2014年4月アーカイブ

リプレイスマフラー作りをハンドワークに拘る理由を理解していただくために、
敢えて恥ずかしい部分をお見せしたいと思います。
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サイレンサーのフロントエンドキャップですが0.8mm厚ステンレスで板金します。
精密板金の経験者の方はどのようになるか分かると思います。
接合面の隙間、ズレなどが0.1mmくらいの精度で合っていないと溶接不可能ですね。
パイプに嵌める部品なので溶接棒で肉盛りは不可です。
溶棒無しで共付けが必須ですが、薄板ステンレスは溶接で引っ張られて歪んでしまうので予め仮止めをしておかないと接合不可能になりますのでバイスで圧力を掛けながら溶接します。
オートバイの取説風に言うと「ステンレス板を板金して溶接する。」くらいしか説明が無いでしょうが、これを付けるに至るまで多くの手法が潜んでいることは経験者でないと分からないでしょう。
最低レベルの溶接ですね。溶接専門店ではやっていけないでしょう。
板厚が1.5mm以上あればどうってことないですが0.8以下になると途端に難易度が上がります。
要するに苦労しているということです。
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板を巻いて突き合わせで溶接してありますが、最も神経を使うところです。
接合部に僅かなズレや隙間があっては付けられません。
溶接前の下拵えで出来栄えが9割決まってくるのです。
では、このような形状の部品を金型でプレス成形しない理由は完全にコストの問題です。
プレス成形は丸い形状は比較的簡単ですが角ばった形状は難しいのです。
金型の表面を金属が滑って塑性変形していくのですが、角になった部分で滑りが妨げられるので、金型は5段階くらいの据え込みを経て徐徐に最終形状にもっていきます。

おそらく1000トンくらいの圧力が出せるプレス機と数百万円程度の金型製作費が必要なので、1個や2個の成形ではコスト的に不可能なため、ハンドワークしかありえません。
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大きいマフラーメーカーなら少なくとも1000台以上の販売を見込んでいるため、ためらわずプレス成形するでしょう。
そうすれば仮に金型300万円掛かったとすれば1台あたり3000円で型代償却できますから成り立つ計算です。

我社は一人のお客さんの要望に答えつつ赤字を出しては事業の継続ができなくなるため、人件費を削っても高額な投資をしない方針でやってきました。



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サイレンサースキン、前後キャップが出来上がりました。
マウントステーと中身を拵えれば、エンジンかけられます。
明日半日くらいで完成予定です。

どんな音になっているでしょうか。







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組みあがりました、スリップオンサイレンサー。
サイレンサーボディーを大きくしたので1300の車格とマッチしていますね。

325ccが4つのエンジンですから大容量が必要です。
昔の集合管は抜けが良ければOKだったわけですが、今はその考えは古くて
排気管内は燃焼室と直結していますから
適当な圧力を持たせることによって燃焼室の充填効率を上げることができます。
高回転時は吸入した混合気の一部を排気してしまうので燃焼室内に留める作用が必要です。
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そこで排気の抵抗を利用するのですが、抵抗をつけただけでは負荷になってしまうので
排気管内で膨張させて排気を脈動として燃焼室に伝えれば排気損失のすくないマフラーになると考えています。

また排気音についても大気中で急激に膨張する気体が爆音の正体なので、マフラー内で圧力と温度を下げてから排気することで静粛な排気音になります。
やかましいのがパワーが出ているわけではないのです。

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エンジンかけてみました。
アイドリングで暖機運転しますが、排気音が殆ど聞こえません。
4連装のFCRキャブのスロットルバルブがカタカタと鳴っているだけで、非常に静粛です。
アクセルをあおってみますがエンジン回転に比例して大きくなる感じはしません。
明らかに消音されていましたので音量計測も行いませんでした。
おそらく5000rpmで94dB以下でしょう。
一応ディフューザー付けておきましたが1dBくらいの効果なので
外しても街乗りに不都合はない程度でしょう。
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バードビューはこんな感じでツインショックの外側出しですが、なかなかスリムにまとまっているではないですか。

