2015年7月アーカイブ

リバース・トライクと呼ぶらしいです。英国で1990年から350台ほど生産されたカスタム・カーで
ベースとなる車体は1940年台のモーガンを使用し、エンジンにCX500を搭載し、CX650ターボ、モトグッチ1100とモデルチェンジをおこなったらしいので、これは初期のモデルですね。

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日本名GL500のエンジン搭載しています。
フロントはダブルウィッシュボーンでスポーツカーらしいスタイルですが
シャフトドライブの2輪エンジンなので
後輪はリヤフレームをそのまま移植した構造です。
重量配分が極端にフロントヘビーなことは予想できますが、旋回性能は4輪より圧倒的に優れていると思います。(リヤスライドしやすい)
車重も350キロくらいなので、加速が2輪並によいそうです。



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私が在職中に社長だった方がオーナーだそうで、元HRC監督が車検取得してこられて
公道走行可能な状態です。

英国で認定され当時の保安基準を満たしていれば日本でも車検取れるということです。

鉄のパイプフレームに鉄板のボディーで前後のフェアリングはグラスファイバー製という、いたってシンプルな車体です。
フロアシフトに改造されていますが、リンケージを介してワンダウン・フォーアップのシフトは2輪のまま、リバースギヤはありません。バックは降りて押せばよいのです。

左右に振り分けられたエキパイの先はGL500のノーマルマフラーで、音が少々つまらない。そこで適当な社外マフラー改造してつけるくらいなら新造してしまおうということでマフラー作りを依頼されましたが
かつての代表取締役のクルマですから、これは業務命令と心得て、全ての予定を変更して即取り掛かることにします。



右鎖骨の手術から2ヶ月と2週間経ちました。
腱鎖関節の上が剥がれるように割れていてチタンプレートをビス4本で固定してあります。
5mmくらいのビスを骨にタッピングで止めてあるだけなので、大きな衝撃が掛かるとネジが抜けてしまうでしょう。
そうなると再切開して手術になりますので2ヶ月は安静にして、ハンマーを振ったり工具で強く締めたりする動作は控えておりました。
まだレントゲン画像では骨膜の形成は見られませんが、衝撃がかからぬよう気をつけながらの作業です。

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受傷後初めてチャンバー作りました。
大体できてますが、肩に荷重が掛かると痛みがあるので、慎重な作業で効率が落ちています。

今は3月ころご注文の品を作っているところで、一つ一つ出来上がってくるでしょう。

オーダー以外にも計画している作業がありますので、怪我の状態も含めて元通りになるのは年末ころではないかと思います。

注意一瞬、怪我一生。

来年は怪我無く過ごしてみたいです。

保存する努力、放っておくと朽ち果てて、誰からも忘れられながら消滅してしまうはずの物が
大勢の名工たちの努力によって今日まで保存され、目の当たりにできるすばらしさ。
片道500kmも走って日帰りの道程ですが、誠に価値のある一日でした。

勉強の嫌いなクドウ少年は歴史的建造物には全く関心がありませんでした。
ところが52歳になって、残り人生が数えられるくらいの時期がきたころ、「まてよ?オレ日本のことも全然知らんやん」と思うようになり
もちろん全てのことを見聞するには、あまりにも時間が足らないわけですが、せめて誰でも知っていると思われるスーパースターの姿だけでも拝んでおこうと切望したのが、今回の旅の目的です。

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奈良県って京都や大阪の人からちょっと下に見られる存在らしいですが
愛媛出身埼玉在住の田舎もんから見ますと
日本にこれほど素敵な場所はないですよ。

