2014年12月アーカイブ

老化のメカニズムは、固体を形成する細胞の再生が元どおりにできなくなることによります。
老化は部分的に起こることではなく、骨や筋肉、臓器や神経、血管、皮膚、例外なく体全体に起こることです。
人は都合の悪いことは認めたくなかったり、考えなかったりするものですが、それは確実に進行しているものです。
細胞の再生とは、死滅した細胞が蘇ることではなく、新たに分裂して組織を再結成していくことを意味します。
その分裂する細胞の設計図が遺伝子という情報ですが、少しずつ間違って出来てくるようで、成長が止まって老化が始まるころから、外観が変わっていることに気がつくと思います。
そして外観だけでなく、機能的な部分も再生が元どおりにできなくなって低下していきます。
それが視力低下や思考能力だったり運動障害として現われることになります。
大抵の人は足が弱ってきて歩けなくなって、寝たきりになり、咀嚼が悪くなって食べる機能が低下して衰弱していき、体全体の機能が停止するということで終わりというわけです。

では細胞の分裂回数に限りがある、これは遺伝子の情報に再生回数のプログラムが入っており、永遠に再生して老化し続けることをさせず終わらせるようになっているためです。
運動して代謝を上げている人は細胞の再生回数も促進されて速く寿命を迎えるそうです。
体が不自由になって長く生きながらえるより、早くその時期が来た方が幸せだろうと思います。
だから50過ぎても一生懸命モトクロスに励むのです。


今年の走り納めは28日、モトビレです。10月から葬式やら法要で満足に練習できておりませんでしたので、久しぶりの練習です。
フルサイズ上級のクラスですが、10代、20代が殆どだと思いますので、シニアの私にとってはいいペースで走れます。
毎回、どこのコースへ行っても自分の足らない部分を見つけて課題を課すことを目的としています。
そうすることによって朝と夕方では違う自分になって帰ることができるのです。
何も掴まないで帰るということは、仕事して賃金を貰わないで帰るのに等しいということになります。
それだったら、やらない方がいいということですよね。
弊社電話番号は埼玉版タウンページに載っているためか、畑違いな問い合わせが多いです。
「パンクなんだけど、今日中に直るか?」
パンクだから当然自走は無理で、取りに来て直して持って来て、という意味です。
「バイクをお買い求めになった販売店に電話してサービスしてもらってください」
このようにヤンワリと回答すると
「店は近くじゃないんだ、オタクの住所が近いから電話した」
勿論、まったく知らない人です。邪険に扱ってはなりません。
知っている限りの近くのバイク屋の名前をお知らせしてお断りしておきました。

「バッテリーはありますか?」
上記同様、バイクの修理屋か部品商かと思われているのでしょう。
バッテリーを扱っているお店、ネット通販などの方法をお伝えしてお断りしておきました。

「タイヤはどこで買えるんですか?」
もう最初から、なんでも質問箱にされていますね。
バッテリー同様に購入方法をお伝えして、ついでに
「インターネットは利用されていますか?」
と聞いてみましたら、やってないそうです。バイク乗っている人の誰もがインターネット見ているとは限らないということです。無くても、ちょっと昔と同じですから大した不都合はないのでしょう。

「社外のマフラーですけど傷があるのですが、直せますか?」
これが一番、入念に説明するべき質問です。
第一に自社製品の仕事を止めて、社外マフラーの修理をする意義がどこにありますか。
本音は「捨ててしまえ」ということですが
困った人を救うということも人として大事なこと。
一応筋道を通して対応したいと思います。
「そのマフラーの製造元、または販売店に問い合わせてください」
殆どの場合、それをする前にこちらに電話されています。
大概は修理はやっていないといわれるか、メーカーが無くなっている場合もあります。
熱心なお客さんは、販売店で断られた上で再度電話してこられます。
そこで初めて「社外品を直して使い続けていただくメリットがこちらには.ありませんので
優先して作業することはできません。納期がいつになっても構わない、費用も掛かっただけいただくことになりますが、よろしいでしょうか」
という説明をして了承いただければ、修理品預かりすることになります。

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年内の外注めっき処理が完了しました。
なんとか頼まれてから3ヶ月でできました。

これで今年中にお客さんに発送することができます。
いつも余裕のないギリギリの日程ですが
最近は納期の約束をしないことにしています。
急いでやろうとしても突発の事故で遅れることもありますので、あてにされていて日程守れなかったら迷惑になりますから。
だから、現役のレーサーの人から「レースまでにマフラー作って」と頼まれても諦めていただくようにしています。

