1978年ホンダ2輪車の新機種発表は忘れられません。
オートバイ誌の巻頭カラーページでCBX1000、GL500、XL250Sという
3機種同時ラインナップは、全く性質の異なる機種の開発製造を同時に行えるという
企業力の絶大さを表すものでした。
当時2輪部門の最高責任者、入交昭一郎氏の指揮により低迷していた2輪販売の世界戦略を打ち出した形でした。
新入社員のころ、鈴鹿サーキットの体育館に新卒400名を集めて取締役の式辞を述べられるために
ヘリコプターに乗って来場された当時副社長の入交氏でしたが、
配属されてから聞かされたのは、技師や研究員たちから「あれほど頭のいい人を見たことが無い」と言わしめる天才技術者だったということ。
その人が中心となって企画した、あの78年に発表された新車ラインナップなのだとしみじみ思います。

そのうちの一台GL500は当初純粋なロードスポーツモデルでしたが、同系統のエンジンで、後に
アメリカンとユーロという嗜好の違ったラインナップを発表したのでした。

そしてこれが2代目、アメリカンスタイルのGL500カスタムです。

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エンジン形式がホンダにとってもユニークで
モトグッチのようなV型2気筒、縦置きクランクのシャフトドライブ

ホンダとして初の水冷エンジン
OHVながら4バルブ/シリンダー
ボア・ストローク78×52というショートストロークエンジンはF1のV12気筒の2気筒分と同寸法ということで
500×6=3000ccですね。

画像のマシンはドリームE型を彷彿させる
漆黒に塗られた美車ですが
フルエキゾースト製作のためお預かりしたものです。
後日製作記を掲載予定です。

邦題「悪魔の呪文」
なんとかのナニナニという、当時流行りの、楽曲とは無関係なネーミングですが
先日FMで流れていて懐かしく思いました。
中学時代、カセットテープで聞いていたもんでした。

オランダのロックバンド、フォーカスは78年に解散していたんですね。
どおりで80年代以降見かけなかったわけです。

テイス・ヴァン・レールのKeyとフルート、ヨーデリングが異彩を放つ楽曲なのでよく覚えています。
Gerのヤン・アッカーマンはロックの本場、全英で3大ギタリストを人気投票で超えたことがあるアーティストでした。
これはカッチョいいわけです。


7月、8月は右腕の故障のためモトクロスは休みと決めていたのにウソをついたので
バチが当たって、右腕の症状は悪化し腰痛も再発してしまいました。

回復するまで、座ったら自力で立ち上がれないは、右手で物を掴むことも困難です。
MCFAJ第6戦MXVを走ったのですが
ヒート1で2回追突して引き起こしているうちに体力が尽きて腰痛が発生したため
ヒート2はキャンセルという、怪我を悪化させるだけのレースでした。

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公式練習の画像ですね。

城北ライダースOBの吉友寿夫選手が撮って送ってくださいました。

自らもビンテージレース参戦でお忙しい中恐縮です。
しかし、被写体はイケてないですが
写真は上手いですねー。






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今回は手も痛いし、MXVは狭いので
450で楽しめるコースではないので
保存用のキャブレター車
09Mの250で出走しました。

ヒート1のスタート前、サイティングラップのときにエンジンかからず、あわやDNFの状況でした。
私がキック10回くらい踏んでも始動できないでいると、何人か寄ってきて代わりにかけてくれようとするのだけど、かかりません。

とうとうサイティングラップも終わって
スタート15秒前でエンジン始動できました。
旧式車持ち出してきてご迷惑おかけしました。
キャブ仕様の4ストは不意にエンジンストップさせると始動不良になることがあります。
アクセルが開いているとかからないという意見がありますが、それは冷間時チョークを使ったときだけ
あてはまる方法だと思います。
なぜなら始動不良は点火が正常なら着火に必要な燃料が足りてない状態だからです。
特に始動時は空気流量も不足しているので、メインノズルから噴出したガソリンが吸入通路に付着したりして運転時よりガソリンが吸入されていないと考えるべきです。
なのでアクセルは適度に開ける方が多くのガソリンが燃焼室に届くので掛かるはずです。
始動の儀式を怠ったための結果ということです。

