2015年12月アーカイブ

年末は最後まで仕事で、正月も休みなしで続けたいですが、
正月から騒音をたてていたら苦情が出ると思いますので三が日くらい静かに過ごします。

今日はこれを発送しました。九州からのご注文です。

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注文日は9月22日ですが、ようやく今頃製作完了です。

多方面から注文のあるDT200WRチャンバーです。

2ストトレール用としては2番目に出ますかね。

錆止めに耐熱クリアー塗装にしてありますが
剥離して後でめっき処理も可能ですが
新品のうちでないと受付られないでしょう。





今日から今年最後のチャンバー作りに取りかかっています。機種名は・・・・


年末、持病の激しい頭痛に見舞われ寝込んでしまいまして、昨夜あたりから普通になってきました。
なので年明けても去年の続きです。

チャンバーの機種はCRM250ARでした。

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9月25日が注文日ですから3か月ちょっとかかっています。
製作完了の連絡メールを送信しましたが
応答はありませんので
1週間くらいの目途で次のお客さんに回させていただきます。

納期に時間がかかることをお知らせの上、受注しておりますので
連絡が無くキャンセルは成立しておりませんので
製作は予定通り行われます。

思ったより納期がかかったので気が変わった、雪のシーズンなので今必要ない、など理由が想定されますが意思表示がないことは、売買契約も成立していませんので、自動的にキャンセルであると判断させていただきます。


今年もあと4日で終わりです。
怪我や父親の一周忌、義理の母親の入院などで予定の仕事の半分もできなかった1年でした。
なので大晦日まで全部仕事です。
久々の格闘技イベント、魔裟斗VS山本KID戦が非常に楽しみ。

日本のモータースポーツ創世記のヒーロー「浮谷東次郎」
本田博俊さんと同い年、1964第2回日本グランプリにトヨタS800でレースデビュー。
1965鈴鹿サーキットで日本グランプリ初優勝
1965鈴鹿サーキットで練習中、コース内にいた人を避けてコース脇の水銀灯(130R地点)に激突
翌日に脳内出血で死亡。
乗っていた車両は「童夢」創設者所有のS800だった。
最もF1ドライバーに近い日本人と期待されたが、目立った戦績は最後の2戦くらいだった未知数の才能の持ち主として伝説になった、享年23歳。

「大場政夫」WBAフライ級世界チャンピオン5度防衛、帝拳ジム初の世界チャンピオン。
1973にシボレーコルベットを運転中、首都高池袋線でカーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越え
大型トラックと正面衝突、即死だった。浮谷と同じ23歳没。

キックの鬼「沢村忠」大山空手の直弟子の中村忠から一字だけ変えてリングネームとした。
1973年三冠王を取った読売巨人軍の王貞治を抑え、日本プロスポーツ大賞となった。
力道山、馬場に続くお茶の間のヒーローだったと思う。
当時日本に2台しか無かったシボレーコルベットのオーナーだったそうで、もう一台のオーナーは大場政夫である。

浮谷東次郎に戻りますが、東次郎の母親の教えがあったそうです。
「自分と誰かが命の危機に瀕しているとき、自分の命を差し出すことで相手が助かるなら迷わず自分の命を差し出しなさい」
究極の2択を迫られたときの心構えだと思いますが、東次郎の事故死はそうした精神から人命を救ったための結果だったかもしれません。

自分の仕事と親の介護のどちらをとるかとしたら、どう考えるでしょう。
うちに出入りしている業者さんは、このように言いました。
「親より仕事だろう、親はどっち道死ぬもんだが、自分が潰れてしまったら両方が死ぬことになる」
うん、両立が不可能ならそうすると思う。他に出来る人に頼んで自分は行かないことを選択するだろう。
しかも肝心なことは私は実子ではない。相続権も扶養義務もない、法廷上は他人の関係。
それなのに親族が介護しないために人道的配慮で介護しようとしているのだ
法廷闘争などに持ち込む気はさらさら無い。
養子縁組や遺言を迫るような浅ましいこともしたくない。
こんな葛藤と戦いながら年末まで仕事をしているのです。


今週は4日間も仕事していません。
これは、もう倒産確実です。私にお金を貸している人は回収不可能ですから諦めていただきたい。

仕事してない証拠に、このような場所に来ております。

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外堀に囲まれた陣屋跡に建てられた
荘厳な建物は愛媛県立西条高等学校

私の地元小松町の隣町の中心部にあり
この正門前には、法務局、検察庁が建ち並ぶ由緒正しい場所なのであります。

その検察庁ですが、高専卒業を控えた時期に交通違反で捕まり、保護観察処分になったときに事情聴取に来た覚えがあります。
大変お世話になりました。

この近所の西条市役所に介護保険納付証明書を申請にきたのですが、
その窓口で対応されたのが、中学時代のマドンナ的存在だったM美さんで、実に30年ぶりの再会に動揺を隠せず、その場を立ち去る私でありました。

そうです、今回帰省の目的は介護施設訪問でした。
まだ契約には至っていないので、これからも仕事できない日々が続くでしょう。
誰か代わってくれエーーーー!

