■ クラシックバイク

76年型CJ360Tですが購入してから2度目の車検を迎えました。
実に4年経過したわけですが、前回の車検から300キロしか走行していませんので
機械的な消耗はないと思います。
しかし先月予約した車検日にヘッドライトが点灯せず、予約を取り消し故障の原因を究明したので
本日車検を取りにいきました。

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2年前の車検ではヘッドライトが常時点灯でなかった(手元にスイッチがあった)ことや
ライトステーの曲がりで光軸不良などで
再検査2回という、車検不慣れな私はのたうち回って検査を通した経験から

スイッチを外したり、ライトステーの歪みを修理したりして万全を期すつもりでした。

エンジン始動不良もありましたが
バッテリーの新調、コンタクトブレーカーの調整(点火時期)、
キャブレターの同調など行って
アイドリングを安定させました。
腐ってガス漏れしていたタンクも新品にコーティングを施して取り替え

錆ついて外れなかったマフラーのジョイントも切断して修復し、
スイングアーム外してピボット部分のグリスアップ
前後ドラムブレーキの清掃とブレーキシューの厚み点検、ブレーキワイヤー、クラッチワイヤーの給油
メッキ部品のバフ研磨
点滅不良だったウインカーリレー交換
以上のような整備を自分で行いましたので整備代無料(自己負担)
検査登録印紙¥400
審査証紙代¥1300
重量税印紙代¥3800
自賠責保険料25か月¥14010
合計¥19510

時間にして鶴ヶ島ー所沢陸運局 往復1時間30分と書類記入と検査に30分ということで
拘束時間2時間ということでした。
事前の整備は測り知れないものがありますので、他人に任せられるものではないことです。

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車検切れですから仮ナンバーという方法もありますが、無駄に走行する気ないので
軽トラで運搬です。

このCJ360は普段の足には全く使うことはありません。
購入動機は自分が60か70歳になったころに動くやつが1台あればいいかな、と思って
その時まで保存するための車両でした。
しかも発売当時は不人気車だったので
同じ車種を過去に見たことがないという
希少さも魅力でした。

走りを楽しむのは現行車の方がずっと性能がいいので、敢えてこれに乗らなくてもいいと思っているのです。
今度の予定は地元なら奥多摩湖、実家に持って帰ったら瀬戸内海沿いのワインディングを走ってみたいと思っています。

私の生まれた年に生産発売されたヒストリックバイクがあります。
名神高速も開通してない1963年に鈴鹿サーキットを建設し、レース組織MFJを発足させ
同時に第一回日本GPロードレース選手権にエントリーするための市販レーサーまで生産したホンダ。

その記念すべき最初の市販レーサーCR93(125cc2気筒)であります。

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CR93ロードレーサー
これと同じ車体の公道バージョンも発売され
総生産台数200台余りという希少モデルですが
同じ町内会のレストア場で全バラのCR93を見ました。
殆ど知らなかったですが
63年当時のエンジンがツインカム、シャフトドライブのギヤトレインと4バルブの2気筒であることに驚きました。
後世に同じスペックの125ccは生産されてないですからね。

そして運のいいことに、もう一台のCR93が組み上がったばかりで庭で押し掛けしてエンジン音を聞かせていただくこともできました。
過去にきいたことのないレーシングエンジンのサウンドにしびれました。
私の地元から近い香川県にはCR93が多数保存されているらしいですから不思議なものです。


市販レーサーCR93のベースとなったに違いないワークスマシン、RC143

おそらく世界でもトップクラスの予算を投じたレストア工場がホンダコレクションホールだと思いますが
そこで動態復元のための作業を収録した番組です。

展示車を見ても分からなかったエンジン内部の秘密が明かされます。
抜き取られたクランクシャフトから同爆(360°クランク)であること
2本のカムシャフトの回転方向を同一にするためのプライマリーギヤを含めて4枚のカムギヤが
ヘッドに繰み込まれていること。
通常バルブのシートリングをベリリウムカッパーで製作し、液体窒素で冷却収縮したものをはめるのが定番のヘッドチューンですが、これは燃焼室全体を一体型のベリリウムカッパーで製作して、アルミのシリンダーヘッドに繰み込んであるということ。

63年の図面は手書きの紙図面でありますから、再生する部品の生産を現代の加工機で作るための
データ化など、大会社の動態復元の手法が垣間見える、よい動画でした。

太田裕美の「木綿のハンカチーフ」がオリコン1位獲得し、モントリオール・オリンピック開催、
ロッキード事件が起こった年といえば1976年です。
その年に製造されたオートバイが我が家に来てから4年、2度目の車検を迎えてしまいました。
76年といえば、私は中学2年。初めて単車の無免許運転で警察に捕まったので忘れもしませんが
乗りたい願望がピークに達していたのでしょう。
法律を犯してまでやったことは父親の通勤用CL90を夜中に乗り回し、西条駅で休憩しているところにパトカーがやってきて補導されました。
親が学校に呼び出され、「本校創立以来の不祥事です!」と怒られたそうな。
そんな時代に製造されたオートバイですから思い入れは他の年度より強烈だったと思います。

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先月車検満了日に合わせて、ユーザー車検の予約をしてあったのですが
その当日事件が起こりました。

エンジン掛けて灯火類の確認をしていたところ、ヘッドライトが点灯しません。

ライトケース開けて、原因を調べようとしますが、わかりません。

バルブ切れかなと思い、テスターで端子を測りますが導通あり、
バッテリーにハーネス繋いで直接電源繋ぐと点灯しましたので球切れではない。


このCJ360はCBの廉価版なので、通常右ハンドルにライトスイッチが存在するのが、ありません。その代わりメインスイッチを右に回すとライト点灯する構造だったのですが
この車両は北米からの輸入車なので新規車検を通すために、現行法規に合わせた改造をしてあったのでした。
それはヘッドライトを常時点灯にするためメインスイッチでライトが切れる構造を廃止して、別のライトスイッチを増設したのでした。

その増設したハーネス部分を取り出して、純正のメインハーネスのソケットをライトに繋いでみると問題なく点灯しましたが、別のスイッチを増設する理由があったに違いありません。

そこで増設したハーネスに不具合がないか調べることにしたのでした。

高専時代に電気工学概論の単位は修得していましたが、30年間金属畑で電気回路とは全く無縁な生活をしてきましたから電装の知識が全く喪失していて何もわかりません。

インピーダンスはリアクタンス(虚数部)、レジスタンス(実数部)、アドミタンス(逆数)に分別され
インダクタ(コイル)は誘導リアクタンス
キャパシタ(コンデンサ)は容量リアクタンス
コンダクタンスのDCは抵抗の逆数を意味し、ACはインピーダンスの逆数などと意味不明な用語を羅列して丸暗記した記憶が全部抜け落ちてしまったのですから、勉強してないに等しいことになります。

要は電気を効率よく流すための回路設計をする人にとって必要な知識で出来上がった回路にはテスターで導通を確認したり、色のあった被覆のハーネスが結線されているかを見ればよいということになります。

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これは増設されたハーネス部分で
ヘッドライトソケットとバッテリーの間に
スイッチを追加した構造になっています。

二つのリレーがありますが、ロービームとハイビームの別々にリレーが必要になります。
通常のスイッチは使用電力が小さいので
主電源のスイッチはリレーに任せるのが安全だということです。

手元スイッチは防水でありませんから大電流を直接断続させることが危険なのでしょう。

結局このハーネス部分に異常は認められず
ヘッドライト点灯しなかった原因は
ボディーアースが外れていたということに結論付けました。
もちろん元通り組んで動作確認OKでした。

ところがよくないことは続くものです。
今度はウインカーが点滅しません。ウインカースイッチいれても点灯したままです。
これまた電装素人の私には難題ですが、ウインカーリレーの故障だろうと思い
良品と交換して動作すれば完了と考えました。

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中央が故障したミツバ製ウインカーリレー
2線式です。

当日確認したかったので
最も早いのが川越2輪館へ買いに行くこと
左のデイトナ製です。

そして念のため、アマゾンで安いやつも注文し右の中国製です。

実は中国製は失敗でした。
知識が無いばかりに「ハイフラ対策品」を注文していました。
電球をLEDに交換したウインカーでは消費電力が少ないためリレーが球切れと判断してハイフラに点滅して知らせるため
その対策として抵抗を入れたのがハイフラ対策というらしいので
通常の電球にこのリレーを使うと動作できませんでした。

無知さ加減が分かったところで、デイトナ製は汎用ではありますが正常に作動できましたので
ウインカーも修理完了です。

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ヤッター!

これで灯火類直りました。

自分で直したことで、このオートバイに対する愛が深まった気がします。

俺が死んでも、オマエは生き続けてくれ。




早速、車検日の予約をしたいと思います。












今月は車検の有効期間満了の日を迎える車両2台あります。
自家用車の整備は、遊びです。
何も生み出しませんが問題を感じてなくても乗り物を点検するよい機会です。

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今年で製造年から41年目のクラシックバイクですが
中学生だったころを懐かしむアイテムです。

LP盤のレコード
漫画の本
怪獣のフィギュア
オートバイ

全て同列と思っています。
昭和の男子なんでね


この2年で300キロくらいしか乗ってないので機能的には変わりないです。
若干錆も進行しているので
汚れ落としメインの整備です。








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ヘッドライト周り外したのは
前回の車検で不合格だった部分を直すためです。

ライトケース内にメインハーネスが押し込んであって、これが難儀でした。
ビニールが全部硬化しているので
ほどいてギボシを外すのも一苦労です。
ギッシリ束になっていて暗いので
老眼の私には配線の色もよく見えないのです。

まあなんとか外しましたが元どおり結線できる自信は全くありません。


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これが問題の部分です。
ヘッドライト上面から見た図ですが
ライトが右向いています。

これでは光軸測定器が正しく判定できないのです。

前回はこれに気付くのに手こずり
無理やり車検通しました。

検査ラインではフロントタイヤを直進で固定されるので、ハンドルを思いっきり左に切ったまま計測すると通りました。

その後2年放置していました。

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ハンマーで荒療治して

大体こんなもんかな

いい加減なもんです。











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マフラーのジョイントのところ

ここは4年前から外れませんでした。
錆びて固着しているのか
捻っても叩いても、1ミリも動きませんでした。
バーナーで炙っても無理でした。
仕方なく切断して
残った差し込み部分にプーラーを使って抜き取りました。

差し込み部分を掃除して、手で組めるように直してから、元の位置に溶接です。
一件落着


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リヤショックのスプリングコンプレッサーです。

スプリングを圧縮してリテーナーを外す工具です。

ダンパーは非分解ですが程度は良いので
磨くのが目的です。








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メッキパーツの研磨

表層の錆でしたら、これで完全に蘇ります。

地金まで達した錆は直りませんが、除去して滑らかにしておくことで錆の進行を遅らせることができるでしょう。


気持ちいい!風呂に入った気分だ



しかし昔のオートバイは組立て順序を考えないと、後から取り付かない部品があって
手間がかかりますね。
時間を浪費するにはよい玩具です。

正月も5日なんで、明日から去年の続き業務を再開します。


お金もらってある仕事はこれで終了!役目は果たした。
今週末のレースで心置きなく死んでOK。フゥー

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ノーマルチャンバーが腐っていたので
リプレイス品を頼まれました。

ノーマルスペックに準じておりますので
何も考え無しに作ってあります。
パワーでなかったらノーマルが悪いと思ってください。

作り直しせんけんね。






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サイレンサーのマウントは止めるとこがなくて
ちょっと考えました。(5分間だけ)

テールパイプの隙間は左右上下1mmもありません。至難の技です。

もっと隙間のあるところを通したかったですが
オーナーの希望が、「ココを通してくれ」だったので、これも考え無しに言われたとおりに従ったまでです。






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これでOKかな?