気温も暑く、レース時間も20分なのでスタートにはこだわらず出遅れてスタートしたら、土煙で視界不良で何台か転倒されていたおかげで序盤一桁ポジションで走れたと思いますが、
田淵さんと伊田さんにラップされるとき前回のMXV同様伊田さんがエンストしたところへ突っ込んで転倒したので後続に一気に追いつかれ後退、終盤に城北の久保選手とのバトルで再び追突して体力が尽きてしまいました。
パドックに戻ってから腰痛と腕の痛みで乗れそうもなかったのでヒート2はリタイヤしましたので
結果はヒート1の9位と12ポイントだけということです。
来月は療養と地域の盆踊り大会の役員のため、今度こそレースは休みです。

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城北ライダース、吉友さん秘蔵のマシン
私設展示会を展開しておられます。

ヤマハAT1改

#1は鈴木忠男車ファクトリーマシン

#4はレース車だそうです。








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MCFAJゆかりのモーターサイクリスト誌
1970年の記事をパネル展示されてました。

是非拡大して本文をお読みいただければ幸いです。

市販車がピストンバルブの時代に
リードバルブ付きのスペシャルエンジンだということが書かれています。
マニアックですねー





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ACTSのレースで鈴木忠男さんがAT1改に乗った時の写真です。

現地で見たかったなー

貴重な物をありがとうございました。










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隣のパドックは本庄レーシングの
芦沢参三選手のKX250A1

ビンテージクラス優勝でした。お見事!

関東地区の旧車オーナーのみなさん、
MCFAJでお気楽ビンテージレース
やってますぞ。

もう少し集まってもらわないと
近いうちに消滅するかも






それでは、しばしモトクロスとはお別れです。










4型(78年)RM125ですが、去年ドライブスプロケット摩耗でチェーン脱落しました。
純正のスプロケットを調べたら、ナメてしまったのは13Tでしたが標準は14Tということが
判りました。
当然ドリブンスプロケットも違っていたので、この際標準にして乗ってみようというのが
問題の始まりでした。
この車両は4型だと鵜呑みにしていたので、78年の標準で59T(在庫一個限り)を注文してみたら
ハブ取り付け部が全然違っていて使えません。
どうやら3型以前のリヤホイールが取り付けられているようです。
それならば3型の59Tを注文しようとしましたが在庫が無く、海外お取り寄せなら可能だということですが
スプロケットごとき、作ってしまえという考えにいたりました。


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部品メーカーならCNC加工で作るところですが
当方には加工機がありませんので
フライスと旋盤だけで加工します。

A7075の板を取り寄せましたが
t8しかありませんので

スプロケットの板厚t7.3になるように
切削しています。(428サイズ)

3型のハブ穴は予め加工しておいて
ハブセンター基準で外周とピッチ円周上に
59個の下穴を空けておきます。



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刃先を加工しますが
これはバイトがビビッてダメでした。

大体の形状はできたので、後で修正します。











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刃先の形状を整えます。

正確なピッチ円と刃先の形状ができていないと
チェーンがうまく食いついてくれないです。

改めて標準のスプロケットの加工精度が重要なことに気付かされます。








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純正品に準じて、肉抜き穴加工しています。

8回段取り変えしますので
8か所穴加工で2時間かかります。

トータルで冶具加工も含めて
1.5日費やしています。

1万円以下で完成品買えることの
ありがたみをヒシヒシと体験できました。






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左は3型ハブセンターのマスターに

右が4型純正品、ピッチ円のマスターに

図面が無いので現物が役に立ちました。

下側が今回のワーク









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組立て確認OK

チェーン滑らかに回ります。

これでいつでも乗りに行けるというわけです。

スプロケット注文して作るメーカーもありますが、これは自分で作るという遊びなんで
他人に頼んでいたら遊びにならんですからね。
CR250Rの空冷エンジン最終型が467ということですが
50歳以下の人はリアルタイムで見たり乗ったりした人は殆どいないと思います。
当時小学生でCR250乗るわけないですからね。
私も最初に乗ったホンダのモトクロッサーはKA3(水冷の初期型)ですから
467は見たことあっても触ったことが全然ないのに、チャンバー作りで初めて触るという
因果な巡り合わせです。

