2011年11月アーカイブ

四国地方では鉛筆やタイヤがすり減ることを「ちびる」といいます。埼玉へ配属されて「タイヤがちびる」と申しましたら先輩には通じませんでした。私の場合は正真証明のチビでしてMXライダーとしては全く不利な体型なので、周囲から「辞めた方がいいよ」とか「ロードレースにしろ」とか好き勝手なことを言われてきました。馬鹿にされたから、ハイそうですかと引き下がらないのが私の性分です。やってみなくちゃわからねえじゃねえか、今にみておれと反骨精神むきだしでMXに挑戦していきました。

スリーサイズは157センチ 52キロ 70センチ。 70は股下寸法ですね。中学生のころ160センチにならなかったら人生は終わりだということで自殺しようと考えたこともありましたが、バードハイとよばれたアメリカのバスケットボール選手の写真を見て、小さくてもかっこいいヤツがいるもんだと知りました。170センチ足らずの身長で2m超の選手を出し抜いてゴールを決めるスピードとジャンプ力。その後、雑誌ポパイに掲載されていたSXの記事でジェフワードのことを知り、完全にやる気が沸いてきました。柔道なら柔よく剛を制す、相撲なら舞の海が曙を倒す、など小さいやつが大きいのを倒すシーンが逆に魅力があるということでチビテクを追求してきました。会社の先輩が「東福寺はオートバイが傾く前に足が着くから転ばないけど、お前は足が届いたころにはオートバイが傾きすぎてコケるんだ」と言われましたので足を着かない走法に必死で取り組みました。狭山工場の部室に福本さんが来たとき直接アドバイスをもらったことがありました。「竹沢選手のように下半身をホールドして、上体でバランスを取るように乗るといい」ということで竹沢正治さんのフォームを参考にさせていただきました。

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実は30才になったらMXは辞めようと思っていました。実際に今の仕事を始める前は3年くらい完全に足を洗っていました。

最後に全日本に出たのが92年の九州大会でしたが、当時29才になっていて出場ライダーの上から2番目の年齢で、10代の若いライダーに負けることがみっともないと思うようになっていました。国際B級も5年目で、全く進歩がみられず、自分の能力の限界も見えてきた状態ですから30前に辞めると決めたのです。

ただ一つ希望がありまして、21世紀のオートバイはどのように進化しているだろうということで、21世紀のマシンには乗ってみたいと思っていました。そこで2000年モデルのCR125を新車で購入してまたやり始めたという経緯です。ライセンスも失効していてNBからやり直しですが、関東戦で優勝も果たしてNA昇格しましたが怪我して仕事に差し支えるようになったので、125は辞めて80で遊ぶ程度に変更しました。クラブマンMXがメインですが10年もミニバイクに乗っている間に125は4スト250に変更され21世紀のオートバイもちょっと違ってきました。再び21世紀マシンに乗ると決めましたが、2000年モデルより車体のサイズが拡大されていて、チビライダーには益々不利な状態です。シート高がスポンジを削ってあるにも関らず94センチもあり私の股下寸法では20センチ以上足りません。ただし現役時代もノーマルで乗ったことはありません。サスペンションやシート、ステップを自分専用に改造して対応していました。今回も自分専用の改造を施していきたいと思います。あのリッキーカーマイケルも他のマシンよりハンドル一本分低いマシンを作って走っていたのが印象的でした。来年にかけ仕事の合間にコツコツと作っていきたいと思います。

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車高を下げるために、フロントフォークは全長を30mm短くしました。

方法は、ダンパーロッドのストッパーに30mmのカラーを追加します。このままでは、スプリングにプリロードが掛かってしまいますので、スプリングのストッパー位置も30mm上方へ移動します。

そのとき、フォーク内のオイルチャンバーの容積も減少しますのでオイル量も調整します。フォークアウターはインナーチューブ内径φ44からインナーロッド径φ12.4を差し引いた面積に30mmを掛けるとオイル量21ccが算出されますので、標準オイル量368ccから21cc差し引いた量を入れます。フォークインナーのオイル量はカラーの容積5.8ccになりましたので標準オイル量187ccから差し引いて入れます。こうすることで、全長を詰めたフロントフォークでも標準の減衰性能を発揮できるはずです。

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リヤショックはピストン下部のストッパーに15mmのカラーを追加しました。