外装部品の色は重点管理項目です。
板金塗装工場でボディーパーツを交換しますが、塗装はボディー色に調色しなければなりません。
修理した部分の色が合っていなければ、車両の価値を損ねることになりますので技術のみせどころだといえます。

では量産車の場合でも塗装ロット毎に調色しますので、その都度「初物事前報告書」で色の合否を判定しないと生産ラインに搬入を許可されない規則になっています。

ここで初物というのは、設計変更、金型更新、材料変更、製造条件変更、メーカー変更、etc
すなわち段取りが変わるときに最初のロットから製品の検査を行い、製品サンプルに検査成績書を添えて
受け入れ品質課から判定を受けて、生産ラインに搬入する一連の動きを差します。
もちろん不合格品は量産に流れることはできないしくみになっています。

その初物の中に「色」が含まれていて、塗装ロットからサンプルを抜き取り、受入品質課の判定を受けます。
本田狭山工場にも色のスペシャリストがいて、色差計による数値的な判定と同時に標準光の下で色見本とサンプルの比較を行って合否判定を行っていました。


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ここにタンクが二つ、右側は中が腐食によりガスが噴き出して塗膜が剥がれたもの。

左は未塗装の新品タンクを純正色で塗装してもらったもの。

両者の色が違っていることは明らかですが
私が色合わせのため支給したのは
フューエルリッドだけだったのです。
当然右タンク同様に日焼けした赤身の強い黄色でした。

ところが仕上がってきたニュータンクは青み掛かった黄色で我が目を疑いましたが
まもなく色違いの理由がわかりました。

塗装施工者さんが色褪せした見本を採用せず、オリジナルの色に修正していただいた結果だったのです。
お蔭さまで1976年製CJ360Tは新車当時の色に蘇っていたわけです。

依頼者の注文を鵜呑みにせず、黙って気の利いた作業をしていただいたことに心から感謝いたします。
骨折受傷後、初レースとなります今回のレース。
激戦の50代クラスは現役時代からかなうはずのない先輩ライダーたち。
時代劇で言う斬られ役となってしまうのは確実なのですが、復活の標としては申し分ないと思います。

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50代クラスの大先輩チャンドラーさんの背中。

この人は85年くらいから知っていて、チームは浜松スクランブル、固定ゼッケンの6番でした。
一緒に走れるだけで光栄です。


82年型CR250Rに私は高年式の450で負けてしまいました。






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今日のゼッケンは46番
スージーディジットの特製ゼッケンは参加者全員に無料配布という熱の入れよう。

これで私も晴れてマスターズデビューということですか。










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これは雨がシトシト降り続くヒート2のスタートですが、左にホールショット男伊田さん。
右にツータイム125チャンピオンの川島雄一郎選手に挟まれていますが
実はスタート直後に泥を浴びるのはご勘弁を、ということで2秒くらい遅れてでました。

まともにやりあったら酷い目にあっていたでしょう。









まずは小雨降り始めたヒート1の動画をどうぞ
レジェンドライダーは伊田さん、唐沢栄三郎さん、川島雄一郎くんです。

原口さんとチャンドラーさんのバトルも熱いですぞ。

お次は小雨降りしきるヒート2ですが、私は午前中に腰痛が再発して止めたい気分でしたが、なんとか無転倒で走り切れましたので、良しとしましょう。
こちらも原口さんとチャンドラーさんのデッドヒートですぞ。

今日の路面は固めで轍こそ少ないですがヌルヌルのスリーッピー路面で気が抜けませんでした。
最期まで集中力を切らさないトレーニングになったと思います。

これにて今年のモトクロスは終了いたします。

この歳になると年に3回くらい葬式に行くようになってしまいましたが
今日の葬式は一生忘れられない特別なものになるでしょう。

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故人の思い出の品、アルバムなど貴重なものが展示されていて懐かしく思いました。

無限の430改はたぶん、プロストックの貴島さんが大阪から運んで来られたのだと思います。
喪服姿の私の反対側にいらっしゃるのは
故人の元上司でHRC監督やホンダコレクションホール館長など歴任された小林さん。

