2013年11月アーカイブ

国際展示会場は未来を見せてくれる場所として有意義ですが、せっかくの機会なのに、あまり行ったことがありません。最初は70年の大阪万博に違いありませんが、「21世紀はこのような世界になっているでしょう」ということで30年後の未来を想像して心が弾んだのを覚えています。

東京モーターショーは晴海と幕張の会場で一回づつしか見ていませんから、前回見てから20年くらい経つことになります。そんな私が今回行ったのは例年とは違う理由があったからです。

その説明は後にしてまずは何に注目したかを画像でご覧ください。

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CB1100EX

空冷直4の系統が再び。

ツインショックにスポークホイール

 

 

 

 

 

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私は初代NSXの立ち上げで4輪業界で初のオールアルミモノコックボディーとアルミ鍛造サスペンションアーム、アルミ鋳造サブフレームの品質管理に携わりました。

その後製造中止されたNSXは新型車として全く別のスポーツカーに生まれ変わって発表されましたので、これの実車を見ないわけにはいきませんでした。

 

 

 

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精悍でゴージャスな作り、現場に行かなければわからなかったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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ヤマハR25

250cc直列ツインですが、GP3クラスのレーサーかオンロードスポーツかわかりませんが、3年後発売だそうなので楽しみにしております。

 

 

 

 

 

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YZF M1のエンジンカットモデル。

モーターショーでは2輪4輪の様々なカットモデルが展示されていますので実車以上に興味が沸いてきます。

 

 

 

 

 

 

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YZ450F後方排気エンジンはこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ガソリンエンジンでなきゃ乗らねえ、と思っていましたが、これが実用化されたならそうも言ってらんなくなるかも。

完成度たかそー

 

 

 

 

 

 

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バウティスタの乗った213V。

CS放送で見たmotoGPマシンの実車が見れるのはここならでは

ニッシン工業のブースで

 

 

 

 

 

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今年のチャンピオンマシーン

マーク・マルケスの213V

ペドロサのやつは皆で跨る用にされていました。

 

 

 

 

 

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ライアン・ビロポトのチャンピオンマシーン

数少ないオフロード展示車のひとつ

 

 

 

 

 

 

 

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部品館は最も楽しいブースです。

日本発条の新技術説明。

異種金属でも摩擦攪拌溶接とやらで溶接できるのだとか

テストピースの溶接ビードが展示されていました。

 

 

 

 

 

明日MCFAJのレースで早起きしなきゃならないのでレポートの続きは後日にします。

 

私らが子供のころはズボンの膝や上着の肘が擦り切れたら、継ぎ当てをして着ていました。着る物や食べる物が貴重で粗末にすると親から怒られたりしました。ですから使える物はなかなか捨てません。可能なかぎり直して使います。

競争原理主義であるはずのモトクロスをやるようになっても貧乏性のままで、チャンバーなどは転倒で簡単につぶれてしまうので、下手な板金修理で直して使い続けました。そんな苦労した経験から、安価に上手く直せればいいなと思って始めたのがチャンバー作りなので、スペシャルパーツとかチューニングとかの目的ではなく、高価な部品をあっさり交換するのでなく直して使うことで出費を抑えようという目的でした。

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エクボくらいの凹みですが、これを直してほしいという依頼です。

「金は持っている」といいますが、これが直ったとしても価値があるとは思えませんので、どれほどの難易度か確かめるためにやってみます。

 

 

 

 

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250のエキパイは以前、やりましたので治具がありましたが450のパイプには使えません。

450専用の治具を製作しました。

パイプの端面を密閉して窒素を加圧するための道具です。

 

 

 

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エキパイに加工が必要です。

治具が引っかかるストッパーを溶接してあります。

これがないと圧力で治具が動いてガス漏れしてしまうためです。

 

 

 

 

 

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窒素を10気圧かけてバーナーで赤熱します。

炙りすぎると酸化してチタンが脆くなってしまうので手早くやらねばなりません。

溶接ビードの真上なので、一般部より固かったですね。

 

 

 

 

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凹みはこの程度修復できました。

焼け跡が残りますので色は美しくないですが、凹んでいるよりはいいでしょう。

 

 

 

 

 

 

