2013年11月アーカイブ

私らが子供のころはズボンの膝や上着の肘が擦り切れたら、継ぎ当てをして着ていました。着る物や食べる物が貴重で粗末にすると親から怒られたりしました。ですから使える物はなかなか捨てません。可能なかぎり直して使います。

競争原理主義であるはずのモトクロスをやるようになっても貧乏性のままで、チャンバーなどは転倒で簡単につぶれてしまうので、下手な板金修理で直して使い続けました。そんな苦労した経験から、安価に上手く直せればいいなと思って始めたのがチャンバー作りなので、スペシャルパーツとかチューニングとかの目的ではなく、高価な部品をあっさり交換するのでなく直して使うことで出費を抑えようという目的でした。

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エクボくらいの凹みですが、これを直してほしいという依頼です。

「金は持っている」といいますが、これが直ったとしても価値があるとは思えませんので、どれほどの難易度か確かめるためにやってみます。

 

 

 

 

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250のエキパイは以前、やりましたので治具がありましたが450のパイプには使えません。

450専用の治具を製作しました。

パイプの端面を密閉して窒素を加圧するための道具です。

 

 

 

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エキパイに加工が必要です。

治具が引っかかるストッパーを溶接してあります。

これがないと圧力で治具が動いてガス漏れしてしまうためです。

 

 

 

 

 

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窒素を10気圧かけてバーナーで赤熱します。

炙りすぎると酸化してチタンが脆くなってしまうので手早くやらねばなりません。

溶接ビードの真上なので、一般部より固かったですね。

 

 

 

 

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凹みはこの程度修復できました。

焼け跡が残りますので色は美しくないですが、凹んでいるよりはいいでしょう。

 

 

 

 

 

 

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こっちの方が重症です。

カーボンパイプは衝撃が加わると割れてしまいます。接着剤では再び剥がれてくるでしょう。

これは諦めてアルミで巻いて作るように頼まれましたが、忙しいので後回しにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先月お台場で開催された「旧車天国」に行ってきた弊社取材班が貴重なDVDを購入してきましたので紹介します。

去年暮れに日本のモーターサイクルレース発祥地(1910年)である上野公園不忍池へいってきましたが、そのレース主催団体「東京モーターサイクル倶楽部」に関するビデオ(八重洲出版制作)です。1909年(明治42)東京神田で創業の輸入オートバイ店山田輪盛館の創業者、山田光重氏が主催者でした。

同社は日本高速機関という会社を設立して国産初の高級自動自転車ホスクを1954年(昭和29)にデビューさせたのでした。

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ホスクNKBA、4スト200cc 7ps/6000rpm

17万5000円、当時東京都民の平均年収10万円だったそうです。

ヤマハ初の4ストエンジン車が1970年発売のXS1ですから、最初から4ストロークエンジンに着手した同社の技術力の高さが伺えます。

 

 

 

 

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1956年(昭和31)製造の500DBS

輸入車に引けをとらないスタイリングのオートバイ製造を成し遂げたことで、唯の輸入オートバイ店から2輪メーカーへ完全に転身したといえます。

ホイールにはアルミリムを奢っています。

 

 

 

 

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この500DBSは1957年(昭和32)第2回浅間火山レースでセニア500ccクラス3位入賞しました。

ゼッケン55がホスクに乗った井上武蔵選手。

 

 

 

 

 

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日本初のモーターサイクル競技団体、東京モーターサイクル倶楽部のメンバー

前列右から2人目の髭を生やした紳士が創設者山田光重氏、。

隣のチョッキ着用の人が1930年(昭和5年)にマン島TTレースに参戦してベロセットに乗って350ccクラス15位の結果を残した多田健蔵氏。

1930年当時英国車ベロセットは1500円で販売されたそうで、モーターサイクルの輸入税93円60銭は東京のサラリーマン月収に等しかったそうです。輸入車は普通の住宅並みの値段だったようです。

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東京MC倶楽部主催のダートレースが月島や王子あたりで盛んに行われたそうで

これは多田健蔵選手の映像の一コマ。

この時代のアマチュアレースが土台となり1950年(昭和25)に船橋で現在のオートレースが開催されるようになったそうです。

 

 

 

 

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人柄の良さそうな多田さん。

ベロセットのロゴをあしらえたトレーナーがカッコいいです。

 

 

 

 

 

 

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オートレースはダートコースで行われていました。

見事な逆ハンです。当時のダート走行テクニックは今以上ではなかったかと映像が教えてくれます。

 

 

 

 

 

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お客さんを連れて箱根、熱海方面へ遠乗会も主催されたようで富裕層の道楽的要素が強かったみたいです。