このショック長でリンクを介したリヤの車高変動は、リヤアクスルアジャスターボルトのロックナット付近で計測して33mm下がりました。

リンクプレートを伸ばして、車高を下げる方法は間違いでしょう。後ろ下がりになるだけでなくリンクの作用角が変わりますので、正しい減衰特性が得られなくなるはずです。

通常、空車時(サス全伸び)と乗車時のリヤアクスル移動量をレースサグといいますが

レースサグを100mmとるのが推奨されています。即ち乗車しただけで100mm車高が下がるわけですから、予め30mm下げておいてもサスペンションの性能は殆ど変わらないでしょう。そして、20センチ股下寸法が足らないところを17センチにできれば、足付き性は大きく改善されることになります。

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ステップはノーマルの上に15mm幅のプレートを追加します。

4スト車はステップからシートまでの高さがあり、スタンディングで体重移動するとき、内股がシートに当たって動きが制約されます。ステップを上げることによって股下のクリアランスが増えて体重移動する範囲が広がります。

 

 

 

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シートのスポンジもノーマルの厚みは必要ありません。厚さも減らしますが、特に角に丸みを持たせるように削ります。腰をずらして片足を着くときにシートの角が邪魔になるためです。

こうやって車高の高いマシンも体格のハンディの少ないチビ太仕様に仕上がりました。

これが私が乗車前に行う儀式です。

 

再生中だったCRM250の2WDですが、欠品していたフロントフォークのスプリングが組み込めましたので、走行可能な状態になりました。

世の中の多くの理論は聞いた話や本で読んだりした知識に基づいています。実際に体験したことと見たり、聞いただけの知識では、理解の度合いに大きな隔たりがあるものです。やってみなければ、答えがわからないから無駄なことに、お金をいただくわけでもなく大きな労力を費やしてきたのです。そして4輪メーカーがあれだけ多くの4WD車を普及させてきたのに、2輪の2WDが普及しない理由を身をもって体験したのでした。

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この車両がトレール車のスタイルをしているため、試乗にはMXコースが適しているだろうと思いオフビレで走ってみました。

平な路面は、当たり前ですが普通に走ります。前後輪が互いに駆動力を持って転がっていくので両輪が別々の方向へ向かおうとします。そのことが独特の直進性とハンドルの重さを発揮するようです。この時点では普通の1WDの方が乗りやすいでしょう。

このクルマの構造上、MXコースを走るには問題がある点が大きく二つあるように思われます。

一つはこの三つ又の幅、ハンドルを切ってもフロントのチェーンが当たらないギリギリの幅ですが、ノーマルのそれとは大きくことなります。同時に幅広のフロントタイヤ、フロントアクスル。これらがハンドルを切ったときの慣性モーメントを増大させ悪影響を発生します。特に高速でギャップを通過するときに路面からのキックバックを激しく受けてハンドルを揺さぶります。抑えるのに相当な力を要しますので、危険でしょう。

二つ目はフロントの重量、駆動系とフロントホイールなど、おそらく10kg近く増量に加え、フロントフォークが89年式のノーマルなので、明らかにサスペンション性能不足です。中型のオンロードバイクでジャンプを飛ぶくらいのイメージです。あっさり底突きしてしまいますので、深いフープスや連続ジャンプの走破は無理でした。そもそもMXではフロントを上げてギャップを通過するテクニックが必要ですが、このクルマでは苦手です。こういう結果でオフロードをハイスピードで走ることには適さないという結論に至りました。この2WDの真価を発揮するには、グリップの悪い登坂路面か、タイヤが潜ってしまう泥か積雪の路面のような場所が適しているでしょう。また機会があれば、雪が積もった日にこのクルマを持ち出して試乗してみたいと思います。1WDでは走行不能なコンディションであれば2WDのすばらしさを堪能できると思います。

以上が2WDが市販されない理由だと思いますが、この問題点をクリアさせる技術開発をおこなったとしても販売台数的に利益が見込めないと2輪メーカーが判断したと想像します。いずれにしても、貴重な実験車両を保存して、いつでも走れる状態にしておきたいと思います。

 

