2012年11月アーカイブ

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愛媛の実家に戻っています。自分の部屋の窓から見える四国連峰、この景色が見れるのも、あと20回はないだろうと思うと貴重なものになってきました。

谷間にある集落なので朝になっても、なかなか太陽が見えてきません。なので非常に時間が緩やかな感じがします。

今年はみかんと柿が出来すぎで収穫の時期なのですが82歳になった父親の手伝いをしておこうと思い帰ってきました。

 

 

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本家の畑を買い取って山の方にも畑があります。柿、柑橘類、栗など果物は収穫したら形のよいものは農協へ出荷して、残りは家族や近所に分けて食べます。

家で食べる野菜は全て自家製なので買ってくることはありません。

果物は出荷できても、値段を聞くと、とても生活していけそうにありません。肥料や消毒で経費が掛かりますし、雑草が生えないように手入れも必要なので山での農作業は重労働で、農家の人はえらいと思います。

高圧の電線が仕掛けてありますが、イノシシが畑の土を掘り起こして作物を食べてしまうので防護のためです。最近は、おサルが山から下りてきて果物を食べるそうです。田舎暮らしは野生との共存です。畑だけではありません。近所の川で漁師さんが獲ってきたカニも分けてもらって食べました。子供のころは網で獲って、おやつにしていたやつです。

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近くの郷土博物館にカブトガニが飼育されています。生きたやつを見れるのはここだけでしょう。

私らが生け簀に近づくと砂の上を這って近づいてきました。人にはなついている感じです。エサがもらえると思ったかもしれません。

甲羅の前方に二つとおでこのあたりに一つ、目があって、しっかり前を見ながら動いているのです。

 

 

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愛媛は二十歳まで住んでいましたが、あまり観光地には行ってないです。東京の人が東京タワーへ行かないのと同じです。

今は田舎が観光地なので珍しいと感じます。歴史的にも有名な道後温泉本館です。

この構えで温泉も営業しているのですから貴重ですね。絶対保存してもらいたい建造物の一つです。不思議なタイムスリップが味わえますよ。

 

 

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松山市街は路面電車も走っているのが、ここの風情です。

伊予鉄路面電車の始発は道後温泉駅です。駅前の格納庫に坊ちゃん列車の一号機が展示されているかと思ったら

なんと明治時代の制服を着た機関士や車掌が乗り込んできて、エンジン始動しました。

勿論、石炭燃料の蒸気機関です。

 

 

 

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そして、格納庫からバックで営業軌道上に移動させて、駅のホームに出発です。

展示用だと思った、坊ちゃん列車は実際に営業運転してお客さんを乗せて走っています。

こんなレトロな乗り物を保存して動かしている愛媛県人の資質に誇らしく思えた瞬間でしたね。町がどんなに近代化されようとも先人たちの知恵や技術といったものを忘れないようにしていくことが、そろばん勘定だけを追及しては衰退していく現代人には必要なのではないかと思います。

70年代のものにリスペクトが多い、といいますか、あの時代のものは人間が作った感じがするので好感が持てます。近年に作られたものは急速な電子計算機の発達に伴って、機械によって作られたものが多すぎます。おかげで自動車や家電製品の性能が飛躍的に進歩し、大勢の人が安価に購入することもできるようになりましたが、その反面製造業はどうなったでしょう。自動制御で動く機械で大量生産、高度な職人技も必要としなくなり、人間の能力は低下の一途。大量生産に必要な莫大な設備代をPayするために人間が機械に使われる時代になってしまいました。そして大量生産には大量の電力も必要なので、悪いと分っていても原発を再稼動しなければ生活レベルを維持できなくなりました。原材料や資源も海外に依存している日本などでは、大量消費も陰りが見えてきて段々将来像が見えてきました。

こんな時代ですから、我々に残された道は成長成長ではなく、過去を振り返り、よかったことを維持し継承していくことだろうと思っています。

最近、どこかの新型車のTVCMで使われていたBGMで懐かしく思い動画探していたらみつけました。

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1971年発売のアルバム「タルカス」から2005年に9歳の少女によるエレクトーン演奏会の動画です。オリジナルとは少しアレンジされていますが完全に弾きこなしていますね。これこそ鍛え抜かれた人間の技といえるでしょう。この人、いまでは大人になってさらに進化を続けているらしいです。

もうひとつ衝撃的だったので載せておきます。曲名ホーダウン、場所は表参道のカワイ楽器前です。

'>圧倒的な演奏テクニックなのに通行人は素通りという愚かしさです。ドリマトーンはカワイの商標でヤマハ製はエレクトーンといいます。同じような方式の製品を売り出すのに後発のメーカーは商標を違えるみたいです。自動車でいえば電子式燃料噴射装置のことをトヨタがEFI、ニッサンがEGI、ホンダはPGM FIと呼ぶのと同じことです。