帰りの車中で世界チャンピオンの渡辺さんも参列されていた話をしますと、
「彼とはベルギーにある、ロジャー・デコスタの自宅で会ったよ」とおっしゃいました。
「俺がブラッド・ラッキーのメカニックでWGP参戦したころ、ラッキーの奥さんとデコスタの奥さんがカリフォルニアに住んでいて仲良しだったから
ロジャーの家にラッキーと一緒に招かれたら
渡辺明さんとメカニックも来ていたんだ」とのこと
それを聞いた私はサテハと思いました、ロジャー・デコスタをホンダに誘ったのは小林さんに違いないと。

そこら中に私が30年間見てきたモトクロス界の著名人が集まっておられるので、秋の園遊会かアカデミショーのような賑わいでしたね。
久しぶりに会う知人や先輩方と話すこともできて、同窓会のような気分になりましたが
セレモニーが始まって、出棺のころになると鬼の目にも涙、ほとんど全員が泣いておられました。

どんなに縁もゆかりも無いひとでも最期の時は悲しみしかありません。
いろいろありましたが、全て水に流して新しい一歩を踏み出したいと思います。

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たぶん、このとき人生最高の瞬間だったと思います。
レースチームなんかやっていなかったら
こんなことになってなかったでしょう。
大勢の人が彼に頼りすぎた結果だと思います。

花ばなしさを維持し続けなければならない重圧と戦って来たんだと思います。
こんなことでしか楽になる手段はなかったのでしょうか。
済んでしまったことを悔やんでも仕方ありませんが、残された人たちは故人が伝えたかったことが何であるか、考えてみる機会を与えられたと思って前向きに精進するしかありません。

お金もらってある仕事はこれで終了!役目は果たした。
今週末のレースで心置きなく死んでOK。フゥー

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ノーマルチャンバーが腐っていたので
リプレイス品を頼まれました。

ノーマルスペックに準じておりますので
何も考え無しに作ってあります。
パワーでなかったらノーマルが悪いと思ってください。

作り直しせんけんね。






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サイレンサーのマウントは止めるとこがなくて
ちょっと考えました。(5分間だけ)

テールパイプの隙間は左右上下1mmもありません。至難の技です。

もっと隙間のあるところを通したかったですが
オーナーの希望が、「ココを通してくれ」だったので、これも考え無しに言われたとおりに従ったまでです。






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これでOKかな?

チャンバーは錆止めのため、ラベンの耐熱クリアー塗っておきました。

無料にしときます。(スプレー缶2500円で買いましたけど)

塗装下手やから商売になりません。
小松町(実家)滞在2日目、午後にケアマネージャーとの打ち合わせを約束していたため
午前中に近所のみかん山のワインディングを散策して、自分の畑も視察してきました。

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この畑、平坦な部分が殆どなく
菅生の大坂くらいの斜面が広がっています。

ここの草刈りと、栽培されていない柿の木などを撤去してオフロードコースにしてやろうと企んでいます。

近所迷惑になるといけないので、一般公開はしないですが、退屈な田舎暮らしを一変させる
バックヤードモトクロスを目指したいと思います。







ケアマネとの会合を済ませてから新居浜市へ走りました。
目的は今回の足を提供していただいた、バイクショップ中川さんとこへ世間話することです。

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集合していただいた中川家ご一行
社長夫妻と店長家族。

中川さんの好きなバイクはカワサキF21M
山本隆さんが全日本チャンピオン取ったころのやつだそうです。
BSの90ccでモトクロス始めたという中川さん10代のころの憧れだったのでしょう。

ここのお店は2回移転して3店舗目
95年新装オープンされたので今年で21年め
弊社創業の年に新築されたのですね。
お世辞にも活気があるとは言えない新居浜市でこの規模の店舗を構えるのは
一重に中川さんの営業センスとご家族一丸となった協力体制の賜物でしょう。

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私が高専時代につかっていた鉛筆削り

レーシングサービスショップ、中川エンジニアリングが最初の店舗

最初にお会いしたのは高専2年生のころ
朝6時に学生寮を友達と抜け出して
国領川の河原で先輩のKM90改を借りてモトクロスしていたら、
河川敷をランニングしてきた男性が立ち止まって話しかけてこられました。
「乗るんじゃったらヘルメット被らんかいよ」
それが中川さんでした。
その後、機械工学科の先輩に連れられて中川レーシングチームへ入門させていただき
私のモトクロス人生のスタートとなりました。
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お店の展示車両をお見せしましょう。

どれも新車同様に美しいですが、中川さんは新車発売されると大体乗ってみるそうで、
いろんな車種の特徴がわかっていますから
お客さんに説明する場合に説得力がある話ができるでしょう。