他の何処にもないという価値。
もちろん世界中に同じ場所はないわけですが、ここは存在する意味が他とはちがう。

国宝指定史跡「法隆寺」
日本で最初の世界遺産認定の建造物といわれれば、改めて偉大さに気がつきます。

最古のとか最初という言葉は世界一という言葉に匹敵する賛辞です。

神社と寺院の歴史はどちらが古いか?といわれると、はてな?と思う人も多いんじゃないでしょうか。
神社というのは元々は山岳信仰が始まりで社殿というものは存在しませんでした。
そして仏教の発祥地はインドですから大陸から伝承された宗教です。
そんな仏教を学び伝える僧侶の棲家として寺院が建造され始めたのですが
神道と仏教がライバル関係になって、その権力を示す象徴として巨大建造物を作るようになった時代の名残りだったと認識します。

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法隆寺のネコ
自分は豹のつもりかも知れないが
お前は明らかにネコだぞ。

観光客からおいしい餌をいただいて
食べることには不自由しない安泰な場所を選んだお前は正しいと思うぞ。







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旅のメインの目的は納品と預かり品の返却です。
約束の時間になったのでホーリーエクイップへ訪問です。
長期間難航したレストア作業も大詰めを迎えたRH72のエンジン始動を確認させていただきました。
製造当時の美しい外観だけでなく、エンジン音も当時のままを再現する
スズキという世界的な2輪メーカーが世界GPに挑戦して勝利を収めた当時の歴史的価値のあるマシン。
吉村太一さんが世界GP4位入賞したマシンを忠実に再現したレプリカ品だそうです。
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ハイテク機器により高品質と高効率を実現した現代の物作りではけして真似できない地道な努力。
放っておけば朽ち果てて消滅するはずの歴史的製作物を保存していく技術の営みがここにあります。










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奈良公園の鹿がたむろする参道を進むと
それは突然現れます。

ウーン絶句。想像していたよりでかい
仏教が最大権力を得た時代の象徴というべき国宝東大寺の門。

平日にも関わらず、多くの観光客はほとんどチャイニーズ、時々ヨーロピアン。

私、みやげ物買うとき店員さんから英語で対応されました。何人に見えたのかな



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阿吽の呼吸の由来となった巨大彫刻の仁王像が守る門をくぐると圧巻の大仏殿が現れます。

木造建築物として世界最大というこの仏殿は初代が1300年ほど前に建立で
現在のものより大きかったということで
電動工具もクレーンも無い時代、どのようにしてこれだけ大きく、均整がとれていて美しい建物が作られたか、本当に興味深いですね。




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そして世界最大の鋳造物、大仏です。
先日鎌倉の大仏も見ましたが
源頼朝がこの大仏に感動して
鎌倉に建造を命じたという見本になる仏さんです。

戦火により大仏殿は2回消失して
120年も露天に暴露された奈良の大仏を憐れんで徳川吉宗の時代に再建されたのが現在の建物だそうで
歴史的価値のあるものを保存する努力が江戸時代から行われていたという証拠の物件ですね。


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多聞天 木彫りの彫刻
巨大ですが寄せ木の技術により一塊の像になっています。
仁王像も大仏殿も寸法に限界のある材木を組み合わせて大きなものを作る工法が奈良時代に確立されていたことに、只驚愕するだけです。
道具も鋸やノミ、カンナが主流だと想像しますが、鉄の刃物つくる鍛冶屋の存在も重要だったでしょう。


とても一日で見れるスケールではありません。
明日の生活のため急いで帰路につきますが、まだ知らない場所を見る旅を可能な限り続けたいと思います。

東北の海岸線を走る用事など全く無縁でした。
東日本大震災でどれだけの被害だったか、現場にいなかった者には分からないでしょう。
しかし、そこがどんな土地であるか見ておきたい衝動にかられ行ってきました。

日本三景の松島を見て、石巻、女川と海岸を走ってから藤沢スポーツランドで泊まり
観戦後、福島県の双葉町、大熊町という帰還困難区域を通過して、アクアマリンを見て帰るという道程。

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松島町の福浦島へ橋で渡って、島中散策できるポイントです。
この湾には260個もの小さい島があっていろんな角度の景色を楽しめます。

