■ クラシックバイク

ワンオフ製作のチャンバーを希望されるお客さんは次のことに、ご注意ください。

製作したいチャンバーの寸法図、または見本が無い場合はお引き受けできません。チャンバーの諸元はエンジンの仕様と密接な関係がありますので、車種毎に専用設計になっています。寸法図が提示されない場合は新規に設計しなければなりませんが、経験の無い車種のチャンバーをゼロから製作するとなると相当な試作とテストを繰り返さなければ、満足な物は作れないでしょう。そういう決まっていない試作などの期間や費用はお約束できるものではないということが理由です。

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今回のDT125は全く経験ありませんでしたが、製作できる可能性があったことと、こういう依頼に対応できないと、弊社の存在意義も無いと考えましたので、お引き受けすることにしました。

ワンオフなど安易に引き受けるものではないことを思い知らされる例でした。

DT125といえば水冷エンジンのチャンバーしか経験が無かったのですが、このマシンは空冷エンジンでした。初期型は78年ですがこれは後期型の80年モデルのようです。

依頼内容はRZ125チャンバーのスペックで作りたいということだったのですが、ボア、ストロークが56×50で同じなので使えると思ったのですが駄目でした。ノーマルチャンバーの寸法とRZ用が違い過ぎて、おそらくパワーダウンするだろうと予測したからです。

では空冷エンジンのレーサー用ということで77CR125が56×50で同じボア、ストロークなので使えるのではないかと試作に取りかかったのでした。

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これが77CR125スペックですが、試乗してみて落胆しました。

全体的にトルク不足で高速も伸びない、ノーマルより全然走らない失敗作でした。

カタログ値だけの性能比較ですがDTは13PS/7500rpmに対して77CRは22PS/10000rpmということで、同じボア、ストロークでも性能が格段に違うということ。ポート形状やピストン形状など他の要素が大きく違っているためにチャンバー形状も違ってくるということを物語っています。

当時のDTと同じ鋳造型で製造されている80年式YZ125も同じボア、ストロークですが、26.5PS/11000rpmという高回転高出力型の特性を持ちます。一般市販車のDTの性能が違うのは公道での乗りやすさや安全性を重視した結果と考えられますので、やはりノーマルチャンバーをベースに作らなければならないということです。

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ノーマルチャンバーは膨張部が2重構造になっていますので、外形寸法からは内部の寸法が測れません。

ストレート部とコンバージェント(収束)コーンは125クラスの過去データーから妥当な寸法を導き出し、推測して決めました。

ようやくワンオフ製作に掛かることができます。

 

 

 

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テールパイプがモノクロスサスのショックとクリーナーボックスの狭い隙間をクネクネと曲がって通してあります。こういう部分は実車がないと製作不可能です。

サイレンサーも頼まれましたのでレトロな雰囲気のオールアルミで仕上げました。

試乗してみましたら、ノーマル同様の特性で5000rpmから8000rpmまでパワーバンドが広がる乗りやすいものにできました。

8000rpmからレッドゾーンなので、レーサーのように高回転で回す必要がないエンジンです。

32年前のオートバイなので部品も廃番になっています。壊さないように走り続けていただきたいと思います。

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レストア界の最高権威、小林さんから溶接肉盛りを頼まれたケースカバー。

左ケースと思いますが、車種が分らない私が質問しましたら、ホンダSAだとおっしゃいました。1955年製の同車種ですが、最近まで実動で、イタリアで開催された2000kmのラリーを完走して年代別クラスで入賞したマシンだそうです。

ヨーロッパの旧車レースは日本とは比較にならない人気とレベルの高さが予想されます。

自分を育ててもらった会社のマシンですから、恥ずかしながら調べてみましたら、これがホンダの2輪車の歴史上重要な役割を担ったマシンであることがわかりました。 ドリームSA.jpg

ホンダコレクションホールの展示車画像から拝借しました。

たしかにこの車両の左ケースが同じ形状を呈しています。

これがホンダ初の4ストエンジン、OHC単気筒250ccです。

本田宗一郎さん直々の設計で、夢の4ストロークエンジンが完成したので、ドリームという車名を与えた最初のマシンです。

製造された1955年にレースに出場しています。日本にサーキットが無かった時代で

7月に第3回富士登山レースで250ccクラス優勝。11月の第1回浅間火山レースで250ccクラス2位入賞という快挙。因みにこのレースの優勝はライラックに乗る伝説のレーサー伊藤史郎でした。

