なようです。

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底板をはずして、中を見てみます。

外観からはわかりませんが、内部の構造がよくわかりますね。

3つのセパレーターが特徴ですが天井と底板が2枚板になっていて剛性を持たせているようです。

セパレーターはガソリンの移動を少なくする目的とニーグリップや上方からの荷重に耐えることが目的でしょう。

小さい凹みの修理もついでに頼まれていますが、セパレーターの近くは叩きずらいです。

しかし、切開しない場合は外側から棒を溶接して引っ張るしか方法がありませんのが、このやり方ですと容易に叩き出せます。

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指定されたフレームに載せてみました。

タンクは機種不明ですが車体はDT1だそうです。あのヤマハの最初の250ccトレールです。DT1を維持されているだけでも驚きですが、これでロードレーサーを製作中とのことです。

ホンダには2スト250cc空冷シングルのレーサーがあったのにヤマハには無いね。ということが製作の動機らしいです。

RDやRZなど(TZも)250クラスはツインエンジンのロードスポーツがありましたが、シングルは125しかなかったのですね。

そういえば、鈴木亜久里のオヤジさんが、CR250(430だと思う)エンジン搭載のレーシングカートをミッション付きカートの無かった時代に作って、秋ヶ瀬の荒川テストコースで走らせたことを聞いたことがあります。ムチャクチャ速かったそうですが、エンジン回し過ぎて焼きついて、何十回もスピンして止まったらしいです。(危ない!)焼きつきは空冷エンジンの悩みですね。

お客さんは浜松から取りに来られるので、期日までに完成させないと・・・

フロントフォークの片側スプリングが抜き取られていることで、88年型CR125のハードスプリング2本を取り寄せて組み込むことにしました。そこで問題発覚

CR用のフロントフォークだと、すっかり思い込んでいましたがこれはCRM250のノーマルでした。人の言うことを鵜呑みにしていたのが間違いでした。少なくともインナーチューブのφ数くらいは知っておくべきで、何の根拠も無いことを信じこんでいたのでした。オフロードバイクを扱っているバイク屋でも分っていなくて使えない部品を購入してしまいました。

結局、CRM250にはハードスプリングの設定はなく、純正部品は廃番になっており新品購入は不可能だったのです。

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取り寄せたスプリングがインナーパイプに入らないことで分りました。スプリング径φ36なのにCRMのインナーパイプ内径φ35にはいるわけありません。

外径はφ41なのですが、CR125用はφ42だったのです。さすがバブル景気の生んだラインナップです。部品の共通化など全く考えない、類似した年式や機種のフロントフォークの外径1mm違いでラインナップされているとは。

当然シールセットも1mm違いで無駄な部品を購入していました。

画像は等速ジョイントのマウントブラケットの圧入が錆びによって固着して抜けなかったので切断してはずしたものです。代わりにアルミで新作して整備性向上のため、割り締め方式に改良しました。

ところで、片側だけフォークスプリングが無かった理由は吉田さんが部下に頼んで固いバネを探してもらおうとして渡してあったのを思いだしたそうです。その部下は資材調達部に所属していましたので、メーカーさんに特注のバネを巻いてもらうくらい容易いことなのに、5年以上放置されているということは、とっくに忘れてしまっているのでしょう。

仕方なくヤフオクで中古のスプリングを落札しましたので、ようやく組み立てに漕ぎつけることができそうです。フロントフォークの強化は動き出してから考えることにします。何せ当時のフロントフォークはバネとオイルだけで固さが決まるタイプで、現代のようなビルシュタイン方式のバルブなどついてないのです。

英国のバーフィールド社が発明したのでバーフィールド型等速ジョイントと呼ぶこともあります。国内では富士重工と東洋ベアリングが共同開発して1966年にスバル1000に装備されたのが始まりとされています。

オートバイの2WDにはこのメカニズムが必要不可欠といえるでしょう。

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正立フォークの2本のアウターチューブを繋ぐ形で取り付けられる等速ジョイント。ジョイントの揺動中心部をステアリング中央に設置することにより、ハンドルを切りながらチェーンでフロントホイールに動力を伝達することが可能になります。

2軸の回転運動を伝える継ぎ手としてユニバーサルジョイントがありますが、これでは軸の交差角度によって回転速度に変動が生じます。また7度以上の切れ角で振動が著しくなって円滑な運転ができなくなります。これは回転数と同じ周波数でフックが揺動を繰り返すことが振動の原因になるからです。

等速ジョイントではこの問題が解決されていて、2軸の回転数を等速で、交差角度がついても円滑に伝えられることができます。

4輪車ではFFや4WDには必ず装備されているメカニズムでもあります。これは、駆動輪が操舵輪を兼ねているためで、サスペンションの揺動とステアリングの操舵と同時に軸が回転運動をするという複雑な動きをしなければ成り立ちません。

別名ダブルオフセットジョイントともいいますが、ディファレンシャル側を入力軸(インプット)、ホイール側を出力軸(アウトプット)と表現します。どちらも軸の先端にボールベアリングを装備して相手側の軸にボールを受ける溝を掘ったケースが一体となって動力を伝達します。

インプット側は変動する軸距離を吸収するようにボールがスライドしながら回転運動を伝達します。

アウトプット側は両軸間角度の2等分面上にボール溝を配置したケースがついて、操舵による揺動と回転を同時に伝達して、ハブ&ディスクに繋がっています。

これら等速ジョイントの製造にはベアリング用の鋼材を冷間鍛造と砥石研磨、熱処理という工程を踏んで作られています。本田車の等速ジョイントは栃木県の真岡製作所で内作されています。ボールベアリング部分はNTN東洋ベアリングから支給され、ボール溝のついたケースを製造してアッセンブリーしています。

冷間鍛造で溝の形状を成型し、ミクロン代の精度で砥石研磨で仕上げられます。その後、高周波焼入れで所定の硬さに熱処理されますが、加熱方式は連続炉です。治具に固定されたワーク(加工物)をベルトコンベアでトンネル型の連続炉に通し炉中の温度と加熱時間を管理されます。浸炭焼入れなので炉中雰囲気は炭酸ガスで置換されます。

高周波焼入れは部分焼入れとも呼ばれ、製品の形状毎に製作されたコイルで誘導加熱されます。加熱が充分に達すると水スプレーで急冷されて焼き入れ完了します。材料の粘り強さを持たせるため、連続で焼き戻しされます。

処理後の重要な品質特性の一つ表面硬さですが、これは熱処理ロット毎に抜き取りで破壊検査となります。ロックウェル硬さとマイクロビッカース硬さですが製品を平面にスライスして鏡面仕上げした面を測定するため検査品は破壊となります。ロックウェルCスケールでHRc58以上、マイクロビッカースで硬化層深さまで測定して品質保証されます。

この2WDに使用された等速ジョイントは車種は不明ですが、軽自動車のものと思われます。ゴムブーツが破れてグリスが飛散したためブーツ交換を行いました。塗装の剥離した部分を再塗装して組みつけたいと思います。

4WD車には3つのデフがあります。フロントデフとリヤデフ、そしてセンターデフですね。デフはクルマが曲がるとき、左右の車輪の回転差を生み出しますが、前後輪の回転差も発生しますので、それを吸収する装置がセンターデフということです。デフがないと回転差のあるタイヤ同士が抵抗になって滑らかな走行ができなくなります。2WDにもセンターデフのような役割の装置が備わっています。それがワンウェイクラッチです。

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右側のスプロケットがカウンターシャフトのスプラインに嵌って動力を取り出します。

左のスプロケットからフロントの等速ジョイントに動力を伝達するのですがその途中にあるのがワンウェイクラッチ。自転車のフリーハブと同じ構造だと思うのですが、開発者の吉田さんがワンウェイクラッチというので、そう呼ぶことにします。

その働きは、エンジンの回転方向には常に動力が伝わっていますが、逆方向にはフリーになって空回りします。

即ち、加速中は前後輪が同じ回転数で回りますが、後輪にブレーキが掛かったときにワンウェイクラッチが空転して前輪にブレーキがかからないということです。それは、常に後輪より前輪の方が速いか同じということを意味します。

デフの働きとは違いますが前後輪の回転差を吸収し、前輪が抵抗にならない状態を生み出すものです。

通常の後輪駆動車では前輪が常に走行抵抗になりますが、2輪駆動ではそれが極端に少ないことになります。泥や砂のような転がり抵抗の多い路面で、その違いがはっきり表れるでしょう。

私の作業場からわりと近くに開発者の吉田さんは住んでおられて自転車で来られましたので、開発秘話を聞きました。

吉田さんは昭和30年代に本田技研に入社していて浅間火山レースや世界選手権のレーサーのエンジン部品を加工されたそうです。

250cc6気筒のRC166のクランクシャフトなども旋盤で削りだしていましたので、当時のワークスライダーのマイク・ヘイルウッドのテスト走行にも立ち会ったそうです。そのときの印象はヘイルウッドはどんなマシンでも乗りこなしてマシンの文句は一切言わなかったそうです。並列6気筒は他メーカーのマシンより大きく重かったはずなのに、シーズン全勝して見せたことが、与えられた道具を巧く使いこなす能力があったということです。

吉田さんの小中学校の同級生に神谷忠さんがいるそうで、通称カミチューさんは本田技研朝霞研究所の主任研究員のころに「ギャップの走破性を上げるにはタイヤが大きいほうが有利だろう」ということでオフロードの傑作、23インチのフロントタイヤ開発を指示したこともありました。