時間とカネにゆとりを持つことが、これからの目標ですかね。

ちょっと前に福島第1原発から流出する放射能汚染水の問題がニュースになっていたのですが、最近全く報道されなくなりましたね。
対策が完了して問題なくなったのでニュースにならないのでしょうか。
地下水の流入を堰き止める凍土壁がうまくいかず、別の方法を検討するという段階が最終だったように思います。
廃炉処理も始まっていない中、原子力規制委員会は再稼動する原発の安全審査を合格としたり、
事故に関する報道は意図的に禁止されて隠蔽しようとしている作為が感じられるのは私だけでないはずです。
1987年に東京電力株は最高値、9420円を記録しました。
その後下がり続けながら、現在は450円台まで急落して推移しています。
そんな東京電力株を1000株引き継ごうと思っています。
父親の遺産ですが5000円台の時期に購入しているので、東電株だけで500万円払ったことになります。
それが今では45万円しかなりませんから大損したわけですね。
電力社員ですから、自社株も1000株保有しており、当時は絶対に潰れることのない安定株と信じていたことでしょう。
投資というのは、その企業を応援するという意味なので手放していては応援することになりません。
似た言葉で投機がありますが、これは企業の理念は関係なく、割安のときに買って割高になったら売るということを繰り返して利益を生む短期的なマネーゲームのことを指します。
父親がやったことは投資に当たることで、これを売却して利益を生むのでなく資産運用の一環だったと推察します。
株の名義人が死亡してしまっては何人も運用することができないため第2相続人である私が引き継いで所有することにします。それで正式に株主となって事業内容の監視をする立場になったわけです。

私たちの生活は勿論、事業の継続にも電力がなくては成り立ちません。
東電に不信感を持って電気を購入することを止めて、自家発電にしたとすると莫大な経費が掛かることになります。
近くの河川敷に小屋を建ててディーゼル発電機で家の電気を賄っている人がいます。
昼間は外で仕事していますが冷蔵庫を付けているので発電機は回しっ放しです。
一ヶ月の燃料代を聞いてみると軽油代10万円掛かるそうです。
しかも夏場にガス欠して冷蔵庫が止まり、魚が腐ったそうです。まったく採算が合わないわけです。
ソーラーパネルにしても初期投資が高額で、電気代の差額で元を取ったころに老朽化で設備代がさらに掛かると予想されるので、東京電力から購入する方が結局お得だといえるでしょう。
しかも今、アメリカのシェールガスに対抗するため原油価格が下落しているので、火力発電は経済的にも有利な状況です。
将来の株価は誰も予想できません。東電経営破たんすれば国有化されて株が紙切れ(0円)になるとも言われておりますが、「土地や財産を人手に渡らぬよう守って下さい」ということが遺言でありましたからそれに従いたいと思います。
今年中という約束を忘れるところでした。
3ヶ月以上前に注文いただいていたのに、しかも何台も注文いただいた得意先からです。
KX65チャンバー、サイレンサーは確か03年ころから作りはじめたロングセラーです。
いつ廃盤にしても構わないくらい売れましたが、KX65のモデルチェンジが無いので継続しています。
65は大人が乗ってテストするわけにいかず、乗車経験の乏しい子供の意見を鵜呑みにするだけの
いい加減なスペックの決め方でしたが、結果は申し分なくキッズSXでは多くの勝利を得たと思います。
敵といえる海外のマフラーメーカーは月産1000台以上の大会社ですが
我社は家内製手工業のため月産10台が限界の超零細です。
その超零細の個人商店のマフラーが大会社の有名ブランドをやっつけることができるのがレースの醍醐味です。
まあ売り上げでは天と地の差がありますから製造屋としてのプライドだけでやっているだけです。
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今回はサイレンサーの中身を変更しました。
もちろんお客さんには内緒ですが、従来品より明らかなパワー特性の違いに気がつくかどうか、お楽しみです。
詳細はオシエラレナイです。

価格チャンバー¥18500
サイレンサー¥12300
税込みですが、材料代と製作時間を考えると儲けはないですね。
たかが子供のオートバイ遊びと思って、親御さんの負担が少ないようにと気使って自分に負担が掛かってくるので、早くモデルチェンジされて廃盤になるのを待っておる次第です。





