2013年1月アーカイブ

オートバイに関る仕事をしながら、オートバイ競争の近代史くらいは知っておいたほうが良さそうだ。

そして、その始まりはいつどこか?別冊オールドタイマー誌の記事によると1901年(明34)開催の上野公園不忍池畔だそうだ。主催の大日本双輪倶楽部は自転車競走の団体で、現在のJCFだと思う。この大会は自転車競走の余興として自動自転車の模擬走行に過ぎなかったとされているが、不忍池の外周にトラックが設けられオートバイ競争が行われた公式記録であることを覚えておこう。なんとこの大会はツール・ド・フランス第1回大会より5年も前のことだそうだ。

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現在の不忍池は公園として整備されオートバイ走行はできないが、ここにダートのトラックがあってオートバイが疾走していたことを想像すると興奮してくる。

しかも当時の観客動員数10万人ということで去年のMX日本GP二千人と比較すると、どれだけ民衆の心を掴んでいた大会だったか。

完全な自動自転車単独のレースは1912年(明45)の第1回自動自転車競走会が最初で阪神鳴尾競馬場、大阪明報社主催とのこと。

そして全国規模の選手権大会の始まりは、1925年(大14)第1回MC選手権獲得競走大会で場所は静岡安倍川原トラックで、主催はなんとオートバイ社。月刊オートバイ誌は大正時代から発刊されていたことに驚かされる。日本最古のレース主催団体と称するMCFAJも二輪雑誌モーターサイクリストが創設したものだが、1959年創立なのでMC選手権の方が34年も古いということが判明した。

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現在の不忍池見取り図。縄文時代この辺りは海だったそうで、海岸が後退して自然の池となった。

中央の弁天島を境に三つの区画に分かれる。この外周で行われたレースはダートトラックではあるが、オーバルではないので、そこそこのカーブテクニックは必要だっただろう。

マシンは既に米国で生産されていたハーレーが主流だったと思う。

 

 

第1回MC選手権の有力選手には多田健蔵さんの名前がでてくるが昭和3年にマン島TTレースで350ccクラス15位に入った同氏だと判ったので、当時のオートバイレースに掛ける情熱の大きさは想像を絶するものがある。

 

CIMG1810.JPGもてぎのグッドオールデイズで見たAJS。

多田さんもこれに乗ったはず!

こんなマシンでTTレースに参戦していた模様。

 

 

 

 

 

 

ようやく丘蒸気が走り始めた日本でオートバイ競走かい!

名古屋TTレースや富士登山レースなどが最も古いと思っていた自分の浅はかさが恥ずかしい。

現役の選手はMFJって何ぞやと聞かれたときに説明ができるようにしてもらいたいと思う。「えーとお金払って走らせてもらってる団体」なんて答えないように。

概略はこうだ、先に鈴鹿サーキット造ってしまった本田宗一郎さんがFIMから日本の窓口を作ってくれないと国際大会の連絡先もわからんと指摘されて創設した団体だった。

今ではサーキットに水洗トイレはあたりまえ、レストランやホテルも完備した上で10万人お客さん収容できるスタンド席付き施設を持つ大企業が出資した団体に成長したということか。そのおかげか、観客激減して興行が立ち行かなくなっても大丈夫。

私の実家は瀬戸内なので来島ドックや今治造船など、造船所が近くにあったにも関らず、製造現場を見ることもなく過ごしていました。物作りを生業とするようになってからは、あのように大きなものをどのようにして作っているのだろうと、大変興味が沸いてきます。

戦時中の大型船は物資の輸送を絶つために米軍に攻撃されて沈没させられていました。氷川丸は機雷に2回も当たって爆破されながら生還した只一隻の大型船です。

タイタニック号の沈没の要因の一つは船体の鉄板を繋ぐ、錬鉄リベットの強度不足と言われていますが、そのときの教訓を生かして、厚さ25ミリの鋼板は溶接継ぎ手によるもので非常に頑丈な作りであったことが生死を分けたようです。

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1930年就航当時の1等乗船券の値段ですが、千円で家一軒が建った時代に5百円だったそうです。日本郵船の初任給は70円。

横浜シアトル航路の船旅が如何に豪華であったかがわかります。

欧州の腕利きの料理人を年棒1万5千円で雇って乗船させていたので、料理の美味さが評判で、チャールズ・チャプリンは好んで氷川丸を選んで乗ったという逸話もあります。

一等特別室や三等室、特別食堂室など、船内の様子も見学できるのですが、なんといっても乗り物を扱う身としましては機関室が、興味をそそられるところです。

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デンマークのB&W社ディーゼルエンジンを搭載。

これはエンジン上部のロッカーアームの部分です。長い棒は下の階にあるカムシャフトの動きを伝えるプッシュロッドになります。すなわちOHVということです。

このエンジンの特徴は燃焼室がピストンの上下にあって、下降と上昇のそれぞれの燃焼を発生させて運転しています。

したがってカムの下側にもプッシュロッドを介してバルブ開閉が行われています。

 

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これが中央のカムシャフトの動きを受けるプッシュロッドの先端です。カムの接触部分は別の油圧ポンプから送られるオイルで潤滑されたローラーで受けています。

4気筒を2連装したエンジンで一つのプロペラを回します。

左右に8気筒あって舵の両側にプロペラは二つありました。

 

 

 

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今では展示用にカットモデルになったエンジンなので、クランクケース内のクランクシャフトも覗くことができます。

このような大きなエンジンを組み立てる技術者の腕前に感銘を受けます。

こんな大きなエンジンですが、始動は只1人の機関士が行うそうです。

機関室にはエンジンとは別におおきな発電機や油圧ポンプ、ボイラーやコンプレッサーが整然と配置されており、エンジン始動はコンプレッサーで起こした圧縮空気を燃焼室に送り込み動かすそうです。