昔、栃木のテストコースも無かったころ、荒川の土手の横がテストコースで、神忠さんが、同級生の吉田さんに「耐久をやるから手伝ってくれ」とたのんで、真冬にテント張って泊り込み3交代で耐久テストをやったこともあったそうです。

コレクションホールの小林さんが「ガソリンエンジンもディーゼルも作ったがやってないのは蒸気機関だけだ」といってJR大宮の車両整備場でC57の図面をいただいてきて、20分の1サイズの機関車を作ったときも、吉田さんがピストンの加工を担当したそうで、石炭燃料で走る機関車はたった3年の製作期間で完成していました。この鶴ヶ島界隈は本田OBの巣窟のような場所で、生産技術やレストアなどで世界でも類を見ない達人の住んでいる場所であることに間違いないと思いました。

なんとか、そんな開発者魂のこもったオートバイを保存して語り継いで行きたいと思いますので、微力ながら、2WD車を稼動させる決意をもったのであります。

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左サイドビュー、フロントの駆動系をカバーするアルミのパネルは板金物。

ラジエターはフロントのチェーンを避けるように外側にオフセットされてアルミのパネルと結合されています。

左足のホールド性は思ったより悪くなく広い面でブーツを支持する感じです。

キャブの調整は、カバーの後ろの窓からなんとかできますが、少しやりずらい程度です。

 

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ゼッケンは肉、ではなく2駆ということで。

トレールモデルらしくバッテリーレスですがエンジン始動すればヘッドライトも点灯します。

フロントホイール上部のドライブシャフトとフロントフォークが干渉しないように幅広の三つ又を作成し、フロントのチェーンラインも確保されています。

タイヤは18インチのリヤ用を装着しています。

フロントフォークは88モデルCR125に交換されていますが、今回の試乗に際して点検をしなかったため、試乗は失敗に終わりました。

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まず、固い路面で乗ってみましたが、明らかにフロントフォークが柔らかく、直ぐに底づいてしまうため、高速走行は断念しました。

前後輪に駆動力が発生するということは、後輪だけのトラクションより明らかにタイヤのグリップ力があります。ハイパワーなマシンで急加速した場合、リヤタイヤだけ空回りするわけですが、これは

一台のマシンを二つの駆動輪で運ぶわけですから、排気量以上に強烈な加速感を味わえます。

 

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ウッドチップの山がありましたので登ってみました。

予想どおり簡単にのぼれます。フロントタイヤが引張り上げてくれる感覚で、助走なしでゆっくりでも上がれます。

降りるときもジャックナイフになりそうな勾配ですが、フロントタイヤが回ってくれるのでテクニックは不要です。

 

 

 

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柔らかい路面を走るときは、このマシンの真価を発揮します。

フロントが抵抗にならないで引っ張って走ってくれることが、普通の2輪車ではとても味わえないことです。

問題のフロントフォークを直して、今度はフープスやジャンプの走破性も確認したいと思います。

 

 

 

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フロントフォークを外すにはフロントの駆動系も外す必要があります。

錆び落としも兼ねて、全部外してみました。下から、ドライブスプロケットとフリーハブのセット。

中はフロントフォークへ接続するエクステンション。

上は等速ジョイントを介した動力伝達機構。これがステアリングを切りながら回転運動を伝える方式です。

 

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フロントフォークを外すと不具合の原因が即座にわかりました。片側のスプリングが部品取りされていました。一本のフォークで走っていたわけです。

分解中にも問題が、等速ジョイントのホルダーがアウターチューブに圧入されていますが片方が全く抜けません。おそらく錆びて固着しているのでしょう。これを抜かないと、オイルシール交換も不可能です。仕方ないので切開して外すことにします。勿論、ホルダー新作する前提です。

段々レストアになってきました・・・

88CRのハードスプリングが残り2本で廃番になるところでしたが注文間に合いました。

走行距離は500km、エンジン快調のまま5年以上放置されていたCRM250です。

2輪駆動の特許内容は「カウンターシャフトからの動力をチェーンで前輪に伝達する」

この方式で某メーカーが4輪バギー車を生産したことがありましたが、発案者の吉田さんから意義申し立てを行ったところ、販売を海外向けだけに切り換えたことがありました。特許庁の権限は国内だけ適用のためです。そのために国内で生産されることの無かった駆動方式なので、何とか保存できないものかと切望します。

まずは、この車両の走行性能を体験したいと思うのですが、開発者の吉田さんがリヤサスペンションを福祉車両の懸架装置に流用するため部品取りされていますので、リヤサスペンションの手配を行いました。

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89年式なので純正部品は既に廃番になっています。中古品を探したのですが、初期型のショックは鉄ダンパーでした。

そこで、2型のアルミダンパーを選びました。アルミダンパーなら現行のレーサー用部品が組み込めるので、あとでチューンアップが可能になるからです。

しかし、ショックの全長が取り付け軸距離でノーマルの350mmなのに対し、2型は380mmと30mm長いのです。

そこでアンダーブラケットの穴位置を15mm上方に空け直し、シールケースのストッパー厚みを15mm追加して合わせて30mmショック全長を詰めました。ダンパーのストロークは15mm短縮したことになりますが、ホイールトラベルを確認したいと思います。

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全長詰めたショックが組み上がりましたがリンクも部品取りされていますので、製作しなければなりません。ノーマルの寸法は吉田さんの福祉車両から測らせていただいたので、加工する材料は手配しました。

来週、入荷したら加工にかかる予定です。

 

 

 

 

 

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ショックが組み上がったら車体につけてみたくて、我慢できずにダミーのリンクを作って取り付けしてみました。

リヤサスの作動確認とホイールトラベルを測ってみたかったのです。

ダンパーのストロークが15mm減っていますがホイールトラベルは294mmもあり十分なストロークではないかと思います。

来週、リンクが完成したなら、いよいよ走行するための整備ができます。

 

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リンク切削中です。材質はA7075、これはオフロード車のスプロケットに使用されるものと同じで、熱処理はT6を施します。

T6の前にT4を行いますがT4は溶体化処理といい、材料は一旦柔らかくなります。材料内部の応力を取り除く効果があります。

溶体化処理の後、T6即ち強制時効をおこないます。アルミニウムは時効硬化する材料として有名ですが、熱処理を行うことで短時間で所定の硬さに調質できます。

 

 

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プロリンク完成、ベアリング圧入完了

圧入部内径はベアリング外径と同じ寸法で、締め代ゼロ狙いで加工すれば圧入加重が調度良くなります。

テンションロッドはアルミ化により板厚アップしてありますので、ボルトの長さに合わせて座グリ加工してあります。

 

 

 

 

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プロリンク取り付け完了。廃番の部品を探す時間が勿体無いので、作った方が早いということです。

サイレンサーも壊れて無くなっていましたので、新造しました。89モデルらしく丸パイプでシンプルなデザインにしました。

これで、試乗するのに必要な加工は終わりましたが、長年放置されたらしくタイヤがひび割れていますので、タイヤ交換が必要ですね。

思いついたら即行動。タイヤショップに注文して待っているより、うちからスクーターで10分の東福寺エンタープライズに買いにいくことにしました。タイヤは18インチなので東福寺さんが現役のころ使ったやつが残っているはずだと。そうしたら予想通りホイールに履かせたやつが1本だけありました。最後の1本です、ラッキーでした。

 

 

 

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ダンロップK695 100/100ー18をフロントに履かせた車両は、こいつだけでしょう。フロントの駆動系のため、フォーク幅が広く、ドリブンスプロケットを取り付けたハブはワンオフでアクスルシャフトも長い一品物です。右側アウターチューブに取り付けられているのはチェーンテンショナーです。

これで走行する準備が出来上がりました。近いうちに2輪駆動体験走行してきます。

 

 

 

 

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CRF250 10モデルのマフラーですが、インナーパイプのエンドキャップ部分で破損してパンチングパイプが中で外れてしまいます。

レーサーですから補償はありません。しかし、寿命の設定としては絶妙ですね。

去年のモデルですから1年間壊れなければクレームもつかないでしょう。壊れれば部品交換しなければ走れませんので、やむを得ず交換するのですが、この部品だけで2万円以上しますから、分解工賃など加えると3万円くらいの出費でしょう。

画像はエンドキャップを修復した後です。破損したキャップ部分に鉄板を追加して補強していますので寿命は大幅に伸びるでしょう。

分りにくいですが、エンドキャップの内側にエンドパイプを差し込むツバがあったのですが、パイプが中で暴れて無くなっていたので、ツバの部分も修復してあります。

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溶接場所はこのとおり、これで僅かな材料で元どおりの機能を果たすことができます。

修理代も純正部品で交換するより大幅に削減できました。

社外品のマフラーは修理しません。他店でお買い上げいただいた商品については、他店に依頼してもらいたいからです。

純正部品を修復してスペアマフラーにしながら我社の製品をお買い求めのお客さんに対するサービスとして安価にて提供するものであります。

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エキパイの凹み、熱影響のためか外側が延びて潰れたように変形しています。

曲げるときは、パイプの断面積がなるべく変わらないように注意して作りますが、激しく走行しているうちにダメージを受けてしまいます。

こういう状態のエキパイを修理するのに、チャンバーのように蓋をして圧力を掛けようとしても元通りにはなりません。

スッキリ直すためにダメージを受けた部分を取り換えます。

 

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メーカーによって特殊なサイズのパイプを使用している場合があり、パイプが入手困難で修理断念していただくこともありますが、