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こっちの方が重症です。

カーボンパイプは衝撃が加わると割れてしまいます。接着剤では再び剥がれてくるでしょう。

これは諦めてアルミで巻いて作るように頼まれましたが、忙しいので後回しにします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今更空冷ですか、と笑う人がいると思いますが何れ分かる時がくると思いますね。私が会社員だったころは、ようやくCADAMが導入され始めたころで、設計は間違いなく製図板に紙と鉛筆、定規やコンパスで描かれたものでした。

そうです、設計図は人が手で描いた絵画のようなものだったのです。当然上手い人と下手な人で差がでますね。図面が絵画と違うところは、製造者が見ることによって実物を作る指示書になるということです。

そんな人が手で描いた図面を元に鋳造屋さんや機械加工屋さんの手加工によって作られた物たちです。

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このエンジンの時代に少年だった私はレース場で憧れの目でみていたと思いますが、ちょっと小さいヤマハの黄色いツインショックのYZ80に乗っていました。

こんな美しい造形が出来た当時の設計者は35年も後まで乗り続けられると想像したでしょうか。

メーカーとしては不本意ですね。過去の物は古い技術で最新の物こそ先端技術でありますから、新しいものが売れることがメーカーの業績になります。

乗ったら性能差は歴然なのですが、皆が新しいの乗っていたら自分だけ有利なわけありませんので、結局昔と同じように上手い人が上手い、速い人が速いことに何の違いも無いのです。

だから当時の人たちが当時の体験や興奮を再び味わうには当時のアイテムが必要だということです。維持するのに、お金が掛かるとか手間が掛かると言われますが、現行車に乗っても同様に金と手間は掛かります。現行車でお金と手間が掛からないと思っている人は、たぶん乗りっぱなしなんじゃなかなと思います。

まあこんなご時勢ですから出費は抑えたいと考えるのが庶民の願いです。新型は高いお金払って買っても数年後にあっさりモデルチェンジされてしまって、裏切られてしまいますが旧式は永遠にそのままですから、いつまでも色あせないパートナーに成りうるでしょう。

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我社に訪れるお客さんは、ここの商売柄のせいか古いマシンを維持している人が多いです。

新車から持っているのでなく中古で手に入れて手間をかけている人たちです。

やはり、家電やクルマのように完成されたものを買って使うだけの行為に魅力を感じていないといいますか、便利なものに満ち溢れた時代ですから、不便なことの楽しさを追求している人が多いかもしれません。

泥のMXなどは正に、わざわざ走りにくい路面でスピードを出すみたいな一般常識から外れた行為が不便さを楽しむという意味で共通しているかもしれません。

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私は古いマシンを泥だらけにして元どおりに直している時間が取れませんのでオンロードの空冷エンジンを手に入れましたが、キャブレターも点火時期も狂ってきますので、時々調整しなければならない不便さが楽しいなと思います。生涯大切にしていきたいと思うカワイイ奴です。

それにしても美しい造形です。オートバイは空冷のフィンがあることが芸術性を高めていると思います。しかも放熱性能を左右するわけですから、こんなエンジンを設計して世の中に残した技術者は幸せでしょう。自分の才能をそのまま形に残せるわけですからね。

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エンジンがこのように水冷化されたころから急速に効率を求める時代に突入していきました。

エンジンは熱エネルギーを運動に変換する装置ですが、熱が金属部品の膨張という寸法変化を生み出し、問題を起こすことが設計を悩ますことになりました。

シリンダーは外部から冷却することができますが、ピストンはガソリンやオイルによる冷却だけが頼りなので、熱膨張の違いでエンジンの効率が変動してしまいます。そこで、熱的に安定させやすい水冷エンジンが主流となってしまいました。

オートバイエンジンらしい冷却フィンは時代おくれの過去の産物として葬られてしまう運命なのか?