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修理内容は、オイルドレンに亀裂が発生したため溶接肉盛りをすることです。

古いダイキャストですから表面を少し削って地金を出す必要があります。

酸化皮膜が溶接不良を引き起こすためです。アルミの溶接は交流TIGを使いますが、交流は極性が+ー交互に流れる高周波です。+イオンを衝突させ酸化皮膜を除去しながらー電子でアルミを溶かします。この酸化皮膜が強固な場合、除去できずに上手く溶けてくれないため、予め削っておくことが必要です。 

 

 

 

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内側もこの通り一皮剥いて、浸み込んだオイルの脱脂も行います。

 

 

 

 

 

 

 

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ネジ穴の内側から溶かすように溶接棒で埋めてしまいます。

ここに新たなネジ穴とボルト座面を加工するのですが、私の仕事はここまで

続きは小林さんのレストア工房の加工機で行います。

サンドブラストで全体を美しく仕上げて、消耗部品も新品交換して組み上げますので、新車同様のコンディションになるでしょう。

小林さんは、ホンダのワークスレーサー、ダブルプロリンクや2気筒RCなどの開発を勤め、オートマチックRC時代のHRC監督でしたが、その後、会社命令でコレクションホールの立ち上げを任され、茂木の展示車両は同氏の作品であります。

英国バーミンガムのモーターサイクルミュージアムも見た事がありますが、展示台数は多いですが、旧車のコンディションは悪かったと思います。それに比べて、茂木のコレクションホールは全車動態保存で外観も新車同様、F1やMotoGPの歴代チャンピオンマシンも保有していることで、間違いなく世界一の2輪4輪博物館であると同時にホンダの偉業を実物で感じ取れる、後世に伝えたい異空間であることを申し上げておきます。

およそ45年くらい前に製造された車両でしょうか。これは、CSというロードスポーツタイプですが、これと同形式のエンジンを搭載したCLというスクランブラータイプが私の実家にありました。

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CL90はオヤジがスクランブルやるために買ったものではなく、会社に通勤するための実用車だったのです。母親は私が8才のときに亡くなっていましたが、記憶に残っていることがあります。

当時、父親は自動車は所有していなかったので、夫婦で買い物に出掛けるときは、オートバイで2人乗りのスタイルでした。まだヘルメット着用は義務でなかったですが、父親はシールド付きハーフキャップ被って、ジャンバーにスラックス、革靴という真面目な服装で乗っていて、母親は頭にスカーフを巻いて、ロングコートの下はスカートでタンデムシートに跨り、ヒールの踵をステップに引っ掛けて乗っかっていました。要するにお洒落着のままオートバイに乗って出かけていたのですね。そんな母親を見て「お母さんは風呂敷被っとった」と父親は言っていました。 40年以上前の話です。

その後、通勤車は自動車に代わったのでCL90は置きっ放しになっていました。私が中学2年になったころ単車に乗りたくて、乗りたくて我慢できずに、親が寝静まったころ、こっそりCL90を持ち出して乗り回すようになりました。クラッチもギヤチェンジも知りません。乗り方教える先生もいません。中学生がたった一人で真夜中の山道で、ライトを頼りに練習していました。真冬で寒かったので、ジャンバーの下に新聞紙を入れて真っ暗な道路を疾走しては、親に気づかれないように返しておく日々が続きました。悪いことは続かないもので、運転に慣れたころに国道を走って遠出したところで警察に捕まって、バレてしまいました。13才のころですから少年法で刑罰はありませんでしたが、夜の監視が厳しくなってしまいました。モトクロス場では13才どころか10才以下でも堂々と単車に乗れるのに、私らが子供のころの環境では非行の元としか見られていませんでした。早く就職して自由に単車に乗ってやると、強く思ったものでした。

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このオートバイを見てそんな昔のことを懐かしく思うのですが、今こうやって現役で走っていることが羨ましく感じます。あの思い出のCL90は、私の非行が元で、処分されてしまいましたから。

