2012年5月アーカイブ

CIMG0806_2.JPG

元英国皇太子妃ダイアナさん2回目の来日のときでした。90年11月(29才)

当日の朝まで訪問されるVIPの名前は極秘扱いでしたが、自動車の製造現場に王室の方が来られることは非常に異例だと思います。

これも、英国人が自動車の文化に親しみがあり、モータースポーツにも理解が深いことを表している証拠です。皇太子妃をお迎えするために、ホンダエンジン搭載した英国コンストラクター、マクラーレンのレースカーと出来上がったばかりの新型車NSXを、工場の中庭に展示していました。

CIMG0807_2.JPG

これほど貴賓に満ちた女性を見たことがありません。

これから油まみれの機械と部品がひしめいた製造ラインへ視察に入られたのですが、自動車の華やかな部分だけではなく組み立ての過程に興味をもたれたところに、好奇心旺盛なダイアナさんらしさを垣間見ることができます。

これは貿易とか商売の目的ではなく、彼女個人の遊び心と日英友好の標であったと思います。

こんな自動車好きの国民性ですから国内のいたるところにサーッキットがあり、オフロードコースやダートトラックならどこの町にもあるくらいモータースポーツも浸透しています。戦時中の首相チャーチルさんの住居、ブレナム宮殿の敷地内でWRCラリーを開催したとか、アイルランドのマン島では島中の公道を封鎖してTTレースを開催しても何の問題もない国ですから、モトクロスのネイションズを開催するのに、国有か個人所有かわかりませんがお城の敷地を解放して、世界中の元トップライダーを集めてベテランズ版ネイションズも開催しています。

ジェフ・スタントンを追うジェームズ・ダブの迫力あるシーンが7:00あたりで見られます。モトクロス通の人なら他にもお気に入りライダーが見つかるでしょう。

ここのすごいところは、80年90年代のビンテージマシンが当時のようなワークス体制で参戦しているところで、デビッド・ソープやジェフ・スタントンなど英米のチャンピオンライダーの走りもすごいですが、マシンのコンディションも万全体制で車両みるだけでも楽しめそうです。確かこのコースは80年代にWGPで使った場所ですね。エリック・ゲボスが500ccで走っていたころビデオ鑑賞した覚えがあります。

'>動画の最後の部分にあるダニーMAGOOチャンドラーのメモリアルを見て改めて感動しました。

82年ドイツで250cc、83年スイスで500ccに乗って、全てのヒートで1位という、ネイションズ史上パーフェクトモトフィニッシュを決めた唯一人のライダーということで表彰されています。

チャンドラーさんは去年亡くなられましたが、私には忘れない記憶があります。狭山工場に配属されて最初に栃木のテストコースへ出張したときに宇都宮駅前に会社のバスが向かえに来るのですが、バス停で待っていたチャンドラーとジョニー・オーと一緒にバスに乗っていったことです。こんな世界で一流のライダーの隣に座っていくなどという、他愛無いできごとですが運命を感じます。

英国出張中に滞在先のホテルでよく見てました。日本と違ってモータースポーツ関係のTV番組が充実しているヨーロッパ。専門誌でいくら扱っていただいてもメジャーにはなりません。お茶の間でTV観戦できることが必須でしょう。地味な陸上競技の選手でさえ、日本中で有名になれるのはTVのおかげといえるでしょう。残念ながら日本ではスポンサーにつく企業もないので番組制作できないわけですが、世界1のオートバイ生産国でありながら、モータースポーツ作りとなると後進国という奇妙な国です、我が国は。

ホンダオブUKの所在地、スウィンドンから近いフォックスヒルの世界GPです。カストロールの本社もスウィンドン市内にあります。

先ずは1997の125クラスから、私の好きなアレッシオ・キオッディが走っています。この年にtm125でチャンピオン取りました。

 

'>キオッディが好きな理由は小柄なのに125ccで3回世界チャンピオンを取っている速さをもっていることです。菅生の世界GPで本物のキオッディを見ましたが、YZ250Fのシートが非常に薄かったことに感動しました。小さくてもやれば出来る!という証明でした。

 

お次は1998のネイションズです。会場は同じくフォックスヒルですが、雨の影響でマディーバトルとなりました。

ヒート2は全員スタックして登れない坂をステファン・エバーツが唯1人登ってみせた伝説のシーンが1:45あたりで見られます。オーバーオールは当然ベルギーチームでした。

 

'>日本のモトクロスも殆ど雨のマディーコンディションですから、このGPライダーの走りを目に焼き付けて練習に励むといいでしょう。

40代、50代を過ぎたオッサンが集まると昔話を始める習性があることに気付きました。私もその一員であることに間違いないです。

新しい世界には不安な要素(エネルギー問題、自然災害、増税、高齢化、・・・)が山積ですが、過去の思い出は自分を苦しめることもなく、愉快な気持ちにさせてくれることが昔話をする要因でないかと思います。

1979年、私は15歳でした。私が生まれる前年に創立された新居浜高専に第16期生として入学しました。金属工学科、空手道部所属、入学の動機は幾つかあって、専門課程を学べる、全寮制あること、免許取得OK、空手道部あり、でした。2年生に進級したころ、通学生用の駐輪場にボロい自転車が同じ場所に毎日置いてあるのを見て、てっきり卒業生がいらない自転車を置いていったのだろうと思い、勝手に取り込んで乗り回していました。

1週間くらいたったでしょうか、その自転車を寮の前で乗っていたら、上級生に呼び止められ「それは俺の自転車だ!」といって取り返していきました。そのとき初めて自分の過ちに気づきましたが、既におそかったようです。まもなく、同級生から「指導寮生の家田さんが呼んでいる」と告げられて家田さんの部屋へ行きました。