しかし、道具を手にいれれば同じ演奏ができるかといえば大違いでここまで出来るようになる前に大半の人が練習の厳しさで挫折していくものです。そして、すごく上手になったと思ったとき職業として選ぶことでしょう。

この人たちの親が聴いていた、もしくはコピーしようとして練習したと思われる70年代の楽曲を次の世代に確実に伝えた結果を現わしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日ディスカバリーchを観ていたら、長年忘れていた疑問が解けたような気にがしました。小学生のころ宮本武蔵が好きだった関係で中学生になると剣道部に入り、次第に最高の武具として有名な日本刀に興味を持つようになっていました。そして現代でも日本刀を作る仕事があると思い、普通に会社就職はせず、刀鍛冶になりたいと思ったのでした。そのために金属の勉強はしておく必要があると考え、高専に進学していたのでしたが、周囲に刀鍛冶に関する助言を出来る人がおらず、何時しか刀匠への夢は消えておりました。

ところが30年前に知りたかったことが明らかになったのでした。日本刀の原料になる玉鋼は島根県の炭焼き精錬所でのみ作られている。鉄の強度を阻害する硫黄やリンといった不純物の少ない良質の砂鉄が採れる場所であること。土釜の高炉にコークスを入れて燃やし、50トンもの砂鉄を溶かすが、温度管理は炭の焼け色を見るだけなので、社長と数人の弟子たちが3日3晩不眠不休で火の番をする。純鉄にコークスから出た炭素を少量含有することで硬い鉄が出来る。こうして取り出され、さらに厳選された玉鋼を刀匠に託す。

現存する刀匠の流派は二つのみ、その1人は京都におられるが、日本刀作りにもう一つ重要な役割、砥ぎ師があるが、こちらは以外にも東京に1人のみ。精錬と刀鍛冶と砥ぎ師という三つの専門職があってようやく日本刀は完成する。

刀を鍛錬する工程は叩き延した鉄を折り曲げては叩き延す作業を何百回と繰り返すことによって炭素を繊維状に微細に分布させる目的がある。そして鍛錬が終わってから鋼に純鉄を挟んで日本刀を成型していくが、この時点で長さやデザインは刀匠の頭の中に出来上がっているという。純鉄と鋼をサンドイッチさせる理由は、全て硬い鋼で作ったとすると衝撃が掛かったときに刀が折れてしまうためで、柔らかい鉄との二重構造により折れない刀になるというBi METALなのである。

砥ぎ工程により美しい刃紋があらわれるのが日本刀の特徴であるが、砥石研磨したとき、柔らかい鉄の部分が鏡面に仕上がり、硬い部分が白濁した色に仕上がるわけだ。金属顕微鏡でそれぞれの組織を顕鏡するとフェライト組織とマルテンサイト組織であることが確認され冶金学的に証明されている。

刀匠により鍛造成型された刀の最後の工程は焼入れである。焼きいれ温度は焼色の目視確認のみ、「エイ」という掛け声と共に一気に水焼入れをする工程は、炭素鋼をマルテンサイト変態温度に加熱保持したあと急冷する熱処理を行っていることになる。経験と勘を頼りに伝承されてきた製造技術は大量生産では置き換えられない尊いものだ。第二次大戦中、軍人に持たせるため大量生産された軍刀は粗悪品で、国宝級の日本刀とは比べ物にならなかったという。

全て映像で解説されていて昔抱いていた好奇心を呼び覚ましてくれました。いい時代になったものです。

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やはり単車のエンジンは空冷が美しいですね。

水冷になったRZでさえ保存するのに大変な労力をかけているというのに、RD250ですからね。

このころ2ストクウォーターが流行ったんですね。

スズキRG250、カワサキKH250、ホンダはCB250Tがありましたが、クウォーター路線には乗っかっていなかったですね。

空冷2ストツイン、保存する価値ありますね。

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これがオーナーさんから渡された見本のチャンバー。

凹みや傷は少ないですが、亀裂や排気漏れが多かったようで、複数のロウ付けが見られます。

個人的には、亀裂のロウ付け補修はされない方がいいと思います。理由はロウ付け箇所は溶接不可能になります。

過去にロウ付けで修復不能になったフレームを持ってこられて、真鍮ロウを除去するのに苦労した思いがありました。

空冷ですが諸元はRZと同じでよいとのことでRZの過去データを調べましたが、見本とは少し違っていました。以前はRZ用のチャンバーなら大量に出回っておりましたが、全部諸元は違っていて、どれが良いかはすべて取り寄せて、ダイナモ計測と実走テストをしないと答えはでないでしょう。