今年はなにかと進行を妨げる出来事が多く、やろうと思っていること殆どできずじまいだったので来年こそは目標に向かって邁進する年であってほしい。
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ホンダが世界で最初に通用したレーサー
RC142 125cc 2気筒 4バルブ
市販ロードスポーツCB92はこれを模倣したかもしれません。

1959年マン島TTレース初参戦ながら
谷口尚己さんが6位入賞したマシンです。
MCFAJのランキング表彰式には谷口さんもゲストで来られてスピーチして下さいます。
やはり格式という点では他のレース団体とは一線を隔すものがあります。
今では参加台数が減ってしまい、採算の取れない運営で存続が危ぶまれています。
MCFAJ無くなったら、私もモトクロスは止めるでしょう。

高専の同級生で山田ユーゾーという男がいました。1年のころから芦原会館でカラテをやっておりましたから学年で一番強かったと思います。ユーゾーは3年で中退して大阪へ渡り、キックボクサーになりました。たまに新居浜へ帰ってくるので話していたら、「試合で相手がKOされてリングに倒れていくのを見るのが面白くてキックをやっている」と聞きました。
なるほど、KOできる相手でないと対戦相手として選ばないそうです。
世界には強いヤツがいくらでもいるので、頂点を目指しても無駄だということです。そんなことより自分の技術で倒せる相手とやっていた方が幸せということである。
だから私も共感するところがあり、勝てないレースを追っかけるより勝てそうなクラスで走ることに努めたいと思います。だからMCFAJでいいと思っているんです。
来年ジュニアで走って嫌われる存在になれれば本望と思います。

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オットー!すぐこういうの撮りたくなりますのは男の性。
スズキのブースでした。
スズキの技術はホンダを凌駕した時期もあるので、もっと宣伝した方がいいと思いますよ。
マン島TT時代からスズキのレーサーは度々ホンダの前を走っているし、
1967年には片山義美さんが世界GP50ccクラスで何度も優勝してランキング2位も獲得しているのですから。
その後もバリー・シーン、フランコ・ウンチーニ、マルコ・ルッキネリ、ケビン・シュワンツなど、私の青春時代はスズキの500ccワールドチャンピオンのオンパレードでしたね。
私のモトクロス入門車もRMでした。
仕事で直接対決した感じがしたのはクワドレーサー(4輪バギー)の製造でした。
250のモトクロス車ベースのエンジン積んだオフロードのバギーですが、エンジンからシャーシまでホンダは後追いの状態で、スズキのクワドを仕入れて全バラ検証しました。
それが細部に至る作りが全く頭のよい、計算されつくした技法でATV250は完敗だと感じていました。
フレームの応力の高そうな箇所にゲージを貼って計測し、加振機やアムスラーで台上テストを行って強度確認するのが私の担当だったので、最小限度の部品点数で耐久強度を持たせたスズキのフレームワークは大いに勉強させていただきました。
ホンダは最初はシンプルな作りですが、壊れる箇所に次々と補強パッチが入ってコストアップと不細工な作りになっていたのでした。それに対してスズキは機能美を表した構造だったと思います。

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カワサキ車はあまり乗ってません。
初心者のころ先輩から借りて乗ったKM90やKE125で少し遊んだ程度

B級のころ89KX80に遊びで乗りましたけどレースは出ていません。

MCFAJ初めて出た頃に乗った92KX80はあんまり調子よくなくて(腕が悪くて)ろくな成績は出せませんでした。

スーパーバイクレースは市販車改なので外観デザインの参考にさせてもらいます。


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売れることが約束されたマシン。

こいつは予約してあるので、もう直ぐ手元に届く予定です。
ショーモデルと違って市販車はちょっとカッコ悪いので、今から改造する計画を練っていますので
出来上がったら画像アップさせていただきます。






さて前置きが長くなってしまいました。
2015年は納期未定という理由で止めてありましたバックオーダーの製作再開は引き続きですが
第一段の目標は、前回RC116タイプアルミタンクを最後に板金切り貼りのタンクを叩き型成型方式に切り換えることです。
去年2台の車両で鉄タンクの錆で泣きました。
30年以上経過した鉄の腐食は恐ろしいもので、ガソリンに混入してエンジン不調の原因になります。
早い段階でタンクコーティングしておかないと、使用不能になります。
樹脂タンクも30年ものは全滅だと思います。樹脂は紫外線で分解されます。外観は異常なくても
強度が落ちてきてクラックが入るのです。
ガレージなどで知らないうちにガス漏れ、ストーブ着火により全焼なんてことにもなりかねません。
そこで、新品入手が不可能な鉄タンク、樹脂タンクのアルミ化計画が命題と考えております。

