40歳だったあのころ

初めてMFJの四国選手権に出たのが81年だったでしょうか。18歳のときでしたね。

それから12年ほど経って92年の全日本選手権九州大会が現役最後のレースでした。エントリーリストを見ると29歳になっていた私は一番年寄りから2番めの年齢でしたので、そろそろ止める時期が来たと感じたのでした。特に大怪我負ったわけでもないし、小さい体の割りには良くやったじゃないかと自分に言い聞かせて、第2の人生を歩むことに決めたのです。

ところが、それから5年後、それまで乗ったこともなかったミニモトクロッサーCR80がフルモデルチェンジになったのをきっかけに80cc(後に85cc)クラスのレースに出るようになっていました。乗りたい虫が騒いだのと、体のサイズに合ったマシンに乗れば楽しめるのではないかと思いました。

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そのあと2台くらい新型CRに乗り換えたころ初めての大怪我を負いました。

01年でしたが桶川のレースでスタート直後の1コーナーで多重クラッシュに合い、横倒しになった私の左胴体の上をマシンが轢いていきました。

散水の影響でブレーキが効かなくて追突されたのが原因でした。

左上腕骨が砕けてバラバラになっていたので自力で立ち上がったときは腕が肉だけでゴムチューブのようにぶらさがったのを見て右手でつかまえてパドックへ戻りました。

手術はしましたが、腕の機能が回復するまで半年くらいかかってしまい、収入も閉ざされ絶望的な日々を送りましたが、2年後の03年に復活してMCFAJのジュニア85で優勝したときの写真が上の画像です。私のファンの人がカメラ持って撮ってくれていたんですね。40歳の忘れられない思い出です。

CIMG3325.JPG

そして03年の成績でエキスパート昇格して初めて表彰台に上がったときのレース。

結果は3位でしたが

優勝は元ワークスライダーの小田桐昭蔵選手。

2位は元国際B固定ゼッケンでエンゼルス関東所属の我孫子賢二選手です。

お二人とも雲の上の人なのでえらく感激したのを今でも忘れません。

このころ使っていた自社製のチャンバーが多方面で活躍してスーパーキッズシリーズチャンピオンや全日本レディース優勝など輝かしい実績を積めたことで仕事も上り調子だったでしょう。(お金は残っていませんが・・・)

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