チャンバーは錆止めのため、ラベンの耐熱クリアー塗っておきました。

無料にしときます。(スプレー缶2500円で買いましたけど)

塗装下手やから商売になりません。
月曜日から1週間ほど無職になります。
その前に、かなり以前から頼まれていたチャンバー製作の車両の搬入だけしてもらいました。

オーナーは埼玉の名門モトクロスチーム、チェッカーズ出身のシマダさん。

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1979年製 スズキEPO 型番PV50ですね。

エンジンはRG50、TS50系です。

ホンダモンキーに対抗してスズキが発売しましたが、モンキーの牙城は崩せず
数年で廃番になったと聞きます。

当時のRM80エンジンに換装可能ということで
改造プロジェクトが始まっています。

先日前後フェンダーとキャリア、フロントスプリングをクロームめっきしましたので、年式の割りにはきれいでしょう。

非常にバックオーダー溜めていて申しわけないですが、こちらは家の一大事なので仕事は止めさせていただいております。
先日の467チャンバーやこのPV50は全額前金でいただいておりますので、優先してやりますが期限も決まっていて12月19日が最終日なので、失業の合間に実行するつもりでおります。
進行状況は当ブログで後日アップするでしょう。


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自賠責保険の期限が昭和58年ですね。

昭和58年(1983)は私が本田技研入社の年です。
うーむ、あの頃の車両かあ。

入社と同年に関東モトクロスにデビューしましたので今年で32年。
学生時代も含めるとモトクロス歴35年になりました。
人間歴52年

プレシャスファクトリーは1995年(平成7年)創業なので21年目になります。
思い返すといろんなことがありましたが、段々経験が積み重なってきた感じです。
今だに初めてのことが多いので四苦八苦します。




リバース・トライクと呼ぶらしいです。英国で1990年から350台ほど生産されたカスタム・カーで
ベースとなる車体は1940年台のモーガンを使用し、エンジンにCX500を搭載し、CX650ターボ、モトグッチ1100とモデルチェンジをおこなったらしいので、これは初期のモデルですね。

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日本名GL500のエンジン搭載しています。
フロントはダブルウィッシュボーンでスポーツカーらしいスタイルですが
シャフトドライブの2輪エンジンなので
後輪はリヤフレームをそのまま移植した構造です。
重量配分が極端にフロントヘビーなことは予想できますが、旋回性能は4輪より圧倒的に優れていると思います。(リヤスライドしやすい)
車重も350キロくらいなので、加速が2輪並によいそうです。



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私が在職中に社長だった方がオーナーだそうで、元HRC監督が車検取得してこられて
公道走行可能な状態です。

英国で認定され当時の保安基準を満たしていれば日本でも車検取れるということです。

鉄のパイプフレームに鉄板のボディーで前後のフェアリングはグラスファイバー製という、いたってシンプルな車体です。
フロアシフトに改造されていますが、リンケージを介してワンダウン・フォーアップのシフトは2輪のまま、リバースギヤはありません。バックは降りて押せばよいのです。

左右に振り分けられたエキパイの先はGL500のノーマルマフラーで、音が少々つまらない。そこで適当な社外マフラー改造してつけるくらいなら新造してしまおうということでマフラー作りを依頼されましたが
かつての代表取締役のクルマですから、これは業務命令と心得て、全ての予定を変更して即取り掛かることにします。



我が家にやってきて、はや2年。走行6200kmになった1976年式CJ360Tであります。
今月になってから点火の不調に悩まされ、
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IGコイル交換により調子が戻っている今のうちに車検を取っておこうと思います。


よりによって予約日に雪が降るんかい!

午後一番の3ラウンド予約ですが、路面の状況が気になるので午前中に移動してきました。

ビショ濡れにして電気系統がトラブっては時間が無駄になるので、ブルーシートで養生しながらの運搬です。



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最初の難関は雪でラダーが滑ります。

タイヤが確実に乗っかるまで勢いをつけるとラダーもろとも落下転倒することになります。

隣のレッドバロンは二人掛りで降ろしていました。 クソー!







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第3ラウンドはホールショット取れましたが
待機所に屋根はありません。

みぞれで濡れながら1時間待機は簡便してほしい。
誰もいない検査場に入れさしてもらって時間を待ちます。









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2年間、タンクの錆取りやキャブのオーバーホール、ポイントの調整くらいしかしておらず、走行も100キロ未満なので
そのまま車検通るだろうと思っていましたが
甘い考えだったようです。

1回目にライト検査で落ちました。
H10年からヘッドライト常時点灯が義務ずけられており、手元のON、OFFスイッチが不合格だと言われました。

そのあと光軸も不合格で再車検となりました。

手元のスイッチは取り外して常時点灯に直しました。
ライトテストはレンズに付着した水滴が原因で光量が足らなかったのだろうと思って、レンズを拭いて臨みましたが、今度はライトが下向きで検出できないと言われて不合格。

仕方なく雨の中、テスター屋へ押していって光軸調整してもらいにいきました。
すると、ライトステーが曲がっていてランプが右向いていると指摘されて、確認すると確かに曲がっている。俺は何もやっておらんぞ、と文句いっても仕方ないので、一日で限度の3回目再検査へ行きました。

曲がったライトステーのまま、あて舵でライトを正面に向けてテスターに入ったら合格できました。
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気がついたら4ラウンド目に入っていました。

これで車検終了です。
すっかり雪は解けて、積み込みも安全にできました。

あと2年間公道走行OKになりました。
今年こそ奥多摩ツーリング決行しますぞ。

あ、受付事務所でA級ライダー村野秀弥選手に遭遇しました。(ミーハーやな俺)
CJ360T対応のイグニッションコイルのリプレイス品を取り寄せました。
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上は純正品、下が社外新品のIGコイルです。

形状や大きさが違います。
ポイントとアースに接続するコードも短く延長する必要があります。

ギボシもオス、メスが逆で
マウント方法も違うため取り付け金具を作る必要があります。

ボルトオンでないのに適合品として売られているのは驚きですが
新品購入できるだけでもありがたいと思いましょう。

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取り付け金具製作して純正ブラケットに結合しました。
コードも延長してギボシのオス、メスを付け替えました。

これで装着の準備が整いました。








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火花の出なかったL側イグニッションコイルの交換が完了しました。

ハイテンションコードにプラグつないでキックを踏んでみました。

左右共、強力な火花が出ました。
おそらく直っているでしょう。

今日は夜遅いので走行確認は明日以降ということにします。






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翌日、雨も上がって路面乾いてきたので
近所の試走コースで乗ってみました。

修理前のような症状は起こらず、元に戻った感じなのでこのまま様子みます。
社外品の耐久性が分かりませんからね。

今月末に車検切れになるため、直しておく必要があったのです。
一時は諦めておりましたが
これで継続検査に行けそうです。



これに乗ってツーリングに出かける予定はないですが、少年時代に戻れる貴重なアイテムとして保存していきたいのです。出来れば、奥多摩か房総方面へ乗っていければ満足すると思っているので、そのときの為に調子を整えておかないといけません。



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こちらの方はカウル外してみました。

このままでもいい感じのネイキッドじゃないですか。
2気筒にしてはコンパクトなエンジンも魅力的です。
廉価版のためか鉄フレームに鉄スイングアームですが、モトクロッサーの150よりちょっと高いだけで販売に踏み切ったのが驚異的です。
保安部品なし、単気筒エンジンの250モトクロッサーより20万以上安いのです。

フロントフォークも正立ですがインナーパイプφ41です。430(CR250)がφ39だったのに、この太さは剛性ありそうです。
減衰調整無しですが、コンぺモデルじゃないので充分でしょう。
まずはセパハンとフェンダーレスの構想のため思案中です。
旧車ライフには消耗部品の入手ができなければ故障したまま動かなくなってしまいます。
2年前に来たCJ360ですが、最初から問題を抱えていて、走行距離は100キロも走っていません。
問題箇所を見つけながら調整しては試運転を繰り返しただけでした。
ポイントのギャップ調整と点火時期確認は毎回、キャブレターの清掃と同調、ガソリンタンクの錆の除去とコーティングをしてきましたが、普通に運転できる時間は10分程度で直ぐにエンジン不調になるというトラブルです。
要約すると始動直後は普通にアイドリングするが、走り出して数分で、加速不良が始まりアイドリング不安定になり、エンジンストップします。
プラグ火花をチェックすると左側が火花が弱いか火花が出なくなります。
この症状に行き着くまで2年かかりました。

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火花が弱くなる原因をつきとめたいと思います。

バッテリー点火のためメインキーをONにしてキックしますが、
スイッチを切り忘れてバッテリーが上がってしまいましたので充電中です。







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残念なことに中学生の理科レベルの電気知識しかないのでテスターで抵抗測るくらいしか思いつきませんが、現状から推測するに
コンデンサーかIGコイルの寿命がきたのではないかと思います。

加速不良やアイドリング不安定になる原因ですが、キャブレターや燃料系を調べて不具合ないと確認したので、ここに違いないと決めました。

しかし、良品と交換しないと正否はわかりません。
部品を探してみることにしました。

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純正新品は廃盤のため(1976年式のため)
社外新品を取り寄せてみました。
車種は適合していますが、左のとおり外観が違います。

LAの業者が現地の電装メーカーにオーダーして作った物でしょう。
本体取り付けは問題ないですが
コードの長さが4cmも短いです。配線に無理しないとギボシが届きませんので、装着はコード延長が必要ですね。

とりあえず仮付けで火花チェックしてみましたが、同様の事象なので、コンデンサーが原因ではないようです。
次はIGコイルですが、火花の状態から故障しているのは片側だけのようです。
これも純正廃盤で、新品は社外品以外に見つかりませんでした。
他機種流用も視野にいれて、まずは社外新品を取り寄せ中なので、装着できたら試運転してみます。

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これも来てしまいました。

とりあえず耕運機ハンドルを普通のセパハンに交換しようとしています。
アクセルワイヤーがカウルに干渉してしまうはずなので、アクセルホルダーのストッパーをかっ飛ばして、ワイヤーの取り出しを上向きに変更しました。

高すぎるバックミラーも小さいタイプに、スクリーンも小さくする予定です。
リヤウインカーとナンバープレートの位置もカッコ悪いので、フェンダーレスに改造します。
それが終わったらマフラー作りという段取りですが、他にやること多すぎなので当分先です。

最近天気がよいので、家の前から直ぐに乗っていける単車があるといいですね。
レーサーじゃあ準備して遠い場所に持っていかなきゃならないんで普段は無理です。
実は中古で購入した(奈良まで買いに行った)この単車は1年ちょっとで満タン2回しか走っていません。
何故なら走りだして10分くらいでエンジン不調になってしまうので遠出する気がしないからです。
気晴らしに家の近くの試乗コースと呼んでいるエリアを目的もなく乗り回すだけですが、昨日もいい天気だったのでチョイ乗り始めたら直ぐに悪い症状が始まり段々酷くなってきて、エンジン止まりそうになるのを騙し騙し帰ってきて玄関前でエンストして押して帰るのだけは免れました。
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ポイントの調整は先週やったばかり、点火時期はばっちり合わせたので点火の問題ではないだろうということで、これはキャブだな。
不調の原因が分からないまま仕事に集中することができません。
たまらずキャブ分解に掛かりました。
そしたら大変なことになっていました。






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その前にエンジンの止まり方がガス欠のような症状だったので、タンクの残ガスを確認した上で、フロート室のドレンプラグを外してみたのです。
そしたらコックONなのに(RESだったかな)
ガソリンの出方が少ないのでおかしいと思ったのです。
どこかでガソリンが詰まっているなと。

フロート室開けたら判明しました。
タンク内の錆びがフロートまで降りてきていました。
フロート室洗浄して出た錆びの量はこれだけのものです。
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ガソリンホースにフィルターが取り付けてあったのですが、これを完全に素通りした状態です。
コックの方にはストレーナーはありませんのでタンク内の錆びは全部降りてくるということです。
エンジン始動直後は問題なく、走りだしてから不調になる理由が、落ち着いていた錆びの粉が振動で動きだすことによるものでした。
これを直すにはタンク内錆び落とししてからコーティング剤を入れるということになりますから手間が掛かります。
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そういうわけで、ドラスタへ直行して新しいフィルターを買ってきて取り付けました。
ストレートタイプは、ストレーナーから素通りした錆びが確認しにくいため
L型にしてみました。
これなら目視でガソリンの汚れが確認しやすいし、溜まったものを捨てることもできます。
キャブレター取り付けて試運転しましたが、エンジン不調は直りました(当たり前です)。
「新車ならこんなことにならんよ」と言われそうですが、新車にはこういう「直す楽しみ」がないではないですか。
そんなわけで旧車ライフの一幕でした。