すごい賑わった観光地ですが、私の背丈より高いところまで津波を被ったということが、全く無かったことのように復興されています。





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女川の国道ですが、海水面と道路が同じくらいの場所が多いです。
住民の高台移転のためか、山側を切り開いた工事が各所で見られますが、まだまだ移転には程遠い現状のように見えました。

このあたりの魅力は海水の透明度。
真水のように綺麗な水で、海底を蟹が動いているのもはっきりと確認できました。

先日復旧したばかりの仙石線と平行に走った後三陸のリアス式海岸を見ながら内陸の方へ岩手県へ向かいます。
北上川沿いを北へ走ると藤沢町です。

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夜は伊田さんのパドックの隣に入れさしてもらって泊まりました。
藤沢スポーツランドは10年前に誰かのメカニックで来て以来、訪れていません。
91年に練習に来て鎖骨骨折した場所ですから走りにも来ません。

毎年雨の印象が強かったですが、日曜は晴れ、暑くて埃がすごいレースでした。
後半のアップダウンが続く松林のコースは松山オートテックを思い出しました。
下りのギャップと散水できない埃で視界の悪さがそっくりなのです。
IA1は2ヒートともスズキの勝利。
レベルが拮抗していて面白いのはIA2だと思いますがB級の上位も同じ速さなので
20歳前後のライダー層が中心となって、ベテランのトップライダーを追いかける構図です。
ここはコース管理が行き届いているのが見て取れるのですが、日本最大のMXイベントとしては観客数が明らかに少ないことが、日本における、この競技の将来性を案じているところであります。

さて、お気楽観戦ツアーなので片付けも無しでとっとと一般道で福島県を目指しました。
仙台から国道6号線へ入ります。
あの有名な福島第一原発前を通過するためです。
世界でも放射能汚染で立ち入りが禁止されている地域はチェルノブイリとココだけですから
どんな場所かは行ってみないと想像もつきませんでした。
夜9時過ぎだというのに国道を走る車に殆ど出会いません。
街燈も民家の明りもない闇夜の国道を1時間以上走るのですから不気味な場所です。
そして双葉町の標識が見え、「ここより帰還困難区域」の看板。
時々すれ違うパトカーと道端に立っている警察官。
そして、大熊町に入ると道路脇、全てにバリケードが築かれ、駐車場や脇道に車両が進入できないようにしてあり、国道を通過するだけを許されているようすです。
2輪車や軽車両の通行禁止。ようするに取り残された家屋や店舗に不審者が侵入できなくする処置と思います。道路の左右に伸び放題の雑草が周辺の視界を遮る対面通行で
ときおり、津波浸水区間という表示も見えて、ここが災害の現場だったことを示す証拠が見られます。
そして、福島第一原発入り口の看板を発見して海側に目を向けるとTVで見慣れた建て屋がライトアップされ浮かんで見えて、線量計の電光掲示版が闇夜に浮かんで、緊張のクライマックスに達しました。
「獣衝突注意」という標識もここなら当然の緊張感をもって見ることができます。
道端に停車する複数のパトカーの前を猛スピードで通過して大熊町をあとにしました。
今夜は海岸の絶景、道の駅で泊まって、翌朝はいわき市の小名浜へ行きます。

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ここも津波の悲惨な現場です。

アクアマリンふくしまも壊滅的な打撃をうけたのですが、見事全面修復を受けて
ダイナミックな水族館を復活させていただきました。

館内には知らなかった津波直後の様子や復旧作業中の様子を写真と解説で展示されているので、甚大な被害にも屈せず以前よりも立派な施設に立ち直らせた人間の底力に圧倒されました。


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やっぱり桟橋へ来ると
カモメがいます。

カモメが歩く姿が好きなんですよ。











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ナポレオンフィッシュがご挨拶














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巨大スケールのアクリル板で出来た水槽も津波で完全破壊されましたが
このように再建されています。

