2010年3月アーカイブ

後世に残したいオートバイを一台だけ挙げるとすれば、迷わずこれだろう。

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今更説明の必要もない、ホンダがWGP参戦して9年目に偉業を達成したワークスマシン

RC166である。イラストのゼッケン16は1966年Mヘイルウッド車

同年はWGP50ccから500ccの5階級のチャンピオンを獲得し、50と350の階級は消滅したので

2輪メーカーとして永久に破られることのない偉業となった。

とくにRC166の250ccクラスは不参加の2戦を除いて、Mヘイルウッドのライディングにより

10戦全勝した究極のマシンでスペックはこのとおり

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このマシンが活躍した年は3歳だったので記憶にないが、小学校低学年になると百科図鑑のオートバイのページにはこれが載っていたので知っていた。

そのころからの記憶がこんなオートバイを作ったメーカーに憧れて、就職を決定することになったのかもしれない。

実車は茂木のホンダコレクションホールに展示してあるので、いつでも見ることができるが

私にとっては、これらの偉業の他に運命を感じる出来事があったのだ。

それは今住んでいる市内にRC166のクランクシャフトを削りだした人がいることがわかったことである。

その人は吉田さんというのだが、私がホンダに在籍中からの知り合いで、生産設備を作るホンダエンジニアリングに所属していて、実験室を任されていた人物である。

オールアルミボディのNSXを立ち上げるときアルミのスポット溶接の条件など自動車では経験が無かったため

吉田さんの実験室でスポット溶接のテストピースを作っては、私の職場の試験機で強度テストを繰り返していたのでよく知っていた。

それはアルミの板厚とナゲット径と溶接電流の関係を調べて、溶接ロボットにティーチングするHES(ホンダエンジニアリングスタンダード)規格として量産で運用された。

2輪車では2輪駆動の特許も取得しており、80年代のオフロード雑誌でも取り扱われていたのでご存知の人も多いと思う。

そんな吉田さんはホンダの創世記に旋盤工として採用され、GPマシンのエンジンパーツ製作を任されていたそうだ。

RC166の6気筒エンジンは一本のワンピースクランクで吉田さんのハンドワークで削りだしていたという。

加工中、背中越しに宗一郎さんが見ていたという話も聞いたし、Mヘイルウッドが試走するときも立ち会ったという貴重な話もしてもらった。

現代のオートバイはCADで設計したデーターでマシニングセンターが動いて加工するので、人間の手で作られた部分は皆無である。

しかし、当時のオートバイは鉛筆で書かれた設計図に基づいて手動の加工機で製作されたもので

それでホンダという社名を世界のメーカーや2輪ファンに知らしめたという意味で後世に残したい一台のオートバイにしたいと強く思うのである。

今日は午前中の仕事を片付け、納品を兼ねてMXビレッジへ観戦にいきました。

実は今回、唐沢栄三郎さんが走るという情報を事前に聞いていましたので

それが目的でもありました。

しかも、マシンは80年に全日本山口大会で唐沢さんが総合優勝した21番車の実車を奈良県の

VMXワークスショップのホーリーエクイップさんがレストアして持ってこられていました。 IMG_0401.JPG

これが30年前に唐沢さんが乗って優勝したマシンです。

今日のエキスパートクラスでも2ヒート完全優勝でした。

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ガッチリと握手を交わす現オーナーの堀口さんとライダーを引き受けてくださった唐沢さん。

本日、夢の競演を実現していただいたお2人です。

私がホンダに入社して和光工場の実習生だったころ

ようやく給料を貰えるようになったので、MXを始めようと思って、田舎者の私は雑誌の広告を見て

御徒町のモトレオン(現ロッキースポーツ)へマシンを探しにいきましたが見つかりませんでした。

そしてその近所にモトバムというロードレースで有名なお店があったので飛び込みました。

83年型CR250を新車で取り寄せていただき、代表の池沢さんが元ホンダのモーターレク推進本部におられて、モーターレク契約ライダーと仲がよかったらしく

「工藤君、MXやるんだったら先生がいたほうがいいでしょ」といって、唐沢さんを紹介していただいたのでした。

桶川の「山田うどん」で待ち合わせて練習でご指導していただいたことは忘れません。

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このチャンバーにヒートガードが着いているのを見て思い出したことがあります。

