2011年6月アーカイブ

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NSR50のロードレーサーが今回の議題。

GPmonoでレースをされているナオキさんの練習車ですが、ミニバイクは転倒も多いそうでダウンチャンバーだと、サイレンサーは路面に擦ってしまうため

サイレンサーをリヤカウルの中を通す、センター出しに改造するためチャンバーをアップタイプに変更してフレームの中を通すレイアウトに作り変えるというもの。

 

 

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チャンバーを作るとき、最初にやることは元になるチャンバーの寸法を測ってストレート図に書き直すことです。

写真の上側は元のチャンバー

下側はストレート図に基づいて作られた模型

円盤はパイプの内径を表し、軸芯の棒はパイプの長さを表します。

この模型を曲げて車体に取り回すレイアウトを検討します。

 

 

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このようにエンジンやフレームとの隙間を確認しながら形状を決めていきます。

同じものは二度と作りません。この車両だけのためのワンオフ製作です。

このあとアンダーカウルやキャブレターの燃料ホースなどに当たらないようにクネクネと複雑なカーブを描いて、狭いフレームの隙間にチャンバーが収まっていきます。

明日は模型の形状に合わせてパイプを成型していきます。

 

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成型されたパイプを接合しました。

模型のカーブに似ていますが、車体がアップチャンバーを想定して設計されていないために取り回しはミリ単位でフレームをかわすシビアなものになりました。

アンダーカウル装着のため、フレームギリギリに寄せないと、グラスファイバーのカウルを溶かしてしまうことになります。

明日はラジエターのマウントとセンター出しサイレンサーのフィッティングを行います。

 

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世の中、優れた製品が次々に現れる。 その流れがあまりにも急激で自然に映るので、それが活躍していても興味が湧いてこないものである。そしてそれらが役目を終えて、時間が経ってから貴重なものであったことに気づかされるのだ。

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記憶によると入社試験で東京に来るとき初めて乗った新幹線。

20代のころは東海方面や東北方面の取引先へ出張するたびに利用していたが、あるのが当たり前で、大して興味がなかったものだ。

ところが、こんな真正面から至近距離で目の当たりにすると、とんでもない偉業の結晶であったことに改めて感動する。

 

 

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RC174のエンジン

297,06cc空冷6気筒 65ps以上17000rpm 7段変速

1962年から世界選手権350ccクラスで5年連続制覇したマシンで最後の1967年は全8戦中、欠場した1戦を除き7レースで勝利し、ホンダの絶対王者を印象つけた。

勝ち目の無いヨーロッパ勢を救済するためため気筒数制限と変速は6速までというレギュレーション改正に追い込んだ。

当時私は5歳くらいだったので知る由もなし

40年以上経過して本物を目の前に感動した。

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最も高性能な2ストエンジン。

MotoGPの永久欠番74は加藤大治郎の乗ったNSR500。

2001年WGP250クラスチャンピオンの大治郎は2002に最高峰へスイッチし、RC212Vなど990cc4スト勢有利のMotoGPクラスで2ストで2位入賞したマシン。

大治郎が16歳でロードレースを始めたチームは熊本にあるTEAM高武

66年全日本250チャンピオンの高武さんは若手ライダーの育成にも長けていた。

モトクロスでは後のヤマハワークス籐秀信、無限の鶴田忍、同じく安井崇など

ロードレースでは宇川徹、玉田誠、加藤大治郎らホンダワークスライダー養成所のようなチームだ

高武さんはホンダが67年で世界選手権参戦を中止したので4輪レースに専念し、72年F1500チャンピオンに輝いている。私がホンダ入社したころは明和シビック(明和会自動車部、ホンダ和光工場の社内クラブ)に乗ってシビックワンメークレースで活躍していた。

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これは900Z1、後ろにCB750エアラ見える。

実は中学生のころはモトクロスはあまり興味なかった。国内仕様の750RSが好きで、自宅のある町内に2台あるのをチェックしていた。その中の一台が、せとうちバスの社員寮に置いてあって、バスの車掌をやっていたお兄さんに乗せてもらったのが速いオートバイ初体験だった。勿論後部座席だがカーブが一気に迫ってくる加速はまるで瞬間移動かと思うほどだ。

カワサキのZはアルファベットの最後、即ち究極の意味で、これが世界の大型2輪をリードするフラッグシップになったわけだが、1974年ころにこのデザインができたカワサキの開発者は天才的な才能だと思える。こんな古いものがある限り、感動はいつまでも続くだろう。

 

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アメリカのハーレー・ダビッドソン社は日本にようやく蒸気機関車が走り始めたころからオートバイの製造をやっているメーカーです。日本のオートバイの夜明けは英国やドイツから輸入したオートバイでしたが

自国で製造するようになったのは昭和にはいってから、しかも英国製のコピーで自社開発もできてなかったわけです。戦後になって陸王というハーレーダビッドソンのコピーマシンが販売されました。時代は移り変わって、真似した機械に改良を重ねてオリジナルブランドを凌駕する日本メーカーが育ちました。

伝統を重んじる欧米のメーカーはモデルチェンジを繰り返しても同じ形式のエンジンを守りとおしてきたというのに、日本メーカーは、その伝統のエンジン形式さえも、自分で開発したかのように新製品として売り出しました。目的はただ一つ、お金儲けでした。

技術力でハーレー・ダビッドソンのシェアを奪おうとした日本メーカーを相手に告訴しました。その内容はVツインというエンジン形式でも、シートの低いアメリカンスタイルでもありませんでした。それは「音」でした。ハーレーのマフラーから発する音を真似してはならない、ということだったのです。そしてハーレー・ダビッドソン社は勝訴。それ以来、日本メーカーのアメリカンスタイルはハーレー・ダビッドソンに似せたものは無くなったという話です。

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このマフラーの持ち主もハーレーの音に魅了されたライダーの1人で、伝統の音を再現したいという希望を持っておられます。

最近の日本の大型バイクの騒音規制のためか、ハーレーの音さえもつまらないものになっていて、なんとか手持ちのパーツを改造して「いい音」にしたいということが今回の企画です。

ノーマルの中身を取り外して新設計の中身と入れ換えするのですが、ご覧の通り分解できる構造になっていません。

実はオーナーの依頼で、分解したマフラーの画像をアップしてほしいと言われましたので約束通り、分解しました。

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X線で透過画像を見れれば非分解でも確認できるのですが、設備がありませんので

切断して内部確認しました。このマフラー外側は復元して使用するので、内部の構造物を新作して中に仕込む予定です。

いかにも改造しましたという外観は望ましくないということです。

狙いは2本の排気管を独立させたものを一つのマフラーに収めるということらしいです

あとはオーナーの図面待ちということで。