今年第10戦、最終戦になりますが地元のレースなので、土日決勝レース観戦しました。これで3連続土曜日超マディーコンディションのレースとなったわけですが、レース関係者やメディアの人はMXは楽しいスポーツなので・・・観戦に行きましょう!と書かれることがあります。しかし、レースを走る人はそうは思ってないでしょう。特にマディーのレースは全身泥だらけのライダーとマシンを見ていて、よほど注意していないと順位すら判別できなくなりますので、計測器頼りの結果だけが残ります。参加ライダーにとってはこの結果こそが目的で走っているはずです。泥だらけになって、路面も滑って、相手の転倒にも巻き込まれるし、タイヤ幅しかない滑るレールをひたすら走る神経戦を好む人は少ないでしょう。チャンピオンも既に決まっていますが、1ポイントでも多く加算してランキングを上げること、ポイントは取れなくても納得のできる結果を残したい、これに尽きると思うのです。快適とか楽しみといった娯楽からは程遠い過酷なスポーツです。経験した人にしか分らない気持ちかもしれません。

そのあたりを自分が走る立場ならどうするだろうという思いを馳せながら観戦するといいでしょう。

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決勝は土曜のIB2から、強い雨の中でしたが地元の島崎選手が我社の新型マフラー付けて走るそうなので注目しました。

IB2のスタートは混乱を避け後方20番当たりから走りはじめ一桁まで上がってきた終盤にS時コーナーのレール立ち上がりでフロントが滑って痛恨の転倒、半ば諦め気味に起き上がって再スタート、14位でした。

写真はIBオープンですが、トップの村上選手とはこの距離の2位走行で本領発揮かと思いました。しかし、レースはドラマチックです。実はスタート3番で始まって2周目で2位の近藤選手が轍に引っかかりストップして一つポジションが上がりましたが追い上げてきたヤマハの若手と近藤選手に抜かれましたが、4位で安定して周回しておりましたが、近藤選手が今度は連続ジャンプの轍をはずれてコースアウトしました。これで再び2位争いになるかと思ったのですが、近藤選手の再スタートがギリギリ間に合い順位変わらず。しかし、ラスト1周で勝負に出た島崎選手は、テーブルに乗っかるジャンプのところで3位のヤマハをパスしようと飛びました。しかし、路面が悪かったためかフロントから路面に刺さるかたちで前転してしまいました。結果論で言えば、そのまま走り続ければ4位は確実だったはずですが、ここで抜くことを決めていたでしょう。些細なミスですが結果は大きく変わってしまいます。再スタートして22位でしたが、彼はまだ18才です。これから時間は充分あります悔やむ必要はありません。

今回のレースを観ていて路面の悪さのため、コースアウトする選手が多く見られましたが、最近はコースアウトによる失格は取らないようになったのだな、と思いました。競技規則には「コースアウトした場合は元の位置へ戻ってコースインする」と書かれていて、違反した場合は失格となっています。

私自身、雨のレースで滑ってジャンプから落ちて、ジャンプの前から復帰して8位でフィニッシュしたジュニア250のレースで失格になりましたし、91年富士SWの全日本MXで無限カシオ契約だった川島雄一郎選手が、キャンバー部分でタイヤが数メートルだけコース外にはみ出して走行したためA級250で2位の結果を失格にされたこともありました。コースアウトしてその前から復帰する行為が重罪に問われた時代は昔のことでしょうか。元トーハツテストライダーの長沼さんがMFJ役員だったころはビシビシ失格にしていましたが、今は競技規則の効力は失われつつあります。(後で確認しましたら

ショートカットにならなければ前から復帰してもOKに変更されたそうです。)

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IA2決勝はこの人注目です。やはり地元の小方誠選手、ベストリザルトはIA1で3位という実績がありますが、本人も言うように05年に2ストCR125で優勝したのが最高だった同選手。ヒート1ではスタートで遅れ後方からの追い上げは誰よりもアグレッシブでした、トップ走行の星野選手より速いラップタイムで、中々抜かせて貰えないライバルたちを退けましたが4位まで上がったところで時間切れでした。彼は終盤になっても全く勢いが衰えないのです。

そしてヒート2はスタートも出て、トップ走行。既にチャンピオンを決めている三原選手が追いかけますが、差をひろげて見事優勝しました。彼はまだ25才ですが規則で来年はIA1を走ることになります。今回の結果で来年のワークス契約は獲得できるものと期待します。

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こんなドラマもありました。

1A2ヒート1でスタート転倒して最後尾に落ちてしまったルーキー飯田義明選手。IB島崎選手とは後輩にあたります。しかし、ヒート2はホールショットを決めてトップ走行。まぐれじゃないことを証明するように2周守ったところで転倒、12位フィニッシュでした。良かったときのイメージを忘れないでもっと頑張ってもらいたいです。このレース、ヒート1で優勝だった星野選手が1コーナー立ち上がりのフープスで転倒、飯田選手と逆の立場になっていたのでした。オフビレの滑りは独特の走り辛さがあります。

