オーダー・フロム新居浜

愛媛県新居浜、私にとって高専時代の5年間を過ごした街。
母方の実家があったので子供のころは夏休みだけ泊まりにいった思い出の場所。
しかしその新居浜が歴史的、産業的にも類をみない稀有な場所であったことは、当時知らないで過ごしていました。

住友金属鉱山発祥の地、別名住友別子銅山は江戸時代にはじまり
当時は泉屋という屋号だったそうですが新居郡の山中に鉱脈を発見してから
銅の精錬を行い、延べ板を大阪を経由して長崎の出島に送り、ポルトガルやオランダ、イギリスと貿易を営んで富を築いたことを、住友別子記念館の展示資料で読みました。
当時世界一の銅の生産量を誇り、群馬の富岡製糸場が世界遺産に認定されましたが
それより圧倒的に古く大規模で大量生産であったにも関わらず、世界遺産に認定されないのは
精錬の過程で発生する亜硫酸ガスの影響で甚大な健康被害をだしたことによるでしょう。

別子銅山近くの山林は全てハゲ山になってしまったので
被害を影響の少ないところに持っていこうとして瀬戸内海の四阪島に精錬所を移したのが大正時代。
市内に電力が無かった時代にドイツ製の交流発電機を輸入して海底ケーブルを引いて島の電力を供給しました。変圧器は国内初ですが住友自社製で製造しました。
鉱山から鉱石の運搬も国鉄の路線が整備されてない時代に鉄道を敷いてドイツ製の機関車も運行していました。
住友金属鉱山の上層部の人が観光でイギリスに行ったときに大英博物館を視察したら
なんと江戸時代に貿易した銅の延べ板が展示されていたのに驚いて
貴重なものだから買い戻して別子記念館に展示していることを説明文で読みました。

いわゆる日本で最先端の工業都市を築いていたわけです。
その後重機や化学の工場も沿岸に建設して工業団地になっていったわけですが
太平洋戦争がはじまったら当然軍需工場に変貌していきました。

愛媛県は戦略的にも重要な場所で呉の戦艦などを建造する造船所を空襲するため米軍の爆撃機が上空を通過するので迎撃部隊が松山基地にあったのは有名ですが
迎撃部隊とは別に大戦末期には神風(しんぷう)特別攻撃隊が出撃するようになりましたが
マバラカット島の海軍航空隊から出撃した最初に特攻作戦を成功させた「敷島隊」の五軍神の一人
大黒繁男上飛曹(享年20歳)は新居浜出身で
学業優秀だったので工業高校(たぶん新居浜工業高校)で学んで、住友機械へ就職したころに召集されて海軍航空兵を志願したという話です。
敷島隊の隊長は実家に近い西条市出身の関行男大尉(享年22歳)であったことも子供のころは聞かされていなかったので、近年になって愛媛県の歴史的価値観というものが変わってきたのであります。

そんな新居浜のお客さんからご注文で作りました、ラインナップ品ですがCRM250RR(3型)のチャンバーとサイレンサーです。

CIMG7104.JPG

実は連絡確認不足で
パイプエンドに曲げパイプを取り付けて
排気ガスを斜め下方にすることを
忘れて出荷しました。

深夜業務のあと昼間の僅かな時間で
忙しかったので、特注の内容に意識を向ける余裕がありませんでした。
言い訳にすぎませんが







CIMG7106.JPG

商品を発送して見ていただいたら
「これでいい」ということになったので
安心しました。


チャンバー作りは25年くらいやってきて
述べ2000本以上は作っているはずですから、もう作らんでいいかな、と思っていますが、四国方面はあまり送った記憶がないので新居浜で一台限りのマフラーになるでしょう。

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