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80年頃、五明(松山オートテック)へ練習に行くと、瀬戸レーシングのメンバーが430、467を並べて置いてあったのを思い出します。
あんな竹馬みたいに背の高いバイクは俺には乗れねエと思っていました。

瀬戸レーシング言えば、最初のRSC契約ライダー、
吉村太一さん、上野広一さんのチームメイト松本満男さんですね。
私が見たころはギリギリ現役の松本さんの姿でしたが
四国では、うず潮RCか瀬戸レーシングかという勢力でした。

そうか、そうか、あのとき見たマシンなのだなと。
名前を憶えているんは、池田昇さんと小椋兄弟ですかね。
当時の師匠、中川さんが「立っとるか座っとるかわからんやろ」というのが池田さんで小柄なのに速いナーと思って見ていました。
小椋さんの弟は僕と同期なんですが、兄貴の方が国際B級で81年の全日本松山大会の予選だったですけど、スタート直後の1コーナー立ち上がりでマシンから投げ出されて、駆け寄っていく姿がみえました。すると起こしたマシンのハンドルが折れていたので、そのままリタイヤでしたが、
あんな速い人が予選で転ばされるのかと思って、俺なんか絶対全日本なんか走りたくないなと思ったもんです。

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四国出身の国際A級ライダーは福本敏夫さんがカワサキで走られていたころなんですが、
それより先にメーカーと契約された人がおられたことも知らなかったんです。

当時はオートバイ雑誌しか情報がなかったですからね。
なーんも知らんとモトクロスしよりました。







また昔話かと思われるかもしれませんが
オッサンが集うと見事に昔話しかしません。
30年、40年前のことを先月のことのように、です。
「オレは小野沢に勝ったんだ」
「ええー!ほんとうですか、すごいじゃないですか」
そんで「いつの話ですか?」
「ノービスの時だ」
「なんだ35年も前のことじゃないですか」
こんな感じです。

思い起こすと、今より若かったころの方が楽しかったのでしょう。
そして人は過去の経験、出来事を積み重ねて構築されている生き物のようです。

新しいことを言うときは仕事の打ち合わせ時ですが
そうしないと生活していかれないので仕方ありません。

右手首から肘にかけて、物を掴む動作と右肘を曲げる動作のときに痛みがあり
通常の半分程度の力しか出せません。
右手首の捻挫をかばうことで筋に炎症が出た症状です。
外科的に直す方法は「安静にすること」なので
使っていると中々直らない怪我だそうです。
仕事で右手を使わないわけにはいきませんが
7月、8月はモトクロスはお休みです。
小柄なライダーは体重移動によるライディングには期待できません。
移動量が少ない代わりに腕力を使うことになりますので、怪我を直すためには
腕に負荷のかかることはやらない方がいいでしょう。

仕事の予定はバックオーダー関係で2か月程度かかりますが、
持ち込み予定の車両も幾つかありますので、お盆くらいまでは空きがないですね。

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今年の目標というほどのものではないですが

去年、ここへ行ったのが雨降りだったので
晴れの日にもう一度リベンジしたいです。

「元日本で一番海に近い駅」









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雨でもこのように澄んだ海なので
青い空の下ならどれほど美しいでしょうか。

もう一つの目的は、ここから100kmくらい南下したところにある
愛南町です。

そこには「紫電改展示館」があります。

太平洋戦争末期、松山基地の第三四三海軍航空隊から出撃した紫電改と米軍機が空中戦を戦いました。
南宇和海に墜落した同機を昭和56年に
水深40mの海底から引き上げ、修復した
日本でただ一機がそこに展示されているそうなので、愛媛県人として是非見ておきたいと思うのです。