感動以外の何物でもありません。









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美しい魚がいっぱい飼育されていますが

うつぼがこれほど美しいものとは、
ここへきて初めて思いましたね。










急に夏が来てしまった感じなので、いろいろ物思いする旅にでましたが
これで終了にしまして現実へ戻ることにいたします。
こいつのおかげで、いや自分の整備不足のおかげで、全治3ヶ月もの重傷を負い2ヶ月もロクに仕事ができなくなりました。
そうだよな、やるからには最低限のメンテナンスは怠ってはいかん。
その結果この有様だ。仕事があるから整備の時間が無かったなどといういい訳は通用しないんだ。
寝る間を惜しんでやっていたか?やってなかっただろ。
そんなんだから怪我して当然だ。やる気がないんだったらやめておけ。

などと反省しても後の祭り、2ヶ月ほったらかしのフロントフォークのオイル漏れを直しました。

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これは13年モデルですからフロントフォークはエアサスです。

ところが14年モデルは金属スプリング入りに戻されていました。
見切り発進の新型フォークは、よほど問題があったのか、僅か一年の短命に終わりました。
憶測ですが、13年はKYBで14年はショーワということから、ショーワの猛売り込みにCRFの担当者が屈したか、ワイロもらったかの何れかだと思います。
今回の件もあって、私もどちらかというとショーワの金属スプリングの方が安心感があります。

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しかし、部品点数の多いフロントフォークです。
片側78300円という高額な部品なのも仕方ないでしょう。

確か92年のRM125が倒立フォークだったのに、わざわざ正立フォーク取り寄せて組み替えていましたが
あのときは左右セットで8万円だったので
フロントフォーク代は20年で倍近くに値上がりしたことになります。
性能は2倍じゃないのにね。



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以前はフロントフォークのシール交換など一般ユーザーでも簡単にやれていましたが
最近のは相当面倒になっています。

専用工具はこれだけ使いますが
純正工具なんか買ったことありません。
必要な特殊工具は大体自作しますので
いちいち注文したりしないです。

本職のサス屋さんですと耐久性の観点からアルミの工具は寿命が早いので無理でしょうけど、自分のやつだけなら充分です。

当分の間、モトクロスはできませんが、マシンいじりは止めないので不具合箇所は直しておきました。

現代のオートバイは電子制御とネオクラシックの混在する時代といわれています。
電子制御に助けられて走っている気分になっているのと、まるで制御されていないダイレクトな機械を操って走ることの、両方を選んで乗ることができます。
どちらが優秀ということは置いといて、片方しか体験していないとお互いのことが理解できないでしょう。
最新のテクノロジーに乗せられていると限界になったときに、何もわからないで転倒してしまうでしょう。
旧式のオートバイに乗っているときは不安定な動きが危険であることを教えてくれて、慎重に運転するようになるでしょう。
オートバイを学習する上で旧式の方が感性に訴えかけて習得できることが多いと思います。

上記のPSF(エアサス)は構造が複雑になっただけで、材料力学や流体力学を駆使した、アナログ方式の進化形だといえます。
4輪では運転席から走行中にダンピングを調整できる制御技術も完成しています。
2輪も将来的には電子制御サスペンションやジャイロセンサーを用いた「転倒しないオートバイ」も開発されるかもしれません。
これではスポーツというより自動移動2輪車になってしまうでしょう。
家電や自動車の電子制御は時代の要求ですから仕方ないですが、2輪車の要求されてないのに進化することを私は望みません。なぜなら便利な道具は人間の能力を退化させるからです。

タンク板金、溶接が終わっても、まだまだ先があります。

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アッパーロアー接合する前に、430の特徴であるラバーマウントの穴を加工します。

穴の縁からガス漏れしないようにφ22のカラーを差し込んで、両サイド溶接して密閉させます。


その後アッパーロアー接合面を全周溶接して容器になります。




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全周溶接できたら、キャップとコックを取り付け水没させます。
ピンホールなどあれば、直ちに気泡がでてきて発見できますが
これは一発OKでした。(プロなら当たり前)