頼まれたのはメガホンのマフラーですが、レーシング仕様なので消音器は入っていません。浅間火山レースを彷彿される直管です。長さとテーパーの角度はノーマルのマフラーの中身を参考に最適寸法を推測して製作しました。成績を全く気にしない楽しみのためのレース仕様です。

2000年にトヨタが三菱地所から買収して03年からコースの全面改修を行ったFSWへ行ってきました。MCFAJのロードレース開催日でしたが、レース観戦だけが目的ではありませんでした。

クラブマンMXも同敷地内で開催されていましたので、年3回くらい走りに行っておりましたが、改修工事でMXコースが閉鎖されてからは一度も行ってなかったので、どんな状態か確認することにしました。

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1.5kmという長いストレートの前に立派な3階建てのピットエリアが建っています。

グランドスタンド正面には大画面のモニターが掛かっていて裏のコース状況が実況されるようになっています。

当日は東富士演習場で富士総合火力演習ということで、過去最大規模の実弾訓練があったそうです。大砲80台、戦闘機30機で使用された弾薬は合計40t、金額3億2000万円が消費されたらしく、スピードウェイにも砲撃の音や振動が伝わってくるという独特の環境ですが、敷地内のドリフト練習場のタイヤの悲鳴やエンジンの爆音はそれをはるかに凌ぐもので、普段聞いているモトクロスの音は、静かなトレールバイクのようなものにかんじられます。これが本物のレース場の音です。

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10万人収容できるという観客席は向こうの端がみえないくらい広いです。トヨタがF1を開催する目的で本気を出して作ったことが伺えます。しかし、その影に潜んでいる問題は、コースのインフィールドにあったMX場の閉鎖でした。

80年代のMX黄金期は二度と訪れないということを、この施設を見て確信しました。

鈴鹿や桶川など日本のMXに無くてはならないはずのレース場が消滅しましたが、このFSWも重要な役割を持っていました。

クラブマンMXのエントリー台数は400台を超えていたのに、ここのレースが無くなったおかげで翌年から半数に減少し、最近では100台少し越えるくらいで、近い将来100台割れすることが予想されます。

トヨタはAMAのレースチームにはスポンサードしているのに、MXレーサーより何倍も高価なハイエースを買ってくれるユーザーには来てもらわなくていい、または同社の顧客の多くがMX愛好家であることを視野に全く入っていなかったということを示唆します。

その結果、何百億も掛かったであろうコース改修の末、レース日も空席だらけで、静岡、山梨方面のMXライダーの走る場所を無くしてしまっただけという現状が日本のMXの未来を暗示しているように思われます。

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レースの方は自分の体調が悪く、雰囲気だけ味わって、あまり観ていません。

そのかわり併催されていたビンテージミーティングを見てきました。

初めて見る珍しいオートバイの数々。

これはフジというメーカーのマシン。

フジは勿論、地元の企業で昔オートレース用のエンジンを供給したり、現社名は、あのHKSと変更しました。フジは戦時中中島飛行機の整備士だった人たちが、戦闘機からオートバイに転職して起こした会社です。

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CR110.ホンダの50cc市販ロードレーサー。

世界中に殆ど残っていない希少なマシンがここにありました。

しかも、このマシンのオーナーはもう一台持っていました。

 

 

 

 

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同じCR110のエンジンを載せたモトクロスマシンも作ったようです。

乾式クラッチやエアファンネルでも気にしない大胆さに敬服です。

カムギヤトレインでツインカムの50ccレーサーなど二度と作られることはないでしょう。なぜなら50ccのGPレースは無くなってしまったからです。

私はこのマシンを世界遺産に認定します。いつまでも保存してください。

 

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インディアン4です。1200ccということくらいでよくわかりません。他にも珍しいマシンが多数展示されていましたが、全部走れます。エンジンかけて駐車場をデモ走行してもらいました。

そして、オーナーの年代もそれにふさわしいもので、やはり人間は新しいものより自分と同じ時代を生きてきた物に愛着が沸くものだと実感しました。

私もそんな一台を見つけて共に年を取って行きたいと思います。

 