CRF450ツインマフラーのオリジナルマフラーは自己啓発で実施します。
レース走るときは自分で作ったマフラーを使うことがポリシーです。社外品を買ってきて使うなどということはマフラー屋としてあってはならないことです。
そうやって経験したことをお客さんが望む製品作りにフィードバックすることになるわけです。

R25は初めて手がける新型ロードスポーツモデルです。
いつもモトクロッサーや旧車オンロードでしたから、新しいのは本当に未経験です。
ハンドル、バックミラー周りからオリジナルに変更します。
テールランプ、ライセンスプレートもオリジナルステー作って移設します。
フルエキゾーストはお約束です。ロードバージョンは触媒残す方向で、サーキット用にフルパワーも検討したいと思います。
新機種ですから大手メーカーが競って、リプレイス品発売してくると思いますが、競争はいたしません。
自分流のコンセプトを打ち出していきたいだけです。そのための叩き台として活用させていただきます。

4輪の新機種を立ち上げる仕事で、研究所と製作所が合同で進めることがあります。
新しい部品の製造トライには開発者(設計)と品質管理が製造部門へ集まって製造トライに立会います。
目的は製品が図面通りに出来ているか、出来立ての品物を前に多角的検証を行うのです。
主に鋳造や鍛造のトライでしたが、出席していたACE(アシスタント・チーフエンジニア)から、こんなこと聞きました。
立ち上がり日程の迫っている新機種の製造トライ現場にオヤジさん(本田宗一郎最高顧問)が視察に来られて、大型プレス機にセットされた金型の中に入り込んでグラインダーで削り始めたそうです。
慌てた開発担当者が言いました「やめてください!立ち上がりに間に合わなくなります」
するとオヤジさんは「うるさい!俺の金型だッ」と一喝したそうです。
金型を壊したとしても決済権を持った人物ですから怖いものがありません。
どんな役職の社員であっても創設者に適うはずがないという意味のことでした。
そして、そのACEは不思議とオヤジさんが指摘したことは、いつも正解でそのとおりに直していけば上手くいったと話しました。
開発者といっても、初めて担当する量産車の場合は間違いがあってもおかしくはなかったのです。
だから開発者の殆どは旧式車には見向きもしないと思います。
それは最初に作ったものより後で作った品物のほうが優れているから、過去の製品を見たくないことによります。

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マフラー内部に取り付ける隔壁になる部品をプレス成型しております。

製造コストを抑えるため自作の金型を使っています。
クリアランスバッチリで使いやすいです。
これで同寸の隔壁が作れますが
レベルの低さに大会社にお勤めの人から笑われると思います。
しかし、設備代や金型代を会社の予算で払ってもらっている立場の人からは分からない苦労でしょう。
私を笑いたければ会社を辞めて、同じ立場にしてからにしていただきたいと思います。


それでは、年内は代金前振込みの品物だけ作って終わりますので、新ネタは来年までございませんので、良い新年を迎えましょう。

長いテーパーは巻くのが困難なことは分かっていましたが、その大変さは実際に巻いてみないとわかりませんでした。
こういう形状を成型する方法は一つではありません。
冷間鍛造やスエージング(へら絞り)などですが、これには大型の工作機械と高価な金型が必要になりますので零細な個人商店では不可能ですね。
そこで鉄板を巻いて溶接する製法を取るわけです。
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ここでは板金鋏で切り出した鉄板を三本ロールで巻いて成型します。
しかし、三本ロールがあるといっても
簡単にはできません。
500mmも長さがありますから
ロールがたわんで、上手く曲がってくれません。
おそらく経験がない人なら作ることを諦めてしまうのではないかと思います。

なにせ作り方マニュアルはありませんからね。自分でなんとか考えるだけです。



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法事で帰省していましたから4日間仕事が止まっていました。
17日までにマフラー完成させて研磨屋へ持っていかないと、年内のめっき処理に間に合わないということなので
日曜も休みなしで仕事です。

あと3日しか猶予がないのに4台分出来るのか心配ですが、出来るだけ進めておきます。






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今日はMCFAJから来年のライセンス申し込み用紙が届きました。