ここは箱根の登坂路で休憩中です。

時々エンジンを休めないとオーバーヒートしてしまうのです。

路面は当然ダートしかありません。酷いデコボコ道にリヤサスはリジッドですから相当に体力が必要だったでしょう。

ガソリンスタンドは充分にあったでしょうか、尺貫法時代に「ガソリン一升」とか言って頼んだでしょうか。

大正時代の映像と思いますが非常に鮮明に撮れているばかりか、車載カメラで動画を撮っている場面があることに驚きます。ヤマリンの山田さんは輸入オートバイ店かカメラ店を営むか悩んだくらいのカメラマニアだったことがこれらの撮影技術に役立ったみたいです。

フィルムは東映の倉庫に埋もれて行方不明になっていたものを偶然発見して損傷の激しかったものを現在のデジタル再生技術で蘇らせたこともDVDの中に載っていました。

本当に奇跡の映像だと思いますし、これに出会ったことも運命であったことを感じます。

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1959年(昭和34)製造のホスクDBTスーパースポーツ。

HOSK最後のモデルとなりました。初生産から14年、創業から59年を経て山田輪盛館の歴史は幕を閉じるのであります。

会社は沼津の昌和製作所に移譲されヤマハ発動機の傘下に入って技術は継承されたということです。

 

 

さて、本題に入ります。古い記録映画を唯娯楽のために観ていたわけではありません。

自分の親たちも含めて大人は子供に対して大事なことを伝えていないと思うのです。よその家のことは分かりませんが少なくとも私の経験ではそうです。おそらく子供が何を知りたいか、将来のために何が必要かということを大人と言えども、その日その日が精一杯で分からなかったかもしれません。

私自身が半世紀も生きてきて、ようやく知りたいと思うことが少しだけ見えてきた感じがします。いままでは会社や世間の風潮などに流されてきただけで、物事の真理など殆ど分からずに生きてきたと思います。私が生まれたときには、明治生まれの祖父母は既に他界していたのですから昔の話は聞けません。先祖の経験談も聞けないのですから他人の話など知る由もありません。

日本のモーターサイクル史も同様です。雑誌の記事を読む以外に手段がありません。しかし、現在やっていること、これからの方向性を見極めるためには過去のことを知らなければ判断の材料がないではありませんか。

日本という国家でさえ過去に何度も過ちを犯していますね。大きなところでは2度の大戦と原発政策。大きな過ちですから取り返しのつかないことになってしまいましたが、これらは過去に経験の無かったことですから失敗の予測がつかなかった事例です。おそらく、これからは同じ失敗は犯さないでしょう。経験したのでどうなるか知っていますからね。

また、斬新な発想や感性は利益が見込めなければ切り捨てられるのが今の大企業の体質だといえます。だから自分はトラディショナルな過去のモデルを探しながら、もうすぐ老後を迎える自分のスタイルを構築していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

量産部品は必ずロット生産されています。ロットの種類や大きさは製造過程における品質特性によって様々です。量産でロット管理しなければならない理由は、材料ロットや熱処理ロットのように納入や処理条件が同一のグループで区別してトレーサビリティー(履歴追跡)を持たせることによって、あとで不具合が発覚したときに選別することにあります。

不具合の追跡調査が出来ないと対象の製品が分からないので改修コストが莫大になることを防ぐ目的があります。

弊社では生産数が少なく一品ずつハンドワークで加工するために部品の不具合は、加工時点で分かってしまいますのでロット生産することはありません。 CIMG2915.JPG

普通は注文数は1個なので構成パーツは1台分ずつ作りますが、今回は4個一気に作ります。

 

これだけ作るのに3日も費やしています。

1日1本製作するのが難しいアルミサイレンサーです。

 

 

 

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構成パーツを溶接組み立てしたところです。

部品が揃っていれば連続溶接できるのですが、同じ姿勢を長時間続けることによって血行不良になります。

エコノミークラス症候群という症状ですが、私の場合は肩こりや腰痛になってしまいます。

もう年寄りですね。

 

 

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溶接完了したらバフ研磨です。夏場と違って体が温まるくらいなので助かります。

研磨は自社製品しかやりません。

お客さんに頼まれても専門の業者さんを紹介するだけです。

 

ここまで出来れば、グラスウールを詰め込んで組み立てるだけです。

明日の段取りを考えながら発送の準備します。

 

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おまけはCBヨンフォア専門店シオハウスさんからお借りしたVMXマガジンから

ジム・ワイナートとトニー・ディスティファーノの接戦です。

トニーの顎にジムの左グリップが入っていますね。

トニーの右ブーツはジムのフロントフォークに引っかかっています。

ものすごい勝負への執念です。安全運転至上主義の私は見習いたいです。