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サイドカーレースもあります。珍しいカウルはずしの場面です。91年ドニントンで観たヨーロッパ選手権以来です。当時はTZ750エンジンワンメイクでしたが、今はリッターバイクが全盛のようです。大会の規模もレーサーの数も本場ヨーロッパには及びませんが、こんな手作り感満載のレーサー作って遊べる余裕が羨ましい限りです。

今度はじっくり観にきますので、辞めないでがんばってもらいたいです。

とにかく、大企業のバックアップなしでは立派なレース場は生まれません。資本力では比較にならない個人商店で運営されているのがMX場の現状です。こんなところで格差社会を見せつけられたような思いです。自分は自分のスタイルで、できることをやっていこうと思います。

 

 

震災があって3月の走行会が中止になってしまって、預かっていたK125が3ヶ月経って、ようやくチャンバー製作着手することになりました。

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チャンバーに取り掛かる前に、サーキット走行のためセンタースタンドを外す必要がありますが

フレームを貫通しているシャフトが中で曲がっているのか、全く抜けてこないためスタンド外し不可能でした。

やむを得ず、酸素で溶断しました。

シャフトの生材使用はやめましょう。クロームモリブデン鋼にしましょう。

代わりにレーシングスタンドを作ってから作業開始です。

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上がノーマルのマフラー。

2ストシングルなのですが、2個の排気ポートにそれぞれ独立したエキパイということで2本マフラーです。

下が製作したチャンバーとサイレンサー。

エキパイとチャンバーは溶接でワンピースです。

ノーマルは、ダイバージェント(拡散)もコンバージェント(収束)もありません。筒の中に仕切り板があって、反射を起こす構造で、仕切り板の位置を測ってチャンバーの諸元を推定しました。この置き換えは、あまり経験がありませんので、出来上がりの性能が楽しみです。

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オーナーが取り付けてあったステップブラケットもチャンバーのレイアウトの邪魔になるので移設させていただいて、スッキリとストレートチャンバーに決めました。

キックアームは始動時にブレーキペダルにぶつかるので、可倒式に交換するべきと思います。

12Vバッテリーつないで、キック始動してみました。暖まっていなくてもアイドリングは安定していて、分離給油のためかワイドオープンにすると白煙がものすごい。回転はストレスなく吹け上がってくるので、走行は問題なさそうです。後はサーキットでキャブセッティングということですが、ここから先はオーナーのお楽しみということで、お引き渡しです。

年齢を重ねてくるにつれ、新しいオートバイに興味を示さなくなることがあります。そのかわり、古いオートバイを大事にすることに楽しみを見出すようになってきます。

お金を払って新型のオートバイに乗るという行為は何度も繰り返すうちに飽きてくるものですが、乗り出しがオンボロのマシンを手にしたときから、それに手を加えていくうちに愛着というものが芽生えてくるものです。このマシンもそんな楽しみを与えてくれるオートバイでしょう。

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北陸地方のお客さんがもってきてくれたのはSUZUKI K125。

ベースはビジネスバイクらしいですがオリジナルの面影は少なく、それもそのはず、これで旧車のロードレースを走るため、レーサーに改造中なのです。

ハンドルやバックステップを自作してポジションをオーナーの体型に合わせて作られていますが、ステップブラケットの位置関係でノーマルのマフラーが取り付かなくなっています。そこで我社に頼んで新作することにしたようです。

空冷2ストローク単気筒、ロータリーディスクバルブは小型実用車にはよくあるエンジン形式ですが、特徴的なのは、排気ポートが二つに分かれていてそれぞれ独立したデュアルエキゾーストになっていることです。

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このとおり単気筒なのにエキパイが二本。

なぜこのようなデザインになっているか推測ですが、ビジネスバイクといえども、リーダーシップはホンダ車にあったのだろうと思います。スーパーカブに代表される、いわゆるカブスタイルのバイクはスズキのバーディー、ヤマハはメイトという具合に売れ筋のスタイルを作ってきたのがホンダのデザインだったわけです。そしてビジネスクラスのベンリィシリーズのスタイルに似せて作られたのがK125だったのではないかと。

プレスバックボーンのフレームや二本出しのマフラーが、非常に良く似たスタイルで、このスタイルにすることがお仕事に使うオートバイとして必要な要件だったのでしょう。

そんなビジネスバイクをこのような改造をしてロードレースを走ろうなんて、遊び心満点じゃありませんか。しかし、125の二本出しマフラーなど過去に作った経験もなし、これから頭を悩ますに違いありません。すぐに取り掛かれる状況ではありませんので2ヶ月後に作り始めるという約束をして置いて帰っていただきました。後日製作日誌を当ブログで掲載させていただきます。