私はそうでもないと思っています。CDや磁気テープなどの記録は20年くらいが寿命で、バックアップを取っておかないといずれ消失します。それに比べ紙の記録、古書などは何百年も残っていますし、石に刻まれた文字は半永久です。水冷エンジンはウォーターシールが数年で劣化しますので部品交換しなければ水漏れで走行不能になります。ディスクブレーキもシールの固着、フルードの水混入などで、10年経過するとオーバーホールが必要になります。

空冷エンジンやドラムブレーキはそういう劣化する部分が少なく、簡単なメンテナンスを怠らなければ水冷、ディスクブレーキ車よりも保存が楽だといえるでしょう。従って後世まで残る可能性があるのは現行車より空冷エンジン車ということになります。

新旧のチャンバー、新といっても2000年ころのレーサースペックを90年代のトレールモデル用にモディファイした物。古い方は預かり物ですが詳細は聞いてないです。私の記憶では85年型KA4ではないかと思います。

ホンダCRシリーズが水冷エンジンになった81年型から85年型までの125がKA3、250がKA4という機種ナンバーが付けられていました。

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上がCRM250AR用

下が年式不詳のCR250(KA4)用チャンバー

両者は排気量こそ同じですが、15年にわたるモデルチェンジによって、このように寸法の変化がありました。

このKA4の特徴としては後述のATAC装備のためエキパイ部が短いことと、ストレート部とコンバージェント部が長いことが分かります。

後期モデルとは排気デバイスやポート形状がまるで違うので、チャンバーの設計も別物というわけです。

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上はローボーイになっていますが、KA4はアップチャンバーなので、ストレート部が真っ直ぐ上向きになっているのが視覚的に長く見えます。

セミダブルクレードルのフレームなのにエキパイ口元が左向きになっていることからシリンダーにエキマニが取り付いているはずです。

下の画像のように84年型はATACのチャンバーがシリンダー横に付いていますが、84なら口元は正面向きだったはずです。そんなことから、このチャンバーは85年型KA4だと推測できます。

86年からHPP(可変ポートタイミング)に変更されましたがATACは可変容量チャンバーでした。クランク右側の遠心ガバナーの動作をラック&ピニオンで伝達してエキマニ入り口のバルブを開閉し、低速時は開放してチャンバー容量を増やし中速以上は閉じて高速型の出力を発揮しました。KA3は長くATACを採用してHPPに変更されたのは90年型からということで小排気量の方が可変ポートタイミングが難しかったことが推測されます。

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左がKA3、通称「キャン玉袋」がエキマニの下にぶら下がっています。

右はKA4でサブチャンバーがシリンダー側面に付いていますからエキパイは正面を向いています。この方式は84年だけで翌年には変更されています。

実は排気ポートの柱を廃止したためピストンの排気側がカジッてしまうトラブルが発生したため、シリンダーを変更したという経緯がありました。

よって84年型KA4の実動車は見かけることは希少でしょう。

 

 

 

 

新型のCRFはツインマフラーですが、自分で購入して・・・とか考えたりしますが滞留車の数とやらなければならない仕事の数を見ると、とても新しいマフラー作っている状況でないことが分かります。そんなわけで旧型になってしまったシングルマフラーもたまに需要がありますので作っています。

しかも、サイレンサーエンドを短くしてほしいとの注文ですからエンドパイプの作り直しです。

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MFJレギュレーション対応で材質はステンレスを使っています。

パイプ断面は従来とおりヘキサゴンで。

エンドパイプと溶接されていないので分割できます。

エンドパイプにディフューザーなどの追加工を容易にするためです。

 

 

 

 

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エンド取り付けたサイドビューです。

以前の形状より20mm短くしてありますが、車両規定にエンドパイプの水平部分が最低30mm必要とのことなので遮蔽版との位置関係で、これくらいのショート加工でないと規定を守れなくなってきます。

あとの部分は変わらないですが、ミドルパイプもステンレスでMFJ国内規定に準じた仕様にしました。

これをスケールダウンして150用マフラーを作る構想がありますが、バックオーダー優先なので時期は未定です。

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先週マディー走行した250のフレームです。3回連続マディー走行で汚かったですから全バラして磨きました。

洗車しただけでは染み付いた泥汚れが落ちません。研磨剤をつけながら磨くことでようやくアルミの地肌が見えてきました。

97年から始まったモトクロッサーのフレームアルミ化ですが、目的は軽量化ではなかったと思います。

軽量に作ると耐久強度が落ちてしまいますので堅牢にするため鉄フレームと重量はあまり変わりません。

鉄フレームは安価ではありませんでした。最初はクロモリ鋼を使用していましたが非常に高価な材料なのでハイテン材に置き換わったりしましたが、曲げパイプやガセット、補強パッチなどプレスの構成部品が多数の上、金型や溶接治具、塗装まで必要ということで、人的費用も膨大であったでしょう。