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1A1のレースは上位陣がいつものメンバーという感じで、チャンピオンも決定しているし、ヒート1の成田選手が転倒して追い上げていく場面意外は大きな変化はありません。路面は滑るし、レールばかりで無理な追い抜きもできません。「コラーどけよー!」という声がよく聞こえるレースでした。

写真はヒート2のトップ成田選手を追う小島選手。小島選手は3コーナー立ち上がりの誰も飛んでない連続ジャンプを飛び越し、成田選手に迫りましたが一歩及ばず2位でした。ヒート1の熱田選手優勝など、スズキワークスの力が見せつけられたレースでした。

来年は1A2の上位と25才以上が上がってくるはずなので1A1はまた違った内容のレース展開が予想されます。

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日曜はレース中は好天に恵まれましたが、1Aレース終了後、突然土砂降りになってしまいました。

実は観客はこれからが大変です。手前の砂利が入った駐車場は割りとスリップしないのですが、問題は奥の粘土質の方です。ヌルヌルの路面でタイヤが滑りだすとクルマは動けません。土曜日にスタックするクルマが多かったので、日曜は最初から諦めてスクーターで入場しました。帰りも早いですし

しかも、出口の信号機の交差点は一箇所だけなのに、選手と観客はひたすら信号待ちを余儀なくされるでしょう。最後のクルマが帰ったのはいったい何時ころでしょう?恐ろしいことです。観にいくだけでも大変な苦労ですね。よほどMX好きな人か、状況を知らないで来る人が多いということだと思います。

 

 

 

 

 

今年で2回目になる同大会は私の実家近く、愛媛県西条市の石鎚神社参道で行われるということで帰省して家から自転車で行ってまいりました。軽く観戦レポートいたします。

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決勝ヒート終了後の表彰式は、ゴール地点でもある、石鎚神社の入り口門の前です。

迫力ある走りに興奮冷めやらぬ2千人の観客が集まってきました。

驚くことに観戦料は無料!食べ物やグッズの出店も多数で、ゴール地点では大画面モニターや、レースの実況をMCによって放送されていて分りやすく快適に観戦できました。

興行ではなく、賞金や開催費用をレッド・ブル・ジャパンから負担して業界のPR活動を行う姿勢に強く感銘をうけました。

エアレースやF1、MOTOGPなどトップクラスのレースをサポートしている同企業だからこそ成しえた大会であると確信しました。自然と触れ合いながら、修験の場所でもある石鎚神社で危険と隣合わせのダウンヒルレースを行うなど、常識はずれのように思われますが、宮司や西条市長など受け入れ側からの意見を聞いて納得しました。今の日本は災害や不景気で国難とも言える状況の中、このようなアスリートたちの戦いを実現させ、選手や観客たちに生き抜いていく意欲を与えようという大会の趣旨です。

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パドックを歩きますと、関東から遠征のライダーが何人か見られました。

2011JCF DHナショナルランキング3位の井出川直樹選手と藤田メカニック。

井出川選手は2004年にホンダの自転車をJシリーズ優勝に導いた男です。

隣には内嶋亮選手や永田隼也選手などトップアスリートぞろいです。

 

 

 

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レッドブル契約ライダー、フィリップ・ポルク選手。スロバキアDHチャンピオン

これは試走に向かうところですが、このようにスタート地点まで500mほどの坂道を押して上がって行きます。

試走回数を重ねる毎に体力を消耗するので、早くベストラインを見極める能力も要求されるでしょう。

 

 

 

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スタート台は神社本殿の前からスタートし、いきなり石段の急勾配を落ちていきます。

試走とタイム計測は一台づつスタートで、エントリー台数95台中、タイム順で上位32名が決勝レースに進みます。

決勝第1レースは4クロス形式で、4台スタートのレースを8組行い、1位の選手8名を選びます。

次に2組の4クロスレースで1位の2名がファイナルに進み、2位の2名が3位決定戦のセミファイナルを争うという展開です。

 

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自転車トライアル世界チャンピオンからDH界へ転向してきた、世界の末政こと末政美緒選手はJCFナショナルランキング女子エリートで1位。

タイム計測で見事、決勝レースに進出し、ベスト8に入りましたが、決勝第2レースで惜しくも敗退。

男子エリートのライダーたちと比べても遜色の無い走りは立派でした。

 