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容器が完成しても、大事な加工が残っています。
後部マウントブラケットです。
3mm厚の板をプレス成形する金型を、これ1台だけのために作る気力が沸きません。

φ115の丸棒から削り出したリングから、一カケラだけ切り取ってつかいます。
ゴムバンドを引っ掛けるフックの一部になるだけですが
取り付けが上手くいかずに丸二日失敗を重ねてしまいました。



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こんな感じでゴムバンドのフックになるのですが、フレームに仮付けして取り付け位置を確認したにも関わらず

これではシートベースの前部が当たって取り付かないのです。
炙って下向きに修正したりしたがダメで
結局、切り飛ばしてやり直しすることにします。







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裏側はこんな状態ですが、これは取り外すと大工事になるので、外さないで利用します。












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ようやくシート取り付けに成功しましたが
シート無しで作っていたら完全に不良品でした。
キックも踏んでみたいですがエンジンはありませんのでノーチェックにします。

一応フロントフォーク取り付けた三つ又も左右に切って隙間を確認してあります。







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これで3年お待ちいただいたタンクができました。
これが出来ないうちは次の仕事はしないつもりでおりましたが
右肩の骨は出来ていないので、当分の間、療養モードになります。


あいかわらず、毎日のように注文が入るのですが、3月以降のオーダーが全部止まっているんですから、納期のお約束はできません。
突発の修理もご遠慮ねがいます。

ウエットカーボンなので高温に耐えられないことはご了承済みと思いますが
お客さんと協議の上、損傷した時点でカーボンパイプを交換するという前提でのサイレンサーです。
ワークスレーサーのようなドライカーボンを使用すれば耐久性は格段に向上すると思いますが
以前、別の機種でドライカーボンの見積もりを取ってみたところ、サイレンサーの材料代だけで
本体価格の10倍以上が必要と分かりましたので断念した経緯がありました。

ですから、これはあくまでカーボンファイバールックの樹脂パイプと捉えていただきたいと存じます。

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KX65なので子供さんのモトクロスに使用されているものでしょう。
半年くらいでメンテナンスのため送られてきました。

案の定、熱で溶けて、サイドカバーの縁が食い込んで穴があいています。

リベット穴も緩んで、アルミキャップに動揺がみられます。
このまま使用続けると確実に破損してしまうので丁度良い時期だと思います。




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弊社商品なので格安の千円で交換しますが、2台で36箇所のリベット穴位置を合わせて空け直して組み立てるのに半日費やします。

排気ガスが樹脂パイプに直接当たらないように内壁にガスケット材を仕込んでおきました。
しかし、リベット穴の磨耗は対策不能なので
定期的にメンテナンスするしかありません。





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ハイ、フレッシュなカーボンパイプに直りました。
リベットも新規カシメなので、パイプの動揺はもちろんありません。

これも、他人と違った方式を貫くための涙ぐましい努力です。








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ついでにチャンバーの凹み修理も依頼されましたが、全体の歪みに加え
凹みの大きさよりも、鉄板の伸び具合が修理の可否を左右します。

このようにエキパイ外径の小さい場合は圧力で直すとき荷重を受ける面積が少ないため殆ど戻りません。

窒素封入してバーナーで炙る手法もありますが、専用治具を作る気力が無くて
切開して叩き出すことにしました。



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鉄板の歪みが大きくて、元通りというわけにはいきませんでした。

大変見苦しい修理痕でありますが、再使用に不都合はないと思いますのでお許しいたいとう存じます。

タンク本体の板金が完了したら、次は機械加工部品が2つあります。
給油口のネジと燃料コックの台座です。

先ずは私の下手なフライス加工によって作られた台座です。
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これといって特筆することはないですが

ガソリン漏れを止めるのはOリングの役目です。
そのOリングが密着する面の加工は
端面から1.8mmの深さで、フィルター穴と同心で削るだけです。

M6ボルトは奥が袋になっていてボルト穴からはガソリン漏れはない構造です。




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ねじピッチ4.5ですが、当方のオンボロ旋盤にギヤが足りずに加工できませんでした。
そこで、近所のモトクロス仲間の本間さんに頼みました。
汎用の旋盤で見事に加工していただきました。
予備で2個作りましたが、一個は使う予定がないので、430タンク作ろうとしている人がいましたらお譲りします。