グラスウールは儲からないのを承知で一番高い物を入れてあります。
社外の安モンでは性能が出ないので
入れても無駄になります。
4ストモトクロッサーで8年間、マフラーを実戦投入してきて得られた結果なのでこの部分はケチるわけにいかないのです。

現行の大型2輪の規制では触媒装着が必須になりますが、これも社外の触媒が出回っていますが浄化性能も耐久性もメーカー純正品に比べ劣りますので使えません。

ホンダの栃木研究所第1設計ブロックといえばエンジン設計ですが、触媒はエンジン設計で開発しています。
そこの主任研究員から直接、触媒の仕様についてレクチャーを受けて、実際にメーカーまで出掛けて製造工程まで確認してきましたから、私は製作所では一番の触媒スペシャリストでした。
その経験から言えることは現行車で純正並みのエミッション性能をそなえたワンオフマフラーを作るとマフラーの販売価格を10倍くらい貰わないと実現しませんから、もしどうしてもノーマル同等のエミッションを求めるのでしたらノーマルマフラーを破壊して触媒部分だけを取り出して使うしかないということを申し上げておきます。
全日本MX関東大会のホンダブースにてついにベールを脱いだ、ホンダ初の2ストレーサーの復刻番です。
72年当時の原車は既に廃却され何も残って無かったそうで、これは再生車ではなく新造によるものだそうです。総製作費8千万円にも昇るプロジェクトの背景に何があったのでしょうか。
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335C復元を知ったときに、いよいよホンダもこの時期がきたのかと思いました。
20年前なら、このような提言をする社員はいなかったでしょう。
それは新機種の開発をして量産、販売することが命題の企業にとって過去の製品を再生するなどということが業務であるはずがないからです。

5年ほど前でしょうかTVで自動車メーカーマツダの取り組みを観ました。
現行のオートメーション化された自動車作りの中で昔では必要不可欠だった金属加工技術の技能者が失われつつあるということで、ベテランの技能者を指導員として、若手社員一人を現場から離職させて技能習得に専念させるという取り組みです。
マツダが危惧していることは、現在の加工技術者は設計データーを加工機に送信して動かすということが主流で直接ワーク(加工物)に触れることもなく製品が出来てくることによって技能者がいなくなってしまうことです。
そこで生産には全く必要ないですが、物作りの原点に戻って技術を伝承するということが、今回の335C復元プロジェクトにも共通する目的ではないかと思います。
これは会社の経営にとっては無駄なことのように思えますが、自分の勤めている会社の歴史を特に開発に関わる人間が知らないで業務に携わっていることが、これからの新機種開発においても創作センスという点に於いて弱体であると、上層部の人が感じてきたのだろうと推測します。
だから一見利益にならないプロジェクトにも多額の予算がつぎ込めたと思います。
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完成した335Cは中古品一切なし、新車の72年型ワークスマシンです。

このようなことは私の知る限りでは世界的にはじめての試みでないかと思います。

その甲斐あってか昼休みのOFVメインストレートでのデモ走行の人集りは
初の4ストモトクロッサーYZ400展示のときを凌いでいました。

人は自分で買えるものより、絶対手に入らないものに強い憧れと尊敬の念を持つのかもしれません。

問題は技術の伝承や体験が目的ということですから、これを継続していかないと一過性のものに終わってしまうことになることです。次回の復元プロジェクトは果たして行われるでしょうか、今後に期待したいと思います。
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経験者の高齢化はいやでも進みます。
製作スタッフもレースで戦ったライダーも同様です。
実際に初優勝した伝説のライダー吉村太一さんがコスチュームも当時に似せて復元された335Cに乗車しました。
インタビューに対して
「めちゃめちゃ調子ええ!これなら今日のレースも勝てるわ。」とユーモア交じりでコメントされてはりました。

72年は今年51歳になる私でも小学5年生、勿論モトクロスなんか知りません。
これが分かる観客の多さにレース会場の高齢化が進んでいることが伺えます。
そういえばレース走っているライダーが若いのは当たり前なんですが、中高生が自転車やバスに乗って観戦にきてる様子が全く感じられません。若者の人気スポーツではないのだということを意味しています。メーカーさんはどのようにお考えでしょうか。