スズキRMの前のモデルはTMという名称でした。昭和38年生まれの私でさえ乗ったことがありません。

エンジンや車体はほぼハスラー250ではないかと思います。ハスラー90は持ってましたけど、何処へやってしまったかさえ覚えていない遠い昔のことになってしまいました。

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さて今回の製作依頼はTM250のチャンバーです。下に置かれた純正品が老朽化のため新作することになりました。

当時のレーサーはサイレンサーもありませんが、テールパイプにスプリングフックは付いているので

オプションでサイレンサーを装着できたのでしょう。

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潰れたノーマルチャンバーを元に採寸して製作したニューチャンバー。

 

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口元フランジも絶版ということで、新作し、ニューチャンバーとセットになります。

採寸した諸元はこのようにガバリを作成して鉄板に罫書いて製作します。

IMG_0695.JPGそして、オプションのサイレンサーも取り付けました。

 

レストア中のこのマシン、クランクケースもOH中なので内部が確認できますが

これはプライマリーキックではないことが分ります。

最近のオートバイは全てプライマリーが当たり前になっていて、ギヤが入っていてもクラッチを切ってエンジン始動ができる構造になっています。

それはキックギヤとクラッチアウターのギヤの間にプライマリーギヤが存在してメインシャフトの連結をクラッチで解除しながらクランクギヤを回せることで、ギヤが入っていても始動できるわけです。

しかしTMにはプライマリーギヤの軸穴が存在しないことが右ケースを見れば分ります。

キックギヤとカウンターシャフトのギヤが直結の構造です。

即ち、ギヤをニュートラルにしてからキック始動できたということです。

ギヤが入っていれば押しがけはできますから、ロードレースでも押しがけスタートが主流でした。

モトクロスでは、今のようなスターティングマシンは無く、エンジンを止めた状態でオフィシャルの日章旗を振る合図でキックスタートでレースしていました。

当然、右足でキックして、左足でギヤを入れてスタートするわけですから、予めギヤをいれてキックできるプライマリー車の方がスタートが優位だったわけです。

古いマシンを乗っている人を見て、「新型のマシンの方がいいよね」という人がいますが

これは古い名作映画を観たり、懐かしい歌謡曲を聴いたりするのと似ていると思うのです。

新型が性能がいいのは当たり前、いつまでも自分の青春時代のマシンを楽しんでいたいという欲求があることを非常に理解できます。

このダウンチャンバーのリバイバルは口元フランジとサイレンサーも新作で3台分同時に、しかも前金で依頼されていますので、他の仕掛かり業務も含めて8月中に急な依頼がありましてもお引き受けできませんのでご了承ください。

後世に残したいオートバイを一台だけ挙げるとすれば、迷わずこれだろう。

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今更説明の必要もない、ホンダがWGP参戦して9年目に偉業を達成したワークスマシン

RC166である。イラストのゼッケン16は1966年Mヘイルウッド車

同年はWGP50ccから500ccの5階級のチャンピオンを獲得し、50と350の階級は消滅したので

2輪メーカーとして永久に破られることのない偉業となった。

とくにRC166の250ccクラスは不参加の2戦を除いて、Mヘイルウッドのライディングにより

10戦全勝した究極のマシンでスペックはこのとおり

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このマシンが活躍した年は3歳だったので記憶にないが、小学校低学年になると百科図鑑のオートバイのページにはこれが載っていたので知っていた。