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これは操舵室の舵輪です。

航海士は機関室に指令を出しながらエンジンの運転状態を決定していたようです。

即ちアクセルとブレーキは航海士の音声を聞いた機関士が切り替えを行っていたということになります。

こんな貴重な船内の見学をたったの200円で体験できる、氷川丸を気に入ってしまいました。いつまでも保存していただきたいと思います。

 

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ようやくセンター出しマフラーの音量計測です。

先日、マフラー完成後にエンジン始動しようとして失敗しました。

冷間時の初期始動性が良くないエンジンだと思いました。

考えられる要因はバッテリーの過放電、長くエンジン始動しないで放置しておくと漏電して電圧が下がってしまう現象。

もう一つはこのマシン特有ですが、ガソリンタンクの絶縁が悪く、フレームとタンクが金属接触しているため放電して引火することを恐れました。そのため、タンクを外して作業しようとしましたが、燃料ホースのカプラーが外しにくく、壊しても困ると思ってガソリンを抜いてしまいました。エンジン始動時にはガソリン給油して行いましたが、必要な燃圧に達していなかったかもしれません。

真相はわかりませんが、走行する必要はないので別の新品バッテリーを購入して電圧確認してから再トライしましたが、同様に始動せずバッテリーが弱ってきたので中止して、自家用車のエンジンをかけてブースターケーブル繋いでようやく始動できました。

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この車両はアンチグラビティー製のリン酸鉄リチウムイオンバッテリーが装着されています。

同じ性能のユアサと比べると体積で3分の1、重量が4分の1くらい違いますので、ユアサは取り付きませんがブースターで始動するために使用しました。

ブースターで充電しながらセルを回せるので、今度は簡単に始動できました。

そして、排気音は

車検は近接騒音で、最高出力回転数の50%に保持して計測するので

4500rpmで80dBという静かさ、10000rpmでも90dBくらいなので数値は余裕で合格です。

念のためマフラー出口にディフューザーを付けていますが、外しても2dBほど上がるだけなので、好みに応じて外しても問題ないでしょう。

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公道仕様のためテールランプとライセンスプレートのステーが必要です。

最もシンプルな取り付けをデザインしました。

アルミのリヤフレームにボルトオンでステンレス棒のステーを作ってみました。

 

 

 

 

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2?のアルミ板をベースにテールランプとライセンスプレートが取り付くはずですが私の仕事はここまで。あとはオートバイ屋さんにお引き渡しとなります。

 

正月休みの最終日だけ、どうしても行きたい衝動に駆られて見てきました。

CIMG2050.JPG 海運の安全を祈願して命名された船の名前は、大宮の氷川神社を由来としたもの。

操舵室には氷川神社の神棚が祭られています。

三菱重工業横浜造船所建造

この船は1960年から横浜山下公園の埠頭に係留されている重要文化財です。

横浜シアトル航路を238回往復し、終戦後は南方の兵士を帰国させる引き揚げ船として大活躍しました。

普通なら経験できない外国航路の船内に入り、まるでタイムマシーンに乗って過去にタイムスリップした気分です。

日本郵船氷川丸は1930年(昭和5年)就航で戦前に建造された大型船舶の現存する只一隻であるということです。

 

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非常に内容の濃かった船内見学のレポートは、後ほど。

夕方の赤レンガ倉庫とみなとみらいを大桟橋から眺めています。

歴史と大都会が融合した、日本最高の観光スポット。大人になってから一番感動できた一日だったかもしれません。

 

 

 

 

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B&W社ディーゼルエンジン、4気筒を4機搭載しており、2機ずつで一つのプロペラを回す構造で、舵の両側に二つのプロペラがあったはずですが、係留と同時に取り外され

舵の下部も切断されて航行不能になっています。

その機関室も見学コースに入っており、じっくり観察してきました。

 

大晦日にジョイントは完了していましたが、過労のためか正月早々に寝込んでしまい、3日から再開です。

CIMG2016.JPG左右のエキパイはマフラーの前で集合されています。

しかし、マフラーが固定されているわけではありませんので、リヤフレームに取り付けのためのステーを新設します。

リヤバンクのエキパイはフロントバンクのエキパイと等長とするため2回Uターンして長さを稼いでいます。

 

 

 

 

CIMG2018.JPGセンター出しマフラーの全容はこのとおりです。 

アルミとチタンの複合で、総重量2.2kgまるでレーサー並みです。 

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カウルをセットしてマフラーとの整列を確認してみます。

タイヤセンターとマフラーの芯を合わせるようにステーの位置決めをします。

FRP製カウルの位置は必ずしも車体中心と合っているわけではありません。取り付け穴位置を加工して中心になるように変更します。

 

 

 

 

CIMG2021.JPGここまで来れば、あと一息なのですが、マフラーのラバーマウントのための部品を発注しなければなりません。

来週まで部品屋が動きませんので、完成は来週に持ち越しですが、残りの加工は明日一日で終了です。

 

 

 

 

 

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マフラーのマウントが完了したのでリヤクッションフルボトムさせて、タイヤクリアランスを確認します。ショックのストロークを変更して対応しました。

ノーマルはオフオード車なのでロングストロークですが、オンロードならこれくらいのストロークで充分な気がします。

 

 

 

 

 

 

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マフラー取り付け業務完了しましたので、音量測定のためエンジン始動を試みましたが、残念ながらバッテリー電圧不足で始動できず、バッテリーチャージャーも持ち合わせておりませんので、後日電圧を復活させてトライしたいと思います。

これは公道走行可能なレベルに仕上げる目的なので、ライセンスプレートとテールランプのマウントステーも作らなければなりません。

あと少しですがリヤフレームに留められるスペースが殆どないので悩んでおります。