少し思い出したことがあって、私なりの会社観を述べたいと思います。
ホンダという会社は良いところと悪いところ両方がありました。
良いところとは、社員一人一人に仕事を任せること。逆に言うと教えないし出来ないやらない人は放っておかれる。その結果、人事面で評価を受けるということ。(昇給や他の職場へ飛ばされる)
悪いところは、他部門との連携が悪い、繋がりが少ないこと。専門性が高く研究部門では大学の工学部より高度な専門知識を持ちながら、現場経験がないので活用の仕方を知らないなど。
全ての部門で当てはまるわけではないですが、会社組織が大き過ぎて管理職の人でも他部門のことは詳しくないということです。
2輪と4輪なんか設備や経験を共有しようとしないし、まるで別会社のように分かれています。
それぞれ機密事項もありますし、プライドもあるので事業所間で情報交換などありえません。
そんな大会社ですが2輪R&Dでは技術の習得、体験などという名目で給料貰いながら教育を受けられるという余裕があるのです。
そういう職場に配属された社員は幸運といえるでしょう。
普通、経験や学習というものは自分の金と時間を使わなければ得られませんからね。
私の所属した部署の上司はこう言いました「仕事は自分でやっていてはダメだ、いかに人にやらせるかということを考えろ」
これを聞いたら、今の自分なら「仕事を自分で抱えていないで、関係部門と連携して円滑に運べ」というふうに解釈できるのですが、若かったそのころは、自分で出来ないことを人にやらせるなどということは能力のない奴のすることだと思い込んでいました。
ホンダは大きい組織なので分業が基本です。だから自分の担当のことだけできれば充分なのですが、下請けの部品メーカーはそうではありませんでした。
上に立つ者は担当する職場の全てを分かった人が就いていました。即ち製造部長や品質課長は、どの部下より経験と技術を持った人と決まっていました。
ところがホンダの体質として末端の業務は所属長が出来る必要がありません。管理職は出世コースの人が就きますので数年で別の部署へ移動していくのが慣例なのです。
そんな会社の体質が分かってきたころに「自分で出来る必要がない」と言った上司の元では働くわけにはいかない、希望の職種に移動が通らないのであれば会社を辞めるしかない。
辞めないのであれば、生活のため上司の言うことを聞いて定年まで我慢しろということです。
私の信念は自分の技術で仕事ができないのであれば職を辞して自分でやる、ということだったのです。
実行しない信念はウソと同じですから会社を辞めたという経緯です。
2輪R&Dのような給料もらいながら技術の体験、習得ができる職場でしたら、もっと長く会社勤めしていたと思いますが、上司の軽い一言が部下の人生を左右することもあるということを言いたいです。



人生2度目、42年ぶりにヨットに乗せてもらいにいきました。
前回は叔父さんの船で瀬戸内海の小島にキャンプしに連れて行ってもらっただけですが
今回は本物のヨットレースにクルーとして乗船(専門用語もロープワークも全く知らないまま、ただの錘になって)してヨットセーリングなるものを体験させていただきました。
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義父がオーナーのヨット。
IOTA(イオタ)といいます。
船の規格もわからないですが
搭乗定員8名のサイズで

今回オーナー含めて6名のクルーでレースします。
小さい船の場合は人数(重量)が多いほど不利ですが、セールの上げ下げ、ロープワークにポールの架け替えなど傾く船上での作業が多くスピードが要求されるので、船の仕様とチームワーク、風や潮の流れを読む経験値と相手船との駆け引きを考える戦術が勝敗を決める、知能と体力両方を使ったマリンスポーツだと感じました。
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IOTAは沼津港に保管されていますので
装備点検後大型クレーンで海面に下ろされます。
レース会場のヤマハマリーナ沼津まではエンジンで走行して移動します。
約30分の距離です。








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さあレース会場へ出発です。港湾から外洋へ出航です。
先ほどヤマハマリーナでブリーフィングを受けた内容をクルーたちと打ち合わせします。