出撃記録と搭乗員名簿も残っているそうです。
ご遺体は発見されていません。
その機体にどれだけの人が関わったか、最期の姿は永久に保存されていくと思うので
どうしても、体がいごくうちに行きたいところナンバー1です。
時期はお米と柿などを収穫するころに行く予定でおります。

先日、レッドブル・エアレースで、デモ飛行した「零戦」は飛行可能な唯一機の零として有名ですが
日本の保存委員会の人が自費で3000万円かけて運搬したそうです。
模擬飛行にかかる費用も整備代や操縦士の謝礼、保険などで一回1500万円だそうで
有料のイベント収入がなければ困難な状況だそうです。
貴重な戦争遺産ですが現物が保存できなくなったら、戦争の惨禍を語り継ぐことも難しくなるでしょう。
そういう意味で、飛べない機体でも実際に使用され墜落し、奇跡的に引き上げられ復元されたものを
見に行かない理由がありません。



実家の畑は、高速脇の平らなところは農家さんにお貸ししているので大丈夫ですが
イノシシとお猿が出る山の方は耕作放棄して雑草伸び放題です。
みかん、柿、栗の木などが植わっていますが、採り切れないので伐採しようかと思っています。
そうすれば人が入れるようになるのですが
年に一回くらいの帰省では時間が無くてどうしようもない状態です。
実家帰って重労働だけでは気が滅入ってしまうので息抜きに観光してくるのがいいかと思い
南予方面、旅行計画中です。
マツダのレーシングドライバーで2輪時代は世界GP50ccランキング2位だった故片山義美選手のことを
「刀が抜き身で立っているようだ」と形容したジャーナリストがおられたそうですが
抜き身の刀という表現が一般的に広まったのは1963年上映の東映時代劇「椿三十郎」だったのではないでしょうか。
山本周五郎の小説「日々平安」が原作で主演三船敏郎、敵役仲代達矢でした。
私が生まれた年に公開された映画ですが、ラストの決闘シーンが実に興味深いものでした。

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あまりにも速い殺陣で、どのように斬ったか見えなかったので静止画で検証しました。

左が椿三十郎、右が室戸半兵衛

これから決闘で睨み合っているのですが
普通の立ち合いより距離が近いのが気になります。








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半兵衛は普通に抜いて上段に構えようとしているところですが

三十郎は左手で逆手に持ったまま抜いていることがわかります。

どう見ても胴体を斬った太刀筋ではありません。









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医療関係者から、あんなに血が噴き出るはずがないと批評されたシーン。

血糊をポンプで噴射させる仕掛けですが
速すぎて見えないわけです。
斬ってないんですからね。

右手を峰に押し当てて斬る技は
天然理心流かと思いましたが
殺陣師、久世竜の演技指導だということでした。

リアリティーを求める黒沢明監督の映画では、この作品以降派手な流血シーンを演出することは無くなったそうです。
天然理心流は新選組の近藤勇や沖田総司らの池田屋事件で長州や土佐の尊王攘夷派の藩士を斬った剣術ですが
狭い日本家屋で刀を振り回すことなく至近距離で敵を倒す技術でした。
戦国時代の戦では槍や弓矢が主流だったという、遺骨の傷や鎧の損傷などから日本刀が戦闘の主流でなかった説がありますが、吉良邸討ち入りや池田屋事件の史実にある通り、槍や弓矢こそ屋内では使いにくい武器だったでしょう。襲撃は大概、夜で暗闇の室内ですから、柄を両手で握って広くて明るい時間の道場でやるような剣術は実戦的でなかったかもしれません。
劇中の台詞で「良い刀は鞘に入っているものだ。」というのがありましたが抜き身の刀では危なくて近寄り難いですからね。