それが近年のデジタル技術で設計や金型の加工が少ない人員でできるようになって製造工数が削減できることが目的のひとつだと思います。

80年代はエンジンやラジエターまで塗装されていましたが90年代から廃止になったのはコストからみだと聞いています。量産車の耐食性の要件は最悪の場合を想定しますから、例えば海岸で海水に浸かりながら走行しても著しく外観を損ねないなどです。

初期のリンクは鉄でした。アルミの応力腐食割れが怖くて安全性が確認されるまでは使えなかったのです。航空機では早くから7075材を採用していたのですが、飛行中に空中分解したことで発覚したのが応力腐食割れです。高応力の部分の腐食が進行してアルミの強度を低下させるという性質です。アルミフレームやリンクも腐食する条件のもとで耐久テストを繰り返し安全性を確認したうえで量産されたはずです。

エンジンケースなどはブラストした表面の方が放熱性がよいので、わざわざ塗装剥離したりしましたね。

おかげでフレーム磨く楽しみも増えたわけですが、手間を惜しんでいると汚くなっていくというオチも付いています。 

9月に開催予定の大会が台風接近のため中止になって今回に振替られました。しかし前夜から雨が降り続き朝は上がっていましたが、泥はたっぷり水分を含んだ状態。雨降りではコース整備も泥をこねてしまうのでやっても無駄です。ギャップやレールは殆ど先週と同じ形で残っていました。

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250に乗って去年から3レース目になりますが、マディのレースは片付けに時間がかかるのでキャンセルしてもよかったのですが、せっかく来たのだから練習がてら走っておくのもよかろうと。

こうやって体が動いているうちにやれることはやっておくものだとポジティブシンキングでいきましょう。

 

 

 

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ヒート1(E&J250)終了。酷い泥でした。

エキスパート9台、ジュニア12台と台数が少ないので混走です。

確か2000年ころはジュニアも予選がありましたから衰退したもんです。

レースの方は2回もコースアウトして大幅なタイムロスしてエキスパートのビリから2番でした。意外にも落胆はしてないです。コースアウトは自分のあせりからくるミスですが、小さい体でマシンを立て直してコースへ復帰できたことがあきらめない精神のトレーニングになったと思っています。ヒート2(E&J450)はスタートまあまあで、2台抜かれて5位でした。やはり路面のいいときの方が結果が出しやすいですね。もはや勝ち負けに意味はもたないですが怪我なしで、苦しみも快感に思えるトレーニングができればいいと思います。

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SE150ヒート2のスタートです。

一昨年までこのクラスに出ていましたが体力不足で止めてしまいました。メンバーは当時と変わらずです。

先頭はレディースのセナちゃんです。SE150はときどきレディースが練習がてら出てきますが、殆どがアラフォーか五十路の選手なので若手と競うのは刺激になるでしょう。このあと後続の2台がまくってすぐに前へ出てぶっちぎっていきました。2台はバリバリの20代と元IBですからあたりまえです。90年代に神宮球場のスーパークロスを走ったキッズが今ではアラフォーなんですから、私がジジイになっていても不思議じゃないですね。

下のクラスも殆どアラフォーかそれ以上(60代もちらほら)なので永久に世代交代はなさそうです。

 

今年は2回しか出走していないMCですが、あと1戦あります。どうするかは仕事と体調に相談して決めたいと思います。とりあえず今、腰痛と戦っている最中ですので。

 

前に勤めていた会社では事業計画を5ヵ年程度の中長期で計画を練っていました。私も唯仕事が来るのを待っているだけでなく、中期的、長期的な予定は立てておかないと、気がついたときには体が思うようにならず困惑することになるでしょう。

その前に先月までのバックオーダーは今年中に終了させるつもりで予定をたてています。そのために新規の注文は来年に持ち越し、納期も未定とお伝えするようにしています。

ではバックオーダーが終了すると何があるかといいますと、長期滞留車の特注製品に専念したいと思います。ブログ上で発表できない内容もありますので、更新が長く途絶えている場合は製作業務に専念していると考えてください。

長期的計画としては現行の事業形態がいつまで続けられるかという問題がありますが、期間としては20年を考えています。それは自営業なので、会社員のような退職金や厚生年金がないため一般的な定年の年齢を過ぎたとしても生活を維持するためには、なんらかの仕事をして収入を得続ける必要があるからです。まあ私に限らず、財産だけで生活できる人以外は同様だと思います。