長期滞留車の集中業務が続いております。去年11月から第4弾になります。

空冷エンジンのDT125は以前ノーマルベースのチャンバーを作りましたが、今回は79年型YZ125と同スペックで製作依頼を受けました。

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YZスペックでDTに取り付くように専用型作るのですが

当時のYZ125チャンバーは左出しに対してDTは右出しなので対照になっています。

最初は取り付くかどうかわからないので

同等のカーブで作ってみましたが、車体が小さいことと、フレーム中通しのレイアウトが取り回しを困難にしました。

 

 

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タンク下のクリアランスはこのとおり1センチくらいです。

この位置を下げるためにはエキパイのカーブを大幅変更するしかありません。

今回は走行性能のチェックが主目的だと思いますのでこのままいきます。

 

 

 

 

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フレーム中通しのテールパイプに苦しめられました。

サイレンサーはノーマルパイプがつく位置になっています。

カンチレバーのショックユニットが真ん中にありますので、ショックを避けるカーブが複雑になりました。

 

 

 

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全く実績のない組み合わせなので試乗してみます。

インプレッションは元国際田舎B級の私が勤めさせていただきます。

トレール車にレーサーのチャンバーつけただけではレーサーのエンジンにはならないだろうと思っていました。

それはノーマルの最高出力が8000rpmで発生に対してYZは11000rpmで発生すること、カタログ上の馬力は10馬力も差があることから、ポート形状やクランクが別物なのだろうと考えられたからです。

まず、3ヶ月も放置した割りにチョーク引いてキック一発で始動しました。軽く暖気してから走りだしますが、分離給油の混合比が濃いのか白煙を吐き出しながら走ります。一般道では5000rpmくらいで巡航できますので、全くパワー感がありません。6000rpm付近まではノーマルベースの方が力強く、走りやすかったです。

ところが7000rpmを超えた付近から豹変します。8000からレッドゾーンのタコメーターを11000まで一気に振り切りました。この加速でフロントも浮いてきます。相当スピードも出ますし、市街地では危ないでしょう。しかし交通の流れに乗った状態ではパワーバンドに入らず、つまらない特性なので走る場所を選ぶ必要があるでしょう。

ノーマルポートでこの変貌ぶりだとキャブレターもいじっていけばレーサー並みに走ると思いますが、乗りやすさとは別ですから、オーナーの判断に委ねることにします。

今更空冷ですか、と笑う人がいると思いますが何れ分かる時がくると思いますね。私が会社員だったころは、ようやくCADAMが導入され始めたころで、設計は間違いなく製図板に紙と鉛筆、定規やコンパスで描かれたものでした。

そうです、設計図は人が手で描いた絵画のようなものだったのです。当然上手い人と下手な人で差がでますね。図面が絵画と違うところは、製造者が見ることによって実物を作る指示書になるということです。

そんな人が手で描いた図面を元に鋳造屋さんや機械加工屋さんの手加工によって作られた物たちです。

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このエンジンの時代に少年だった私はレース場で憧れの目でみていたと思いますが、ちょっと小さいヤマハの黄色いツインショックのYZ80に乗っていました。

こんな美しい造形が出来た当時の設計者は35年も後まで乗り続けられると想像したでしょうか。

メーカーとしては不本意ですね。過去の物は古い技術で最新の物こそ先端技術でありますから、新しいものが売れることがメーカーの業績になります。

乗ったら性能差は歴然なのですが、皆が新しいの乗っていたら自分だけ有利なわけありませんので、結局昔と同じように上手い人が上手い、速い人が速いことに何の違いも無いのです。

だから当時の人たちが当時の体験や興奮を再び味わうには当時のアイテムが必要だということです。維持するのに、お金が掛かるとか手間が掛かると言われますが、現行車に乗っても同様に金と手間は掛かります。現行車でお金と手間が掛からないと思っている人は、たぶん乗りっぱなしなんじゃなかなと思います。

まあこんなご時勢ですから出費は抑えたいと考えるのが庶民の願いです。新型は高いお金払って買っても数年後にあっさりモデルチェンジされてしまって、裏切られてしまいますが旧式は永遠にそのままですから、いつまでも色あせないパートナーに成りうるでしょう。

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我社に訪れるお客さんは、ここの商売柄のせいか古いマシンを維持している人が多いです。

新車から持っているのでなく中古で手に入れて手間をかけている人たちです。

やはり、家電やクルマのように完成されたものを買って使うだけの行為に魅力を感じていないといいますか、便利なものに満ち溢れた時代ですから、不便なことの楽しさを追求している人が多いかもしれません。

泥のMXなどは正に、わざわざ走りにくい路面でスピードを出すみたいな一般常識から外れた行為が不便さを楽しむという意味で共通しているかもしれません。

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私は古いマシンを泥だらけにして元どおりに直している時間が取れませんのでオンロードの空冷エンジンを手に入れましたが、キャブレターも点火時期も狂ってきますので、時々調整しなければならない不便さが楽しいなと思います。生涯大切にしていきたいと思うカワイイ奴です。

それにしても美しい造形です。オートバイは空冷のフィンがあることが芸術性を高めていると思います。しかも放熱性能を左右するわけですから、こんなエンジンを設計して世の中に残した技術者は幸せでしょう。自分の才能をそのまま形に残せるわけですからね。

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エンジンがこのように水冷化されたころから急速に効率を求める時代に突入していきました。

エンジンは熱エネルギーを運動に変換する装置ですが、熱が金属部品の膨張という寸法変化を生み出し、問題を起こすことが設計を悩ますことになりました。

シリンダーは外部から冷却することができますが、ピストンはガソリンやオイルによる冷却だけが頼りなので、熱膨張の違いでエンジンの効率が変動してしまいます。そこで、熱的に安定させやすい水冷エンジンが主流となってしまいました。

オートバイエンジンらしい冷却フィンは時代おくれの過去の産物として葬られてしまう運命なのか?

私はそうでもないと思っています。CDや磁気テープなどの記録は20年くらいが寿命で、バックアップを取っておかないといずれ消失します。それに比べ紙の記録、古書などは何百年も残っていますし、石に刻まれた文字は半永久です。水冷エンジンはウォーターシールが数年で劣化しますので部品交換しなければ水漏れで走行不能になります。ディスクブレーキもシールの固着、フルードの水混入などで、10年経過するとオーバーホールが必要になります。

空冷エンジンやドラムブレーキはそういう劣化する部分が少なく、簡単なメンテナンスを怠らなければ水冷、ディスクブレーキ車よりも保存が楽だといえるでしょう。従って後世まで残る可能性があるのは現行車より空冷エンジン車ということになります。

先月お台場で開催された「旧車天国」に行ってきた弊社取材班が貴重なDVDを購入してきましたので紹介します。

去年暮れに日本のモーターサイクルレース発祥地(1910年)である上野公園不忍池へいってきましたが、そのレース主催団体「東京モーターサイクル倶楽部」に関するビデオ(八重洲出版制作)です。1909年(明治42)東京神田で創業の輸入オートバイ店山田輪盛館の創業者、山田光重氏が主催者でした。

同社は日本高速機関という会社を設立して国産初の高級自動自転車ホスクを1954年(昭和29)にデビューさせたのでした。

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ホスクNKBA、4スト200cc 7ps/6000rpm

17万5000円、当時東京都民の平均年収10万円だったそうです。

ヤマハ初の4ストエンジン車が1970年発売のXS1ですから、最初から4ストロークエンジンに着手した同社の技術力の高さが伺えます。

 

 

 

 

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1956年(昭和31)製造の500DBS

輸入車に引けをとらないスタイリングのオートバイ製造を成し遂げたことで、唯の輸入オートバイ店から2輪メーカーへ完全に転身したといえます。

ホイールにはアルミリムを奢っています。

 

 

 

 

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この500DBSは1957年(昭和32)第2回浅間火山レースでセニア500ccクラス3位入賞しました。

ゼッケン55がホスクに乗った井上武蔵選手。

 

 

 

 

 

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日本初のモーターサイクル競技団体、東京モーターサイクル倶楽部のメンバー

前列右から2人目の髭を生やした紳士が創設者山田光重氏、。

隣のチョッキ着用の人が1930年(昭和5年)にマン島TTレースに参戦してベロセットに乗って350ccクラス15位の結果を残した多田健蔵氏。

1930年当時英国車ベロセットは1500円で販売されたそうで、モーターサイクルの輸入税93円60銭は東京のサラリーマン月収に等しかったそうです。輸入車は普通の住宅並みの値段だったようです。

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東京MC倶楽部主催のダートレースが月島や王子あたりで盛んに行われたそうで

これは多田健蔵選手の映像の一コマ。

この時代のアマチュアレースが土台となり1950年(昭和25)に船橋で現在のオートレースが開催されるようになったそうです。

 

 

 

 

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人柄の良さそうな多田さん。

ベロセットのロゴをあしらえたトレーナーがカッコいいです。

 

 

 

 

 

 

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オートレースはダートコースで行われていました。

見事な逆ハンです。当時のダート走行テクニックは今以上ではなかったかと映像が教えてくれます。

 

 

 

 

 

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お客さんを連れて箱根、熱海方面へ遠乗会も主催されたようで富裕層の道楽的要素が強かったみたいです。

ここは箱根の登坂路で休憩中です。

時々エンジンを休めないとオーバーヒートしてしまうのです。

路面は当然ダートしかありません。酷いデコボコ道にリヤサスはリジッドですから相当に体力が必要だったでしょう。

ガソリンスタンドは充分にあったでしょうか、尺貫法時代に「ガソリン一升」とか言って頼んだでしょうか。

大正時代の映像と思いますが非常に鮮明に撮れているばかりか、車載カメラで動画を撮っている場面があることに驚きます。ヤマリンの山田さんは輸入オートバイ店かカメラ店を営むか悩んだくらいのカメラマニアだったことがこれらの撮影技術に役立ったみたいです。

フィルムは東映の倉庫に埋もれて行方不明になっていたものを偶然発見して損傷の激しかったものを現在のデジタル再生技術で蘇らせたこともDVDの中に載っていました。

本当に奇跡の映像だと思いますし、これに出会ったことも運命であったことを感じます。

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1959年(昭和34)製造のホスクDBTスーパースポーツ。

HOSK最後のモデルとなりました。初生産から14年、創業から59年を経て山田輪盛館の歴史は幕を閉じるのであります。

会社は沼津の昌和製作所に移譲されヤマハ発動機の傘下に入って技術は継承されたということです。

 

 

さて、本題に入ります。古い記録映画を唯娯楽のために観ていたわけではありません。

自分の親たちも含めて大人は子供に対して大事なことを伝えていないと思うのです。よその家のことは分かりませんが少なくとも私の経験ではそうです。おそらく子供が何を知りたいか、将来のために何が必要かということを大人と言えども、その日その日が精一杯で分からなかったかもしれません。

私自身が半世紀も生きてきて、ようやく知りたいと思うことが少しだけ見えてきた感じがします。いままでは会社や世間の風潮などに流されてきただけで、物事の真理など殆ど分からずに生きてきたと思います。私が生まれたときには、明治生まれの祖父母は既に他界していたのですから昔の話は聞けません。先祖の経験談も聞けないのですから他人の話など知る由もありません。

日本のモーターサイクル史も同様です。雑誌の記事を読む以外に手段がありません。しかし、現在やっていること、これからの方向性を見極めるためには過去のことを知らなければ判断の材料がないではありませんか。

日本という国家でさえ過去に何度も過ちを犯していますね。大きなところでは2度の大戦と原発政策。大きな過ちですから取り返しのつかないことになってしまいましたが、これらは過去に経験の無かったことですから失敗の予測がつかなかった事例です。おそらく、これからは同じ失敗は犯さないでしょう。経験したのでどうなるか知っていますからね。

また、斬新な発想や感性は利益が見込めなければ切り捨てられるのが今の大企業の体質だといえます。だから自分はトラディショナルな過去のモデルを探しながら、もうすぐ老後を迎える自分のスタイルを構築していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

同じ日程で2輪のイベントをやるなどという、まるで無関係な人たちの集いですが律儀な私は両方に配慮を払っております。

ドロドロで足場の悪い、とてもスポーツイベントとは呼びがたいMXの方は自分で、旧車天国は旧車部に画像だけ取ってきていただきました。

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昭和時代のクルマの展示会ですが、これらを再生、維持していくための、技術やノウハウが一同に会した場所だと想像します。

出展社は100社にも及びますので全部取材は不可能です。

SHIO HOUSEさんのCB400FOURを集中的にお見せします。

完全ノーマルの車体は408cc仕様だそうです。

まるで新車のような仕上がりです。

 

 

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集合管やバックステップなどカスタムされた方は398ccだそうです。

408ccが発売された後、免許制度が改正されて中型2輪限定免許が設けられたので308cc版が作られたという、いかにも昭和なラインナップだったわけです。

外観はもちろんですがエンジン内部や電装、シャーシに至るフルオーバーホールの後の出品だと思います。

 

 

 

 

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コレクションではなくて商品でした。

作業内容からすると納得の価格です。

 

 

 

 

 

 

 

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ウーム、完璧。

今度実車を拝見させていただく予定です。

SHIO HOUSEさんは城北ライダースの吉友さんと高校同級生で、元ホンダマンということです。

 

 

 

 

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ブリジストンのスクランブラーですね。

昔はこんなんで、河原走っていたのでしょう。

私も最初に河原で乗ったのはKM90でしたからこんなスタイルでしたよ。

 

 

 

 

 

 

では瞬間移動でオフビレへ

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IA250 ヒート1

まだ路面乾いていないですね。

ゼッケン07島崎選手、ドライコンディションなら速いはずですが、ここは苦戦していました。

うちのマフラーは大丈夫かな?

