第100回全日本モトクロス競技大会

日本には自動車も2輪もレースという競技が無かった時代、昭和30年代
戦前は大正時代から輸入車の2輪レースが存在したのを除けば
戦後の復興から「これからはスピードの時代、自転車なんか乗ってないでオートバイを作ろう!」というスローガンの下、メーカー主導の2輪レースが始まりました。
しかしアマチュアの一般参加が出来るレースが望まれ、八重洲出版(モーターサクリスト誌)がMCFAJを立ち上げたのは2輪レース愛好家なら周知のことです。
では、なぜ第100回かという疑問がわきますが
先代の西山委員長(トシ・ニシヤマの父)が主催した時期は春と夏2回開催した時期があったので
創立58年のMCFAJ全日本大会が100回目ということも納得しました。
また、関東しか開催しないMCFAJなのに何故、全日本かというと設立当時は福岡県の雁ノ巣でロードレース開催された(あのPOPヨシムラも参加していたし、小説「汚れた英雄」にもでてきます。)
全国からエントラント募集するつもりだったころの名残と思われます。

CIMG5712.JPG

梅雨明けした関東は暑い、浅間高原でも同じこと。
前回オフビレ大会は猛暑で熱中症気味になってしまったので、今回は入念に暑さ対策しました。

ところが30年以上モトクロスやってきて
スタート前にフロントタイヤがパンクしているなどというトラブルは初めてのことです。
気付いたのはグリッドについてからなので
修理する時間がありませんから
リタイヤしようと思ってパドックへ引き上げたのでした。

そしたら隣にいた伊田さんがホイールを貸してアゲルとおっしゃるので
スペアホイールではなく伊田さんのマシンからフロントホイールをはずして私のマシンに組み換えました。ブレーキローターも大径のものだったので、ローターも交換などしているうちに
無情にもスタートのエンジン音が聞こえてきました。
なんとかホイール交換終えてコースへ走らせましたが、すでにトップグループはコントロールラインを通過中、中盤手に割り込んで1周遅れでスタートしました。
鬼人の追い上げで前走者を抜いていきますが、抜いても同一周回のビリですから、やるせない気分で走っていましたら、ようやく3位の人の後ろに追いついてレース終了でした。
一応15位完走で3ポイント得ましたのでリタイヤよりはマシでした。
これも一重に伊田さんがいてくれたおかげで、自力ではリタイヤだったと思います。
おまけにヘビーチューブもくれたので午後のレースは自分のホイールで走れます。
パンクしたチューブ見たらリム打ちして破けていました。
エアチェックは公式練習前にしていて第一レースだったので点検がおろそかになっていました。
次回から対策したいと思います。(今更か!)
午後のEJ450のレースではアクシデントもなく4位走行で18ポイント得られましたのでホット(HOT)しました。
今年の目標はSE昇格しかありませんので残り4戦、気を引き締めてやっていきたいと思います。
チビでも450、50過ぎでもSE昇格を証明したいです。


雑草が伸びて視界が悪い観戦ポイントですがEJ450のレース風景です。
トップは元IB、モトロマン所属だった福田選手44歳
2位は大内家長男の19歳リキヤ選手
3位はいつも追いつけない高橋選手40歳
そして4位、PRECIOUS.FRTクドウ選手53歳

8月はレースないので(僕はね)次回は9月11日MXヴィレッジです。

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