ブリーフィングでは当日決められる
スタート時間、レース距離(往復回数)
ゴール位置
旋回方法(マークを半時計回りに)
本日の大まかな風向き風速などをチェックします。




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今回1往復半のレースを2回行います。10:30スタートで推定終了時間は14:30とのことです。
スタート地点とゴールラインは本部艇とブイをアンカーにて固定した直線で引いたラインを通過しますが
スタート直前までなかなか決めません。
適切な風待ちと、位置が決まることでレース艇が試走する機会を失くす目的があるみたいです。

スタート地点にヨットが集まってきました。
有利なポジションを獲得するための駆け引きが始まっています。
普通は風上の船が走行に有利だそうです。
そこで衝突回避するときは風下の船に優先権があります。
遅い船はいいポジションについても速い船のブランケット(風よけ)に入ってしまい速力が落ちるため
風下にいても単独走行した方が結果はいいそうです。
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わー!横風を受けてヨットが傾いたまま走行しますが、船底に重いバラストが積んであるので転覆はしません。
セールは中央のメインセールと前側のジョブセールの二つを駆使して風を受けます。
本当に風力だけで走行できます。
素人的には追い風をセールに受けて進むのかと思っていましたが
マストの横に付いているポールでセールの方向を変えてセールの背面を流れる風の揚力を利用して引っ張られているらしいです。
風を受ける方向はポールの向きとオーナーが舵取りを行っているので自在に変えられますが、目標物に到達する距離が伸びたり
失敗すると通過できなかったりするので
この風を読む計算に緻密さが要求されると思います。
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デッドヒート中のヨットたち。
駿河湾らしく富士山を背景にレースする姿は優雅なものです。

今回はエントリー台数17ですが
船の規格がバラバラで
2輪でいうとセローからCRF450くらいの差があるそうで、速い船にゴールタイムを加算するハンデレースで総合9位という結果でした。
IOTAは遅い方だということで、まあまあ順当な身分相応の結果だそうです。
トップクラスはロンドン5輪の日本代表もいたらしいです。(チンプンカンプン)
画像の黒っぽいセールはカーボンファイバー製で軽くて強いそうですが、1幕100万円くらいするそうです。一般的にはサテン生地使うそうです。
レース終了後はヤマハマリーナのクラブハウスでテクニカルアドバイス(居眠りして聞いてなっかった)
と表彰式、バーベキューパーティーなど開いていただいて、エントリーフィーはクルー1人あたり2千円という安さ。
お金儲けではなくてマリンスポーツの衰退を防ぐ目的のイベントでスタッフも手弁当でやっていただいているみたいです。メーカー色や販売店がらみが一切なく、大人っぽい社交的なスポーツだと感じました。
年に5回くらいやっているそうなので、機会があったら参加してロープワーク挑戦したいと思いました。

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スタート地点に戻る様子、ほぼ追い風を受けるのですが
ジョブセールの色と形が違っていますね。
スピンというセールに付け替えますがこれが時間に影響するテクニックなので
大忙しで作業するクルーの真剣さに惹かれました。







大事なこと思い出しました。
ヨットなんてお金もちの道楽じゃないかと思う人がいるかもしれません。
学生時代からずっとヨットレースしている人は必ずしもそうでないことを言いたい。
なぜなら、40年以上クルマやオートバイに乗っていない、免許さえ持たないでヨットに没頭しているとすればこれに掛ける情熱の強さを伺い知るでしょう。
自分はクルマ、オートバイに相当無駄使いしてきたものだなと気がつかされる経験でした。
逆に言えばこの道しかないと思って集中しているときは、別のことは考えられなくなるのかもしれません。