 

 

 

 

 

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IA450ヒート1はやはり、この人がトップ。

予選と同じ展開でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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昼休みに大きくコース整備されて難所は減ったとはいえ難コース。

IA450ヒート2はゼッケン6小方選手はこの位置から前の選手を全部抜いて、トップの成田に迫る2位チェッカー。

やっぱり強い

 

 

 

 

 

 

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今日は轍の走り方ばっかり見ていました。

私は30年以上MXやっていますが、まだ轍が上手くないんですよ。一生悩んで終わりますね。

 

しかし、この泥だらけのスポーツはエントラントや観客は忍耐力がなくてはできませんね。

そして20年以上ぶりの人に何人も会ってしまうのが面白いです。石神さん(鉄騎兵、岩田貞二の代役だった人)の近況も聞けましたよ。

 

 

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エンジンが不調にならなければ見過ごしていたことでしょう。

2輪車運転歴35年になりますが、最初からCDI点火のオートバイしか乗ってこなかったので、点火時期が狂ってエンジン不調になった経験もなかったのです。

調整したといえば、ステータベースの取り付け穴をずらして早める程度ですから問題もおきません。

ところが、今回のように明らかな不調はポイント式のバッテリー点火でなければ経験できなかったでしょう。

上死点前8度で点火して22度まで進角させる目的も理屈ではわかっていても、実際にそれが外れてしまったらどうなるか、身をもって体験できました。

5000rpm付近から加速不良に陥ったあと、一応キャブレターは全バラ点検し異常がないことを確認した上で点火時期に的を絞って点検しました。

まずポイントギャップが怪しかったですがローターの刻印とステータベースの合わせマークで確認したところRL共、3度くらい前側にずれていました。この程度であれだけ不調に陥るものかと半信半疑でした。他の原因があるかもしれないですが、とにかく点火時期を正確に合わせてから試運転してみないと分りません。ポイントギャップを調整しましたが中々ピッタリ合いません。少し早めの位置でしたが我慢できずに仮組してエンジン始動してみました。これが大失敗で、アイドリングが全く狂ってしまっていきなり4000rpmまで上がって回転が落ちません。アクセルワイヤーの調整が悪いかと思いましたが、ワイヤーは全閉で遊びがありますし、やはり点火時期の問題だと考え、もう一度慎重に合わせてみました。すると不思議なことにアイドリングは1000回転付近で安定しましたので一安心。

しかし、加速不良が直っているかは走らないと分りません。アクセルをあおってみると、レスポンス良く吹け上がります。明らかに以前の調子悪さを感じません。期待して道路で試運転に出かけました。

アクセル急開したり、高回転まで引っ張ってみます。全く問題ないどころか、明らかに性能が良くなった感じがしました。これで点火時期が僅かに狂っただけでエンジン不調になることと、正確に調整することで本来の性能を発揮できることがわかりました。 CIMG2521.JPG

この旧型車がポイント式のバッテリー点火であったおかげで今更ながら点火時期の重要性を思い知らされた次第です。

調整不要のCDI点火車しか乗っていなかったら永久に分らないことだったでしょう。

まあ、オートバイに関することでも分っていることは極一部しかありませんので、一生勉強です。

TVで東大医学部教授出身の救急医療担当の先生が話しておられましたが、「医療に関しては、殆ど分らないことだらけです」

患者さんが不安にならないように分ったふりをして診断するそうです。

だから私ごときは「オートバイに関しては殆ど分っていません」と言うことにします。 

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自分のオートバイが調子悪いと、まるで病気になったようにやる気が出なくなるものですが良くなった途端、気分爽快。

暫らく放置していたモトクロッサーの前後サスの整備に取り掛かってしまいました。

真夏は乗らないことにしていますので、それまでの間、走りを楽しむために、こっちの方も調子を整えて、そろそろ始動していきたいと思います。

原動機のお勉強をしましょう。

ポイントギャップの規定値は0.3ー0.4mmですが、この範囲内で点火時期が適正位置にできればコンタクトブレーカー及びポイントカムの交換は必要ないと考えられますので、ポイントギャップの調整をしてみます。

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このようにポイントカバーとACGカバーを外しておこないます。

ACGカバーを外すとエンジンオイルが漏れてきますのでオイルは抜いておきます。

ローターに刻まれたタイミングマークを見る覗き穴はありませんし、クランクボルトをTレンチで回転させる必要もありますので、このように露出させます。

エンジンかけてタイミングライトで見る方法もありますが、多分オイル飛散して大変なことになります。

 

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2気筒で180度クランクなので、トップマーク(上死点)とFマーク(ファイア)が180度反対側に刻まれています。

センターボルトをTレンチで回してクランク角度を移動します。

このFマークは上死点前8度の点火タイミングを示しています。進角はスパークアドバンサーという機構を使って遠心力を利用して自動で行っています。進角範囲は11°ー14°ということですから合わせて19°から22°の上死点前点火タイミングということです。

 

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点火時期の確認方法はマニュアルどおりですが、12V3Wの電球をポイントの電極に繋ぎ、片側をエンジンにアースさせます。

ポイントの左側はLシリンダー、右側はRシリンダー用に分れています。カムの回転はクランク回転に対して2分の1に減速されていますので、クランク軸2回転でポイントはLR、1回づつ点火させます。

ポイント接点が離れる瞬間に誘導電流が発生して電球を点燈させます。ポイント接点が接触して消えます。

その間にシックネスゲージでポイントギャップの最大点を探り、0.3mmになるように二つのビスを緩めて調整します。LR両方行ったら再度点火時期の確認を行います。

ポイントギャップの規定値に幅がある理由は、狭い方は接点の消耗を抑えるため、広い方は必要な誘導電圧を生むため、ということがひとつ。もう一つはポイントカムの作用角を利用して点火時期を調整するためです。ポイントギャップが広いということは作用角が広いことを意味します。その結果、点火時期が早まります。逆は点火時期が遅まるということになります。このポイントギャップの規定値を外さないと点火時期が適正にならない場合にコンタクトブレーカー交換が必要になるわけです。

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2気筒なので頭の中だけでは分りにくいと思います。エンジンの行程とクランク角度を略図に書き示しました。

吸入、圧縮、爆発(燃焼)、排気の4行程ですが、全部で720°、LRのクランクは180°ずれて動いていきます。

そしてL側の吸入上死点を0°とした場合にL側は360°手前で点火、R側は540°手前で点火ということをクランク角度で表現しています。ポイントカム角度はクランク角の半分です。

整備士の人なら、当たり前の話ですがエンジンさわったことのない人にとっては難義なことだと思います。

 

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CJ360Tです。76年製造の車なので現在でも快調に動いていることが驚きでした。

しかし感動も束の間、試乗したときから症状が出ていましたが、誤魔化して乗れる程度の軽いものでしたので、気にしていませんでした。

ところが譲り受けてから満タン一回分、距離にして130kmほどで絶不調になってきましたので点検を開始します。

コンタクトブレーカーを最初に疑っていましたが、コンタクトブレーカーやポイントカムが消耗した場合は部品交換が必要になるため新品入手してから行う予定です。

今回は70年代のキャブレターは調子悪くなると聞いていましたので、今更ながらCVキャブを初めてバラしてみます。若い頃乗ったCB400TはCVキャブでしたが、調子が良かったですし乗った期間も2年足らずでしたのでバラして点検したことがなかったのです。

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その前にどんな症状かというと、キック始動は容易に出来ますが、低速走行もまあまあ普通です。アクセル開けていくと5000rpm付近でパワーが無くなります。スピードも60キロくらいしかでません。

片肺になった感じの性能です。明らかに故障している状態なので、直るまでは走行できません。

帰りついてブラグの状態をチェック、火花は両側良好に出ています。電極は左が茶褐色に対して右は黒色のカーボンに覆われています。右側に不完全燃焼の兆候が認められます。

ポイントの調整不良で点火時期や高回転の点火不良が起きていることが懸念されますが、今回はキャブレターが正常な状態か確認をします。

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現行車しか乗ったことない人はCV(コンスタント・バキューム)キャブなんか知らないでしょう。

アクセルではベンチュリー前方のバタフライバルブの開閉により吸入空気量を調節するだけです。

低速時はプライマリージェットから加速高速時はダイヤフラムに取り付いたジェットニードルが負圧(正確には吸入圧力)で押し上げられ、セカンダリージェットからガソリンを吸出します。

即ちエンジンが要求した量のガソリンを供給するということでスムーズな加速、定常運転が可能となる謳い文句です。

スライドバルブの動きは良好でバキュームの通路に異常は認められません。

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各ジェット類を外し、エアー通路の導通も確認しましたが、不調の原因になる異常はありませんでした。

短期間に症状が悪化したことを思い出すと、キャブレターに問題はないと考えられます。

再度組み立てて別の原因を探ってみることにします。

旧車を乗ることの楽しみの大半は直すということだと思っているので、メーカーさんには悪いですが新しいオートバイは調子が良すぎて直すところが無いので欲しくなりません。

これでも当時の技術者が必死になって役に立つ物を作ろうと考えた作品なのですからリスペクトして維持していきたいと思います。小さいパイロットジェットやエアーベントの穴加工が驚異的に精密で、けして侮れない技術であることを痛感します。こういう精密加工技術をベースに進化して今のクルマが成り立っていることが想像できます。

欧米人はリトルトライアンフと呼ぶそうです。なるほどバーチカルツインのシリンダーが見る角度によってはトライアンフボンネビルに似ています。

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スーパースポーツは必要ありません。一般道では性能を引き出して走ることが危険だからです。

2輪車は交通の手段ですから家から乗っていけることが望ましいです。トランポで運搬しなければならないレーサーも不経済な乗り物です。

そんな当たり前のことを思って乗ってみることにしました、1976年型CJ360Tです。私が中学2年生ころに製造された車です。今でもこんなコンディションで残っていることが奇跡だと思いました。

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76年当時ホンダのロードスポーツはカフェレーサースタイルのシリーズをラインナップしていました、CB50JX、CJ250、360T、CB400F、CB750F2です。

しかし、ヒットしたのは400Fだけで、その他は不人気車種としてのレッテルを貼られましたが、そのことがこの車の希少性を高める要因となったわけです。

何年か前に近所のガソリンスタンドに74年型CB250Tが給油しているところを見かけて衝撃を受けました。

何故ならCB250Tは私が15歳のときに新聞配達のアルバイトで初めて買ったオートバイだったからです。中古で8万円でした。ン、15歳?と思われるかもしれませんが、免許を取るより先に買ってしまったわけです。当然親には内緒でしたが、交通違反で捕まって直ぐにバレてしまったので泣く泣く手離しました。それだからこのバチカルツインには思い入れが他人より深いのです。しかも250Tの兄貴分の360Tですから、これに出会ったときは絶対に手に入れて再び手離すことのないように大事に乗ってやろうと思いました。

輸入部品商のホーリーエクイップさんの商品カタログで見つけたときはこの機会を逃したら一生ないかもしれないと思って即連絡を入れて、他の物好きが買ってしまわないうちに仕事をサボって奈良県まで引き取りに行ってきた次第です。 CIMG2520.JPG

リトル虎慰安婦(失礼!)

