2011年5月アーカイブ

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東京駅、なんとレトロな文字でしょう。

車輪で走る乗り物を扱う者として

知っておかなければならない歴史があります。

オートバイなら、もてぎコレクションホールを観ることをお勧めしますが、

ここの博物館はそれを凌ぐスケールの展示内容に驚かされます。

究極のビンテージがここにあります。

 

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150形式蒸気機関車 1871年製造

英国から輸入された日本初の蒸気機関車。

新橋ー横浜間を1時間で走ったそうですが

初めて乗った乗客は横浜に到着しても、誰も降りようとしなかったといいます。

当時歩いて丸一日かかった距離なので、あまりにも早く着いたので、疑っていたのだそうです。

当時は日本に機関車を作る技術はありませんでした。

 

CIMG0344.JPGこちらはアメリカから輸入された弁慶号。

北海道開拓に活躍しました。

機関車のデザインも英国と米国ではかなり違っていますが、古い映画のワンシーンを観ているかのような光景ですが、これらの車両は実物で、重要文化財に指定されています。

私は鉄道マニアではありませんが、この博物館を観たいと思ったきっかけは、

私の故郷、愛媛の偉人に十河信二という人物がいたからであります。

第4代国鉄総裁 「新幹線の父」と呼ばれた十河信二(敬称略)は

愛媛県尋常中学校東予分校 (現在の西条高校)出身で東京帝国大学法学部卒業後、鉄道院入省。

満州開発の社長で鉄道事業に尽力し、昭和20年西条市長就任。昭和30年、71歳にして第4代国鉄総裁就任。東海道線の輸送力の行き詰まり打開策として、新幹線構想を打ち出した。

この世界的に前例のない一大プロジェクトを立案し遂行した偉人が、私の出身地、西条市の市長であったことで、この史実について知っておかねばならないと思っていた矢先、自宅から近い大宮に鉄道博物館が開業したので、観に行かない理由はありませんでした。

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これは、展示物の中で最も興味のあったものです。

9850形式蒸気機関車 1913年製造

マレー式と呼ばれ、東海道本線御殿場越えで活躍した車両で大胆にカットモデルを作成し、蒸気機関内部の構造を解説しています。

内径×行程 500×650mmのシリンダーは前後に配置し、後ろのシリンダーから排気した水蒸気を前側のシリンダーに再利用して、左右で4つのピストンを動かしています。

そして、長くなった台車の中央に間接を設けてあり、カーブでもスムーズにコーナリングできるようになっています。足回りの構造は地下ピットに入って見学できるので、機関車の構造が目で見て分るようになった、ありがたい教材です。

マレー式とはフランスの鉄道技師、マレー氏の発明した方式のことだそうです。

 

 

2 WHEEL DRIVE 2輪駆動車です。この方式は製作者、ホンダEGの吉田さんの特許でした。

カウンターシャフトからの動力をチェーンで取り出し、途中フリーホイールを介して前輪に取り付けたスプロケットにチェーンで伝達するという内容で、他の2輪メーカーでも研究はされていたようですが同じ方式の2輪車は量産されたことがありません。

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この車両は22年前に朝霞研究所から依頼されて製作された試作車ですが、当時の2輪雑誌にも取り上げられていましたので40歳以上の人なら記憶に残っているでしょう。

この車両が本領を発揮するのは、マディ路面やサンド質です。フロントタイヤが抵抗になって走りづらい場面でも問題なく走っていけます。

実際に山形県のビーチエンデューロに出場して上位入賞も果たしたそうです。

現在は走らせる機会もなく部品取り状態になっていますので、私が復活させて動態保存させていただくことにしました。リヤショックがリンクごとはずされ、フロントブレーキも固着して使えません。欠品部品を装着し、各部オーバーホールして運転可能な状態にする予定なので、完成したら試乗インプレッションを当ブログで報告します。

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駆動系のカバーをはずした状態。

ドリブンスプロケットのチェーンははずしています。シリンダー横のハブはフリーホイールになっています。

これは前後輪の回転差を吸収する機構で

フロントの回転が遅い場合にブレーキになってしまいハンドリングが重くなることを防ぐため若干、フロントを速く回します。

ブレーキを掛けた場合、フロントの回転が落ちてもフリーホイールが空転するので後輪のドライブに影響は出ません。

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フロントタイヤは18インチ。ドライブスプロケット付きです。

ステアリングセンターに等速ジョイントを用いてハンドルを切っても左右の動力伝達はスムーズに行われるためハンドリングはノーマルに極めて近い印象です。

赤色の耐熱塗装を施されたチャンバーは10年ほど前に私が製作したもの

仕事の合間にレストア作業するため完成時期は未定ですが1年以内に走行可能な状態にすることが目標です。

先月のクラブマンMX以来、モトクロスは全くやっていなかった。勿論、業務のため練習時間がとれなかったわけだが、来週の軽井沢のレースは走るつもりでいるので準備はしておかなければならない。

コースレイアウト変更したということでGWの最後に時間をとって練習に行ってきた。

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5月というのに異常に寒く、走っても体が暖まることはなかった。おそらく10℃以下だったと思う。

レイアウトは2、3コーナーの区間が新しくなっていただけだが、ギャップの状態とコーナーのアウト側に堆積したパウダーが、スムーズな走行を妨げるので、テクニカルだが

良いラインは狭く、レースになると特にスタート直後は接触アクシデントが懸念される。

路面は長年踏み固められた火山灰質が非常に固く、タイヤで踏んでも全く凹まないのでサスペンションと体を酷使するしかない。

残雪の観える山をバックに気持ちよいジャンプと思われそうだが実はそうでもなかった。

とにかく埃が多くて呼吸が苦しい、裸眼だと目が痛くて開いていられないくらいだ。風が吹いていなければコース内だけの問題だが、突風で駐車場まで上がってくる砂埃は、例えば洗車しているマシンが泥まみれに変わっていくほどだ。コースの周辺に民家はないので苦情は来ないのかもしれないが、近隣に広がるキャベツ畑は埃まみれに違いない。

山の水は流れているのだから水を溜めておくことはできないのだろうか?これではレースのとき視界不良になって事故がおきる可能性もあるだろう。散水できる水源の確保が急務だと思うが、長年あのままの状態なので期待は薄いだろう。場所は日本のモータースポーツ史の原点、リゾートでモトクロスを満喫といきたいところだが、路面状態や不快な土埃が長距離移動して練習に行きたくならない要因であることは間違いない。

それでも、レース会場の少ない近年のMX事情だからレースは開催される。快適さと安全性は主催者側では用意してもらえないということで、自分で準備していくことにするしかないのだ。

今年はあと2回、あそこへ行かなければならないのだから。

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レースの開会式でお話があり、震災後水脈が変わってしまいテーブルトップ脇の水溜りが無くなり、別の水源を確保したということ。

ポンプの調子がよくないのと、消防ホースを人界戦術で散水したのがこのようす。

しかし、埃で視界が無くなる部分は全く散水できませんでした。

できたのはあまり埃の影響のないコーナーの部分だけなので、スリップと埃のダブルパンチという状態に陥りました。

 

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SE、GPクラスヒート1は散水直後のスタート

1コーナーは濡れているので、アウト側の壁を使って曲がっていきます。

ホールショットはマルクラ・マルセロ・ヨシハル選手。ブラジル出身大田市在住。SEクラスは450率が高くスタートに有利という結果が見えています。

直後に元ワークスライダーの2人がせまってきてMXショーの始まりです。

 

 

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