チャンバーのリプレイス品を作る仕事をしておきながらアレなんですが、モトクロッサーの純正チャンバーを超えるものは無いと思っているのです。
それはエンジンを設計製造できるメーカーが決めたスペックをエンジン作れないマフラー屋が超えることは出来ないからです。仮に性能のいいチャンバーができたとしても、それはメーカーが決めたスペックを基にモディファイを繰り返した結果であり、ゼロからスタートしたわけではないからです。
しかも、一回の製造ロットで1000台単位を1ヶ月足らずで作ってしまう生産能力ですから、品質と生産数で社外品メーカーでは比較にならないでしょう。
では何故、私がリプレイス品を作り始めたかというと、今回のチャンバー加工に答えがあります。
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ホンダの2スト最終型、05モデルCR125の純正チャンバーです。

ホンダ製の特徴であるシーム溶接(ガソリン缶の製法と同じ、気密性に優れる)
の部分を削り取ってあります。
後で溶接するのですが
目的はチャンバーのボディ剛性を上げてパワーアップすることです。
中級のライダーですとメリットを感じないレベルですが、トップクラスになると加速域やピークパワーの部分で僅かでも有利になることを望みます。

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塗装も全部剥がします。
鉄板は直接空気に触れた方が良い。
ワークスパイプに塗装が施されないのと同じ理由です。
塗装やメッキは鉄板を保護して放熱が悪いのです。
排気ガスの温度はガスの流速や圧力と密接な関係にあります。
高温のガスは流速が早く、低温だと遅くなる性質があります。
即ちパイプが熱いときは高速型、冷めたときは低速型に変化するということです。
そのためには排気熱に対する応答性がよい薄板の鉄板で未塗装であることが最適なのです。
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さらにバフ研磨で表面を滑らかにします。
これは泥の付着を防ぐ目的と(軽量化と放熱性)
鉄板の表面粗さを少なくして水の粒子を留めなくすることで腐食(酸化)を防ぎます。








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そして削ったシーム溶接部分を再溶接して完成です。

私が最も使いたいチャンバーの仕様はこういうことなんです。

しかし、そのためには新品の純正チャンバーが必要です。パイプの内部にオイルが付着したものは同じ性能が出せないのです。

そこで新品の部品代があれば材料から手作りして同じ性能が出せればいいのではないかと考えてリプレイス品を作り始めたわけです。
理想はメーカー純正品であることを重ねて申しあげておきます。

最近天気がよいので、家の前から直ぐに乗っていける単車があるといいですね。
レーサーじゃあ準備して遠い場所に持っていかなきゃならないんで普段は無理です。
実は中古で購入した(奈良まで買いに行った)この単車は1年ちょっとで満タン2回しか走っていません。
何故なら走りだして10分くらいでエンジン不調になってしまうので遠出する気がしないからです。
気晴らしに家の近くの試乗コースと呼んでいるエリアを目的もなく乗り回すだけですが、昨日もいい天気だったのでチョイ乗り始めたら直ぐに悪い症状が始まり段々酷くなってきて、エンジン止まりそうになるのを騙し騙し帰ってきて玄関前でエンストして押して帰るのだけは免れました。
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ポイントの調整は先週やったばかり、点火時期はばっちり合わせたので点火の問題ではないだろうということで、これはキャブだな。
不調の原因が分からないまま仕事に集中することができません。
たまらずキャブ分解に掛かりました。
そしたら大変なことになっていました。






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その前にエンジンの止まり方がガス欠のような症状だったので、タンクの残ガスを確認した上で、フロート室のドレンプラグを外してみたのです。
そしたらコックONなのに(RESだったかな)
ガソリンの出方が少ないのでおかしいと思ったのです。
どこかでガソリンが詰まっているなと。

フロート室開けたら判明しました。
タンク内の錆びがフロートまで降りてきていました。
フロート室洗浄して出た錆びの量はこれだけのものです。
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ガソリンホースにフィルターが取り付けてあったのですが、これを完全に素通りした状態です。
コックの方にはストレーナーはありませんのでタンク内の錆びは全部降りてくるということです。
エンジン始動直後は問題なく、走りだしてから不調になる理由が、落ち着いていた錆びの粉が振動で動きだすことによるものでした。
これを直すにはタンク内錆び落とししてからコーティング剤を入れるということになりますから手間が掛かります。
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そういうわけで、ドラスタへ直行して新しいフィルターを買ってきて取り付けました。
ストレートタイプは、ストレーナーから素通りした錆びが確認しにくいため
L型にしてみました。
これなら目視でガソリンの汚れが確認しやすいし、溜まったものを捨てることもできます。
キャブレター取り付けて試運転しましたが、エンジン不調は直りました(当たり前です)。
「新車ならこんなことにならんよ」と言われそうですが、新車にはこういう「直す楽しみ」がないではないですか。
そんなわけで旧車ライフの一幕でした。






