先日のレースにて、ヒート2終了後チェンジペダルがプラプラに動いていることに気が付き
原因を調べるためRケースカバーを開けてみたところ
リターンスプリングのピンが折れていました。
スプリングの力でチェンジペダルを元の位置へ戻すための支点が無くなったため
チェンジペダルがプラプラしていたわけです。
ペダルのストロークが大きい気はしてましたが確実に踏んでいることを確かめながら乗っていたので
シフトミス無く完走できましたが、一応オートバイ買っているお客の立場から文句は言わせていただく。

メーカーで組立てから整備中に緩める部品ではないため、組み立て上の問題か物不良かを
ハッキリさせる必要があります。
そして今週末までに修理できるかも心配な不具合です。

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ネジ穴にボルトが折れて立て込んでいるのが確認できます。

これを抜き取らないと、新しい部品の装着ができません。










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φ8.0のピンがリターンスプリングの間に入るのですが
ネジ山1回転半残して破断している状態です。












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パーツリストで部品は設定されているようですが
土曜日までに入荷すれば間に合うのですが

とにかく立て込んだボルトを抜かなければなりません。

さて、ボルト抜きには逆タップで抜くのが主流かと思いますが
下穴をボルトの中心に真直ぐ空けなければなりません。
確実に作業するにはクランクケースばらして
ボール盤などを使って行う必要がありますが
他に問題がないのにエンジン降ろして全バラにする気力が起こりません。
別の方法で外してみますが、ネジ穴をダメにする可能性があるため、他人のエンジンにはやらないでしょう。

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ハイ、ボルト抜けました。

抜き取りに費やした時間は5分くらいでした。
エンジン全バラから比較すると
大幅に時間短縮です。

あとは新品部品の入荷を待って組み付けるだけです。






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ボルトの破断面にTIGで溶接して突起を形成します。
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危険なのは極力短時間でボルトを溶かさないとアルミのネジを歪ませて、ネジが抜けなくなることです。

溶接後の熱でネジ穴が膨張してネジが回りやすくなったところで、直ちにプライヤーでつまんで回します。
正確にボルト断面の中心を溶かすことが出来れば、ネジ山にダメージ与えることなく
あっさり抜き取れます。




破面解析をして
ボルト破断に至った原因とメカニズムを
以下に考察しました。

品質管理時代は
電子顕微鏡で観察して詳細な解析ができましたが
今は設備が無いので目視観察です。

二つ目のネジ山が割れているところが最終的に破断した位置です。
ネジ山の頂点に力の方向に向かった反りが見られ
その延長線が最後に割れたラインと考えられます。
シフトシャフトのリターンスプリングの反力で
上下方向に力がかかっていること。
スプリングの当たった痕がピンの全周についていることから、ピンが半周以上回転していることが推察できます。

ネジの材質は分析しないとわかりませんが、
ボルトをファインカッターで半分にスライスして円柱状の型に入れて、熱硬化性樹脂に埋め込んで試験片を作ります。
#1000耐水ペーパーで切断面を平面研磨後、バフで琢磨して鏡面に仕上げます。
5%硝酸アルコール水溶液でエッチングして金属顕微鏡で組織を顕鏡します。
細密なソルバイト組織が確認できれば熱処理済みという判定です。
もう一つの切断面も同様に試験片を作成し、マイクロビッカース硬度計で硬さ測定します。
HV550以上が特殊鋼の調質条件なので熱処理品質の判定とします

私は検査設備を所有してないので調べませんが、
破断面にくびれが認められないことから
過大な荷重ではなく、ボルトが緩んだところにシフト操作によって局所的に応力の集中するネジの谷底を起点とする
疲労破壊であると考えられます。


先週事前練習で後ろからライディングを観察してもらったGPクラスの24ヤンによると
ギャップでサスが伸び切ったままだとアドバイスいただきました。
なるほど私の体重ではノーマルサスは固いのだと思い、前後ソフトスプリングに組み換えることにしました。
そういえば現役だった80年代はいつもソフトスプリングで乗っていた記憶が甦りました。

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バネ定数は
フロントは4.6から4.4N/mmへ 
リヤは52から50N/mmへ交換しました。  
金曜の午後に部品入荷したので
前後組み換え完了したのが夜10時ころで
それから積み込みでした。
朝5時出発なのにな。









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こういう工具は自作します。
メーカー純正品が買えるのですが
作った方が早いし、安価に済みます。


トップキャップのレンチ
アウターチューブ固定治具








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アウターのオイルを抜いてから
スプリングを圧縮するとインナーロッドが出てきますが
インナーロッド固定用の治具は
こういうの作れとサービスマニュアルに書いてあったと思います。