これはφ31.8でパイプの在庫がありましたので、直ぐに曲げました。

パイプベンダーという高価な設備はありません。万力とバーナーを使って手曲げによるものですが、内側40Rで潰れないように180°曲げて素材を作ります。

パイプのサイズが大きくなるにつれて曲げられる最小Rが大きくなっていきますので、車種によっては難しいものもあるでしょう。

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潰れたパイプは切除して新しいものに取り換えて溶接しました。

チタンパイプは材料代が高価で3万円くらい材料購入してエキパイ3台分が作れる程度です。

ダメージの無い部分を再使用することで、新品の半分以下のコストで修理することが可能となります。

勿論、予算に余裕がある人は新品購入された方が経済の活性化に繋がると思いますが、修理代を節約して、もっと有効なことにお金を使うことができるということです。

2ストトレールは健在です。これは公道バージョン、オンロードタイヤでフロントインチダウンされています。

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外装も丁寧にカスタムされていて、大事に乗られていることが分りますが

94モデルなので登録から17年経過していて、走行距離は5万キロくらいだそうです。

さすがに、このまま乗り続けるのは不安だということでエンジンOHすることになりました。

社外のチャンバーも激しく凹んでいます。これはオーナーがヤフオクで凹んだ状態のものを安く落札したそうですが、普通は社外品の修理はお引き受けしません。それは、マフラーメーカーか販売店が対応すべき仕事だと考えていますので、私が社外品を使い続けるために救済する必要は無いと思っているからです。

トヨタの販売店にホンダ車の修理を頼むようなものですからね。そうは言っても、こちらのお客さんが、この車両を総合的に直したいと依頼してこられているわけですから、その一環としてチャンバーの修理も行います。

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リヤショックはオイル漏れの上、バンプラバーもウレタンが崩れて無くなっています。ショックもOHして機能回復しなければなりません。

チャンバーはエキパイ部分から全体に潰れていて、まともな状態ではありません。ここまで潰れていると商品価値はゼロだと思うのですが、ヤフオクではこのようなものに5千円の値段をつける人がいるそうです。明らかにスクラップであることを付け加えておきます。

 

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オイル漏れの激しいエンジン。シリンダーベースにコーキングが見られますが、ガスケットが吹き抜けていることが予想されます。

さすがに5万キロのダメージが蓄積されているのでしょう。

これから全バラして修復することにします。

 

 

 

 

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排気デバイス、KIPSの部品です。

遠心ガバナーにより駆動される可変ポートタイミング機構です。ラック&ピニオンで中央のスライドバルブと左右の回転式バルブが低速域と高速域の排気ポートタイミングを変化させて、幅広いパワーバンドを稼ぎ出します。

しかし、その部品点数の多さは4ストロークエンジンの動弁系より多く感じられ、メンテナンスの工数も、こちらの方が上です。

 

 

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エンジン部品全部。ばらすだけでなく、相当な汚れが付着しているので、全部洗浄してからメンテナンスに入るので非常に時間がかかります。

汚れが付着していると、小さい傷や磨耗の状態が判断できませんので、整備の方針を決めていく上で重要な工程です。

こうして、交換部品のリストアップが可能になります。

従って正確な見積もりはこの段階以降でないと分りません。

 

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エンジン整備には夏でも石油ストーブを使います。

ベアリングの交換にはケースを熱膨張させて、脱着します。これはケースにダメージを与えない方法で

プレス機を使った圧入では圧入面がかじって、小さい傷がつきます。そのため折角、真円に加工された穴やベアリングが偏芯してしまうので、それを防止します。

震災があって3月の走行会が中止になってしまって、預かっていたK125が3ヶ月経って、ようやくチャンバー製作着手することになりました。

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チャンバーに取り掛かる前に、サーキット走行のためセンタースタンドを外す必要がありますが

フレームを貫通しているシャフトが中で曲がっているのか、全く抜けてこないためスタンド外し不可能でした。

やむを得ず、酸素で溶断しました。

シャフトの生材使用はやめましょう。クロームモリブデン鋼にしましょう。

代わりにレーシングスタンドを作ってから作業開始です。

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上がノーマルのマフラー。

2ストシングルなのですが、2個の排気ポートにそれぞれ独立したエキパイということで2本マフラーです。

下が製作したチャンバーとサイレンサー。

エキパイとチャンバーは溶接でワンピースです。

ノーマルは、ダイバージェント(拡散)もコンバージェント(収束)もありません。筒の中に仕切り板があって、反射を起こす構造で、仕切り板の位置を測ってチャンバーの諸元を推定しました。この置き換えは、あまり経験がありませんので、出来上がりの性能が楽しみです。

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オーナーが取り付けてあったステップブラケットもチャンバーのレイアウトの邪魔になるので移設させていただいて、スッキリとストレートチャンバーに決めました。

キックアームは始動時にブレーキペダルにぶつかるので、可倒式に交換するべきと思います。

12Vバッテリーつないで、キック始動してみました。暖まっていなくてもアイドリングは安定していて、分離給油のためかワイドオープンにすると白煙がものすごい。回転はストレスなく吹け上がってくるので、走行は問題なさそうです。後はサーキットでキャブセッティングということですが、ここから先はオーナーのお楽しみということで、お引き渡しです。

05年の全日本MX会場の和寒でヤマハのパドック前に展示されたアルミ合金製ハイブリッドフレーム。ハイブリッドとはダイキャストや鍛造という異質な製法で作られたパーツの複合体であるという意味。

そして06年モデルとして発売されたアルミフレームのYZ125が最終仕様という認識でした。 CIMG0375.JPG

これはお客さんがエンデューロ用に購入したマシンです。

実はYZ125チャンバーは高張力鋼管フレームの時代にラインナップしていましたので、エンジンの基本は大差ないだろうという考えで当時もののスペックで製作しました。

最終型のパイプ形状が若干変更になっており、治具に取り付かないので車体合わせのワンオフ製作です。

我社のチャンバーとヤマハエンジンとの相性は良かったと思います。YZ125に乗った忘れられないライダーがいます。

彼を初めて見たのは守谷のコースでした。

KXに乗っていたA級の若手で、千葉の八街市在住ということで名門習志野レーシングかと思っていました。すると翌年YZに乗り換えて、チーム登録は土浦レーシングになっていたライダーの名は斉藤慎也です。全日本A級でチャンバーサポートして最も好成績を挙げてくれたライダーと評価しています。

01年にA級125クラスで4位入賞でしたが、常にトップを狙う意気込みでした。翌年250クラスにステップアップして、YZ250のチャンバーも作りましたが、トップカテゴリーで15位以内ポイント獲得していましたので若手最有力ライダーでした。

当時チームYZでは、ノーマルで勝てるマシンを証明するということで、社外のパーツ装着を一切禁じていましたが、斉藤選手は「チャンバーだけはこれを使わせて下さい」ということをYZのスタッフに願い出て認めていただいたという経緯がありました。

なんと律儀なことか、作ってもらった物に対する思いというか、なんとしても結果を残したいという意欲が他のライダーと違っていたように思います。残念ながら菅生でヤマハの合同練習中に不慮の事故に遭い選手活動に支障を来たして辞める結果になってしまいました。

そのころから、菅生の赤土の路面は予期できない滑りで頭から落下して死亡したり重症にいたる事故が続いたので路面の改善に力を入れ始めたということで、斉藤選手をはじめ、幾人かのライダーが身をもって危険箇所を教えてくれて、路面の改善を実現してくれたものと感じています。

 

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NSR50のロードレーサーが今回の議題。

GPmonoでレースをされているナオキさんの練習車ですが、ミニバイクは転倒も多いそうでダウンチャンバーだと、サイレンサーは路面に擦ってしまうため

サイレンサーをリヤカウルの中を通す、センター出しに改造するためチャンバーをアップタイプに変更してフレームの中を通すレイアウトに作り変えるというもの。

 

 

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チャンバーを作るとき、最初にやることは元になるチャンバーの寸法を測ってストレート図に書き直すことです。

写真の上側は元のチャンバー

下側はストレート図に基づいて作られた模型

円盤はパイプの内径を表し、軸芯の棒はパイプの長さを表します。

この模型を曲げて車体に取り回すレイアウトを検討します。

 

 

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このようにエンジンやフレームとの隙間を確認しながら形状を決めていきます。

同じものは二度と作りません。この車両だけのためのワンオフ製作です。

このあとアンダーカウルやキャブレターの燃料ホースなどに当たらないようにクネクネと複雑なカーブを描いて、狭いフレームの隙間にチャンバーが収まっていきます。

明日は模型の形状に合わせてパイプを成型していきます。

 

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成型されたパイプを接合しました。

模型のカーブに似ていますが、車体がアップチャンバーを想定して設計されていないために取り回しはミリ単位でフレームをかわすシビアなものになりました。

アンダーカウル装着のため、フレームギリギリに寄せないと、グラスファイバーのカウルを溶かしてしまうことになります。

明日はラジエターのマウントとセンター出しサイレンサーのフィッティングを行います。

 

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東京駅、なんとレトロな文字でしょう。

車輪で走る乗り物を扱う者として

知っておかなければならない歴史があります。

オートバイなら、もてぎコレクションホールを観ることをお勧めしますが、

ここの博物館はそれを凌ぐスケールの展示内容に驚かされます。

究極のビンテージがここにあります。

 

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150形式蒸気機関車 1871年製造

英国から輸入された日本初の蒸気機関車。

新橋ー横浜間を1時間で走ったそうですが

初めて乗った乗客は横浜に到着しても、誰も降りようとしなかったといいます。

当時歩いて丸一日かかった距離なので、あまりにも早く着いたので、疑っていたのだそうです。

当時は日本に機関車を作る技術はありませんでした。

 

