2013年10月アーカイブ

ここはまるで昭和の部屋か、預かり車両の殆どが昭和時代に生産されたものです。依頼はワンオフ製作のマフラー等ですが、溜まり過ぎていて終わり日程が見えません。これから注文されましても年内着手は不可能です。来年、納期未定でよろしければ承ります。

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作業中は外に出しながら仕事しています。

保管場所に限りがありますので当分の間、新規受付は中止することにします。

奥のマシンだけ最近のモデルですね。

 

 

 

 

  

CIMG2905.JPGKR250は確か4月ころ北海道の沖さんからお預かりしたものですが、いよいよ着手しようと思案中です。

冬場は雪で乗れないと思いますので、春までには完成させたいチャンバーですが、タンデムツインは初めてなのでパラレルよりは時間がかかるでしょう。

これは84年型で後期モデルよりエンジン特性がピーキーだと言われています。

世界GP250クラス4連覇のカワサキワークスKR250のメカニズムを踏襲しています。

 

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ホーリーさんからの預かりものです。何を作るかは教えられません。

先日、スーパーモタードの谷田部選手がマフラー修理に来られたので、この車両知ってるか?と尋ねたら

「秀明さんのマシンでしょ」といいました。

さすが秀明道場の門下生です。桶川で9番の秀明さんを見たそうです。長いことMXやってるねえ。

私は松山オートテックで見ました。

当時の秀明さんは無限所属だったのでRSCのステッカーなのは、もしかして的場さんかな?うう、わからん。 

CIMG2904.JPG秀明さんといえばコミネオートセンター契約で広告載っていましたね。

しかし、形状合わせのための治具にしては綺麗過ぎるマシンです。

ホーリーさんがこれを託した意図は想像するしかないですが我社に訪れるお客さんに対してVMXのレストア技術のPRを兼ねているのではないかと思いますので遠慮なく紹介させていただきます。

古いマシンをいっぱい持っている人はいますが、古いだけで動かないものは鉄屑でしかありません。正しく表面処理、消耗部品は新品交換されていますから新車同様に蘇っています。

全バラして機外供、修復して組み立てるのですから新車の組み立てより何10倍も大変だったと思います。そういうわけで新車+アルファの芸術品だと言えるでしょう。 CIMG2913.JPG

一番早く出したい車両はこれです。

これを長く置いておきたくないのです。

先日サーキット走行で転倒してカウルが割れてしまったのでフルカウル交換したら20万円とか

スリッパークラッチに交換も20万円

プラスチックパーツがやたらカーボンファイバーに取り換わっていると思ったら

 

  

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カーボンホイールは前後セットで50万円。

正にスーパーバイクですが、依頼されたスリップオンサイレンサーが交換した部品の中で一番安いものになるでしょう。

Vツインですからリヤバンクのエキパイが極端に短く、容積を補うためセンターアップのマフラー内にチャンバーを持たせた構造がノーマルマフラーですが、私はちょっと違ったことを考えています。

何を置いてもこれを先に出さないと取り扱いで疲れてしまいます。

では製作記は、また今度。

年に一回のイベントになりました四国路です。田舎の親、親戚は80代前後。目的は墓参りと挨拶と病院見舞いです。

それから20歳までしか住んでいない地元ですが、まだまだ見てない所が多いので見に行きました。

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ここ15年くらいは自走で愛媛に帰ることはありませんでした。もっぱら高速バスか新幹線だったのですが、その間に高速道路も新しくできたようなので走っておこうと思いました。

通ったことのない区間は新東名、新名神です。

それから多くの人は岡山まで走って瀬戸大橋ルートで海を渡るようですが、今回は明石海峡から鳴門大橋ルートにしてみました。理由はちょっとだけ距離が短いのです。

往路は埼玉の自宅から実家まで走行距離815km

 

CIMG2849.JPGH14年式SF1の給油量は満タンスタートで平均38.76L、往復で3回で済みました。

平均燃費は14.5km/Lなかなか優秀です。

行きは東名阪のF1渋滞と大阪あたりで渋滞していましたが、走行時間は休憩込みで10時間程度でした。

深夜運転は止めて、新高速のおかげで疲れは殆ど感じることなく走り切れました。

意外にもSAでは大型バイクが多く見受けられましたが、皆年配の余裕がありそうなミドルやシニアたちでした。

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明石海峡大橋を津田の松原から臨みます。

しまなみ海道に劣らない美しい景観でした。

 

 

 

 

 

 

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帰って参りました。伊予小松町の実家です。

二階が私の勉強部屋でした。

あの窓から毎日、石鎚山頂を眺めていました。

 

 

 

 

 

 

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初日は今治の親戚を尋ねてから近くの漁港で食事しました。

お勧めは鯛飯です。

ここでは釣り船をチャーターして、素人さんでも鯛釣りに出かけられるサービスが楽しめます。

後ろに見えるのは、しまなみ海道の来島海峡大橋です。

高速道路から降りて漁港へ訪れれば海の幸がいただけます。

 