そこで妥協できるところを探ってみます。

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結局、新しく展開図を作って製作することにしました。一部は過去データに基づくものと見本品を掛け合わせた感じです。

 

 

 

 

 

 

 

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フレームのレイアウトが違っているためか、以前作ったRZ用エキパイのカーブではパイプの最適な位置は満足できないことがわかり、エキパイも新型で作り直しです。

余計に時間が掛かっておりますが、掛かった時間分代金請求することはありません。

時間が掛かるのは能力の問題なので、能力が低い部分を販売価格に転嫁するわけにはいかないのです。

幸いサイレンサーは支給されていますのであと一日くらいで完成です。

 

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ロードバイクのカスタムは楽しいですね。

ブレンボやオーリンズの装着に加えワンオフパーツを駆使してオリジナルマシンに仕上がっています。

チャンバー装着は簡単なようですが、サイドスタンドやセンタースタンドブラケットが丁度よく邪魔な位置にあるためフィッティングに丸一日悩んでようやく完成しました。

 

 

 

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美しい造形の冷却フィン。余計なものがついていないシンプルな乗り物です。

高度成長期の2輪メーカーが生んだ、実用と芸術の分野を兼ね備えた乗り物ですが、この年代のオートバイが道路に溢れていたあの時代を思いだします。

 

マスプロは自動車部品の場合、高額な金型代をPayするために1万個以上製造する前提で行います。しかし、ここにあるものは少量生産にも関らず金型を起こして作っています。

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ビンテージMXのHollyさんから支給していただいたサイレンサースキン。

アルミのプレス成型品ですが、これを作るためには、上型とシワ押さえ付きの下型と100tくらいのパワーが出せるプレス機械がなければ、この形状は絞れないでしょう。さらに外周のバリを一発で抜くヌキ型を用いないと合わせ面が歪んでしまいます。

世界中の顧客の要求に応えるためとは言え、少量の生産にこれだけの投資に踏み切る背景にはビンテージMXに掛ける並みならぬ情熱を感じます。

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これは支給されたサイレンサースキンを使ってサイレンサーを組み立てる工程です。

テールパイプのサイズがφ22.2に会わせて成型されていますので、ステンレスのパンチングメタルを巻いてインナーパイプをつくります。

位置決めのリングとテールパイプを差し込むカラーも取り付けておきます。

 

 

 

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グラスウールを両方のスキン内側とインナーパイプに取り付けて接合する準備をします。

グラスウールは圧縮してサイレンサースキンを万力で挟みます。

スキンのバリの部分を数箇所づつ、TIG溶接で仮止めしてから本溶接にかかります。

 

 

 

 

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溶接はなるべく止めないで一気におこないます。

アルミが暖まった状態の方が溶融速度が上がるので、冷えないうちに付けてしまうのが効率がよいのです。

テールパイプへの固定はテンションスプリングを用いますので、スプリングフックも取り付けしています。

 

 

 

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装着確認です。

部品メーカーでマスプロされたような外観ですね。

これで、この商品が完売されることを期待いたします。

80年代は11月になるとジャパンスーパークロスのシーズンなので外国選手の走りを野球場で観れるということで、大変盛り上がったものです。新春オールスターMXもあったりでシーズンオフは非常に短かった覚えがありますが、近年は春まで公式戦がないのですから当時と比べると下火になったものです。

そういうわけで外国選手の中でもジェフ・ワードという選手が最も特別な存在でした。ワードの名前を初めて知ったのが70年代で雑誌ポパイに掲載されたスーパークロスの記事で小さい体を目いっぱい使ったライディングのことが書かれていて、なるほど、小さくても速い選手がいるものだと興味を持ちました。

最初に本物のワードを見たのは83年、木更津のイーストバレーというコースに招待選手として来ていたとき。同時にビリー・ライルズも来ていました。

前年には鈴鹿サーキットの日本GPにマーク・バーネットと共に訪れて圧倒的な走りを披露しましたが、その時は見れませんでした。

小兵の自分としては大きくて速い選手にはあまり魅力を感じていなかったというか、乗り方が参考にならなかったのです。小さくても速いワードの走りこそが手本だと思っていました。

91年のUSGPですが、この年は5回目のワールドチャンピオンを狙うジョージ・ジョベが走っています。

ファーストモトは序盤にジョベがトップ、2番手ジャン・ミシェル・バイルで始まりワードは5番手から追い上げ、19:57あたりでトップに上がりウイナーとなります。セカンドモトはバイルがウイナー、ワードが2位というAMAライダーがGPライダーを抑えました。

KX500に対して明らかに小さい体格のワードが誰よりもマシンをねじ伏せて切り返していく走りを目に焼き付けておきたいと思います。