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長年痛め続けた手首がついに、限界を迎えました。

転倒したときに右手を突いてしまうクセがあって、大怪我は免れていますが
骨と骨を繋ぐ靭帯が伸びてしまって
手首の痛みが直らなくなりました。

そして痛む手首をかばうためか、腕の筋も同様に痛んで半分くらいしか力が出ません。
モトクロスはいつ止めてもいいと思っていますが手が痛くて仕事できないようでは困りますので控えめにしておきます。


朝起きたときが最悪で、背中全体と両手首が痛くて、直ぐに動けないので血流が上がると少し楽になるため軽いストレッチしてから起きるようにしています。
この調子では10年後には運動できない体になっているかもしれません。


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今日は嫁のオートバイを取り上げて乗りました。
狭いコースで450は持て余すので
250なら少しは楽だろうと思いました。

それが3年ぶりに乗るマシンなので新鮮な印象でした。

とにかく軽快な取り回し、
エンジンは450より加速は悪いですが
よく回るし、高回転キープしないと走らない感じがミニバイクのようでもあります。
しかしフルサイズのサスペンションですから
安定性はミニバイクとは比較になりません。

要するに速さはともかく、乗り易いということです。
この車体にフロントエアサスは最も軽量です。乗る度に速度が上がっていくので面白くなってきましたが
手首が悪化しない程度で終了です。
右手首の動きは複雑で、特に右コーナーでは突っ込みのギャップをコラえながらブレーキとアクセルを操作してマシンを寝かして起こすという同時にいくつも動作がありますので、柔らかく動かない手首では難しいです。

CRF250は04年から発売されましたが、2年間はシングルマフラーでした。
05年に芹沢直樹選手が全日本参戦したときに試作のツインマフラーだったのを見て
シングルでも5万円以上するマフラーですからツインではコストが高くて量産はしないだろうと思っていました。
すると今のHRCでは量産を前提としないマシンの開発はしない。という言葉どおり06モデルからツインマフラーとして販売されたのでした。
そしてマフラーの仕様は毎年マイナーチェンジを受けて違う物に変更されていて、この09がキャブレター車の最終モデルなのです。
2010からFIが採用されているので09がCRF250キャブ車史上最も高性能ということになります。
ツインマフラーは二又のパイプのところがネックで排気抵抗になります。
出口が二つあると合計の開口面積が同等のシングルマフラーに比べて騒音が上がってしまう傾向があります。
だから騒音規制と排気効率の相反する性能のため毎年変わっていたと思います。
なので面倒なツインでなく、このマシンは旧型の450シングルマフラーを改造して付けています。

しかしながら、新めて乗ってみるとFIの優位さがよくわかりました。
特に低中速のツキの良さが全然違います。
キャブレターはパイロットスクリューで調整するだけの範囲がFIのマッピングでもっと詳細にセッティングできるのですから適うはずがありません。
いまさらキャブレターの時代は終わったと実感しましたが、この乗りにくいところをテクニックでカバーする面白さは残っていると思います。
具体的にいうと全開域はキャブレターでも遜色ないと思うのですが、低速が弱いので高回転キープしたクラッチワークができれば、FI車に付いていくことはできるかもしれません。

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そのクラッチなんですが
マグラの油圧に取り替えているので
メリットだけではないです。

ワイヤーと違ってクラッチの繋がるタイミングが分からないのです。
タイヤがトラクションしていくことでクラッチミートを認識できるのですが、手に伝わる抵抗が一定で分かりずらいようです。

昔、カツミ君が全ろうでオートバイ乗るのに
エンジン音が聞こえないから振動で回転数を感じ取ってギヤチェンジしていたという感覚に近いかもしれません。

人間の感覚は最初わからなくても繰り返し練習していくことで新しい感覚が身についてくるものでしょう。何をやるにも一緒だと思います。
私は本当に乗り物不器用で、クラッチミートできずに今日は2回、立ちゴケしてしまったことを白状します。(足届かないだけです)