説明文に書かれていることが、私にとっては?な内容だったので掲載しておきます。

レース離れが深刻化している要因は、こういうことではないですね。
日本の社会全体で2輪離れが進行しているので、さらにマイナースポーツであるオートバイレースの参加人口が減少するのは自然の流れです。
それでも好きでやっている者が離れていく理由はこうです。
限られた収入の中で捻出できる経費を節減されるのは仕方のないこと。

怪我や高齢化など身体的に活動が制約されていくことも、人間ですから普通のこと。
練習がレースに比べれば重要でないような記述も認められますが、練習して自分の技量に自信を持たないままレースに参加することはできません。
現在使用されているコースで危険箇所などということは、普通に練習さえできていればあり得ないと思っております。
元々安全なスポーツだと思っていないですから、危険でないようにするために練習しておくのがライダーの義務だと言えるので、練習軽視の発言は承服できません。
実際に私はレース中のアクシデントで、大きな怪我は上腕骨骨折と股関節亜脱臼がありましたが、二回とも自力で歩いてパドックへ戻っておりまして、長期間仕事もできないほど重症でしたが、どちらもレスキュー隊のお世話をしていただいておりません。
それでも文句を言ったことがないのは、「怪我と弁当自分持ち」の原則でやってきましたので、これからもそのつもりです。
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ちょっと残念な決定がこれです。

ジュニアとエキスパートの参加台数減少のため両クラス統合してエキスパートジュニアとするということです。
これは実質エキスパートは全員ジュニアに降格という意味になります。
エントリー代収入が少ないのに賞典をだすのが勿体無いと考えるのは理解できますが
ケチな賞典目的でレースしているわけではありませんので、規定台数割れのレースは賞典を無しにすればいいことです。

体調不良や身内の入院、葬儀などが重なって不参加のレースが続きましたので、今年参戦しなくても来年同じクラスなのですから
走る必要もなかったということになりますね。
こういう内容ですから、レースに参加する意欲が奪われるわけで、予選があったりフルグリッドの台数で行われるMFJの方にライダーが流れていくのも当然のような気がします。
以前のMCの仲間がMFJに転向していて、私も誘ってくれているので考えてみようと思います。
実家伊予西条市小松町にて四十九日法要と納骨をして参りました。
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往路はいつも明石海峡大橋です。
天気が良くて美しい景色が好きですね。

支柱の高さと吊橋の長さが世界一だそうです。
世界に誇れる日本の建築技術です。

四国に最も早く上陸できるルートということもあるのですが、山陽道より高松道を走る方が瀬戸内海を臨む絶景が楽しめるので
断然こちらがお勧めです。

復路は本州に早く上陸できる、しまなみ海道か瀬戸中央道になります。

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淡路島で発見した森実運輸のトラック。

郷土愛を感じますね。
4トンのパネル全面ラッピングですよ。

それにしても大きな印刷ですね。
全塗装の時代は過去のものになってしまいましたね。






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納骨の前日に到着してお墓掃除をしておきました。

お墓を見るといろいろなことが思い起こされます。

母親が亡くなった昭和46年(享年39)から
5年後に父親が建立しましたが
当時46才でしたから、大変お金に苦労したのでしょう。5年間貯めてから、しかも二人の息子が進学の時期です。
こんなに立派なお墓を建てたのも、霊票を見て分かるように、後に入る人に負担が掛からないように余白が空けてあることで、納得できます。

気が付いたら私も年を取ってしまって、何一つお返しもできないまま旅立たれてしまいましたが
お二人の間に生まれてこられて良かったと思います。そうでなければ今の自分がいないのですから。せめて遺言に書かれたことに背かないように生きていくことが使命だと思っています。

法要と同時に、「かんにち」という、この地方特有の風習も行いました。
死者の正月に当たるもので、墓の前で餅を炙って親戚の者がちぎって食べるだけなのですが、
その由来は、ここは戦国時代、高知の長曽我部氏が侵攻してきて、地元の城主黒川氏と戦闘を行った場所です。
大勢の両軍の武士が斬り合って亡くなった場所ですから、その武士たちの供養の方法が現代まで引き継がれてきたということです。

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家の用事を急いで済ませて帰り道、どうしても立ち寄ってみたかった場所を発見しました。