ネジ外径はφ44.5です。

ところで本間製作所の社長は、あの有名な野口種春さんのレーシングチーム、「スポーツライダース」の出身で、ヨーロッパメーカーと初めて契約した日本人モトクロスライダー鈴木都良夫さんの先輩にあたる人です。

若い人は野口種春さんから説明が必要ですね。 60年代、デビューレースが富士登山レースで練習無しの8位、浅間火山レースでは市販のヤマハYDSで125クラス優勝しています。
レース引退後に設立した「スポーツライダース」から輩出したヤマハワークスライダーはモトクロスの鈴木忠男、東福寺保雄。ロードレースは平忠彦。
東福寺さんと平さんはアマチュア時代から野口モータースで一緒に働いたそうで、当時の月給は5万円(70年代)だったと両人からききました。
野口モータースは早くから北米に進出してロードレーサーTZのチューニングを行っていて、野口さんに教わった弟子の一人がDGパフォーマンスを立ち上げ、DGでチューニングを習ったミッチ・ペイトンがプロサーキットを立ち上げたという図式です。
野口さんがいなかったら北米のチューニング業界も今とは違った形だったでしょう。


今日は一日サンダーマンです。
溶接したばかりのアルミを削るのは意匠を施すためです。

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先ずは盛り上がったビードをサンダーで削ります。
削り過ぎると修正が効かないので慎重に行います。
溶接はあっという間にできますが
完全にけずるには10倍くらい時間がかかります。

タンクの表面は溶接で歪みます。
ビードの端が引っ張られて凹んでくるので
これを修正するために
アッパーとロアーの組み立て前に行います。


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そしてダブルアクションかけます。

デフォームが分かりやすくなります。
僅かな凹みを見つけて裏側から叩いて修正します。

組み立ててから気付いても修正は不能ですからこの段階が仕上がりを決定します。







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ロアーハーフはサンダーが入らない形状なので、サンドペーパー手仕上げです。

セメント型で叩き出したのでハンマー痕が多くて滑らかになりません。

アルミ板金はイタリア職人が有名ですが
昔のGPレーサー用のカウリングもアルミ板叩き出しで作ったものでした。
最近はこういうことしなくてもハイテクのモデル造型機とプレス加工で高品質なものが作れますから板金職人目指す人もいなくなったのではないかと思います。

私は資金がないのでハンドメイドしかありません。

溶接は下手です。とてもじゃないけど溶接専門で商売できるほどの技術ではありません。
ガス溶接も、とりあえず火がつけられる程度です。
厚板なら被覆アークがやりやすいですが、1mm以下は無理です。
TIG溶接は左手に障害があって手が震えてしまうのです。
利き腕は右手なので、ガスのトーチは右手で持つのですが、TIGの電極は左手で持ちます。
左腕の上腕骨骨折してから骨にステンレスワイヤーの束が入ったままです。
そのせいか電極のスイッチを入れたときにステンレスワイヤーがコイルのようになって腕を震わせてしまうのです。
左手で慣れてしまったTIGを右手に持ち替えても、ビードコントロールが不器用でだめです。
左手が震えないように必死で我慢しながら行っているのです。

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タンクの内側を先に溶接します。
タンクはガソリンの容器ですから
ガス洩れがあってはなりません。
外側は研磨するので、溶接ビードは無くなってしまいます。
内側の繋ぎめを肉盛りすることで、完全な容器になります。

アッパーとロアーの接合部は最後に溶接しますからビードは削りません。





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次に外側を溶接します。
タンクの外側は意匠になりますから
繋ぎ目が無くなるまで削ってからサンディングで研磨します。