CIMG0344.JPGこちらはアメリカから輸入された弁慶号。

北海道開拓に活躍しました。

機関車のデザインも英国と米国ではかなり違っていますが、古い映画のワンシーンを観ているかのような光景ですが、これらの車両は実物で、重要文化財に指定されています。

私は鉄道マニアではありませんが、この博物館を観たいと思ったきっかけは、

私の故郷、愛媛の偉人に十河信二という人物がいたからであります。

第4代国鉄総裁 「新幹線の父」と呼ばれた十河信二(敬称略)は

愛媛県尋常中学校東予分校 (現在の西条高校)出身で東京帝国大学法学部卒業後、鉄道院入省。

満州開発の社長で鉄道事業に尽力し、昭和20年西条市長就任。昭和30年、71歳にして第4代国鉄総裁就任。東海道線の輸送力の行き詰まり打開策として、新幹線構想を打ち出した。

この世界的に前例のない一大プロジェクトを立案し遂行した偉人が、私の出身地、西条市の市長であったことで、この史実について知っておかねばならないと思っていた矢先、自宅から近い大宮に鉄道博物館が開業したので、観に行かない理由はありませんでした。

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これは、展示物の中で最も興味のあったものです。

9850形式蒸気機関車 1913年製造

マレー式と呼ばれ、東海道本線御殿場越えで活躍した車両で大胆にカットモデルを作成し、蒸気機関内部の構造を解説しています。

内径×行程 500×650mmのシリンダーは前後に配置し、後ろのシリンダーから排気した水蒸気を前側のシリンダーに再利用して、左右で4つのピストンを動かしています。

そして、長くなった台車の中央に間接を設けてあり、カーブでもスムーズにコーナリングできるようになっています。足回りの構造は地下ピットに入って見学できるので、機関車の構造が目で見て分るようになった、ありがたい教材です。

マレー式とはフランスの鉄道技師、マレー氏の発明した方式のことだそうです。

 

 

2 WHEEL DRIVE 2輪駆動車です。この方式は製作者、ホンダEGの吉田さんの特許でした。

カウンターシャフトからの動力をチェーンで取り出し、途中フリーホイールを介して前輪に取り付けたスプロケットにチェーンで伝達するという内容で、他の2輪メーカーでも研究はされていたようですが同じ方式の2輪車は量産されたことがありません。

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この車両は22年前に朝霞研究所から依頼されて製作された試作車ですが、当時の2輪雑誌にも取り上げられていましたので40歳以上の人なら記憶に残っているでしょう。

この車両が本領を発揮するのは、マディ路面やサンド質です。フロントタイヤが抵抗になって走りづらい場面でも問題なく走っていけます。

実際に山形県のビーチエンデューロに出場して上位入賞も果たしたそうです。

現在は走らせる機会もなく部品取り状態になっていますので、私が復活させて動態保存させていただくことにしました。リヤショックがリンクごとはずされ、フロントブレーキも固着して使えません。欠品部品を装着し、各部オーバーホールして運転可能な状態にする予定なので、完成したら試乗インプレッションを当ブログで報告します。

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駆動系のカバーをはずした状態。

ドリブンスプロケットのチェーンははずしています。シリンダー横のハブはフリーホイールになっています。

これは前後輪の回転差を吸収する機構で

フロントの回転が遅い場合にブレーキになってしまいハンドリングが重くなることを防ぐため若干、フロントを速く回します。

ブレーキを掛けた場合、フロントの回転が落ちてもフリーホイールが空転するので後輪のドライブに影響は出ません。

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フロントタイヤは18インチ。ドライブスプロケット付きです。

ステアリングセンターに等速ジョイントを用いてハンドルを切っても左右の動力伝達はスムーズに行われるためハンドリングはノーマルに極めて近い印象です。

赤色の耐熱塗装を施されたチャンバーは10年ほど前に私が製作したもの

仕事の合間にレストア作業するため完成時期は未定ですが1年以内に走行可能な状態にすることが目標です。

2010モデルから著しく大型化したCRFのサイレンサーですが、思わぬ不具合も生じています。

張り出したサイレンサーは転倒しなくても、通常のライディングでサイドカバー越しに圧迫されてデフォーム(凹み)が発生します。また角ばった断面のアルミは平面が広くなっていますが、排気圧で膨らもうとしますので、金属疲労により亀裂が入ってしまいます。

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上は2011CRF250R、下は2010CRF450R。

250方が450よりサイレンサーが大きいことが分ります。

これらのサイレンサーは純正部品で一個9万円もしますので安々と買い換えられるものではないでしょう。

レーサーモデルも高品質化して付加価値を付けていかないと商品として受け入れてもらえなくなるということは予想できますが、限度というものがあります。

私が自分の150用のマフラーを作る理由はクラッシュで一発破壊する恐れのあるものが、純正部品で5万円もするので、作る場合は半額程度のコストで済むからです。

この高いマフラーの仕様を設定する人たちは、元々高収入で中小企業の社員とは違います。その上、このようなレーサーモデルは会社の車両に乗れるため、自分で買う必要がないですから、一般庶民の金銭感覚は持ち合わせていないのではないかと思ってしまいます。

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これはどちらも国際A級ライダーが所有しているものですが、日本ではトップクラスの彼らでさえ、スペアサイレンサーを持っていないという現状からも、その問題点が感じとれます。

とりあえず、修理するためにはリベットをはずして分解しなければなりません。

現在バックオーダーの状況が2ヶ月分溜まっているため、新規の注文を先延ばしするか諦めていただくなどの対応をさせていただいている状態なので、作業する時間がとれるかどうかわかりませんが、修理してみることにしました。

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まずは450から

アルミ筒に絞りが入っているため

切断して別々に整形してから溶接です。

大体、元の形状に直りました。

 

 

 

 

 

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次は250です。

デフォームを均してから亀裂部分を再溶接です。

古い溶接ビードを削除して溶け込ませていきます。

ビードは平滑でないと、すぐに割れてしまいます。このあと外側にアルミ板を張り付けツインウォールにしますが

これは国際A級用なのでスペシャル仕様の加工を行います。

 

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音量に余裕があることと、加速力を増す目的でショートタイプに変更。

テーパーパンチングのため繋ぎめの外径を合わせて溶接しています。

アルミ筒はデフォームになりやすい外側をツインウォールにしています。

エンドキャップの嵌め合いがきつくて、経験のない人は組み立てが難しいと思います。

 

 

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グラスウール詰めて、ステンリベットで荷締めて組み立て完了です。

高価なマフラーなので、メンテナンスして寿命を延ばしてあげないと、亀裂が拡大して使用不能となって

余計な出費が出ますからね。

 

・・・ああ、また予定が遅れてしまった・・・

今週は休みなしで働きます。

 

「これ直すんですか?」一応確認のため聞いてみた。そしたら「直したい」という答え。

「ものすごく大変だよ」と言うと、「いくらぐらいですか?」というので「普通の3倍くらいかかるよ」

と答えたら、「新品買った方が安いですか?」と言うので、「そこまではいかない」ということで

契約成立して修理することになった。

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普通はこのように大破している場合は新品に交換するように勧めます。

それは修理に相当な時間を費やし、製作業務に差し支えるからです。

おそらく、これは、新品交換した上で直したチャンバーはスペアとして取っておこうということだと思います。

そして、直らなければ諦めると思うのですがダメ元で聞いてみるということは、私が直せるかどうか試しているのではないかと、思わせるのです。

これが直ったとしても私の評価が上がるわけでは無いと思いますが、もしかして直せないんじゃないかと思われることが、マイナス要素なので

この挑戦に応えることにしました。

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ここが荷重の力点だと推測しますが、鉄板が破けています。

圧力をかけて直すために、溶接して穴を塞ぐ必要があります。

 

 

 

 

 

 

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エキパイにシワがよって蛇腹のように曲がっています。

ここまでいくと、水圧では直りませんので

切断して鉄棒を当てがいながらハンマーで板金修理しなければなりません。

 

 

 

 

 

夜は騒音の出る作業は近所迷惑になりますので、この続きは明日ということにします。

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パイプを切断し、潰れた部分をハンマーで整形して溶接。

その後、水圧で元の形状まで膨らましました。

しかし、そのままでは歪みが大きく車体に取り付けができないくらいパイプの向きが変わってしまいました。

結局、4箇所の切断面を削ってパイプの向き矯正して取り付くようにしました。

 

 

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震災の前日から製作に取り掛かっていたタンク作りですが、3日ほど動揺して通常の業務ができませんでした。とりあえず、やりかけた仕事を完了させるべく再開しましたが、計画停電で一日のうち3時間くらいは業務中断になってしまい、非常に効率悪いです。

被災地の電力不足、燃料供給不足を考え、工場の空調や石油ストーブを止めてやっております。幸い寒冷地ではないので、寒いですが我慢しながら仕事しています。これも支援の一つと考えております。

義援金や救援物資だけが災害支援ではありません。最も強力な支援は国の力だと思うのです。自衛隊や消防庁に指令を出したり、車両を動かしたり、職員の人件費を払ったり、全て税金でまかなうのですから被災していない地域の人ができる最も重要なことは、今やっている事業をしっかりと遂行して税金を払うということであると思っています。

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アルミ板金でこしらえたガソリンタンク。

オーナーさんはジムカーナでNSR250に乗っていますが、ノーマルタンクの張り出しが大きいことと、エアクリーナー吸気口を塞いだデザインを改善するという目的でタンク製作に踏み切りました。

フィラーキャップはノーマルを使用していますので鍵を使って開閉します。

 

 

 

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タンク底板の形状です。エアクリーナーボックスを逃がすデザインです。