R11加茂川を渡るときに土手に立っているのが見える看板です。
学生時代から看板は見たことありましたが
書かれている意味が分からなかったのです。
所沢で零式艦上戦闘機を見てから、いろいろ調べていたら、最初の神風特攻隊の隊員のことが分かって
その指揮官が地元西条出身の若者であったことを知り、いつかは慰霊碑を訪れたいと思ったことが叶いました。
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これが楢本神社に建立された敷島隊五名の遺品を埋葬した忠魂碑です。
傍らの砲弾は実際に搭載した爆弾と同型のものらしいです。

第一航空艦隊司令長官大西滝次郎中将(終戦時自決)の命令により
昭和19年10月20日編成
同10月25日出撃
敵護衛空母セント・ローに命中し、弾薬庫爆破により沈没せしめた日を記念日として毎年、この記念館前で慰霊祭が行われているそうです。

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境内にかかる隊員の紹介文

隊長の関行男中佐は最初の作戦命令に即答しなかったといいます。
「私なら250キロ爆弾を何度でも命中させられますが、それでは駄目でしょうか」
上官はいいました。
「駄目だ、最初の攻撃に成功しなければ後に続く者が躊躇してしまう。この作戦を成功させられるのは君しかいないのだ」
しかし、成功するということは確実に死ぬということを意味します。
一晩考えた関中佐は決心したといいます。
そしてこんな言葉を残されました。

「私のような優秀なパイロットを死なせなければならない、この国は負けることは確実だろう。しかし死んで作戦の無意味さを軍部に分からせることが戦争の終結を早めることになるならば、国民や子孫の平和の実現のため犠牲になることを決意した。」
恐るべき勇気と責任感をもった男だと思います。それに従った他の隊員たちも同様です。
勝てる見込みの無い戦いを仕掛けたのが元で、後に引けなくなったうえ、二度目の過ちの始まりだったわけですが
戦没者を軍神として崇め奉ることに、賛否両論だと思います。
だから私の主観を言わせていただくと、最近のリアルな戦争映画が公開されていく目的として、より事実を風化させないで後世に伝承していくことが平和解決の道だと思っています。
戦争体験者は日に日に失われていきます。
上記の大黒繫男隊員は父親の通った新居浜工業高校の先輩であり、大正10年生まれの関中佐と同年代の叔父はシベリアに9年間抑留されて帰還しましたが、まだ存命であります。
残された者は史実を無きものにすることなく伝承することが、敷島隊のほか数千人の無駄死にした大正生まれの若者たちが意味のあることにできる唯一の方法だと考えております。
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東大医学部初代教授
真鍋嘉一郎氏の生家が楢本神社境内にあったのですね。

知らなかった。
西条市って重要人物が多いですね。

国鉄総裁で新幹線の父と呼ばれた十河信二さんは西条市長を勤めたりしましたし。



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手前は東郷平八郎率いる戦艦三笠がバルチック艦隊を撃破した主砲砲弾です。
三笠は大正15年に廃艦されて、現在は横須賀港に展示されているようです。

後ろの大きいのは戦艦大和主砲砲弾

全長1.95メートル
重量1470キロ
装薬量330キロ
初速780メートル毎秒
最大射程42000メートル

史上最大最強の砲弾だそうです。
明治時代から戦艦作れる造船技術が日本にあったなんて信じられません。
製鉄所が既にあって、溶接はガスでしょうかアークでしょうか。物作り日本の力が皮肉にも、人殺し兵器のために発達してきたことも忘れてはなりませんね。




来週の水曜日に父親の四十九日法要のため、片道850キロ走って帰らねばなりません。
自走で帰る理由は、車両の運搬と納品を兼ねているからであります。

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こんなパイプを作っていますが、1本あたり3日掛かりますので土日休まずにやってもあと2本ちょっとしかできませんが
車両の返却がマスト要件なので月曜夜が積み込み期限で進行しています。

全長長いので通常のチャンバーより溶接が50%多いです。







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ビンテージチャンバーなのでガス溶接で繋いでみました。

車体は返却するので、治具で合わせたものと同等性を確認しているところです。

口元からテールパイプまで長いので僅かに傾いても位置が違ってしまうので、位置決めに相当な時間を割いています。

このような大きな商品は複数梱包すると荷物サイズの関係で、宅配便では送ってもらえません。
梱包も厳重に行わないと、運送中にダメージを受けることになるので、長距離ですが自走で運んだ方が安心ということです。

