キックの軌跡

実家へ帰るついでに納品すれば運送代の節約になると思って奈良までマスター車とチャンバー6本持っていきましたが、重大な見落としが発覚して全部やり直しという結果になりました。
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作るときに支給された写真を一生懸命見ながら行いましたが
キックペダルを踏み降ろすことは
只の一度もやった記憶がございません。

不動の車両だから必要なかったなどと言い訳をしても許される失敗ではありません。

納品してお客さんの所へ来て分かったので説明をする手間が省けました。
そのまま全部積み込んで持ち帰りです。
やり直し期間は6台分なので3週間くらいかかるでしょう。
全額前金でお振込みいただいていますが追加費用は当然全額自腹です。

従いまして注文だけされてお待ちいただいているお客さんは、さらにお待ちいただくことになります。
量産車を製造するメーカーでもリコールを出して対象機種、全品無償交換しているのを見て笑うておりましたが、今度は私のところが笑われる番になりました。


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今回の帰省の目的は父親を病院に連れていき精密検査と医師の診断を受けて、今後の対応を考えることでした。

もう実家にはクルマを運転できる人はいません。
実家から愛大病院まで1時間くらい走りますからタクシー頼むと往復運賃1万円です。

素人さんは「バスで行ったら?」と言われるかもしれませんが、健常者なら徒歩5分のバス停ですが、今の状態では移動は困難な上に頻尿で30分が限度ですから不可能なことをご理解ください。

県内最大と思いますが大きな病院です。
医師やスタッフの数も凄いですが、患者さんの多さにびっくりします。不自由な人がこんなに多いものかという思いと、健康でいられることが本当にありがたいと思いました。
先端の技術と経験豊富な先生の診断で、疑われた最悪のケースは免れたと思いますが、人間が生き物である以上、健康体のまま寿命を迎えるのも無理な話です。
昔なら寝たまま放っておかれて寂しいことになるだけだったと思いますが、現代は様々なサービスをしていただける設備やスタッフが待機しています。自分たちの努力だけで不可能な部分は、お金がかかると思いますが、惜しみなく活用して老後を過ごしていくやり方がいいと思います。

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実家に戻って容態が安定しているときは
家の周りや畑の延び放題の雑草を刈ったり、食料や医薬品の買出し、水が抜けてしまう鯉の堀を修理したり、あらゆる雑用を4日ほどこなしてきました。

勉強部屋の机から懐かしい写真も見つけることができました。

1981年、四国選手権第一戦 五明大会ですね。
MFJノービスのデビュー戦のときの写真です。

マシンは1年落ちの80年型RM125
マルシンのジェットヘルは自分で缶スプレーしたもの
シニサロのスナップで止めるタイプのチンガードは流行りでした。
5スナップの角バイザーは光安鉄美やマーク・バルケニアスが付けていたのに憧れて真似ています。
クシタニのナイロンパンツは国産初、プロショップタカイのブレストガードに革のグローブはクシタニのヒーローという出で立ちです。
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ノービス125予選のスタート直後
五明の第1コーナーは登り180°ターンでした。知ってる人は知ってますよね。

ご覧のとおり、人生初レースでしたが4番目スタートで出出しはまあまあでしたが
積雪の路面は滑りが半端なく、コケまくりで予選落ちでした。

先輩の秦英二さんは前年ノービスからビリでジュニア昇格して最初のレースでしたがいきなりジュニア両クラス優勝でしたので、しびれた内容の大会でした。

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そんな昔話を、親が寝たころに当時世話になっていたバイクショップの中川さんところへお邪魔して聞かせていただきました。
奥さんから魚のご馳走などいただきながら
3時間も話込んでしまって楽しかったです。

中川さんは15歳ころからBS90でモトクロス始められたそうでロータリーディスクバルブやクランク直結のフラマグ点火システムなど他メーカーを凌駕したメカニズムの話など他にもオートバイ店ならではの内容は、今でも興味深く堪能させていただきました。
現在65歳でも閉店後はスポーツジムでトレーニングしている中川社長の希望は死ぬまでオートバイに乗っていたいということで
「オートバイに乗れないで生きていてもしょうがないやろ」と言われました。
まったく同感であります。
基礎のできていない私に勧めてくれたRM80です。125よりエンジンが元気で小兵の私にも扱いやすく大変よい練習になりました。            押忍



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