中央付近に二つ穴が設けていますが、フィラーキャップの構造上、エアベントと水抜きのパイプがタンク内部を貫通しています。

 

 

 

 

 

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車体に装着した様子です。

フューエルコックは左下に設置してあります。

レーサー用の部品で、リザーブ無しです。

タンク容量は13L、大体これでご要望にお答えできると思います。

停電や燃料の調達が悪く通常より効率悪いですが、まだまだバックオーダー抱えておりますので、なるべく早く仕事を進めていくだけです。

91年頃、会社員として最後の仕事。当時ホンダがエンジン供給して英国ローバー社で自動車を生産していましたが、次のプロジェクトは英国で完成車工場を立ち上げることでした。エンジン工場はすでに稼動していましたが、車体工場は全くの更地の状態。部品メーカーの選定や打ち合わせ、職場に導入する設備の調達などの目的で英国に長期滞在していたころの話です。

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勤務先のホンダオブUKは土日休日のため

休日は社用車を借りて観光です。

これはバッキンガム宮殿前、エリザベス女王の住居ですね。

イギリスは道路が発達していてロンドンを中心としたリングロードと放射状に伸びたモーターウェイは日本が明治時代に首都圏の道路の構造を参考にしたというほど昔から完成されたものでした。

移動の殆どは社用車で行うのですが、ロードマップを見ながら好きなところへ行きます。

大抵の日本人はゴルフ三昧で、サマータイムの時期は、夜10時ころ日没なので平日でも夕方からコースへ出てラウンドできるくらい昼間が長いのです。冬は逆ですけど

朝は3時から明るいですし、一日が非常に長く感じられます。

 

 

 

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英国は街ごとにレース場がある感じです。

国土が適当なアップダウンがあって樹木が少ないのでMXコースが自然の地形のままできるのです。一日に何回も小雨と晴れが繰り返す天気なので、コースコンディションが常に良好なのです。

それからオートバイメーカーの多さでは日本の比ではありません。さすが産業革命の国、日本メーカーは英国車の真似をすることからオートバイ製造が始まったのでしょう。

そして、ライダーの体格。250ccのマシンがまるでミニバイクのように見えます。この男たちとぶつかり合うことが日本人にとってどれだけ不利なことか、この男たちの体格を見れば想像がつくでしょう。

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ブリティッシュチャンピオンシップのスタートです。美しい緑のコース、どこでもこんな感じでパドックも観客席も緑の草で覆われています。

人口的なセクションを作らずとも、ダイナミックなコースができています。

英国ではライダーのことをジョッキー(騎手)と呼びます。オートバイが馬の代わりであることを示す文化の象徴でしょう。

このレースのスピードを観て、当時全日本チャンピオンだった宮内選手が彼らと走ったとして、はたして通用するだろうか?と思いを馳せましたが、その答えは翌年、鈴鹿サーキットで開催された世界選手権で答えを知ることができました。

 

 

CIMG0264.JPGプライベーターのマシンと思われますがメーカーのロゴを大きくアピールしたグラフィックはヨーロッパからの発案でした。

日本ではこのようなオリジナルのデカールなどはワークスマシンだけのことで

市販車に貼るデカールなどは全く見られませんでしたが、英国では既にオリジナルデカールが多数販売されていました。

 

 

 

 

CIMG0266.JPGレース場の売店で現地のオリジナルデカールを購入して自分のマシンに貼っていました。

日本ではこれが最初だったでしょう。

テクノセルというノンスリップ加工のシートレザーも現地で仕入れてきました。

マシンは91年型CR125Rですが、長期出張で練習不足。この年は殆どレースにでられませんでした。

それが会社を辞めることになった一因かもしれません。

 

レースの開催日や場所は現地のオートバイ雑誌を購入して調べて行っていましたが、その雑誌の記事のレベルが日本のものとは隔絶したものを感じました。例えば素人向けのメンテナンス講座などではなく、本職のオートバイ屋が参考にできるような解説とか。

ステアリングヘッドのベアリングの圧入が緩んでしまった場合のバックアップの方法とか、燃焼室のスキッシュの変更とその効果や排気ポートにサブチャンバーを追加して容積を変更する手法とか、実戦で培われたメンテナンスやチューンアップの方法が惜しげもなく紹介されていて、大変面白かったことを覚えています。さすがモータースポーツ先進国です。

CIMG0265.JPGこれは世界選手権125ccクラスのステファン・エバーツの走りです。

当時16歳でしたが、こんな速い125ccの走りは他に見たことがありません。

確かこの年、初チャンピオンを獲得しています。

他にも日本では見られない500ccのGPも観ましたがCR500の市販車でチャンピオンだった、ベルギー人ジョージ・ジョベも観ることができました。

 

 

CIMG0267.JPGこれはF1、イギリスGPでシルバーストンに行ったときのスナップ。

コースサイドまで自由に入って芝生でくつろぎながら観れます。現地の応援団は凄まじく、自国のドライバーに対する声援はF1サウンドに引けをとりません。

観戦のしやすさは鈴鹿とは比較にならないでしょう。コースの近くに駐車場も沢山あるので、当日渋滞もなくゆっくり来れますし、チケットも当日、自販機で購入して即入れます。

このレースはウイリアムズのナイジェル・マンセルの母国GP優勝でした。

CIMG0269.JPG帰国してしばらくして、当日の朝まで極秘でVIPが狭山工場に訪問すると聞いていました。セキュリティーのためか当日、知らされたVIPの名前はチャールズ英国皇太子妃ダイアナさんでした。

間接部門から歓迎のため100人ほど選抜されて出迎えしました。

ダイアナ妃もモータースポーツ好きでクルマの生産現場を見たいということで、東京から一番近い本田の狭山工場に白羽の矢がたったのでしょう。F1のエンジンを英国のコンストラクターに供給していることも関心を持たれた要因でしょう。

無線で「ただ今関越道川越インターを通過」という連絡が聞こえ、間もなく前後を警視庁のパトカーに護衛されたロールスロイスに乗ってダイアナ妃が入場されました。パトカーはニッサンスカイラインだったことが残念ですが、警視庁もレジェンドのパトカーを用意してもらいたかったですね。クルマから降りてきたダイアナ妃はどの男性従業員より背が高く見えましたが、もともと180cmでハイヒールをお履きですから、かないませんね。

MXの修行にアメリカを選ぶ人が多いですが、アメリカは広すぎて田舎です。イギリスはモータースポーツが凝縮されていて技術的に濃い感じがします。世界でリーダーシップを取るには、世界を知らなければならないでしょう。

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絶販車のKDX125ですが、時々チャンバー、サイレンサーの製作依頼があります。

車体がなくてはレイアウトが不明のためお断りしてきましたが、今回サイレンサーのみ治具製作してラインナップとしました。

チャンバーはカーブが複雑なので、相変わらず車体持込に限り対応させていただきます。

チャンバーはノーマルのスペックではなくKX125の諸元を用いて、形状をローボーイタイプにモディファイしてあります。

 

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サイレンサー本体はアルミ製、ステンレスパンチングを差し込んで組み立てます。

重量はノーマルが2.2kgに対して0.8kgという軽量さです。

エンドキャップはリベット止めなのでグラスウール交換できます。

価格は¥12000、受注生産で納期は要確認です。

 

 

 

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取り付け状態はこんな感じで、

現在バックオーダーで2ヶ月以上かかりますが、お時間に余裕のある方はメール等でお問い合わせください。

オール読物新人賞作品、佐々木譲原作の小説を、にっかつが実写化したビデオフィルム。

この映画封切り当時、80年ころだったと思いますが、オートバイ誌で上映されていることは知っていましたが観ることはできませんでした。それもそのはず、ポルノ映画の劇場でしか上映されていなかったので学生だった私はどこでやっているかわからなかったのです。

最近になって埼玉ラングラーズ・・・もとい、チェッカーズの島田さんからお借りして観賞できました。

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主演:石田純一(新人)が岩田貞二役、洋子役が熊谷美由紀(故松田優作夫人)という大物役者を起用しています。

2輪を題材にした映画で好きなのは「汚れた英雄」と「マッドマックス」でしたが、これを観てからは後世に残したい2輪映画として一番に挙げたいと思いました。

時代背景がモトクロスを始めたころの私たちと全く同じで、しかも練習場として映像にも登場する、吉見のコースや高坂のコースが写っているばかりか、セーフティーパーク埼玉や鈴鹿サーキットのレースシーンもたっぷりと収録されています。

しかも、映画の取材も行われたチェッカーズの原口選手や石神選手がライダー役を務めていたり、岩田貞二のライバルの根元役は鈴木秀明選手という豪華な顔ぶれで、これはフィクションではなく実録といっても過言ではありません。

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基本はポルノ映画なので、貞二と洋子は本田航空の滑走路脇でラブシーンとなりますので18禁ですが、今時の中高生はもっとすごいの見てますから問題ないでしょう。

埼玉では新入社員が筆おろしに行く大宮にある劇場に、取材協力したチェッカーズ御一行が上映中の鉄騎兵を観にいったところ、サトケンが入籍前の水沢アキ似の彼女と同じ劇場にいるところを発見したというエピソードを聞きました。  

 

 

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実際に開催されていた東京ダイナミックシリーズというレースシーンの設定で本物のプロライダーのパドックも写されています。

