居合

刀剣の所持は警察への届出や許可は不要です。
真剣を誰でも何本でも所有できます。
これは銃砲刀剣等所持取締法によりますと、教育委員会で審査を受けて登録証と共に保管するだけで合法的に持てるということです。
殺傷力ということではナイフでも包丁でも同じですが、正しい使用目的で所持する分には刀であっても
問題ないという考え方です。
だから明らかにおかしな風貌の人間がクルマなどに隠し持っていたとすると、ナイフでも包丁でも逮捕されることがあります。それは使用目的に疑いが掛かっているわけで刃物自体が悪いわけではないのです。

そこで登録証付きの刀剣であれば自宅に置いておくことに何の疑いも掛からないのですが、
使用目的はなんであるかというと
美術品としての鑑賞用と居合という武術用の武具として使うということです。
終戦時期に遡るのですが、敗戦国日本から武器になるものを没収するという決定が下され、日本中で「刀狩」が行われ、軍刀や国宝級の名刀まですべて進駐軍に取られた時期がありました。
日本刀は我が国の伝統工芸でありますから、刀剣作りを絶やしてはならないという熱烈な嘆願により
日本刀は武器ではなく美術品であるという概念に変更し、教育委員会の管轄で、歴史的な刀、新しく製造された刀の日本刀としてふさわしいかどうかの審査を経て登録証を作成することにより、民間人の保管を許可することとなったのでした。

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我が家の敷地が狭く、駐輪場も限られているため、乗る予定のないオートバイを預かってもらっている場所の大家さんに
田舎の畑で取ってきた柿をお土産に持っていきましたら、逆にいただいたものです。
「クドウちゃんだからあげるよ」とおっしゃるので
「いいんですか?では遠慮なく」
「刃物はいっぱい持っているから大丈夫だ」ということで、大家さんの素振り用に使っている大刀一振りいただきました。

寝るときは枕元に脇差を置いて寝るそうです。


日本刀の定義とは「伝統的な製作方法によって鍛錬し、焼き入れを施したもの」ということで
軍刀のように工業的に量産されたものは定義にあてはまりませんから、刀の形態であっても日本刀として認められず、登録証が発行されないから持っていると不法所持になります。
形だけでなく伝統製法から得られる、鋼の内部組織がなくては日本刀と認めないということです。

そのことで、近代的なハイテク機器を駆使して偽物を作ったとしても審査は通らないですから市場では無価値の存在ということで工業的に製造する者はいないわけです。

伝統的な製法とは3つのパートに分類できます。
まずは原材料である玉鋼の精錬です。
原料の砂鉄も輸入の洋鉄は認められず、地元原産の砂鉄を用い、たたら製鉄で行ったものだけを原料とします。
砂鉄を溶かすのに使うコークスから炭素を吸収し、焼き入れに必要な炭素鋼が出来上がるのです。

次に熱間鍛造ですが、この段階で刀匠は刀の寸法やデザインを頭の中に描いて行うそうです。
驚くべきことは型にはめて打つ現代の型打ち鍛造と違って
金槌だけで叩く自由鍛造で何千回も折りたたんで伸ばしていく技法は現代の鍛造設備をもってしても不可能でしょう。
そして自由鍛造ですから刀身の歪みは当然残りますから微妙な修正も目検討で行っていること、
焼き入れも鋼の焼け色だけで加熱温度を判断し(マルテンサイト変態温度)水中に急冷します。
このままでは固いだけで脆い材質ですから、140°cの焼き戻しをして粘りのある材質に調整します。
焼き入れ焼き戻しの方法を冶金的知識のなかった時代にどうやって知り得たか。
世界一の刃物を東洋の小国が作り上げた秘密でもありましょう。

そして研ぎの分野になりますが、刀を切れ味のよい刃物だけでなく、美術的にも優れた工芸品として完成させる砥ぎ師の技は現代でも伝承されている専門職となっています。


前置きが長かったですが、居合の話ですね。
居合というのは敵と戦うとき、刀を鞘に納めた状態から、抜いて斬る戦術のことを指します。

現代のスポーツ化された武道は、相手と対面で向かい合い構えた状態でスタートしますが
実際の戦闘は刀を抜いて待つ状態ではなく、殆ど不意打ちで襲ってくることから発達した武術です。
様々な体制、敵は後ろから、すれ違い様、極端な場合は寝込みを襲ってくることもあります。

目的はこちらが如何なる体制であっても不意に襲ってくる敵を殺すことにあります。
そこで自分が油断した状態だと勝てる確率は低いでしょう。
なので普段から神経を尖らせて、自分の周囲にいる敵の存在を察知しなければなりません。
自分の後ろにいる奴はどんなヤツだ、大きいか小さいか、男か女か、てに持っているものは、自分との間合いは、これくらいの情報を瞬時に読み取る必要があります。
私は街中を歩くとき、電車に乗っているとき、ずっと神経を集中しています。
雑踏の中でスマホに集中している奴はあっさり殺されるタイプです。