そのころからの記憶がこんなオートバイを作ったメーカーに憧れて、就職を決定することになったのかもしれない。

実車は茂木のホンダコレクションホールに展示してあるので、いつでも見ることができるが

私にとっては、これらの偉業の他に運命を感じる出来事があったのだ。

それは今住んでいる市内にRC166のクランクシャフトを削りだした人がいることがわかったことである。

その人は吉田さんというのだが、私がホンダに在籍中からの知り合いで、生産設備を作るホンダエンジニアリングに所属していて、実験室を任されていた人物である。

オールアルミボディのNSXを立ち上げるときアルミのスポット溶接の条件など自動車では経験が無かったため

吉田さんの実験室でスポット溶接のテストピースを作っては、私の職場の試験機で強度テストを繰り返していたのでよく知っていた。

それはアルミの板厚とナゲット径と溶接電流の関係を調べて、溶接ロボットにティーチングするHES(ホンダエンジニアリングスタンダード)規格として量産で運用された。

2輪車では2輪駆動の特許も取得しており、80年代のオフロード雑誌でも取り扱われていたのでご存知の人も多いと思う。

そんな吉田さんはホンダの創世記に旋盤工として採用され、GPマシンのエンジンパーツ製作を任されていたそうだ。

RC166の6気筒エンジンは一本のワンピースクランクで吉田さんのハンドワークで削りだしていたという。

加工中、背中越しに宗一郎さんが見ていたという話も聞いたし、Mヘイルウッドが試走するときも立ち会ったという貴重な話もしてもらった。

現代のオートバイはCADで設計したデーターでマシニングセンターが動いて加工するので、人間の手で作られた部分は皆無である。

しかし、当時のオートバイは鉛筆で書かれた設計図に基づいて手動の加工機で製作されたもので

それでホンダという社名を世界のメーカーや2輪ファンに知らしめたという意味で後世に残したい一台のオートバイにしたいと強く思うのである。

今日は午前中の仕事を片付け、納品を兼ねてMXビレッジへ観戦にいきました。

実は今回、唐沢栄三郎さんが走るという情報を事前に聞いていましたので

それが目的でもありました。

しかも、マシンは80年に全日本山口大会で唐沢さんが総合優勝した21番車の実車を奈良県の

VMXワークスショップのホーリーエクイップさんがレストアして持ってこられていました。 IMG_0401.JPG

これが30年前に唐沢さんが乗って優勝したマシンです。

今日のエキスパートクラスでも2ヒート完全優勝でした。

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ガッチリと握手を交わす現オーナーの堀口さんとライダーを引き受けてくださった唐沢さん。

本日、夢の競演を実現していただいたお2人です。

私がホンダに入社して和光工場の実習生だったころ

ようやく給料を貰えるようになったので、MXを始めようと思って、田舎者の私は雑誌の広告を見て

御徒町のモトレオン(現ロッキースポーツ)へマシンを探しにいきましたが見つかりませんでした。

そしてその近所にモトバムというロードレースで有名なお店があったので飛び込みました。

83年型CR250を新車で取り寄せていただき、代表の池沢さんが元ホンダのモーターレク推進本部におられて、モーターレク契約ライダーと仲がよかったらしく

「工藤君、MXやるんだったら先生がいたほうがいいでしょ」といって、唐沢さんを紹介していただいたのでした。

桶川の「山田うどん」で待ち合わせて練習でご指導していただいたことは忘れません。

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このチャンバーにヒートガードが着いているのを見て思い出したことがあります。

3年くらい前、世界の鈴木都良夫さんがCRのチャンバーを修理しに我社へ来られたことがありました。

ビンテージMXに出ていることはそのとき聞いたのですが、膝が熱いのでヒートガードを作ってほしいと頼まれて作りました。

まさか都良夫さんが乗っていたのが唐沢さんのマシンだったとは、今回これを見て知りました。

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ヒート2の前、スタートを待つ唐沢選手。

ジェットヘルにシニサロのチンガード。カッコ良すぎます。そして鮮やかな走りは現役時代そのままでした。今でも相当トレーニングを積んでいらっしゃることでしょう。

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狭山レーシング時代からお世話になっている原口衛選手。

元無限契約ライダー、79年国際B級250ccチャンピオン。

ちなみにホーリーエクイップの堀口さんは同年のジュニア250ccチャンピオンでした。

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城北ライダース出身、吉友寿夫選手。マシンは珍しいヤマハMX250.