若き日の鈴木秀明選手と唐沢栄三郎選手。

私が初めてライディングを教わったA級ライダーは唐沢さんでした。今でもその教えは忘れていません。

貞二が所属している埼玉ラングラーズですが、推測ですけど

私が会社就職して初めて買ったマシンが83CR250だったのですが、そのお店が東京のモトバムでそこのチームスポンサーがラングラーというジーンズのメーカーだったことと、モトバムの代表池沢さんがモーターレク推進本部の出身でしたから映画製作に関って埼玉ラングラーズと命名したのでしょう。ホンダはスポンサーでないようですのでモトクロス界に顔の効く人が身内だけで好きな映画を作ったということでしょう。

映画のラストシーンはヨコハマ杯鈴鹿サーキット大会で貞二が優勝できなかったらモトクロスを辞めるという設定でしたが、惜しくも最終コーナーでライバル根元にかわされて2位でした。

私は是非、現代判「鉄器兵、跳んだ」を制作してもらいたいと思いました。石田純一と熊谷美由紀が子供を作り、モトクロスでA級ライダーを目指す物語を・・・

 

時々、質問を受けますので、2ストシングルエンジンのチャンバーをワンオフ製作する場合の費用について通常の解答内容を明記しておきます。

車体持込が前提になりますので、北海道や九州のお客さんから問い合わせられましても対応できかねますので、ご了承ください。

製作の前にチャンバーのスペックを提示いただくか、こちらで過去データーから適当なものをチョイスすることになります。試作テストは別途になりますので既存のスペックによる製作のみ対応します。

新規に製作の場合、型(展開図)を作らなければなりません。型代が¥10000、1本製作でも複数でも変わりません。仮に10本製作なら型代1本当たり¥1000ということになります。

チャンバー本体と型(展開図)

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チャンバースペック(寸法)はストレート図で表されているもので、それを車体に合わせて取り回して形状を決定します。

決定したパイプを開いて、展開図となるわけです。

これを罫書きの型として使用することによって同寸のパイプが製作できます。

チャンバー本体の製作費は型が出来ていればシングル1本で¥25000です。

排気量が違っていても工数はあまりかわりませんが、複雑なカーブが多いと¥10000程度割り増しにしていただくこともあります。

ラインナップ品は複数販売できますので、若干割安の機種もあります。

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取り付けるサイレンサーが無い場合はサイレンサーの製作も必要です。

最もシンプルなタイプで¥10000です。

チャンバーとの結合はフランジをボルト締めで排気をシールするタイプです。

エンドキャップはリベット止めなので分解してグラスウールを取り換え可能です。

 

 

 

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完成すると型代¥10000と品代¥35000でワンオフ製作できます。

材質はSPCC(鉄板)とサイレンサーはアルミを使用した金額です。ステンレスで同スペックで製作の場合は2倍程度かかります。

車体の預かり期間は1週間程度です。

 

 

 

 

 

昨年末にピストン交換とヘッドメンテナンスしたので、新しいうちにパワーチェックしてみました。

CRF150Rの主要諸元によりますと最高出力24.5ps/12500rpm、最大トルク1.47/10000rpm

ということですがカタログ数値はカウンター出力(エンジン動力計による測定)である場合が多く後輪出力よりも数値が高く表示されているはずです。しかも上記の数値は2006年当時の96dB仕様のマフラーで現行の94dB仕様とは異なるデータに違いありません。実際のパワーは駆動系のパワーロスを含みますので実測の数値を知っておくことがチューニングの指針になることは明らかでしょう。

測定は我社から徒歩2分という近さのmotoGLADさんに依頼しました。マシンを押して行けるほどの距離にあります。

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motoGLAD店舗風景

日光街道杉並木(R407)沿い

我社から国道を隔てた向かい側に位置しておりオンロード系の販売、整備

レーサーの製作などが主な仕事です。

 

 

 

 

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ダイノジェット測定室です。

マフラーに差し込まれているのはA/Fセンサーで回転数毎の空燃比も同時に測ります。

CRFはダイレクトイグニションのため回転数のパルスをコイルから検出できません。コイルにつながるハーネスを調べてCDIユニットのカプラー付近から検出できました。

 

 

 

 

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測定は2タイプで行いました。

昨年使ったモディファイ品とSTD品をそれぞれ付け替えてみました。

普段走行に使用している状態と完全ノーマル仕様の出力カーブとA/Fを把握することが今回の目的です。

エンジン温度の変化によっても数値が変動するということで、熱ダレしてくると数値が下がってしまうということもあり、1時間くらいの冷却時間を空けて別々に測定しました。

 

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モニターの画像は左がスピードメーター、

右がタコメーター、下の横長のグラフが

Air、Fuel Ratio(空燃比)を表しています。

運転状態をリアルタイムで確認できます。

測定データーはパソコンに保存されプリントアウトできますので次に説明します。

 

 

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完全ノーマル仕様のグラフ

MAX POWER=20.3PS

9500rpm付近がピークで緩やかに下がっていきます。レブリミットは13500rpm

MAX TORQUE=1.3kgm/ 12500rpm

上の曲線は馬力のデータ、下の曲線はトルクのデータを表しています。

その下はAFレシオ(空燃比)データを表しています。

 

 

20年経過した車種なので、新規にサイレンサーのラインナップに追加することを渋っておりました。

モトショップ鷹様の熱烈なオファーによりラインナップすることになりました。                             

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上がノーマル、下が今回ラインナップに加えたアルミサイレンサー。

重量はノーマルの2kgに対して、僅か630gという軽量で、重心から遠い車体後部の軽量化に貢献するでしょう。

ノーマルは非分解で生ガスが溜まったら抜けるようにブリザーパイプがついていますが

アルミサイレンサーはリベットをはずして、湿ったグラスウールを交換できるようになっています。価格は特価¥12000也

ですが、現在バックオーダーで2ヶ月分業務が溜まっておりますので3月以降でないと作れませんのでご了承ください。

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ラインナップするためには、ノーマルのサイレンサーが取り付くように治具製作しなければなりません。

この治具で位置決めしながら製作しますが

最初は車体に合わせて確認しておかないと

取り付け保証はできませんので、マフラー現品送付でワンオフ製作を希望される場合もありますが、治具製作も含めて了承していただく必要があります。

 

 

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鷹さんの車両ですが、取り付け確認できると安心できます。

チャンバーとセットでこの様な感じで出来ました。

2スト、旧車のマフラーも続々出てくるでしょう。

現行車は高性能ですが非常に高価格で不景気な今の経済状況だと一部の富裕層しか購入できません。それほどお金かけなくても、いじって楽しめる旧車が時代のニーズに合っているのでしょう。

 

 

YZ販売台数日本一のモトショップ鷹の店長マシン。

3XPの初期型ですが、あまり乗ってません。美車です

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チャンバーはラインナップ品です。サイレンサーも車体をお預かりしていたのでワンオフ製作しました。

お問い合わせはモトショップ鷹まで!(売ってくれるとは聞いてませんけど)

MTBプロライダー、日本人として始めて海外メーカーと契約し世界選手権を走った世界ランカー。

アジア選手権2連覇、JCFシリーズチャンピオンなど輝かしい戦績をもつダウンヒルライダー

井出川直樹選手はホンダレーシングとも契約してRN01で戦ったこともある。

現在、彼は京都のダイアテックと契約し、カナダのEVIL(イービル)というメーカーの自転車に乗っている。

しかし、このEVILは国内に1台しか輸入されておらず、

即ち井出川選手専用のプロトタイプでスペアマシンもない。

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これが、EVIL社スイングアーム、部品単価は聞いてないが、メインフレームだけで40万円くらいだそうだ。

これをハンドワークで1品だけ製作頼まれても、この前のスイングアームより3倍くらい手間が掛かりそうだ。大体、切削部品をこのクオリティで仕上げるにはNC(数値制御)マシンに頼るしかないわけだが、NC加工の工賃は段取り1回の金額なので1個加工するのと50個加工するのとあまり変わらないので、1個だけ加工すると莫大な金額になってしまうので普通はやらない仕事だ。

幸いこれは2箇所のヘアクラックを補修するだけなので問題はない。

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クラック2箇所、塗装を剥離してからTIG溶接することになる。

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亀裂を溶接だけでは再び発生してしまうだろう。

再発防止のために補強パッチを追加しておく、これで寿命は格段に向上するはずだ。

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こちらはビード肉盛りで様子をみる。

このスイングアームは左右非対称な接合方法で、こちら側だけ突き合わせになっていることが

強度不足の原因とおもわれる。

高負荷の足回り部品を溶接する場合、荷重の方向に対してなるべく長手方向に接合することが

セオリーなのであるが、突き合わせが最も不利な条件なのである。

いずれにしても日本屈指のダウンヒルレーサーが溶接修理を頼ってきてくださったことに感謝いたしまする。

連日猛暑日であろうと、世間はお盆休みであろうと、私には関係ない。

大勢のお客さんが私の作るマフラーを待っていることも充分承知しているが

どうしてもやらねばならないことがある。

それは、このようなものを作ることを約束してしまったからだ。 IMG_0704.JPG

これをつけて走るとどの様な喜びがあるのかは私は知らない。

これは私が考えて作ったものではないが、作った人に再び頼めない理由は

製作者がやめてしまったためであり、既に廃盤の商品になっているからだ。

それなのに、この見本だけで製作に必要な加工寸法を割り出し、材料を選定し、切削工具も購入し

取り掛かっている。

おそらく全工程に費やす時間は100時間を越えるだろう。

時間工賃を1000円で計算しても10万円になるが材料代や工具代は別に実費で払わなければならない。

おそらくこれを希望するお客さんは、そのような計算は一切、頭の中にはないだろう。

もちろん、掛かった全額をお客さんに請求するつもりは毛頭ない。

最初から利益にならない仕事だということを私は分っていたからだ。

それでは何故、儲からない仕事を引き受けたかというと

やってもいないことを、大変だということが嫌いだからだ。

自分がやって経験したことだけが、語っていいことだと思っているからだ。

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アルミの塊からマニュアルのフライス盤で削り出す。この加工時間を加工しないで算出できる人がどれだけいるだろうか。これはピボット部分のパーツ

