2012年9月アーカイブ

グッドオールデイズの日にお預かりしたマシン1台。1959年型CB92です。

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発売と同年の浅間火山レースのライトウエイトクラスで18歳の少年、北野元選手がワークスレーサーたちを抑えて優勝したことにより人気を博したモデル。

64年まで15000台ほど生産されたそうで、今でも世界中にこの希少なマシンを保存しようとする人たちが大勢おられます。

オーナーの沖さんもそんなエンスージアストの1人です。

 

 

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お預かりした目的は、この車両に装着されたレース用マフラーのレストアのためです。

なかなか北海道から持ってこられるのは大変で、もてぎのイベント会場で待ち合わせて実現しましたので、納期も来年年明けくらいで良いそうです。

実は、北野選手が浅間で乗ったマシンを沖さんがレストア中で損傷の激しいマフラーの部分を私に託していただきました。

車体はこれと同型式なので治具代わりというわけですが、綺麗な車体で取り扱いは厳重注意ということになります。

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マン島TTレースを走った谷口尚巳さんのサインがサイドカバーに書かれています。

やはり自分の青春時代のオートバイは忘れられない思い出があるのでしょう。

世の中がどのように変化しようとも、その時代を生きた証としてオートバイがなくてはならない存在なのだと感じます。

 

 

 

 

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通称ドクロタンクとよばれるニーグリップが絞られたデザインのタンクはアルミ製。

大径ドラムブレーキのホイールハブはマグネシウム製。

実用車のようなボトムリンク式サスペンションやニーグリップのラバーなど当時の雰囲気満点のスタイルですが、ホンダとして最初のスポーツモデルなのであります。

 

 

 

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割りと単純な形状と思われがちなメガホンマフラーですが、実は非常に難しいのです。

なにしろ全長70mmものテーパーですから手で巻くのは殆ど不可能でしょう。

エキパイも排気ポートが外向きなのにエンジン下部で車体と平行になる3次元曲げが必要となりますので、高度な手曲げテクニックがないと難しいでしょう。

ちょっと先の作業になりますが今から思案中というところです。

後日マフラー製作レポートすることにします。

 

CR誕生50周年ということで世界初のCRミーティングがツインリンクもてぎで開催されました。

CRとはカブレーシングの略称で、クラブマンレース出場に合わせて製造された市販ロードモデルの車名に使われました。今年はツインリンクもてぎ開業15周年ですが、インディー撤退ということで早くもオーバルコースは使用休止になってしまいましたが、スズカサーキットと並び、国際レーシングコースとしての設備の豪華さには圧倒されます。企業の収益で一般参加できる施設にこれだけ還元したメーカーは他には無いと思います。

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CR110レーサー。

50ccクラスの市販レーサーです。

私も本物はもてぎでしか見たことがありません。

 

 

 

 

 

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珍しいマシンも多数展示されていました。

クライドラー50ccレーサー。オートバイ雑誌でしか見たことがなかったので驚きの光景です。

 

 

 

 

 

 

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生憎の雨がサーキットに打ちつけるコンディションでしたが、この日のためか日ごろからマシン作りに精を出されて、惜しげもなく雨のロードに走りだしていきました。

車両展示とレース形式の走行会で多くの自慢のレーサーを披露されていて、只ならぬ情熱を感じます。

 

 

 

 

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AJSですかね。

このマシンに代表されるようにエントラントも私らより年配の50代、60代の人たちが多かったように見えました。

若者抜きで遊ぶと言うか、若い者には無い老練さがここにはありました。

こんなマシンも実動なのが驚異です。

 

 

 

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このイベントの目玉はRC146とRC149のデモンストレーション走行でしたが、豪雨のため残念ながら中止となってしまいました。

そのかわりパドック内でエンジン始動して19000rpmのサウンドを聞かせていただきました。

146は125cc4気筒、149は125cc5気筒で最高出力35PSを20500rpmで発揮するそうです。

展示車はL・タベリが乗った優勝マシンです。

 

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デモ走行担当する予定だった宮城さんと菱木さん。

今回は空ぶかし担当でした。

11000rpm以下ではエンジンストールしてしまうためアクセルワークはシビアだということです。

最高回転はエンジンを守るために控えて19000rpmまで回していただきましたが

F1に似た甲高いサウンドでしびれました。貴重な体験だと思います。

 

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小樽から参加の沖さんの愛車SS50です。このマシンを故隅谷守男さんが売って欲しいと頼んだそうですが、売ってあげなかったというほど貴重な物です。