ところがソフトスプリングに交換後、事件が起きます。


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翌日、軽井沢のコースで
コースイン直後にシャコ短になってしまいました。

直ぐに理解できず、パドックまで押して帰ってわかりました。

リヤショックのスプリングシートを止める
Cリングが脱落して、ばねが落ちて
リヤが沈んでしまったようです。

スペアの部品は持っていません。
今回は走行取り止めで帰ろうと思っていました。

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なんとGPクラスの634クンがスペアマシンのCRF450を貸してくれたのでした。

両方のリヤショックを外して
失ったCリングと変形したスプリングシートを
お借りして走行することができました。

当然最終レース終わってから元通り組み立てて返却しなければなりません。
全部組立ててから

リヤフォーク外した方が早いよと、伊田さんが教えてくれました。
これは外装外して、サブフレームをクリーナーボックスごと外してショックを抜き取る方法です。
気がつかんかったー

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先週、3作目のローンチ作りました。

用品店で買って来れば問題ないんでしょうが自分でやってみると、重点管理する項目が見えてくるというものです。

結局一人でセットする方法が上手くできず、諦めて人に手伝って貰って普通にセットすることにしました。

スタート前は焦ってしまうので、パドックでセットしておいてサイティングラップはしないという方法を選択しました。


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3つのワークスライダーを務めた経歴を持つ86年125cc全日本チャンピオンの
伊田さんも自ら洗車して走ります。

日本最速の60代ライダーです。
まだまだ40代の若手に負けていられません。








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自分の写真ないので
GP、SE150クラスのヒート2
第1コーナーの攻防。
山梨オートバッファローズの19番
クンが
ホールショットですね。
このまま15分逃げ切りでした。








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ヒート1の1周目ジャンプシーン

1番は去年のSEチャンピオン
19番クンの弟さんですね。










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これはお兄さんの方で
両ヒートを兄弟で分けました。












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これはCRF450の部品を貸してくれた
634クン。
GPクラスと合わせて4ヒート走る体力は筋肉の鎧のおかげだと思います。
しかもGPクラス両ヒート優勝でした。

ここのジャンプ、60過ぎの老人会に入るお爺さんも飛んでいます。
モトクロスってすごいスポーツだなと思います。






いろんな人からお世話になって今回レース走れました。
やっぱりソフトスプリングは自分に合っているみたいでSE昇格後ベストリザルトかもしれませんでした。ヒート1、9位。ヒート2、6位で総合7位。
いつも一桁入るのが目標なので、ドライコンディションでこの結果はサスペンションの設定が正解だったに違いありません。
実はスプリング変えただけではノーマルに比べてデメリットがでてきます。
そのため事前練習でセッティングが必要になるのです。
僕の場合はソフトにしたためブレーキングでフロントがギャップに入りすぎて、ストロークの固い部分で走ってしまい腕力で押さえる必要がでてしまいました。
そこでコンプレッション側の減衰をハードの方向に締めて良い具合になったということです。
メカとライディングが一体となって走りを改善していくという作業があってレースに臨むことができるのでした。
1543年以前、日本はネジという概念を知らない民族でした。
人類に初めて螺旋という記述が現れたのはBC300年ころ、アルキメデスの揚水ポンプとされています。

それはミレニアム中頃のこと、ポルトガルの商船が種子島に漂着したことで始まります。
島の当主種子島時尭(ときたか)が2000両の金貨を払って2挺の火縄銃を購入しました。
1挺は実用のため、もう一つは解体調査のため。
任命された刀鍛冶八坂鉄兵衛は一年後に火縄銃を完成させるも、数回発射すると火薬が不発になる不良品でした。
オリジナルは銃身の後ろに尾栓というネジでフタがされていて火薬爆発のススが溜るのを、時々外して掃除するためのものでした。
八坂は、このネジの作り方が分からず鉄棒を焼き嵌めしてフタにしたので、ススの掃除ができなかったのです。
困りはてた八坂は碇泊中のポルトガル人に貢ものを差し出す決意をしました。「いやじゃいやじゃ、助けてけろ」と懇願したかは定かでないが、娘を嫁にやるかわりにネジの作り方を教えてもらうように頼みました。喜んだポルトガル人は大陸へ戻り、鉄砲職人を連れて戻ってきたのでした。
律儀な外国人です。娘をもらったお礼に約束を果たしたのですから、野蛮人なら娘を手籠めにして約束など反故にしたかもしれないでしょう。
それなのに娘を不憫に思った八坂は「病死した」とウソをついてポルトガル人から娘を取り返してしまった。ネジも分からん日本人より西洋の青年の方が案配がよかったかもしれないのに身勝手な行動のおかげでネジの作り方を頂戴したわけであります。