3年くらい前、世界の鈴木都良夫さんがCRのチャンバーを修理しに我社へ来られたことがありました。

ビンテージMXに出ていることはそのとき聞いたのですが、膝が熱いのでヒートガードを作ってほしいと頼まれて作りました。

まさか都良夫さんが乗っていたのが唐沢さんのマシンだったとは、今回これを見て知りました。

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ヒート2の前、スタートを待つ唐沢選手。

ジェットヘルにシニサロのチンガード。カッコ良すぎます。そして鮮やかな走りは現役時代そのままでした。今でも相当トレーニングを積んでいらっしゃることでしょう。

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狭山レーシング時代からお世話になっている原口衛選手。

元無限契約ライダー、79年国際B級250ccチャンピオン。

ちなみにホーリーエクイップの堀口さんは同年のジュニア250ccチャンピオンでした。

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城北ライダース出身、吉友寿夫選手。マシンは珍しいヤマハMX250.

国際B級時代、モトロマン所属でゼッケン#1でした。

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うず潮RC所属、国際B級の田村勝弘選手。徳島阿波レーシング出身。

マシンは86CR125。CRシリーズの生産を八千代工業へ委託していたころ、彼の手によって組み上げられた量産車を当時から放さず持っているそうです。

 

IMG_0412.JPGエキスパートクラスのスタート。私の得意なヘッドタッチ方式です。

 

 野宮修一選手とKX250。

前回優勝だったのに

今日はブレーキのトラブルで3位に甘んじてしまいました。

悔しさが表情に表れています。

気持ちはまだまだ現役ですね。

 

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旧車のイベントには旧車が集まるというわけで、こんなマシンに出会いました。

トーハツの50cc2気筒ロードレーサーです。

  IMG_0419.JPG精巧なエンジン部分。乾式クラッチにフロートチャンバー別体式のキャブレターはアマルかな?

非常にシンプルな走るためだけの機械を感じます。

IMG_0418.JPGドラムブレーキのベンチレーション。風量アップのため手製のエアインテークを追加しています。

オートバイの正しい楽しみ方をしていらっしゃるのでしょう。

今日は楽しいものを沢山見せていただいて大変ありがとうございました。             

ニッサンVG12が老朽化のためホンダRF1に乗り換えました。

低床ミニバンのため車高が低い割りには充分なカーゴスペースがあります。 IMG_0397.JPG

後部座席を取り外すと、このとおり。

オートバイの積み込みは余裕の広さですが、まだ内装が綺麗なので座席にタイヤを押し当てるのは気が引けます。

そこで作ってみたのがタイヤ止めです。 IMG_0398.JPG

床はコンパネなどは敷きません。泥が落ちれば、マットを下ろして水洗いしますので簡単です。

タイヤ止めはアルミ製。業務終了後、夜8時に思いつき在庫の材料を適当に選んで、急拵え。

10時には出来上がっていました。

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実際に積んでみるとこんな感じで、同じ型のクルマにのっている人が450、2台楽勝で入ると言っていたのも納得です。

タイダウンのフックも天井のグラブレールが調度よい位置なので、新たに取り付ける必要もありませんでした。

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タイヤ止めをセンターに置くと座席をリクライニングさせられます。

床に固定しなくても前にずれることはありませんので、任意の位置に置くことができて、テントや発電機など荷物の量に合わせて積み方を変えられます。

RF1は実はトランスポーターとして最適なパッケージなのでした。

松山オートテックは愛媛県松山市の山中にあるMXコースで、県民の水瓶「石手川ダム」をさらに山奥へ進むと、瀬戸内海が広がる絶景の山の尾根の部分を切り崩したMX場が現れる。

ゴルフ場も隣接しているのでコースまでの道路は完全舗装された環境のよさ。当時のMXファンなら五明(ごみょう)という地名で知られている、そのコースは通称パチ台と呼ばれていて

コースの一番低い位置にスタートとフィニッシュジャンプがあり、高低差100mくらいの斜面を一気に上ってからパチンコ台のようにクネクネとバンクのついたタイトコーナーを曲がりながら下ってくるので