同じ事業形態で続けられない理由としては社会情勢によることがあります。例えば消費税導入などによる消費の低下、エネルギー事情による燃料の高騰とか、様々な要因で仕事の題材となる二輪車文化の衰退が起こってくると職業を変更せざるを得なくなるでしょう。後は二輪車文化に関係することですが乗車する年齢層の変化も考えられます。親の援助で乗車している年代は独立した後に乗り続けられるか、ということと現在最も多いと思われる中年ライダーが高齢化して降りてしまうことで、今より乗車する人口が減るのではないかと予想しています。

我々が年金を受給する年代になるころには労働者二人の税金で一人の高齢者を支える時代がくるといわれています。私はなるべく、働かないで若年者に支えられる生活にならないように、定年退職の無い自営業で可能な限り働いていたいと考えていますので、今はそのための準備期間と思って日々を過ごしている状況です。

とりあえず貯金のできない私は貯蓄型の養老保険に加入して老後の生活を担保しています。

先月お台場で開催された「旧車天国」に行ってきた弊社取材班が貴重なDVDを購入してきましたので紹介します。

去年暮れに日本のモーターサイクルレース発祥地(1910年)である上野公園不忍池へいってきましたが、そのレース主催団体「東京モーターサイクル倶楽部」に関するビデオ(八重洲出版制作)です。1909年(明治42)東京神田で創業の輸入オートバイ店山田輪盛館の創業者、山田光重氏が主催者でした。

同社は日本高速機関という会社を設立して国産初の高級自動自転車ホスクを1954年(昭和29)にデビューさせたのでした。

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ホスクNKBA、4スト200cc 7ps/6000rpm

17万5000円、当時東京都民の平均年収10万円だったそうです。

ヤマハ初の4ストエンジン車が1970年発売のXS1ですから、最初から4ストロークエンジンに着手した同社の技術力の高さが伺えます。

 

 

 

 

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1956年(昭和31)製造の500DBS

輸入車に引けをとらないスタイリングのオートバイ製造を成し遂げたことで、唯の輸入オートバイ店から2輪メーカーへ完全に転身したといえます。

ホイールにはアルミリムを奢っています。

 

 

 

 

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この500DBSは1957年(昭和32)第2回浅間火山レースでセニア500ccクラス3位入賞しました。

ゼッケン55がホスクに乗った井上武蔵選手。

 

 

 

 

 

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日本初のモーターサイクル競技団体、東京モーターサイクル倶楽部のメンバー

前列右から2人目の髭を生やした紳士が創設者山田光重氏、。

隣のチョッキ着用の人が1930年(昭和5年)にマン島TTレースに参戦してベロセットに乗って350ccクラス15位の結果を残した多田健蔵氏。

1930年当時英国車ベロセットは1500円で販売されたそうで、モーターサイクルの輸入税93円60銭は東京のサラリーマン月収に等しかったそうです。輸入車は普通の住宅並みの値段だったようです。

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東京MC倶楽部主催のダートレースが月島や王子あたりで盛んに行われたそうで

これは多田健蔵選手の映像の一コマ。

この時代のアマチュアレースが土台となり1950年(昭和25)に船橋で現在のオートレースが開催されるようになったそうです。

 

 

 

 

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人柄の良さそうな多田さん。

ベロセットのロゴをあしらえたトレーナーがカッコいいです。

 

 

 

 

 

 

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オートレースはダートコースで行われていました。

見事な逆ハンです。当時のダート走行テクニックは今以上ではなかったかと映像が教えてくれます。

 

 

 

 

 

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お客さんを連れて箱根、熱海方面へ遠乗会も主催されたようで富裕層の道楽的要素が強かったみたいです。

ここは箱根の登坂路で休憩中です。

時々エンジンを休めないとオーバーヒートしてしまうのです。

路面は当然ダートしかありません。酷いデコボコ道にリヤサスはリジッドですから相当に体力が必要だったでしょう。

ガソリンスタンドは充分にあったでしょうか、尺貫法時代に「ガソリン一升」とか言って頼んだでしょうか。

大正時代の映像と思いますが非常に鮮明に撮れているばかりか、車載カメラで動画を撮っている場面があることに驚きます。ヤマリンの山田さんは輸入オートバイ店かカメラ店を営むか悩んだくらいのカメラマニアだったことがこれらの撮影技術に役立ったみたいです。