その後、この殺傷力高い武器製造は急速に広がり、およそ40年後の関ケ原合戦のころは8万挺拵え、世界の銃器の50%を占める銃保有国になっていたそうです。

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猟友会に所属する先輩が趣味の火縄銃を持っており、消耗部品の加工を頼まれました。

わしゃ火縄銃なんか知らんわい。
お断りするも熱意に押し切られ渋々
加工しました。

雨覆いという部品
火蓋を閉じたときに擦れる部分が摩耗しています。
おそらく火蓋が固定されずプラプラ開閉してしまうのでしょう。

下は真鍮のフラットバーからフライス加工した部品。
当時の製法は出来ないので持っている限りの知識で模造しました。
真鍮の製品は中世の日本でも刀の装飾に使われていたようなので、精巧な加工技術があったようですが、私は工作機械使ってこの程度です。

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火蓋を切るという言葉はこれに由来します。

画像は発射直後でしょう。火縄が爆風で外れています。

火蓋は切った(開いた)状態になっています。
その内側、銃身に沿ってとりつけられた板状の部品が雨覆いです。

構造上、火皿に雨などが当たり濡らしてしまうと火薬に着火しない=敵に殺されるというわけで重要な役割であったでしょう。



もう一つ修理依頼された部品は尾栓です。
日本人が初めて目にしたネジです。
当時の製法は文献によると、鍛造で拵えた鉄棒に適当な斜度で糸を巻き付けて印しとして、
やすりでネジ山を削って作ったようです。
銃身側の雌ネジは穴の部分を赤熱してネジを差し込み、ハンマーで鍛錬することでネジ山が転写されて出来たものだそうで、当然加工精度が悪く、他のネジとは互換性がありません。
即ち、銃一挺に対して専用部品だったのであります。
西洋では既にハンドタップを持っていたらしいので同じネジの製造が可能だったようですが、日本の工業技術は鍛冶屋が最先端だったのであります。

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これが尾栓です。

現代のネジ規格ではないネジ山が施されていて、
先輩の持ってきたものはネジ山が摩耗して
爆発の圧力で抜けてしまうというものでした。

ネジ山を肉盛りして削ってはどうかと
恐ろしい提案をしてこられるものですから
銃身にヘリサート加工して現代の規格ネジに変更した方が楽ですよと言っておきました。

大体、雄ネジ肉盛りしたいい加減なネジ山を作ったとしても雌ネジも摩耗していることを考えると完全修復するためには両側のネジ山が形成されるべきと考えるのです。
因みに尾栓や銃身の金属成分を文献にて調べますと0.01%程度の低炭素鋼で、軟鋼の部類ですね。
金物屋的にいうと生材です。
明治維新以前の製鉄は100%たたら製鉄しかないですから、木炭火力で精錬中に含有した炭素が、加熱鍛錬中に脱炭した結果の炭素量なので調整された成分ではありません。
現在の炭素鋼やクロモリ鋼の調質に比べると圧倒的に耐摩耗性に劣ると考えますので
使い勝手も考慮すると現代の規格に置き換えた方がいいじゃないかと思います。

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尾栓のネジ実測でφ14くらいなので

M14のピッチ1.5か1.75の標準ボルトが
安価に入手できますので

ヘリサートタップとリコイル購入すれば
割りと簡単にいけるんじゃないかと思いますね。

オリジナル品は記念にとっておけばよろしいかと思います。
(誰も見ないところだからね、実用性重視で)

1911(明治44)年、奈良原三次が自身で製作した日本最初の国産機による飛行に成功。
その前年に代々木練兵所で徳川好敏がアンリ・ファルマン機(仏製)で日野熊蔵がハンス・グラーデ機(独製)による日本最初の飛行が成功しました。
それから100余年、2回の世界大戦中や戦後も発展を遂げ続けた航空史をダイジェストで見ることができる日本屈指のミュージアム、所沢航空発祥記念館。
GW中に行くのが恒例になってきました。
自動車用エンジンとは方向性が違うため、比較する意味はないですが、レシプロの基本原理は同じで
大きさや機構の複雑さでは圧倒的に航空機用がスゴイ。
他にもターボ・シャフトエンジンやジェット・エンジンも展示されていて、これらに関わることはあり得ないですが鑑賞用としては自動車エンジンより興味深いではないかと思いました。

