スティーブ・マーティン

アメリカ人として最初の全日本MXチャンピオン。84年に日本に呼び寄せたのはモトレオン(ロッキースポーツの前身)でした。
84年は私ノービスでしたので狭山レーシングの全日本遠征で先輩ライダーのメカニックとして回っていました。井本さんが国際B級1年目で第2戦、広島の三次でのレースのときでした。
全日本デビュー戦だったスティーブのマシンは第1ヒートのスタート前、クラッチ交換でRケースカバーがなかなか入らず遅れていたのでした。(ウォーターポンプギヤが噛み合っていないとカバーが入りません。そのときはキックシャフトを動かしてクランクを少し動かすと入ります。)
スタート30秒前にギリギリ間に合ってスタートしました。
ホールショットはこの年からプライベート参戦の福本敏夫。
長い登りでぶっちぎったと思って「どーじゃー!」と振り返ったら、スティーブのマシンが大暴れしながら追いかけて来ていたそうです。
そして福本選手を抜いて初参戦で1位になりました。
続く第2ヒートは小田桐昭蔵選手が最終ラップまでトップ独走かと思ったのですが、油断した隙にインからスルリと交わされスティーブの逆転優勝。烈火のごとく怒った小田桐選手の表情が忘れられません。
その年はスティーブが全勝でチャンピオンだったと記憶しています。
翌年は中部ミスターバイクからの参戦でしたが日本人ライダーに2回だけ敗れています。
雨の桶川で小田桐選手が雪辱を果たしました。青森出身のライダーはマディーのライン取りが他の選手と違っていて独特の走り方は圧巻でしたが、フロリダ出身のスティーブには桶川の泥は苦手だったかもしれません。
二人目のマーチンを破った日本人ライダーは杉尾良文選手。やはりプライベート参戦でしたが、独自にアルミフレームのCR250を作って、菅生の1戦だけの使用でしたが見事に目標達成でした。
いずれも市販車ベースのマシンによる優勝で、メーカーのワークスチームなんしよんの状態でしたね。
スティーブ・マーチンの市販車による2年連続チャンピオン獲得がモトクロスはマシン性能よりライディングテクニックが重要ということを証明した時代でした。


サイクルサウンズ誌(山海堂)の別冊ビデオですね。
2:53あたりから金髪伊田さんのホールショットシーンが見れます。
モトクロスというスポーツは日本ではアカデミックに習う機会がないですね。
皆独自に思い思いの練習法でやるしかないですが、このビデオのように基本的な練習方法を参考にしていれば上達が早かったかもしれません。
収録場所は成田エアポートMXランドですが、当時は私も毎月のように行ってました。
本コースとは別に練習コースが作ってあって、4連ジャンプやウォッシュボード(今フープス)など充実した内容でした。
最近のMX場は本コースしかなくコースをグルグル周回するだけが練習になってしまうのでライディングテクニックの習得に時間が掛かってしまうのでしょう。
成田エアポートMXランドは関東エリアでは最高のMX環境にあったと思います。
スティーブ・マーチンの影響度は大きく当時のライダーはアメリカンライディングを一生懸命練習したものですが、今はそういう場所が無くなってしまったのが残念で仕方ありません。














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