フィルムは東映の倉庫に埋もれて行方不明になっていたものを偶然発見して損傷の激しかったものを現在のデジタル再生技術で蘇らせたこともDVDの中に載っていました。

本当に奇跡の映像だと思いますし、これに出会ったことも運命であったことを感じます。

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1959年(昭和34)製造のホスクDBTスーパースポーツ。

HOSK最後のモデルとなりました。初生産から14年、創業から59年を経て山田輪盛館の歴史は幕を閉じるのであります。

会社は沼津の昌和製作所に移譲されヤマハ発動機の傘下に入って技術は継承されたということです。

 

 

さて、本題に入ります。古い記録映画を唯娯楽のために観ていたわけではありません。

自分の親たちも含めて大人は子供に対して大事なことを伝えていないと思うのです。よその家のことは分かりませんが少なくとも私の経験ではそうです。おそらく子供が何を知りたいか、将来のために何が必要かということを大人と言えども、その日その日が精一杯で分からなかったかもしれません。

私自身が半世紀も生きてきて、ようやく知りたいと思うことが少しだけ見えてきた感じがします。いままでは会社や世間の風潮などに流されてきただけで、物事の真理など殆ど分からずに生きてきたと思います。私が生まれたときには、明治生まれの祖父母は既に他界していたのですから昔の話は聞けません。先祖の経験談も聞けないのですから他人の話など知る由もありません。

日本のモーターサイクル史も同様です。雑誌の記事を読む以外に手段がありません。しかし、現在やっていること、これからの方向性を見極めるためには過去のことを知らなければ判断の材料がないではありませんか。

日本という国家でさえ過去に何度も過ちを犯していますね。大きなところでは2度の大戦と原発政策。大きな過ちですから取り返しのつかないことになってしまいましたが、これらは過去に経験の無かったことですから失敗の予測がつかなかった事例です。おそらく、これからは同じ失敗は犯さないでしょう。経験したのでどうなるか知っていますからね。

また、斬新な発想や感性は利益が見込めなければ切り捨てられるのが今の大企業の体質だといえます。だから自分はトラディショナルな過去のモデルを探しながら、もうすぐ老後を迎える自分のスタイルを構築していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

量産部品は必ずロット生産されています。ロットの種類や大きさは製造過程における品質特性によって様々です。量産でロット管理しなければならない理由は、材料ロットや熱処理ロットのように納入や処理条件が同一のグループで区別してトレーサビリティー(履歴追跡)を持たせることによって、あとで不具合が発覚したときに選別することにあります。

不具合の追跡調査が出来ないと対象の製品が分からないので改修コストが莫大になることを防ぐ目的があります。

弊社では生産数が少なく一品ずつハンドワークで加工するために部品の不具合は、加工時点で分かってしまいますのでロット生産することはありません。 CIMG2915.JPG

普通は注文数は1個なので構成パーツは1台分ずつ作りますが、今回は4個一気に作ります。

 

これだけ作るのに3日も費やしています。

1日1本製作するのが難しいアルミサイレンサーです。

 

 

 

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構成パーツを溶接組み立てしたところです。

部品が揃っていれば連続溶接できるのですが、同じ姿勢を長時間続けることによって血行不良になります。

エコノミークラス症候群という症状ですが、私の場合は肩こりや腰痛になってしまいます。

もう年寄りですね。

 

 

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溶接完了したらバフ研磨です。夏場と違って体が温まるくらいなので助かります。

研磨は自社製品しかやりません。

お客さんに頼まれても専門の業者さんを紹介するだけです。

 

ここまで出来れば、グラスウールを詰め込んで組み立てるだけです。

明日の段取りを考えながら発送の準備します。

 

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おまけはCBヨンフォア専門店シオハウスさんからお借りしたVMXマガジンから

ジム・ワイナートとトニー・ディスティファーノの接戦です。

トニーの顎にジムの左グリップが入っていますね。

トニーの右ブーツはジムのフロントフォークに引っかかっています。

ものすごい勝負への執念です。安全運転至上主義の私は見習いたいです。