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ホンダ・エアクラフトのジェット機も新色がそろいました。


先輩が出展している模型クラブの展示会は毎年この時期に開催されているので鑑賞しに来ました。


いつも超絶技巧に驚きますが
主催者メンバーは、元航空自衛隊や
高校の校長先生など博識の高そうな方々で、造形や塗装テクニックはもちろんですが
実機の詳細にいたる知識がなくては、このような精巧なモデル制作はできないでしょう。
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ミグ29戦闘機

世界最速の戦闘機ですね。
本物はまず見る機会ないです。


だけど模型なら見れる、ここへ来れば。









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F14戦闘機

今回のテーマは世界の戦闘機
年代別に主要国の機体が100機以上展示されています。









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展示室の最初にでてくるのが
ノース・アメリカンT・6G

1952(昭和27)年、アメリカ陸軍、空軍から契約して航空自衛隊の練習機として導入された機体。









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ライカミングT53 軸流式5段+遠心式1段
タービンシャフト・ターボプロップエンジン

軸出力1100shp

タービンシャフトはヘリコプター用
ターボプロップはプロペラ軸を回す用途だそうです。

川崎重工がライセンス生産したエンジン。





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アリソン・ターボシャフトCT63 M5A

1958(昭和33)年、三菱重工業がライセンス生産開始したタービンエンジン

軸出力317shp(シャフト・ホースパワー)
軽ヘリコプター用

燃焼室カバーの造形が美しくて、萌えます。
岸燃え美




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ライトR・1820 カーチス・ライト社製
星形9気筒 
排気量29874cc

ヨーロッパ戦線で対ドイツ戦略爆撃に活躍したボーイングB17フライング・フォートレスに装備されたエンジン。

1956年(昭和31)航空自衛隊中級練習機、ノース・アメリカンT28Bに
86型(1425馬力)を装備。





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三菱重工製 星形14気筒エンジン

墜落機から取り出されたのか損傷していますが
主軸の周りに遊星ギヤが露出していて
オーバーヘッド・バルブのプッシュロッドを
駆動する方式が想像できるカットです。








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同エンジンですが
ヘッドカバーが損傷しているおかげで
バルブスプリングやロッカーアームらしきものが露出していて
現代の4サイクルエンジンとあまり変わらない構造だったことが分かります。

しかし、冷却フィンの造形など
2輪車では見たことも無い細密な鋳造だと思います。





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今回の催しの一つ
フランス航空教育団100周年パネル展示であります。

第一次大戦中、同盟国だったフランスに要請し、日本の脆弱な航空技術に対し
操縦や機体製造の分野で技術指導をいただいた記録を写真と解説で展示されています。

国産エンジン黎明期
岐阜県各務原でのエンジン製作
ル・ローン空冷式回転星形9気筒を製造中。

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所沢では機体の製造も開始していました。

フランス航空教育団はフランスクレモンソー首相の任命でフォール陸軍中佐と62名を派遣。
1918(大正7)年11月マルセーユ港発
1919(大正8)年1月長崎へ入港
神戸から東京は陸路で到着。
黎明期の日本の航空に多大な影響を与え日本の航空や工業技術の基礎を植え付けることに貢献しました。


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富士山を上空から初めて観察したとされる機体
ブレゲー14B2

大正時代にジュラルミン製の骨格を採用していたなど、当時の日本の工業技術では当分できなかったことでしょう。








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当記念館の敷地も当時は滑走路もあったようですが写真のとおり、草ぼうぼうの状態ですね。

一機18000円はどれくらいの価値でしょう。
昭和5年にマン島TTレースに出場した
多田健蔵さんのベロセット350は2千円で東京に一戸建てが買える値段ということでしたが、家10件以上?
大正期ですからもっと価値があったでしょう。




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石川島播磨重工 J3・IHI・7B

日本が戦後初めて独自開発、量産した純国産ジェットエンジン。
離昇推力1400kg/12700rpm

防衛庁が指示して航空自衛隊、中級ジェット練習機
富士T・1に装備されました。

後方の長い円筒から燃焼ガスが噴射されて推力を生みだします。
マフラーとは違いますが円筒が長い方が
四方八方に拡散することなく後方に噴射する圧力が生まれるという考えに基づいていると思います。

空を飛ぶものですから陸を走るもの以上に重量やスペースに厳しい制限がある中、他社(他国)に負けてはならない使命を負って進化を果たしてきた航空の歴史や技術にリスペクトする休日でした。

楕円断面のチャンバーは水圧による修理はできません。
楕円が丸くなろうとして横に広がってしまうためです。

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プレス成形したバリをナメ付けした部分が圧力に耐えられず、水が洩れると思います。

修理依頼はメールに画像添付されたものだったので、断面形状が分からず判断できませんでしたが
現品確認して、無理だとわかったので
切開して板金する旨、お客さんに伝えて
切開することにしました。