アメリカ人として最初の全日本MXチャンピオン。84年に日本に呼び寄せたのはモトレオン(ロッキースポーツの前身)でした。
84年は私ノービスでしたので狭山レーシングの全日本遠征で先輩ライダーのメカニックとして回っていました。井本さんが国際B級1年目で第2戦、広島の三次でのレースのときでした。
全日本デビュー戦だったスティーブのマシンは第1ヒートのスタート前、クラッチ交換でRケースカバーがなかなか入らず遅れていたのでした。(ウォーターポンプギヤが噛み合っていないとカバーが入りません。そのときはキックシャフトを動かしてクランクを少し動かすと入ります。)
スタート30秒前にギリギリ間に合ってスタートしました。
ホールショットはこの年からプライベート参戦の福本敏夫。
長い登りでぶっちぎったと思って「どーじゃー!」と振り返ったら、スティーブのマシンが大暴れしながら追いかけて来ていたそうです。
そして福本選手を抜いて初参戦で1位になりました。
続く第2ヒートは小田桐昭蔵選手が最終ラップまでトップ独走かと思ったのですが、油断した隙にインからスルリと交わされスティーブの逆転優勝。烈火のごとく怒った小田桐選手の表情が忘れられません。
その年はスティーブが全勝でチャンピオンだったと記憶しています。
翌年は中部ミスターバイクからの参戦でしたが日本人ライダーに2回だけ敗れています。
雨の桶川で小田桐選手が雪辱を果たしました。青森出身のライダーはマディーのライン取りが他の選手と違っていて独特の走り方は圧巻でしたが、フロリダ出身のスティーブには桶川の泥は苦手だったかもしれません。
二人目のマーチンを破った日本人ライダーは杉尾良文選手。やはりプライベート参戦でしたが、独自にアルミフレームのCR250を作って、菅生の1戦だけの使用でしたが見事に目標達成でした。
いずれも市販車ベースのマシンによる優勝で、メーカーのワークスチームなんしよんの状態でしたね。
スティーブ・マーチンの市販車による2年連続チャンピオン獲得がモトクロスはマシン性能よりライディングテクニックが重要ということを証明した時代でした。


サイクルサウンズ誌(山海堂)の別冊ビデオですね。
2:53あたりから金髪伊田さんのホールショットシーンが見れます。
モトクロスというスポーツは日本ではアカデミックに習う機会がないですね。
皆独自に思い思いの練習法でやるしかないですが、このビデオのように基本的な練習方法を参考にしていれば上達が早かったかもしれません。
収録場所は成田エアポートMXランドですが、当時は私も毎月のように行ってました。
本コースとは別に練習コースが作ってあって、4連ジャンプやウォッシュボード(今フープス)など充実した内容でした。
最近のMX場は本コースしかなくコースをグルグル周回するだけが練習になってしまうのでライディングテクニックの習得に時間が掛かってしまうのでしょう。
成田エアポートMXランドは関東エリアでは最高のMX環境にあったと思います。
スティーブ・マーチンの影響度は大きく当時のライダーはアメリカンライディングを一生懸命練習したものですが、今はそういう場所が無くなってしまったのが残念で仕方ありません。














90年代以降のエンジンはメッキシリンダーばかりなので、ボーリング屋さんにお世話になる機会もめっきり減ってしまいました。
ボーリング屋さんはボーリングのみならず精密な穴加工、平面加工も得意なのでコンロッド作ったりクランク改造したりで頼んだのが10年くらい前になりますが、久しぶりに井上ボーリングへ行ってきました。
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DT125の傷がついたシリンダーのボーリングを頼みました。
サイズは0.5オーバーサイズで
ピストンサイズφ56.495
ボア φ56.5
ピストンクリアランス0.05を指定してきました。
空冷シリンダーなので水冷メッキよりクリアランス大き目に加工するのがセオリーです。