クルマの運転中も同様ですね。前方はこちらから進んでいくとこですから、分かりやすいですが
後方や側面にいるクルマはどんな車種で、できれば運転手の目線や肩の動きまでチェックした状態で走行します。夜間はライトしか見えませんが、後続車との距離やスピード差を読みながらの走行です。
運転中にスマホやカーナビ見てる奴は私からすると危険分子としか見なしません。

一見、居合とは無関係のように思われるかもしれませんが、相手との位置情報が遠いほど安全なので
攻撃を受けないためには重要な措置なのです。

刀を抜くときは速度が速いほど有利に戦えます。敵の攻撃を受ける前に斬ることができれば勝利します。
ところが相手が先に斬りつけてくることがあります。
実は攻撃してくる相手は両手を前方に伸ばしてくるものですから防御は完全に疎かになっています。
頭部も胴体も下半身もがら空きの状態です。攻撃に集中しているあまり、自分が打たれることに気がまわらないでしょう。
そのときの間合いによって攻撃部位が変わります。
こちらの刀はまだ抜きません。
抜くときに両手がふさがってしまうので、こちらが危険になります。
至近距離なら一歩踏み込みます。相手は想定した太刀筋が急に変えられずに勢い余って前傾してきます。
半身になって太刀筋を避けながら、相手の顔面に鍔を叩き込みます。
鋼鉄の鍔が当たれば骨折は免れないでしょう。歯は折れ、頬骨を砕き、眼球をつぶす威力は充分にあります。
体勢の崩れた相手にゆっくりと次の一手を下せるでしょう。
または少し距離がある場合は、真っすぐ鞘の先端を敵の恥骨のあたりに突き立てるでしょう。
敵は自分の突っ込む勢いで恥骨に固い鞘が突きたちますから、悶絶して動きがとまるでしょう。
または攻撃をかわしながら低い体勢をとったときは鞘で脛を打ち付けます。
弁慶の泣き所ですから、ちょっと立っていられないくらいの痛みを与えることができるでしょう。
その間に刀を抜いて反撃する余裕が生まれるでしょう。

以上は正面から襲われる場合ですが、最初から決めて動作できるわけではないので、日ごろから想定した攻撃方法を練習しておくことです。

後ろから襲われる場合は敵が視界に入っていないですから、まずはその位置から一気に離れるのが生死を分けるでしょう。敵が確認できてから次の動作を起こすのですが、相手が使い手か否かも同時に見抜く眼力も必要です。
勝てない相手とやり合うより逃げることによって、勝つことはできませんが、殺されるよりはいいでしょう。

私の故郷、伊予小松藩の新屋敷村というところに居合の達人「小団兵衛」の伝説というのがあります。
中学時代に小団兵衛の墓も見たことがありましたが、墓の横に首なし地蔵が立っているのです。
何度地蔵を立てても首が落とされてしまうので首が無いままになっているので
いまでも小団兵衛が化けて出て地蔵の首を切り落としているのだという言い伝えです。

僅か一万石の小藩、小松藩に召し抱えられた武士であったらしいですが
こんな逸話があります。
腰に差した大刀の鞘が地面に引きずられながら歩くという小兵だった小団兵衛は
ある晩、芝居小屋で芝居を鑑賞していました。
後ろでガヤガヤと騒々しい客がいて芝居の話が聞きずらいので
腹を立てた小団兵衛は刀を一瞬抜いたような動きをしました。
騒々しい客は静かになって、無事に芝居も幕を下ろし、帰るときになりました。
先程の騒々しかった客は頭が真横に斬られた状態で絶命していたのに
誰も気付いていなかったということです。
太刀筋が正確で素早かったために出血もさせずに脳を切断していたそうです。

明治維新の官軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争では小松藩お抱えの武士と足軽42人と9人の雑役夫が徴発され戦死者1名を出しています。
伊予から会津の鶴ヶ城まで幕府の命令で戦争に赴いた時代がありましたが、武士の時代の終焉を迎えて日本刀は廃刀令により取り上げられる運命となってしまいました。

そして現代、伝承されるべき伝統工芸、世界から羨望の美術品として、最強の武具として後世に伝えられるでしょう。


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四国行ったことない人のために

小松藩、大体こんな位置にありました。

幕府直轄の別子銅山
(のちの住友金属鉱山)のそばで常に監視下におかれながら江戸時代全体の250年間、取り潰しされることなく存続できた小藩

禄高が小さすぎたため、現代の小松町と
西条市、新居浜市に飛び地になって与えられていた領土

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