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切開は大きな凹み部分だけ切り取り
新しい鉄板を板金して
チャンバーの形状に合わせて
仮止めします。

注意点は
継ぎ目が段差にならないように
接合部の隙間は極力無くす

溶接で鉄板が歪むことを予測しながら
仮止め箇所は多い方が、本溶接がやり易くなるでしょう。



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溶接棒を使って全周溶接します。

表面を少し肉盛りして、サンダーで研磨して
均します。










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耐熱塗料でタッチアップすれば
修理痕は大体わからなくなったでしょう。

全体に腐食していて状態がよくなかったので美装ではなく、機能回復が目的の修理です。











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世間は、もうすぐ10連休らしいですが
ウチは通常どおり業務の予定です。

バックオーダー多数残っていること、
先月畑の整備で10日間帰省したなどの理由で
5月連休は無しの予定です。


そうは言っても
一日くらい伊豆方面にツーリングに行くと思います。





今日から二つのことをやめてみました。
一つは油圧クラッチ、もう一つはアンコ抜きシート。

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今日はしどき、私以外の4台はCRF450ばっかり。
元全日本A級,B級ライダーのグループとご一緒なので私が一番ペーペーの元田舎B級でございます。

油圧クラッチは遊びの調整が分かりずらくて前回のレースでエンストさせてしまって
同じミスを無くすためにワイヤーに戻しました。

シートの方はアンコ抜きの方が足つきはいいのですがそれ以外がダメで
まず尻が痛くなる、シートの前が上がっていてコーナリング中に前へ乗れない。
ノーマルシートはフラットなのでタンクの上まで座れるのでステアリングが近く、体重移動の幅が増えます。
当然足は届かなくなりますので、乗り方のテクニックが必要になります。
スタート時は踏み台を使えば問題ないですが、踏み台無いところは、片足ついてシートを跨げません。
そこで、必ず乗るときは車体左から乗ります。跨がないでシフトペダルを踏めるからですね。
そして左足をステップに乗せた状態でクラッチミートと同時にシートを跨いで乗ることです。
こうすることで足がつかなくても走り出せます。止まる時は足をつく方に腰をずらしてから足を出す、というセオリーを守れば立ゴケすることはありません。

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そしてハンドルは19年からレンサルのファットバーが標準になったのでハンドルポストごと19年モデルに交換です。
18年の標準バーとの違いは高さが10mm低いだけで絞り形状は同じです。

ハイ・シートと10mm低いハンドルで
ライディングポジションが腰高な感じになりましたが、今までのが低かっただけですから
直ぐに乗りなれました。

ここ、しどきはレンタルバイクを中心に営業しているのでスピードアップを目的とした現役ライダーはお断りしているそうです。

初心者の体験走行やレンタルのお客さんや我々シニア層のライダーに向けてのサービスを目的としていますので、施設が充実していて快適にモトクロス・ライフを味わえるのです。
しかもコースは全開で5速まで入るストレートが何か所もあって、コース整備も完璧なので全日本コースよりも安全にスピード出せます。
なにより競争しないで自分のペースで走れるのが一番いいと思います。


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朝から大型バイクの集団がやってきて
私のクルマの隣に並んで停めていました。

BMW1250RT
これはピンクのシートレザーが示すように女性ライダーが乗ってきました。


横浜や多摩ナンバーが確認できましたので
朝集合して福島ツーリングの最初の目的地はレンタルバイクでオフロード走行という
メニューなのでしょう。



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BMW K1600GT 並列6気筒
これも女性ライダーが乗ってきました。
全車大きなサイドボックス付きで、お泊りツーリングは明らかです。
オフロード走行は午前中で終了して、
次の目的地へ出発していきました。
彼らにとってオフロードとはアドベンチャーの一環で、ツーリング先のコースへ手ブラで行って体験するものという認識なんですね。


では私にとってのオフロードは
人間の細胞の再生回数に限りがあるため
無駄に再生修復させないために
(無限に再生することは不老不死ということ)
使わない神経細胞は不必要と判断して稼働を抑制させようとする人体の機能があります。(不要な部分を退化させる遺伝情報)
そのため、オートバイに乗らなかったら反射神経や運動能力が低下して運転が下手になっていきます。
その下手になっていく現象が老化そのものですから、そうなることを食い止める運動をすることが
オフロード走行する理由です。
2輪は生活していく上で4輪より効率のよい移動手段であると信じているので
老後も無理なく2輪に乗り続けていたいと思うから安全なオフロードで練習するわけですね。
これからも時間が許す限り続けていきたいと思っています。