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土曜日夕方までかかってここまで出来た。

クッションブラケットとリヤアクスルのパーツ。図面が無いので寸法計測しながら加工していくので

非常に時間がかかる。明日のレースの整備があるので、これにて中断。

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本日はアーム製作。

手前がアームの型で、上の4つが絞って出来たアームの部材。

作り方は教えてもよいが、割愛しておく。

よく、作り方を自分で考えないで他人に聞く人がいるが、

調べたり、トライする努力なしに安易に情報を得ようとする行為なので適当に答える。

自分で考えて物事を運ばない人は、新しい物を考案する能力は得られないと考えられるのだ。

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アームを溶接で接合してから、スイングアームの形状に合わせて曲げてある。

組み立て治具に各パーツを固定し、仮留めする。いよいよ本溶接ができる状態だ。

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溶接完了し、バフ研磨して組み付け確認。

100時間を超える全工程が終了した。オリジナルに引けをとらない仕上がりではないか。

こうして絶版のスイングアームは復刻された。溜まっているバックオーダーが恐ろしい。

スズキRMの前のモデルはTMという名称でした。昭和38年生まれの私でさえ乗ったことがありません。

エンジンや車体はほぼハスラー250ではないかと思います。ハスラー90は持ってましたけど、何処へやってしまったかさえ覚えていない遠い昔のことになってしまいました。

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さて今回の製作依頼はTM250のチャンバーです。下に置かれた純正品が老朽化のため新作することになりました。

当時のレーサーはサイレンサーもありませんが、テールパイプにスプリングフックは付いているので

オプションでサイレンサーを装着できたのでしょう。

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潰れたノーマルチャンバーを元に採寸して製作したニューチャンバー。

 

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口元フランジも絶版ということで、新作し、ニューチャンバーとセットになります。

採寸した諸元はこのようにガバリを作成して鉄板に罫書いて製作します。

IMG_0695.JPGそして、オプションのサイレンサーも取り付けました。

 

レストア中のこのマシン、クランクケースもOH中なので内部が確認できますが

これはプライマリーキックではないことが分ります。

最近のオートバイは全てプライマリーが当たり前になっていて、ギヤが入っていてもクラッチを切ってエンジン始動ができる構造になっています。

それはキックギヤとクラッチアウターのギヤの間にプライマリーギヤが存在してメインシャフトの連結をクラッチで解除しながらクランクギヤを回せることで、ギヤが入っていても始動できるわけです。

しかしTMにはプライマリーギヤの軸穴が存在しないことが右ケースを見れば分ります。

キックギヤとカウンターシャフトのギヤが直結の構造です。

即ち、ギヤをニュートラルにしてからキック始動できたということです。

ギヤが入っていれば押しがけはできますから、ロードレースでも押しがけスタートが主流でした。

モトクロスでは、今のようなスターティングマシンは無く、エンジンを止めた状態でオフィシャルの日章旗を振る合図でキックスタートでレースしていました。

当然、右足でキックして、左足でギヤを入れてスタートするわけですから、予めギヤをいれてキックできるプライマリー車の方がスタートが優位だったわけです。

古いマシンを乗っている人を見て、「新型のマシンの方がいいよね」という人がいますが

これは古い名作映画を観たり、懐かしい歌謡曲を聴いたりするのと似ていると思うのです。

新型が性能がいいのは当たり前、いつまでも自分の青春時代のマシンを楽しんでいたいという欲求があることを非常に理解できます。

このダウンチャンバーのリバイバルは口元フランジとサイレンサーも新作で3台分同時に、しかも前金で依頼されていますので、他の仕掛かり業務も含めて8月中に急な依頼がありましてもお引き受けできませんのでご了承ください。

泣く子もだまる(そんなわけない)国際B級(掃いて捨てるほどいる)時代の私。 IMG_0681.JPG

マシンは我社(前の勤め先)で製造したCR250R、88モデル

コースは成田エアポートMXランド。

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ジュニア時代、87年全日本MX第1戦桶川大会の予選1組。

マディーの予選を制したのは私。最も勢いのあった頃だった。

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スタートを正面から見た様子。既に1コーナーへ向けて最短コースへ加速している。

マディでトラクションさせる能力に秀でていたに違いない。

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ジュニア125クラス決勝は残念ながら転倒で16位に終わってしまったが

MXキャリアの中で最も充実していた時期なので忘れることはできない。

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狭山レーシングのエース、井本敬介選手。87年は国際A級2年目

この年の前期は全員125ccでのレースだった。

朝霞研究所、第2研究ブロック操安グループに席を置き後にCRFシリーズの開発責任者になられた。

奥にチームグリーンの岡部篤史、長沼朝之、隣に無限の鶴田忍の姿が見える。

市販CRでワークスライダーに引けをとらない堂々とした走りだった。

井本氏の指導がなければ私の国際B昇格も無かったかもしれない。

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84年関東選手権、予選10組時代。あの頃はとにかく必死だった。

予選を通過しないことには決勝は走れぬ。

あの頃の経験があったからこそ、今の自分がある。モトクロス最高!

依頼されてくる車種は大半がオンロードモデルで今回もその一つ。

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フランスヤマハ製で新車で2ストローク車を生産していますが

法律で出力規制が掛かっているとやらで

もう少しパワーアップを希望しているのがお客さんの願いです。

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ノーマルのチャンバーからは正確なチャンバー諸元が分りません。

そこで過去の同一排気量のデータから適当なものを選んで

形状を車体に合わせて新作しています。

微妙な変更はテストを重ねないと無理ですが、ノーマルより強力な物にするには

レーサーの諸元を引用することで可能となります。

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サイレンサーについても、デチューンの対象ですから排気の抵抗を下げつつ消音効果のある物に作り変えます。

オールアルミでバフ仕上げは2ストモトクロッサーで性能実証済みのアイテムであります。

完成後、チョット公道で試乗してみましたが、美味しい2ストのパワーとサウンドで早くオーナーさんに乗っていただきたいと思いました。

IMG_0677.JPG今回の依頼にはオプションがありまして、coocaseというボックスつきリヤキャリアの取り付けです。

ボックスはワンタッチで脱着できてツーリングに買い物に役立ちそうです。

但し、この車両にはボックスを装着できるキャリアが装備されていないので新作する必要があったのです。

IMG_0679.JPGこれはボックスをはずした様子。

グラブレールのねじ穴を利用してボルトオンにしてあります。完璧な立て付けです。(自画自賛)

 

2010モデルYZ250F用のエキパイをラインナップに加えました。 IMG_0663.JPGチタニウム製のエキパイとサイレンサーを50mmショートにしてオリジナルリヤパイプに換装しました

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エキパイはノーマルと等長ですがレゾネーター付、実用回転域のコントロール性向上と音量の低減が目的です。

サイレンサーはノーマルで音量に余裕があるのでショート化して排気抵抗を減らす目的です。

チタニウム製のオリジナルリヤパイプは騒音と排圧の調整をしたもので

音量は5000rpmで92dB/AでありますのでMFJのレースでも使用可能です。

気になる価格は、

エキパイ ¥21000(税込み)

リヤパイプ (ノーマルサイレンサー組み換え工賃込み)¥15750(税込み)

現代の2輪車は大型車から原付自転車まで燃料噴射を標準装備する時代。

4輪車は30年ほど前からキャブレターから燃料噴射へ移行していたのに2輪が遅れていた理由が解ったような気がする。

最大の理由は排出ガス規制に対応することにあった。

2輪の場合は規制が強化されたのが最近であることと、4輪のような高性能な燃料噴射装置を採用する車体のスペースと販売価格の低さが、開発の遅れとなって表れたのだろう。

地球温暖化の対策や低公害、省エネのために自動車会社の出した答えはハイブリッド車に並んで

高性能な燃料噴射装置の開発であった。

コモンレール式燃料噴射とピエゾ素子インジェクターが現代最高の環境対応技術といえるだろう。

ピエゾ素子は圧電素子の一種で、応力を加えると電流が起きる物質の総称で

温度、加速度、超音波など各種センサーに使われたり、身近なところにはエプソン、リコー、ブラザー社のインクジェットプリンターはピエゾ素子を使ってインクを噴射している。

写真のような精巧な噴射制御が出来ることからも、燃料の噴射制御も正確に行えることが想像できる。

原始的な燃料噴射は機械式の燃料ポンプで燃圧を上げて、バネで閉じられた弁を圧力で開けて噴射する方式。当然、正確な噴射はできなかった。

燃料の排ガスに与える影響は濃い過ぎるとPM(黒煙)が出たり、燃焼温度が上がってNOxが増加する。薄すぎると出力が出ない、不完全燃焼でCOやHCが増えるといったところ。

コモンレール式燃料噴射は蓄圧式とも呼ばれ、燃料ポンプが単なる燃料の供給ではなく、最新式では2000気圧という超高圧で燃料を加圧して、インジェクターに供給する。

酸素やアルゴンなど高圧ボンベが150気圧なので、その10倍以上だ。

何故そのような高圧が必要かというと、圧縮された燃焼室に微細な粒子として燃料を噴射させるためである。粒子が微細なほど燃焼という化学反応が迅速かつ確実に行われ、出力の向上と排ガスの清浄化に役立つのだ。