いい響きです。

あまりカスタムしないでノーマルのフォルムを維持していきます。

お金の掛かった旧車のカスタムバイクをよく見かけますが、この車においてはカスタムはしません。

フロントのドラムブレーキは輸出仕様ですがディスクよりドラムのほうがこのタイプの車には似合っていると思います。

新しい部品に換わっているとダサく感じてしまいます。ビンテージだから当時品にこだわるということです。マフラー屋だからマフラーだけ作っていい音させたいとは思っていますけどね。

 

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エキパイの鍍金が仕上がりましたので、マフラー製作の続きです。

 

今日はマフラーのジョイント部分とマウントステー作りに取り掛かります。

見本は量産品ですから、全て金型を用いてプレス成型により作られたものです。

量産は少なくとも千個ロットの生産だったでしょう。マウントブラケットなどは下請けのプレス工場などに外注して大量生産して安価に作られたものです。

しかし、当方には金型などありません。見本の形状を真似て成形するしかありません。充分な予算をいただいてあれば安心して立派なものを作れるのですが大概の部品は製作に費やした時間分の全てを請求するわけにはまいりません。それは、必要な生産設備が無い上に初めて成形する部品であるために、長時間を要するためです。

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これはジョイント部分ですが、非常に凝った形状であります。

ボルトを差し込む部分が袋状になっており、左右で4個のフクロを作って溶接で取り付けしてありますが、この部分だけで半日費やしています。

これができれば、エキパイにマフラーを差し込んで、位置決めに掛かれます。

 

 

 

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メガホンの溶接ビードは全て消してあります。

溶接のまま研磨屋に出しますと、ピンホールやハンマー痕などが残ってしまって、鍍金の仕上がりに影響してしまうため、研磨の下地はこちらで整えておかなければなりません。

研磨は全てお任せでは、上手く仕上がってこないことが分りました。

 

 

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ちょっとユニークな形状のマウントブラケットです。

上は見本ですが、なるべくノーマルのデザインを崩さないように真似ています。

締め付け面の凹ましが必要なので、イレギュラーな方法で鉄板を成形してみました。

鉄板はなかなか、言うことを聞いてくれません。

 

 

 

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なんとかマウントブラケットの成形ができたので、左右マフラーの取り付け位置を確認しながら溶接しました。

あとはエンジン下側に付けるマウントステーが残っていますが、今日はここまで。

明日、最後のステー取り付けを行って研磨屋に持っていく段取りが整うはずです。

 

 

 

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日付が変わって、エンジン下部に取りつけるマウントステーを作って溶接しました。

2枚合わせのステーですが、これも純正になるべく似せて作ってあります。

純正に似せる理由は、それ単品で見るとオリジナルだと思わせるようにしなければならないからです。

復刻されない希少なパーツを新品で再現するということは、旧車の維持には不可欠なことで、商業的に利益を得る目的の「偽物ブランド」とは全く次元の違う話だと思います。

 

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オリジナルと再現品を並べてみます。

B級マフラーと思いますが、大体同じ形状に出来ているでしょう。

鍍金が仕上がってきて、ピカピカになれば、素人さんならどちらが本物か見分けがつかないと思います。

これで私の作業は終わり、研磨屋に持っていってカネを払ってくるだけです。

ここまでエキパイと合わせて10日ほど掛かりましたが、一段落ということで会社なんかだと祝杯を上げたりするでしょうが、私にはあのような発酵した水など飲んだら気持ち悪くなってしまうので祝杯は上げません。そのかわり、気持ちよくなる音楽でも聴くとしましょう。

スパイロ・ジャイラのモーニングダンス。ものすごく爽やかな気分になります。寒気が来ていますので気分だけでもトロピカルでいきましょう!サンキュー、Mrベッケンスタイン(SAX)

'>1979年リリースの楽曲ですから、34年も経つのですね。カセットテープが擦り切れるほど聴いていましたが、何年経ってもエエモンはエエ! 

 

 

 

9月のもてぎでお預かりしたCB92のマフラーに着手です。オーナーの沖さんは小樽在住ですが、1月に群馬のスキー場へ来られる情報をお聞きしていたのに間に合いませんでした。次回は4月のイベントで埼玉へ来られるそうなので、猶予ができました。今から取りかかれば充分間に合うでしょう。

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完全オリジナルのCB92です。保管には細心の注意を配ります。

何年か前から北野元選手が浅間火山レースで優勝したマシンを入手してレストア中であることを聞いていましたので、2輪史に関る大事な仕事であると思います。

北野さんは関東では有名で、4輪のレースドライバーに転向して、板橋の川越街道沿いにあったロードレースの宋利光さんの店「アパッチ」の隣でタイヤショップを営んでおられました。

 

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託されたマフラー一式ですが、図面もありませんので、この現物を見本に同型のものを作らねばなりません。

具体的にマジマジと眺めてみると型物が随所に使われていて、ハンドワークで再現するのが難しいように思われます。

しかし、私には19年も何の道具も持たないで、「無いものは造ればよい」という信念でやってきた経験があります。

 

 

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緩いカーブを描いたエキパイは3次元に曲がっているのが分ります。

メーカーさんは機械ベンダーで曲げRと角度を設定して曲げていますが、私には曲げ機械はありません。手曲げで再現するには職人技を発揮する必要があるでしょう。

 

 

 

 

 

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マフラーのマウントステー部分の構成パーツが意外と多いことに気づきました。

おそらくこの部分の作り込みが半分くらいのウエートを占めると思います。

2枚の板の接合部はスポット溶接が用いられていますが、スポット溶接機もありません。この部分はプラグ溶接かTIG溶接で取り付けさせていただきますのでお許しください。

では製作の進行状況は随時アップすることにいたします。

 

2輪史について、何のことだか分らない人も多いかもしれません。最近のことだけ見ていると全体像は見えてきませんが、MX、ロードレース、ストリート、クラシック、改造バイク、一通りのカテゴリーを掻い摘んで見てきました。2輪車という乗り物は、およそ100年前の原点から始まり、研究開発が進んで新材料、新製法、新機構が世の中にリリースされ、お金を払えば誰でも堪能できる便利な時代になったと思っています。

しかし、この先100年同じように開発が進んでいくとは思えません。それは資源や環境の問題であったり人間の欲求の矛先であったり、残る部分と衰退していく部分が当然でてくるでしょう。今の繁栄は期間限定の楽しみと捉えてよいかもしれません。そのことを考えると、一見時代遅れに見えるようなことに魅力や価値観を見出していく懐古主義を営んでいくために手作り製法も、残された人生を豊かに(お金じゃないですよ)過ごしていくために有意義なことだと思って働いています。

 

CIMG2115.JPG最初に一番大物のメガホンマフラーから始めます。

通常はテーパーに削った鉄棒に鉄板を巻きつけながら作りますが、これは端材も含めて1m以上の長さがありますので巻いて作るのは難しいと考え、水押しで膨らますことにしました。

2枚の鉄板を展開図に従って切断し、溶接で張り合わせます。

今回は厚さ1mmの鉄板を使用しますが、成型後に溶接ビードは研磨して消してしまうため、通常より溶け込みを深く溶接しておきます。

CIMG2118.JPG膨らんだテーパーを所定の位置で切断して立ててみます。

製品の長さが77mmありますので、CB92のシートより少し高いです。

マフラーの長さは排気の脈動を利用して燃焼室の充填効率を高める効果がありますので、ノーマル寸法を守る必要があります。

旧車の場合はオリジナルに忠実な外観も必要なので、自分の意思は入れず同じように成型することに没頭するだけです。 

 

 

CIMG2119.JPGメガホンのエンド部分にはテーパーリングを溶接します。後で研磨して溶接ビードは消します。

テーパー状の絞りは排気の抜け過ぎを抑え、反射を起こすための形状です。

50年前からこのようなチューニングの技法が確立されていたのですね。

メガホンの加工はここで一旦停止です。先にエキパイの製作に掛からねばなりません。

その理由は、クローム鍍金仕上げ によってパイプジョイント部の外径が大きくなってマフラーが差し込めなくなるためです。

ラインナップ品のチャンバーなどはテールパイプのジョイント部をマスキングして、鍍金が付かないようにして対応していますが、CB92のエキパイは端まで鍍金されていますので、鍍金後の外径寸法にあわせてマフラージョイントを加工する段取りになります。

 

CIMG2122.JPG先ずは見本のエキパイから曲げゲージを作ります。左右対称ですが、3次元曲げなので両方のゲージが必要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

CIMG2121.JPG曲げゲージを内Rに当てながらパイプを曲げていきます。

炙り加減と力を入れるタイミングは100%勘だけが頼りの手曲げです。

複合Rの距離が近いため、このカーブを成型するには高級な機械ベンダーが必要でしょう。

パーツメーカーさんならCNC加工機により高精度な仕上がりを実現します、というところですが、ここでは無縁の世界です。

 

 

CIMG2125.JPGエキパイの切断、フランジの加工を行って取り付け確認します。

先日作っておいたメガホンマフラーを仮止めして左右のバランスを見ます。

マフラーの位置が問題なければ、エキパイの加工は完了です。

このあとエキパイだけ鍍金処理に廻りますので、それまでマフラーの加工は中断します。

次の仕事が控えておりますので、続編は2週間後ということで。

 

 

 

11月25日所沢の航空発祥記念館の前に2台のコンテナに載せられて展示用の航空機が運ばれてきました。アメリカのPOF(航空博物館)所有の現存する飛行可能な唯一機の零式戦闘機の来日です。

コンテナの1台はエンジンと主翼、機体前半分。もう1台は機体後ろ半分を積載しており、展示場の前で降ろされ、組み立てられました。組み上がった機体でエンジン始動確認後、格納庫である展示場に納められた実物を同館にて3月末まで一般公開されています。

同機の正式名称は海軍零式艦上戦闘機五二型と呼びます。1944年6月にサイパン島で米国海兵隊に無傷の状態で捕獲されて民間に払い下げられたそうです。 CIMG1996.JPG

通称ゼロ戦ともいいますが、実戦終了から70年近く経っても、おそらく日本人で知らない者はいないと思われるほど有名な飛行機ですが、その実物を目の当たりにできる貴重なチャンスを逃すわけにはいきません。

私の注目するべき目的は二つ、当時最速と言われたエンジンと超々ジュラルミン製の機体です。

 

 

 

 

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群馬県太田にあった中島飛行機製の栄二一型エンジン。

14気筒星型エンジンは1100HPで最高速度564.9km/h、航続距離1920kmというスペックです。

装甲板や防弾ガラスを持たない攻撃専用の機体が設計の思想を表しています。防護能力の無い機体はグラマンに狙われて被弾したなら助からないことを意味します。助かるためには戦闘に勝つしかありませんでした。総重量1800kgという軽さと高出力エンジンのおかげでラバウル島からガダルカナル島の片道1040kmも楽々飛行して戦闘できたという驚異の航続距離を誇っていました。

中島飛行機の技術者は敗戦後7年間航空機の開発を禁止されたこともあり、富士重工に移動して自動車の開発者として貢献したといわれます。チューニングで有名なPOPヨシムラ氏も中島飛行機の整備士であったことは有名ですね。

リンドバーグが大西洋横断飛行に成功したのは1927年ですが、ライト兄弟の初飛行は1903年ということですから航空機の歴史は正に100年、自動車の方が少し長いですがオートバイよりは歴史が長いのです。しかも日本の航空機技術が第二次大戦まで世界最高水準であったことも興味深い史実だと思います。

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機体の全容が目の当たりにできますので板金の手法が想像できます。この様な機体を戦時中に一万機以上も製造した能力に感心します。機体の設計者は三菱重工の堀越二郎氏ということで、日本初の旅客機YS11も同氏の設計です。

空気抵抗の少ない流線型の機体が戦闘能力の高さに貢献したわけですが、低燃費で高速で飛行できる現代の航空技術の基礎になっていることも伺えます。

視認性を重視した立ち上がった風防の中で搭乗員一名の兵隊さんが、どのような気持ちで空中戦を戦っていたかということを思うと同情と尊敬で胸が締め付けられるような気持ちになりますが、ゼロ戦の搭乗員は何千人もの航空士官学校のなかでも25名ほどしか選ばれない精鋭だったということで、撃墜戦死された人意外は終戦後も生き延びられたということが幸いです。 CIMG1984.JPG