下からコースの状態が80%くらい見えるので観戦しやすいコースだった。

松の木の山林に黄色い山砂のコースは日本のMXコースの中でも一番美しかっただろう。

そしてカワサキ ダートクルニクルスの記事を読んでいて懐かしく思った。

チームグリーンの平井監督の話だったが、最初に育てたA級ライダーは中深迫正と菅原義広。

その前にチームグリーンとして成功したのがスーパーノービス調所伸一と鈴木南平だったことを

平井監督が語っている。

そして、その舞台が全日本四国大会の松山オートテック、83年のレースだった。

コースの一番高いストレートが終わった左コーナーの向こうは青い瀬戸内海が見えるはずだが

ライダーにはそんな景色は目に入らない、バンクのコーナーを立ち上がったら、菅生の大坂より長い下りジャンプが待っているからだ。

そのジャンプを最初に飛び出してきたのが、調所伸一と鈴木南平のカワサキだったわけだ。

私も鮮明に覚えている。現地には行っていないがライディングスポーツ誌の見開き2ページを飾った写真が、その場面だったからだ。

調所選手の逸話は、桶川のレースで優勝したあと、「フロントフォークがいつもと違う」と言ったので

フロントフォークをばらしたら、片方のフォークにオイルが入ってなかったという話。

片方のオイルがなくても勝てるくらい速かったということだ。

鈴木選手はバイクランドジャパンの御子息、木更津サーキット(イーストバレー)や飯倉スポーツランドも経営していた、あの鈴木さんである。

2人は早くMXに見切りをつけて別の道に進んだと聞いたが、ワークスライダー養成チームとしてのチームグリーンの活躍の原点は彼らだったに違いない。

ハンチング帽にサングラス姿の平井監督は全日本MXの名物となっていた。そんな平井監督と私は一言だけ会話したことがある。

86年の国際B級ゼッケン2はクレイジー安藤さんだ。

安藤さんは石神覚さんのポイントワンに所属していたころから狭山レーシングと縁があり、

カワサキに乗り換えてジュニアライダースに所属してからも、狭山のトラックで全日本遠征していた。

菅生の全日本のときB級の予選でサインエリアにいたとき、平井監督が私に「安藤は予選通過したかー」と尋ねられた。「ハイ、通過しました!」 たったこれだけだが忘れられない。

国際Aは私にとって神様だ、そして監督は神様を育てている創造神なのだ。

安藤さんは前年、カワサキに乗り換えて鈴鹿で4位に入った。申請すればA級昇格できたのだが

「申請A級はインチキだ」と言って翌年、優勝するつもりでいたのに成績不振で折れてしまったのだ。

平井監督はカワサキに乗って速かった安藤さんにも期待をかけていたのだろう。

話は逸れてしまったが

松山オートテックは85年、先輩の井本さんがB級ゼッケン9の年に全日本四国大会として最後のレースを開催した。

その日のマーシャルは四国のトップライダー三原達夫。

国際Bの公式練習は三原選手と井本選手の一騎打ちだった。

四国選手権のトップライダーの松山でのスピードを見せ付けたいという思いと

一桁ゼッケンが田舎B級に負けてはいけないというプライドが、走りに表れていた。

そして、三原選手の御子息は後にチームグリーンへ入るほど成長し、親の意思を継いだと思われる。

その選手の名前は三原拓也、四国で8番目の国際A級ライダーとなった。

 

A級250でヒート優勝したのがMX界1のイケメン立脇三樹夫選手だったのが印象的だった。

その後はゴルフ場建設予定地になってしまい閉鎖したと聞いている。

大分のホンダウイングイワオ様から特注の製作依頼です。

10モデルCRF250Rのエキパイ製作ですが

ノーマルがステンレスと鉄のフランジに対してチタニウムとアルミフランジでリプレイスします。

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チタンパイプφ35とφ38.1の2種類を使います・

片方に蓋を溶接して砂を詰めます。

この砂詰めが不十分だとパイプが潰れたり、皺が入って不良品になってしまいます。

1台分のパイプ代が1万円くらいしますの無駄にすることはできません。

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量産のエキパイは100%機械曲げです。

パイプを潰さないように曲げるためにはR曲げ専用の機械が必要で非常に高額な投資になります。

我社は高額な投資はしません。なぜなら、お客さんの必要数は1本だけだからです。

1本だけ曲げるのでしたら、このように万力と炙りバーナーだけで充分です。

180°曲げですが熟練した手曲げ技術がないと高価な材料を何本も無駄にしてしまうでしょう。

これができないとマフラー屋とは呼べませんね。

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取り回しは車両がありませんので、このような治具を作って合わせます。

イワオさんからノーマルのエキパイと取り付け状態の画像を送っていただき、それを元に車体との位置関係がうまくいくようにゲージを作っておきました。

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曲げたパイプをつなぎ合わせてノーマル形状のエキパイが出来ました。

フランジはアルミ板をフライス加工で作ったものです。

ホンダのモトクロッサーはHRCのキットパーツが別売りされていますので純正部品はコストダウンの対象なのでしょう。

やっぱり他メーカー並みにチタニウムにしていただかないと私の仕事が増えてしまいます。