 

 

 

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決勝第2レースで最初に決勝進出を決めたフィリップ・ポルク選手。

このセクションはスタート後、長い石段を下って最初のカーブですが、石の路面でグリップが悪く、スピードに乗ったコーナリングが難しく、最も転倒の多かった場所。

滑る石の路面を避けるようにイン側のダートに入ってコーナリングしていきますが、ブレーキでスリップしたりラインが交差した選手が曲がりきれず。アウト側のクラッシュパッドに衝突していました。

 

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決勝第2レースヒート2は井出川直樹選手がアウト側からスピードを乗せて最初のコーナーを奪い、そのままトップを譲ることなく決勝進出を決めました。

両者のライン取りが全く違うところがよくわかる場面でした。

決勝第2レースヒート1の2位は去年の優勝者青木卓也TEAM GIANTが入り、ヒート2は安達靖TEAM Ikuzawaが入りセミファイナルで3位決定を争います。

さあ、これで役者は揃いました。

 

CIMG0648.JPG3位決定のレース、この人たちは階段を下るなんてことはしません。

スピードを保ったまま一気に飛び越していきます。

青木選手は階段の下まで飛び降りて、安達選手を突き放して勝ちました。

前回優勝とナショナルランキング1位の意地を見せたような走りでした。

このジャンプ、エンジン無しとは思えない飛距離と高さです。

 

CIMG0646.JPG決勝レースでのフィリップ選手と井出川選手の一揆打ち。安定したフォームでハイスピードのフィリップ選手の走りは世界のトップクラスのレベルを明確に示してくれました。

井出川選手も秘策を考えていたと思いますが、僅かな差で、去年の大会と同じ2位入賞は実力のあることを証明したと思います。

 

 

 

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コース最後の漕ぎ区間に入る前に特設のドロップオフが設けられていて選手は加速をしながらこのような落差をジャンプしていきますが、着地は石なので、自転車の強度も重要で、漕いで早く、ジャンプの衝撃も受け止める自転車のセッティングも、このレースに必要な課題でした。

 

 

 

 

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全部のレースを見終えて、大会の趣旨のとおり、選手のやる気が伝わってきて、自分も頑張って生きていかなければならない思いが沸いてくるような大会でした。

ドリンクもキャンペーンギャルが会場の全ての人に配って、おもてなししていただきました。これからもレッドブルの主催するスポーツイベントに注目していきたいと思います。

レッドブル公式結果とレポートはこちらを参照ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

およそ45年くらい前に製造された車両でしょうか。これは、CSというロードスポーツタイプですが、これと同形式のエンジンを搭載したCLというスクランブラータイプが私の実家にありました。

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CL90はオヤジがスクランブルやるために買ったものではなく、会社に通勤するための実用車だったのです。母親は私が8才のときに亡くなっていましたが、記憶に残っていることがあります。

当時、父親は自動車は所有していなかったので、夫婦で買い物に出掛けるときは、オートバイで2人乗りのスタイルでした。まだヘルメット着用は義務でなかったですが、父親はシールド付きハーフキャップ被って、ジャンバーにスラックス、革靴という真面目な服装で乗っていて、母親は頭にスカーフを巻いて、ロングコートの下はスカートでタンデムシートに跨り、ヒールの踵をステップに引っ掛けて乗っかっていました。要するにお洒落着のままオートバイに乗って出かけていたのですね。そんな母親を見て「お母さんは風呂敷被っとった」と父親は言っていました。 40年以上前の話です。

その後、通勤車は自動車に代わったのでCL90は置きっ放しになっていました。私が中学2年になったころ単車に乗りたくて、乗りたくて我慢できずに、親が寝静まったころ、こっそりCL90を持ち出して乗り回すようになりました。クラッチもギヤチェンジも知りません。乗り方教える先生もいません。中学生がたった一人で真夜中の山道で、ライトを頼りに練習していました。真冬で寒かったので、ジャンバーの下に新聞紙を入れて真っ暗な道路を疾走しては、親に気づかれないように返しておく日々が続きました。悪いことは続かないもので、運転に慣れたころに国道を走って遠出したところで警察に捕まって、バレてしまいました。13才のころですから少年法で刑罰はありませんでしたが、夜の監視が厳しくなってしまいました。モトクロス場では13才どころか10才以下でも堂々と単車に乗れるのに、私らが子供のころの環境では非行の元としか見られていませんでした。早く就職して自由に単車に乗ってやると、強く思ったものでした。