91年はホンダオブUKを立ち上げるためにイギリスに長期滞在しておりました。
土日は会社が休みなのでレース観戦に出かけるのですが、JULY 7th 開催の世界GPモトクロス500ccクラスは、ある意味で忘れられない日となりました。
それはレース当日の夕方5時の飛行機でベルギー出張の予定だったからです。
移動は出張者全員にカンパニーカーを貸与されていて自分で運転するのですが
会場のホークストーン・パークまで滞在先のファーリンドン村から2時間の距離です。
滞在はホテルを出て駐在員の社宅に居候していて、そこからヒースロー空港までは1時間の距離です。
F1レーサーのアイルトン・セナがスピード違反でつかまってニュースになったM40(モーターウェイ)を走ります。
この移動時間から、飛行機に間に合うためにはファーリンドンの社宅を3時出発がリミットでした。
従って早朝、ホークストーン・パークへ向かって午前中、500ccの公式練習と前座の250ccクラスのレースを観戦しました。
250のレースは当時AMAチャンピオンだったJM・バイルも出走していましたが、地元のカッコ悪いオッサンが速くて勝てないくらいレベルの高いものでした。
イギリスのコースはここに限らず、自然の地形を利用したものが多く、ハイスピードでテクニカルなものです。
日本に見られる狭い土地を平らにしてジャンプを造成したようなコースではスピードのレベルが違うことが分かります。
しかも長距離移動しなくても多くのサーキットが存在するし、ドーバー海峡を渡ればすぐフランスという立地の良さですから優秀なレーサーが育つのも当たり前かもしれません。
結局500ccのレースはスタートだけ観て、急いで帰りましたので決勝レースは観てなかったのでした。


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ホークストーンの売店で買ったTシャツ

KX500に乗るUFOのジャージは英国人ライダー、ポール・マリーンがモデルです。

この年はジョルジュ・ジョベがCR500の市販車で500ccタイトルを取りました。
ジョベやJ・マルテンス、B・ライルズなど本物のGPライダーの走りを目の前で観れたことに感動です。





ヒースロー空港に着いたのは搭乗時間30分前でしたが、同じ会議に出席するパーチャスセクション(購買部)のリック・スミスと偶然合流できたのでチェックインもやってもらってスムーズに飛行機に乗れました。
ベルギー・ブリュッセル空港には栃木からチーフエンジニアと現地法人の日本人が合流してホテルへ向かいました。
翌翌日はドイツ・ハノーバーで別のメーカーで会議。ドイツとイギリスは時差が1時間ありますので帰りの便は夕方5時にハノーバー発、5時ヒースロー着という不思議な体験でした。飛行は1時間でしたが地球の自転に逆行しているからなのですね。
ハノーバーの売店でスミスさんに「友人のコバヤシにドイツのエロチカルマガジンをお土産に買ってやりたい」と告げて本屋で物色していると、スミスさんが「そんなのイギリスにも売っている」と言うので
「いやいやドイツでしか売ってないのを探しているんだ」という意味の英語で伝えました。
法律でイギリスでは、男女の絡みは掲載禁止になっていますがドイツではOKなので、それを探していたのです。
ヒースロー空港に着いたらロングタームの駐車場に停めた社用車のバラードに乗り込もうとしたら、スミスさんが「ワイフに乗せてきてもらったから乗せて帰って欲しい」と英語で言うので乗せてあげました。
威勢よく走りだして、ヒール・アンド・トーでアクセルを吹かしながらクラッチミートさせていると
スミスさんが興味深く私のアクセルワークを見て「ヒール・アンド・トー!」と発声してました。

後日、国内のメーカーに出張するとき、今度はスミスさんのドライビングで乗せてもらって驚きました。
まるでラリードライバーのようなドライビングテクニックでタイヤをスライドさせながらブラインドのワインディング道路をカッ飛ばしていくのでビビリました。
モータースポーツの国ですから一般ドライバーが既に速くて上手いのです。
日本のように信号と一時停止で交通を遮断している国とはスピードに対する経験が違うようです。








クリエイション(創造)、僕に必要な言葉。


スピニング・トーホールドは77年発表の楽曲だったのですね。  いい時代!


忘れてはならない名曲


この楽曲の収録されたレコードは持っていて、寮の同部屋の友達にカセット録音してもらって聞いてました。
79RM125乗ってたころなので、練習に行く車内で聞いて気持ちを盛り上げたものです。
音楽やっている人はおジイさんになっても衰えませんね。
オートバイ乗りも見習いたいことです。