一番好きなオートバイ

後世に残したいオートバイを一台だけ挙げるとすれば、迷わずこれだろう。

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今更説明の必要もない、ホンダがWGP参戦して9年目に偉業を達成したワークスマシン

RC166である。イラストのゼッケン16は1966年Mヘイルウッド車

同年はWGP50ccから500ccの5階級のチャンピオンを獲得し、50と350の階級は消滅したので

2輪メーカーとして永久に破られることのない偉業となった。

とくにRC166の250ccクラスは不参加の2戦を除いて、Mヘイルウッドのライディングにより

10戦全勝した究極のマシンでスペックはこのとおり

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このマシンが活躍した年は3歳だったので記憶にないが、小学校低学年になると百科図鑑のオートバイのページにはこれが載っていたので知っていた。

そのころからの記憶がこんなオートバイを作ったメーカーに憧れて、就職を決定することになったのかもしれない。

実車は茂木のホンダコレクションホールに展示してあるので、いつでも見ることができるが

私にとっては、これらの偉業の他に運命を感じる出来事があったのだ。

それは今住んでいる市内にRC166のクランクシャフトを削りだした人がいることがわかったことである。

その人は吉田さんというのだが、私がホンダに在籍中からの知り合いで、生産設備を作るホンダエンジニアリングに所属していて、実験室を任されていた人物である。

オールアルミボディのNSXを立ち上げるときアルミのスポット溶接の条件など自動車では経験が無かったため

吉田さんの実験室でスポット溶接のテストピースを作っては、私の職場の試験機で強度テストを繰り返していたのでよく知っていた。

それはアルミの板厚とナゲット径と溶接電流の関係を調べて、溶接ロボットにティーチングするHES(ホンダエンジニアリングスタンダード)規格として量産で運用された。

2輪車では2輪駆動の特許も取得しており、80年代のオフロード雑誌でも取り扱われていたのでご存知の人も多いと思う。

そんな吉田さんはホンダの創世記に旋盤工として採用され、GPマシンのエンジンパーツ製作を任されていたそうだ。

RC166の6気筒エンジンは一本のワンピースクランクで吉田さんのハンドワークで削りだしていたという。

加工中、背中越しに宗一郎さんが見ていたという話も聞いたし、Mヘイルウッドが試走するときも立ち会ったという貴重な話もしてもらった。

現代のオートバイはCADで設計したデーターでマシニングセンターが動いて加工するので、人間の手で作られた部分は皆無である。

しかし、当時のオートバイは鉛筆で書かれた設計図に基づいて手動の加工機で製作されたもので

それでホンダという社名を世界のメーカーや2輪ファンに知らしめたという意味で後世に残したい一台のオートバイにしたいと強く思うのである。

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