雨の中奥さんがサーキット体験走行されたはずですが無事だったでしょうか。

この日のために峠で練習されてきたそうです。

このクルマ、新車購入のまま、何も変更されてないそうで、40年以上この外観を維持し続けているという奇跡の逸品です。

グッドオールデイズの参加車両は私の年齢(49歳)をもってしても見たことがない物が多く、仕事柄、古いマシンのマフラー製作も頼まれることがありますので、実物を目に焼き付けておく絶好の機会なのであります。

 

 

 

 

 

 

今、自分がやっているスポーツのことを、すばらしいと思って知らない人に普及したいと言う場合は、現状を理解していることは勿論必要ですが、近代史のことも少しは知らなければ伝えられることが希薄になってしまう気がします。

私は別にモトクロスを普及させようとは思っていませんが、長くやっている人、早めに止めてしまう人などいろいろ見ております。長くやっている人は昔面白かったことがあり過ぎたのだろうと思います。

今は辛さと面白さを天秤にかけたときに辛さが勝ってしまうのかな、ということがエントラント、観客の減少に繋がっていると考えられます。

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身長の低いライダーの必需品、スターティングカタパルト。

起源は、スタートラインにメカニックが持ってきたプラグボックスを踏み台にしていた70年代後半だと思います。

私の場合はドリーム・トキで作ってもらったのをノービスから国際B級まで使っていました。

今は頼んで作ってもらうわけにいかず、自作しましたが、当時の雰囲気を思いだします。自分専用なので販売する予定はありません

コンテナボックスなどで代用される方が安価に済むでしょう。ところで、ドリーム・トキの池田さんは2輪メーカーを除いた町工場としては最もモトクロスシーンに影響を与えた人だと思います。

最初のヒット商品はアルミのラダーレールでした。いまでは誰もが使っていますが当時はドリーム製だけでした。次に池田さん自ら乗った3輪バギー「ダミアン号」でした。ホンダATC250Rより20キロも軽い車体で連戦連勝、ATV協会の初代全日本チャンピオンを獲得し、4輪のクワドレーサーに至るまでダミアンレーシングの後輩が取り続けました。

そして、アルミフレームのモトクロッサー。ホンダの最初のアルミフレームが1997年モデルに対して1987モデルからツインチューブフレームを全日本投入し、しかも初戦で勝ってしまったという快挙でした。その初戦とは87年の全日本桶川大会、国際A級125クラス予選でした。ライダーは小田桐昭蔵選手、宿敵の東福寺保雄選手と競り合っての予選1位通過でした。

そのまま日本で唯一アルミフレームは走り続け、後半戦には杉尾良文選手の依頼によりオーソドックスなシングルクレードルフレームを製作して、同年のチャンピオン、スティーブ・マーチンを菅生で破って、杉尾さんはマーチンに勝った二人目の日本人になりました。(1人目は雨の桶川で小田桐昭蔵選手)ドライコンディションなら初勝利ということになります。どうです、面白いドラマではありませんか。

ドリームの池田さんとは因果な関係で、池田さんはホンダの狭山品管のオートテクニックに在籍していました。その職場に私は配属されたわけですが、もとは2人とも愛媛県出身です。瀬戸内海の伯方島出身の池田さんは松山市の瀬戸レーシングからモトクロスに出ておられたそうで、古い地元のライダーの間では有名です。瀬戸レーシングといえば、オーナーは松本満男さん。ホンダが初めてモトクロスのワークスチームを立ち上げたとき、吉村太一さん、上野広一さんと一緒にワークスライダーで、確かセニアで#5をつけたと記憶しています。

私は友人に誘われて会社を退職しましたが、都合が悪くなって、ホンダ時代からお世話になっていたドリーム・トキで丁稚をやることになりました。半年くらい丁稚が続きましたが、仕事を教わっているだけでは会社員と変わらないということで、自分で苦労する道を選びました。

最近は立派にマシニング屋になられた池田さんですが、友人のクレージーケンヤ君の話によると「工藤に仕事のやり方を指導したい」とおっしゃられているそうですが、恐ろしくて行けそうもありません・・・・

バックオーダーは1ヶ月分残っていますので、社外品マフラーの修理は優先的にはできません。2ヶ月以上お待ちいただいているお客さんの注文がありますので順番に進めております。

不運にもマフラー壊してしまった場合は、新しいものに交換されることをお勧めします。

また実車は殆どありませんので取り付け確認などが必要なほど変形している場合も保証できないことをご了承いただきたいと思います。

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カーボン樹脂製のエンドキャップが割れてしまって交換が必要ですが

補修パーツもありませんので、鉄板で作って代用します。

 

 

 

 

 

 

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ビレットパーツのマウントステーですがリベットが外から外せない構造でしたので、ボディーを切って内側のフランジを削除して外しました。

