チキチキVMX13

この時期は猛暑を恐れたり、盆踊り大会の準備で都合がつかなかったりで
なかなか難しいですが、まあまあの盛況ぶりでした。

私も右腕の腱を損傷しているのでモトクロスはお休みしようと思っていましたが
RM125が過去2回の大会にエントリーしながらレースを走れなかったので
(一回目はスプロケの山がナメてチェーン切れ、2回目は過労のため朝起きれず)
今度こそ走っておかないとレース開催のために多大な苦労をされて遠征して来られている
主催者のホーリーさん一派に申し訳ないなと思い、強行しました。

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パドックでの団欒

板金塗装でお世話になっているフラワーオートさんですが
「綺麗なマシンは速い」ならぬ
「ぼろいマシンでも速い」を実行する
シマノさんの79年式KL250をメンテするお弟子さん。

オートバイは車庫に100台以上所有しているはずですが
わざわざ解体屋に行って5千円で仕入れたマシンで出走です。
トレールクラスで最初は快調に走れていましたが中盤でエンジン不調になってリタイヤ

「たぶんコンデンサーが逝った」
ポイント点火のエンジンですから古いやつはありがちなトラブルですね。


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オソロシヤよりも恐ろしいと思っています
コマキさんのW1ーSです。

左アップのキャブトンデュアルマフラーの
ヒートガードがバンブーという凝りようです。

重戦車のサンダークラスやWGPクラスで
両方勝利していました。

排気音ドドドドド・・・
吸気音ヒューンヒューン
音が最高なマシンですね。

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川重合併前のメグロ車でしょうか。
英国車風の右チェンジ、左フットブレーキ

車体細部に加工された跡があり
この車両で真面目にオフロード走行することを考えた作りになっています。

シートのめっきモールが入手不可能になったら金型代100万円負担してまで復刻してしまうという、(それだけでないですが)川島町の本田航空前にあるW1専門店フカイさんとこで製作されたと思います。


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M40年式不詳
名門城北ライダースの展示車

久保三兄弟の長兄靖夫さんによると
城北のメンバーだった菅家安智さんが
乗ったマシンだそうです。
レーシングカート世界選手権でアイルトン・セナを破ってポール・ポジション捕った人が全日本MXにグアム島チャンピオン、ジョーイ・クリソストモを呼んで
若き日の堀口さんと対決するなんていう
歴史が、ずっと続いているんですね。
言葉に表せられない気持ちです。

ピストンバルブのエンジンにキャブレターはアマル社製。
国産の気化器が無かった時代ですが
浅間のころは全部品国産の規則だったはずですが、例外もあったのかな。
私シロウトなんでワカリマセン

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Lサイドビュー
ステップの下の2枚のギヤとチェーンが見えます。
前踏みのキックを後ろ踏みに変換する改造を行ったそうです。ハジメテミタ

3軸のエンジンはクランク側から
正転⇒逆転⇒正転⇒後輪

一次減速後のメインシャフトギヤにキックギヤが噛んでいるのですが、プライマリーギヤがないので、正転キックだったのかな
とか外側から想像してしまいました。

お手製のチャンバーも美しい形状です。


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さて、いよいよ公式練習の時間です。

となりCR250はチェッカーズ、シマダさんの
467(80年式)杉尾練習車

これを眺めておられた一人の紳士が
元RSC監督だった野口さん。
私が狭山レーシングだったころ顧問をされていて、最期にお話ししたのは88年。
「B級のレースはどうだい?」と声をかけられたのを覚えています。

去年、藤秀信さん同大会にエントリーされたときも観戦に来られたそうで
藤さんはヤマハ時代に福岡プレイメイト所属だったのは有名ですが
76年ころはホンダRSC契約ライダーとしてチーム名はテクニカルスポーツというんですけど、エルシノアのダウンチャンバーマシンでレースしておられました。
その時代の上司が野口さんというわけです。
その影響力を知ったのは、狭山RTの先輩、井本さんが86年B級で固定ゼッケン4番付ける予定だったのですが、
野口さんが当時MFJ委員長だった神谷さんに「神忠に言っといてやるよ」といったj条件がありました。
関東選手権の第1戦でB級優勝すれば、全日本桶川大会からA級昇格を認めるというものでした。
そして井本さんは関東選で両クラス優勝して特別昇格を決めたのでした。
86年全日本MX桶川大会の国際A級250ccヒート1のスタートグリッドに向かうとき、狭山RTのテント前で、当時CR委託生産していた八千代工業柏原の山田工場長が拍手で出迎えておられた姿を見て量産車、開発ライダーとして最高の栄誉が得られた瞬間だと認識しました。
当時、正社員にA級昇格は不可能と言われた時代ですから。
国際A級250ccクラスゼッケン48番、27歳の若手が誕生したのは野口さんの口効きがあったと記憶しております。

藤さんに誘われてヤマハ本社まで出かけていき当時のライバルの技術者さんたちと生存確認してきたと話してくださいました。
狭山RT辞めちゃって気まずくしていたわだかまりが、29年経って解けた気がしました。


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最終レース、エキスパートスポーツ(125)

ガソリンがオーバーフローしてクランクケースから溢れ出てエンジン降ろしたり
欠品のドリブンスプロケットを手作業で作ったり
何かと不安材料を抱えたマシンでありますが、3大会目で、ようやくレース走れました。

前にXL250SとRM250が見えましたが
全員元B級ということで、楽しい走行時間でした。
レース順位なんか無意味と思いますが
クラス優勝というオマケ付きで
調度いいお湿りの路面がよい大会でした。



親が見たら泣くようなことばかりで、自粛させていただきます。



               

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