口金やコックの穴あけは切粉が入らないように先に空けておきます。

口金のネジが特殊ピッチのため、旋盤の換えギヤがありませんでしたのでNC加工にします。


何故、得意でもない仕事をやっているか。
目的は置いといて、方法論だけ言いますと
上手な人に頼めばいいではないか。
上手な人とは専門職ですね。専門職は高いはずなんですよ。
ある機械メーカーの金属加工の作業工賃は1時間あたり3500円で算出すると聞きました。
10時間で35000円。(設備代、材料代は別で)この時間工賃でタンク作ったら200時間で70万円ってことになります。
メーカーの試作なら普通だと思いますけど、一般のお客さんが一つの部品にそういう大金は払えないはずです。だから人件費削減して買えるくらいの値段にしています。



3年くらい前に製作を頼まれたアルミタンクを今頃になって作り始めました。
取り付けを合わせるフレームはお預かりしていますので、ご注文は継続していると勝手に解釈して
アルミ板を木ハンマーにて叩き始めました。

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ここまで成形するのに二日掛かりでした。

タンクの製作するのに必要なプレス機や金型などの設備は一切ありません。

板金鋏と万力、木ハンマーだけです。

セメントで造型しましたが、叩き台にはなりませんでした。アルミ板の形状を当てがって確認するために使います。

鉄板の作業台の上で叩いたら、大変な騒音で、警察に通報されたり、仕返しの嫌がらせをされても詰らんことになりますので
床のコンクリートの上にウエスを敷いて叩くのが一番静かでした。
ようするに、一般家庭の軒下で出来るくらいの道具ですから、どのような物ができるか保証できません。

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叩き出したアルミ板を仮止めして、形状の確認をしました。

すると、このままでは問題があることに気がつき、明日やり直しすることにします。

私は根気が無い方だと思いますので
同じ作業を繰り返していると段々仕事が雑になってくるので、気晴らしなどしながらゆっくりやるようにします。

去年はチャンバー6台分、奈良まで納品に行ったあげく、キックが当たって全部持ち帰ってやり直したんですから、
これはやり直してもタンク一個なんで大したことありません。

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不具合箇所を修正してアルミ板を仮止めしました。

この後、本溶接して研磨すればタンク本体は完了ですが、今度は溶接の鬼です。

口金とコック、後部ブラケットもこれから作りますので4日くらいの作業と思います。








デジタル機器のエキスパート、スージーディジットの大沼さんとこへ行ってきました。
もう23年来のお知り合いですが、最初はファクトリーベアというMXウエアのブランドを展開されていて
東福寺さん、伊田さんたちチャンピオンクラスのスポンサーですから只者でない雰囲気でした。
MXライダー育成にも精力的で、若手A級ライダー(高浜選手)を預かって全日本ではなくAMAから挑戦させたアメリカ遠征のパイオニアでもあったと思います。
本業は印刷業ということですが、ステッカーの印刷機を創業当時は日本で初めて導入したという業界でも先駆者だったわけです。
そんな大沼さんのところへ私ごときが中々顔を出せなかった事情がありました。
いろいろ人に言うべきことじゃないんで伏せておきますが
この時期に行っておかないと機会を逃してしまう気がして、退院した翌日に久喜のスージーディジットまでアポなしで伺いました。

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怪我して乗れないので、急ぎではないですよ、と伝えて簡単なデザイン構想をお伝えしただけで、お任せ発注でした。

ちょうど広島の全日本から帰ってきたばかりの火曜日、既に週末には全道選手権が始まるので、それに間に合わせるためのデカール製作中で迷惑だったかもしれませんが
快く工場内の設備まで見学させていただきました。
印刷機とカッティングマシーンがフル稼働ですがデータはパソコンで作成しなければなりません。
大体オフロードバイク2000台分のデカールを1年で制作されているそうで
一ヶ月20日稼動で計算しますと一日に8台分のデカールを作っていることになります。
全部違うデザインなのに信じられない仕事量です。
他にもモトクロスジャージやTシャツのオリジナルデザインをやって印刷されているわけですから
老後の趣味として始めたという印刷ですが、これは立派な企業だと思いました。
しかも膨大な作業のわりには料金も格安で、頼む側からするとこれほど心強い味方はないでしょう。
大沼家ハッピーライフが末長く続いていかれることを祈願いたします。