ホーニングは高精度なプラトー仕上げで依頼しました。
ホーニング仕上げ後はポートの面取りが必要です。
ボーリング屋さんでも頼めますが、自分で出来ることは他人任せにしないことがモットーなので、エアグラインダーで砥石切削します。
手仕上げですがC0.5くらいを目標に削っています。


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加工後にミツトヨの面粗度計による検査データーを添付していただきました。

面粗度計とは金属表面をプローブ(接触子)で直線的になぞり、表面の粗さを計測します。
1ミクロン程度の精度が保証された計測ですが電気的に検出してアンプで増幅するので可視的に判定が可能です。

プラトー(高原)の名のごとく山の高さが平坦なホーニングであることが分かります。
通常のホーニングだと突出した山が削れるまで慣らし運転が必要ですが、これは慣らし運転時間が早く終了できる処理です。
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エンジン積み込み完了です。
エンジン試運転も問題なくできました。
今回はYZチャンバーでピストン溶けたことによる修理だったので、ノーマルスペックのチャンバーで乗って帰っていただきます。
本来は軽トラで引き取りお願いするところです。
YZチャンバーをトライするときはメインジェット2ランクくらい濃い目にしてからセッティングしていただきたいと思います。(製作業務が停まってしまうのでオーナーさん自己責任でお願いします。)

試運転中、テールランプが切れているのに気がついたので、我社から徒歩3分のモトグラッドさんへ行って6V用の電球を売ってもらいましたので、この仕事はこれにて終了!

前職は運送事業で宅配業者に頼めないような特別な荷物を時間指定で運ぶようなことをやっておりました。バブル景気も終了して得意先からの依頼も激減、ベテランの運転手さんたちも昼間から待機状態。もう何年も持たないだろうと思い始めて考えたことは、せっかく会社も辞めて自由の身、これからの人生自分次第。どうせやるなら自分のやったことが世の中に残る仕事をしたい。しかし、経験も技術も資金もない。当座の道具は板金鋏とハンマー、ガス溶接機と万力、ハンドドリル。正にこれだけのスタートでした。
自分が作ったチャンバーが世の中で通用するものか、判断するには最も過酷なテストではっきりさせてしまおう。だめなら潔く、どこかの会社で丁稚からやり直すつもりで行ったことは、全日本モトクロスの国際A級ライダーに使ってもらって結果を出してみるということでした。
モトクロッサーYZ125とKX125の2名のライダーに供給してどちらも決勝で3位入賞まで果たせました。当時はメーカー純正品を超える社外チャンバーは無かったと思います。素人同然の駆け出しチャンバー屋が作ったものが、いきなり通用した理由は科学的根拠に基づいたものではありませんでした。これで負けたら死ぬ覚悟で挑んでおりましたので、鉄板を叩くハンマーに執念がこもっていたと思います。火炎の先端に全神経を集中して薄板を溶かしながら付けていきました。
その後250クラスでも上位はメーカーのワークスチームが占める中で15位以内ポイント獲得圏内にYZ250とKX250に乗った3名のライダーが入る結果も得られました。
この道で行けるとこまでやってみようと決めた理由でもありました。
そして幾らかの知名度を得て安定した受注も得られるようになってきたわけですが、偶然、狭山レーシングの先輩が私と同じような悩みを持って会社を退職して日光でモトクロスコースを管理していることを知りました。
その先輩の影響なんですが、当初は子供が乗るレーサーには興味が無かったので、やっていなかった85クラスのチャンバーも作り始めKX65用も作るようになっていました。
キッズスーパークロスの世界でも最初に装着したCR85とKX65のライダーは連戦連勝でシリーズチャンピオンまで獲得しました。子供のお父さんが言うには、「彼は何でも好きなものを言えば買ってもらえる立場にいるから、気に入らないものは使わないよ。」ということでした。
口数も少ないし、プロライダーのように詳しいインプレッションも聞けません。ただ走っている様子をみて快調であればOKといういい加減なものですが、結果がちゃんと出ていることは侮れないことです。
科学的根拠がないにも関わらず「交通安全」とか「商売繁盛」などと書かれたお守りにお金を払って買いますよね。
私の作ったチャンバーは工業的に優秀な作品とは思えないですが、一つの製品に何十時間も執念をかけて魂がこもっているから、それを付けて走るライダーに伝わっているんじゃないかとオカルト的に感じています。そうでなければ大した下積みも資金力もないパイプ職人の品物が上位で活躍できた説明がつきません。
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確か04年くらいから作っているKX65チャンバーですが毎年少量ですが注文があります。
実に10年のロングセラーは主力の2ストトレールモデルに次ぐ生産数です。
モデルチェンジがないことが、ロングセラー続けられる要因ですが、最初にこれと同じスペックのチャンバーを付けて勝った少年はいまではワークスライダーまで登りつめました。
これからも同じように歴史が続いていくことが今の希望であります。