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このオートバイを見てそんな昔のことを懐かしく思うのですが、今こうやって現役で走っていることが羨ましく感じます。あの思い出のCL90は、私の非行が元で、処分されてしまいましたから。

頼まれたのはメガホンのマフラーですが、レーシング仕様なので消音器は入っていません。浅間火山レースを彷彿される直管です。長さとテーパーの角度はノーマルのマフラーの中身を参考に最適寸法を推測して製作しました。成績を全く気にしない楽しみのためのレース仕様です。

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レッドブルジャパン(株)のダウンヒルレースが11月12日(土)に開催されます。

大会の概要はこちらを参照ください。

今年で第2回目開催の同大会は、私の実家から近い愛媛県西条市の石鎚神社の参道を貸し切って行われます。

私も年に一回の里帰り、実家から近いので自転車漕いで観戦に参りたいと思います。

先着100名のダウンヒルレーサー達が予選を戦い、勝ち残った2名のライダーが2クロス形式で決勝を争うというハイレベルなレースが期待されます。レッドブルの公式ホームページによりますと、レッドブルサポートのインターナショナルアスリートとしてフィリップ・ポルク選手も参戦するそうです。

フィリップ選手は2008年スロバキアDHチャンピオンとスノースクート世界スピード記録(134.51km)保持者という強豪で、JCF全日本クラスのライダーがどのように闘うかを見届けてきたいと思います。

実は会場の石鎚神社は高専の空手部の頃、夏休みに合宿で稽古した場所なので、懐かしい思い出の場所なのです。おそらくここでダウンヒルレースを開催するなど、一生に一回のことだと思いますので、今から興奮して待ち遠しいです。

 

カワサキのクワドレーサー、国内に何台輸入されたでしょう。ATVのレーサーを直に見るのも20年ぶりくらいです。87年までは前の会社で4輪バギー作っていましたから、最新モデルの進化の度合いが著しく驚きました。 私が担当していたころは3輪バギーでしたからね。HA2というKA4(CR250)と共通のエンジンを搭載したATC250が最速モデルでした。MXの小田桐昭蔵さんがATV協会の全日本を走って、優勝したりしていたので、ミスターMXの光安選手から「バギーの小田桐さん」なんて呼ばれていました。ニュージーランドからポール・ドネリーという速いライダーも来日して走っていましたが、職場の先輩のアパートで居候していたのを覚えています。間もなく3輪は4輪に変更されましたが、スズキからクワドが発売されてATVの競争が激化していきました。カワサキがいつから参入したかは定かではありませんが、4輪バギーは北米を中心として農耕や牧畜の分野で大きなマーケットを確立していますので、他の2輪メーカーが参入することは当然のことでしょう。

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ホンダ時代はドラムにカムを取り付けた装置で悪路走行モードを想定した耐久テストを行ったり、北米のアフターパーツでガンホルダーをステアリングに付けたものや、トレーラーヒッチをスイングアームに付けたものが出回っていたため、クレーム対策でステアリングやトレーラーヒッチの強度テストも担当していました。

今はマフラーの取り付けやエキパイの製作が担当です。

450も排気量があってパワーが足りないんですか?と聞きましたら

どうやら、リヤタイヤが空転してスタートが出れないという悩みのようです。パワーの立ち上がりが急激でトラクション性能が悪いのだろうと読みましたので、低中速トルク向けの変更を施したエキパイを製作してみました。この車体を載せられるシャシダイがありませんので、走行テストだけが確認方法になります。

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上がノーマルのエキパイですが、サイレンサーのジョイントパイプは、少ししかありませんので、管長が短か過ぎると思います。

車体のレイアウト上、仕方ないのですが、なるべく管長を稼ぐ方向でトライしました。パイプサイズもノーマルがφ40.8に対してφ42.7になっています。サイズアップは最高出力に貢献しますが、ノーマル長のままだと低中速は落ちますので伸ばしたパイプとバランスしてくれることを期待します。

 

 

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サイレンサーはKX450Fのものを改造して取り付けしました。

洗車するとき、フロントを持ち上げて立てた状態にするそうなので、社外のサイレンサーが地面に当たってしまうらしいです。

サイレンサーエンドを社外品より3cm引っ込めた位置に取り付けましたので、問題解決です。

ノーマルエキパイも取り付きますので比較テストも可能です。