 

 

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今治城の社務所の塀に上がった猫。

この城は再建されたものですが、内部は6階建てで武具や美術品などが多数展示されていて全部見るのに一日では足りません。

海水を引き込んだ堀に囲まれていて、入り口にある鉄御門(くろがねごもん)は、当時の工法そのままに去年再建されたそうですが、費用は地元企業の今治造船が10億円出して実現したそうです。

 

 

 

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実家近くの氏神さま、石土神社へお参りにいきました。帰省した日はちょうど秋祭りでした。

この神社は垂仁天皇の時代、紀元634年に社殿建立し、長曽我部元親の命によって弟元春来襲し社殿焼失したり幾度の受難の後、明治4年の再建により現在に至る。

 

 

 

 

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二日目、新居浜の親戚を尋ねた後、母校新居浜高専へ卒業後初めて行きました。

正門前の校舎は旧愛媛大学工学部だったそうです。

私が生まれた年に国立高専が創設され私は第16期生として入学しました。

現在は学科名も一新されて授業内容も全然違ってきていると思いますが、実験室や学生寮が当時のまま残っていたので懐かしく思いました。

 

 

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新居浜市街から山の方へ向かいます。

目的は住友別子銅山です。

国領川沿いに上流に向かうワインディングは学生時分、オートバイの練習をした場所で、住友鉱山など全く興味がなかったのですが、最近になって住友の郷土に対する影響力の大きさを思うようになって現場を見ておきたい気持ちになりました。

途中にある鹿森ダムから上の四国山地は全て住友の所有だと聞きました。

 

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別子銅山は17世紀から19世紀にかけて東アジアの貨幣経済を支え、明治維新の19世紀半ばに最初の近代化を達成した日本でも代表的な鉱山です。

その後、精錬所の亜硫酸ガスによる環境問題で精錬所の移転や鉱山への植林を行ってきたが、20世紀半ばに閉山に至りました。

鉱山から市街まではドイツのクラウス社製の機関車まで走らせ、最盛期は1万人も生活する鉱山都市が形成されていたそうです。

今ではマイントピアという産業遺産を展示する施設として運営されています。

今回は東洋のマチュピチュと呼ばれる東平(とうなる)へ行ってきました。

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新居浜の街まで降りてきました。海沿いなので中心部からすぐに港が見えますが、工場と船舶がダブっているのがここの特徴です。

このあたりから住友の関連企業の工場が広がっていきます。

 

 

 

 

 

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西条港の方へ移動してくると、大きなクレーンが遠くからでも見えます。

近づいてみると、その大きさに圧倒されます。

今治造船のクレーンですが吊り上げ能力800トンで高さは50m以上あるでしょう。

屋根の下では大型船が建造中です。

 

 

 

 

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クレーンの足元を見ると、大きなモーターが車輪毎についた台車になっています。

この巨大クレーンはやはり住友重機製造でした。

 

 

 

 

 

 

 

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最終日は四国八十八箇所札所の六十番

横峰寺へいきました。我が小松町に鎮座する同寺は札所の中でも最も険しい場所にあることで有名で、近年は足腰の弱った高齢者向けに自動車で近くまで行ける別ルートもありますが、本来は小松町側から徒歩で上るものです。

 

車で最寄の湯浪(ゆうなみ)部落まで行き、そこから徒歩で3キロくらいですが、その道中が想像を絶する遍路道で楽しませてくれます。

 

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最初はなかなか快適な遊歩道ですが、段々こうなります。

 

 

 

 

 

 

 

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そして、こうなります。これも遍路道です。

美しい渓谷に沿って道が出来ていますので不安定なロックセクションが多いです。

 

 

 

 

 

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このように川を渡る丸太の橋もありますが、雨降りで増水したときは、通行不能だと思います。

歩くだけで大変な道を手作業で作られた昔の人たちの努力に驚かされます。

最初にこの地へ踏み入れた弘法大師は如何なる人物であったか・・・

実は小学生のころ一度だけここを通っていますが、50歳になった今では相当にキツイ運動でした。

 

 

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道中このような滝が現れたりして、景色は他の参拝では味わえないものがあると思います。

菅直人元総理もこのルートを上がって行ったそうです。

 

 

 

 

 

 

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ようやく到着しました。

六十番札所横峰寺

大日如来蔵王権現様、私のこれまでしてきた悪行の数々をお許しください。

これからは一生懸命、真人間になるよう努力いたします。

 

 

 

 

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また何年か経ったら参拝に訪れたいと思います。

それまで、あの遍路道を上がれる体力を維持していきたいと思います。

これで厄が落ちたことを期待して山を降りていきました。

 

 

 

 

 

 

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今治城の猫ちゃんよ、お前の名は聞いておらんが、今度会いにくるまで元気でいてくれよ。

 

 

 

猫、無言・・・・