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ヤマハR1、お客さん所有らしいですが、
シルバーのアルマイト部品をブラックアルマイトに変更したり、カスタム車の見本として
展示してあると思います。

「こんな風にできますよ、一台いかかですか」

今年はMVアグスタF4やカワサキH2Rも販売したそうで、メーカーは問わないオールマイティーなサービスが売りのようです。

日本のモトクロス黎明期からメカニズムを探求してきた経験から質の高い整備技術を提供していただけるはずです。

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NSR250
プロアームの最終型でしょうか。
絶版のマシンですから保存用だと思いますが
手入れされた外観がホンダコレクションホールを彷彿させます。
もちろん動態保存で時々走らせていると思います。









そんなわけで、おそらく中川さんからモトクロス教わっていなかったら全然違うことをしていただろうということを考えると、この場所へ戻ってくることで初心に帰ることができるのであります。


先週の土曜日、MCFAJのレース前日に愛媛県立新居浜病院から呼び出しがあり、親族が緊急入院のため
最短で来るように指示をうけて新居浜へ行き、一旦埼玉へ戻って仕事して再び県立新居浜病院へ向かう旅の道中です。

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奈良のホーリーさんとこへ納品と
預かり車両の返却
ワシのCJ360タンク受け取り
3つの用事をいっぺんに済ませるために
キャラバンで自走してきました。

クルマは帰る日まで駐車させていただいて
近鉄線「西大寺駅」から京都へ行き
新幹線⇒しおかぜ12号に乗り継ぎ
新居浜駅へ行くルートです。

11:04西大寺出発14;09新居浜着です。
早いですね。



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瀬戸大橋渡るとき、いつも思うことがあるのですが、100年前はろくに鉄骨も作れなかった国が
海の上に、よくこれだけの巨大建造物を作れるようになったものだと。

自動車の生産なんか本四架橋の大事業にくらべたら小さい工場のプロジェクトのように感じます。
レースの世界ではメーカーがコースを作らないからレーサーが売れないんだと誤解している人がおられますが
2輪4輪メーカーは道路があるから乗り物を作って提供するのであって、メーカーは道路を作る必要も義務も無いはずですね。
走る場所があるから乗り物の需要がある。
メーカーはそれに答えるのが役割なのです。
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予讃本線、単線のローカル線ですが
海沿いを走るこの景色が好きで
いつも見惚れてしまいます。

この辺の海域を「ひうち灘」と呼ぶのですが
(高輪半島から荘内半島の間)
香川県のどこかの浜が、浦島太郎伝説の場所なんです。

海の上に浮かぶ小島に神社が建っているめずらしい光景です。




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病院の用事は短時間で済ませて、残った時間は命の洗濯、バイク乗りに勤しみます。

今治市の国民休暇村へ向かう道は快適な舗装のタイトターンが連続する
行きはダウンヒル、帰りはヒルクライムのテクニカルコース。
海のシーズンを外せば道はガラガラに空いていますが、公道なので余裕を持ったライディングで
限界走行はいたしません。

家が近所なら絶対毎日走りに来ますね。




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今日のマシンはCRM80

新居浜市のバイクショップ中川さんで
お借りしてきました。
学生時代にワシをモトクロスの世界に引っ張り込んだ張本人でした。

うちのサイレンサーが取り付いています。
10年以上前の製造ですが、ワシの記憶には残っていません。
販売した製品の行く末を見届けることができた数少ない体験でした。
トレールバイクですが前後タイヤにミシュランのパイロットスポーツをチョイスされていて
舗装路は非常にマッチングがいいと思います。
ワシ、モトクロスライダーでありますがダートが嫌いという矛盾した一面を持っております。(誰でもそうか)

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休暇村の端っこに亀が噛みついたような奇岩があります。
波の力で浸食されたようですが
そのうち首が細くなって落ちるかもしれないので
今のうちに記憶に焼き付けておきたいと思います。









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向こうに見える浜は天然記念物「カブトガニ」の繁殖地。

このへんは漁港が多くて魚介類が安くて新鮮。

埼玉では絶対に味わえない食文化なので魅力的な場所ですね。

お気付きかと思いますが、瀬戸内海って波が穏やかで湖のようでしょう。
湘南や房総の海岸しか知らない人は是非行ってみるべきです。



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休暇村の向こうの海岸はサッカーの岡田監督が就任した今治FCのグランドがあります。
最高のロケーションです。

釣り人はみんな日焼けしていて
福本さんが大勢いるように見えました。






後編に続く・・・