館内は他にも展示物が多く、一日で観るには時間が足りません。

これはヘリコプターのエンジン部分です。

カーチス・ライト製10気筒星型エンジンです。エキパイが集合になっているのが面白いですね。サイレンサーは勿論ありません、すごい爆音がするでしょうね。

旧式のエンジンはレシプロが多いですがタービンシャフトエンジンもあって基本的に空冷ですが排気温度を冷却するためにエタノールと水をタービン内に噴射するなど、ガソリンエンジンには無い技術も解説されていて興味深いです。長いこと生きておりますと色々なことがあって面白いですね。

 

観覧中の親子の会話が気になりました。5歳くらいの男子と40前後の父親でした。

父「この飛行機でアメリカと戦ったんだ」  男子「どっちが勝ったの?」

父「日本は負けたんだよ」  男子「・・・・・」

男子の思ったことは想像に任せるしかありません。ヒーローは戦いに勝つものです。負けた方が悪者だと思うでしょう。この子は日本が負けた、イコール日本が悪かったのだろうかと思ったでしょう。

勿論悪かったのは軍部であって国民が悪かったわけではありません。または、こう思ったでしょう。

「負けたのにどうして日本は平和なんだろう」

その答えは、何十万人の民間人と兵隊が犠牲になって間違いに気が付いたおかげで、日本は戦争に参加しなくて良い国に変わったからです。

もし、あの戦争で勝っていたなら、軍隊は今でも存続していたでしょう。

私らの年代の親たちがギリギリ戦争体験者です。少し下の世代になると身内に体験者がいなくなります。実際に起こったことを伝えられる人が段々いなくなることを危惧します。

そんな戦争体験者が綴った書物が出版されていますが、私の心に残っているのは、特攻に出撃して生還した兵士の話です。非常に偶然が重なって、撃墜されて海に落ちた際、爆弾が爆発せずに助かり米軍に助けられ捕虜になったそうです。引き上げられた艦上で米兵は親切に濡れた軍服を乾かしてくれたり食事を与えてくれたりしたそうです。

その時に尋問役の米兵が日本語で「私たちは人を人として扱わない人種と戦っているのです。私たちは人を人として扱います」と言ったそうです。真珠湾に奇襲攻撃を掛けて勝てると思った軍部の間違いは、最初から結果の分っている戦いを仕掛けたということでした。多大な犠牲を払って安全になった国で生きていける幸運はいかなる歴史の下に築かれたものかを伝えていくことが必要だと感じます。

実際に出撃した人たちは大正生まれの若者です。終戦時に19歳から33歳の人が大正生まれですから、戦争体験者の生存数が段々少なくなっているのです。私の父親は15歳で終戦を迎えましたが住友重機の軍需工場に学徒動員で、銃弾や飛行機の車輪を収納するモーターなどを旋盤加工する仕事をしていたそうですが、自宅にラジオが無かったために終戦を知らず朝、工場に出勤したら上官から「戦争は終わったから帰っていいよ」と言われたそうです。

そんなことも聞かされたのは最近のことで、貴重な体験も聞こえなくなることが惜しまれるわけです。

そういうわけで零式戦闘機は歴史の証拠として、飛べなくなっても保存して後世に伝えていってほしいものです。

 

 

グッドオールデイズの日にお預かりしたマシン1台。1959年型CB92です。

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発売と同年の浅間火山レースのライトウエイトクラスで18歳の少年、北野元選手がワークスレーサーたちを抑えて優勝したことにより人気を博したモデル。

64年まで15000台ほど生産されたそうで、今でも世界中にこの希少なマシンを保存しようとする人たちが大勢おられます。

オーナーの沖さんもそんなエンスージアストの1人です。

 

 

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お預かりした目的は、この車両に装着されたレース用マフラーのレストアのためです。

なかなか北海道から持ってこられるのは大変で、もてぎのイベント会場で待ち合わせて実現しましたので、納期も来年年明けくらいで良いそうです。

実は、北野選手が浅間で乗ったマシンを沖さんがレストア中で損傷の激しいマフラーの部分を私に託していただきました。

車体はこれと同型式なので治具代わりというわけですが、綺麗な車体で取り扱いは厳重注意ということになります。

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マン島TTレースを走った谷口尚巳さんのサインがサイドカバーに書かれています。

やはり自分の青春時代のオートバイは忘れられない思い出があるのでしょう。

世の中がどのように変化しようとも、その時代を生きた証としてオートバイがなくてはならない存在なのだと感じます。

 

 

 

 

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通称ドクロタンクとよばれるニーグリップが絞られたデザインのタンクはアルミ製。

大径ドラムブレーキのホイールハブはマグネシウム製。

実用車のようなボトムリンク式サスペンションやニーグリップのラバーなど当時の雰囲気満点のスタイルですが、ホンダとして最初のスポーツモデルなのであります。

 

 

 

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割りと単純な形状と思われがちなメガホンマフラーですが、実は非常に難しいのです。

なにしろ全長70mmものテーパーですから手で巻くのは殆ど不可能でしょう。

エキパイも排気ポートが外向きなのにエンジン下部で車体と平行になる3次元曲げが必要となりますので、高度な手曲げテクニックがないと難しいでしょう。

ちょっと先の作業になりますが今から思案中というところです。

後日マフラー製作レポートすることにします。

 

CR誕生50周年ということで世界初のCRミーティングがツインリンクもてぎで開催されました。

CRとはカブレーシングの略称で、クラブマンレース出場に合わせて製造された市販ロードモデルの車名に使われました。今年はツインリンクもてぎ開業15周年ですが、インディー撤退ということで早くもオーバルコースは使用休止になってしまいましたが、スズカサーキットと並び、国際レーシングコースとしての設備の豪華さには圧倒されます。企業の収益で一般参加できる施設にこれだけ還元したメーカーは他には無いと思います。

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CR110レーサー。

50ccクラスの市販レーサーです。

私も本物はもてぎでしか見たことがありません。

 

 

 

 

 

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珍しいマシンも多数展示されていました。

クライドラー50ccレーサー。オートバイ雑誌でしか見たことがなかったので驚きの光景です。

 

 

 

 

 

 

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生憎の雨がサーキットに打ちつけるコンディションでしたが、この日のためか日ごろからマシン作りに精を出されて、惜しげもなく雨のロードに走りだしていきました。

車両展示とレース形式の走行会で多くの自慢のレーサーを披露されていて、只ならぬ情熱を感じます。

 

 

 

 

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AJSですかね。

このマシンに代表されるようにエントラントも私らより年配の50代、60代の人たちが多かったように見えました。

若者抜きで遊ぶと言うか、若い者には無い老練さがここにはありました。

こんなマシンも実動なのが驚異です。

 

 

 

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このイベントの目玉はRC146とRC149のデモンストレーション走行でしたが、豪雨のため残念ながら中止となってしまいました。

そのかわりパドック内でエンジン始動して19000rpmのサウンドを聞かせていただきました。

146は125cc4気筒、149は125cc5気筒で最高出力35PSを20500rpmで発揮するそうです。

展示車はL・タベリが乗った優勝マシンです。

 

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デモ走行担当する予定だった宮城さんと菱木さん。

今回は空ぶかし担当でした。

11000rpm以下ではエンジンストールしてしまうためアクセルワークはシビアだということです。

最高回転はエンジンを守るために控えて19000rpmまで回していただきましたが

F1に似た甲高いサウンドでしびれました。貴重な体験だと思います。

 

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小樽から参加の沖さんの愛車SS50です。このマシンを故隅谷守男さんが売って欲しいと頼んだそうですが、売ってあげなかったというほど貴重な物です。

雨の中奥さんがサーキット体験走行されたはずですが無事だったでしょうか。

この日のために峠で練習されてきたそうです。

このクルマ、新車購入のまま、何も変更されてないそうで、40年以上この外観を維持し続けているという奇跡の逸品です。

グッドオールデイズの参加車両は私の年齢(49歳)をもってしても見たことがない物が多く、仕事柄、古いマシンのマフラー製作も頼まれることがありますので、実物を目に焼き付けておく絶好の機会なのであります。

 

 

 

 

 

 

ワンオフ製作のチャンバーを希望されるお客さんは次のことに、ご注意ください。

製作したいチャンバーの寸法図、または見本が無い場合はお引き受けできません。チャンバーの諸元はエンジンの仕様と密接な関係がありますので、車種毎に専用設計になっています。寸法図が提示されない場合は新規に設計しなければなりませんが、経験の無い車種のチャンバーをゼロから製作するとなると相当な試作とテストを繰り返さなければ、満足な物は作れないでしょう。そういう決まっていない試作などの期間や費用はお約束できるものではないということが理由です。

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今回のDT125は全く経験ありませんでしたが、製作できる可能性があったことと、こういう依頼に対応できないと、弊社の存在意義も無いと考えましたので、お引き受けすることにしました。

ワンオフなど安易に引き受けるものではないことを思い知らされる例でした。

DT125といえば水冷エンジンのチャンバーしか経験が無かったのですが、このマシンは空冷エンジンでした。初期型は78年ですがこれは後期型の80年モデルのようです。

依頼内容はRZ125チャンバーのスペックで作りたいということだったのですが、ボア、ストロークが56×50で同じなので使えると思ったのですが駄目でした。ノーマルチャンバーの寸法とRZ用が違い過ぎて、おそらくパワーダウンするだろうと予測したからです。

では空冷エンジンのレーサー用ということで77CR125が56×50で同じボア、ストロークなので使えるのではないかと試作に取りかかったのでした。

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これが77CR125スペックですが、試乗してみて落胆しました。

全体的にトルク不足で高速も伸びない、ノーマルより全然走らない失敗作でした。

カタログ値だけの性能比較ですがDTは13PS/7500rpmに対して77CRは22PS/10000rpmということで、同じボア、ストロークでも性能が格段に違うということ。ポート形状やピストン形状など他の要素が大きく違っているためにチャンバー形状も違ってくるということを物語っています。

当時のDTと同じ鋳造型で製造されている80年式YZ125も同じボア、ストロークですが、26.5PS/11000rpmという高回転高出力型の特性を持ちます。一般市販車のDTの性能が違うのは公道での乗りやすさや安全性を重視した結果と考えられますので、やはりノーマルチャンバーをベースに作らなければならないということです。

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ノーマルチャンバーは膨張部が2重構造になっていますので、外形寸法からは内部の寸法が測れません。

ストレート部とコンバージェント(収束)コーンは125クラスの過去データーから妥当な寸法を導き出し、推測して決めました。

ようやくワンオフ製作に掛かることができます。

 

 

 

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テールパイプがモノクロスサスのショックとクリーナーボックスの狭い隙間をクネクネと曲がって通してあります。こういう部分は実車がないと製作不可能です。

サイレンサーも頼まれましたのでレトロな雰囲気のオールアルミで仕上げました。

試乗してみましたら、ノーマル同様の特性で5000rpmから8000rpmまでパワーバンドが広がる乗りやすいものにできました。

8000rpmからレッドゾーンなので、レーサーのように高回転で回す必要がないエンジンです。

32年前のオートバイなので部品も廃番になっています。壊さないように走り続けていただきたいと思います。

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レストア界の最高権威、小林さんから溶接肉盛りを頼まれたケースカバー。

左ケースと思いますが、車種が分らない私が質問しましたら、ホンダSAだとおっしゃいました。1955年製の同車種ですが、最近まで実動で、イタリアで開催された2000kmのラリーを完走して年代別クラスで入賞したマシンだそうです。

ヨーロッパの旧車レースは日本とは比較にならない人気とレベルの高さが予想されます。

自分を育ててもらった会社のマシンですから、恥ずかしながら調べてみましたら、これがホンダの2輪車の歴史上重要な役割を担ったマシンであることがわかりました。 ドリームSA.jpg

ホンダコレクションホールの展示車画像から拝借しました。

たしかにこの車両の左ケースが同じ形状を呈しています。

これがホンダ初の4ストエンジン、OHC単気筒250ccです。

本田宗一郎さん直々の設計で、夢の4ストロークエンジンが完成したので、ドリームという車名を与えた最初のマシンです。

製造された1955年にレースに出場しています。日本にサーキットが無かった時代で

7月に第3回富士登山レースで250ccクラス優勝。11月の第1回浅間火山レースで250ccクラス2位入賞という快挙。因みにこのレースの優勝はライラックに乗る伝説のレーサー伊藤史郎でした。