指導寮生とは、下級生の朝の点呼や生活態度の監視を任される代わりに広い個室を与えられた上級生のことです。家田さんは、学生会長であり、空手の極真会館新居浜支部道場の師範代ということも知っていましたので、自転車泥棒の制裁として半殺しにされるのを覚悟して部屋のドアをノックしました。

「入れー」という声がして部屋に入ると、ベンチプレスでバーベルを上げたまま、こちらに目線を向けることなくトレーニングする家田さんがいました。そのままの姿勢で「何で自転車を盗んだ?」迫力のある声に圧倒されながら「す、捨ててあると思いました・・・」明らかに怯えた声で答えるのが精一杯でした。

そして、静かにバーベルを置いて立ち上がり私の正面に来て、正拳が唸りを上げて顔面で寸止めされました。「今度やったら顔潰すぞ」という一言だけで退室を命じられました。学生会長という立場上、体罰という行為を控えたということでしょうが、私は真剣に反省するのに充分なインパクトでした。

高専の空手道部は松涛館流という型を重んずる流派でしたが、組手は寸止めルールなので、実戦空手を習いたいと思い極真会館新居浜支部へ練習にいきました。そして指導員をされていた家田さんから、事件のことは無かったことのように親切に空手のアドバイスをいただきました。本当に強い人は技術だけでなく人間性も磨かれているものだと実感した瞬間でした。

この新居浜支部道場を開設した芦原会館の総裁、芦原先生に直接お会いしたことはありませんが、金属工学科の同級生で山田ユーゾーという男は直接指導を受けたそうで、新居浜支部道場の物件探しに同行していました。芦原先生はヘビースモーカーでクルマの中でも常にタバコを吸っていたそうで、ユーゾー氏が「そんなにタバコを吸って、大丈夫ですか?」と尋ねたら芦原先生は「試合は3秒で終わるからスタミナは必要ないんだ」という先生ならではの答えが帰ってきたそうです。そしてユーゾー氏は高専は3年で中退して大阪でキックボクサーの道へ進みました。

当時青少年に影響を与えた漫画空手バカ一代の第2部、世界制覇編の作者、影丸穣也さんが先日亡くなられたということをニュースで知りました。私たちに生きる勇気と力を与えてくれた、原作のモデルになった芦原先生、漫画の作者影丸先生にご冥福をお祈りいたします。                    押忍

 

'>

極真会館の道場は練習のやりがいはあったのですが、月謝が払えず辞めてしまいました。そのころ、新聞配達のアルバイトはやっていましたが、単車の購入資金に消えてしまっていたのでした。

もうひとつ1979といえば、大事なものがありました。

'> 

この人たち当時20歳そこそこで、このような作品をレコード制作して売り出していたんですね。すごい成熟した人たちでした。いまではありえないメンバーの競演なので語り継いでいきたいです。

 

 

世間は大型連休中ですが、予定の業務が終了していない弊社はエンドレスで進行中です。

1ヶ月近くお預かりしているマシンのチャンバー製作に着手しているところですが、予想に反して手強いです。

CIMG0798.JPG

TZR250の後期モデル、89年から3年しか生産されなかった前方吸気、後方排気という珍しいレイアウトのエンジン。

91年からV型となるため並列2気筒としては最後のモデルとなります。

しかし、このレイアウトはメリットとデメリットがあって総合的にはどうなのか、いろいろ乗り込んだ人しか分らないと思いますが、私個人的には面白いですね。

何で他の機種ではこういうレイアウトが採用されなかったのか興味深いところがあります。

クランクケース吸入ですから、キャブレターが後ろでも前でも吸気量は同じですが、通常レイアウトではキャブレター周りが熱くなってしまいますが、前方なら冷やされますから、フレッシュなエアーが吸入され充填効率が上げられるでしょう。排気管も後ろ向きの排気ポートからストレートに排気され抵抗も少ないでしょう。

CIMG0799.JPG

チャンバーの寸法は依頼者からエクセルで作図したものをメール送信していただき、それに従って製作するだけです。ところが、真っ直ぐなパイプを作るわけではありませんので微妙なカーブを作ることで難航しています。

左右のエキパイを成型して口元フランジを固定してみると、これではパイプの位置が高すぎます。シートの下が近くて配線などが焼けてしまうことになりそうなので、やり直しです。ここまで2日かかっていますが、惜しげもなく廃却です。

 

CIMG0800.JPG

即効で少し下向きに変えたカーブのエキパイ2本を作成して続行です。

このようなことを繰り返していますので予定どおり業務が進まないということになります。

納期は約束しても無駄ということです。

初めて作るものはどうしても時間がかかりますが完成したときの喜びも既成品とは違うものがあるのです。

 

 

CIMG0801.JPG

うーむ、官能的です。

リヤストレートとは名ばかりで、クネクネ曲がってないと、サブフレームやサイドカバーと干渉してしまうので、必然的なカーブを描いています。

これからテールパイプとサイレンサー2本作らなければ完成しません。

あと20時間くらいでしょうか、もうひと頑張りします。

 

 

 

CIMG0802.JPGサイレンサー2本、リヤカウルに空いた穴から突き出しています。

4ストのセンター出しは、このモデルから発展したと言えます。センターはリヤタイヤが上がってきますので、チャンバーは両側に張り出した形状にしないと当たります。

サイドカバー付けると全部隠れて見えなくなりますのでストリップ状態だとこのようになります。

これでオーナーの設計されたチャンバースペックで製作が完了しました。

GW+3日の工程費やしましたので、この後も過密スケジュールで進行していきます。