87年ころ本田技研社内クラブ「狭山レーシングチーム」でモトクロスしていました。
市販モトクロッサーCRシリーズの製造工場でありましたし、先輩の井本選手は正社員として
初めての、国際A級昇格したこともあって会社からのレース活動に対する理解が高かった時期でした。
そんな時代ですから労働組合のレクリエーション団体「むさしの会」から予算をいただきまして
なんと4トントラックを中古ですが購入していただきました。
練習や遠征にはクラブ員のマシン全部積み込んで移動できましたので、安月給のクラブ員には大変ありがたい厚意でした。
その4トンなんですが、前オーナーは川越のうず潮RCで福本さんがプライベーターになったときに使っていた車両でした。
車検証の名義が源治篤さんだったのを埼玉製作所狭山工場に変更したんですね。
当時は車載のカセットでよく流れていたのが、「中原めいこ」で1本しかないテープが何10回も流れていました。昭和の歌謡界は怪物みたいなアーティストが何人も輩出されましたが中原めいこもその筆頭だと思います。
アイドル路線めざしためいこさんでしたが自分に花がないことを悟り、シンガーソングライターの道に進んだのでありました。
ちょっとブスな超美人、とか夜のドライブデートに最適なミュージックとかキャッチコピーのとおり
白紙の五線譜に綴られた軽快な旋律、若いオンナの情念を表した歌詞などを自らの創作で手がけ、自分でステージに立って表現するという能力は平成以後は出てない逸材に間違いありません。





狭山レーシングでは安月給でレース活動を行うため、トラック互助会としてクラブ員全員から10万円ずつ徴収して中古の2トントラックを購入して遠征の足にしていたのが84年ころです。
全日本の遠征には他のチームとも合同で移動することが経費節減の手段でもありました。
そんな折、広島の三次での全日本、スティーブ・マーチン初参戦だったレースですね。
ノービスだった私はメカニックとして同行、そのときに乗っていった4トントラックが足立区のポイント1号でした。井本さんが石神さんと仲よくしていたので、両クラブのジュニアとB級のマシンを積んで運びました。
城北の吉友選手もB級3年目だったそうですがファーゴ運転して一緒に行ったのですが、レースで鎖骨骨折してうちのクラブ員が運転して帰ったり、助け合ってレースに行ってましたね。
それからうず潮RCの長さんもジュニアで第1戦優勝していたのに、三次で鎖骨骨折していましたね。
みなさんボキボキ骨折れていたんです。モトクロスって危ないね

話はもとい、ポイント1号4トンはその後ドリームトキ号として引き取られました。
3輪バギーのレース活動していたドリームさんですが、山形のビーチレースに行ったときの話しが豪快でした。それはレース内容ではなく、東北道の佐野あたりで跳ね石でフロントガラスが割れてしまったので
視界が悪いからと、ガラスを全部取って走行したそうです。
真冬なのに全面風にあたりながら、防寒着にヘルメットとゴーグルつけてトラック運転だったそうです。
村田降りたあたりから吹雪になったそうで、山形に到着したときは運転席の腰まで雪に埋もれた状態で会場の人たちが驚いたそうです。蛇のような執念、逆らわない方が身のためだと思いました。

後で知ったのですが、ポイント1号は元無限のトラックだったようです。

無限4トン.jpg
このトラックです。
証拠として無限の文字の横に凹みが確認できますが、ドリームトキ号もオールペンはされていましたが、同じ位置に凹みがありました。

15年ほど前に大宮バイパス沿いの解体屋にこのパネルが捨てられているのを発見して、一つの時代が終わったことを思いました。