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修理内容は、オイルドレンに亀裂が発生したため溶接肉盛りをすることです。

古いダイキャストですから表面を少し削って地金を出す必要があります。

酸化皮膜が溶接不良を引き起こすためです。アルミの溶接は交流TIGを使いますが、交流は極性が+ー交互に流れる高周波です。+イオンを衝突させ酸化皮膜を除去しながらー電子でアルミを溶かします。この酸化皮膜が強固な場合、除去できずに上手く溶けてくれないため、予め削っておくことが必要です。 

 

 

 

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内側もこの通り一皮剥いて、浸み込んだオイルの脱脂も行います。

 

 

 

 

 

 

 

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ネジ穴の内側から溶かすように溶接棒で埋めてしまいます。

ここに新たなネジ穴とボルト座面を加工するのですが、私の仕事はここまで

続きは小林さんのレストア工房の加工機で行います。

サンドブラストで全体を美しく仕上げて、消耗部品も新品交換して組み上げますので、新車同様のコンディションになるでしょう。

小林さんは、ホンダのワークスレーサー、ダブルプロリンクや2気筒RCなどの開発を勤め、オートマチックRC時代のHRC監督でしたが、その後、会社命令でコレクションホールの立ち上げを任され、茂木の展示車両は同氏の作品であります。

英国バーミンガムのモーターサイクルミュージアムも見た事がありますが、展示台数は多いですが、旧車のコンディションは悪かったと思います。それに比べて、茂木のコレクションホールは全車動態保存で外観も新車同様、F1やMotoGPの歴代チャンピオンマシンも保有していることで、間違いなく世界一の2輪4輪博物館であると同時にホンダの偉業を実物で感じ取れる、後世に伝えたい異空間であることを申し上げておきます。

およそ45年くらい前に製造された車両でしょうか。これは、CSというロードスポーツタイプですが、これと同形式のエンジンを搭載したCLというスクランブラータイプが私の実家にありました。

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CL90はオヤジがスクランブルやるために買ったものではなく、会社に通勤するための実用車だったのです。母親は私が8才のときに亡くなっていましたが、記憶に残っていることがあります。

当時、父親は自動車は所有していなかったので、夫婦で買い物に出掛けるときは、オートバイで2人乗りのスタイルでした。まだヘルメット着用は義務でなかったですが、父親はシールド付きハーフキャップ被って、ジャンバーにスラックス、革靴という真面目な服装で乗っていて、母親は頭にスカーフを巻いて、ロングコートの下はスカートでタンデムシートに跨り、ヒールの踵をステップに引っ掛けて乗っかっていました。要するにお洒落着のままオートバイに乗って出かけていたのですね。そんな母親を見て「お母さんは風呂敷被っとった」と父親は言っていました。 40年以上前の話です。

その後、通勤車は自動車に代わったのでCL90は置きっ放しになっていました。私が中学2年になったころ単車に乗りたくて、乗りたくて我慢できずに、親が寝静まったころ、こっそりCL90を持ち出して乗り回すようになりました。クラッチもギヤチェンジも知りません。乗り方教える先生もいません。中学生がたった一人で真夜中の山道で、ライトを頼りに練習していました。真冬で寒かったので、ジャンバーの下に新聞紙を入れて真っ暗な道路を疾走しては、親に気づかれないように返しておく日々が続きました。悪いことは続かないもので、運転に慣れたころに国道を走って遠出したところで警察に捕まって、バレてしまいました。13才のころですから少年法で刑罰はありませんでしたが、夜の監視が厳しくなってしまいました。モトクロス場では13才どころか10才以下でも堂々と単車に乗れるのに、私らが子供のころの環境では非行の元としか見られていませんでした。早く就職して自由に単車に乗ってやると、強く思ったものでした。

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このオートバイを見てそんな昔のことを懐かしく思うのですが、今こうやって現役で走っていることが羨ましく感じます。あの思い出のCL90は、私の非行が元で、処分されてしまいましたから。

頼まれたのはメガホンのマフラーですが、レーシング仕様なので消音器は入っていません。浅間火山レースを彷彿される直管です。長さとテーパーの角度はノーマルのマフラーの中身を参考に最適寸法を推測して製作しました。成績を全く気にしない楽しみのためのレース仕様です。

2000年にトヨタが三菱地所から買収して03年からコースの全面改修を行ったFSWへ行ってきました。MCFAJのロードレース開催日でしたが、レース観戦だけが目的ではありませんでした。

クラブマンMXも同敷地内で開催されていましたので、年3回くらい走りに行っておりましたが、改修工事でMXコースが閉鎖されてからは一度も行ってなかったので、どんな状態か確認することにしました。

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1.5kmという長いストレートの前に立派な3階建てのピットエリアが建っています。

グランドスタンド正面には大画面のモニターが掛かっていて裏のコース状況が実況されるようになっています。

当日は東富士演習場で富士総合火力演習ということで、過去最大規模の実弾訓練があったそうです。大砲80台、戦闘機30機で使用された弾薬は合計40t、金額3億2000万円が消費されたらしく、スピードウェイにも砲撃の音や振動が伝わってくるという独特の環境ですが、敷地内のドリフト練習場のタイヤの悲鳴やエンジンの爆音はそれをはるかに凌ぐもので、普段聞いているモトクロスの音は、静かなトレールバイクのようなものにかんじられます。これが本物のレース場の音です。

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10万人収容できるという観客席は向こうの端がみえないくらい広いです。トヨタがF1を開催する目的で本気を出して作ったことが伺えます。しかし、その影に潜んでいる問題は、コースのインフィールドにあったMX場の閉鎖でした。

80年代のMX黄金期は二度と訪れないということを、この施設を見て確信しました。

鈴鹿や桶川など日本のMXに無くてはならないはずのレース場が消滅しましたが、このFSWも重要な役割を持っていました。

クラブマンMXのエントリー台数は400台を超えていたのに、ここのレースが無くなったおかげで翌年から半数に減少し、最近では100台少し越えるくらいで、近い将来100台割れすることが予想されます。

トヨタはAMAのレースチームにはスポンサードしているのに、MXレーサーより何倍も高価なハイエースを買ってくれるユーザーには来てもらわなくていい、または同社の顧客の多くがMX愛好家であることを視野に全く入っていなかったということを示唆します。

その結果、何百億も掛かったであろうコース改修の末、レース日も空席だらけで、静岡、山梨方面のMXライダーの走る場所を無くしてしまっただけという現状が日本のMXの未来を暗示しているように思われます。

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レースの方は自分の体調が悪く、雰囲気だけ味わって、あまり観ていません。

そのかわり併催されていたビンテージミーティングを見てきました。

初めて見る珍しいオートバイの数々。

これはフジというメーカーのマシン。

フジは勿論、地元の企業で昔オートレース用のエンジンを供給したり、現社名は、あのHKSと変更しました。フジは戦時中中島飛行機の整備士だった人たちが、戦闘機からオートバイに転職して起こした会社です。

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CR110.ホンダの50cc市販ロードレーサー。

世界中に殆ど残っていない希少なマシンがここにありました。

しかも、このマシンのオーナーはもう一台持っていました。

 

 

 

 

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同じCR110のエンジンを載せたモトクロスマシンも作ったようです。

乾式クラッチやエアファンネルでも気にしない大胆さに敬服です。

カムギヤトレインでツインカムの50ccレーサーなど二度と作られることはないでしょう。なぜなら50ccのGPレースは無くなってしまったからです。

私はこのマシンを世界遺産に認定します。いつまでも保存してください。

 

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インディアン4です。1200ccということくらいでよくわかりません。他にも珍しいマシンが多数展示されていましたが、全部走れます。エンジンかけて駐車場をデモ走行してもらいました。

そして、オーナーの年代もそれにふさわしいもので、やはり人間は新しいものより自分と同じ時代を生きてきた物に愛着が沸くものだと実感しました。

私もそんな一台を見つけて共に年を取って行きたいと思います。

 

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サイドカーレースもあります。珍しいカウルはずしの場面です。91年ドニントンで観たヨーロッパ選手権以来です。当時はTZ750エンジンワンメイクでしたが、今はリッターバイクが全盛のようです。大会の規模もレーサーの数も本場ヨーロッパには及びませんが、こんな手作り感満載のレーサー作って遊べる余裕が羨ましい限りです。

今度はじっくり観にきますので、辞めないでがんばってもらいたいです。

とにかく、大企業のバックアップなしでは立派なレース場は生まれません。資本力では比較にならない個人商店で運営されているのがMX場の現状です。こんなところで格差社会を見せつけられたような思いです。自分は自分のスタイルで、できることをやっていこうと思います。

 

 

震災があって3月の走行会が中止になってしまって、預かっていたK125が3ヶ月経って、ようやくチャンバー製作着手することになりました。

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チャンバーに取り掛かる前に、サーキット走行のためセンタースタンドを外す必要がありますが

フレームを貫通しているシャフトが中で曲がっているのか、全く抜けてこないためスタンド外し不可能でした。

やむを得ず、酸素で溶断しました。

シャフトの生材使用はやめましょう。クロームモリブデン鋼にしましょう。

代わりにレーシングスタンドを作ってから作業開始です。

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上がノーマルのマフラー。

2ストシングルなのですが、2個の排気ポートにそれぞれ独立したエキパイということで2本マフラーです。

下が製作したチャンバーとサイレンサー。

エキパイとチャンバーは溶接でワンピースです。

ノーマルは、ダイバージェント(拡散)もコンバージェント(収束)もありません。筒の中に仕切り板があって、反射を起こす構造で、仕切り板の位置を測ってチャンバーの諸元を推定しました。この置き換えは、あまり経験がありませんので、出来上がりの性能が楽しみです。

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オーナーが取り付けてあったステップブラケットもチャンバーのレイアウトの邪魔になるので移設させていただいて、スッキリとストレートチャンバーに決めました。

キックアームは始動時にブレーキペダルにぶつかるので、可倒式に交換するべきと思います。

12Vバッテリーつないで、キック始動してみました。暖まっていなくてもアイドリングは安定していて、分離給油のためかワイドオープンにすると白煙がものすごい。回転はストレスなく吹け上がってくるので、走行は問題なさそうです。後はサーキットでキャブセッティングということですが、ここから先はオーナーのお楽しみということで、お引き渡しです。

年齢を重ねてくるにつれ、新しいオートバイに興味を示さなくなることがあります。そのかわり、古いオートバイを大事にすることに楽しみを見出すようになってきます。

お金を払って新型のオートバイに乗るという行為は何度も繰り返すうちに飽きてくるものですが、乗り出しがオンボロのマシンを手にしたときから、それに手を加えていくうちに愛着というものが芽生えてくるものです。このマシンもそんな楽しみを与えてくれるオートバイでしょう。

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北陸地方のお客さんがもってきてくれたのはSUZUKI K125。

ベースはビジネスバイクらしいですがオリジナルの面影は少なく、それもそのはず、これで旧車のロードレースを走るため、レーサーに改造中なのです。

ハンドルやバックステップを自作してポジションをオーナーの体型に合わせて作られていますが、ステップブラケットの位置関係でノーマルのマフラーが取り付かなくなっています。そこで我社に頼んで新作することにしたようです。

空冷2ストローク単気筒、ロータリーディスクバルブは小型実用車にはよくあるエンジン形式ですが、特徴的なのは、排気ポートが二つに分かれていてそれぞれ独立したデュアルエキゾーストになっていることです。

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このとおり単気筒なのにエキパイが二本。

なぜこのようなデザインになっているか推測ですが、ビジネスバイクといえども、リーダーシップはホンダ車にあったのだろうと思います。スーパーカブに代表される、いわゆるカブスタイルのバイクはスズキのバーディー、ヤマハはメイトという具合に売れ筋のスタイルを作ってきたのがホンダのデザインだったわけです。そしてビジネスクラスのベンリィシリーズのスタイルに似せて作られたのがK125だったのではないかと。

プレスバックボーンのフレームや二本出しのマフラーが、非常に良く似たスタイルで、このスタイルにすることがお仕事に使うオートバイとして必要な要件だったのでしょう。

そんなビジネスバイクをこのような改造をしてロードレースを走ろうなんて、遊び心満点じゃありませんか。しかし、125の二本出しマフラーなど過去に作った経験もなし、これから頭を悩ますに違いありません。すぐに取り掛かれる状況ではありませんので2ヶ月後に作り始めるという約束をして置いて帰っていただきました。後日製作日誌を当ブログで掲載させていただきます。