それからピエゾ式インジェクター、これは従来のソレノイド(電磁式)バルブに比べ、応答が速いのが特徴で

最新のソレノイドでも1回の燃焼に1から3回の噴射に対してピエゾ式は最高で7回の噴射が可能だという。

噴射間隔でいうとソレノイド式が900分の1マイクロ秒、ピエゾ式が1万分の1マイクロ秒である。

この1燃焼に対して多段噴射が必要な理由は、燃焼を段階的に発生させることで、完全燃焼と燃焼温度を低減させることだ。

そのために、コモンレール式燃料噴射とピエゾタイプインジェクターが不可欠ということだ。

残念ながら製造コストが非常に高価で、おそらくシステム全体で自動二輪車1台分くらい必要だろう。

それ故、2輪車にこれが採用されることは現実的ではない。

最初にコモンレール式燃料噴射を量産したメーカーは1995年、デンソーである。

主にトラックの直噴用で車両価格が1千万円クラスなので採用できただろう。

それに対して高級乗用車をターゲットにコモンレール式を量産したのがボッシュだ。

BMWやメルセデスベンツなので高額なシステムでも全体の割合からすると大したことはない。

遅れをとって後にトヨタレクサスにもデンソーのシステムが採用された。

我々の興味があるのはオフロードレーサーの燃料噴射システムだが

認定モデルではないため、排ガス規制の対照ではない。

したがって、高額な投資をして燃料噴射を開発する必要がない、キャブレターでも充分な性能が出せるなど、4輪のような高性能な噴射装置は装備しないだろうと考える。

4輪のような燃焼室直噴も聞いたことがないし、吸気通路に空気と混ぜてポートから吸入する

ウォールガイド式(空気流動で成層化)が主流だろう。

これが進化すると、ストイキ直噴(理論混合比で成層化)、スプレーガイド式直噴(高圧で噴霧で成層化)ということになり、吸気管内方式と比較して15%も燃費低減できるという。

こういうわけで、全ての認定車が燃料噴射に移行してきたように、車両価格の高いレーサーから燃料噴射化が進んでいくのが時代の流れなのだろう。

いずれ小排気量車も製造コストの問題が解決次第、移行することになるだろう。

松山オートテックは愛媛県松山市の山中にあるMXコースで、県民の水瓶「石手川ダム」をさらに山奥へ進むと、瀬戸内海が広がる絶景の山の尾根の部分を切り崩したMX場が現れる。

ゴルフ場も隣接しているのでコースまでの道路は完全舗装された環境のよさ。当時のMXファンなら五明(ごみょう)という地名で知られている、そのコースは通称パチ台と呼ばれていて

コースの一番低い位置にスタートとフィニッシュジャンプがあり、高低差100mくらいの斜面を一気に上ってからパチンコ台のようにクネクネとバンクのついたタイトコーナーを曲がりながら下ってくるので

下からコースの状態が80%くらい見えるので観戦しやすいコースだった。

松の木の山林に黄色い山砂のコースは日本のMXコースの中でも一番美しかっただろう。

そしてカワサキ ダートクルニクルスの記事を読んでいて懐かしく思った。

チームグリーンの平井監督の話だったが、最初に育てたA級ライダーは中深迫正と菅原義広。

その前にチームグリーンとして成功したのがスーパーノービス調所伸一と鈴木南平だったことを

平井監督が語っている。

そして、その舞台が全日本四国大会の松山オートテック、83年のレースだった。

コースの一番高いストレートが終わった左コーナーの向こうは青い瀬戸内海が見えるはずだが

ライダーにはそんな景色は目に入らない、バンクのコーナーを立ち上がったら、菅生の大坂より長い下りジャンプが待っているからだ。

そのジャンプを最初に飛び出してきたのが、調所伸一と鈴木南平のカワサキだったわけだ。

私も鮮明に覚えている。現地には行っていないがライディングスポーツ誌の見開き2ページを飾った写真が、その場面だったからだ。

調所選手の逸話は、桶川のレースで優勝したあと、「フロントフォークがいつもと違う」と言ったので

フロントフォークをばらしたら、片方のフォークにオイルが入ってなかったという話。

片方のオイルがなくても勝てるくらい速かったということだ。

鈴木選手はバイクランドジャパンの御子息、木更津サーキット(イーストバレー)や飯倉スポーツランドも経営していた、あの鈴木さんである。

2人は早くMXに見切りをつけて別の道に進んだと聞いたが、ワークスライダー養成チームとしてのチームグリーンの活躍の原点は彼らだったに違いない。

ハンチング帽にサングラス姿の平井監督は全日本MXの名物となっていた。そんな平井監督と私は一言だけ会話したことがある。

86年の国際B級ゼッケン2はクレイジー安藤さんだ。

安藤さんは石神覚さんのポイントワンに所属していたころから狭山レーシングと縁があり、

カワサキに乗り換えてジュニアライダースに所属してからも、狭山のトラックで全日本遠征していた。

菅生の全日本のときB級の予選でサインエリアにいたとき、平井監督が私に「安藤は予選通過したかー」と尋ねられた。「ハイ、通過しました!」 たったこれだけだが忘れられない。

国際Aは私にとって神様だ、そして監督は神様を育てている創造神なのだ。

安藤さんは前年、カワサキに乗り換えて鈴鹿で4位に入った。申請すればA級昇格できたのだが

「申請A級はインチキだ」と言って翌年、優勝するつもりでいたのに成績不振で折れてしまったのだ。

平井監督はカワサキに乗って速かった安藤さんにも期待をかけていたのだろう。

話は逸れてしまったが

松山オートテックは85年、先輩の井本さんがB級ゼッケン9の年に全日本四国大会として最後のレースを開催した。

その日のマーシャルは四国のトップライダー三原達夫。

国際Bの公式練習は三原選手と井本選手の一騎打ちだった。

四国選手権のトップライダーの松山でのスピードを見せ付けたいという思いと

一桁ゼッケンが田舎B級に負けてはいけないというプライドが、走りに表れていた。

そして、三原選手の御子息は後にチームグリーンへ入るほど成長し、親の意思を継いだと思われる。

その選手の名前は三原拓也、四国で8番目の国際A級ライダーとなった。

 

A級250でヒート優勝したのがMX界1のイケメン立脇三樹夫選手だったのが印象的だった。

その後はゴルフ場建設予定地になってしまい閉鎖したと聞いている。

大分のホンダウイングイワオ様から特注の製作依頼です。

10モデルCRF250Rのエキパイ製作ですが

ノーマルがステンレスと鉄のフランジに対してチタニウムとアルミフランジでリプレイスします。

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チタンパイプφ35とφ38.1の2種類を使います・

片方に蓋を溶接して砂を詰めます。

この砂詰めが不十分だとパイプが潰れたり、皺が入って不良品になってしまいます。

1台分のパイプ代が1万円くらいしますの無駄にすることはできません。

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量産のエキパイは100%機械曲げです。

パイプを潰さないように曲げるためにはR曲げ専用の機械が必要で非常に高額な投資になります。

我社は高額な投資はしません。なぜなら、お客さんの必要数は1本だけだからです。

1本だけ曲げるのでしたら、このように万力と炙りバーナーだけで充分です。

180°曲げですが熟練した手曲げ技術がないと高価な材料を何本も無駄にしてしまうでしょう。

これができないとマフラー屋とは呼べませんね。

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取り回しは車両がありませんので、このような治具を作って合わせます。

イワオさんからノーマルのエキパイと取り付け状態の画像を送っていただき、それを元に車体との位置関係がうまくいくようにゲージを作っておきました。

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曲げたパイプをつなぎ合わせてノーマル形状のエキパイが出来ました。

フランジはアルミ板をフライス加工で作ったものです。

ホンダのモトクロッサーはHRCのキットパーツが別売りされていますので純正部品はコストダウンの対象なのでしょう。

やっぱり他メーカー並みにチタニウムにしていただかないと私の仕事が増えてしまいます。

日付けは変わってしまいましたが、昨日は100年に1度しか訪れない

暦的に一生に一回の日でした。 22年2月22日 ニャンが5つ

2月22日は毎年来ますが22年の次は122ですからあり得ませんので、次の元号の22まで来ません。

33もありませんので同じ数字が5つ並ぶのは1と2だけなのです。

そんな昨日はニャンコの日ということで IMG_0288.JPG

ニーコさんは、ダッコさせてくれません。ある人の説によると「守りネコ」だということです。

ダッコされるネコは守られているネコなので、主人を守るネコはダッコなんかさせるわけがない

のだそうです。

そういえば、いつも外を見張っていたり、このように高い所から見下ろすようにしていたり

ご主人に悪いやつが近づかないようにしてくれているかもしれません。

IMG_0349_2.JPG              見てる見てる。霊能力は人間の比じゃありません。

             姿の見えない物もわかっているみたいです。

1980年香川県丸亀市の特設会場。瀬戸大橋もまだ出来てないころ

学生だった私は四国選手権でこのコースを走った覚えがある。

同年の全日本も日曜だけ観戦した。

当時はA級のレースは土曜日125クラス40分+2周2ヒート、日曜日250クラス40分プラス2周2ヒート。日本のMX史上最強のレース内容だったのではないか。

日曜の朝、会場に着いたら海岸のパドックにゼッケン#3福本車のRC125が優勝したということで展示されていたのを鮮明に覚えている。

23歳の東福寺さんが#7でヤマハファクトリーなんて今モトクロス観にきている人はどれだけ知っているんだろうか?

丸亀製麺で懐かしい貴重な記事を見つけたので勝手に拝借です。