2018年6月アーカイブ

愛媛県新居浜、私にとって高専時代の5年間を過ごした街。
母方の実家があったので子供のころは夏休みだけ泊まりにいった思い出の場所。
しかしその新居浜が歴史的、産業的にも類をみない稀有な場所であったことは、当時知らないで過ごしていました。

住友金属鉱山発祥の地、別名住友別子銅山は江戸時代にはじまり
当時は泉屋という屋号だったそうですが新居郡の山中に鉱脈を発見してから
銅の精錬を行い、延べ板を大阪を経由して長崎の出島に送り、ポルトガルやオランダ、イギリスと貿易を営んで富を築いたことを、住友別子記念館の展示資料で読みました。
当時世界一の銅の生産量を誇り、群馬の富岡製糸場が世界遺産に認定されましたが
それより圧倒的に古く大規模で大量生産であったにも関わらず、世界遺産に認定されないのは
精錬の過程で発生する亜硫酸ガスの影響で甚大な健康被害をだしたことによるでしょう。

別子銅山近くの山林は全てハゲ山になってしまったので
被害を影響の少ないところに持っていこうとして瀬戸内海の四阪島に精錬所を移したのが大正時代。
市内に電力が無かった時代にドイツ製の交流発電機を輸入して海底ケーブルを引いて島の電力を供給しました。変圧器は国内初ですが住友自社製で製造しました。
鉱山から鉱石の運搬も国鉄の路線が整備されてない時代に鉄道を敷いてドイツ製の機関車も運行していました。
住友金属鉱山の上層部の人が観光でイギリスに行ったときに大英博物館を視察したら
なんと江戸時代に貿易した銅の延べ板が展示されていたのに驚いて
貴重なものだから買い戻して別子記念館に展示していることを説明文で読みました。

いわゆる日本で最先端の工業都市を築いていたわけです。
その後重機や化学の工場も沿岸に建設して工業団地になっていったわけですが
太平洋戦争がはじまったら当然軍需工場に変貌していきました。

愛媛県は戦略的にも重要な場所で呉の戦艦などを建造する造船所を空襲するため米軍の爆撃機が上空を通過するので迎撃部隊が松山基地にあったのは有名ですが
迎撃部隊とは別に大戦末期には神風(しんぷう)特別攻撃隊が出撃するようになりましたが
マバラカット島の海軍航空隊から出撃した最初に特攻作戦を成功させた「敷島隊」の五軍神の一人
大黒繁男上飛曹(享年20歳)は新居浜出身で
学業優秀だったので工業高校(たぶん新居浜工業高校)で学んで、住友機械へ就職したころに召集されて海軍航空兵を志願したという話です。
敷島隊の隊長は実家に近い西条市出身の関行男大尉(享年22歳)であったことも子供のころは聞かされていなかったので、近年になって愛媛県の歴史的価値観というものが変わってきたのであります。

そんな新居浜のお客さんからご注文で作りました、ラインナップ品ですがCRM250RR(3型)のチャンバーとサイレンサーです。

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実は連絡確認不足で
パイプエンドに曲げパイプを取り付けて
排気ガスを斜め下方にすることを
忘れて出荷しました。

深夜業務のあと昼間の僅かな時間で
忙しかったので、特注の内容に意識を向ける余裕がありませんでした。
言い訳にすぎませんが







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商品を発送して見ていただいたら
「これでいい」ということになったので
安心しました。


チャンバー作りは25年くらいやってきて
述べ2000本以上は作っているはずですから、もう作らんでいいかな、と思っていますが、四国方面はあまり送った記憶がないので新居浜で一台限りのマフラーになるでしょう。

梅雨入りしました日曜日はモトクロス。
一日中小雨が降っていましたが、土砂降りではなかったのは幸いでした。

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パドックは地面に仮舗装用の砂利と草が生えた良好な場所が空いていて
洗車場も池に水がたっぷり溜まっていて
厚板鋼板まで敷いてあって
泥のレースのときには快適な設備だったと思います。

昨日は夜勤空けだったので午後から仕事して夜7時ころからマシン整備
といっても前後ソフトタイヤ付のホイールに組み換えて装備の積み込みだけです。





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ヒート1グリッドにつきます。

グリッドの選択は真剣になります。
どこでもいいわけじゃないです。
轍の掘れ具合や
バーを通過した後の路面状況など
インやアウトからスタートするときは
1コーナー侵入の作戦も決めておきます。

相手がいるので思いどおりにはいかないですが、ルーティンは決めておいた方が集中できると思います。



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悪天候なので走行画像はなしです。

SEヒート1、15台中9位。
一桁目標なんでギリギリ達成です。

固い路面なのでスタックポイントはないですがニュルヌル滑る関東ローム層ですから
8割くらいのペースでノーミスを目指すのですが
段々泥が付着してマシンが重くなってきて
後半は体力的にきついです。
重量でプッシュアンダーになって狙ったラインを外してしまうので
滑らないようにマシンを起こしながらアクセルワークで曲がっていくような走りです。

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途中で観戦ですが
やはりSE150がおもしろいですね。

山梨オートバッファローズの井上選手と
武蔵重量ケンヤ選手とのトップ争い。

後続を大きく引き離してバトルでしたが
このあとYZ85の井上選手をケンヤ選手が抜いてしまいます。
年齢差30歳、18歳と48歳
ケンヤ君は中年ライダーの鏡ですねー。

2ヒート総合でも同じ結果でした。


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哀愁のオフロードヴィレッジ、泪雨

途中でゴーグル投げてきたので
マシンを置いて拾いにいってたんです。

小雨がゴーグルについて視界不良になるのでティアオフも3枚付けてましたが使い果たし、終盤裸眼で視界クリアにしてラインに集中です。








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公式リザルト、ヒート2終了後15分くらいで印刷されて出てきます。
早いですねー、トランスポンダー使ってなくても手集計に手入力で作成されているんでしょうか。
これの集計システムはアンリミテッド・コーポレーションの柳澤氏によるプログラミングで構築されたと思います。

このスポーツをやる以上は結果にはこだわります。
それは自分の実力を反映するものだからです。
言い訳は無用です。
いつも同じメンバーですから結果もほとんど同じですが、あと1台抜くのが至難の技なんです。
それから、この中に全日本モトクロスチャンピオンが2名含まれていることも大会の伯がつくと思いますので、益々やっていただきたいと思います。