スズキRMの前のモデルはTMという名称でした。昭和38年生まれの私でさえ乗ったことがありません。

エンジンや車体はほぼハスラー250ではないかと思います。ハスラー90は持ってましたけど、何処へやってしまったかさえ覚えていない遠い昔のことになってしまいました。

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さて今回の製作依頼はTM250のチャンバーです。下に置かれた純正品が老朽化のため新作することになりました。

当時のレーサーはサイレンサーもありませんが、テールパイプにスプリングフックは付いているので

オプションでサイレンサーを装着できたのでしょう。

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潰れたノーマルチャンバーを元に採寸して製作したニューチャンバー。

 

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口元フランジも絶版ということで、新作し、ニューチャンバーとセットになります。

採寸した諸元はこのようにガバリを作成して鉄板に罫書いて製作します。

IMG_0695.JPGそして、オプションのサイレンサーも取り付けました。

 

レストア中のこのマシン、クランクケースもOH中なので内部が確認できますが

これはプライマリーキックではないことが分ります。

最近のオートバイは全てプライマリーが当たり前になっていて、ギヤが入っていてもクラッチを切ってエンジン始動ができる構造になっています。

それはキックギヤとクラッチアウターのギヤの間にプライマリーギヤが存在してメインシャフトの連結をクラッチで解除しながらクランクギヤを回せることで、ギヤが入っていても始動できるわけです。

しかしTMにはプライマリーギヤの軸穴が存在しないことが右ケースを見れば分ります。

キックギヤとカウンターシャフトのギヤが直結の構造です。

即ち、ギヤをニュートラルにしてからキック始動できたということです。

ギヤが入っていれば押しがけはできますから、ロードレースでも押しがけスタートが主流でした。

モトクロスでは、今のようなスターティングマシンは無く、エンジンを止めた状態でオフィシャルの日章旗を振る合図でキックスタートでレースしていました。

当然、右足でキックして、左足でギヤを入れてスタートするわけですから、予めギヤをいれてキックできるプライマリー車の方がスタートが優位だったわけです。

古いマシンを乗っている人を見て、「新型のマシンの方がいいよね」という人がいますが

これは古い名作映画を観たり、懐かしい歌謡曲を聴いたりするのと似ていると思うのです。

新型が性能がいいのは当たり前、いつまでも自分の青春時代のマシンを楽しんでいたいという欲求があることを非常に理解できます。

このダウンチャンバーのリバイバルは口元フランジとサイレンサーも新作で3台分同時に、しかも前金で依頼されていますので、他の仕掛かり業務も含めて8月中に急な依頼がありましてもお引き受けできませんのでご了承ください。

後世に残したいオートバイを一台だけ挙げるとすれば、迷わずこれだろう。

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今更説明の必要もない、ホンダがWGP参戦して9年目に偉業を達成したワークスマシン

RC166である。イラストのゼッケン16は1966年Mヘイルウッド車

同年はWGP50ccから500ccの5階級のチャンピオンを獲得し、50と350の階級は消滅したので

2輪メーカーとして永久に破られることのない偉業となった。

とくにRC166の250ccクラスは不参加の2戦を除いて、Mヘイルウッドのライディングにより

10戦全勝した究極のマシンでスペックはこのとおり

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このマシンが活躍した年は3歳だったので記憶にないが、小学校低学年になると百科図鑑のオートバイのページにはこれが載っていたので知っていた。

そのころからの記憶がこんなオートバイを作ったメーカーに憧れて、就職を決定することになったのかもしれない。

実車は茂木のホンダコレクションホールに展示してあるので、いつでも見ることができるが

私にとっては、これらの偉業の他に運命を感じる出来事があったのだ。

それは今住んでいる市内にRC166のクランクシャフトを削りだした人がいることがわかったことである。

その人は吉田さんというのだが、私がホンダに在籍中からの知り合いで、生産設備を作るホンダエンジニアリングに所属していて、実験室を任されていた人物である。

オールアルミボディのNSXを立ち上げるときアルミのスポット溶接の条件など自動車では経験が無かったため

吉田さんの実験室でスポット溶接のテストピースを作っては、私の職場の試験機で強度テストを繰り返していたのでよく知っていた。

それはアルミの板厚とナゲット径と溶接電流の関係を調べて、溶接ロボットにティーチングするHES(ホンダエンジニアリングスタンダード)規格として量産で運用された。

2輪車では2輪駆動の特許も取得しており、80年代のオフロード雑誌でも取り扱われていたのでご存知の人も多いと思う。

そんな吉田さんはホンダの創世記に旋盤工として採用され、GPマシンのエンジンパーツ製作を任されていたそうだ。

RC166の6気筒エンジンは一本のワンピースクランクで吉田さんのハンドワークで削りだしていたという。

加工中、背中越しに宗一郎さんが見ていたという話も聞いたし、Mヘイルウッドが試走するときも立ち会ったという貴重な話もしてもらった。

現代のオートバイはCADで設計したデーターでマシニングセンターが動いて加工するので、人間の手で作られた部分は皆無である。

しかし、当時のオートバイは鉛筆で書かれた設計図に基づいて手動の加工機で製作されたもので

それでホンダという社名を世界のメーカーや2輪ファンに知らしめたという意味で後世に残したい一台のオートバイにしたいと強く思うのである。

今日は午前中の仕事を片付け、納品を兼ねてMXビレッジへ観戦にいきました。

実は今回、唐沢栄三郎さんが走るという情報を事前に聞いていましたので

それが目的でもありました。

しかも、マシンは80年に全日本山口大会で唐沢さんが総合優勝した21番車の実車を奈良県の

VMXワークスショップのホーリーエクイップさんがレストアして持ってこられていました。 IMG_0401.JPG

これが30年前に唐沢さんが乗って優勝したマシンです。

今日のエキスパートクラスでも2ヒート完全優勝でした。

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ガッチリと握手を交わす現オーナーの堀口さんとライダーを引き受けてくださった唐沢さん。

本日、夢の競演を実現していただいたお2人です。

私がホンダに入社して和光工場の実習生だったころ

ようやく給料を貰えるようになったので、MXを始めようと思って、田舎者の私は雑誌の広告を見て

御徒町のモトレオン(現ロッキースポーツ)へマシンを探しにいきましたが見つかりませんでした。

そしてその近所にモトバムというロードレースで有名なお店があったので飛び込みました。

83年型CR250を新車で取り寄せていただき、代表の池沢さんが元ホンダのモーターレク推進本部におられて、モーターレク契約ライダーと仲がよかったらしく

「工藤君、MXやるんだったら先生がいたほうがいいでしょ」といって、唐沢さんを紹介していただいたのでした。

桶川の「山田うどん」で待ち合わせて練習でご指導していただいたことは忘れません。

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このチャンバーにヒートガードが着いているのを見て思い出したことがあります。

3年くらい前、世界の鈴木都良夫さんがCRのチャンバーを修理しに我社へ来られたことがありました。

ビンテージMXに出ていることはそのとき聞いたのですが、膝が熱いのでヒートガードを作ってほしいと頼まれて作りました。

まさか都良夫さんが乗っていたのが唐沢さんのマシンだったとは、今回これを見て知りました。

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ヒート2の前、スタートを待つ唐沢選手。

ジェットヘルにシニサロのチンガード。カッコ良すぎます。そして鮮やかな走りは現役時代そのままでした。今でも相当トレーニングを積んでいらっしゃることでしょう。

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狭山レーシング時代からお世話になっている原口衛選手。

元無限契約ライダー、79年国際B級250ccチャンピオン。

ちなみにホーリーエクイップの堀口さんは同年のジュニア250ccチャンピオンでした。

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城北ライダース出身、吉友寿夫選手。マシンは珍しいヤマハMX250.

国際B級時代、モトロマン所属でゼッケン#1でした。

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うず潮RC所属、国際B級の田村勝弘選手。徳島阿波レーシング出身。

マシンは86CR125。CRシリーズの生産を八千代工業へ委託していたころ、彼の手によって組み上げられた量産車を当時から放さず持っているそうです。

 

IMG_0412.JPGエキスパートクラスのスタート。私の得意なヘッドタッチ方式です。

 

 野宮修一選手とKX250。

前回優勝だったのに

今日はブレーキのトラブルで3位に甘んじてしまいました。

悔しさが表情に表れています。

気持ちはまだまだ現役ですね。

 

  IMG_0415.JPG IMG_0414.JPG                                                      

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旧車のイベントには旧車が集まるというわけで、こんなマシンに出会いました。

トーハツの50cc2気筒ロードレーサーです。

  IMG_0419.JPG精巧なエンジン部分。乾式クラッチにフロートチャンバー別体式のキャブレターはアマルかな?

非常にシンプルな走るためだけの機械を感じます。

IMG_0418.JPGドラムブレーキのベンチレーション。風量アップのため手製のエアインテークを追加しています。

オートバイの正しい楽しみ方をしていらっしゃるのでしょう。

今日は楽しいものを沢山見せていただいて大変ありがとうございました。             

そのお客さんは始め電話で場所を確認してからスポーツカー(ロータス)に乗って現れました。

怪しげな工場の下見をしてから注文しようと考えたそうです。

以前、別の業者に品物を注文したがトラブルになってしまい信用できなくなったらしく、製作を依頼するとき慎重にならざるを得なくなったそうです。

それなら大丈夫、信念の仕事をやり通す弊社を選んだあなたは大正解。

必ずや満足させてあげられるでしょう。

最初、装着されていたチャンバーも社外品だったのですが年式も古く錆びている上に素人のような溶接が割れてしまって何度も下手な補修を重ねた痕が見られました。

もちろん修理ではなく新品製作で排気漏れも解消、パワーモリモリのチャンバーがついたRD400がロータスのおじさんの通勤車として走り続けているそうです。IMG_0236.JPG IMG_0237.JPG

アルミタンクはワークスモトクロッサーだけの物ではない。70年代後半までは量産車がアルミタンクだったのに、大物は金型でプレス成形されるが、溶接などハンドワークの部分に熟練が必要なため、生産性のよいプラスチックタンクへと変更されていったのだ。 昨今のビンテージオフロードの盛り上がりで70年代後期のレーサーもレストアされレースに参加する台数も増えてきた。ところが30年も前のプラスチックはどうしても劣化が進み、軽い衝撃でも割れてしまって、ガソリンが漏れてしまうのだ。接着材で補修しても耐ガソリン性のものはなくて使い物にならない。塗装しても揮発するガスで塗膜が剥がれてしまう。 そんな悩みを解決するためにアルミタンクを製作することにした。タンク専門の会社に依頼すると、量産とそっくりな形状の品物ができるが、必要なモデル代、金型代、を負担した上に製作費がかかるので、すくなくとも35万円は かかるらしいが、お客さんの依頼は1個だけなのでそのような金額では諦めてしまうだろう。今回はプレス成形を行なわない方法、アルミ板から叩き出す板金手法で作ったタンクだ。 全体のデザインを決めるアッパーハーフをハンマーで叩きながらカーブをつけていく。見本と見比べながら感を頼りに曲げていくのだ。一枚板では不可能なので、要所要所分割して成形して溶接で組みたてていく。フレームに組みつけるロアーハーフも車体に取り付け確認をしながら成形していく。アッパーとロアーを接合する前に形状を整えないと、後からでは叩けないのだ。溶接が全て終了したら、水を満タンに入れて洩れがないか確認する。エアーを入れて水没させる方法もあるが、加圧してタンクが膨らんでしまうことがあるので、水を入れた方が安心なのだ。これでプロの塗装を施せば、アルミ製の複製タンクであることはよく観察しないと気がつかないだろう。 アルミタンクはけしてワークスチームだけのものではない、むしろ庶民的な旧車マニアのためにあるのだ。

ヤマハYMー1 1964年型

当時のヤマハ最高排気量の350cc

IMG_0239.JPG2スト2気筒 ピストンバルブ

右マフラー製作

画像の右マフラーは再生後のものです。

左は無傷でしたが右マフラーだけ曲がっており

オーナーの希望で元どおりに復元したいという依頼に応え

新品製作しました。

内部も忠実に復元してあるので

サウンドもスタンダードそのままに再現できました。

表面処理はクローム鍍金で製作費は¥35000也。