また工藤めが、非科学的なことを言うとるわい。と思われそうなので補足しておきます。
世の中のこと科学で証明できなければデタラメと考える方が不自然だと思うのです。
なぜなら宇宙のこと海洋のことなど例にとっても殆ど解明されていませんね。分からないことの方が多いのに分かっていることが全てのように考えることが不都合です。
針供養という慣わしをご存知かと思いますが、自分たちのために役に立ってきた物に対して感謝の気持ちを忘れないということ、物を粗末に扱うと酷い目に合うといった戒めの意味もあります。
物にも精神があるということを昔の人は感じていたはずです。
人間もただの元素の集まりにすぎないはずですが、元素の集まりに感情や意識があるのは何故でしょうか。その理由やメカニズムこそ科学で証明できないのですから、物という元素の集まりに精神があったとしても全く不都合でないですね。
人間のように感覚器官がないので痛みを感じたり言語を発したりしないだけです。
おそらく私たちが知らない別の手法で能力を発揮しているはずです。
例えば、電気であったり磁力や放射能だったり、言葉を発したり運動をしないだけで人間と違う能力を持っていることを考えると、物にも魂があると考えた方が理に適っていると思いませんか。
しかも人間の寿命は100年足らず、どんな生き物でも細胞が崩壊して自然界に分解されていきます。
ところが元素は永遠に不滅です。酸化と還元反応を繰り返して化合物となって姿は変わっていくとしてもいつまでも残り続けます。
人間という物質の存在が地球の成り立ちから比較すると一瞬の微小な存在でしかないことを思いしらされます。すると、悩みが悩みでなくなり、大きな問題も大したことのないように感じられるのです。

335Cについて少しだけ知ったのは、最近の話で雑誌読んだだけの知識でした。
現役時代は、勿論知らなかったし興味もありませんでしたが
2ストエンジンの製造を宗一郎さんから禁止されていて、朝霞のメンバーで極秘に行われていたこと
実戦初レースはエキスパートジュニアの松浦(ウイリー)さんだったこと
最初のエンジンはスズキRAがそのまま流用できたなど、現在のモータースポーツ体制から比較すると
黎明期であったことが想像されます。

ホンダ広報部によるPRビデオだと思いますが、元社員でありながら初めてみました。
1972年吉村太一さんによる335Cデビューから第3戦初優勝までの記録

私個人的には四国選手権デビューした松山オートテックの映像が第2戦に収録されていることが大変うれしいです。コースレイアウトは全く同じですからあのころを思い出しますね。

今の若いライダーが見ても何がいいんだか分からんでしょうね。あの時代に生きていたこと、ピーキーなエンジン特性でストロークの少ないサスペンションでコース整備もしてない路面をハイスピードで走っていくセニアクラス(年寄りじゃないよ)の走りは圧巻です。

これを見て吉村太一さんのファンにならない人はいないんじゃないかな。