国際B級時代、モトロマン所属でゼッケン#1でした。

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うず潮RC所属、国際B級の田村勝弘選手。徳島阿波レーシング出身。

マシンは86CR125。CRシリーズの生産を八千代工業へ委託していたころ、彼の手によって組み上げられた量産車を当時から放さず持っているそうです。

 

IMG_0412.JPGエキスパートクラスのスタート。私の得意なヘッドタッチ方式です。

 

 野宮修一選手とKX250。

前回優勝だったのに

今日はブレーキのトラブルで3位に甘んじてしまいました。

悔しさが表情に表れています。

気持ちはまだまだ現役ですね。

 

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旧車のイベントには旧車が集まるというわけで、こんなマシンに出会いました。

トーハツの50cc2気筒ロードレーサーです。

  IMG_0419.JPG精巧なエンジン部分。乾式クラッチにフロートチャンバー別体式のキャブレターはアマルかな?

非常にシンプルな走るためだけの機械を感じます。

IMG_0418.JPGドラムブレーキのベンチレーション。風量アップのため手製のエアインテークを追加しています。

オートバイの正しい楽しみ方をしていらっしゃるのでしょう。

今日は楽しいものを沢山見せていただいて大変ありがとうございました。             

そのお客さんは始め電話で場所を確認してからスポーツカー(ロータス)に乗って現れました。

怪しげな工場の下見をしてから注文しようと考えたそうです。

以前、別の業者に品物を注文したがトラブルになってしまい信用できなくなったらしく、製作を依頼するとき慎重にならざるを得なくなったそうです。

それなら大丈夫、信念の仕事をやり通す弊社を選んだあなたは大正解。

必ずや満足させてあげられるでしょう。

最初、装着されていたチャンバーも社外品だったのですが年式も古く錆びている上に素人のような溶接が割れてしまって何度も下手な補修を重ねた痕が見られました。

もちろん修理ではなく新品製作で排気漏れも解消、パワーモリモリのチャンバーがついたRD400がロータスのおじさんの通勤車として走り続けているそうです。IMG_0236.JPG IMG_0237.JPG

アルミタンクはワークスモトクロッサーだけの物ではない。70年代後半までは量産車がアルミタンクだったのに、大物は金型でプレス成形されるが、溶接などハンドワークの部分に熟練が必要なため、生産性のよいプラスチックタンクへと変更されていったのだ。 昨今のビンテージオフロードの盛り上がりで70年代後期のレーサーもレストアされレースに参加する台数も増えてきた。ところが30年も前のプラスチックはどうしても劣化が進み、軽い衝撃でも割れてしまって、ガソリンが漏れてしまうのだ。接着材で補修しても耐ガソリン性のものはなくて使い物にならない。塗装しても揮発するガスで塗膜が剥がれてしまう。 そんな悩みを解決するためにアルミタンクを製作することにした。タンク専門の会社に依頼すると、量産とそっくりな形状の品物ができるが、必要なモデル代、金型代、を負担した上に製作費がかかるので、すくなくとも35万円は かかるらしいが、お客さんの依頼は1個だけなのでそのような金額では諦めてしまうだろう。今回はプレス成形を行なわない方法、アルミ板から叩き出す板金手法で作ったタンクだ。 全体のデザインを決めるアッパーハーフをハンマーで叩きながらカーブをつけていく。見本と見比べながら感を頼りに曲げていくのだ。一枚板では不可能なので、要所要所分割して成形して溶接で組みたてていく。フレームに組みつけるロアーハーフも車体に取り付け確認をしながら成形していく。アッパーとロアーを接合する前に形状を整えないと、後からでは叩けないのだ。溶接が全て終了したら、水を満タンに入れて洩れがないか確認する。エアーを入れて水没させる方法もあるが、加圧してタンクが膨らんでしまうことがあるので、水を入れた方が安心なのだ。これでプロの塗装を施せば、アルミ製の複製タンクであることはよく観察しないと気がつかないだろう。 アルミタンクはけしてワークスチームだけのものではない、むしろ庶民的な旧車マニアのためにあるのだ。

ヤマハYMー1 1964年型

当時のヤマハ最高排気量の350cc

IMG_0239.JPG2スト2気筒 ピストンバルブ

右マフラー製作

画像の右マフラーは再生後のものです。

左は無傷でしたが右マフラーだけ曲がっており

オーナーの希望で元どおりに復元したいという依頼に応え

新品製作しました。

内部も忠実に復元してあるので

サウンドもスタンダードそのままに再現できました。

表面処理はクローム鍍金で製作費は¥35000也。