マウントステーの面積が小さいので加重を受けるとボディーに食い込んでしまう難点があるようです。

 

 

 

 

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チタン材は非常に高額になりますので、アルミ板でボディーを作って代用します。

修理というより半分製作という形になります。

メーカーから補修パーツが販売されることが理想だと思います。

 

 

 

 

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マウントステーの取り付け位置は全く不明なので実車をお借りしてマーキングしてから取り付けることにしました。

今回は隣の川越市在住の国際A級ライダー松本耕太選手のガレージにお邪魔してきました。

彼はお父さんの会社で働いているのでお給料でチャド・リードと同仕様の前後サスペンションを購入してCRF450Rに奢っています。モトクロスは気が向いたときだけ乗るというお気楽モードが信条のようです。レース出てもお金になりませんからね。

20世紀は2輪専門誌が沢山生まれました。私が最初に買った2輪専門誌「月刊オートバイ」の創刊は大正時代であったということで、日本のオートバイ史も100年を数える時代であります。

2輪のカテゴリーも多様になり、オフロード専門誌なる物も発刊されるようになりましたが、その魁といえる雑誌が「サイクルサウンズ」でした。実は第一期のサイクルサウンズは休刊となり、82年ころに再発刊されていました。第二期のサイクルサウンズの創刊号から買っていました。その創刊号は82年型RM125、250の試乗インプレッションが巻頭カラー記事で掲載されており、テストライダーは石井正美選手。全日本国際B級のレースにKTMで参戦する前の時代でした。

時代は空前の2輪ブーム、オフロードネタだけで雑誌屋さんも商売が成り立ったことでしょう。ところが事情はわかりませんが、毎月楽しみに購読していたサイクルサウンズも88年をもって廃刊となってしまいました。その最終号だけを捨てないで大事に取ってありました。

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ジェフ・リースクの記事は圧巻でした。

練習コースに3本のレールが掘れるというコーナリング。

3本とは、タイヤとステップとブーツの跡のことです。

 

 

 

 

 

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そして大胆なジャンプ。

手前の斜面から白い肌の崖の上に着地するもの。

実は撮影者がエピソードを記事に書いてありました。このショットの前にジャンプに失敗して崖の途中に着地してしまったが、転倒もせずに上まで登ってしまったという話。

 

 

 

 

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これは86年の菅生での全日本国際A級125ccのレースシーンです。

腰を引いたフォームの志賀吉信選手と追走する伊田井佐夫選手。

志賀選手が転倒するシーンを連写で掲載されていました。迫力満点です。

 

 

 

 

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88年全日本桶川大会の国際B級決勝シーンです。

私は予選不通過でしたが、同期の大塚忠和選手。ゼッケン84は東福寺レーシングで伝統的に国際B級のエースが付けることになっています。

表彰台は東福寺レーシングの1位、3位独占。3位の川島雄一郎選手は大塚選手と中学から同級生でした。

埼玉県はモトクロス最強県だったのです。

2位はマウンテンライダースの岸田孝夫選手。今、どうしておられるでしょう。

 

第二期サイクルサウンズの少し前に創刊された「プレイライダー」も忘れられません。後にスーパークロスを日本に呼んだ男として有名になった森岡進編集長が発行したオフロード専門誌でした。

創刊号の記事は鮮明に覚えています。1980年500ccUSGPカールズバット大会の記事です。

強豪のGPライダーを相手に無名のヤングアメリカンが2ヒート完全優勝を果たしたシーンですが当時はカラーページの写真だけで、そのすごさは分りませんでしたが、動画を見て改めてその迫力に圧倒されました。

 

'>ヒート1からマーティー・モーテスはトップを独走したのですがギャップで振られて転倒してしまいます。代わりにハカン・カルキビストがトップにたち、ダニー・ラポルテが2位で追う形に。

ところが再スタートしたマーティーは猛追して2台とも抜いて12:00あたりでトップに帰り咲きます。

ヒート2はイン側スタートで見事なホールショットシーンが見れます。25:40あたりでブラッド・ラッキーの得意なインコースから抜かれてしまいますが直ぐさま抜き返すマーティー。あまりにもハイペースでラッキーはコーナーを曲がりきれずコースアウトするシーンが27:33あたりで見れます。堂々と実力でGPライダーを退けたマーティー・モーテスのその後は知りませんが、動画ではカールズバッドのギャップで跳ねまくるマシンを見事に操り、信じられないスピードで走る当時のトップライダーの姿が確認できました。

最近の高性能サスペンションに慣れたライダーは、あのようにマシンを操ることはできないのではないでしょうか。スポーツとしてのモトクロスは、あの時代に最高潮を向かえていたように思えます。